イナイレ



連日の睡眠不足が祟ってか、アラームの鳴る朝の時間になっても眠くてそのまま惰眠をむざぼることにした。

次に目が覚めたのは、なにかに声をかけられたからだった。

「来栖、おい」

微かに差し込む明るい外に朝なのは理解してたけど、目が開かない。

「起きろよ、来栖」

声をかけて、それでも目を開けない俺に痺れを切らしてか体を揺らしてくる手に頭の中が揺れて、舌打ちが溢れる。

ぴたりと手が止まって、そのまま静かになったからまた意識が沈んで、しっかりと眠っていた俺に再び音がした。

「来栖!!」

『、っ…?』

「お前いつまで寝てるんだ!まさか今日一日中寝てたんじゃないだろうな?!」

頭の中に響く声は聞き慣れたもので、授業が終わるたびに俺を叩き起こしてたものだ。

蹲ろうとすれば布団も引っペがされて、聞こえる声が喧しいから仕方なく目を開く。

『か、ぜま…?』

「まったく!今何時だと思ってるんだ!」

『ん…?』

「もう七時だ!七時!!お前一日中寝てたんだぞ!!」

『ぁー…?』

「さっさと!目を!覚ませ!!」

べしりと叩かれた額に目を瞑って、開ける。滲んでる視界は寝起きのせいで、揺れてる気がするのはまだ目が慣れてないからだろう。

『ん〜…』

起き上がって、ぼーっとする。ぐらぐらとしていればため息が聞こえた。

「また夜ふかししてたのか?早く起きろ、夜飯まで抜く気か?」

『…んー…』

「だから、いつまでも寝ぼけてるな!」

『んん…』

目元をこすって、それでもはっきりとしない視界に諦めて目を瞑れば肩に手が置かれた。

「二度寝は許さないぞ!起きて支度しろ!」

『…ん……』

「………いや、俺は手伝わないからな?!」

いつものように手を出したのに怒られて、めんどくさくなってもう一回布団に沈む。

「お前どれだけ寝起き悪いんだよ!さっさと起きろ!」

『…やだ…』

『嫌だじゃない!………ああ!!もう!!!』

叫んだ風丸が一度離れた気配がして、開けるからな!!と声がする。

「何着るんだ!」

『ー……』

「だから寝るなよ!全く!もうこのへんのシャツでいいな?!」

金物のハンガーが擦れた音がして、風丸が近づいてきて、ばしばしと腕が叩かれる。

「せめて起き上がれ!!」

『ちっ……』

「手伝ってやらないぞ!!」

『………ん…』

怒られるままにまた体を起こして、うとうとしていればボタンが外される。かすかに腕を上げればもたもたと腕に袖が通されて、ボタンを留めるのにも時間がかかってる。

「なんで俺がこんなこと…!」

ぶつぶつと怒ってるらしい声にだんだんと頭の中がすっきりしてきて、目元を擦って、開ける。

『…ァ?』

「あ!やっと起きたな!」

『起きた』

「どれだけ手がかかるだよ!まったく!」

『あー、わりぃ。…つーかお前不慣れすぎねぇか?全然終わってねぇじゃん』

「文句を言うなら自分でやれ!!」

『ここまできたら最後までやってくれてもよくね?』

「なんで俺がそんなことしなきゃいけないんだよ!!」

『じゃあもっかい寝る』

「嘘つくなよ!ここまで起きてたらもう寝ないだろ!」

『ちっ』

「お前本当にその物臭なのどうにかしろよ!」

『駄目か?風丸』

「甘えるな!まったく!今回だけだからな!!」

怒りながら再び伸びてきた手がもたもたとボタンを留める。下からちまちまと留めてたらしいボタンはやっと残すところ三つまできて、上から二つ目を留めるのに顔を上げて、留まったところで口を開いた。

