ヒロアカ 第二部
電車に揺られること三十分。程よく人で賑わうものの、主要駅からは外れたそこで降りるのは初めてだ。
降りたところで顔を上げれば大きく手を上げて左右に振られた。
「いずるー!」
『、』
「ったく!このお兄様を足に使おうとはいい度胸じゃねぇか!!」
わははと笑いながら気さくな接してくるのは全く知らない金髪で、がっと肩を組まれて耳元にマスク越しの口が寄せられる。
「若がお待ちだ」
聞こえた不服そうな声になるほどと目を閉じて、顔を上げる。
『ご、ごめん、兄さん。思ったより遅くなっちゃって。迎えに来てくれてありがとう』
「母さんに言われたから仕方なくだっつーの!ほら!車乗れ!」
『うん』
「あ、荷物多いなら後ろ乗れ!てか何買ったんだ??」
『え、えっと、いっぱい、グッズとか…』
「はー、また物増やして、怒られても知らねぇぞ??」
笑いながら歩いていって、近づいた車に乗り込む。後部座席に入り込んで、そうすれば運転席のその人はかけっぱなしにしてあったエンジンでそのままアクセルを踏んで走り出した。
「で?どういう状況だぁ??」
『すみません。ご迷惑をおかけいたします』
「まったくだ!なんで俺がお前の送迎なんてしなきゃなんねぇんだよ!」
『ちょっと家にも寮にも帰れないもので。申し訳ないです』
「はぁ??お前何やらかしたんだ??」
『仕事中にへましました』
「はぁ?まじかよ!!だっせぇ!!」
『ええ、全くです』
息を吐いて外を見る。快適に走る車はどこに向かっているか知らないけど、悪いようにならないと信じたい。
「そのもさい格好も仕事かぁ?」
『はい。気持ち程度の変装です』
「ふぅん?お前らヒーロー様がこそこそしてるなんておもしれぇな」
『そうでしょうか?わりと地道な作業の積み重ねですよ』
「何言ってんだよ。突入だの制圧だの派手なことばっかしてんじゃねぇか」
『あれは一部の目立つヒーローだけですよ。俺はそういうんじゃないんで』
「へー」
信じてなさそうな軽い返事。名前も知らないこの人に信じてもらえていようと、いなかろうと、別に問題はないから外を見続けて、そうすればいつの間にか住宅街に入っていた車はゆっくりと走ってた。
『そういえばどこに向かってるんですか?』
「拠点の一つ」
『………そんな大切な場所に俺を案内していいんですか?』
「は?いいわけねぇだろ。若の命令だから仕方なくだ」
『それは…ご迷惑をおかけします』
「まったくな」
目的地なのか、徐行に変わった車はそっと丁寧に駐車されて、完璧に止まる。自動でシャッターが下ろされて、完全に人目がなくなったところで鍵が開く音が響いた。
「降りろ」
『はい。お邪魔しました。ありがとうございます』
「次はねぇぞ」
『肝に銘じます』
ガレージから直接家に入るための扉を開けたその人が不服そうに俺を見たあとに歩き出す。ついていくように階段を上がって、扉を開けたところで玄関が広がった。
『本当に普通の家って感じですね』
「ああ。ただの家だからな」
『ええと…どなたかのお家ですか?』
「………誰のでもねぇけど、使う人間は限られてる」
『なるほど…今は使ってる方がいらっしゃらないから貸してくださるってことですね』
「……………」
『あの…?』
「…そこで手洗え」
『え、はい』
玄関入ってすぐにシンプルな手洗い場が備え付けられていて、促されるままに手を洗う。
水気を拭ったところですたすたとその人が歩きだして、扉が開けられた。
「汚れもんは左の白いかご。着替えは右の黒いかご。間違えんなよ」
『は、はい』
「今要らねぇもんはここのかごにいれておけ。必要なものだけ風呂場に緑色の箱があるからそこに入れろ」
『な、なんかやること多くないですか…??』
「それがこの家を使うルールだ。さっさとやれ」
『は、はい…』
促されるまま使う予定のない鞄をそこに置いて、携帯と財布だけ持つ。眼光の鋭さに負けてさっさと風呂の中に退避すれば言われたとおりの三色が置いてあるからこれまた指示に従って、お言葉に甘えて服を脱ぎ、浴室に直行した。
