あんスタ

少し音を立ててゆっくりと開いた扉から出る。足をすすめれば換気してくれてるのか窓が開いていて暖かな春風が吹き込んで肌を撫でていった。

『すみません、お待たせしました』

「気にするな」

「新しいお茶淹れたんよ。あったかいから落ち着くで?」

『うん、ありがとう』

促されてさっきまでいた椅子に座ると影片が微笑んでカップを差し出してくる。斎宮さんに似た芳しい紅茶の香りに息を吐いてから口をつけ、一口嚥下して置いた。

手のひらを膝の上に置いて見上げるとじっとこちらを見ていたその人と目があって、赤色の目が細められた。

「先程は、すまなかったのう」

寄せられた眉根と少し噛まれた跡のある唇。目元の赤さが気になってしまって笑顔を作る。

『いえ、お気になさらないでください』

「……それと、先日、我輩を助けてくれたのもお主じゃろ…?」

『、覚えて、いたんですか』

「……―お主のおかげで、我輩は今日も我輩でいられる。―ありがとう」

躊躇いがちながらも輝いた赤色の瞳は強く、素直に受け取っていいのかわからず斎宮さんと影片に視線をそらしてしまった。

何も言わないけど微笑んで頷かれるからもう一度視線を戻す。

『…………貴方が、貴方でいられるのは、朔間さん自身が強いからです。僕はその手助けをしただけにすぎません。なのでその、あまり…見ないでいただけませんか?』

眼力が強い、というのか。熱がこもっているわけではないけどまっすぐ見つめられてしまうと息苦しさを覚えるからまだ持ったままの斎宮さんのジャージを両腕で抱えた。

「…不思議じゃな、お主はあの紅紫はくあであろう…?視線が、苦手なのか?」

『……………』

答えを返すことができないでいれば抱えていたブレザーが引き抜かれて頭に被せられた。視界が遮られ、視線も気にならなくなって、その上影片が抱きついてきてくれたから甘い香りがして落ち着いた。

「零、あまり触れてやらないでくれ」

「…そうか、それは悪いことをしたな」

二人の声が遠くから聞こえてるようで、影片がぐりぐりと顔を胸に押し当ててきた。

「あんな、さっかお師さんが泉さんとレオさん呼んでたから、今日はもう帰ったほうがええと思うよ?」

『……うん、そうする、ありがとう』

腕を背中に回して抱きしめればふわりとわたあめのような匂いがまた香る。ついでに柔らかい髪をなでると嬉しそうに笑った。

「………―我輩の記憶にある子よりも随分と柔いのう」

「はぁ―…、強いけれど、ナイーブなのだよ。だから視線と匂いには気をつけてあげてくれないか」

「…うむ、気にかけよう」

影片の匂いを吸い込みきって息を吐き、離れる。顔を上げると朔間さんと目があって、躊躇いがちに逸らされた。その後にもう一度上がってきた目が俺を見上げた。

「我輩の名は、知っておるか?」

『はい、朔間 零さん、ですよね』

「うむ。呼びやすいように呼んでおくれ。あまり頼れはせんかもしれないが…何かあったら声をかけておくれ。よろしくのう」

迷うように瞳をゆらして右手を差し出すから少し唇を噛んでしまって、不安そうに手が引かれそうになったから慌てて手を伸ばした。

『……あの、よろしく、お願いします』

握った手は緊張からか冷たくて、相反するように向かいのその人は表情を綻ばせる。

「…優しいんじゃな、ありがとう」

ふわりと甘いけれど今までとは違い柔らかな匂いがして、一瞬目を瞑ってから息を吐いた。

「ど、どうしたんじゃ?」

『ごめ、なさ、あの、すみません、ちょっと、えっと』

頭がふわふわして、そわそわする。何を考えてるのか自分でもよくわからないそれはそう、これは、あれだ。

勝手に動いてはいけないのはわかってるから唇を噛んで堪えていれば不安そうに朔間さんの瞳が揺れる。斎宮さんと影片の手が握手で繋いだままの手に乗せられ、ゆっくり息を吐いた。

