あんスタ
2
煤竹柑子という隣人は、俺とは違ってとんでもない優等生で、こんなごみみたいな学園内で数少ないまともな人間だった。
まっすぐとした姿勢、柔らかな人当たり。それから勤勉で、一年だしうちのクラスにはそこまで不良が居ないこともあるだろうけど、教師もこのクラスの中の人間も、誰一人としてそいつを好きではないにしろ嫌ってはいなかった。
そんな非の打ち所がない人間の暗い面を見つけてしまって、更には俺の心を荒らされそうになって、強く握りしめすぎた右の手首は心臓と同じくらいにどくどくと動いていて煩い。
「…_ご安心を。人には他人に知られたくないことが10、20あるのは当然です。僕も貴方について詮索するつもりはございません」
「……………」
「ですので貴方も僕について詮索をなさらないでください。先程のお礼に包帯を巻き直しますからお手をどうぞ」
「…………」
邪魔なのか眼鏡を外してポケットに差し込むとそのまま空になった手が開かれて向けられる。何も持ってませんよと言われて、そっと右手を差し出せば包帯に指が伸びて、するりと白色を外した。
「テープは外れていなそうですね。包帯自体に汚れもございませんし、巻き直すだけで良いでしょう」
慣れているのか器用に丁寧に包帯が巻かれていく。最後にあまりの部分を固定されて、手が離れた。
「きつくはありませんか?」
「…大丈夫」
「それはよかった。ではこの度はお世話になりました。さようなら」
置いていた荷物を拾ったと思えばさっさと歩いていってしまって、一人残されて目を瞬く。
「………なんやねん、あいつ」
隣人に興味などなかったけれど、席替えでもない限り俺は彼奴と隣人だ。
あまり気乗りはしない学校に朝から向かえば、やっぱり俺よりも早くたどり着いて教材に触れていたそいつはいつものようにすっと視線を上げた。
「おはようございます」
「…おん」
特段そのまま世間話をするような間柄でもないけど、なにもなかったみたいに視線は元に戻されて変な気分だ。
俺のことを空気みたいに扱うわけでも、排他しようとしてきたりするわけでもない。ただのクラスメイトで、ただの隣席の人間。本当にそれだけというような距離感。
侮蔑も嫌悪もない視線を浴びるのは初めてだ。どうしたらいいかわからず俺も座って頬杖をつけばそれなりに賑やかな室内は教師の登場で落ちつきを取り戻した。
一日経とうと三日経とうと、隣人からあの日のことを匂わせるような問いかけはなく、なんなら以前と何一つとして代わり映えのない毎日を過ごす。
教師にいちゃもんをつけられて、上級生に絡まれて、バイト先でも文句を言われて。毎日毎日苛ついて、クラスの中だけは比較的、穏やかに息をしてた。
この学校はどうにも、人間の惰性を増長させる。在学の肩書、それから卒業した肩書。それを手に入れられれば十分と努力を忘れて停滞を願って後退していく。
嫌な循環に溢れるのはため息と舌打ちばかり。一つ上の学年にはこんな場所でも気にせず自分の力でライブをしたりしてる人や、ユニットでライブをしてる人もいる。
入学してすぐに勧められたチェスという大所帯のグループのユニットがあったけど、彼処は学園一と名前ばかりで烏合の衆の集まりだった。
うちのクラスにも一人二人参加してる奴はいるのかもしれないけど、チェスとして活動してる人間はほとんど見てないような気もする。
そういえばと隣を見る。隣人はどこかのユニットに入ったんだろうか。
隣人は今日も今日とてにこにこと人あたりがいい笑顔で相対していて、ずっと笑ってるなんて本当にすごいなと机に突っ伏した。
「勝軍くん」
聞こえた固い声。呼ばれた名前にいやいや顔を上げる。真面目そうな、まっすぐな視線が眼鏡越しに俺を見ていて息を吐いた。
「先生、なんですか」
「申請書の提出をされていないので確認です。期限は今週末までです」
「あー…」
課外活動証明書に部活動加入申請書や委員会所属証明書。アルバイト承諾書とこの学校は出すものが多い。
