あんスタ(過去編)
【紅紫一年・晩秋】
「しろくん、疲れた」
なだれかかってきた体はまだあたたかくて、きちんと拭いていないらしい髪から水が垂れた。
『お疲れ様です』
読んでた台本を遠ざけるように置き、そのまま手を伸ばす。首にかかってるタオルに触れて毛先にあてていく。丁寧に水を吸うよう挟んでいけば小さな笑い声が零れた。
「今日はナルくんからハンドクリームもらったんだよね」
『へぇ、珍しい』
「モデルしたからついでにもらったんだってさぁ」
『気に入ったんですか?』
「まだつけてない」
『じゃあこのあと塗りましょうね』
きちんとタオルで水気を拭き取ったあと、ドライヤーで髪を乾かす。柔らかくて癖のある泉さんの髪は水分を含んだまま眠ろうものなら次の日にとてつもなく労力がいる。
地肌から毛先まで、しっかり水分を飛ばしたけど乾かす前につけたオイルのおかげでパサつかない。
泉さんが髪の乾き具合に頷いたのを見て、さっき会話に出されてたものであろう横においてある小さく平たい円柱の入れ物を手に取った。
少し多めにとったクリームを手のひらに伸ばして温め、溶けて色がなくなったところで泉さんの手を握る。片手ずつ、指先から爪の周りまで丁寧にを心がけてクリームを伸ばせば両手終わった頃に泉さんの指が俺に繋がれた。
「…ふぅん、伸びもいいし、匂いも悪くないねぇ」
『そうですね』
黙っていればクリームを追加される。俺の手にも塗りこむことにしたらしい、泉さんの白い指が撫でるように俺の爪、指の股も這っていき、柔らかな桃みたいな匂いが温められたクリームから漂った。
「ふふ、できた」
目を細めて嬉しそうに微笑んだ泉さんは達成感に満たされているようで上機嫌だ。
塗りこんだけれどべたつかない手。匂いも嫌いではないし、あとで泉さんが床の隅に放り捨てたパッケージをゴミ箱に入れるついでに商品名を確認しておこう。
俺の手のひらに自分の手のひらを合わせたり、指を絡めて遊んでる泉さんの目が据わり始めた。
『もう寝ますか?』
「…うん、そうする」
しまいに小さなあくびを零す。問いかけに返事をする程度の意識は保っていたようで短い返しのあとに立ち上がると覚束ないながらも迷い無く俺の扉をあけて中に入っていった。
躊躇いのなさに苦笑いを浮かべてからクリームの蓋をしめて、置き去りになってる台本も一緒にテーブルに置く。
「しろくん~」
壁を挟んで小さく駄々るような声が聞こえたから洗濯は後回しにしてリビングの電気を消した。
慣れたようにベッドサイドのランプがつけられてたからそれを頼りに薄暗い室内に足をすすめる。扉もきちんと締めてベッドに入れば右側にいる泉さんがまたあくびをこぼしたようで身じろいだ。
『消しますよ』
「ん」
最早恒例となってる問いかけにいつもどおり単語だけが返ってきてスイッチをきる。ふわりとランプが消えた室内は目がなれるまで真っ暗で、布団にもぐりこんだ。
同時に泉さんがいつものように擦り寄ってきてもぞもぞと居心地のいい場所を探して動き、びたりと止まる。眠ろうとする泉さんの髪を撫でれば小さな笑い声が聞こえて俺の手をとった。
「なぁに?」
『褒めてました。良い子ですね』
「…子供扱いしないでよねぇ…。でも、今日は俺の気分がいいから特別許してあげる…」
掴まれてた手が離れて泉さんの右手は俺の服を掴んだから先ほどと同じように髪を撫でることにした。
『おやすみなさい』
「…おやすみ」
今日は胸元に額辺りを押し付けて眠る気分らしい。くぐもった返しはどこか微睡んでいたから比較的早く眠りにつくだろうと目算しながら彼の頭をなでた。
「泉ちゃん最近調子良さそうね♪」
「はぁ?俺はいつでも万全だけどぉ?」
「最近のセッちゃんおいしそうな匂いがする~」
「ちょっと、ひっつかないでよ暑苦しいなぁ!」
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