『一番上は開けとけ』

「なんで命令口調なんだよ!ここまできたら絶対留める!顔を下げるなよ!」

宣言通りに留められた第一ボタンによしっと風丸が満足そうに息を吐く。窮屈なそれに眉根を寄せてれば風丸がわかりやすく目尻を上げた。

「文句言ったら怒るからな」

『もう怒ってんだろーがァ』

思いだしたかのようにこぼれた欠伸にすぐさま風丸が反応して睨まれる。

「寝るなよ」

『起きたっつーの』

「どれだけ人に手を焼かせれば気が済むんだ」

深々とため息をつかれて目元を擦る。立ち上がった風丸が俺を見下ろした。

「行くぞ」

『だる…』

「そうやって面倒臭がって一日寝てるんだろ!体内リズムが狂って体調崩すぞ!」

『んなことで崩すような体してねーっつーの』

引っ張られて仕方なく歩く。部屋を出てダラダラと歩いていれば遅いと零されてせっつかれ、食堂にたどり着いた。

「ふふ、諧音くん、おはよう」

『はよ』

「風丸くんが起こしてきてくれたの?」

「ああ。このままだと本当に一日起きてこなそうだったからな」

微笑んでる冬花は配膳をしているらしい。届く香りに空腹感は無くて、口を開こうとすれば風丸がキッと睨んだ。

「しっかりと食べろ。残すなんて許さないぞ」

『そんな食えねーわ』

「久遠、一人前普通によそってくれないか」

「ふふ」

『ちっ』

さすがに山盛りではなく常人の一人前を渡され眉間に力が入る。

トレーの重みに顔をしかめながらいつもの方向に歩いて、待てと止められた。

「来栖、ここに座れ」

『だる…』

申し訳ない程度の配慮らしく、円堂がいる中心席ではないものの既に土方や小暮の座っているテーブルに引っ張られて腰を下ろす。

あと少しでいつものテーブルだったのにと息を吐けば隣に座った風丸はやっぱり眉根を寄せてた。

「俺の目の届く場所で食事しろ。絶対に残すなよ」

『はあ〜』

「なんだなんだ、風丸かぁちゃんみてーだな」

「ほっといたら一日寝てるんだぞ、こいつ。着替えも自分でしないし、食事まで残そうとしてるんだから怒るに決まってるだろ」

「わぁ、来栖怒られてやんの」

『ちっ』

「舌打ちするなら一人で起きて支度してちゃんとご飯食べろ」

ふんっと鼻を鳴らす風丸に小暮と土方は楽しそうに笑っていて、かけられた号令に仕方なく箸を持つ。

少しずつつまみ上げて口に運んで。味はもちろんいいのに、量が多い。寝起きには重い肉を使ったメインに自然と避けるように野菜と汁物ばかり進んで、隣からまた息を吐かれた。

「ちゃんと主食を摂れ」

『…食ってんだろ』

「進んでない」

ばさりと切り捨てられて小さくつまんで口に運ぶ。腹に溜まっていく味のついた肉と米に、箸を置いて隣にスライドした。

「お前なぁ…」

『…もう無理』

「まったく…まぁここまで食べたなら許してやる」

半分以下には減らしておいたことで許容されたらしく、受け取られたトレーに口元を拭う。最初からそのつもりだったのか俺と同じ量しか貰ってない風丸は食事を再開して、向かいの小暮が目をまたたいた。

