イナイレ
携帯が揺れてるのか硬い机の上を這う不愉快な音。
寝ぼけてる俺の頭を無理やり起こそうとするその不愉快きまわりない音に手を伸ばして、捕まえる。
光で目が痛み、霞み気味な視界で耳にあてた。
「Hello! Kaito!」
『…………』
「Kaito? Um... Hello? Are you there?」
全く持って聞き覚えのない声に、一度耳から携帯を離して見れば表示されてる時計は5時を少し過ぎた時刻で外も暗い。
「Can you hear me okay?」
『…………』
「Hello!!!!!」
叫び始めたから通話を切って、着拒までなんとか作業をして、そこで力が尽きたからそのまま携帯を持って寝落ちた。
☓
「……―っせ」
腕の中でなにかがもがいてる気がして目を開けないまま手を伸ばし、頭に触れる。
「―い―…てめ、……な―っ!?」
たぶん彼奴が先に目を覚まして騒いでるんだろう。宥めるのに額に唇を押し当てて、頭を撫でてから絡めた毛先に触れて微睡んでれば、反転して背中に痛みが走った。
目を開ければ天井が映って、右側に布団、その上には息を荒らげてる風丸がいる。
『…………―か、まる…?』
頭が回らない寝起きは敵だ。
どうしても夜に動きまわるくせがついてしまってる俺には合わない。
『…―んで、…?』
「な、なんでって、電話かけてきたからだろ!?」
『…………?』
落ちたときの衝撃と、床に寝て続けてるのもあってか体が痛む。回り始めた頭にゆっくり起き上がった。
枕元に投げられた携帯を拾い上げて画面を見れば通話が終了したと通知があって、発信先は風丸だった。こんな電話かけた覚えがないなと首を傾げて、顔を上げれば顔を真っ赤にした風丸が俺を睨んでる。
『よくわかんねぇけど、寝ぼけて電話して悪かったなァ』
立ち上がって頭を押さえる。
さっき見た時間じゃ六時ちょいで、あの訳がわからない非常識な電話から一時間程度しか経ってない。
くらくらする頭の中にもう一度寝直そうかとベッドに手をかけたところで、まだ動かない風丸を眺めた。
『……つか、なんでベッドの上にいんだァ?』
「~っ!」
風丸が顔を真っ赤にして、手を振り上げる。
布団を右手に、携帯を左手に持った俺は反応が遅れて、肉がぶつかる音がして左頬が痛んだ。
『、くそっ』
口の中が切れなかったのは幸いか。
コーラを一気に飲んでテーブルに叩きつけるように置けば、向かいに座ってた不動だけじゃなく近くの席の奴らが肩を揺らして俺の様子をうかがった。
「……大丈夫かよ」
『は?大丈夫に見えんの?』
「み、見えない」
『チッ』
不動がキョドってるのは俺の八つ当たりのせいだってのはわかってるが、イライラしてしかたない。
風丸は飯を食い切るなり円堂たちとさっさと部屋を出て行ってて今は姿が見えず、深く息を吐く。
今日は何もやる気が起きないし、やったとしてもうまく行く気がしない。立ち上がって視線を落とす。
『…わりぃな、不動』
形がいい頭に手を伸ばして、ふわふわした髪ごと撫でて食堂を出た。
こういう日は寝るに限る。足早に自室に帰ってベッドの上に転がる。自然と触れた背中と頬に痛みがぶり返したから起き上がって息を吐いた。
眠れないのなら、いつの間にか買ったまま封も切ってなかった新作のゲーム取り出してベッドに戻る。インストをひと通り終わらせてそこからランク上げを始める。
『グラフィックは荒いけど…意外とやり込み要素あんじゃん』
当たりらしいゲームに自然と口角が上がって、そのままゲームに集中することにした。
☓
ま、こんなもんか
最高難易度のパーフェクトクリアをしたところで一度目を閉じた。
これなら今日中に全曲オールパーフェクトもいけるだろう。
目を開けると、斜め横後ろから覗きこむようにあった頭に言葉を失った。
拍子に押したのかゲームが音を立てて、目線を下にする。始まってしまったゲームにさっきまでと同じようにボタンを打ち込んで、顔を上げた。
『なにやってんだ、お前』
「ひっ!?」
化け物でも出てきたみたいな悲鳴をあげられて舌打ちが出かける。
少し下がり距離をとられ、眉をひそめた。
