あんスタ
3
ライブは終演。見学客も捌けた。
一難去ったところで、大きく息を吐いた。
『なんとかなったね…』
「おまけ加点みたいなものだろうけどネ」
半ギレの大神と怒っているというよりも悲しそうな乙狩は、朔間さんと羽風さんを探しに消えていってもういない。
ネクタイを緩めれば逆先は眉根を寄せたまま視線を落とした。
「兄さんたちも手を抜いてたわけじゃないけど、本気じゃないから勝てただけで…こんなの不服だヨ」
『それでも勝ちは勝ちに違いはないよ。それに僕達だって準備期間がなさすぎて本気ではなかったからね。前提も条件も同じならなにも悔いる必要はないんじゃないかな?』
「そうだけど…すっきりはしない」
逆先の気持ちもわからなくはない。せっかくの舞台で納得の行くパフォーマンスをすることができず、それで勝ってしまっては不完全燃焼だろう。
『じゃあ次は死力を尽くして勝たないとね』
「そう何回も解散騒動があられても困るんだけド…?」
呆れた顔を見せる逆先にたしかにねと笑って、そうすれば足音が近づいてきて顔を上げた。
「おつかれ、おめでと〜」
『ありがとうございます。お疲れ様です』
「夏目くん!おめでとうございます!」
「小僧、おめでとう」
「兄さんたち!お疲れ様!」
きらきらと目を輝かせて、褒められたことにむず痒そうに笑う逆先はさっきまでの暗い表情は隠れてる。
「お疲れ様、おめでとう」
「おめでとうごさいます夏目くん!」
「………はぁ、せっかくの気分が台無しだネ」
後ろから歩いてきた天祥院さんと青葉さんを視界に入れた瞬間に深々と息を吐いて目を逸らした逆先は、そういえばと口にした。
「結局、これは何が原因で喧嘩してたのか…兄さんたち知ってる?」
「「……………」」
問いかけに目を逸らしたのは兄さんと呼ばれてた人たちと泉さんで、逆先は眉間に皺を寄せた。
「どうして教えてくれないのサ」
「……知りたいのなら本人に聞くのがいいと思うよぉ」
「さすがに私の口からは言えませんねぇ〜」
「面白半分に口外していいようなものではないだろうからね」
「おや、斎宮くんと渉は察してたけど、瀬名くんも理由を知ってたのかい?」
「どうやら事情を知らされていないのは僕達だけみたいですね、ううん、悲しいです」
「安心しろ!俺も知らん!」
「うん。守沢くんはそうだろうなと思ってたよ」
天祥院さんが明るすぎる守沢さんに口元だけ笑みを繕って、それからゆっくり息をすると俺を見た。
「今回はあいにくと負けてしまったけど、次はもっと楽しいライブをしようね」
『ふふ。またご縁がございましたらよろしくお願いいたします』
ひらひらと手を振って青葉さんに声をかけるとそのまま離れていく。元から体調が万全には見えなかったし、休みに行くんだろう。
「じゃあ俺も!先に失礼するな!またライブしよう!」
にこやかに告げる守沢さんの視線は、何か目的があるようにまっすぐで走り去っていくのを見送った。
「さて、こんなに遅い時間になってしまいましたし、私達も解散いたしましょうか」
「あ、本当ですね。もうこんな時間…!夏目くん、送りますよ!」
「え、ついてこないでもいいよ」
「駄目です!夜道は危ないですから!」
「そうだね。青葉の言うことももっともだ。小僧、荷物を取りに行くぞ」
「ええ?宗兄さんまで…」
「ふふ!私もお供させてください!さぁさぁ!仲良く帰還いたしましょう!」
楽しげに笑う日々樹さんが逆先の肩を抱いて、青葉さんがそうですね!と大きな声で肯定して斎宮さんが振り向いた。
「後は頼むのだよ」
『え、?』
主語のないそれを告げて視線をそらす。賑やかな三人について行ってしまった斎宮さんを止めることもできず、唯一隣に残る瀬名さんを見つめた。
