イナイレ
「フィディオ、どうするんだ?」
ブラージの心配そうな目に言葉が詰まる。
先日の対イギリス戦で、俺達はミスターKの采配によって勝てたと言っても過言ではなかった。
元々俺達は不信感のあるミスターKからの助言は一切受け入れず、そしてミスターKも俺達へ過度な干渉をしてこなかった。
唯一、ヨータだけがミスターKを否定も肯定もしなくて、ヨータはいつも通り寝過ごしたり笑ったり練習したりと過ごしていて、あの代表戦の時に感情を乱していたことが嘘のようだった。
ミスターKが何者なのか、俺達は日本代表の面々を通して彼の悪行について多少知っているし、俺達自身も唐突に代表を降ろされそうになったりと被害を被ってる。
それに対して憤るのも不信感を抱くのも当然のことで、だからこそ、一人いつもと何も変わらないヨータが怖かった。
ミスターKも詰め寄るわけでも、かと言って無視するわけでもないヨータの対応を決めあぐねてるように見えて、イギリス戦では前半はベンチがいいと首を横に振ったヨータは気づいたらミスターKの横に居た。だからといって何か話してる様子はなかったというのは同じくベンチにいたマルコたちからの証言で、ヨータが何をしたいのか、一つも理解ができない。
イギリス戦後半、俺達にむけてミスターKが助言する時にはどこかに消えていて、しれっと帰ってきたヨータはじっとフィールドを見るとわかりきってるとでも言うように俺達の配置に疑問を呈すことなく所定位置に着いた。
ヨータは何がしたいのか、それを知りたくて。試合の翌日は必ず自主的にミーティングを行う俺達に、ヨータは大抵寝坊してくるから今日こそは最初から参加させようと扉を叩いて、でも誰も出てくる気配がないから肩を落とす。
「ヨータったらまた耳栓して寝てるのか…」
隣のアンジェロが深々と息を吐く。諦めてミーティングルームに向かって、そこにあった二つの影に足を止めた。
「お前がなにを嫌っていて恨んでいようとも、俺には関係ない。俺はこの世界で天使と天使の愛するものだけを愛しているからねぇ」
「…………」
普段の明るい声とは違う。ただ淡々と、事実を述べていく抑揚のない声が響いてる。
二人はテーブルを挟んで座っていて、手元には散らばってる黒と白のマス目のボードと、馬や王冠を模した駒が存在してた。
「だから、お前がなにを企んでいたって興味がないよ。俺の視界に入ろうとすることも烏滸がましい」
相対してるミスターKは何も言わない。チェス盤は勝負がついているようで少なくなっている駒は盤上に置き去りにされていて、二人は手に何も持っていなかった。
ヨータは息を吐くと、口角を上げた。
「…でも、どうしてもっていうのなら…お前が人生を賭してまで壊したいほど憎み愛しているサッカーを、救ってあげてもいい」
「、」
「どこまでも無知で傲慢で、強欲で。いいね。お前はとても人間だ。俺はそんなお前を軽蔑している。けれど、俺の愛する天使に倣って…、一度だけ、手を差し伸べてやらないこともない。お前を包んであげてもいいだろう」
にんまりと妖しく笑うヨータはどこまでも訳知り顔で、あまりの空気感に普段一緒に馬鹿笑いしてるジャンルカやマルコも固まっていて、アンジェロがそっと口を動かす。
「よ、た…?」
「……さぁて!俺っちもう行かないと〜!」
ぴょんっと跳ねるように立ち上がったヨータはいつもの笑顔で声色も明るく、先程まで話してた人物と同じには見えない。
はっとして手を伸ばした。
「待ってくれ!どこに行く気なんだ!?」
「かいとんのとこ!今日はかいとんとせいたんとらぶらぶわくわくしゅくがか〜い!」
「しゅ、祝賀会!?どういうこと??」
「俺っちがイギリス戦勝ったらご飯作ってくれるって約束してたの!」
テンションを高くスキップするヨータに慌てて引き留めようとしたラファエロはあっさりと避けられてしまって、ダントも捕まえられずヨータはそのまま出口に向かったと思うと目の前につけられていた車に飛び込んだ。
「せいたーん!」
「待たせたか?」
「んーん!へいきー!」
「そうか。なら行こう」
「かいとんも待ちくたびれちゃってるよね!」
ふふんと鼻を鳴らしたヨータを合図に扉が閉まって、走り出す。