ノズルをひねればすぐに温かい水が出てきて、息を吐く。水を掬って顔を流して、見えた手のひらに残る痕に気分が落ちる。
『これ、明日で消えるといいんだけど…』
もし出久と勝己に見られたのならば犯人は無事でいられなさそうだ。
あまり長湯する気にもなれなくて、洗い終わってすぐに出る。タオルで水気を拭って、用意してもらっていた洋服は新品の証明か透明の袋に入ってる。服を羽織って荷物を持って部屋を出た。
道を示すためにか電気がついてる廊下を進んで、開いてる扉をくぐる。
『え、』
「早いじゃないか」
『あ、え??』
「きちんと入浴したんだろうな?」
『あ、はい。たぶん?』
「そうか」
我が物顔でソファーに腰掛けてカップを持ってるその人は、またカップに口をつけて、そっと離すと俺を見据えた。
「いつまでそこにいる気だ?」
『ええと…どうしてここにオーバーホールさんが…?』
「誰が許可を出したと思ってる」
『それはオーバーホールさんですけど…ええ…??』
「持ち主として客人をもてなすのは当然だろ」
『…ありがとう…ございます…?』
「とりあえず座れ。そこにいられると気が散る」
『すみません…?』
立ち上がったオーバーホールさんに、少し悩んで近くにあるテーブルに並んだ椅子に座った。
手を動かしてたと思えば二つカップを持って帰ってきてカップを一つ置く向かいに座った。
『ええと…いただきます』
以前いただいた立てたお茶ではなく、コーヒーらしいそれに口をつけて、飲み込む。酸味の控えてある味は飲みやすくて、口を離せばじっと俺を見てたらしく目があったから苦笑いを浮かべた。
『美味しいです。ありがとうございます』
「ミルクと砂糖は要らないのか」
『はい。大丈夫です。それから…急なお願いでしたのに場所を用意してくださって助かりました。駅まで来てくださってありがとうございます』
「へまをしたんだってな」
『ええ、まあ』
「解決は出来そうなのか」
『明日には多分』
「…随分と早いな?」
『あんまり長引くのも面倒ですから』
「そうか」
自身のカップに口をつけたオーバーホールさんはいつもと変わらなそうで、苛ついてもいないその様子はどちらかといえば穏やかだ。
『………なんで助けてくださったんですか?』
「なんだ、助けてほしくなかったのか?」
『んん。さすがに野宿は嫌だったんで助かりましたけど…ただ、不思議だなって』
「どこが」
『オーバーホールさんとそんなに仲良くないからですかね?』
「………それもそうだな」
薄く笑って、目を閉じる。すぐにまぶたを上げると現れた黄色がじっと俺を見つめた。
「お前はどうして死柄木じゃなく俺を頼った?」
『いろいろ理由はありますけど…こういう危ないことに弔を巻き込むのはちょっと気が引けて』
「俺ならいいと」
『オーバーホールさんならこの程度のこと危険でもなんでもないかなって』
「信頼してもらえているようでなによりだ」
心にも思ってなさそうな言葉は軽く吐き出されて、足を組んだと思うとすっと背を伸ばす。自然と威圧するように目を細められて、窺われた。
「それで?宿代になにを寄越してくる気だ?」
『あー、お金でいいですか?』
「学生から金品を巻き上げるような大人じゃない」
『え、じゃあ何がほしいんですか?ヒーローの情報?』
「それもありだな」
組んでる片足の膝、とんとんと長い指が叩くように動いて、止まったと思うとにんまりと笑う。
「とはいえ、お前は中立なんだろ?」
『はい。ヒーローにも敵にも特別肩入れはしませんよ』
「あくまでもヒーローの仕事をしてるのは学校があるからか」
『ええ。弟たちがヒーローが好きっていうのもありますけど、俺自身は好きなヒーローが居るわけじゃありませんし、弔たちは友達だから元気に過ごしてほしいですけど敵として手伝ったり応援するわけでもありません』
「………そういえば弟がいると言っていたな」
『はい』
「…目が輝いたな」
