あんスタ


「時間だよ、起きな」

頭を撫でられる。ゆっくりと意識を浮上させれば柔らかな視線を向けてる泉さんと月永さんがいて体を起こした。

『おはよ、ございます…』

「おはよう!よく寝てたな!」

霞む視界をリセットしようと目元を押さえてからあくびを噛み殺して顔を上げる。

ポケットから携帯を取り出すと昼休み終了五分前で二人もあくびを噛んだ。

電気のつけられた部屋の中で曲がってしまったネクタイを締め直し、鏡で後ろまで確認する。ついでについた寝癖を指先でどうにかならないか触ってれば同じように乱れがないか確認してた泉さんがそうだと声を上げた。

「しろくん、部活決めたの?」

『ん、いえ、まだ…』

「おすすめは治外法権な弓道部だ!」

「テニス部は幽霊部員多いよぉ」

『…参考にさせていただきます。お二人はこのあとの部活紹介は出られるんですか?』

「「一応」」

面倒くさいという気持ちを隠すことなく、声まで揃った二人に苦笑いを返せばチャイムが鳴り響いて座りこんだままだった月永さんも立ち上がった。

三人揃ってレッスン室を出るが喧騒は遠く、仕方無しに校舎に向かう。

「あー、だるいな~」

唇を尖らせた月永さんは帰りたいと溢して泉さんが息を吐いた。

「もう決まったことなんだから諦めなよねぇ」

「う~」

「小さい子じゃないんだから駄々るな」

「え~、セナが冷たい」

『ふふ、お二人とも楽しみにしてますね』

あまり意味のない言葉を交わしあっていれば人が増え始め、視線が次第に刺さるようになっていった。

また苦しくなりそうになった息より先に、月永さんは俺の腕を、泉さんが俺の背を撫でる。

「大丈夫だぞ」

「なにかあったら呼びな。すぐ行くから」

『…はい』

最終的にぽんぽんと頭を撫でられ足を止める。顔を上げたそこは俺の割り当てられた教室で、二人は手を短く振るから返せば安心したように背を向けた。

二人が見えなくなったのを確認してから教室に入る。また刺さった視線は今まで二人でいたからかそこまで気にならなくて、席につけば向かい側に影片、隣に遊木くんが掛けてお互いに驚いたように目を丸くした。

「こんにちは、えっと…」

「んと、影片や。…自分は?」

「遊木真、よろしくね、影片くん」

「よろしくなぁ」

ふわりと笑いあった二人を見てれば挨拶が終わったようでこちらに視線が向く。

『よかったね』

「えへへ、うん」

「んん、せやなぁ」

照れ臭そうに笑った二人の頭を何となく撫でる。目を細めた二人のおかげで周りが気にならない。

『二人はもう部活決めてる?』

「まだかな」

「俺は手芸部や」

「影片くん手芸好きなの?」

「んー、俺は初めから作るのは上手やないけどリメイクいうんか?そういうのは好きなんよ」

「わぁ!すごい!」

純粋にキラキラとした目で言われ照れたらしく、影片がこちらを揺れた瞳で見上げる。

噛み合ってるような、噛み合ってないような、そんな二人が可愛いななんて思いながら口を開いた。

『斎宮さん?』

「もちろん!手芸部はお師さんが部長なんや!」

「ん?影片くんは先輩に知り合いがいるの?」

「知り合いとちゃうよ、お師さん」

「?」

こてりと首を傾げこちらを見る遊木くんにすっかり俺達基準でものを話していたことに申し訳無さを覚えながら苦笑いをこぼす。

『斎宮宗さん。僕達の一つ上の方で、影片くんのお師匠様兼保護者っていうのかな?』

「お師さんのつくるお洋服はごっつ可愛いんよ!たぶん部活紹介で持ってきてるから遊木くん見てな!」

「うん!」

会話の切れ目でチャイムが鳴り、椚先生が入ってくる。教室内を見渡し、俺たちを見るなり安心したような目をしてから手を叩いた。

「それではこれより体育館に向かいます。部活動紹介後は解散となりますので荷物を持って移動をお願いします」

促され全員か鞄を持ち立ち上がる。遊木くんはカラフルなリュック、影片はシンプルな巾着のような布袋。俺も肩掛けを斜めにかけた。

「出席番号順かな?」

「どうせなら自由かええなぁ」

『折角ならそのほうがいいよね』

向かった体育館には椅子が整列されてた。パフォーマンス用にか体育館の片側半分に寄せられるようにして並べられた椅子。椚先生がそのまま端から詰めていくようにと指示したから二人と目を合わせて笑った。

