あんスタ

授業が終了し、勝ったチームの俺達は用具の片付けを言い渡された。その中から点を取った大神と俺か指示され二人で集めたビブスとボールの入った籠を用具室に運ぶ。

「あー、ったく、なんで俺様がこんなこと…」

唇を尖らせて籠を押す大神は文句を言いながらもしっかりと片付けを手伝っていて真面目だった。

授業中だから解放されたままの重い扉を開けて視線を迷わせる。薄暗い室内は埃と砂の臭いがして息苦しい。大神も足を一歩踏み入れた時点で嫌そうに顔を歪めてた。

『サッカー用具は…』

「あった、こっちみてーだぞ」

それなりに広い用具室は使う授業ごとに大まかに分けられているらしく、少し奥の方から大神の声がする。薄暗すぎて足元が見えづらい。ポールや縄に引っかからないよう気をつけながら歩いて奥に入ればサッカーボールやカラーコーンが置かれているサッカー用品置きがあった。

『本当だ。ありがとう』

「はっ」

鼻を鳴らした大神の横を抜けてプラスチック製の籠の中、色違いのビブスが入ったそこに持っていた分のビブスを重ねる。

「…………」

背中に視線が突き刺さっていて、なんとなく居心地が悪いからゆっくり振り返った。

『…えっと、大神、何か用?』

「ああ?別になんもねーよ」

『…そう』

あっさりと簡潔な言葉にまた前を向く。

物言いたげというよりは苛立ってるような、そんな視線は向けられていて気分がいいものではない。いつもの視線よりは息が苦しくなったりしないぶんマシではあるがマシなだけでいいわけじゃない。

ビブスを綺麗に整えてしまい立ち上がる。

「おい」

声がかけられて振り返れば眉間に皺を寄せた大神は腰に片手をついてた。

「てめぇ、なんで途中で出ていきやがった」

『…なにを?』

急な問いかけに理解出来ず目を丸くしてしまう。盛大に舌打ちをかました大神は声を荒げた。

「初日のライブだよ!ロックが嫌いなのか?!」

『ああ…べつに嫌いじゃないよ』

「じゃあなんで帰ったんだ」

『朝からあまり体調が良くなかったんだけど、その後から純粋に人の多さに酔っちゃったみたいで具合が良くなくて…』

意識的に苦笑いを作って言葉を並べれば大神の瞳がなにかを見極めるように細められる。

「なら、あのライブが嫌いだったっつーわけじゃねぇんだな」

『うん、嫌いじゃなかったよ』

「…………―なんだ」

苛立ちを消して次にはむっとした顔をしてみせた大神はどこか安堵してるようにも見えた。

言葉の意味をはかりかねて首を傾げればにっかりと大神は笑う。

「俺はてっきりあのライブが気にいらねーんだとばかり思ってた。そーだよな、ロックがきれーなやつなんていねぇよな!」

『…―うん、すごくかっこよかったよ』

「だよな!だよな!ほんとかっけ~よな!」

キラキラとした目が眩しくて、あのライブのことを思い出すとふと目の前の笑ってる大神が記憶と重なった。

『……―もしかして、ギターって大神?』

「ああん?てめー今まで気づいてなかったのかよ」

『ほら、スポットライトとか衣装とかあったし…なにより雰囲気がすごくて』

「ま、俺なんかより朔間先輩のがかっこよかったからな!仕方ねぇよ!」

不意に出てきた名前が地雷過ぎて息が詰まりそうになる。気づいてないのかキラキラした目であの朔間先輩は火がついてたとかいつも以上にロックだったとか語ってる。

『大神はあの人が好きなんだね』

「べ、別に好きじゃねぇよ!あれは超えるべき目標だ!」

本心半分、尊敬半分といったところだろう。

この数分で垣間見えた大神の忠犬度に笑顔が出る。

『そっか、応援してるね』

「おう!」

最初の嫌悪感はどこにいったのか、あっさりと頷いてみせる様は高感度が持てた。

行きと違い空手になった俺達は用具室を出て鍵を締める。

「職員室に用があんから、鍵は俺様が持っていってやんよ」

『いいの?』

「おう。俺様に感謝しな!」

照れてるのか少し顔を逸らしながらふんぞり返るから苦笑する。

『うん、ありがとう。僕このあと向かう場所があったからすごく助かる』

「ああ、それ返しに行くのか?」

指されたジャージに思わずきょとんとしてから頷くと大神は呆れた顔をした。

「青色のジャージなんだから借り物ってことぐらい誰でもわかるだろ」

『ああ、そうだよね』

一年は赤、二年は青、ついでにいうなら三年は緑にネクタイもジャージも分けられてる。目の前の大神もさっきまで一緒にいた遊木くんと影片だって赤色のジャージを着ていたし、よくかんがえればその中で青色のジャージを着てた俺はだいぶ浮いてただろう。

