あんスタ

次は確か教室で古文のはずだ。

足早で戻ってるとからりと廊下の先にある扉が開いて、たぶん中から人が出てくるだろうからぶつからないように更に端の方に寄る。

前を過ぎればぐんっと何かが引っかかった。視線を落とすと俺の上着が握られていて、手の先を伝っていけば青色のネクタイを揺らすその人は目を丸くしてた。

『あ、の?』

記憶を探っても出てこないその人が誰なのかわからず、警戒をしながら首を傾げる。

ぱちぱちとまばたきをしたその人はおお!と何かに納得したように大きく頷く。

「ん、いやぁ!あまり感じたことのない雰囲気だと思ったら一年だったんだね!これは悪い日和!」

『あ、いえ…初めまして』

「うんうん!はじめまして!ここであったのも何かの縁だね!」

これはなにか変なのに捕まったかもしれない。錦糸みたいな細い髪と白い肌。汚れ一つ知らなそうな紫石が笑う。

「紅紫くん、僕は巴日和。自分から自己紹介できるなんていい日和だ!」

『巴さん、ですか…紅紫です。ご挨拶が遅れてすみません』

「うんうん!礼儀正しいね!礼儀正しい子は好きだよ」

独自のルールで動いてるのかあまり話を聞いてもらえる気がしない。数分前にこの道を通ることにした自分を呪いそうだ。

掴まれた腕はまだ離れないし、その人は何故か上機嫌で話しは終わりそうにない。誰か呼ぼうかと思ったけどこの人が何をしたいのかわからないから不用意に人を呼ぶのも躊躇われた。

遠くから授業開始のチャイムが鳴る。

『鳴りましたよ』

「ん?いいよいいよ、あんなもの出るだけ無駄さ!それよりもこっち」

掴まれてた服の裾は何故か腕を組まれるところまで近寄られていて、歩き始めるから仕方無しに足を進める。

本来であれば見知らぬ人間と一緒にいるのは自殺行為にあたるが抑制剤を飲んでるのか匂いが薄い。そのおかげもあって息苦しくないからまぁいいかとついていっていれば校舎を出て、多分裏庭についた。