「来栖って少食なの?」

『別に』

「寝起きすぎて食べれないんだ。学校でもたまにやってる」

「へー、俺は起きたばっかりでもいっぱい食べれるけどなぁ」

『個人差』

「お前のは寝すぎだろ。ちゃんと夜寝て、朝起きて動けば腹は減る」

「ほんとにかぁちゃんみてーだな、風丸」

「まったくだ。何回育児本を買おうかと思ったか」

「今度弟たち見るのに役立った話いくつか教えてやるな!」

「ああ、頼む」

『はぁー…』

何故か意気投合した二人に目をそらして頬杖をつく。

なんとなく顔を向けた先はいつものテーブル側で、トレーを持って片付けに行くところらしい背中に、変だなと思う。

『風丸』

「どうした、食べる気になったか?」

『んや、ごちそうさま』

「そうか。それならなんだ?」

『お前部屋に来たとき、俺の部屋の鍵開いてたか?』

「開いてたぞ。危ないからちゃんと閉めろ」

『…………』

風丸に手を出しかけたことで道也にもみっちり怒られたし、昨日の夜は一人だからとしっかりと鍵を確認してから布団に入った覚えがある。

俺の部屋の鍵を持ってる人間なんて限られていて、道也と冬花ならばそのまま起こされただろう。

『……お前、朝も起こしに来たか?』

「いいや?さっきが最初だぞ」

『…そうか』

「なにかあったのか?」

『……んや、別に』

「…………はぁ〜。わかった。今は聞かないでおいてやるよ」

ちょうどよく箸を置いた風丸が口元を拭くから食器とトレーを重ねて持ち上げる。

食べてもらったから片付けは俺が受けおる。学校のときもそうだからか、風丸も何も言わなくて、トレーを置いて、部屋には向かわずにそのまま外に出る。

息を吐いて、吸って、一日ぶりの外気に頭の中がスッキリとしたところで頭を掻いて、髪を混ぜる。

『なんかやってんな、これ…』

生憎と人の機微には疎くて、察するのは苦手だが流石にこうもあからさまだと動くべきなのは俺なんだろう。

じっとしていても考えがまとまらないから、歩いて閉まってあるボールを一つに取り出す。

ぽんぽんと感触を確かめて、問題がなさそうだったから蹴りながら走りだした。

転がるボールが止まる前に適度に力を込めて蹴って進めて、ぐるぐるとグラウンドの中を走り回る。

蹴るだけに飽きたら今度は一旦足の裏でしっかりと止めて、目を瞑ってきちんと浮かんだ姿に目を開く。

右、左、視線と上半身と、足と、思えば彼奴は何も考えてないみたいに笑ってるのによく考えて観察して隙をついて相手を抜くのがうまかった。

なんにも考えないで直感で抜く俺とは違うと思ったところで、いつもどおり影にボールが取られたから、息を吐く。

『はぁ。抜けねぇ…』

置き去りになってしまったボールをつま先で拾い上げて、両手で持つ。白と黒のボールは使われて少しだけくすんでいて、目を瞑る。

食べたばかりで動いたから、体が重くて、何か少しでも外に出したくて、口が動いた。

『かいあ』

「……それが、今お前がボール取られた奴か」

『、』

ぱっと目を開ける。広がった視界にはじっと俺を見てるオリーブ色がいて、いつからそこにいたのか、気づかなかった。

固まってる俺に不動は一歩ずつ足を進めて目の前に立つ。服装はラフなシャツに短パンで、寝る前だったのかそれとも食後の運動のために出てきたところなのか判別がつかない。

目を逸らそうにも持ってしまってるボール越しに見えるオリーブが強すぎて、息を吐こうとしたところで先に眉根が寄せられた。

「おい」

『…なんだ』

「ボール寄越せ」

『…は?』

「早くしろ」

近い距離にいるから手を伸ばしてボールを差し出す。ボールを受け取って不動は俺に背を向けると歩きだして、眺めていれば数メートル離れたところでくるりと振り返った。

「行くぞ」

『は?』

ボールを落としてそのまま蹴りだして、向かってくるから咄嗟に腰を落として踏み出す。

見つけたそこに足を伸ばしてボールを奪って、自分のものにすれば舌打ちが聞こえた。

「んでそんなに隙つくのうまいんだよ」

『なんとなく』

「…なら今度は俺が取ってやる」

急に目つきを鋭くした不動にすぐボールを転がして、右へ左へと転がしつつ、踵でボールをあげながら不動の横を抜ける。