「さっさと返し行ってこいよ、じゃーな」

ひらひらと手を振って歩き始めた大神を見送り、ポケットに手を入れる。携帯を少し操作してメッセージを送れば向こうも授業は終わったのかあっさりと返信が来て、指定された場所が被服室だったから着替えは後回しにして校舎に入った。

放課後になり部活かユニット練習に向かう生徒が多く三、四人程度の塊で動いているのが目立つ。賑やかな廊下で視線に堪えつつ歩いていれば影が目の前に現れて足を止めた。

「斎宮」

声をかけられたのは俺だろうにどうにも噛み合わないから仕方無しに顔を上げれば目の前のその人は目を丸くして首を傾げた。

「あれ?斎宮の匂いがしたと思ったんだけど…」

『こんにちは、たぶんこのジャージが斎宮さんの借り物だからですよ』

目線はだいぶ俺より下にあるものの、着ている制服のネクタイも、初めて見た部活動紹介の司会でも先輩とわかっていたから敬語で返す。

たしか仁兎さんといったか、その人はもとから大きな目を更に丸くして声を上げた。

「あの斎宮が!貸したのか?!」

『え、はい』

「へー!めじゅらしいこともありゅんだな!」

半分噛んでいて聞き取りづらくはあったけど苦笑いをしてしまったけど、あのお師さんが、へぇえ!と独り言を溢してるからあまり気にしてないんだろう。

「天変地異でも起きるのかもしれないな…」

『流石にそれは大袈裟なんじゃ…』

「おや、兎さん?こんなところで声を上げていかがなさいました?」

聞こえてきた芝居じみた言葉に目の前の人は顔を上げて俺の後ろを見る。

「聞いてくれ渉ちん!お師さんがジャージを貸したんだ!」

「宗が?」

視線が俺に刺さるから仕方無しに振り返る。視界に入ったその人はきれいな白い髪をポニーテールにしていて、バイオレットの瞳がかち合った。

「………―」

その瞬間にぶわりと匂いが混ざるから肩がはねそうになる。苦しくなりそうな息を押さえるとその人は笑顔を貼り付けた。

「いやぁ!本当に宗のジャージですね!これは珍しい!世界は驚きに満ち溢れてますね!」

匂いをかき消すように声を張り笑うから若干呼吸が楽になる。

「だろぉ?斎宮だと思って声かけたからオレびっくりしちゃってさ~」

「それは掛けられたこの子も驚いたでしょうね!」

「あ、そうだよな。ごめん」

『いいえ、お気になさらないでください』

律儀なその人に笑って返すとほっとしたように息を吐く。気にしているのなら悪いけど低い目線とさっき斎宮さんをお師さんと呼んだことから影片がダブってしまう。

「…………お、おい?」

「ぷ、仔兎さん」

不審な声と含み笑い。無意識のうちに相手の頭をなでていたことに気づいて動きを止めた。慌てて手をおろしてすみませんと口を開けば頬を膨らませた。

「先輩なんらから子供扱いすりゅなよな!今回は許してやるけど!」

『本当にすみません、寛大ですね、ありがとうございます』

「に~ちゃんだからな!」

胸を張ったその人にまた手が伸びそうになるから息を吐いて落ち着けて、ポケットの中の携帯が揺れた気がしたから目的を思い出してはっとした。

『すみません、僕これから用事があるのでこの辺で失礼します』

「ん、ああ、引き止めて悪かったな!」

「ではまた。宗によろしくお伝えください!」

手を振る二人に頭を下げてから歩き出す。話していたこともあってか人気の減った廊下は歩きやすくて、何人かすれ違っただけで目的の被服室についた。

ノックをすれば向こうから扉が開く。ふわりと柔らかく甘い匂いがして心臓が痛い。

「ん、遅かったなぁ、お師さんが心配してたんよ?」

『ちょっと、影片…ごめん、いい?』

返事を聞くまでもなく手を伸ばして影片を捕まえる。抱きすくめればふわりふわりと甘い香りが届いて呼吸を続けた。吸って、吐いて、息が整う頃には影片がつま先立ちの限度を迎えたのかぷるぷるとしてて、ゆっくり力を抜いた。