『うちの子は可愛いので。…えっと、話聞きますか?』
「興味はなかったが…興味が出た。話してもいいぞ」
『いいんですか?!』
「好きにしろ」
今までは俺達を知ってる人しかいなくて、その人たちにうちの子の話をしてもはいはいと流されてしまうけど、完全初見の人に話すのは初めてだ。
今までにない高揚感に体温が上がってるのを感じつつ口を開く。
『うちの子は出久と勝己って言うんですけど、どっちもすごくいい子で可愛いんです』
「ほう。二人も弟がいるのか」
『はい!』
「いくつ離れてるんだ?」
『同い年です!』
「…三つ子か?」
『いいえ。出久と俺が双子で、勝己は幼馴染です!』
「、血が繋がってないのに兄弟なのか?」
『え?血が繋がってるかどうかなんて関係なくないですか??』
「…………そういうものなのか」
「え?はい。血が繋がってるかどうかなんて輸血できるとかそれくらいにしか意味ないじゃないですか。俺もうちの子も、一緒に過ごしてお互いに家族だと思ってて、三人でいないと生きてけない。兄弟って名乗るにはそれで十分じゃないですか??」
「……………そう、いう、ものか」
『俺たちの中ではそうですね。というか俺の周りもそう思って接してくれますし、それを嫌がる人とは付き合いません』
「……………」
何故か考え込むように口元を押さえて視線を落としたオーバーホールさんは無言で、一度話すのを止める。
『えっと…気分を害してしまいましたか?』
「………いいや。お前のせいじゃない…ただ…」
『?』
「……………、………その理論で行くと、お互いが認めて必要と思っていれば、お前は誰でも家族に位置づけるのか?」
『んー、したことも考えたこともないのでわかりませんけど…。無いとは言い切れませんかね?』
出久と勝己は産まれたときからずっと一緒で、兄弟でいるのは当たり前だった。よく考えたら光己さんも勝さんも俺のことを息子のように見てくれて、母と父と言ってくれたら嬉しい。
最近一緒にいることが増えた人使や先生、ヒミコちゃんたちは家族というまでではないけど比較的近い立ち位置で、兄と姉になってくれた仁と圧紘、マグネ、弟みたいな兄で親友の弔も、それから最近会った彼奴らもあの子も、家族とは別だけど居なくてはならない存在で、明確な定義も位置づけもないけれど。ひとつだけ基準はある。
『でもやっぱり一番はうちの子を大切にしてくれるかどうかは重要ですね』
「…ブラコンだな」
『それよく言われますけど、俺の一部なんですから大切にしてもらえないと嫌ですよ』
「そうか」
『まぁうちの子を害する人間は排除するので早々困ることもないですけどね』
「…それでよく死柄木たちとぶつからないな?」
『あー、弔にはうちの子に手を出すときは事前報告してもらう約束と、そのときはうちの子の味方しかしないって言ってあるので滅多に敵対はしないですかね』
「………本当に敵とヒーローの間にいるんだな」
呆れたように息を吐いたオーバーホールさんは口元からやっと手を離す。置いたままだったカップを拾って中身を飲み込むと、今度はそっと息を吐いた。
「お前の性質も未来も、弟次第か」
『ええ。そうですね』
「………もし弟が居なくなったらどうするんだ?」
『…ーそれは、貴方がうちの子になにかするという意味でいいですか?』
「急に殺気を出すな。俺が手を出さなくとも敵に、もしくはヒーローに脅かされたり、不慮の事故で居なくなることもあるだろ」
『ああ…まぁ、可能性はゼロじゃなければ考えないといけませんからね…』
今度は俺がカップを取る番で、ゆっくりと液体を飲み込む。少し息をして、目を閉じて、開いた。
『うちの子が敵に脅かされたのならば敵を、ヒーローによって脅かされたのならばヒーローを嫌悪すると思います。そのときにはまず関係者に関しては完膚なきまでに潰してきちんと処理しますが、そこからその存在が属していた役割のすべてを憎むかどうかはその時の場合によるのでまだなんとも言えません』
「なるほど。それは相手が今世話になっているヒーローや死柄木であってもか?」
