ブルーロック
「睡ちゃん、はじめまして」
少し膝を曲げて目線を合わせてくれたその人はにっこりと笑ってる。水色の目はすっかり見慣れたものと同じで、穏やかなその笑みに思わず母さんの洋服を握ってから口を開いた。
『は、はじめまして。詞詠 睡です。いつも奥様と、冴くんと凛ちゃんには大変お世話になってます』
「………」
水色を丸くして、ぱちぱちと目を瞬いたその人に間違えてしまっただろうかと不安になる。母さんの洋服をさらに強く握って、そうすればお腹のあたりに回った腕がぐっと俺を抱きしめた。
「父さん、睡いじめんな」
「パーパ!めだよ!!」
「あ、まってよ。僕いじめてないよ?!」
あわあわと手を振ってる姿に俺も慌てる。
『だ、大丈夫。俺いじめられてない…!』
「ほんとか?」
「ほんと??」
窺ってくるの水色に何回も首を縦に振る。二人は納得がいかなかったようでぴったりとくっついたままで、困って母さんを見上げれば母さんのほうが慌てていて援護は見込めなそうだった。
くすくすと笑ってる詞詠さんがこてりと首を傾げた。
「冴ちゃん、凛ちゃん、パパをそう目の敵にしないの」
「だって睡をいじめた」
「めた!」
『いじめられてないよ…!?』
「じゃああの変な空気なんだよ」
むっとした冴は自分の父親を見据える。ああ、となにかに気づいたその人は俺を見てふわりと笑う。
「睡ちゃんが話に聞いていたとおりすごくしっかりした子できれいなあいさつをしてくれたから、ちょっとびっくりしちゃって」
「そうなの、睡ちゃんとても六歳とは思えないくらいしっかりしてるでしょ?私も初めてあいさつしてくれたときは本当に驚いたのよ」
「うん。僕もすごく驚いてる」
ほわほわと笑う二人に冴と凛ちゃんは少しだけ警戒を解いて、母さんを見げあれば母さんもほっとしたように息を吐いてた。
七月も後半。外に出れば年齢にかかわらず人がたくさんいるようなそんな時期はテレビのニュースで世間は夏休みですねと言っていた。
長いと二ヶ月くらいの休みらしいこの時期。前日にもしっかりと準備しておいたものに不足はないかと母さんと確認して、朝になってそれらを全部持って五件隣のお家に向かった。
そこにいた冴と凛ちゃんはすぐに俺の横に立って、母さんも詞詠さんとあいさつを交わして、それからみんなで詞詠さんの家についてる車庫に向かえばトランクに荷物を積んでいた男の人は顔を上げた。
「はじめまして、詞詠さん」
母さんと目を合わせてあいさつをしたその人は続けて俺にも丁寧にあいさつをしてくれて、屈んだ拍子に凛ちゃんに似た黒色で冴と同じ少し癖のある髪が揺れてた。
「冴と凛といつも仲良くしてくれてありがとうね。今日はよろしくね」
『こ、こちら、こそ、よろしくお願いします』
「………父さん、やっぱ睡のこといじめてるな」
「めてるなぁ!」
「ええ、なんで…??」
きゅっと眉根を寄せる冴と俺に抱きついて守るように立ってる凛ちゃんに二人で首を傾げる。
詞詠さんはあらあらと頬に手を添えて、母さんがすみませんと詞詠さんたちを見た。
「睡、あまり年の離れた男の人と話したことがなくて、緊張してるんだと思います」
「あら、そうなんですね」
「すいちゃん、パパこわい??」
『うんん、こわくないよ。あの、詞詠さん、すみません』
「大丈夫だよ。せっかくのキャンプだから、僕に気にせず睡ちゃんの好きなように過ごしてね」
『あ、ありがとう、ございます…!』
慣れてないからなんて俺が悪いのに顔も歪めずに笑ってくれる詞詠さんに頭を下げる。
「ふふ。顔合わせも終わったことですし、向かいましょうか」
「睡、乗るぞ」
「すいちゃんいっしょ!」
いつものように手を引かれて後部座席へと誘導される。チャイルドシートが装備された八人乗りの車は前に海にいたとき迎えに来てくださったときお邪魔したのと同じで、前回は一番後ろの列には何もなかったと思ったけど、チャイルドシートは一番後ろに移動してた。
「凛」
「すいちゃん、すいちゃん、凛ちゃん座れるからみててね!」
『うん。見てるよ。がんばって、凛ちゃん』
「う!」
まだ短くて小さな手を伸ばしてチャイルドシートに座って、ベルトをぱちんと音を立てたしまる。見守っていれば凛ちゃんはできた!と手をあげて、じっと眺めてた冴が頷いた。
「よくできた」
『すごいね!凛ちゃん!』
「えへへー」
小さな手でベルトを押し込んで留められるなんて天才だ。凛ちゃんはサッカーだけじゃなく色んな才能を持ってるらしい。
「ふふ、じょうずにできてすごいね、凛ちゃん」
「でしょう!」