『あの、』
「羽風がまだ控室にいると思うから挨拶してきな」
『え、はい』
「じゃ、おつかれさま〜」
『お疲れ様です…?』
有無を言わせない言葉を残して離れていく背中に首を傾げる。
なんともすっきりしないそれにとりあえず挨拶はするべきだろうと示された方向に向かって歩き出した。
×
「ちあき、おつかれさまでした〜」
「奏汰!やっぱり見に来てたんだな!羽風が断られたから寂しがっていたぞ!」
「れいもかおるもたいせつなので、どっちのてをとるかなやんでしまいまして…」
「…そうだな、奏汰は二人とも仲がいいから仕方ないか!」
「はい。それに、ぼくがでずともふたりにはたよれるひとがたくさんいるとわかってとってもあんしんしました」
「……あの頃とは、もう何もかも違う。あいつらだって仲間もできるし、奏汰、お前にも俺達がいるだろう?」
「ふふ、そうですねぇ〜。もしぼくがだれかと『けんか』したら、『いっしょ』にいてくれたらうれしいです」
×
たどり着いた部屋は電気がついていて、たしかにまだ誰かいるらしい。
ノックをすれば、はーいとゆるい声がして、扉を開ければ中にいた羽風さんが目を瞬いた。
「あ、紅紫くん」
『お疲れ様です、羽風さん』
「おつかれー。てか、わんちゃんとアドニスくんが迷惑かけてごめんね?」
『いえいえ、迷惑なんてかけられてませんよ。UNDEADが解散したら僕達も悲しいので、その手伝いです』
「そっか。本当にありがとう」
ふわりと笑う羽風さんはいつもどおりのめんどうみの良い先輩の顔をしてる。
ライブ中の迷っていた顔は消えていて、一体何が羽風さんを困らせていたのかが気になった。
『それにしても…お二人のユニットの人選に力が入っていたので、今も勝てたのが奇跡なんじゃないかと思ってますよ』
「ああね…。俺は奏汰くんに断られちゃって、クラス行ったらちょうどまだ残ってた面子が助けてくれたんだけど、朔間さんのあれはちょっと反則だよね」
『どちらかといえば羽風さんのユニットのほうがまとまりはあったように思いますけど…、たしかに、朔間さんの人選は本気を感じましたね』
「まぁそれだけ負けられないって思ったんだろうけどさ…」
深々と息を吐いて頭を掻いた羽風さんに、本題に触れる。
『そこまで対立するなんて…お二人の間になにがあったんですか?』
ぴたりと止まった動き。視線を左右に揺らしてあーと意味のない言葉をこぼした羽風さんは手を下ろす。
「えっと…詳しくは言えないんだけど…俺が朔間さんの考え方に意見したら、思った以上に売り言葉に買い言葉でこうなっちゃって…」
『…朔間さんもですが…羽風さんが喧嘩なんて珍しいんじゃないですか?』
「ううん、ほんと、俺基本的には波風立てずに生きていきたいタイプだから喧嘩とかあまりしなくて…朔間さんもそのタイプだからこう、ね」
『引き際がわからなかったんですね』
「うん。…喧嘩って、もっと小さい頃からしておけばこんなに大事にならないで解決する方法とか身につけられたんじゃないかなって今更になって思ったよ…」
『ふふ、羽風さんの人生はまだまだ先があるんですから別に遅くはないと思いますよ』
どちらも台風の目にはならないし、騒動を起こすタイプじゃないだけに、今回のライブは本当にイレギュラーだったんだろう。
恥ずかしそうな羽風さんは頬をかいて、ゆるやかな会話の節目に口元を緩めた。
「ねぇ、紅紫くん」
『はい』
「一つ、依頼してもいいかな?」
『俺にですか?』
「うん。君にしかお願いできないことなんだ」
落ち着き払った、真面目な声。まっすぐ見つめられる。