「零、君が力を貸したいと思うのなら、これからコレのやることを受け入れてくれ」

「な、なにをする気じゃ?」

「あんな、別に番にしようとかちゃうねん、朔間センパイ。俺もお師さんもそうやし、怖がらんでほしい」

「番!?」

「番ではないのだよ。それで、どうする?手を離すのなら、今しかないのだよ」

斎宮さんの言葉に左右に視線を惑わせた後、繋いでる手にもう一度力が込められた。

ふっと頭に被せられてたブレザーが取られ、抑制してた二人の手が離れた。

『い、い…ですか?』

見上げた先の朔間さんの瞳に少しだけ熱が篭っていて、けれど唇を結って微笑んでた。小さく、しかしながらしっかりと頷かれる。

「良い、ぞ」

何をされるかわからず怖いはずなのに躊躇わない優しさに漬け込むことにした。

空いている左手を伸ばして朔間さんの首に回すと驚いたように赤い瞳が見開かれて、首筋に鼻先を埋める。白い首筋は近づけばさらに甘い匂いがしたけどそのまま息を続ければ頭の中がぼんやりとしてきた。

「っ、くすぐ、ったいのう」

『ん…さくま、さん』

「……―なんじゃ」

声と匂いを染み込ませて、呼んだけどその先に続く言葉が思いつかなくて呼吸だけをする。

『さく、まさん』

「…お主は、α性なんじゃ…」

「うむ、紅紫はれっきとしたα性だね」

「………不思議じゃな」

慣れてきたのか繋いでる右手とは反対の左手が躊躇いがちに伸びて頭に乗せられた。

『ん…』

「我輩、ヒートは終わったはずなんじゃが…」

「別に中てられてる訳とちゃうよ?」

「……そうか」

深く深く、俺の意識がとんでも気づけるように刻みつけて。

息をして、舌を伸ばせばびくりと肩がはねた。

「ひ、っちょ、な?」

「…はぁ、悪い癖が出てきたね」

「久々に人が近いから嬉しいんとちゃう?」

「でも良くはないね…」

「ほら、ええ子やから辞めよぉな?」

二人の声と朔間さんの声。遠く聞こえてくる声に舌を這わせて吸い付けば肩が揺れた。

「ん、くすぐ、たい」

『…も、ちょっと』

場所をずらして何度か吸いついて、小さく歯を立てればぶわりと甘い匂いがして、瞬間、後頭部を思いっきり叩かれた。

『っ』

勢いのまま朔間さんに体重をかけてしまい、二人そろって椅子から落ちる。くらくらしてた頭も、混乱してた思考回路が戻ってきてるのか、嗅ぎなれたシャープな香りと金木犀が鼻に届いた。