「ちっ」

それでもついてこようとしてる不動が追いかけてくるから走って逃げて、何回も対峙しているうちに、不動の伸ばされた足にボールがかすめ取られた。

『あ、』

「っし」

抜かれた瞬間に足を止める。不動は口角が上がってて、俺を見据えるなり舌を出した。

「へたくそ」

『は、?』

「練習もしねぇで寝こけてるから鈍ってんじゃねーの」

『はぁ?一回抜けたくらいで偉そうだなァ?』

「はっ。これから何回だってテメーのことを抜いてやんよ」

ボールを蹴る。山なりに上がったボールは俺の胸元で落ちそうだったから一歩下がって、地面についたときに足で止めた。

不動は気にした素振りを見せずに言葉を続ける。

「俺が来栖を抜けたんだ。テメーだってそいつのこと抜けんだろ」

『、』

「誰のこと見てんのか知らねぇけど、お前だって練習すりゃまだまだ強くなんだから、毎日練習しろ。…寝てんと、鈍るぞ」

不機嫌そうに歪められてる表情に、今日寝過ごしたことは相当根に持たれてるらしい。

ボールから足を離して、髪を混ぜた。

『あー、もしかして朝起こしに来たか?』

「行った」

『わりぃ。起きなかったろ』

「ああ。昼は舌打ちされた」

『昼もか。迷惑かけたな』

「まったくだ」

吐き捨てた不動は俺を睨むように見据えたままで、普段よりも少しだけ赤くて腫れてる目元に言葉を選ぶ。

『………悪い』

「そう思ってんなら一人で起きろ。お前どんだけ寝起き悪いんだよ」

『あー、まあまあ』

「…全く起きねぇし、舌打ちするし…でも、風丸の声なら起きんだな」

どことなくトーンの下がった声に息を吐く。

『彼奴人の布団引っぺがして叩いてくるから嫌でも起こされる』

「なら今度からそうする」

『勘弁してくれ』

「優しくして起きねぇならそうするしかねーだろ。んで?いつも着替えまで手伝わせてんのか?」

『風丸は今回初めて』

「ならあの誠って人に毎回やってもらってんのかよ」

『きょうじもよくやってくる。彼奴ら人の世話すんの好きらしいし、起きる頃には準備終わってんから助かる』

「………お前人に甘えすぎじゃね」

『やりてぇって言ってんならやらせればいいだろ。条助もそうだし』

「……………」

すっと目を細めた不動がまた不機嫌になって、心当たりがなくて頭を掻く。

数秒地面を睨みつけた不動は足を動かして、目の前まで来ると顔を上げた。

「来栖」

『なに?』

「お前、手ぇかかる奴だな」

『は?』

「はあ~…」

つい先日円堂に向かって投げつけた言葉が返ってきた。

不動は呆れたように息を吐いてそのまま俺の胸元を軽く叩いて、くるりと背を向ける。

「いつまでも甘えてんな。明日からはちゃんと起きろよ」

『あー、善処すんわァ』

「次はもう鍵開けておかないからな」

『やっぱ開けっ放しにしたの不動かよ。風丸に怒られただろ』

「風丸が入れなかったら起きてこなかったくせに。つーか嫌なら起きろ」

ボールを拾った不動は俺を見るとすぐに目を逸らす。

「明日から朝練付き合え」

『あ?何時からァ?』

「五時半でいい」

『はや…自由参加でいいか』

「毎日起こしにいく」

『まじかよ…あー、じゃあ頼むわァ』

「ちゃんと自分でも起きろよ」

『んー、できる範囲でやんわ』

「甘えんな」

息を吐いた不動は、そうだと口角を上げてからかうような表情を浮かべた。

「それとも毎日一緒に寝起きしてやろうかァ?」

『…ありだな。道也に言ってみんか』

「………冗談だ」

表情を固めて顔を逸らす不動は歩き出す。寮に向かうらしいそれに後ろについていって、時間を見ればもう大浴場が閉まるかどうかの時間だ。

連絡を入れればすぐにわかったと来て、部屋についたところで隣を見る。

『大浴場開けてもらってんけどお前浴びる?』

「…そうだな、軽く流す」

『ん、終わったら道也に連絡しねーといけないから早く入れよ』

「ああ、わかった」

頷いたのを確認して部屋に入る。起きたときにそのままのぐちゃくちゃな布団や、風丸が端においたらしいシャツを拾ってまとめて、少し考えてから新しいシャツを出して入浴用具と一緒に持って部屋を出た。