『…―ごめん、ありがとう』

「ええよ、平気?」

『うん、大丈夫』

「そんなところにいないで中に入るのだよ。せっかくの空調が台無しになる」

聞こえてきた声に顔を上げれば呆れ顔の斎宮さんがいて、影片が俺の手を引いて中に進む。静かにしまった扉を背に、斎宮さんのいる机の前まで手を引かれ向かいに座った。

「参っているようだったけど、どうした」

『少し、疲れまして』

「誰かと会ったのか?」

『ええ、えっと…巴さんと』

「はぁ?!」

目を見開いて声を荒げた斎宮さんにお茶でも出してくれようとしてたのか俺の手を放したばかりの影片が肩を跳ね上げる。

「お、お師さん?」

「いま、巴と言ったかね?それは巴 日和か?」

『はい、二年生の巴さんです』

「………―間違いはないのかね」

『ええ、その後お会いした青葉さん?とたぶん天祥院さんもそう呼ん、』

「ノンッ!!」

脳が聞くことを拒否したがってるのか大きな否定に目を瞬く。影片はすでに隣の部屋に向かってたらしくてかちゃんと大きな陶器同士がぶつかる音が聞こえた。

『い、斎宮さん…』

「…はぁ…君はやはりそういったものを惹き付けやすいね…」

『…………』

意味深長な口ぶりで小さく零されたため息をきちんと耳は拾ってしまい、それに気づいている彼は俺を見て眉根を寄せた。

「巴 日和は学校に来ることも少なく、来ても特別室に篭っている奴なのだよ。あれは自由気まますぎて会話がならないし傲慢だから深淵のお姫様なんて呼ばれているらしいね」

『ああ、なんかそうらしいですね』

「その後に会ったという天祥院 英智は体が弱くそもそも学校に来ることが稀な人間だ。一応この学園の会長も務めているね。一緒にいた青葉 つむぎは凡人ではあるけど価値観が酷く道徳性に欠如している、大多数の幸福を取る人間だ。なるべくならばここ三人とは関わらないでほしい」

『……気をつけます』

「本来ならば会う確率自体が低いのだが…本当に、なにか惹き寄せてるのか、それともあちらが惹き寄せられているのか?」

悩むように小さく小さく言葉を吐いてる斎宮さんはしばらく口の中で何か言葉をつぶやいている。

その間に影片がお茶と小さなお菓子を用意してくれたらしく俺と斎宮さんの前に置いて隣に座ったから礼を口にした。

「ええよ、気にせんといて?」

首を横に振るから頭を撫でておく。はにかんで自分の分の紅茶に口をつけた影片に斎宮さんも紅茶を一口嚥下して息を吐いた。

「毎度伝える義務はないかと思うが、瀬名くらいには初めて会って疲れたと思った人間の名前を伝えておくのだね」

『わかりました。……疲れたわけではないんですけど、ちょっと気になった方の名前も伝えたほうがいいんでしょうか?』

問いかけに疲れきった表情の斎宮さんはもう一度紅茶を一口、ゆっくりと飲みこんだ。

「………―はぁ、それ以外に誰と会ったのだよ…」

『名前は覚えていないんですが、演劇部の部長にお会いしました』

「……………渉に、何もされなかったか?」

『少し目があっただけで、特には…もう一人一緒にいらっしゃって、その方と話してる感じでした』

「もう一人は誰だ?」

『たしか、仁兎さん、』

「仁兎!仁兎に会ったのかい!」

『え、はい。斎宮さんのジャージを着てたので間違えて声をかけられたみたいです』

先程の雰囲気とは一転しそうかいそうかいと嬉しそうに微笑むから、話題が地雷なのか間違ってないのかわかりかねる。

「あんな、お師さんはなずなにぃが可愛くて仕方ないんよ」

『そっか、仁兎さんと影片は斎宮さんの大切な人だもんね』

「な、ちゃ、ちゃうよ、俺はそんな」

さっと頬に朱を走らせて目線を彷徨わせる影片はなんとも可愛らしい。仁兎さんの話題を振ってからひとりでに話し始めてしまった斎宮さんと会話は望めそうにないからとりあえず立ち上がった。

