ヒロアカ 第二部


「そろそろですねっ!」

るんるんと左右に揺れてるトガの口元は弧を描いてる。トゥワイスも大きく頷いて気分を高揚させてた。

ぶわりと靄が広がった箇所に二人がすぐさま立ち上がって駆け寄る。

「出留くんっ、おはようございますっ」

『え、近くない?おはよ?』

飛びつかれる勢いの距離に驚いたものの笑ったイズルはトガの背に腕を回してとんとんと触れると手を離した。その手をトゥワイスに向かって振って、靄が消えたところで二人にそれぞれ腕を引かれた。

「お茶しましょう!」

「最近会ってなかったもんな!話そうぜ!クソ面白くねぇ話は駄目だぞ!」

『はいはい』

準備をせっせとしていたテーブルまで引っ張っていき椅子に座らせると二人も腰掛けて笑う。

「今日はどんなお話をしましょう?」

『二人の話が聞きたいな?最近どう?』

「クソ!全然楽しくねぇ!最悪だ!」

「自由度が低いのは難点です。お買い物も自由に行けません」

即座に非難した二人に苦笑いを浮かべるとイズルがカップに口をつけて息を吐いた。

『そっか。じゃあ今度買い物一緒に行こうか』

「まじか!出留時間作れんのか?」

『んー、まぁ頑張る。楽しみだね?』

「はい!」

「いつだ!?」

『この仕事が一段落したらじゃない?』

「「えー」」

『ははっ、まぁそう遠くないよ。あ、これおいしいね』

「だろ!この間食ってうまかったから買っておいたんだ!」

「じんくんのチョイスに外れはありませんねぇ」

テーブル上に用意されていたスティックラスクを口にしてそのまま会話がスイーツのことに流れていく。

リラックスした空気と弾む会話。調和の取れた空気に見ているこちらのほうが変な気分になって室内のぬいぐるみから抜けていつも入ってるぬいぐるみに移った。

部屋の中にいるのは若と玄野で、こちらを見てどうだったなんて言われるから首を横に振った。

「ありゃあ完全に女子会ってやつだな」

「三分の二男だろ」

「マジだ。玄野も見てきたらわかる」

「見に行ってバレないのはお前くらいだろ」

「監視を続けろ」

「はい」

仕方なく監視用のぬいぐるみに戻って部屋の中を再度見つめる。

離れていたのはものの数分。三分もなかったはずなのにイズルの足の間にはトガが座り、すぐ隣に椅子を引っ張ってきてたトゥワイスがぴったりくっついて何か見てた。

距離感のなさに固まってしまい三人で見てるそれに目を凝らす。

「かわいい!出久くんも出留くんもかわいい!」

「出留ちまっけぇなぁ」

『そりゃあ三歳なんてそんなもんでしょ』

子供が三人、歩いて転んで泣いた頭がもじゃもじゃした子に先を行こうとしてた二人が振り返って手を繋いで歩き始め、撮影者であろう人間の元に歩いていった。

「出留くん!もっとです!もっと見せてください!」

『おー。世界一かわいい出久のデータはむっちゃ入ってるから任せろ』

「彼奴もこんなとこでガキん頃の姿が晒されてると思わねぇだろうなぁ」

ホームビデオの一種だろう動画を眺めて蕩けるように笑うトガと声を上げて笑うトゥワイス。トガを抱えるようにしながらタブレットを操作しながら画像を変えたイズルはまた違うものを再生し始めて今度はプールで遊んでるらしい映像になった。