『ええ。もちろんそうです。誰であろうとうちの子を害することは赦されない』
「そうか」
すっと細められた視線と上がった口角。どこで笑う場面があっただろうかと振り返ろうとして、オーバーホールさんは組んでた足を解いた。
「新鮮な価値観だ。愉快な話を聞かせてもらったぞ」
『え、はあ…。楽しんでいただけたのならなによりです…?』
「お前の在り方は、虚心と名声で成り立つヒーローとも、野望と理想で突き進む敵とも相容れないからその状態が保てるんだろうな」
『あー、まぁそうなのかもしれません。夢も特にありませんし…』
「だろうな」
立ち上がったオーバーホールさんを見上げる。空のカップはそのままに歩き出すと息を吸う音が聞こえた。
「特別義理と人情に厚いわけでもなさそうだが…、お前はこっちのほうが生きやすそうだな」
『こっちってオーバーホールさんと同じ場所ってことですか?』
「ああ。極道の世界だ。俺よりもよっぽど、お前は人を大切にできる存在だ」
音もほとんど立てずに歩いて扉に手をかけたその人は少し黙って、それから振り返る。
「食器はそのままにしておけ。寝室はこの階の奥の部屋だ。俺は一つ上の階にいる。なにかあれば訪ねるように」
『あ、はい』
「直接が面倒なら連絡を入れろ。朝は何時に出る気だ」
『ええと、特に決めてないんで合わせます』
「学校は」
『さすがにこの状態ではちょっと』
手を見せればオーバーホールさんは、ほうと楽しそうにこぼして視線を外した。
「なら八時頃にまたここにいろ。朝食を用意する」
『わざわざすみません。ありがとうございます』
「この家の中であれば何をしても構わないが、家を出るなよ」
『わかりました』
「聞き分けがよくてなによりだ」
『お世話になってますからね。おやすみなさい。オーバーホールさん』
「、…ああ、」
ぴくりと揺れた肩。それから振り返らずに短く返された言葉。さっきまでよりも少しだけ早い足音を立てながら部屋を出ていった姿を見送って、カップを持ち上げてすべて飲み干した。
人様の家とは言え、ひと気の感じられない家の中はとても静かで、思ったよりも疲れを感じていたのかすぐに眠ってしまい決まった時間に目を覚ました。
用意してくれていたベッドは柔らかく、起き上がって大きく伸びてからストレッチをして立ち上がる。
家を出るわけにはいかないからと昨日と同じ道をゆっくりと通ってリビングに向かえば昨日の夜と同じように人がいて、そっと視線を上げたその人に目を合わせた。
『おはようございます』
「ああ」
いつから目を覚ましてたのかは知らないけど普段と変わらない隙のないきっちりとした格好でカップを片手にしてる姿は様になってる。
足音が聞こえてそちらを見れば見覚えのない白髪がそこにいて、昨日送迎してくれた金髪とは違う組員だった。
「廻」
どこか聞き覚えのある声。オーバーホールさんをそう呼んでいる人はあの場所で一人しか会ったことがなくて、あの組員の中で一人だけ白色の服を着ていた理由に納得した。
「置いときます」
「ああ、助かった」
気軽に会話した二人に、白色のその人は顔を上げると俺を見て、微笑む。
『先日は道案内ありがとうございました。今日もご迷惑をおかけしてすみません』
「…よく覚えていたな」
『白色だったので』
「「なるほど」」
一瞬沈んだ空気はすぐに霧散する。不思議な感覚に何かいうよりも早くオーバーホールさんは置かれたそれに手を伸ばして袋からさっさと物を取り出す。
「食べれない物はあるか」
『いえ、特に…わざわざすみません』
「外に出歩かれて目視される方が面倒だ」
並べられたのは市販品らしいパンや米を使った食料品で、見覚えのあるパッケージといいコンビニで買ってきてくれたものなんだろう。
「俺はこれで足りる。後は好きにしろ」
『ありがとうございます。いただきます』
自分の分は確保したらしい。三つほど手元に残された食料にならん出るものの中から一番近いものを拾い上げれば白色のその人も少し手を伸ばして拾って、封を切る。