『着替えるのにあっちの部屋借りるね』

「ん」

きちんと声が届いてるから定かだはないけど影片が返事をしたから隣の部屋に向かう。

仮眠室のこの部屋は眠れるようにと簡易ベッドが用意されていて、そこに一度荷物を置いてからジャージの上着を脱いで置く。

そのまま返して構わないなんて言ってたけど、やっぱり洗ってから返すべきだろうか

なんとなく扉の向こう側が騒がしいからまだ斎宮さんが仁兎さんの話をしてるんだろう。これならゆっくり着替えても良さそうだ。

ズボンを制服のスラックスに履き換えて、ベルトを締める前に一度ワイシャツも脱ぐ。汗拭きシートで体を拭えば清涼効果もあるためか拭いたところから肌がスースーする。使い終わったシートを畳んでからワイシャツに腕を通した。

「では借りるのう」

「っ!待つのだよ!」

がちゃりと音を立てた背後に振り返れば眠そうに目元を擦っていたその人は俺を視界にいれて固まった。

「な、」

目を見開いて口を開けて閉じることを忘れたその人に俺も目を丸くしてしまい、ボタンを止めようとしてた手が止まってしまう。

固まったのは一秒にも満たない時間のはず。錆びついたように鈍い思考を叱咤してなにか言わなければと口を開いた。

『あの、っ』

ぶわりと甘い匂いがして口元を抑える。

脳が溶けるような、体の奥から沸騰するように熱を孕んだ匂い。

息が、できない。

「な、んでお主が、お主は、お前は、」

『っ、は』

「零!紅紫も落ち着くのだよ!っ影片!」

「わかってるでお師さん!」

呆然としたその人を羽交い締めて部屋から放り出すと影片が受け取り、代わりに飛び込んできた斎宮さんが扉を締めてそのまま俺を腕にしまいこんだ。

『っ、ひゅっふ、はっ』

「落ち着け、君は混乱してるだけだ」

すべてをかき消すように強い匂いが俺の頭の中を占める。息を深く吸って吐いてを繰り返せば混乱から早まっていた動悸が収まって、斎宮さんの肩口に顔を押し付けた。

『はぁ、はー…っ、ふ…』

「そうだ、きちんと息をするのだよ」

『いつ、きさん』

「大丈夫。上手にできているよ」

柔らかく躊躇いがちに頭が撫でられて一度目を瞑る。少し甘い匂いが混じってはいるけど斎宮さんの香りが頭を占めるからもう一度息を深く吸って、吐くと一緒に顔を上げた。

「瀬名か月永を呼ぶか?」

『ん、いいえ…少し、取り乱しただけなので、大丈夫、です』

「そうか。無理はするんじゃないのだよ」

少し様子を見てくるから待っていろと着ていたブレザーを俺の頭に掛けた斎宮さんが離れていき扉が開いた。一瞬しか開いていないのにまた甘い匂いが流れ込んできたから掛けられたブレザーに包まるように身を屈めて息をする。

誰かが話すような声が向こう側でしてるけど誰がなんと言っているのかまで聞き取れず、じっと待っていればノックがされた。

「開けるぞ」

『…―はい』

ゆっくりと開いた扉から斎宮さんが顔をのぞかせる。どこか疲れたような表情に罪悪感を覚えないわけではなかったけど声をかけられるほどの余裕はなかった。

座りこんだままの俺に斎宮さんはブレザーをずらして頭をなでた。

「あれは僕の友人の朔間 零だ。取り乱してしまったことに対して君に謝りたいようなんだが、話せるか?」

『…………』

「無理にはと言わない。一応今の零はヒートも終わっているし、影片によって落ち着いている」

噛んでしまっていた唇から力を抜いて顔を上げる。目を合わせればラピスラズリは少し揺れていて、眉間には薄っすらと皺が寄っていた。

『だい、じょうぶです。俺も取り乱してしまったのでお話させてください』

「……―すまないね、ありがとう」

流れるように額に唇がつけられて一度目を閉じてから顔を上げる。斎宮さんはずらしたブレザーを俺の頭に再び被せてからついていた膝を伸ばして立ち上がった。

「僕達のことは気にせず、ゆっくりと着替えてから出てくるといい」

最後にブレザーの上から頭が撫でられて斎宮さんは部屋を出ていく。一人残された部屋で少し息をして、苦しくないか確認してからワイシャツのボタンに手を伸ばして一つずつ留めていく。少し指先が震えてしまい時間がかかったけど間違えることなく留められたワイシャツをスラックスに入れてベルトを締めた。

ワイシャツの上からベストを羽織り、赤色のネクタイを締める。少し考えてから自分のブレザーを羽織り、斎宮さんのブレザーは右腕に畳んで持った。

扉の前に立ち、一度、二度、息を吸って吐いてを繰り返し呼吸に歪さがないことを確認してからドアノブに手をかけた。

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