DC 原作沿い
「パリジャン」
聞き馴染んだ声に顔を上げる。にこにこと笑ってるのはすっかりと見慣れたあごひげで、目元を擦りながら体を起こした。
『スーくんおはよー』
「おはよう。元気?」
『んー、普通?』
「そっか」
とても嬉しそうに頷くスーくんは仕事じゃない日だったのか、特に近くに仕事道具たちは見当たらなかった。
「パリジャン、お腹空いてる?」
『まあまあかなぁ』
「…もしかしてもう昼食べた?」
『んーん。何も食べてないよー』
「どのくらい食べれそう?」
『程よくー』
斜め上を見て、よしと笑ったスーくんはあっちと指を差す。
「ちょっとキッチン借りるね」
『……もしかしてスーくんが作ってくれるの?!』
「うん。できたら声かけるから寝てても平気だからね」
『はーい!』
キッチンに向かったスーくんに手を振って見送る。俺の家にはキッチンがついているけど俺自身が使うことはほとんどなくて、使ったとしても水を飲むときに蛇口をひねって汲むとかその程度で、まれにキーちゃんとキューちゃん、それから志保ちゃんと明美ちゃんにもらった食べ物を温めたりするのに電子レンジの電源を入れたりする。
滅多に人の立たないキッチンに人の気配があるのはなんだか新鮮で、軽快なリズムで包丁がまな板に触れる音が不思議で仕方ない。
何を作ってくれるのか聞いておけばよかったかなと思いつつ、スーくんの動きにあわせて聞こえてくるかすかな音に耳を傾けて一つずつしっかりと拾う。
箸が触れる音、なにかを火にかけてるらしくグツグツと液体の沸いた音もする。
コンコンと音がしてそちらに視線を向けた。
「よー。パリジャン」
『あ、アイくん、おはよ〜』
「おう」
ゆったりと近寄ってきたアイくんは俺の真横まで来たと思うと頭に手を乗せて左右に動かす。わしゃわしゃとかき混ぜられた髪の毛に目を瞑って、手が止まったからまぶたを上げれば目があった。
「誰か来てんのか?」
『スーくん』
「あ?キッチン使ってんのか」
『うん。昼ご飯作ってくれてるの!』
「へぇ」
ぱちぱちとまばたきをしたアイくんはキッチンのある方角を見てから俺に視線を戻す。
「何作ってんだ?」
『わかんない』
「聞いてから作ってもらえよ」
食えねーもんあったらどうすんだ?と息を吐かれてそれもそうだと頷いて立ち上がった。
『スーくんに聞いてくる!』
「おー…あ、急に声かけんじゃねぇぞ、危ねぇからな」
『わかった!』
キューちゃんも包丁と火を使ってるときに後ろに立ったり大声を出したら殺すと言われたし、料理は危険がいっぱいだ。
そっと覗いてみればスーくんは洗い物をしていて、目を瞬いた。
『スーくん、スーくん、今話しかけて平気?』
「パリジャン。平気だよ、どうしたの?」
『あのねあのね』
近寄ってみて、包丁が片付いていないのと火がついてるのを確認してから首を傾げた。
『何作ってくれてるの?』
「普通の和食だよ」
『和食?』
「うん。パリジャンの口に合うと良いんだけど…」
和食というとベルねぇさんが食べさせてくれた会席料理やキューちゃんの作ってくれる手料理が思いつくけど、スーくんはどんな料理を用意してくれたんだろう。
『わかった!あっちで楽しみにして待ってるね!』
キッチンから出て、椅子に座って頬杖をついてるアイくんの膝に座った。
『アイくん!アイくん!あのね!和食なんだって!楽しみだね!』
「え、アイリッシュ?」
「和食かぁ。酢の物が出ねぇといいなぁ」
『そうだった!俺酸っぱいの好きくない!』
酢の物の、あのお酢のツンとした臭いがどうしても苦手だ。
言うの忘れてたなぁと思って顔を上げればキッチンから顔を覗かせてアイくんのことを驚いたように見てたスーくんが笑った。
「酢の物ないから大丈夫だよ」
『そうなの?!』
「うん。ほら、お酢の臭い得意じゃなかったでしょ?」
『そうだよ!スーくんよく知ってるね!!』
「…この間中華料理食べ行ったときに言ってたでしょ?」
『そっかぁ〜』
あんまり覚えてないけど、中華といえばいろんな料理にお酢を使うし、もしかしたらそんな会話をしたのかもしれない。
アイくんが良かったなぁと俺の頭に手を置いて、スーくんは迷うように視線を動かす。