俺の場合はせっつかれているのはアルバイト承諾書以外のすべてで、別に部活も委員会も強制所属ではないけど所属しないなら書類を提出しないといけない。
「それから、反省文もまだですからね」
「はぁ〜…」
最近絡まれた際に起こした騒動は向こうが悪かったけど、応戦してのしてしまった俺にも罰則が科せられた。めんどくさいなと頭を掻きながら帰ろうとしてたのを止めて椅子に座りなおす。
入れたままの教材たちに挟まれるようにして入ってる紙を引っ張り出して確認していけば、先生は提出期限を忘れないようにと教室を出ていった。
また息を吐いて頬杖をつく。
しばらく紙を眺めてみるけど俺が悪いのはやり返したことだけど、それ以前に突っかかってきて先に手を出してきた向こうが悪いのに俺まで書かないといけないのは納得がいかない。
元からこういう文字を書くのは得意じゃない。なにも思いつかなくてペン先を眺めてれば音が聞こえた。
「おや、こんな時間までなにをなさってるんですか?」
「あー?」
透き通った声は近づいてきて、隣の席に触れる。置いてあった荷物を掬うように取って肩にかけた。
「煤竹こそ、こない時間までなにしとったん?」
「僕は生徒会の手伝いですよ」
「へー、生徒会なんてあったんか」
「ええ。少ない人数で運営しております」
「ふーん」
なんとなくそれっぽいなと思う。品行方正というのがよく似合う隣人は反省文なんて縁遠いだろう。
「それで?勝軍くんはなにをなさってるんですか?」
「…苗字で呼ばんといて」
「そうでしたか。では改めまして、木賊くんはなにを?」
「反省文」
「反省文ですか」
ぱちぱちと目を瞬く煤竹は俺の手元を眺めて首を傾げた。
「委員会と部活の加入届も白紙なんですね?」
「入りたいとこないからな」
「そうなんですか」
「煤竹はなして生徒会におるん?」
「僕は会長に憧れて入会いたしました」
「会長…?」
つい最近行われた新入生歓迎会と入学式を思い出す。確か、少し癖の強い黒髪の背が高い男がこの学園の生徒会長だったような気がするけど、新入生歓迎会ではそれよりもとても長い白髪の先輩とそれと真逆の短いピンク色の髪の先輩が目立ってて印象は薄い。
俺の言いたいことを察してか口元を緩めた煤竹に、目を瞬く。
「会長はとても強くて、まっすぐできれいな方なんです」
「……………自分、そんな風に笑うんやな」
「、」
固まった煤竹は大きく咳払いをして目を逸らす。
「木賊くん、僕のことは柑子と呼んでくださると助かります」
「あん?」
「貴方と同じで、あまり苗字が好きではないんです」
「ふーん。なら柑子て呼ぶわ」
「ありがとうございます」
すっかり元通りの笑顔に視線を逸らして放置してる書類を睨みつける。ペンを持って、くるくると回していれば椅子を引く音がしてそのまま近づけた椅子に腰を下ろした。
「は?なにしてんねん」
「反省文というのが興味深いので、後学のために少し見学をしようと思いまして」
「こんなん見学するもんやないやろ。アンタとこういうもんとは結びつかんわ。一生書く機会ないんとちゃう?」
「ふふ。だといいんですがこの学園ではなにが起きるかわかりませんから」
「少なくとも自分はないわ」
息を吐いて見直しても、何も書いてない紙は真っ白なままだ。
ぼんやりと眺めていれば隣のそれは鞄からなにか取り出した。
「反省文というのは何を書くものなんですか?」
「やらかしたことに対して、こういうことしました〜、すんません、もうやらんように気ぃつけます〜てだらだら規定文字数にはなるまで書く」
「あまり反省してるとは思えませんね?」
「当たり前や。俺悪くないからなぁ」
「そうなんですね」
「大体あっちから喧嘩売って来た上に手ぇ出したくせに、やり返されたら半泣きで教師に泣きつくなんてダサいねん。はー、くそやわ」
「なるほど。災難でしたね、木賊くん」
「ほんまや」
むっとしていれば、何が楽しいのかくすくすと肩を揺らしていて、さらさらとずっと何かを書いていた柑子は手を止める。
「どうぞ」
「あ?」
受け取ったのはルーズリーフで、少し小さくて丸いけど読みやすい文字が並んでる。最初の一行を読んで、思わず声が出た。
