あんスタ

入学初日から早退なんて印象は良くないだろうし、どれだけの人が気づいてたか不明だが俺が異様な様子で飛び出していったことも踏まえれば悪目立ちこの上ない。

案の定熱を出した俺はしまいに喘息までぶり返して丸三日休んだ。その間見舞いに来てくれたのは泉さんと影片つきの斎宮さんで、月永さんはあの後、家に帰ると同時にヒートを迎えたらしく俺に気遣って会いに来なかった。

実に四日ぶりの学校に正直、足が竦みそうになるけど制服を着て、しっかりとネクタイを締めてから息をする。

『大丈夫、大丈夫』

一回、二回。ゆっくりと呼吸を繰り返してから家を出た。

久々の太陽に目を細めてから足を踏み出す。駅まで向かって電車に乗り、最寄りで降りる頃には同じ制服がちらほら目について、早めに家を出たはずなのに案外この時間でも生徒が多いようだった。

視線に耐えながら通学路を歩き、校舎に入る。まだ一度しか使ったことのない教室に入ればちらほらと人がいて、席に向かえばかたんと椅子を引く音が響いた。

「おはよう!」

立ち上がったのはどうやら遊木くんだったようで、嬉しそうに表情を緩めながら俺の隣の席に座った。

「風邪もう大丈夫なの?」

『大丈夫、ありがとうね』

「うんん、…もうほんとびっくりしたよ!体調悪いなら隠しちゃだめだよ?」

『うん、今度からはそうする』

微笑めばふにゃりと表情を緩める。そのまま笑って差し出されたのはノートらしく、すでに始まった授業をまとめておいてくれてたみたいだった。

『あ、ごめん、ありがとう』

「僕が好きでやったことだから気にしないでよ」

お人好しなのか、ただ甘いだけなのかははかりかねるが今度なにかお礼はするべきだろう。

丁寧にカラーでコピーまでしてくれていたようで、とても見やすい。

「あまり字とか得意じゃないから、もし読めなかったりしたら言ってね!」

『そんなことないよ、本当にありがとう』

綺麗にまとめられたノートの表面をなぞれば照れ臭そうに頬を赤らめた遊木くんは目をそらす。遊木くんから立ち上る香りは息が苦しくない。

「ん……~、っ!おはよう!」

からりと開いた扉から入ってきた影片は嬉しそうに突進してきて挨拶をする。飛び込んできた頭を撫でてから返せばゆるゆると口角を上げた。

「もうええん?」

『大丈夫。お見舞い来てくれてありがとうね』

「俺はお師さんに無理言って連れて行ってもらっただけやから、邪魔やなかった?」

『嬉しかったよ。ありがとう』

「…ふふ、どういたしまして~」

ふわふわと飴玉というかわたあめのような柔らかな香りが立ち上って息をする。影片と遊木くんがいれば、このクラス内で俺は安寧を築けそうだ。

休み中にこんなことがあった、これを決めた。そんな風に話を二人から聞いていく。いつの間にか話に盛り上がってたようで人が集まっていてチャイムも鳴った。

席が少し離れてる二人に手を振って、机の中に入ってる大量の紙を取り出す。地道に仕分けていき終わる頃に椚先生が入ってきて始業を告げるチャイムが鳴り響いた。



授業で使った資材を持ちながら歩く。別に俺が手伝わなくても良かったのだけど、椚先生に話があったからちょうどよかった。

ノックをして扉を開ける。職員室らしくいくつもの机が並ぶ部屋の中。

『失礼します、1年B組紅紫です。椚先生いらっしゃいますか?』

「ん~、お、……ああ、あきやんならあっちいんぞ」

たまたま近くにいた佐賀美先生が顔を上げる。俺を見ると安堵したように息を吐いたから笑って返して、指し示された奥に進むと椚先生と生徒が話してた。

「ん、ああ、紅紫くん…いかがなさいましたか?」

『椚先生宛の荷物です。あと、少し授業のことで聞きたいことがあったんですが…』