今のあれは?としばらく呆けてしまって、ばっと顔を向ければミスターKは目線を落としたままで手を握りしめると部屋から出ていく。
「なぁ、フィディオ」
「ヨータっていったい…?」
「…………、わからない」
技なしの星。その名前は派手な技を持たないのに強いヨータを称える言葉で、同時に、今時のサッカー界に似合わない地味さにヨータを侮蔑する言葉でもある。
昔はとても派手な技を連発させる選手で、サッカーの強さを象徴するように負けん気も強く、口数の減らない問題児で、せっかく強い選手なのにとよくコメンテーターが苦い顔をしていた。
それがいつからか、ある時からヨータは一切技を使わなくなって、それからへらへらと笑うように、人と衝突せず、のらりくらりとするようになった。
人が変わったようにというけど、別人に近いそれに他人は改心したとか色々言っていたけど、さっきのヨータは昔に見た、わがままで高圧的なあの頃に似ていた。
「…………ヨータってたしか、ヒデの推薦だったよな」
「あ、うん。…キャプテンが仲間だって、えっと…どこかの国にいたときに引っ張ってきたんだったはず」
ヒデ・ナカタは円堂たちと同じ日本人のプレイヤーで、俺達のキャプテンで、今はここにいない。
俺達の敬愛するその人はやることがあると世界を飛び回っていて、時折連絡は来るけど顔を見せる気配はない。
そんな彼はこの世界大会が始まる直前、あの金糸を連れてきた。
いわく、ヨータは俺達に必要で、俺達をヨータは必要としているからと。細かい説明もなしによろしくねんと笑ったヨータのことはもちろん知っていたから俺達は驚きで固まったし、実際、隣で一緒に練習していてその速さや視野の広さに驚くこともあって、それから、寝汚さと遅刻癖に手を焼かされることになった。
朝起きてこないのは当然のこと、気づいたら昼過ぎに練習に参加してくることもあるし、夜まで起きないこともある。
三度目の遅刻にブラージが叱ったことがあったけど、相変わらず改善されないそれは、ヨータの繊細さに起因するらしい。人の気配があると眠れないというヨータは寝付きがとても悪くて、ようやく眠れても些細な物音で目を覚ましてしまう。だから普段から耳栓やアイマスクをして眠っているらしく、扉を叩いても電話を鳴らしても起きないのは聞こえないかららしい。
どこまでが本当かはわからないけど、いつも眠そうにしていたりするのに居眠りしてるところを見ないのはたしかに不思議で、みんなも試合に遅刻してこないのならばとヨータのことは諦めてる。
アンジェロとブラージだけはちゃんと都度叱っていて、オットリーノやジジはまた怒られてるよと風景のように眺めてることが多い。
キャプテン代理としてヨータの遅刻癖もなんとかしたいところではあるけど、当人いわく治そうと思って治るものじゃないからと流されてはどうにもできなくて、悩みの種は尽きることがない。
「フィディオ。とりあえず昨日のフィードバックしよう」
聞こえた声に生返事をしてミーティングルームに戻る。
やりっぱなしのチェス盤は見下ろせばすでに勝敗はついていて、座っていた位置を考えるにヨータが勝ったらしい。
「遊ぶなら片付けていってほしいよね…」
ため息をつきながらダニエレがチェス盤を片し始める。
その間に準備されていく昨日の試合動画やモニターに目を逸らした。
×
昼過ぎに出ていったヨータは定刻の夜ご飯を過ぎても帰ってこなくて、どこまで遊びに行ったのかと不安になれば外からエンジンの音がしてみんなで顔を上げた。
当たり前のように開かれた扉の音に向こう側を覗いて、目を瞠る。
すやすやと眠った状態のヨータを連れて帰ってきたのは昼過ぎにも見かけたその人で、慣れたように抱えてヨータを私室に運び入れる。
ヨータは警戒心がとても強くて、睡眠が浅くて、だから普段から眠りについてもすぐ起きてしまうからいつでも眠たそうで、大事な日はなんとか間に合っているけど普段から鍵をかけて耳栓をして眠っているから遅刻の常習犯で。
そんなヨータが安心しきった猫みたいにまるまるってすやすやと眠っているから全員が驚いたし、気にも止めずベッドに寝かせたヨータの髪をなでて部屋を出たその人が一体何者なのかと目を合わせた。
鍵を閉めて、それから、振り返る。
「お前たちの監督はどこにいる」
「え、」