「ええ!さぁ、冴ちゃんと睡ちゃんもお隣に座ってね」
『は、はい!』
「睡、ここ座れ」
『うん』
一番後ろの三人がけに凛ちゃん、俺、冴の順番で座って、乗り込むために倒されていた椅子が直されると前の列に母さんと糸師さんが乗り込んだ。
「パパ、なにかあったらすぐ言ってね」
「うん。あらがとう」
運転手が乗り込んだところでシートベルトが全員分確認されて車が動き出した。
ゆるやかに進む車は急停車も急発車もしないから驚くことはほとんどなくて、少しの間一般道を走ってた車は高速に道を変えてどんどん家から離れていく。
「すいちゃんたのしみねー!」
『うん!』
にこにこと笑いかけてくれる凛ちゃんに頷く。前の席ではお母さん同士で話しているようで、時折三人で会話してる。
そういえばと思ったところで服が引っ張られた。
「睡」
『なぁに?』
「なんか気になることあるのか」
『、よくわかったね?』
「睡の考えてることはわかりやすい。それで、なにがあった」
『そんなにわかりやすいかな…?』
あまり人と関わることはないけど、大抵何を考えているのかよくわからないとよく言われてただけに冴の言葉に目を瞬いてしまう。
冴はじっと俺を見ていて、よく考えればサッカーは同じ場所にいる20人の配置と動きを見てやってると言ってたし、俺一人の考えを見透かすくらいは余裕なのかもしれない。
『今までは糸師さんって呼ばせてもらってたけど、みんな糸師さんだから、冴のお父さんとお母さん、なんて呼んだらいいのかなって』
「好きに呼べばいいだろ」
「ママとパパ!」
『うんん、』
「ふふ。睡ちゃんの呼びやすいようにでいいけと…私は名前で呼ばれると嬉しいかしら?」
前の座席からわざわざ振り返ってくれたその人はにっこりと微笑む。
「私は糸師歌奏です。冴ちゃんと凛ちゃんのお母さんです」
「僕は糸師大和です!睡ちゃん、これからよろしくね」
『は、はい、詞詠睡です、歌奏さん、大和さん、よろしくお願いします』
思わず頭を下げれば隣で大きく手が上げられた。
「あい!凛ちゃんはねー!糸師凛だよ!」
「糸師冴」
さらりと続いた冴に母さんが慌てて口を開く。
「し、詞詠累です!よろしくお願いします!」
『詞詠、睡、です…?』
「あら、なんだか新学期みたいで楽しいわね」
全員の自己紹介にうふふと笑う歌奏さんに、ほのぼのと頷いてる大和さん、母さんは咄嗟に名乗ってしまったと恥ずかしそうにしていて自己紹介をできたことに満足げな凛ちゃんを冴はよくできたと褒めてる。
ゆったりとした車内、窓の外を見ればいつの間にか車は信号のない道路を走っていて高速道路に乗ってたらしい。
スイスイと進んでた車は左側にあった道に入って、空いていた場所を見つけると止まった。
「それじゃあ、一回目の休憩にしようか」
「きゅーけー!」
「睡、凛のベルト外してやってくれ」
『あ、うん』
促されてボタンを押して、拘束が解かれた凛ちゃんは俺に手を伸ばすと膝の上に乗った。
「すいちゃんありがと!」
『うんん、大丈夫だよ』
「ふふ。さぁ、凛ちゃん、おトイレいっておきましょうね」
「はーい!」
乗り込んだときと同様に前の座席が動いて道ができる。先に冴が降りる。それから膝の上の凛ちゃんは歌奏さんが受け止めて、思ったより高かった段差に物怖じするより早く差し伸べられた手を取った。
手を支えにそっと地面に足をつければ凛ちゃんが、ぱっと笑う。
「すいちゃんおひめさまね!」
『え、』
「あのねー、おんなのこがほいくえんでいってたの!かいだんね!おうじさまとおひめさまはおててつなぐんだよ!にぃちゃんおうじさまね!」
「ああ。凛もはやく大きくなって睡の王子様になれ」
「う!」
『王子様…??』
嬉しそうな二人に首を傾げていれば母さんはあわあわとしてるし、大和さんはなるほどーとにこにこと笑う。凛ちゃんを抱えてる歌奏さんはぽんぽんと凛ちゃんを撫でてから俺達を見た。
「王子様になるからにはちゃぁんとお勉強してマナーも身に着けて、睡ちゃんにうんと優しくしないとね」
「まなー!」
「ん」
「それじゃあ中に入りましょうか」
「うん、そうだね」
冴の横に立って大きめの車道を渡るのに大和さんが周りを確認して先導してくれる。すっと横に位置取った母さんは俺を見た。
「睡も、お手洗いとか飲み物買ったりとか済ませちゃおうね」
『うん』
「絶対に一人にならないように。もし逸れちゃったらその場ですぐに連絡ね?」
『うん』
いつもの注意事項に頷けば母さんは心配だぁと眉尻を下げる。