「う、うえ?」

意図せずとも押し倒してしまった朔間さんはどことなく涙目な上に顔が赤い。腕を回してたから頭を打たないですんだらしく安心から息を吐いた。

「…―し~ろ~くん?」

「なに…やってんだ?」

後ろから聞こえてきた少し怒った二人の声。同時に俺の脇下に手が差し込まれて持ち上げられた。

「まったく、今回のは“おいた”が過ぎたね」

俺を起こした斎宮さんがため息をついて、その場に座らせられたから本能的に正座して顔を上げる。

「朔間センパイ大丈夫?」

「へ、あ?おう」

「ほんま?顔、真っ赤やけど」

「っ」

二人のやりとりが気にならないわけではなかったけど、今は目の前で怒ってる二人から意識を反らしたらそれこそビンタじゃすまない。

見上げた泉さんは笑ってるし、月永さんは凍てついてたからおとなしく口を噤んだ。

「アンタが参ってるからお迎えに来てあげたのに、しろくんが悪い子でお兄ちゃんは悲しいなぁ」

『…すみません』

「あのねぇ、謝るのは馬鹿でもできるの。アンタがしないといけないのは謝罪じゃなくて反省」

『…はい』

項垂れることも許されないからまっすぐ見つめて返事をすればいい笑顔の泉さんは笑顔のままで隣を見た。

「まぁ、俺よりレオくんのほうが大分キテるから、一回パスね」

一番回ってきてほしくない人に回される。見上げた月永さんは絶対零度がふさわしいほどに表情が冷たく、なにもない。

『あの、』

「俺、お前がやばいかもって思ったから急いでここに来たんだけど、お前、俺の気持ちわかってるか?」

あまりに空気感が違うことに気づいてか未だ呆然としてる朔間さんを影片が引っ張って隣室に入った。泉さんと斎宮さんも同じで、俺と月永さんだけが残される。

「いま、すっげー悲しいんだけど。俺はお前に必要とされてないのか?セナもイツキもいるから、俺はもういらない?」

『……俺は、月永さんがいらっしゃらないのは、嫌です』

「都合のイイヤツだって、思ってんだろ?」

『いいえ』

「…お前にマーキングされるのはすごく嬉しいし、お前が休める場所を見つけるのも嬉しい。でも、同時にすごく悲しくて、辛いんだ」

ぼろりと涙をこぼしたその人は泣いてることに自分でも気づいてないのかもしれない。

「お前は俺の運命じゃないかもしれない、それでも運命だって思っちまった俺は、どんなに嫌いでも、憎くても、俺は一生Ωなんだよ!」

ペンだこのある俺よりも少し小さな手が俺の襟ぐりを掴んで、俺の目を覗き込むペリドットのような黄緑の瞳が悲しそうに揺れてた。

「どうしたって…どう誤魔化したって、俺はお前がほしいし…お前の番になりたい…!」

零れた涙に手を伸ばして拭えば月永さんの手から力が抜ける。それでもズレただけで手のひらは俺の腕を掴んだ。

「わかって、くれ」

『………はい。月永さん』

「ちょっとでいい、便利に使ってくれたって、構わない。…―俺を、見てくれ」

『……月永さん、俺は貴方をきちんと見てますよ』

ぼろりと涙が落ちて金木犀の香りが甘く漂う。仄かなそれは脳を溶かされるような感覚も、思考が揺さぶられるような感覚もしないけど強く、たしかに俺を包んでた。

『月永さん』

手を伸ばして背中に回す。とんとんと撫でるように優しく叩けば首元で月永さんが笑った。

「…―ずるい、やつだな」

『ごめんなさい』

いつも気を張ってる部分の力を緩めることで俺からもたぶん匂いがあふれてる。人いわくバニラとかジャスミンとか口々に言われるけれど泉さんがこれはオリエンタル系の香水に近いって言ってた。

「っ、ん…」

とろりと熱を帯びた声の後に両手が背中に回って服を握る。俺に反応するように金木犀の香りが強くなるから背中を撫でてた左手をずらして髪をなでた。

『…ごめんなさい、月永さん』

「も、いい…」

瞼を下ろしたのか、少しずつ小さく穏やかになる呼吸音はそのうち規則正しくなって、最後に言葉を溢して寝息に変わった。

頭をそのまま撫でているとノックが向こう側からされて、顔を上げる。

「落ち着いたぁ?」

『はい、だいぶ』

「開けるよぉ」

『はい』

開いた扉から泉さんが躊躇いなく出てきて、斎宮さんは少し躊躇いながら扉から出て、すぐさま閉じた。

「匂いが強いのだよ。これでは影片と零が辛い」

『すみません』

「一気に緩め過ぎ、斎宮そっちの窓開けて」

「仕方ないね」

二人がかり、手分けをして窓を開けるとぬるい春風が吹き込んできて匂いを絡めとっていく。

ぼんやりと感じ取ってれば影が目の前にしゃがみこんできて、にっこりと笑った。

「さて、レオくんが寝っちゃって動けないなら、ここで話そうか」

わざわざ目線を合わせてきて微笑む泉さんはかなり怒っているのは察するまでもなく、斎宮さんが近くの椅子を引っ張ってきてかけた。

「しろくん?」

『調子に乗りました』

「そうだよねぇ。…何したのかは朔間さんのあの様子を見ればだいたいわかるし、別にアンタが番を作るのも勝手にしなよ。でも、番じゃないなら…アレはいただけないよねぇ」

伸びてきた手が、人差し指と親指で俺の右頬を摘むとぎりぎりと引っ張られる。

「しろくん、俺教えたよね?」

『っ、ふぁい』

「たとえアンタにその気がなくても、相手に運命だって思わせることがあるし、アンタを欲しくなるかもしれない。もしそうなったら、アンタはそいつのすべてを背負わないといけないの」

『ひゃい』

「向こうが一方的になら俺だってレオくんだってアンタの味方をするけど、アンタがその気にさせたなら俺は容赦なく怒る」

ぎりぎりと痛む頬に涙が滲んでくるのは生理的な問題なので許してもらいたい。歪み始めたのは涙のせいなのか、それとも泉さんの表情が険しくなってるからなのか、わからない。