「朔間さんと話をしてほしい」
『、朔間さんと…ですか?』
「うん」
『…すみません、主旨がいまいち伝わってこなくて…』
「ただ話をしてあげてほしい。朔間さんの話を聞いて、君の言葉で返事をしてあげて」
『話を…?』
不透明なお願いに首をかしげ続けるしかない。
羽風さんは変わらず真面目な表情のままで穏やかに頷く。
「ええと、対価は君が必要なもので俺が渡せるものならなんでもいいよ。あ、でも痛いのはちょっと困るかも」
さらっと続く言葉は和ませるためか少しだけ緩い。
対価の件は泉さん経由でなにかを聞いているのかもしれなくて、そこまで覚悟して依頼されたのならばと気持ちを正した。
『かしこまりました。この依頼は承ります。期限はございますか?』
「ありがとう。特にないけど…早ければ早いほうが助かるかな」
『ならこのまま会いに行ってみます。対価に関してはそんなに気負わなくても大丈夫ですよ。難しい依頼じゃないので軽いものをいただくと思います』
「うん、わかった。連絡待ってるね」
『はい』
ほっとした顔の羽風さんに一度頭を下げてすぐに上げる。
『それでは僕はこのへんで失礼させていただきますね。本日はとても楽しいライブでした。またよろしくお願いします』
「こちらこそ。わんちゃんとアドニスくんと一緒に、俺達を止めてくれてありがとう。…朔間さんのこと、頼むね」
微笑んでるのに、羽風さんの真剣な目がさっきの斎宮さんの目と同じ色をしてるのに気づく。
さっきの性急に逆先を引き連れて帰っていった日々樹さんと斎宮さん、それから選択肢なしにここへ誘導した泉さん。ひどく曖昧な依頼をしてきた羽風さん。おそらく全員が、朔間さんに対して俺になにかを求めてる。
挨拶もそこそこに部屋を出て、携帯を触る。
目当ての人間を探すために目撃情報を頼りにするのは慣れたもので、最後の情報が少し前の時間だったものの、なんとなくまだ帰っていないだろうとそちらの方向に進んで、見つけた黒い影をのぞき込んだ。
『こんなところにいらしたんですね』
熱も冷めてすっかりと静まり返ったライブ会場の裏手。階段の下の死角で頬杖をついていたその人は俺を一瞥することもなく眉を寄せて鼻を鳴らした。
「なんじゃ、笑いにでも来たのか」
『そんな陰湿なことはしませんよ。ただ話がしたかったので探していました』
「……お主と話すことなんぞ、我輩にはない」
『冷たいですね』
「………」
ピクリと肩を揺らしたあとに唇を噛む。何を堪えていたのか、その後にゆっくりと開いたまぶたの向こう側から覗いた赤色の瞳はまっすぐ俺を映した。
「なにを話す気じゃ」
『どうして喧嘩をしたのか、原因が気になりまして』
「、」
視線を迷わせて、そのまま落ちるかと思えば躊躇いがちにこちらを見上げる。
「宗や瀬名くんから、聞かんかったのか?」
『直接貴方から伺おうと思って皆さんからはなにも聞いていません』
「………話したくない」
『そうですか』
無理に聞く気もないから頷いただけなのに、悲しそうに表情を曇らせるから繊細な人だと思う。
本来のこの人なら、あの短時間、あのレベルのパフォーマンスで乱れることもないだろうに。座り込んでる朔間さんに合わせるように膝をついて、汗をかいてか張り付いた髪を指先でからめとった。
『なら、貴方が話す気になるまでここにいてもいいですか?』
「………お主には話さんよ」
『……そうですか』
赤色の瞳を隠すように瞼をおろしてそっぽ向かれる。
羽風さんの依頼があるとはいえ、朔間さんの機嫌を損ねてまで達成するものではないはずだ。
『…ライブ中からあまり機嫌がよくないみたいなので、これ以上気分を悪くしてしまうようでしたら今日の所は帰りますね』