母さんのこれは元の心配性と以前あったことに対するまたあるかもの不安でなったものだから、ちゃんと言いつけを守るように母さんの服を掴んだ。
凛ちゃんと歌奏さんはお手洗いへ。冴と大和さんは車に忘れ物をしたというから一旦駐車場に戻って、俺と母さんは店内に入った。
サービスエリアとしてほどほど大きめらしいそこは、ちょっとしたご当地のお土産やフードコート、それからコンビニも併設されてる。
母さんは俺に視線を落としてどうしようか?と首を傾げた。
『飲み物だけでいいかなぁ』
「そう?わかった。二つ買っておくから好きな方を飲むんだよ?」
『うん』
お茶とオレンジジュース。どちらもよく口にするメーカーのものを確保して一緒に精算する。
酔い止めは朝から飲んであるし、ラムネやぐみは前日までに用意してあるから不要で、もらったお茶を口にしてキャップを閉めたタイミングでとてとてと足音が聞こえて顔を上げた。
「すいちゃ!」
『凛ちゃん、おかえりなさい』
「たーまー!」
手が伸びて回される。ぎゅっと小さな体で抱きしめられて頭を撫でればぱっと顔が上がった。
「すいちゃん!すいちゃん!!ネコさんよ!」
『猫さん?』
「にぃちゃとパーパみてるのよ!いこ!」
『えっと、』
「見にいこうか、睡」
『いいの?』
「うん。猫さんさわった手で顔だけ触らないように気をつけてね?」
『うん!』
凛ちゃんの手を取って繋ぐ。嬉しそうな凛ちゃんがぴょんぴょんと跳ねてから手が引かれた。
「こっちよ!」
『今いくよ』
跳ねるように歩く凛ちゃんに連れられて進む。お店を出てすぐに曲がって、建物の壁に沿うようなそこに屈んでる冴とにこにこしてる大和さんがいた。
「ネコさん!」
『ほんとだ…』
「凛、睡、ここ座れ」
「う!」
『うん』
ぺたんと座った凛ちゃんと同じように座る。じっと見た先にいるしましま模様の猫は人に慣れているのか大和さんに擦り寄っていて、冴は眺めているらしい。
「にぃちゃ、凛ちゃんさわる??」
「ゆっくり背中のとこなら大丈夫だと思うぞ」
手を伸ばした凛ちゃんに右手を添えた冴は寝転んで伸びてる背中にそっと置くと毛並みに沿って動かす。大和さんによってリラックスしてるらしい猫は撫でられても耳を二度ぴくぴくと動かしたただけで落ち着いてた。
凛ちゃんは大きな目を丸くして輝かせて、冴に合図して手を離すと俺の服を掴む。
「すいちゃん!すいちゃん!ふわふわ!」
『そうなんだね?』
「睡も触るか?」
『えっと…』
「ん」
手が差し出されたからそっと右手を伸ばす。重ねるように乗せた手が引かれて猫の背に乗っかった。
『ふわふわ…!』
三回撫でて、そっと手を引く。一緒に離れた冴と目を合わせた。
『かわいいね…!』
「…ああ、かわいいな」
「かぁーいね!」
目尻を下げた冴と凛ちゃんに俺も笑う。大和さんが仲良しだなぁと微笑んでから猫から手を離して、そうすれば猫も起き上がった。
「猫さんにばいばいして車に行こうか」
「ばいばーい!」
『ば、ばいばい…!』
体重を感じさせない軽やかな足取りで歩き出した猫を見送って、大和さんの先導のもと手洗いに向かう。
全員ちゃんと手を洗って外に出る。携帯を確認すれば母さんは歌奏さんと先に車に戻ってるそうで、隣の凛ちゃんと目を合わせた。
『凛ちゃん、喉かわいてない?』
「へーきよ!」
『そっかぁ』
ふくふくと笑う凛ちゃんに俺も笑って、そうすれば大和さんと冴が揃い、さっと手が差し出されて大和さんの手は凛ちゃんと繋がれ、俺も冴と繋ぐ。
四人で一並びになって歩く。さっきと同じように車が来てないかしっかり確認して渡って、駐車場に入れば母さんと歌奏さんが顔を上げて微笑んだ。
「おかえりなさい」
「仲良しさんねぇ」
迎え入れてくれた二人に最初と同じようにまた車に乗り込む。大和さんの合図によって進み始めた車はまたゆっくりと安全に走り始めた。
会話をする母さんと歌奏さんと大和さんに、俺も凛ちゃんのお話を聞きながら冴と相づちをうって、外の景色を確認しながら目的地に着くのがいつなのかとそわそわする。
「すいちゃん!すいちゃん!」
『なぁに?凛ちゃん』
「たのしみねー!」
『うん!』
「ついたらまず川で遊ぶぞ」
『かわ…!』
「ちったいよ!」
『海とプールより…?』
「ああ。冷たい」
『………!』
目を丸くした俺に凛ちゃんはにぱっと笑って、冴は微笑む。
海のときとプールのときも楽しかったのだから、川が楽しくないわけがない。
今から弾んでる心を見透かすように母さんと歌奏さんが俺たちを見て目尻を落として柔らかく笑った。
.