案外俺達のクラスは早く行動してたようで一番前の列の端折りに座る。なんとなく二人に挟まれるようにして座って、小さく息を吐いた。

二人と話しているうちに次々に人が集まってくる。俺達と同じ新入生や部活動紹介のために荷物を持った在校生。不意に見えた薄いピンク色に影片が表情を明るくして手をぶんぶんと振れば、その人はこちらに気づくと呆れたように笑ってからさっさと舞台袖に向かってしまった。

「あの人が斎宮さん?」

「うん!」

「手のお人形は…」

『マドモアゼル』

「へぇ…不思議な人…可愛いお人形さんだなぁ…」

嫌悪感などを含めずただただ感嘆の息を吐いた遊木くんはぱちぱちと瞬きをした。

粗方の生徒が集まったのは予定開始時間ほぼぴったりで、同時にぷつりとマイクの入った音がした。

「あーあー、マイクテスト…ようし、みんな聞こえてるな?これより、新入生オリエンテーション、部活動紹介を始めます。司会を勤めさせていただく放送委員仁兎なずなです、よろしくな!」

ぱちぱちと拍手が湧いて止む。それでは―…と始まった部活動紹介。運動部から行うらしく、トップバッターはバスケ部。続いて陸上部、空手部、そしてテニス部。

「こんにちは!テニス部です!オレたちの部活は新入部員大歓迎!もちろん経験者も歓迎だ!部長はオレ、仁兎なずな、副部長はこっちよ瀬名泉だ!」

「瀬名泉だけど。」

「じゃ!ちょっとしたラリーをしていくぞ!」

簡易紹介を終えた部長のその人はマイクをラケットに持ち替える。

泉さんは副部長だったのか

知らなかった事実に目を瞬いてる間にラリーが始まった。室内だからかボールが叩きつけられると音が響く。泉さんを眺めてれば不意にこちらを見て目があった。途端ににっと笑った泉さんがラケットを肩よりも上に構え、ボールを叩きつけた。

顔面すれすれにボールが横切り固まった部長は顔を赤くし声を荒らげる。少し涙目だった。

「んにゃ?!ちょ!泉ちん急にスマッシュうつらよ!びっくりしたらろ?!」

「はぁ?返せないなずにゃんが悪いんじゃん」

「これリャリーだからな!?」

二人のやり取りに笑うか引くかの新入生。在校生は圧倒的に笑っている方が多く、一部はまたかと呆れたように首を横に振った。

半泣きの部長をスルーして離れた場所に置かれてたマイクを拾い上げた。

「疲れたから終わり。じゃ、入部待ってるよぉ」

「勝手に終わらすな!」

「はいはい、次の部活が詰まるからねぇ~」

自由気ままなその人により強制終了したテニス部の発表。司会をしてたその人が一時退席してることもあり別の放送委員が次を呼ぶ。

次は弓道部らしく、袴に身を包んだ三人が弓を片手に現れた。

的をかけていく二人を横目に先頭を歩いてたその人はマイクを持つ。

「弓道部部長、蓮巳敬人だ。弓道部は活動日月水金の各日。精神統一を―…」

「ケイト!出来たぞ!射っていいか?!」

「遮るな、まだ話してる最中だろう度し難い。……部長は俺、あっちにいるのが部員のうちの二人だ。少し射るので見ていってほしい」

言葉を遮った月永さんに眉間の皺を濃くしたものの、その人はマイクを置いて弓を持つ。

「………―」

目を細めて唇を結ったその表情は美しく気丈で、どこか気高い。張り詰められた弦から矢が放たれて的の中心に近い場所に当たる。

辺りかしこから息を飲むような声が聞こえて、俺も息をしてから目線をそらした。その先にいた月永さんも同じように真面目な顔をしていて、先程怒られていた人と同じには見えない。ブレなく放たれた矢は的の真ん中を的確に撃ち抜いてたから新入生はまた息を呑んだ。

一本、二本、矢が放たれては的に当たる。そのうちふっと表情を緩めた月永さんはこちらを見て、指をピストルのように形作ると笑った。

「ばんっ!」

「っ?!」

驚いたのか手を放してしまった部長の矢が的ではなく少し離れたところに突き刺さる。こういったことを想定しての予備か的の周りにあった硬めの板から嫌な音がして、その人はしばらく固まったあとに元凶を睨みつけた。