「今回のこれについて、俺を納得させるだけの理由があるわけ?」

『ない、てす』

「だよねぇ?」

最後に思いっきり横に引っ張られたあとに手が離される。まだ摘まれてるような感覚が残る頬を擦るのは俺じゃなくて泉さんの少し体温が低い左手だった。

「アンタはすぐ間違えるから、ほんと目が離せない」

『…ごめんなさい』

「今回は斎宮と影片くんがいたから大事に至らなかったけど、もし次があったら今度は許さないからね」

『はい』

「反省してるならいいよ」

労るように頬が擦られて涙も拭われる。濡れた指を自分の口に運んで舐めとった泉さんは、そのまま顔を近づけて目尻に唇を落とした。

『ん』

「…はい、いいこ」

さっきまでの笑顔が消えいつもの目を細めた、ゆるい笑顔を見せる。

「まったく」

後から呆れたような小さな声がきこえ、頭に手のひらが置かれた。ぽんぽんと優しく撫でられる。

「嬉しかったのはわかるけど、制御の次は我慢を覚えなければね」

『…はい』

頬に触れる泉さんの手と、頭を撫でる斎宮さんの手。抱きしめてる月永さんが暖かくてまぶたが降りてくる。

「まるで小さな子どものようなのだよ」

きっと微笑んだんだろう。綻ぶような優しい笑い声が耳に届く。

「おやすみ」

穏やかな声が俺を許してくれたからそのまま月永さんと眠りについた。




「さて…」

床に座り込み眠りについた二人をしばらく眺める。髪を撫でてた手を離す。瀬名は未だ頬に触れていて目を細めてた。

「…―影片、もういいのだよ」

「ん、開けるで、お師さん」

ゆっくりと開いた扉からひょこりと影片が顔を覗かせる。一瞬肩を揺らしたのはきっと匂いが残ってるからだろう。

「お師さん、朔間センパイも平気?」

「一度こちらに来て駄目だったら戻ったほうがいい」

「やって、朔間センパイ」

「ん、ああ」

影片に手を引かれているのか、先に出てきた影片が手を伸ばしていて続けて手と、緩い癖のある黒髪が覗いた。

「っ、なんじゃ、これ」

一歩外に出ただけで肩を震わせて眉根を寄せる。窓を開けてからだいぶ経つけどまだ残っている匂いは強かったか

「紅紫が少し制御を間違えてしまってね。零も影片も、無理はしないでくれ」

おそらく自我を失うほどではない。けれど辛いんだろう、迷っている視線に瀬名が息を吐いた。

「………―影片くん、こいつら運ぶの手伝って」

「ん、うん」

今まで紅紫の頬を撫でるだけだった瀬名が立ち上がる。呼ばれた影片は一瞬迷ったように俺を見上げてから近寄ってきて、零はどうしたらいいのかわからなそうにしてた。

「手伝うのだよ」

「ありがと」

抱きしめあって眠っているから剥がすのは難しく、三人でぎりぎり持ち上げる。そのまま歩いて隣のベッドに二人を寝かせると瀬名は布団をかけてやった。

二人のどちらかを見つめていたと思うと深く息を吐く。

「朔間さん、ちょっといい?」

いきなり声をかけられたことに驚いたのか目を丸くした零は唇を一瞬噛んでから開いた。

「…お主は…薫くんの友達の瀬名くんじゃな」

「そう、瀬名泉。それでこっちは月永レオ。まぁこっちのことは知ってるなら自己紹介は省くよ」

振り返らずただ紅紫と月永の髪を撫でる瀬名が今どんな表情をしてるのかはわからない。影片が心配そうな目で瀬名を見上げているからあまりい顔はしてないんだろう。

「俺が言うことでもないと思うんだけど、朔間さんもΩならさっきのあれは危機感を覚えるべきでしょ」

「っ、それは、そうじゃが」

「…しろくんはまだ足りてないから、俺達で守んなきゃいけない。今回のこれはアンタに非はないけど、自衛はしてほしかった。もし番にでもなってたらどうする気なわけ?どれだけ重大なことかわかってる?それとも会って最初に運命とか思っちゃったから許したわけ?」