「はぁ??なんで自分が反省文書いてんねん!」
「お話を伺っていたら書いてみたくなってしまいまして」
「アホとちゃうか?!」
「気になったことはやってみたくなるんです」
ふふっとやっぱり笑ってる柑子はさっき会長の話をしたときと似た笑顔をうかべてる。
「自分、おかしいやろ…。けったいどころやないわ」
「お話を聞かせてくださったお礼とでも思ってください。僕がいることで進まなかったでしょう?」
「自分がおってもおらんくても、書く気ぃないんやから進まんかったわ」
「ならぜひともこちらをどうぞ。書いてしまえば終わるんでしょう?」
「……………」
昔から色んな人の目を見てきたけど、柑子の目はどれとも違う。善意というには薄暗いけど、偽善というにはまっすぐすぎる。
もう何度目かもわからないため息をついて、紙を返した。
「要らん」
「どうしてですか?」
「アンタに施してもらう理由もないし、返せるもんをなにも持っとらん」
「別に僕がやりたくてやっただけですから、見返りは求めていませんよ」
「はぁ?馬鹿とちゃうか。自分を安売りすんなや。アンタ優秀なんやから、こないなことに頭と時間つこうとらんでもっと自分のために使い」
「…………」
「ん」
目を丸くしてる柑子にもう一度ルーズリーフを差し出す。見つめ合っていれば柑子は口元を緩めて、それから息をこぼした。
「ふ…ふふっ!ほんと、貴方は変わってますね。だからトラブルが付きまとってくるんですよ」
「はぁん??なに笑ろうとんねん、しばくぞ」
「ふふっ。こんなところでこんなにもきれいな人間に会えるなんて思いませんでした」
「自分頭大丈夫か?俺がきれいなわけないやろ。アンタのがよっぽどきれいやわ。鏡見てみぃ?」
「ふふっ。……本当に、きれいですね」
笑いの波が落ち着いたのか目元を拭うと柑子は両手を膝の上に置いて、それからすっと俺を見据えた。
「木賊くん、貴方はこの学園に似つかわないですね」
「…なんや、アンタも相応しくないから出てけ言いたいんか」
「いいえ。貴方は真っ直ぐすぎて、こんなゴミ溜めには居るべきではない、そういうお話です」
「…………自分、むっちゃ言うやん」
「当たり前でしょう。天下の夢ノ咲学園がこのような場所だと知っていたら、僕はこんな場所には来ませんでしたよ」
さらりとこの場所を貶した柑子はどこか遠いところを見る。
「僕は、あの方に憧れて、同じ場所に在りたくてここに来ました」
「……会長さんか」
「ええ。以前お見かけした際にそれはもうとてもきれいでかっこよかったんです。だから僕は、あの方のように美しく、気高いその存在に憧れて追いかけてきた。あの方みたいに一人でも強く生きていける、そんな人間になりたかった」
夢を語る柑子の表情は柔らかい。
いつも人形みたいな顔で正答だけを弾き出してる優等生の人間じみた顔に驚きから固まってしまって、柑子は両の手のひらを見つめて握りしめた。
「でもやはり駄目ですね。変えられるかもしれないと思いましたが僕は僕のままです」
「………自分は、変わりたいん?」
「はい。他者に寄生しなければ…独りで生きていけない、こんな弱くて惨めな人間では居たくありません」
「………そうなんか。」
深く内容を聞く気にはなれないけど、あの日呼ばれていた偽名と会話。それから張り付いた笑みとやわらかすぎる物腰。なんとなく何をしてるのか察しつつ言葉を吐き出す。
「まぁでも、自分やったらここで一番くらいとれるやろ」
「おや、僕のどこを見てそう思いますか?」
「その切り替えの早さと何がおうても笑顔で蓋できる強靭さやな」
「………ふふ。本当に貴方は本質を見抜くのがお上手ですね」
目を細めた柑子はどことなく嬉しそうで、息を吐いてペンを持ち直せば、隣人は立ち上がらずに鞄から違うものを取り出す。
「木賊くん。貴方が書くべきなのはそちらではありませんよ」
「は?」
「さぁ、こちらに署名を」
出されたのは同じようなA4サイズの書類。一番上のタイトルは俺ももらったけれど初日に捨てたもので目を瞠った。