ちょうど開いた隣の扉に不動はあからさまに眉根を寄せて、仕方なさそうに扉を閉じる。

「変なことすんなよ」

『お前俺のことなんだと思ってんだ?』

「脳みそ下半身直結野郎」

『うわぁ、ひでぇ言われよう。俺が何したっつーんだァ?』

「何もしてねぇとは言わせねぇぞ」

『あー、まぁたしかに』

じろりと睨まれて目を逸らす。

なんだかんだ一緒に向かう気らしく、こういうところが危機感がないんだよなと思いつつ大浴場にたどり着いた。

普段はもう閉まってる時間だからひと気がなくて、静かな脱衣所にさっさと服を脱いで洗い場に向かう。不動も静かについてくるから内心ため息を零して、洗うことに集中する。

さっさと洗って、髪を整えて、がらっと開いた扉にまたこのパターンかと息を吐いた。

『お前かよ』

「やっぱり来栖がいたのか。開いてたからそんな気はしてた」

『こんな時間に風呂はいんなよ』

「ついボールを蹴ってたら汗をかいてな。不動もか?」

「……ああ」

にこにことしてる豪炎寺が勝手に横に並ぶ。ひねったノズルに合わせて出てきたお湯をかぶって、豪炎寺がシャンプーを泡立てて髪につければ不動が顔を上げた。寄せた眉根に不動はすっと歩きだして、浴槽に入る。

「…………」

後ろからじっと見つめてくる視線は何か言いたげで、それに気づいてない豪炎寺は楽しそうに頭を洗いきって、そうだと俺を見た。

「もらったオイルも使ってからさらに髪がサラサラになったんだ」

『ふーん、合ったんなら良かったなァ』

「やっぱり一式揃えてるといいんだな。匂いも続くし」

『お前それしか言ってなくね?』

「いい匂いだからな」

『あっそォ』

嬉々としてる声に息を吐いて、ボディソープに手を伸ばしたところで、一瞬躊躇う。考え過ぎだとは思いつつ、持ってきてた布に出して泡だてればぱっと視線が向いた。

「なぁ来栖」

『お前ほんといい加減にしろよ』

「え、なにか悪いことしたか?」

『はあ〜…』

自覚がないらしいそれに匂いフェチもここまで行くと感心してしまう。

体を洗ってる間に手が止まってる豪炎寺に、さっさと泡を流して、取ったシャワーを向ければぐふっと声がした。

「ま、なん、?!」

『さっさと流して体洗って出てけ。時間外に開けてもらってんだから時間気にしろ』

「わか、っぶ、水、ぐっ」

一通りコンディショナーが流れたのを確認してシャワーを戻す。顔を拭ってる豪炎寺の持ってるタオルを取って濡らし、そこにボディソープをつけて投げ渡した。

「いいのか!」

『よくねぇよ、くそが』

「そうなのか?」

『二度はねぇぞ』

使いかけのボトルを豪炎寺の持ってきてるカゴに乗せて手を濯ぐ。そのまま浴槽に入れば不動の視線が上がって、胡乱げな目を向けられた。

「道理で同じ匂いするわけだ」

『気色わりぃこと言うな。彼奴が真似てきてんだよ』

「やってんのお前だろ」

『いちいち口頭で伝えるほうが面倒だから使いかけくれてやっただけだァ』

「…へー」

細められた目、いつもはふわふわとしてる髪が濡れてぺたりと張り付いている様子に随分と幼く見えるなと組んでる足を変えて、そうすれば向こうから洗い終えたらしい豪炎寺が満足そうに同じように湯に浸かった。