畳み掛けるように早くなっていく口調と大きくなる声。動揺する零に思わず口を挟んだ。

「……瀬名、それはあまりにも、」

「わかってるよ!」

少し落ち着いてもらえればそれでよかった。けれど先程よりも大きく返ってきた声に影片が驚いて肩を揺らした。

「全部全部全部!俺の嫉妬だけど?!そんなこと知ってるよ!馬鹿にしないでよねぇ!」

「………瀬名、二人が起きてしまう。一度、息をするのだよ」

「っ、…ふー……はぁ、ほんと…嫌になるねぇ」

ぼそりと言葉をこぼした瀬名に違和感を覚えて目を凝らす。あどけない表情で眠る紅紫は瀬名の握りしめられた拳に手を重ねていて、起きている気配はないからおそらく無意識なのだろう。

「……間抜け面」

鼻先を一瞬摘んだ瀬名は、紅紫が息苦しさで起きてしまう前に手を離して立ち上がった。

こちらに振り返った瀬名は、いつもの仏頂面で鼻を鳴らしたあとに口角を上げる。

「説明してなかったねぇ。さっきのあれはマーキングって勝手に呼んでる。しろくんが大丈夫だって認識したやつに対してだけやることで、今ここにいる四人はその対象」

急に始まった話にに零の瞳自体は揺れていたが表立って動揺は見せない。故にか瀬名は言葉を止めなかった。

「こいつは色々と足りてないからすぐ不安定になる。特に今は環境が変わったばかりでぐらついてるから、気づいたら助けてやって。放っておくと崩れる」

「…―それは、例えば」

「別になんでもいいよ。レオくんならよく匂い嗅がせてるし、俺なら一回抱きしめたり声をかけてる」

「僕は頭を撫でることが多いかもね」

「俺は紅紫が抱きついてくるから気ぃ済むまでぎゅーってされとるよ」

「他人の視線と匂いが苦手なのは知ってる?」

「なんとなくは、先程もあまり見ないでほしいと目を逸らされてしまったからのう」

「ふーん…ならいいや。もしやばそうだったらとりあえず原因からうまく引き剥がしてあやしといて。駄目そうなら俺とかレオくんに連絡ちょうだい」

「………―幼子のようじゃな」

思わず零れ出たのであろうそれに瀬名はあからさまに眉間に皺を寄せた。

「…―世間じゃ“紅紫はくあ”って名前はブランドだしこいつ自身一級品に違いはないけど、…中身は、高一になったばかりのガキだよ」

「……そう、じゃったな…すまぬ」

「別に」

目を逸らしポケットから携帯を取りどした瀬名は何度か指を滑らせたあとに部屋を出ていく。残されたのは僕達三人と眠りについてる二人で、影片はベッドサイドに膝をつき紅紫の髪を撫でて遊んでた。

「零、大丈夫か?」

瀬名が出ていっても小難しい顔をしてる零は眉間に薄く皺を寄せて息を吐く。

「……我輩にはなにがなにやら…慣れるのには時間がかかるかもしれぬ」

「…急な話だったからね、仕方ないだろう」

「しかし…月永くんは察しておったが、瀬名くんもΩ性だったんじゃな」

「瀬名は綻びがないからね。薬は効きにくいようだけどその分強いものを服用しているらしい」

「…ふむ、一度聞いてみようかのう」

この間のヒートが起きてしまったことを気にしての発言なのだろう。零も体質的に薬が効きにくい。口調から余裕が戻ってきたのは見て取れて、息を吐いた。

「零、瀬名はあんなことを言ったが、無理はしないでいいのだよ。君にとってあれは会ったばかりの下級生以外の何者でもない」

「………我輩は無理をしているように見えるかの?」

「少なくとも正常には見えないね。別にマーキングされたからといって必ず助けないといけないわけでもないし、これも君が助けなかったから怒るような生き物ではないよ」

零が物を考えるように落とした視線の先。遊んでるうちに自分まで眠くなったのか船を漕いでる影片と、穏やかな表情で眠る月永を抱きしめてる紅紫がいた。

「…―先程、瀬名くんは運命だと思ったかと言っておったな」

思いつめるような横顔。瀬名と月永が最初に言っていた忠告が鳴り響く。昔の影片が重なった。

「………零、もしかして」

「…思ってしまったのは…勘違いじゃった…ということか?」

不安そうに揺れた瞳なんて今まで一度だって見たことがない。紅紫のあの様子を見るに、いつものあれであることに違いはないのに簡単に否定ができなくて口を噤んでしまった。

「………そうか」

それだけで零は悲しそうにするから余計になんと声をかけるべきなのかがわからない。

それでも、友人にこんな顔をさせてしまうのは忍びなくて、ゆっくり息を吸った。

「僕は瀬名や月永、影片、もちろん零とは違うし、これ本人でもないから憶測、いいや、希望的観測かもしれない。けれど口を挟ませてもらうのであれば…運命などなくても、人が人を好きになるのに理由はいらないし、誰かに否定される謂れもないのだよ。だから、君が好きでいれば、これが君に好意を返すことだってある」