「今はミスターKと名乗っている人間のことだ」
「あ、えっと…あの人なら…」
「私はここだ」
こつりと足音を立てて、立ったのは金色。おそらくヨータが帰ってきたのを知って様子を見に来たんだろう。その人は先程までヨータを抱えるために使っていた腕を組み、目を細めた。
「ほう。久しいな」
「…何を、しに来た」
「貴様に直接の用はない。耀太を送り届けたついでに、イタリアの面々には耀太が世話になっているようだから管理者として挨拶をしてやろうかと思ってな」
「……………」
「そう訝しむ必要はない。もっと気を楽にするといい。今の俺様はとても気分がいいからただの人間の粗相程度目を瞑ってやろう。発言も許す。何か言いたいことがあるのならば申してみるといい」
どこまでも上から、底しれない威圧感と高みから見下されている感覚に、普段ならば喧嘩腰で絡むみんなも、ミスターKも息を呑んで、その人を見上げる。
ひどく喉が渇く嫌な感覚に震えてた手のひらを握って。黒色の前髪の隙間から見える硬い瞳が暖かいのに気づいて、口を開いた。
「あ、あの、」
「なんだ、フィディオ・アルデナ」
「あ、えっと、…………ヨータって、無理してますか?」
「ふむ、なぜそう思う」
「え、あの…普段のヨータは眠れないらしくて、いつもにこにこしてるから、無理してるんじゃないかって、思ってしまって…」
「そうだな。耀太は警戒心がとても強く集団生活には向かない。今のこの状況が辛いと思っている可能性は高い」
「、やっぱり…」
「しかしそれをお前たち人間が気にする必要はない。耀太は自分の願いのためにここにいる。願いの対価を払っているとしか感じていないから放っておくといい」
「ねがい…?」
「そうだ。ヒデ・ナカタも言っていたはずだ。ヨータはイタリア代表に必要で、そして、イタリア代表は耀太に必要だと」
「、どうしてそれを…」
「耀太を引き抜くにあたって、管理者に申請をするのは当然だろう?」
当たり前のように首を傾げられて目を瞬く。
先程も管理者と言っていたけど、一体この人は誰なのか。前回もヨータたちを迎えに来た際にセイと呼ばれていたのは知っているけど、何者なんだろうかと聞こうとしたところでミスターKが身じろいで、その人も視線を向けた。
「………貴様も、私を追い出そうとはしないんだな」
「何故そんな無駄なことをする必要がある?わざわざ天使の情報を持つお前が耀太の近くに在るんだ。下手に動かしてお前の持ち主が天使に危害を加えないと確証が持てない限りは、お前の行動に目を瞑ってやる」
「………………」
「俺達がお前を排他するとすれば、天使を悲しませたときだけだ。今はまだ、許容してやろう」
「………相変わらず、貴様らは狂っているな」
「天使を知って狂わない人間など居ない」
誇るように微笑んだその人にミスターKは眉根の皺を深くして、口角を下げる。
くすくすと笑っていたその人は足を進めたと思うとポケットに手を入れて、抜き出したそれを差し出した。
「これは選別だ。もし君たちが耀太のことを気になるのならば見てみると良い」
さらりと差し出されたそれはミスターKに渡される。
訝しげにじっと見据えられてるのがわかっていてその人は安心しろと笑った。
「ウイルスなど一切入っていない。今日の耀太と俺たちの天使が映っているだけだ」
「、」
息を呑んだのはミスターKで、俺も目を見開く。ヨータが天使と敬称するその人物がわからないほど無知ではなくて、その人は足を進めてしまう。
向かっているのは出入り口で、ぁ、と思わず声を零してから張り上げた。
「あ、あの!!」
「なんだ、フィディオ・アルデナ」
「その、ありがとうございます!」
「感謝される謂れはない。すべては試合を楽しみにしている天使と耀太のためだ。イタリア代表オルフェウスの諸君。よく励むように」
ひらりと上着を靡かせて出ていったその人に、俺達は呆然としてしまって、一人歩き出した金髪がまっすぐとオーディオルームに向かっているのに気づいて追いかけた。
オーディオルームに迷いなく入ってパソコンにメモリーをさす。少し操作したと思えば連動させている大きなモニターに映像が出力されて、みんながそちらを見た。