二人がそれぞれ口に運んだのを確認してから口に入れて、久々に食べるコンビニの軽食に新鮮な気分になりながら食事を進めていく。
男子高校生の食事量を考慮してか多めに用意されてるらしい。おにぎりもパン類も五種類以上用意されていて、三つほど食べたところで顔を上げた。
『…………』
「、何か用か」
『あ。えっと……お名前教えてくださいませんか?』
「玄野だが…」
『玄野さん、まだ食べれますか?』
「後二つももらえれば十分…もしかしてそれを聞くためにわざわざ名前を?」
『え、はい』
「………そうか」
酷く残念なものを見る目を向けながらささっと二つパンとおにぎりを持っていった玄野さんに、近くの一つを手にとって開封し頬張る。
刺さってる視線に仕方なくそちらを見れば細められてる目が俺を見定めてるから口の中身の物を飲み込んでから開いた。
『もしかしてこれ食べたかったですか?』
「要らん」
『そうですか…?』
ならなんでそんなに羨ましそうにじっと見てきているのだろう。
じっとりとした意味のこもった視線に見つめ合っていれば玄野さんが立ち上がって、ゴミをまとめて息を吐く。
「廻、必要になったら声をかけてくれ」
「…ああ」
「緑谷」
『はい』
「今後俺のことを名字で呼ぶなら廻も廻と呼べ」
『え、』
「あまり外でオーバーホールと呼ばれてるのを聞かれるとこちらもお前もまずいだろう」
『あー、まぁそれはそうですけど…だったら治崎さんでいいんじゃ?』
「それもオーバーホールと同じで知ってる人間が聞けばわかる」
『ええ…』
言いたいだけ言って玄野さんはさっさと部屋を出ていく。残されたオーバーホールさんはしばらく背中が消えてった扉を見つめていて、俺は食事を再開した。
食べかけのサンドイッチを頬張りなおせば視線が帰ってきたから口の中の物を飲み込んだ。
『何かありましたか?』
「……はぁ。いいや、なにも」
『そうですか…?』
視線が外されて手元の飲み物に伸びる。カップを持ったから俺もさっさも食事を済ませてしまおうとサンドイッチを食べきって、口元を拭った。
『ごちそうさまでした』
「…………、何時に出る予定だ?」
『特に決めてませんでした』
「カタをつけに行くんじゃなかったのか?」
『そうなんですけど、よく考えたら待ち合わせ時間とか決めていなくて、とりあえず問題の場所には行かないといけないんですが…』
「…その個性は相手にやられたのか」
『ええ。別れ際に今日も必ず来るようにと言われまして。これがどこまでなにを縛るものなのかわかりませんが家と寮には帰れないなと』
「そういうことか」
俺の手元を見てたと思うとそっとカップを置いた。
「必要なものはないのか」
『特にはありません。ご配慮ありがとうございます』
「送る場所に指定は」
『昨日と同じように駅まで送ってくださるととても助かりますが、適当なところに置いていっていただいて大丈夫です』
「この辺の土地勘もないだろうに置いてかれても大変だろう。駅まで送るから安心しろ」
『お手数をおかけします』
「ならば30分後に出る。昨日預かった荷物は玄関に用意しておく。支度が終わったら来た道を戻って車にいるように」
昨日と同じようにすたすたと歩いて出ていってしまった背中を見送って、支度をするかと俺も片付けて立ち上がる。
元いた部屋から必要な荷物を取る。確認した携帯には昨日のうちに送っておいた情報への返事が来ていて、あまり芳しくないそれに息を吐きながらもう一つの携帯を取り出す。
『あ、よかった』
インターン中の救済処置として無事再試は受けられるらしい。
何一つ解決はしてないけど安心しながら車に向かう。
玄関で預けておいた荷物を拾って、扉に手をかける前に振り返った。
『お邪魔しました』
家を出て階段を降りる。予定通りの時間だからか玄野さんが待ち構えるように立っていて、俺を視認すると後部座席に視線をやってから運転席に乗り込んだ。
倣うように扉を開けて、目を瞬く。