そこにあったコンクリートで形作られた小さな屋根付きのスペース。中にあったベンチのような椅子に躊躇いなく掛けると笑った。

「さぁかけてかけて!話でもしよう!」

『……ええ、少しだけなら』

真向かいとまではいかないがだいたいその人の反対側に座るとどこか上機嫌に頷かれる。

「意外と君は従順だねぇ!それとも危機感が薄いのかな?」

『危機感は人並みだと思います』

なにか飲み物でもあれば視線の逸しようがあるのに、手持ち無沙汰で手を逸らすタイミングがはかれない。真っ直ぐ向かい合うのはどこか気まずさを覚える。

「危機感があるのにこの学園に来たのかい?それは不思議だね!」

『進路は自由ではありませんか?』

「うん、たしかにそうだ、君の言うとおり。人の未来を決めつけてしまうのはよくないね!悪い日和だ」

独特すぎて会話をしてる気にあまりなれない。この人がどこまで話せば満足してくれるのかわからず眺めていれば紫石の瞳が俺を見据えて細められた。

「不思議だねぇ。君があの紅紫はくあ」

『…―なにか、期待を損なってしまいましたか?』

「ん?まさか!僕はそこらへんの有象無象とは違って君のこと特別しているわけじゃないからね!まず君に期待なんて持っていないよ!」

『それは良かったです』

「うんうん!君はいい子だね!僕は君みたいな嘘つきは嫌いだけど、君みたいに敏い子は好きだよ!」

満足そうに笑ったと思うと頬杖をついて頷くから忙しい人だななんて思う。

作曲中の月永さんや活動中の斎宮さんとは少し違うだろうけど、所謂天才の部類で同じものを見ることは難しい。

『それで、巴さんはどうして僕をここに?』

「退屈だったからだね!」

『そうですか』

「けれど君がいるなら退屈はしなそうだね!」

『僕は貴方を喜ばせられるような芸なんて覚えていませんよ』

「―嘘吐きは、よくないね」

目が細められた瞬間に甘い、花のような匂いが舞って俺を包んだ。

『っ』

Ω性じゃない、これはα性の匂い。

「うんうん!やっぱり君は面白い!」

眉間に皺を寄せた俺ににっこりと笑ったその人はふわりと匂いを柔らかくししまいに抑えた。残り香は強く吹いた風に運ばれていく。

若干の息苦しさは残ってるものの取り乱すほどではなくて、息を小さく吐いた。

『………―俺がΩ性だったら、どうする気だったんですか』

「ん?そんなαの顔をしてるのに、その仮定はなんとも面白くない冗談だね!」

『…――、』

なにか言うために口を開こうとした途端チャイムが遠くで鳴り響く。吐き出しかけた言葉と一緒に息を吸って唇を噛んでから緩める。

『次の授業は、出られないんですか?』

「楽しいことは長く味わいたいね!」

笑顔で立ち上がったその人は来たときと同じように俺の腕を取り歩き始めた。

「変な虫がつかないよう送ってあげるよ!ふふ、これはいい日和だね!」

この人基準でなにを変な虫とするのかはわからないがえらく上機嫌で歩き始める。本気で送る気なのか校舎に入り、二度見三度見をする二年と三年、目をそらせない一年の視線を物ともせず歩いてた。

「君は何組だい?」

『…B組です』

「一年B組?去年の僕と同じだね!」

楽しそうに笑うから口を噤んでいれば進む廊下の先で影が立って、巴さんの足が止まり、向かいのその人は目を丸くする。

「あれ?日和くんこんなところで何してるんですか?」

「君は誰だい?」

「うぅ、そろそろ覚えてくれてもいいと思うんですが…青葉つむぎです…」

「んん、聞かない名だねぇ」

「はぁ、もう。日和くん?つむぎをいじめるのはやめてくれないかな?」

肩を落とす青葉と名乗ったその人に見兼ねたのか隣にいた人が息を吐いた。儚く今にも消え散りそうながらも芯のある香りはどこか斎宮さんに似た紅茶の匂いがした。

「ん?英智くん?今日は来れたんだねぇ!君がここにいるなんて珍しい!」

“英智”の名前は学園のリーフレットでみた覚えがある。たしかこの学校の生徒会長のはずだ。

巴さんよりも色素が薄い髪、肌は日に焼けていないというよりは病弱というのがふさわしい白さだった。

「君こそ、深淵のお姫様なんて言われてるのになんでこんなところにいるんだい?」

「僕は楽しいことがあれば動くさ!」

「…楽しいことかい?」

きょとんとした後に巴さんの腕を視線が伝ってきて、俺を見上げた。

「君は…もしかして、紅紫くんかい?」

「そうさ!中々の面白い種だろう?これを見過ごすのは僕の人生に大損になると思ったのさ!」

呆けた向かいの人に何故か胸を張って答える。元から集まっていたのに、更に集まりはじめた視線に息が苦しくなり始めてた。

『巴さん、そろそろ授業ですので、』

「うん?もうそんな時間かい?なら早く送り届けないとね!」

「日和くんも授業ですよ?」

「僕はこれが終わったら次に行くからそんなつまらないものに出る気はないね!」

「…僕が言えたことじゃないけど、卒業できないよ?」

早くこの場から離れたいのに掴まれた腕を振り払えず、かといってこの人たちは会話をしてるから動きそうにない。

苦しい、やばい

「どーん!」

ふっと金木犀が香る。鮮やかなオレンジ色に息ができて一瞬咽そうになった。

「わ!」

「なんだなんだー?みんな揃って楽しそうだな!祭りか??」

「レオさんいきなり駆け出してどうしたんだ!」

ばたばたと台風のように現れた月永さんともう一人に巴さんたちは目を丸くしてる。

「急に飛び込んでくるなんて何事だい?」

「つ、月永くん?びっくりしましたよ、もう…」

「祭りかと思った!」

「おお!祭りならこの祭り男に任せなさい!」

「はぁ、嫌だ嫌だ、騒がしいねぇ、これだから部屋から出てきたくないんだ」

両腕を組み首を横に振った巴さんに俺の腕が離されてることに気づいて一歩後ずさる。俺に気づいてるのは月永さんだけらしく、目線が合図をしてくるからもう一歩下がった。

『もう授業なので、これで僕は失礼しますね』

言い逃げるように言葉を吐いて頭を下げる。

横を通り抜けるさいに柔らかな金木犀が俺を包むから、少し深めに息をしてから早足で教室に入った。



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