「ありがとう、来栖。今度何かお礼させてくれ」

『要らねぇから匂いについて口にすんな』

「どういうことだ?」

『お前が匂いの話すんから虎と立向居も感化されて嗅いでくるようになったんだろ』

「…違うぞ?」

『はあ?』

「来栖からいい匂いするって話は…ああ、そうだ、吹雪が最初にしてたんだ」

『はあ??』

飛び出してきた名前は予想していなかったもので、豪炎寺はいつだったかなと記憶を探る。

斜め上を見ながらそうだと手を叩いた。

「韓国戦の前だったと思う。みんなで風呂に入ってたらシャンプーの匂いの話になって、吹雪が来栖のタオルがいい匂いしたって話していて」

『タオル…?』

「ああ。借りたときだか拭いてもらったときだかにすごくいい匂いがしたって。それでそもそも来栖っていつも少し甘いようないい匂いがするって、俺と風丸と緑川と飛鷹も同意して、あ、そういえば綱波もすごく頷いてたな」

『…なんだよその地獄みてぇな会話』

「楽しかったぞ?それから虎丸と立向居は気づかなかったのが悔しいから確認するって言ってたし……あ、円堂が未だに近寄れなくてわからないと言ってから嗅がせてやってくれ」

『やだ』

「やっぱり駄目か」

楽しそうに笑う豪炎寺に信じられねえと痛む頭を押さえる。なんとも生産性がなくてしょうもない話をしてるのか、日本代表会話のタネに頭痛がして視界が霞む。

『まじ、信じらんね…』

「そうか?割とみんな納得してたし同意してたぞ?」

『はあ………不動…お前、これ知ってたのか…?』

「聞こえてはいたけど会話には参加してねぇ」

「不動と鬼道は洗い終わるとすぐ出ていくもんな」

「お前らに付き合って逆上せたくねぇ」

「会話するの楽しくないか?」

「楽しいかどうかは別として、なんで他人の匂いの話で盛り上がってんだよ」

「だっていい匂いじゃないか」

「そういうことじゃねぇだろ…」

二人の会話に概ね不動に同意で、そんな会話を人の知らないところでするなと言おうとして、やめる。

豪炎寺のことだからそれなら今度から来栖のいるところでするなと言いかねない。

ため息をついて、それから、がんがんとした頭の痛みと狭くなってく視界、来栖?の不思議そうな声が遠くなって、目を閉じた。







「まったく…」

聞こえる声に目を開ける。ぱたぱたと聞こえるのは扇いでる音らしく、目を開ければ送られてる風が一度止んで顔をのぞき込まれた。

「諧音、体調はどうだ」

『みち、や…?』

「逆上せて倒れたんだぞ」

『あー…?』

あまり覚えがないけど、最後はすごく暑かったし、頭が痛くてくらくらしたのは会話のせいじゃなかったらしい。

体と、それから額にも乗せられてたらしいタオルが外されて様子を見られる。

「水は飲めるか」

『ん』

支えられて起き上がればかけてただけのタオルが落ちる。脱衣所らしいここに時計を見ればあれから十分ほど経ってた。

差し出されたカップにささったストローを咥えて水分を吸う。体温と同じくらいの液体に目を瞑って、開けた。

「違和感は」

『ねぇ』

「そうか」

カップを俺に持たせるなり立ち上がった道也はカゴを持ってきて、俺の服が入ってるそれを横に置いた。

「急に食事を取って長湯をしたからのぼせたんだろうが、今日はもう大事を取ってすぐに寝るように」

『んー』

液体をちみちみと飲んでいればとりあえず着ろと下着が投げられたから受け取って足を通す。その間にシャツを持った道也がこちらに寄ってきて広げるから片手を上げれば袖が通されて反対も同じようにされる。

少し前にも風丸にしてもらったそれに道也は慣れたようにボタンを留めていって、聞こえたノック音とほぼ同時に開いた扉に不動は俺を見るなり目を細めた。

「また世話焼かれてんのかよ」

『これは合法だろ。なぁ、道也』

「ほう…?違法の場面があったのか?」

『ちげぇから怒んな。今は頭に響く』

「はあ。…足を上げろ」

『ん』

ストローから口を離さずに着替えをしていれば不動は息を吐いて、持ってきてたそれを置く。中には新しい飲み物とタオルがあって、半乾きでまだどことなく落ち着いた髪といい、看病を手伝ってたんだろう。