「月永!何をしてる!」

「ん~?射止めようかな~って」

「貴様が射るのは矢で!止めるのは的だ!」

「そんなに怒るなよも~」

「常々思ってはいたが、今回の貴様の態度は流石に見過ごせん!叩き直してやる!」

「えー!やだやだ!」

ばたばたと逃げ回りだした月永さんを眉間の皺を深くし追いかけまわす。コントのようなそれに新入生はぽかんと口を開いたあとに笑い始め、仕方なさそうに残りの一人がマイクを持った。

「失礼をいたしました。私は皆様と同じく一年の伏見と申します。以後お見知りおきを。僭越ながら私が幕を引かせていただきます。これで弓道部の紹介を終わります。」

丁重に頭を下げてさっさと的を片付けた伏見は月永さんの首根っこを掴み説教する部長の背を押しながら舞台袖に掃けていった。

「なんやおもしろい先輩らやったな!」

『そうだね』

「あの人、こっちを見て撃ってなかった?」

「ん?そう?」

笑う影片と首を傾げる遊木くん。流石視線に敏感だななんて思いながら話を聞いていれば部活動紹介は運動部を終え、文化部に移行した。
紅茶部の次は演劇部。演劇部では短めの劇を見せ、クオリティの高さにそれなりに場内は盛り上がる。次は手芸部のアナウンスに影片が目を輝かせ姿勢をただした。

「手芸部だ。当部ではユニット、部活動などの衣装制作から個人趣味範疇の小物作りまで受けおっている。先程見ていた演劇部の衣装も手芸部が繕っているのだよ」

「はい!とっても着心地がいいですよ!宗!」

どこからか現れたのは先程まで演劇部としておちゃらけた道化師の役をしていたはずの演劇部部長で、顔につけた仮面をそのままに壇上に現れた。その人に斎宮さんは眉間に皺を寄せる。

「喧しいぞ、勝手に割り込んでくるでないのだよ!」

「自慢したくなったんですよ!ここは宣伝のお手伝いをしていると思ってご容赦を。ほら!ご覧下さいこのレースの細かさ!作った主の繊細さが伺えるでしょう?」

「…………はぁ。もう好きにすればいいのだよ」

「ふふ、ご覧の通り見た目つっけんどんですが、中身も厳しいです!しかしながら懐に入れたものには優しいのですあまり怖がらないであげてくださいね~!」

「渉!」

「ふふん♪」

ずいぶんと仲がいいようで、怒ってはいるけど表情豊かな彼に目を瞬いて隣を見れば影片はキラキラとした目で斎宮さんだけを追っていてあまり声をかけられるのは憚られた。

視線を戻すとばちりと目があって、その人は仮面越しにでもわかるくらい目を見開き息を詰める。急に息が苦しくなったと同時にぶわりと強い紅茶のような格式高い匂いが辺りを包んだ。

「…―渉、いい加減に、降りろ」

何も見ていない深い深い青色。ラピスラズリのような瞳に警戒を滲ませた斎宮さんに日々樹さんは弾かれたように俺から目を逸らした。

「っ、…もー!そんなに怒らなくてもいいじゃないですか!」

「しゅう~、わたる~。『ばとんたっち』しましょう~?」

戯けたその人に舞台袖からとてとてと歩いて現れた水色の髪のその人は笑う。

「奏汰…どいつもこいつも勝手に出てくるんじゃないのだよ、まったく…」

「だって『たのしそう』だったんですもん~」

悪びれず笑うその人が誰なのかわからない俺達は置いてけぼりをくらっていて、深々と息を吐いた斎宮さんはマイクを持ち直した。

「はぁ。…みっともないところを見せてしまってすまないね。これで手芸部の紹介は終わるのだよ。次は海洋生物部だからこのままマイクを変わる。ほら、もういくぞ、渉」

「はいはい、皆さん手芸部をよろしくお願いしますね!ではこちらを、奏汰くん!」

「はい、ありがとうございます♪」

ゆるく微笑んでマイクを受け取ったその人は舞台袖を見て手招く。仕方なさそうに四面ガラス張り、直方体の水槽を持った金髪の人が歩いてきた。

「みなさんこんにちは、かいようせいぶつぶです♪ぼくはしんかいかなた、こっちははかぜかおる、かおるがもってるのはみずくらげのぷかたろうです。よろしくおねがいします♪」