「えっと…アイリッシュも食べてく…?」
「あー…んや。俺は腹減ってねぇからこいつにしっかり食わしてやってくれ」
「そ、そう…」
ほっとしたように息を吐くのは緊張してるからだろう。そもそもアイくんとスーくんはどのくらい面識があって仲がいいのかも知らない。
「よそってくるね」
すっとキッチンに戻っていったスーくんにアイくんを見上げた。
『ねーねー、アイくんとスーくんて仲良し?』
「あー、仲良しっつーか、普通に顔見知りだな」
『そうなんだ?いつから?』
「オメーが寝込んだときに少しだけ話した」
『あー!そういえばあのときスーくんとバボくんもお見舞い来てくれたもんね!』
俺の家に来るには誰かの許可が必要で、顔合わせのときにジンくんが連れてきたのならみんなはまだ俺の家の鍵を知らなかったはずだ。
お見舞いに来てくれたのならあのときずっと一緒だったベルねぇさんかアイくん、もしくはその両方から許可を得てるはずで話したこともあるだろう。
それ以外で一緒に仕事したとかはあまり聞かないし、アイくんのどことなく警戒してるような、ピリついた空気的にそれ以来話してないみたいだ。
『アイくん、スーくんとバボくんと仲良ししないの?』
「俺はいーんだよ。お前は他の奴らと仲良くするようにな」
『はーい!』
いい返事だと頭が撫でられて、そうすればちょうどよく足音が近づいてきた。
「本当にパリジャンはアイリッシュと仲がいいんだね」
『うん!俺!アイくん大好きだから!』
「そっか」
ほんの少しだけ、音が下がった気がする。どことなく残念そうな、そんな感じの音が混ざった気のする声色にスーくんはにっこりと笑ったまま持っていた皿をテーブルに置いた。
必要以上に大きな音を立てないように丁寧に皿が置かれて、ふわりとした醤油ベースの香りに目を見開いた。
『味噌汁!肉じゃが!』
「たくさん食べてね、パリジャン」
『うん!いただきます!』
アイくんの膝の上から降りて自分で椅子に座る。
添えられてるスプーンを取って、肉じゃがを掬う。肉はひき肉らしく、とろみのついた餡に近いそれをじゃがいもと掬って口に運ぶ。
柔らかなじゃがいもに染みたしょうゆと、それから生姜の香り。
『おいしい!』
「よかった」
『すごくおいしい!おいしいよ!アイくん!』
「良かったじゃねぇか」
『うん!あのねあのね!あんかけで食べやすくてね!じゃがいも柔らかい!』
「おーおー、気に入ってんなぁ」
『うん!それからねこの生姜の味!すっきりしてて俺ずっとこの味好きなんだ!いっぱい食べれそう!』
「そうかそうか」
なら食えと言われるから大きく頷いてスプーンを動かして食べすすめる。肉じゃががこんなに美味しいのならとわくわくしながら箸に持ち直して隣の卵焼きをつまんだ。
ふわふわしてて柔らかい。半分に切って口の中に放り込んで、思わず熱さに涙が出たけどはふはふと息を吐いて噛んで飲み込んだ。
『おいしい〜!』
「ご機嫌じゃねぇか」
『すっごくおいしいの!!アイくんも食べて!』
「あ」
『はい!あーん!』
「アヅッ」
大きな口にさっき半分にした残りの卵焼きを運んで、アイくんも熱そうにしながらもぐもぐと口を動かしてごくりと飲み込んだ。
「まじだ。うめぇな」
『おいしいね!のりとチーズの卵焼き一番好きー!!』
「変わり種だな…?スコッチ料理好きなのか?」
「…、うん。結構好きで普段からよくやるんだ」
『そうなんだね!スーくんのご飯すっごくおいしいよ!!』
「…ありがとう。パリジャンの口にあったのならよかった!」
無理矢理口角を上げたような笑顔がなんだか不思議で、目を瞬けば、おいと横から声がした。
「さっさと食わねーとせっかく作ってくれた料理冷めちまうぞ」
『え!駄目!あったかいうちに食べる!』
慌てて箸とスプーンを持ちかえながらご飯を食べすすめて、その間ずっと、俺の食べる量に対してよく食うな?と驚いてるアイくんと、どことなく陰がある笑みを浮かべてるスーくんに見守られながら食事を終えた。
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