『わりぃな』

「別にいい」

空のカップが取られて、そこに飲み物が注がれて渡される。また液体を啜っている間に立ち上がった道也が俺の髪に触れた。

「ほとんど乾いてるな」

『明日やる』

「ならもう寝なさい。それとも来るか?」

『あー…、いい。部屋で寝る』

「わかった。なにかあればすぐに連絡しろ。それから明日は寝過ごすなよ」

『明日から朝練すんから多分平気』

「そうか」

使い終わったタオルをまとめた道也は小脇に抱えて、俺も立ち上がってしっかりとズボンを履く。

一瞬ぐらついた視界に目を押さえて、離した。

「諧音」

『大丈夫』

「はあ。…悪いが不動、部屋まで送ってやってもらえるか」

「………行くぞ」

『ああ』

俺の服をつまんで引いたから歩き出す。脱衣所を出てゆっくりと進んで、揺れる毛を眺めながらそういえばと口を開いた。

『なんで道也居たんだァ?』

「豪炎寺が呼び行った」

『あー、なるほどなァ』

「お前逆上せやすいなら浸かるなよ」

『普段はそうでもねぇ』

「…本当、世話が焼けるやつだな」

ぽそりとこぼした不動は階段と告げて段差に足をかけて登る。随分とゆっくりと時間をかけて登りきり、部屋の前について、足を止める。

振り返りもしないし、離されもしない服に、目を瞬いた。

『どうした?』

「…………」

視線を左右に動かして、口を開いて、閉じて。何かを迷ってるらしい不動は俺が見えてることはわかってないからか随分とわかりやすく顔を歪めている。

待っていればぐっと目をつむった不動が洋服を離して、手を自分の胸元にやると握った。

「お前、本当になんともないのかよ」

『あー、たぶん』

「…たぶんでなんかあったらどうすんだよ」

『まぁそんときはそんときだけど…』

不動はまだなにか迷ってるらしい。つむられてる目と握りしめられてる手のひらに頭を掻いて、あ、と声がこぼれた。

『不動』

「…なんだよ」

『今日俺の部屋で寝ろよ』

「、は」

『前みてぇにいきなり言われて夜来て床で寝るくらいなら、最初っから一緒に寝たほうが楽だろ?明日から朝練すんならそのほうが起こす手間も省ける』

ぱっと開かれた目と、緩んだ手。さっと血の気の戻ってきて血色がいいくらいに赤くなった目元に不動はうつむいて、歪みそうになった唇を噛むと顔を上げた。

「本当に来栖クンは手がかかんなぁ。しょうがねぇから今日だけ一緒に居てやるよ」

『おー、頼むわァ』

扉に手をかける。開けた扉の向こう側は出てきたときとやっぱり変わってないから、持ってた入浴セットだけ片付けていれば開けたままの扉から枕を持った不動が覗いた。

『さっさと寝んからこっち来い』

「なんで偉そうなんだよ、ったく…」

扉を閉めた不動は迷わず鍵をかける。癖なのかなんなのか知らないが、本当に危機感の薄いやつだなと思いつつ振り返った。

『奥と手前どっちがいい』

「どっちでもいいけど…お前寝相は?」

『悪いって言われたことはねぇけど不動はァ?』

「少なくともベッドから落ちたり頭の向きが変わってることはねぇ」

『ならどっちでもいいか』

壁につけるようにして置いてあるベッドに、何かあったら逃げ出しやすいだろうし、俺が奥の方がいいだろうと思いながらタオルを引き出そうとして、さっさとベッドに乗り奥を陣取った不動が布団に入ろうとするから息を吐く。