「……………」
立ち上がろうとして、伸びてきた手が控えめに俺の服の裾を掴んで、皺を作る。留めるような指先は白んでいて、それなりの力が入ってるのは予測できて、どうしようかと考えてから優しい声を心がけた。
『……何がしたいのか、言葉にしないと伝わりませんよ』
「…………ーろ」
何か呟いたけど、小さな声と伏せた顔のせいで何を言ったのか全く聞こえない。
『えっと…顔を上げて話されるか、もう少し声を大きくしてくださらないと聞こえないです』
「………ちっ」
舌打ちはするのか。情緒不安定なのかななんて思いながら、仕方無しに手を伸ばして髪を撫でた。
『疲れてますか?』
「…………そうじゃな」
『そうなんですか。お疲れ様でした』
意識して柔らかく、優しく髪をすいて、毛先を指に絡めて息を吐く。
『…貴方があまりに人選に力を入れるから、少し焦りました』
「………ふん、我輩の誘いを断ったお主が言うか」
『連絡を頂いたときには、もう大神と乙狩に誘われていたので』
「……………」
『嘘ではありませんよ』
「…理由があったとしても…気に、食わぬ」
『それは…、…そうですか』
何を言ったらいいのかわからず口を噤み、手を下ろす。
気まずい静けさに焦りを覚えるよりも早く、ゆっくりと上がった顔についた二つの赤色の目が俺を見据えた。
「お主は、我輩よりもわんことアドニスくんを選んだんじゃろ」
『堂々巡りといいますか…基本的には先に来たお願いを受けるようにしてます』
「……それは、俺が先だったら俺と歌ったということか?」
『そうなります』
「………誘いが重なっていても?」
『ええ。順番を入れ替えることはありません』
いつもならばこの辺で唇を噛むくせに、今日はそのまま言葉をこぼす。
「それが瀬名くんや宗だったとしても?」
『…何を、言いたいんですか?』
無意識に強くなってしまった口調に瞳が揺れて目をそらされる。
「、今のは…聞かなかったことにしてくれ」
『………………』
小さな声は少し震えてる。
この人のしたいことも考えてることも全くわからなくて、どちらも話し出さなければひと気のなさに見合った静けさが帰ってきた。
妙に冷たい風が吹いて俺達の間を抜けていて、あまりに冷たいそれにいつの間にか上がってたらしい血の気がひいて頭が冷えた。
言葉を強めないよう、力を抜くために息を吐けば、大げさな程に肩が揺れる。服を掴む指先がさらに白んで震えた。
『この話題、楽しくないのでやめません?』
「、」
息を呑んだらしい。今度は小さく揺れた肩に指先は震えたままで、目を逸らす。
『だいぶ遅い時間ですし、そろそろ帰りましょうか』
俺もこの人も、今日は慣れないことをしたから疲れているんだろう。疲れているときに感情を昂ぶらせるような話をするのはよくない。
ずっとつままれてた服は指先が離れれば皺が残る。立ち上がった瞬間にまだ近くにあった右手が服を握った。
「…ーま、て、くれ」
『……急ぎでないなら、また後日お話しすればいいんじゃないですか?』
「…今じゃ、なきゃ、話せない」
『……なにを、俺とまだ話すんですか?』
「……………」
さっきまでよりもしっかりと握りこまれてる裾と黙ってしまった相手に視線を落として待つ。
俺に話したいことなんてないだろうし、そもそも今こうやって俺といることだって耐え難いだろうに、なんでこんなにも引き止めてくるんだろうか。
思い返せば今日のこの人の言動は違和感しかない。
UNDEADを脱退するほどひどい喧嘩を羽風さんとして、対立するために募った面子に俺を参加させようとして、敵地で会えば啖呵を切った。