『………』
「あ、え、えと、その」
忙しなく手を動かし、目線を彷徨わせた不動の様子を眺める。
最近なにか言おうとしては飲み込んで、すぐに視線を落としてた不動は目の前にいて妙に生き生きとしてる。
言いたいことでも纏まったのかと持ってたゲームを横においた。
『用かァ?』
「よ、用っつか、…へ、変だったから」
『はァ?』
「あ、朝、変だったから、気になって…!」
言い切ってやったみたいに荒い息を吐く不動を眺める。
『そんなこと気にするような奴だったっかァ?』
「、」
不動との交流は、俺の方から手を出したとはいえ、改めて振り返ってみても不動の行動はさすがに予想外で奇行の域だ。
『………で?』
「…様子、見に来た?」
目を泳がす不動にそれ以上何言っても答えは得られない気がして、ゲームの電源を落とす。
「頬、もう痛くねぇのか」
『元からさして痛くねぇよ』
そうかと肩の力を抜く不動に、息を吐く。この間もそうだったけど、人のベッドの上でゆるい笑みを浮かべて、こいつは俺に喰われかけたのを忘れてんのだろうか。思えばいくらイライラしてたとはいえ、自分でも引くレベルの力で歯を立てた覚えがある。
その後のきょうじ紹介、バイクに乗れたことでこいつの中ではあれは帳消しにされたんだろうか。
いつの間にか長袖とタートルネックを辞めた首筋には、かさぶたひとつ残ってない。
「く、来栖?」
『なんだァ』
「え、いや、なんだじゃなくて」
『はぁ?はっきり言えよ』
「は、はっきり、っ、んっ、」
歯を立てるとわかりやすく肩がはね、くぐもった声が漏れた。一度、痕も残らない程度に噛んで首筋から離せば真っ赤になった不動の顔が目に入る。
『初々し』
「っ、ふざけんなっ」
振るわれた右手を掴んで、手前に引きながら押し倒す。ベッドの上だし頭は打たないだろう。
見開いた目に、俺が映ってた。
暴れたことで少しだけ捲れてる裾から手を入れて、腹の上に置く。
「っ、めた…っ」
『ゲームしてたからなァ』
「お前、…くそっ、触んな!」
『の割に、抵抗弱いけどォ?』
掴んだままの不動の手が強張り、顔には赤みが増す。開発も何もしてない体は触られても歯がゆそうに藻掻くだけで、面白みも何もない。
上着から手を抜いて、そのまま下に伸ばす。
寮とは違い、手洗い場が遠くにあるからせめてもの抵抗で直じゃなく布越しに押さえた。
すでに硬めの感触に口角が上がる。
「ふざけ、ふっ、んん」
唇を押し当てても、目を見開き真っ赤な顔して固まるだけの不動はキスの1つもしたことがないのか。
一度押し当ててた口を離す。
『口開けろ』
「っ、」
視線を落としてから瞼を下ろして、恐る恐る開いた口からは赤い舌が覗いて、イイ子と褒めてから口をつけた。
何度か感触を確かめるように重ねて、身体の強ばりが解けたところで舌を忍ばせる。奥に縮こまってる不動の舌を舐めた。
大袈裟なくらいにはね上がった肩を見て、あまりの初々しさに掴んでた腕を離し、代わりに頬を撫でる。
「ん、っ…ふぅ」
慣れないのか息継ぎもうまくできないようで、小さく声をこぼしながらも酸素が足りないのかぼーっとしはじめた不動の手が、すがるように俺のシャツを掴んだ。
感覚が追いついてない姿に触ってた手を止めて、代わりに握りしめてる手を取って繋ぐ。一度、口を離した。
『不動、目ぇ開けてちゃんと息しろ』
「っ、ん、はぁ」
開かれたオリーブ色は涙が滲んでいて、呼吸のたびに赤い口内と白い歯が見える。
『大丈夫そーかァ?』
「………はっ!…よ、ゆう、だ!」
『ふぅん?ならもっかい』
挑戦的に光った瞳は精一杯の虚勢だろうけど、分かってて口を塞ぐ。ぎゅっと瞑られた目と力の入った服を握る手。それでも必死に口を閉じないようにしているのが健気に思えて、このまま食べてしまってもいいかなと、ガチギレした道也にする言い訳を考えながら目元に滲んで溢れかけてる涙を拭って頭を撫でる。
「っ、ぁ、くる…す」
上がった瞼からぼろりと落ちる涙と蕩けた瞳。それから上擦った声、繋いでる手に篭った力。不安と期待の入り乱れた姿に食べてしまおうとわざと舌の表面を擦るように撫でて、思わずといったように跳ねた不動の身体をベッドに押さえ、こんこんと、扉の叩かれる音を耳が拾った。