『あれ?一緒に出るんですか?』
「用がないからな」
『そうなんですか…?ええと、お隣失礼します』
乗り込んだ車は行きと同じもので、違うのは隣に人が座っていることだけ。リュックは膝に乗せて抱えるようにして、走り出した車は行きと同様にスムーズに進む。
流れていく景色を眺めていれば視線が刺さって、仕方なく横を見た。
『なんですか?』
「なにも」
あからさまな視線はいつものことだけど、ヒミコちゃんもトゥワイスもえりちゃんも居ないところで直接向けられると視線の強さが際立つ。
頬を掻いて一度前を見る。玄野さんはこちらに触れないようにか運転に徹していて助力は見込めないから息を吐いた。
『あの、オーバーホールさん』
「………なんだ」
『この仕事が終わったら少しお話がしたいのでお時間いただけませんか?』
「…今はできないのか」
『あー、ちょっと今するには時間が足りないかなぁって』
「ほう?そうか。どんな話をしてくる気か知らんがそれなら特別に時間を空けておこう」
『ありがとうございます』
「仕事が終わったら迎えに行く」
『はい。よろしくお願いします』
さっきまでよりも少しだけ明るくなった表情に心中息を吐いて、すっと速度を落として止まった車に笑みを繕い直す。
『すみません、本当に助かりました。ありがとうございます』
「気にするな」
自動で開いた後部座席の扉に荷物を持って降りて、扉に手をかける。
『いってきます』
「、ああ」
目を見開きながら頷いた姿に扉をしめて歩き出す。
これから二人がどこに向かうかは知らないけど、俺は俺でやらないといけないことが山積みで、とりあえず昨日の場所に向かうために電車に乗った。
さっさと携帯に触れる。
出久と勝己、人使、先生。それぞれに必要な分だけ言葉を送って、少しやり取りをしてる間に電車が止まったから降りる。
辺りを見渡してまだ朝だからか空いているらしいコインロッカーを見つけて荷物を押し込んだ。必要なものだけ背負う予定のリュックにしまって、しっかりと施錠を確認して駅から出る。
ここから例の場所までは大体三十分ほどで、散歩にはなるだろうと迷い無く進んでいく。
昨日はちょうど人が多い時間だったのか、まだまだ昼には程遠い時間帯にひと気は疎らで、ゆっくりと歩いていきながら考える。
今回のこの仕事は、明確な悪はいない。そんな気がする。前回のように倒せば終わりなんてあっさりとした結末にはならなそうだ。
見えてきた階段。その前にいた人影に足を一度止めて、そうすればその人はにぱっと笑った。
「おはよう!!ちゃんと来たんだね!」
『あ、や、約束したので…』
「うん!そうだよね!約束が守れて偉い!」
嬉しそうな笑顔にこの人はきっと悪い人じゃないんだろうなと思う。人を殺めるわけでも騙してるわけでもない。ただ、自分の信じてるものに盲目でそれが素晴らしいものと疑っていなくて、それを独り占めしたいわけでもなく人と共有したいと思ってる。
手を取られて、約束を守ってくれてありがとうとまた指を絡めて、そうすればちりっとした痛みの後に痣が消えた。
「さぁさぁ!みんな待ってるから!いこ!」
『…あ、あの!ちょっと待ってください、』
「え?なに??どうしたの??」
引っ張られた腕にたたらを踏みつつ、精一杯の力を出して止めるような動きで足を踏ん張ってみせて、手を引く。
『その、一個、聞きたいことがあって』
「俺に?」
『は、はい。えっと…その、』
「?」
『………貴方は…神様に尽くして、なにかいいことはありましたか?』
目を丸くしたその人は一瞬固まって、すぐにへらりと笑う。
「うん!俺はここで初めて同じものを信じる人たちと出会えて、仲間を手に入れた。俺はここが好きなんだ!」
『……………そう、ですか…』
「もちろん運が良くなって嫌なことが少なくなったっていうのもあるけど、やっぱり誰かと一緒にいるっていいよね!仲間とか家族とか、俺そういうのにずっと憧れてて!!」
にこにこ、嬉しそうな姿にそういえばこの人の背景は聞いてなかったなと思う。