思わず、立ち上がると椅子がひっくり返って倒れた音が響く。
「は、はぁ?!ユニット申請書て…なんで俺がどこぞの馬の骨と組まなあかんねん!知らん奴に足引っ張られたないわ!!大体誰に命預けろ言うんや!!」
「もちろん僕です」
「は、」
「僕が貴方をサポートいたします。損はさせませんよ」
「………なに、言うて…」
「成績優秀、教師生徒共に人望の厚い欠陥品の僕と、多少勉学と交友関係に難がある、原石の貴方。バランスも良いでしょう?」
「欠陥品て…だから自分はそんなんやないて…」
「ふふ。いいえ。僕は欠陥品です。ですから、貴方のようなきれいな存在が生きていくための手助けをして、少しでも僕にも価値があることを証明したいんです」
「…おかしい、やろ…」
「はい。僕はおかしいんですよ」
にこにこと笑う柑子が何を考えているのかよくわからない。
隣人はクラスメイトからも、それからどこかで縁を結んだのか先輩とも仲が良く、集まる人の中には一緒にライブをしないかと誘われていたりするのを見たのは一回や二回じゃない。
「駄目ですか?」
「…駄目、に、決まっとる」
「それはどうしてでしょうか?」
「……俺は、俺が、生きてるんは間違いなんや。生きてる価値なんてない。そんな俺に、自分の命なんて大きいもんを懸けさせられへん」
「ふふ。わかってますよ。貴方が自分を間違っていると思ってることも、生きていると存在を証明しようとしていることも。だからこそ、僕はそんな貴方の藻掻いてる姿を一番近くで見届けたいんです」
とんとんと自分の左手で右の手首を叩いた柑子に、言葉が溢れる。
そうだった、こいつは見たことがあった。
「……それが、柑子のためになると?」
「はい。僕は僕で生きる価値も理由もない存在ですから。なので思ったんです。マイナスがかけ合わせたらプラスになるのなら、僕と貴方が楽しく笑っていたらいつかプラスになるんじゃないかと」
「…………頭のええ奴が考えることはわからんわ」
数学の初歩を口にして笑う柑子に息を吐く。
たぶん、不安になるたびに赤色を見て生きてるって実感をすることでなんとかここまで存在してる俺と、夜と昼にそれぞれ違う顔をして溶け込んでいる自己肯定感が死んでいそうな柑子はこいつの言うとおり似た者同士だ。
「はぁ〜」
倒れてる椅子を直して、ずっと握りしめたままだったペンを取る。
真っ白な反省文をさっき置かれたばかりの書類の上に置いて、文字を書いていく。
「あまり馬鹿なことばかり言うんやないわ。俺は俺、自分は自分。人を理由に生きとったらそいつが居らんくなったとき死んでしまうで」
「そうかもしれませんね」
「俺はもう誰かが居なくなったら今度は無理や。だから誰かを唯一にはできひん」
「そうですか」
「せやから、アンタのことを生きる理由にも、唯一にもできんよ」
適当に書き上げたそれに紙をずらして、また文字を書く。
大嫌いな苗字とそれに続く、唯一あの人が遺してくれた名前を書いて、突き出した。
「それでもええか」
「………ええ、もちろん」
両手で紙を受け取った柑子はさらりとその隣に自分の名前を書いて、微笑む。
「僕が貴方をこの学園で一番にしてさしあげます」
「はあ??なに寝ぼけたこと言うとんねん」
手を伸ばして丸をつける。リーダーはこいつだ。
「こんな腐った箱庭で一番取ったところで腹の足しにもならんわ。取るんならトップアイドルの座以外ありへん」
「トップアイドル…」
「なんのためにここに来たんや?俺だけやったら絶対無理やけど、俺と柑子が居ればいけんやろ」
「、」
「しっかりしぃ。相棒。寝ぼけたこと言うたら張っ倒すで」
額を叩いて目を合わせて笑う。
「氷鷹北斗も明星スバルも逆先夏目も、紅紫はくあの地位やって、全部喰らったるよ。天下とったら、そんとき俺らはやっと生きててええって思えると思うねん」
「………ふふ。ええ。貴方とならどこまでも進めそうです」
「せやろ!」
笑った柑子は滲んでる目元を拭うと俺の反省文と纏めて書類を整えて持つ。