「…………宗にしては、珍しく言い切るな」

きょとんとしたあとに唇を噛み、泣きそうに笑った零は少し口調が戻っていて昔のようだ。

「瀬名も月永も排他的であるからね。君がこんなことで潰れるような奴でないことは知っているけど、手を引く気だっただろう?」

「………見透かされるなんて、居心地が悪ぃな」

「ふん、侮るんじゃないよ。」

はにかんだから鼻で笑ってやる。それに安堵して目を離せば影片は眠りについてた。

「布団もきないで、風邪でもひいたらどうする気なのだろうね」

膝掛け代わりに用意してるブランケットを肩からかけてやる。ついでに暖かさからか汗をかいてるらしい紅紫の前髪を退かせれば白い肌が照らされた。

「触ってみても、いいか?」

躊躇いがちに声をかけてくる零はなにか呑み込んだのか目に迷いはない。

「ならばそんなに離れていては無理だろう?こちらに来れば良いのだよ」

手招けば釣られたように足を進めてベッドサイドに佇む。恐る恐る伸びてきた手が、眠る紅紫の髪に触れた。壊れ物に触れるような、指先で感触を確かめるように動いていた手はゆっくりと時間をかけ手のひらまで触れる。

「――…」

起きないことにほっとしたような、嬉しさを滲ませた表情で笑った零はぎこちない手つきで髪を撫でて、撫でられている紅紫は変わらず穏やかな寝息を立ててた。

「…暖かいのお」

「子供だからね」

目を細めて慈愛さえ滲んだ表情を見守っていると小さなノックが響いてドアノブが回される。驚いたように手を退かした零は扉を見つめて、入ってきた瀬名は携帯をしまった。

「斎宮、しろくんかレオくんが起きるまでここ貸してもらえる?」

「構わないのだよ」

「ありがとぉ~…あ、影片くんも寝ちゃったんだ」

言葉を吐きながら横をすり抜けた瀬名はベッドサイドの小さく空いてる部分のマットレスに腰掛ける。一度目蓋を下ろして息を吐くと渋々といったように目を開けた。

「しろくんに関係したときだけは俺もレオくんもアンタの味方だから。それ以外は違うからそこらへん勘違いしないでよねぇ」

「…うむ、心しておこう」

「それと連絡先はかおくんにでももらっておいて。貰ったらなんでもいいからちょうだい。こっちも登録しとく」

「……我輩、電子機器に疎くてあまり携帯電話が得意ではないんじゃけど…」

「瀬名、零はあまり携帯電話を持ち歩かないのだよ」

「はぁ~?いま何世紀だと思って…どいつもこいつも…、まあいいや、俺からかおくんにもらうから連絡先登録しといて」

「うむ、わかったぞい」

「本当にわかってるわけ…?」

怪しむような声色は僕が連絡先を登録できなかったときと同じで、そのうち見かねていつものように世話を焼いてくるのだろう。だから零に首を横に振っておけば察していたのか頷かれた。

口の中で文句を吐ききったのか、それとも眠る二人を気遣ってか、静かになった瀬名は目を閉じる。

「…―少し寝る。…どっちかが起きたら帰るよ」

「ブランケットは使うかね?」

「ん、ありがとう」

目を閉じたまま右手を伸ばした瀬名にブランケットを渡すと頭から被り、膝を抱え丸くなった。微動だりしなくなった瀬名は宣言通り眠りについたのだろう。

「零、君はどうする?」

「……もう少しだけ、触れていようかのう」

そわそわしてた右手がまた伸びて、紅紫に触れる。先程よりも優しく、慣れた動きで髪に触れる零は嬉しそうだったからそのまま僕も目を閉じて小さく息を吐いた。


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