映っているのはどこか見覚えのあるフィールド。汗を拭っている真剣な目をしているのは日本代表の一人で、切り替わった画面によって対峙しているのは二人だとわかる。
片方のフィールドにはゴールキーパーを含めて十一人。もう片方には見慣れた金糸とそれからゴールキーパーにオレンジ色を含めて三人。
ピーッと音が聞こえて、走り出した二人はすべてを置き去りにして危うげなくゴールネットを揺らす。
繰り返されていくうちに放たれた大きな星に目を見開いた。
「これが、あのヨータ…?」
「すごい…きれいなお星様…!」
「まぶしい…!」
楽しそうに笑うヨータとカイトン、改めカイトはたった二人でフィールドを駆け上がり、そしてシュートを決める。
見ているだけで風を感じられる爽快さ、迫りくる煌めく星々。イタリア代表の座を守るために放ってくれたアルディートステラも素晴らしい技だったけど、ヨータが一人で放つ技は更に強く大きな光を纏ってる。
目を奪われる俺たちに彼は唯一口元を押さえていて、静かに部屋を離れた。
気づいていないのか、気づいていても声をかけて止めるほどでもないのか、みんなは止まってしまった映像をもう一度再生していて画面に釘付けだ。
「すごいなぁ…!」
「ヨータってこんな真面目にサッカーするんだ…!」
「この間もはやかったけど、もっと早い…!」
はしゃぐみんなに試合は止まらない。増えた青色は直接の関わり合いがないけど彼も日本代表なのは知っていて、ヨータとカイトとフィールドを駆け抜けていくのを見送る。
楽しそうなヨータの姿に、あの人はどうしてこれを俺達にくれたのか、それがとても不思議だった。
「ヨータとサッカーしたい!」
聞こえた大きな声に思考を戻す。キラキラした目ではしゃぐのはアンジェロで、オットリーノやジジも大きく頷き、ラファエロやブラージも俺を見るから目を合わせて首を縦に振った。
「俺もヨータとサッカーしたい。明日誘ってみよう!」
「うん!」
楽しそうなみんなの姿に、ミスターKと対談しているときのヨータの違和感に気づかないふりをした。
×
「ヨータ!」
珍しく朝食の時間からふらふらとしながら現れた金糸に顔を上げる。
「んんー?おはよぉ〜」
「おはよう!」
「うんん?朝から元気りんりんだね??」
ぱちぱちと大きな瞳を隠すように目を瞬くと首を傾げて、ヨータの不思議そうな顔にいつも仲がいいダニエレが近づいた。
「ヨータ!昨日の試合見たよ!」
「昨日??……あ、かいとんとのお遊びのやつ??せいたんが置いてったの?」
「そう!見せてもらった!!本当にすごかった!早いしきらきらだった!」
「でしょう!かいとんと俺っちは唯一無二の最強ペアなんだよん!!」
えっへんと胸を張るヨータにやっぱりいつものヨータだと気づかないうちに詰めてしまっていたらしい肩の力を抜いて口元を緩める。
「最強ペアか…」
自信満々の表情。あのカイト・クルスとフィールドを駆けていただけある。実績に基づいた自信にアンジェロがふわりと笑った。
「ヨータ!僕達ともあんなふうにサッカーしよ!」
「え?無理だけど??」
「え、」
「だって俺、天使としか飛べないもの」
「、」
あっさりと放たれた言葉に固まる。俺達の様子にヨータは気づいてるだろうに斜め上を見て首を傾げた。
「ん〜、フィディオたちとやるサッカーも嫌いじゃないんだけど、やっぱり飛べるくらい楽しいのは天使と居るときだけなんだよねぇ」
「で!でも!僕達と一緒にやっていればいつかは!」
「なんかこう、根本的に違うんだもん」
「………根本的に、って…なにそれ…」
「うーん。何がって言われるといろいろ難しいんだけど……たとえば、パス一つにしても合図とかタイミングとか強さとか、そういうのも天使と居るときが一番自然で息がしやすいし、フィールドにいれば天使が感じられて、天使が俺がいるのをわかってるって理解できてる喜びがサッカーの楽しさに繋がってるっていうか、うーん」
やっぱり言葉にすると難しいなぁとヨータはこぼしつつ、まぁいいや、お腹すいた〜とすたすたと歩き出す。
自由すぎるヨータに、意味がわからんとこぼしたブラージは怒るのさえ忘れてるようで、俺も呆けたままヨータの背を見送ってしまった。
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