「では早速こちらを提出して明日から行動いたしましょう」
「おん!」
二人で荷物を持って立ち上がる。一緒に職員室に向かえばそこにいた生徒会担当教員の椚がひどく驚いたように目を瞬いて、提出書類を受け取るなり眉根を寄せた。
「一度受理しましたら再度届けを提出するまで原則解散は認められませんが、いいんですね?」
「はい」
「…わかりました。では受け取ります。今後はユニット単位での活動を希望なさる場合は申請書を利用の上で承認された分に関しては活動手当が出ます。詳しくはこちらの概要を確認ください」
「ありがとうございます」
何か言いたげではあったけど、あっさりと頷いた椚は分厚い書類を柑子に渡す。
もっと文句を言われるかと思ってた俺は思わず二人を見比べるように視線を動かしてしまって、眼鏡を正すように触った椚が息を吐いて俺を見下ろした。
「勝軍くん」
「あ、はい」
「ユニットを組んだということは今後、煤竹くんに何かあれば勝軍くんに、勝軍くんに何かあれば煤竹くんに迷惑がかかり、そしてユニット単位での罰則が科せられるようになります」
「………なんやねん、せやから辞めろ言いたいんか」
「そうです。貴方は必要のない争いに巻き込まれすぎています」
「…へ?」
「まず大前提として絡まれやすい場所には行かないこと。校舎裏や空き教室、放課後に不用意に特別室の近くをうろつかない。火種には寄らないようになさい」
「は、え、」
「どうしても絡まれたのならまずは録音。己の身は己で守ること。自衛の手段が肉体言語では結果だけ見られたときに貴方にもペナルティが生まれ、場合によっては貴方に原因が擦り付けられます。証拠は自ら用意しなさい」
「証拠…」
「煤竹くんも、貴方はそういうのをよく見ているでしょう。勝軍くんと共に行動するつもりならばきちんと注意して動くように」
「はい、かしこまりました」
「貴方も簡単に人の雑務を引き受けてはなりません。貴方の時間は貴方のために使うように。今後はユニット活動に時間を割く必要が出てくるんです。貴方の時間は彼の時間でもあります。取捨選択を誤らないように」
「ありがとうございます」
「よろしい。勝軍くんとは反省文の提出のために、煤竹くんとは必要のないはずの雑務の引き継ぎで顔を合わせることが今後ないことを祈ってます」
「……は、はい」
「がんばります」
「わかったのならばもう行っていいですよ」
勝手に締められた言葉に目を瞬く。柑子が失礼いたしますと丁寧に頭を下げるから俺も慌てて倣って、同時に顔を上げても椚とは目が合わない。
「行きましょう、木賊くん」
「ああ…」
職員室を出て、すっかりと陽が傾いてオレンジ色の光が差し込む廊下を進む。
椚の言葉を反芻して、息を吐いた。
「なんやねん、彼奴。椚てあんな奴やったんか?」
「ええ。椚先生はとても生徒思いでまっすぐで、少し似てますよね」
「あ?誰と?」
「木賊くんとです」
「はぁ??あの説教眼鏡とどこが似とる言うん!?」
「ふふ。素直じゃないところですかね?」
楽しそうな柑子に鼻を鳴らす。全くもって理解できないそれに顔が歪んでたのか柑子が肩を揺らして笑った。
「トップアイドルになるのらばその形相はよくないですよ?木賊くん」
「はぁ〜…」
随分と柔らかく笑う柑子に頭を掻きながら首を横に振る。
「木賊や」
「?」
「呼び捨てでええよ。くん付けされんと変な感じや」
「呼び捨てですか…?」
不思議そうな柑子はもしかしたら今まで他人を呼び捨てしたことないのかもしれない。
口元に手をやって、もごもごと音をこもらせて、少し言葉の練習をした後に手をおろした。
「よろしくお願いしますね、木賊」
「ん。柑子、よろしゅうな」
どことなくきらきらしてる柑子の瞳に、これからの学園生活に少し希望が見えて。たとえこの相棒が俺と同じ失敗作を自称していようと、こんなに綺麗なやつと一緒ならば俺達も人間になれると、夢を描く。
そして、現実は、やっぱり甘くない。
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