『お前ほんと危機感ねぇよな…』

「は?」

きょとんとしてる不動になんでもねぇと零してタオルを出すのを止める。携帯を片手にベッドに向かって、不動が壁側に向いたまま携帯に触れてるからスイッチに手を伸ばした。

『消すぞ』

「ああ」

すっと消えた照明に、不動の携帯の光だけが浮かぶ。目印があるからまっすぐとベッドに進んで腰掛けた。

『明日何時に起きんだァ?』

「五時…15分くらい」

『はや…』

「ちゃんと起きろよ」

『んー、がんばるわァ』

暗くなればすぐに睡魔が襲ってくる。欠伸をして目元を擦って、布団に潜り込めば不動が肩を揺らした。

今更近いことに気づいたらしくわかりやすく固まってるから、出入り口に顔を向けるように不動に背を向けた。

『おやすみィ』

「、ああ」

小さな返事に目を瞑る。今日一日眠っていたけどやっぱりまだ眠いらしい。

すぐに落ちた意識に後ろで身動ぐ音がした、







規則正しい寝息。聞こえなくなった声にもしかしてと体を起こす。

「まじで寝てやがる…」

閉じられた瞼は開く気配がないし、なにより普段より気味の眉間の皺がないから熟睡なんだろう。

「お前一日寝ててまだ寝れんのかよ…」

つまらなくなって、手を伸ばす。触れた髪はさらさらとしていて、でもいつもよりも柔らかい。乾かさずに寝てるからまだ少し水気を帯びてるせいだろう。

ふわりと届く香りも強くて、手を止める。

「………ばっかみてぇ」

豪炎寺と同じ匂いだと気づいたのはこの国に来てからだった。もともと豪炎寺と一緒にいる機会が少ないから気づかなかったけれど、集団行動を強いられていればそのうち鼻につくもので、最初は気のせいかと思ったそれに正解を見せつけられた。

「…お前、って、本当に…」

ぶっ倒れた来栖に顔色を変えてタオルも巻かずに飛び出していった豪炎寺の慌てよう。慣れたように世話を焼いて小言を零す風丸。それからつい先日の詰め寄る宇都宮の目。好きだと言って笑い合い部屋に入る綱波と来栖の姿にまた目の前が歪んで、

ボール越し、愛おしそうに優しく呼ばれた名前を思い出して唇を噛む。

「寝てんじゃねぇよ、ばか」

こっちは死ぬほど心臓が痛かったというのに、呑気に眠る姿にまた胸を押さえて、布団に入る。熱い目頭に目を瞑って、零れそうな声を殺す。

後ろから布の擦れる音がして、目を開ける。そっと振り返れば、寝返りをうったらしい来栖の顔がこっちを向いていて、睨むより早く、微かに開いたオレンジ色が俺を捉えた。

「ぁ、」

『ん…』

伸びた手が髪に触れて、抱え込まれた。

「は、」

『んー…』

寝ぼけてるらしく緩く意味のない音を零してる来栖がくっついてきて、強い匂いに思い出したみたいに心臓が早く動き出すから手に力を込める。

「く、来栖、離せ、」

『やだ…』

「は、!?」

縋るみたいに回されてる腕に力がこもって、顔が首元に擦り寄せられる。触れる毛先にくすぐられてるような妙な痒さに熱が上がって、肩を掴んで押し返そうと思えばさらに力がこもる。

『……__いで、』

「は?」

『いかな、で…』

「何言ってんだ…?」

『……__あ、…ここ、に……』

くっついたままの来栖のこれは寝言のようで会話にはならない。でも離れてほしくなさそうな声と強すぎるくらいの力に息を吐く。

「手ぇかかりすぎだろ、お前…」

すーすーと聞こえる音にやっぱり寝てるのかよと、気づけば心臓の高鳴りがおさまって、仕方なく手を伸ばす。

「……今日だけだからな」

髪に触れれば力が抜ける。穏やかな寝息にため息を吐いて、緊張してるのが馬鹿らしくなったから俺も目を閉じる。

「あったけ…」

人の熱を感じながら眠るなんて、もう何年もなかったそれに自然と意識がぼやけていき、甘い香りに包まれながら眠りについた。


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