ヒーローがヒーローになりたいと思った理由が、ヒーローを続けてる理由があるように、敵が敵に成った理由や敵に取り込まれてしまう理由もあるのかもしれない。
嬉々としたその表情に目を一度つむって、開き直した。
『貴方はここがとても好きで、大切なんですね』
「んん、改めて言葉にされると照れるなぁ〜?」
頬を掻く姿に息を吐く。未だ掴まれたままの手にどうするべきか、俺には判断がつかない。
目線を落とした俺にその人はあわあわとして、困ったように眉尻を下げた。
「ご、ごめん、俺の話なんて聞いてても退屈だよね」
『あ、いや!全然!えっと、その…今まで、誰かと話すことってあまりなくて、だから、新鮮で…』
「………、君も俺と同じだね」
穏やかな表情のその人は、その実、最初から今に至るまで、俺に対して不利に働くようなことは一度もしていない。
もちろん正体を隠して近づいてきたことは懸念点ではあるけど、類は友を呼ぶともいうし、俺にいたっては最初から最後まで偽ってる。
祀っているものには問題ない。勧誘方法も目を瞑れるレベル。信奉者に窶れや歪は今の所見られず、気になるのは一つだけ。
先生に指示を仰ぐのが一番だけど、なんとなく、この正解は俺が見つけないといけない気がしてる。
だから、これは正しいのか、俺にはわからない。
その人の目を見て、口を開いた。
『神様とか、信じるとか、そういうのはよくわかりません』
「、…あー、うん、そうだよね。急にいろいろ言われてもびっくりしちゃうよね」
寂しそうな声と緩んだ手の力、離された手に諦めようとしてるのが見て取れて、やっぱり悪くはないんだよなと口元を緩めた。
『…でも、貴方のお話や、あの場所にいた方のお話は聞いてみたいって、思いました』
「、」
『その、優柔不断で、ごめんなさい。もしまだ許してもらえるなら、貴方と、皆さんと、お話したいです。そ、それからでも、いいですか…?』
「いいよ!もちろん!いいに決まってる!!」
とても、嬉しそうな顔。どうしてこの人は会って間もない俺の一挙一動にこんなに感情を動かせるんだろうか。
安心したように笑顔を繕ってみせて、階段の上を見てから、視線を戻す。
『ありがとう、ございます』
「全然だよ!え!すごく嬉しい!!喋ろ!俺ね!君が仲間になってくれたらいっぱいやりたいことがあって!!」
あまりのテンションの高さは年上のはずなのになんだか幼く見える。大きすぎる声に元々ひと気が少ないとはいえ目立たないわけがなくて、周りを見渡して階段の上を指す。
『ここでは何ですから、えっと、上か、もしくはどこかに座って話しませんか?』
「じゃあ早速行こう!」
手を取られて駆け出されれば階段を一緒に上がるしかない。最上までノンストップで駆け上がるその人にわざと息を切らして咽ればあわあわとされて、口元を拭って笑えばほっとしたように息を吐かれた。
「ご、ごめん!」
『こ、こちら、こそ…すみ、ません…運動、…苦手、で、………』
はーふーと呼吸をゆっくりして見せて、顔を上げれば本当に大丈夫?と窺われるから頷く。
『も、もう、大丈夫です!』
「よかった〜」
にへらと笑っている姿はとても裏表があるように思えない。やっぱり善性すぎるこの人の扱いは難しい。
大きく二回、深呼吸。目の前を見据える。
『おまたせしました。えっと、お話さどこでしますか…?』
前回は賽銭して気づいたらあそこに居た。帰りも気づいたら帰った来てて、瞬間移動や転送系の個性が使われたのかもしれない。
戸惑うように言葉を溢せば、こっち!と招かれて、ここ!と賽銭箱の前を指された。
『あ、えっと、またお賽銭すればいいんですか?』
「ううん!賽銭は二回目からは要らないよ!ここに立って、そうすれば…」
『、』
ぐらりと視界が歪む。酷い目眩のようなそれに堪えるために目を瞑って、開けばまたあの場所に立っていた。
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