「、奏汰くん…俺この空気に入るのすごく嫌なんだけど…」

「きにしない、きにしない」

自由人と気苦労人という感じなのだろうか。息を吐くその人に笑顔だけを返してさてさてと顔を向けた。

「ぼくたちかいようせいぶつぶはきほんかつどうびはきまっていません。なのでじかんができたら『ごはん』をあげにくるといったかんじです」

「ゆるーい部活だから部活入りたいけど放課後あまりにも忙しいのは嫌って子におすすめだよー」

にっこり笑って続けた口調や雰囲気は気苦労人ではあるだろうけどなんとなく放浪気質もうかがえて、さてと水槽を受け取った深海さんはこちらに足を進めてきた。

「ぷかたろうを『さわって』みたいかたはいますか~?」

唐突な話にしばし意味を考えた新入生は迷った末に手を控えめに上げたりポケットに手を入れたりと忙しい。手を上げた人に対して水槽を近づけては突っついてるのを見て笑うその人は粗方の希望者に触らせたと思うと不意に顔を上げる。

そのままこちらにまっすぐ近づいてきて目の前で止まった。

「どうぞ♪」

『え、僕ですか?』

「はい♪やさしくさわってくださいね?」

『……失礼しますね』

なんとなく引きそうにないから促されるまま指をいれれば水はひんやりとしていて、届いたクラゲの頭はぷにぷにとグミのような、それよりも柔らかいような感触がする。

「ふふ、よろこんでますね♪かわいいでしょう?」

正直くらげのどこを見て喜んでるのか判断できず、でも目の前のその人がえらく嬉しそうに微笑むから釣られて笑う。

『ええ、そうですね』

見上げてた目があった瞬間、びりっと纏う空気が鋭くなった。

「…………、きみ、」

「かなたくーん!もうそろ持ち時間終わるよー!」

後ろから投げかけられた声に瞬きをして空気を霧散させた彼は俺の頭を撫でると来たときと同じようにとてとてと中心に戻っていった。

さっきの斎宮さんが放った匂いのおかげでそこまで苦しくはないし、深海さんもおそらく、きっと、そういう意味で俺を見たわけではないから息はそこまで辛くない。でもたしかに乱されてしまった呼吸に一度胸元を押さえて息をする。

「……―ありがとうございました♪」

はっとして顔を上げると紹介を終え二人が掃けていくところだった。

息をゆっくり吐いて吸って、息を整えてる間にゲーム研究会の紹介が終わっていた。きちんと聞けなかったことに罪悪感から気が引かれたけど、次の紹介が次で最後だと言われ早く終わってほしいとだけ願う。

少し、いろいろありすぎて容量オーバーだ。

薬はまだ効いているはずなのに視線が集まってる気がする。気にされない程度身を屈めるように口元を押さえて息を続けた。

「最後は軽音楽部による演奏です。では、お願いします」

耳を通り抜けていくアナウンス。かっかっとドラムスティックでとるカウントが聞こえて、音が響いた。

劈くリードギター。破壊するようなドラム。まとめるように重低音をかき鳴らし、甘く掠れた声で歌うベースボーカル。簡易ライブのように照明に照らされたその人たち。視界に入ったボーカルに視線が釘付けなった。

さっきの、さくまさん?

ヒートは抑えきれたのだろうか?少し心配になりながら聞いていると一番を歌い終え間奏に入る。ベースに指先を走らせ、照明に照らされた首筋には少し汗をかいてた。だんだんと甘い匂いがしてきてて、口元を抑える。