ライブ中も今までにないくらいひどく苛立っていたし、終わってからはこんな場所で一人でいて不機嫌で失言も多い。
あまりにらしくない姿は今までの記憶のどこにもなくて、柑子くらい付き合いが長ければこんな一面を見たことがあるのだろうかとぼんやり考える。
上がらない頭を見続けて、そうすれば小さな振動音が響き始める。揺れているのは俺のポケットに入っている携帯で、大方帰ってこない俺を気にした誰かからの連絡だろう。
響く音は目の前のその人にも届いているようで、服を掴んでる手のこうに筋が浮く。力の入りすぎてるそれにそのうち手のひらに爪が刺さって怪我でもするんじゃないかと思って、手を伸ばした。
俯いたままの頭にあたりをつけて、頬に触れる。びくりと体が揺れて顔があげられて、指の近くにある口元に赤が滲んでた。
『言葉を選ぶのは構いませんけど、傷つけるのはよくないって言いましたよね?』
「、」
また噛み切っていたらしい唇に息を吐いて、傷口に触れないよう指でなぞってから離した。
『いろいろありましたし、言葉がまとまらないほど疲れてるのは仕方ありません。俺でよければいつでも話を聞きますし、時間も用意します。なので今日は帰りませんか?話したくなったら、』
「…ー行くのか?」
『え?』
「電話、鳴ってる」
俺の言葉への返事ではない、揺れてる目線と小さな声。連絡は電話なのか変わらず音を出していて、頷く。
『まぁ、呼ばれてるみたいなのでそろそろ行こうかとは、』
ぐっと服が引かれて、それから離された。
『朔間さん…?』
「…………」
唇を噛もうとして、すぐに力が抜ける。俺の言葉を覚えてるのか痛みがあったからかはわからないその行動に固まれば、迷ってた手が床に置かれた。
「お前は、本当に…」
『あの、』
「……………」
俯くというよりは、うなだれているような、力の抜けた様子が不安で、もう一度手を伸ばした。
『大丈夫ですか…?』
肩に触れても顔をあげない。軽く力を込めればぐらぐらと揺れて、異様なそれにまた屈んで顔を覗こうとすれば、今にも水を零しそうなほど潤んだ瞳が俺を見た。
『、』
「平等だって、言うのに」
『え、』
「なんで、俺だけは駄目なんだ」
『駄目…?一体なんの話を…、』
「俺は、我輩、は、お前が嫌いだ、大嫌いだ。死んでほしい、消えてくれればと、何度も思ってて、」
『…あの、』
ぼろぼろと溢れ始めて、朔間さんは顔を上げた。
「離れてていい。言葉も要らない。だから、一つでいい、何か、一つで良いんじゃ」
悲鳴のような声。辛そうに吐き出された言葉があまりにも苦しそうで、それなのにまっすぐと見つめられれば心臓に止めが刺されそうなくらい痛い。
「一つで良い、我輩を、優先してくれ」
『……………貴方は、俺のことを嫌いなんですよね?』
「……嫌い、じゃ、お主なんて、まったく、これっぽっちも。お前には、死んでほしい」
溢れる涙が指をぬらして、歯を食いしばってから、右手も伸ばして両頬を包んだ。
『なら、これからすることは貴方だけへの嫌がらせです』
赤色の瞳が壊れる前に、身を屈めて唇を重ねる。薄いけれど柔らかい、噛みしめてるからか、少し血の味がして、ゆっくり離れた。
「、な、にを」
『嫌がらせです』
「……なぜ、ばかな、ことを…」
『はい。貴方にどれだけ嫌がられようと、貴方がどれだけ傷つこうと、俺には関係ありませんので辞めません』
親指を動かして、唇をなぞり、口角を上げる。
『俺がわざわざ人に嫌がらせするのは貴方だけですし、ここまで身を削って感情を与えるのも貴方以外にいません』
「、」
『大嫌いな俺の一番じゃなくて、唯一特別なんて、堪えられないでしょう?』