椚先生の真向かい、俺に背を向けてる相手を見上げると同時にその人は振り返った。

眼鏡の奥、目が合い、見開かれる。なんとなく空気を壊そうと口を開いた。

『こんにちは』

「…こんにちは」

もっと他にマシな声掛けはなかったのかと一瞬悔いるけど結果としてその人は戻ってきたから良い。

眼鏡の位置を直したその人は椚先生に一礼して職員室を出ていった。

背中を見送ってから前を向き直せば椚先生が俺を見てて微笑んだ。

「体調はもういいんですか?」

『はい、ご迷惑をおかけしました』

「それで…私に話があるのでしょう?」

視線をめぐらせるまでもなく、職員室には椚先生と佐賀美先生しかいないから息を吐いた。

『…―先日は、本当にすみませんでした』

深々と頭を下げれば向かいに座るよう椅子が引かれる。腰をかければ口籠った先生は首を横に振った。

「………いいえ、あれは仕方がなかったことですから、あまり気に止めないほうがいいですよ」

『…―あのあと、どうなりましたか?』

泉さんも斎宮さんも教えてくれないならこの人たちに聞くしかない。まっすぐ見つめれば目を逸らす。少し視線を外してたのは言うべきか迷ってたんだろう。

また上がってきた視線は戸惑いを含んだままだったけど口はゆっくり動く。

「君が退席したことで影片くんと遊木くんが君を追いかけようとしました。しかし、扉の近くまで行き、君と斎宮くんの匂いに影片くんがその場に蹲り、遊木くんも腰をぬかしたため外には出ていません」

扉の向こう側が騒がしかった気がするのはそれのせいか。影片と遊木くんにはやっぱり後で感謝と謝罪を改めてするべきだろう。

「けれどそれに気づいた者は出入り口に近かった隣のクラスの子くらいで、騒ぎ立てず迷わず私を呼んだので特には気づかれていないでしょう。他の子はあのライブに意識が行っていたのでそこまで問題はないかと」

『そう、ですか』

「私も、君の疲労を考えるならあのあとの授業は免除するべきだったと今更ながら思います。本当にすみません」

『あ、いや、あれは…』

「朔間くんのライブも、ヒートが薬で治まっていたとはいえ、君には強すぎたでしょう」

『…………』

否定しきれないでいれば頭が撫でられた。

「斎宮くんも、意識を君から引き剥がさせるためとはいえ匂いをばらまいたことが守るべき君の負担になってしまったのではないかと溢していましたし、月永くんもヒートが早まったのは君のせいだと思い詰めていないか心配していました」

『………―そんな、ことはありません』

「ええ、わかっています。君はそんなこと思ってないでしょう?私達もそうです。君が思いつめるほど他人は君を原因にしません」

真っ直ぐ視線が突き刺さるからふっと体を固めてた重りのようなものが溶ける。ぽんぽんと更に頭を撫でると椚先生は笑った。

「ふふ、瀬名くんと月永くんが撫でてる理由が少しわかりました。撫でやすいですね」

『そうですか?』

見上げても楽しそうに口元をゆるめてるだけで多く話さない。しばらく黙って頭を撫でられていれば手が離れた。

「たった一日で君に畳み掛けるように出来事がおきました。今後もこういったことが起きないとは限りません。無理だと思ったのならすぐに助けを求めるように」

諭されて小さく頷く。よくできましたと最後にまたぽんぽんと頭が撫でられた。

チャイムが鳴り響いたから次の授業に向かうべきだろう。

『ありがとうございました。それでは失礼します』

「はい。何かありましたらまた来てください。話くらいはいつでも聞きます」

椚先生と、ずっと見守ってたらしく生温かい目で俺を見てる佐賀美先生に頭を下げて職員室を出た。
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