「んあ、なんや、この匂い…」

「紅紫くん?」

隣から声がかけられてるはずなのに頭がうまく受け付けられてないのか理解できない。

「面積比の公式言えますか 子供の時の夢は言えますか」

二番を終え、Cメロに入り変調になった曲調。音を極力絞りボーカルの声が浮き彫りになる。

「その夢すら溝に捨てたのは おい誰なんだよ」

歌うその人に無意識に中てられてるのか、様々な匂いが立ち込め始めて息が苦しい。

「もう知ってんだろ!」

『っ、ふ、』

その人が歌詞を叫んだと同時にぶわりと甘い匂いがして、もう我慢できなかった。

「紅紫くん!」

「なん?!」

口と胸元を抑えて立ち上がり駆け出す。遊木くんと影片が俺の名を呼び、俺に気づいた新入生がざわついた気がしたけど出口に向かって走る。

ここにいたら、危険だ

扉に手を伸ばして開けた隙間から身を滑り込ませ外に飛び出す。開けた視界と澄んだ空気が一気に肺に流れ込んできて盛大に噎せた。

『かは、っうえっ、はっ、はっ』

息が苦しい。うまく吸い込めない。頭の中が真っ白になり始めてれば肩を抱かれて目をのぞき込まれた。

「落ち着くのだよ」

肩に口を押し付けられて、重く美しい、洗練された茶葉みたいな匂いが俺を包む。

『は、ふっ、っう』

「今瀬名たちを呼んだ。もう少しの辛抱だ、頑張れ」

『ひゅ、はぁ、ふ』

俺を落ち着かせるように匂いを意識して立ちのぼらせているせいで体育館の向こう側が騒がしい気がする。

『ん、ふぅ』

けれど、この人より何より、俺のほうが多分やばい

「ちっ、匂いを抑えるのだよ」

『は、ふっ、』

「っ」

意識が朦朧としてしまってる俺に制御ができるわけもない。中てられて引き摺られるなんて何年ぶりかわからない感覚で、向かいの斎宮さんの肩に力が入り息が荒くなってる。

このままじゃ、まずい

「こ、うし、離れろっ」

『ふぅ、う』

「しろくん!」

後ろから聞こえてきた悲鳴のような、怒号のような声。酸欠によりくらくらする頭で振り返れば泉さんがいて、隣にいたであろう月永さんが膝をついてた。

「っ、ん、やば、い、ふぁ…っ」

ヒートはまだ先のはずなのに金木犀の匂いが強く立ち上り始めてる。

「っ~、薬は!?」

『きか、なくて』

「っふぅ、ふぅ」

「ちっ!しろくんこっち!」

息を荒げ始めた斎宮さんと月永さんに気づいて泉さんが俺の腕を取る。引きずられるように走り出せばどこかの部屋に入って、その場で腰が抜けた。

「っ、なにがあった!」

数時間ぶりに聞く佐賀美先生の声がどこか遠くで響く。

「いいからはやくしろくんを寝かしつけて!」

「っ、すまん!」

布が口に押さえつけられて、もとからはっきりしてなかった意識はあっさりと切れた。





「…ほんと、間一髪だ」

紅紫に続き、身を引きずるように駆け込んできた斎宮と月永も本人たっての希望で気絶させる。

眠る三人に対し、瀬名はぎりぎり理性を保ってるようだが念押しと言わんばかりに抑制剤を飲んでた。

「はぁ、まったく…どうなるかと思った…」

眠る紅紫の近くにあった椅子に座った瀬名が深々としたため息をつく。

紅紫が眠りについたから匂いはもうしていないはずなのに、室内に残った匂いのせいで思考が焼ききれそうだ。

こんなものを間近で嗅いで堪えた斎宮も、ヒートを起こしきらなかった月永も、理性を保ってる瀬名も異質だった。

「あっちはあきやんが一時的に室内を密封してるからこれ以上影響が出ることはないと思うが…なにが、あった?」

保健室にいた俺も、あっちでばたばたしているあきやんにも事情が聞けるわけなく唯一正気の瀬名に問い掛ければ眉間に皺を寄せて首を横に振った。

「…わからない、けど…たぶん、匂いに中てられまくって不安定なときにライブを見たから引きずれたんだと思う」

「ライブ?」

「軽音楽部…朔間さんが歌ってたんだけど、すっごくうすい…同じΩでもなければ気づかないようなかなり微量の匂いが漏れ出してたから…それに中てられたのかも」

「……やっぱり休ませるべきだったか」

溢れでてしまった声に瀬名がこちらを非難するように睨みつける。

「…なに?あの人いまヒートでも起こしてるわけ?」

「ちょうど、今日からな」

「………まさか、しろくんが昼助けたのって」

返事をしなくとも答えを理解した瀬名は唇を結った。

眉間に寄った皺があまりにも深くて何と声をかければいいのな躊躇いそうだ。

『っ―…』

小さく身じろいだ紅紫が瞼を上げるから瀬名は表情を消して覗き込む。ぼんやりと焦点があっていないようでどこかを見つめる紅紫は熱が出ているのか頬が赤かった。

『いず、みさん…』

「ん、なぁにしろくん」

『……すみ、ません』

「…謝るくらいならもっと制御しな、このアマチュア」

優しく額をはたいた瀬名はそのまま紅紫の髪を撫でる。それを甘受してた紅紫が不意に手を伸ばすと同時に、瀬名がもう片方の手で包み込み身を屈めた。

「ほら」

『んっ…いずみ、さん…』

小さく、それでいてしっかりと瀬名の背中に手を回し服を握った紅紫は多分、息をしてた。

慣れた様子で紅紫の頭を抱くように撫でる瀬名。次第に力が抜けていって、ぱたりと紅紫の手がシーツに落ちた。

しばらく頭をなでてやってた瀬名は鳴り響き始めた携帯に舌打ちをして画面を覗く。秒単位で眺めたと思えばまたしまって目を閉じた。

「入学初っ端からこれじゃ、先が思いやられるねぇ…」

しみじみとした声に何も返せなくて、息を吐く瀬名を見なかったことにした。


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