「…ああ、無理、だ」
『ふふ、よかった。それなら俺も安心して、これからも嫌われることができます』
目を合わせて、笑う。
『もっと俺のことを恨んでくださいね、朔間さん』
唇を重ねれば洋服が静かに掴まれる。ゆっくりとまぶたが降りて赤色が隠れれば、ようやく涙が止まった。
かつんかつんとヒール部分が床にぶつかり高い音を響かせる。
「朔間さん、少しは素直になれた?」
目の前で止まった足音とかけられた声に、ずっと俯いたままだった顔を上げた。
「…駄目じゃった」
「あはは、その割には顔が真っ赤だけど?何されたの?」
「……ただの、嫌がらせじゃ」
熱すぎる身体に薫くんはわかりきったように肩を揺らして笑って、息を吐く。
あれがこの場を後にしてどれぐらい経つのかわからないけど、熱はまったく冷めそうになくて、唇に触れてから顔を上げれば右手を差し出された。
「帰ろう、朔間さん。それで、わんちゃんとアドニスくんに謝りにいこう」
「…ああ。…薫くんも、ごめん、ありがとう」
「ふふ。全然。俺が言い過ぎたのも事実だからさ。俺こそごめん」
笑う薫くんの手を取って立ち上がった。
「これからも二枚看板しようね」
「我輩の隣は薫くんだけじゃよ」
「ありがとう」
×
「しろくんに対するあの人が、あまりにうじうじしてて見てらんないから、かおくんが口出したみたいだね」
「あー…たしかに、さっくん先輩って古典的なツンデレだしまどろっこしいのかもねぇ」
「…あの人に関しては仕方ない気がする。本来であれば恨むか怯えるなければならない相手に、そのような感情を持つのは、当人が一番困惑するだろう」
「あはは!むずかしいねぇ!」
「アイツも詰めが甘いから、ボロが出まくってるし…あの人もそれに気づかないようなバカじゃないってことでしょ」
「だが、そうだとしてもあの羽風さんが人の恋路に口を出すなんて珍しい」
「………」
「もしかしてセッちゃん先輩なにか言ったのぉ?」
「……………ちょっと、ね」
「ふぅ〜ん。だから今回羽風先輩のユニットに力貸してたんだねぇ」
×
ずっと連絡を入れてきていたのはシアンだったようで、黄蘗は泉さんに連れられ先に帰ったというから二人で帰路につく。
二人のときはそこまで会話もないから、いつも通り必要な程度、時折穏やかに言葉を交わしながら歩いて、俺の家が見えてきたところでシアンが俺の服を摘んだ。
振り返ればシアンは感情の溢れた目で俺を見つめてた。
「朔間さんはもう自ら消えたりしない。あの人を狙い、手を出してくるような外敵もいない。…はくあ、もう手を引いてもいいんじゃないか?」
『……そう…だね?もういいかもしれない』
まっすぐな言葉は間違っていない。
あの頃と比べれば随分と平和になった学園内に、おとなしくなった外野。
シアンは前から俺があの人にしていることに対して、俺にかかる負荷を心配していたから何か言いたそうにしてることはよくあったけど、事実を見据えて言葉を並べるシアンがそう言うのならきっと本当に潮時だ。
頷いた俺にシアンは少し眉尻を下げて微笑む。手を伸ばして髪に触れた。
『教えてくれてありがとう、シアン。明日にでも調整するよ』
「ああ」
『それじゃあおやすみ。今日もありがとう、お疲れ様』
「おやすみ」
髪から離した手をそのまま左右に振り、シアンに見送られながらマンションに入る。
エレベーターに乗り込んで、ボタンを押す。上がり始めたメーターに目を瞑る。なんとなく苦しい胸に息を吐いて、壁にもたれた。
『引き際って難しいね』
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