いつもこれからってときに邪魔が入る。
更にもう一度、硬い扉を二回叩く音に口を離さず視界だけ扉に向ける。
不動はいっぱいいっぱいで聞こえてなかったのか、息苦しそうに顔を赤くしたまま応えてて力が抜けてない。
入ってきたときに不動が鍵はしめたのか、相変わらず施錠されてる扉になんでこいつわざわざ閉めたのかと思いつつどうしたものかと考える。
またノックされて、仕方なく口を離した。
垂れた唾を舐めとって、一回軽く唇を重ね、すぐ離して目を合わせる。
『静かにしてろよォ』
「、ぉぅ…?」
『イイ子』
急かすみたいにまた響いたノックに不動はようやく気づいたのか、肩を跳ねさせた。
『誰だァ?』
「、来栖、いるならさっさと返事しろよ!」
扉越しのくぐもった声はすっかり聞き馴染んでる風丸のもので、時計を見上げれば大体昼休みに入って少し経っていて、不動と違って、昼飯にやってこない俺を呼びに来たんだろうと当たりをつけたところで、えっと、と外から戸惑うような声がした。
「あー、その、昼飯…一緒に食べないか?」
『はぁ?どういう風の吹き回しだ?』
「た、ただの気紛れだ!」
『ふーん。パス』
俺の下ですっかり顔の赤みを引せて、俺と風丸のやりとりを見てる不動の額に唇を落として、驚きにか声が零しそうになってたから口を塞いだ。
「なっ、…いいから!一緒に行くぞ!」
「んっ、はぁ…」
扉の外の風丸の怒声と不動の吐息が混ざる。
朝一に何故かブチ切れて人の顔をはたいていった風丸は、ずっと怒ってるようで目も合わせてこなかったのにどういうつもりなのかまったくわからない。扉を叩いてくることはないけど、ずっと外で騒がれるのは面倒だ。
ずっと唇を重ねてたせいで酸欠でくたりかけてる不動から口を離した。
『いーから行けっての。サッカーバカ共が待ってんだろォ?遅れたの俺のせいにされちまったら堪んねーわ』
「べ、別にいつも彼奴らと食べる約束してるわけじゃないし!」
突っかかってくる風丸に眉間に皺が寄る。今日は妙に、いつも以上にしつこい。
『あー、わかったからもうさっさと行けよ。うるせぇんだけど』
「っ」
静かになった扉の向こうにやっと諦めたかと心中でため息をついて、不動にまた、今度は短く口づけてから体を起こした。
興は醒めた。不動も練習抜けだしてんだろうし、試合直前の人間に負荷をかけるのはよくない。道也にぶつくさ言われるのは死ぬほど面倒だから、逃してやることにした。
わしゃわしゃと不動の頭を撫でれば、目を丸くして固まってる。
「来栖、怒ってるのか」
『あ?』
外から聞こえてきた声はさっきよりも随分と勢いがなくなってた。
『まだ居たのかよ。つか、怒ってるってなにがァ?』
「殴ったこと、怒ってるのかと思って」
そういえば風丸にビンタかまされたんだっけと頬を撫でるも、腫れも痛みもほとんど引いてるからいつも通りの顔があるだけだ。
起き上がった不動は扉の外と俺を見て、またなにか言いたそうな顔をしてる。
『別に、あんなの殴られたうちにも入んないしキレてねぇよ』
「………来栖、本当に電話してきたこと覚えてないのか?」
『覚えてねぇ』
「その後も、全部か」
『後ォ?さっきからお前なんの話してんだァ?』
「あのさ、来栖、お前、その…俺に――――…」
覇気も威厳もない、脆い声で言われた先に、誰よりも早く反応して俺を突き飛ばしたのは不動だった。
がんっと音がして頭は打たなかったものの背中を床に打ち付ける。朝よりも勢いがあるそれに肺が押しつぶされたような感覚に喉が鳴って、息を吸おうとすると咳が出た。
『かはっ、げほっげほ』
「来栖?」
噎せる俺の横を不動はベッドから飛び降りるなり手早く鍵を開けて、部屋から飛び出す。
「ふ、不動!?」
いきなり開いた扉に驚いてる風丸の横をすり抜けて走っていく足音は遠ざかり、聞こえなくなった。
『げほっ、あのやろ…っ』
「来栖、何があったんだ?」
『し、るか!』
少し迷ってから中に入ってきた風丸に背中を擦られ、ようやく息を吸った。
☓
結局背中に貼った湿布は取れず、この異国の地に降り立って初めての試合を迎えた。
じんじんと痛む背と周りの腫れ物を扱うような微妙な視線。いつも通りなのは俺と絡んでた年下組と条助、それから円堂、豪炎寺くらいだ。
なんとなくいらいらするから髪をかき混ぜて、ふいに視界に影が入る。
「諧音さん!諧音さん!」
「あ、あの、諧音さん!」
ぴょこりと跳ねるようにして俺の前に来た二人に視線を落とす。二人はこれ!とそれぞれ持ってたものを差し出した。
「お、俺達で作ったんです!」
「必勝と安全祈願です!おそろいなんですよ!」
ほら!っと見せられる立向居と虎の手首にはミサンガがついていて、差し出されたものと見比べる。虎は青、立向居は黄色を持っていて、糸で編んで作られてるそれと、きらきらした二人の目に思わず笑った。
『わざわざ作ってくれたのか?ありがとな』
「と、虎丸くんとがんばりました!」
「そうなんです!だからいっぱい褒めてください!」
『おー。編み目もきれいだし二人とも頑張ったんだな。つか、本当にもらっていいのォ?』
「「はい!」」
『…こういうのもらったことねぇから、すげぇ嬉しい。ありがとう』
「「………!」」
目を見開いてきらきらさせる二人の頭を撫でる。小さな子犬が懐いて擦り寄ってきてる感覚にささくれだってた心が落ち着いて、これがアニマルセラピーってやつだろう。
手を下ろせば二人は顔を上げて手を出した。
「諧音さん!よかったらつけます!」
「どこにつけますか!」
『じゃあ手首で』
「あれ?足じゃなくていいんですか?」
『いつも見えたほうがいい』
せっかく作ってくれたものなら常に見ていたし、見せびらかしたい。条助あたりはひどく嫉妬しそうな気もするけど、それはそれだ。
左手を差し出せば二人が順番に糸を通す。細めで作られたシンプルなデザインは二つ重ねてつけても違和感はないし、邪魔にもならない。虎丸は楽しそうに、立向居は少し緊張しながら結んで、終わったところで窺うように見上げてきた。
『ん。ありがと』
改めて髪を撫でれば二人は大成功と手を叩いて笑う。一体いつから計画してたのかはわからないけど、二人の行動に口元が緩む。
『今度二人には改めてお礼しねぇとな。何がいい?』
「そ、そんな、お礼なんて、」
「諧音さんが喜んでくださっただけで十分です!」
慌てる虎と立向居に頭の中でこの辺りの地理を考えて、二人の好きなそうなものと組み合わせる。
『次の休み、出かけて、ついでに飯食って帰るか?』
「「いいんですか!??」」
『当たり前だ。そのぐれー貰ったものに価値があるから、しっかりお礼させろ』
あまりの食いつき具合にもう一度ずつ頭を撫でて、手首に揺れる青と黄色に気持ちが落ち着く。
『まぁさっきのは一例だから、この試合終わったらゆっくり欲しいもん考えて教えてくれ』
「はい!わかりました!」
「がんばります!」
『いい返事だァ』
ぽんぽんと最後に撫でて手を下ろす。はしゃいでる二人にはそろそろ時間なのか道也が顔を上げた気配がしたから背を押して、バスに乗り込ませる。
「なぁ諧音!俺は??」
『てめぇからは貰ってねぇんだから礼もなんもねぇよ』
ずっとこちらを見ていた条助は二人がいなくなるなり突進するようにくっついてきて切り捨てる。
ぶーぶーと頬をふくらませる条助の額を叩き一緒に歩き出す。
「じゃあ隣の席!」
『…あんまり騒ぐなよ』
「よし来た!!おうよ!!」
『だから騒ぐなっつーのォ』
移動用のバスの中。普段ならば俺の隣はいないか不動かなのだが、今日は勝手が違う。
俺の隣には条助が、不動は通路を挟んで真反対の窓際に座ってた。
ゆるゆると俺の髪に触れてる条助は口を開く。
「諧音、諧音」
『なに』
「俺、頑張るな!だから頑張ったらご褒美くれよ!」
『勝手にしろ』
息を吐いて目を瞑れば、じゃあ勝手に頑張ると再度告げて楽しそうに笑う。
髪に触るのはもう満足いったのか離れていった指先に名残も何も感じられなくて、息を吐いた。
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