「プール楽しそうだなぁ」

『今年の夏ももう終わりだけどプールとか海って行ったの?』

「いいえ?私も私達も、そういうところ行かないですよね」

「出留が来なきゃ遊び行かねぇしな。よし!これ終わったらプール行こうぜ!スピナーと荼毘飛び込みだな!」

『あはっ!楽しそうだけどやってくれるかなぁ』

「荼毘くん濡れるの嫌いそうですね」

『そもそも荼毘さんが来てくれるか怪しいね』

「出留くんがお願いすればイチコロです。びしょびしょにしちゃいましょう」

『んん?俺が殺されそうだね』

「大丈夫だろ!まぁいなくてもいいしな!」

敵らしからぬ和気藹々とした計画にお気楽な奴らだと目を瞬いて、トゥワイスが元気よく声を上げる。

「マグネとコンプレスとスピナーは来てくれんだろ!」

『なんだかんだ三人ともこういうの好きそうだもんね。コンプレスの海パン姿とか想像つかないけど…』

「マグ姉は何着るんでしょう?」

「ビキニか!」

「それはないと思います」

急に真顔になったトガにそうか?とトゥワイスが首を横に振った。

タブレットに触れてぱっぱと画面を切り替えてたイズルはなにか検索していて一つの画面で止めた。

『ここ、楽しそうじゃない?』

「温水プールなら秋でも入れますね!」

「貸し切り風呂あんぞ!泊ろうぜ!」

『みんなに聞いてみようか』

「駄目だったら三人で行きましょう」

「まぁ彼奴ら絶対来るだろうけどな!」

「ピクニックの前にプール素敵です!」

「楽しみだな!」

『うん。じゃあ弔に話しておくよ。これが終わったらみんなで行こ』

「はい!」
「おう!」

わいわいきゃっきゃっ。楽しげに行き先を決める三人の会話は平和そのものでこいつら本当に敵かと思うほどに明るい。

「水着一緒に選びに行きたいです!」

「俺が選んであげるぜ!トガちゃん!」

『じゃあトゥワイスのは俺が選ぶよ』

「はい!私は出留くんのを選びたいです!」

「つーか死柄木って水着とか持ってんのか?」

『え、どうだろ。そういえば一緒にプールは行ったことなかったなぁ』

「もし持っていなかったら四人で買いにいきましょうか」

「そんな話したらぜってーマグネとコンプレスも来そうだけどな!」

『プールの前にみんなで買い物でもいいね』

「わぁ!二回楽しいですね!」

「楽しみだな!」

三人のやりとりに息を吐く。いつまでこの会話を聞いていればいいんだろう。

朝食を済ませて、今日も今日とて外に出せ、暇だと騒ぐ二人に連絡がきた。二人はさっと携帯を見るなり目を輝かせ若に直談判を始めた。

今すぐ外に出すか人を入れる許可を出せ。

騒ぐ二人のあまりの喧しさに若は今にも彼奴らを物理的に黙らせようとしたし、玄野も俺も、誰もがブチ切れそうになった。

「出留くんと私達のお茶会を邪魔するというのなら…」

「潰すっきゃねぇな!」

改造注射器とメジャーをそれぞれ構えた二人の目は据わってる。俺たちも構えようとしたところで、真ん中から静かに息を吐く音がした。

「………部屋を用意する」

「若?」

「そこでなら自由に過ごしていい。ただ、他の部屋には入るな。座標は黒霧に送る」

「ほんとですか!」

「よっしゃー!オバホありがとよ!」

ぴょんぴょんと跳ねる二人に、若は立ち上がって呆けてる俺達に指示を飛ばす。

応接室の一つ。簡易的なキッチンのついたそこは冷蔵庫も完備してあってトガとトゥワイスはにこにことお菓子の用意をはじめた。

準備ができたのは連絡から十分後。その一分後には黒霧のゲートが開かれて中からあの時見た男が現れた。

若から俺に託された命は二つ。見つからないように状況を確認していること。少しでも裏切りの気配などを感じたら報告をすること。

盗聴や盗撮だけでは測りきれないそれらにじっとぬいぐるみの中で監視しているけど、見ているこっちが疲れてしまうくらいに毒気が抜かれる。

玄野に代わってほしいと連絡してみるけど拒否なんて短く返事がきた。

冷たい奴だと息を吐く。

三人がずっと楽しそうに話して茶を飲み、菓子を食べるのをじーっと眺めて、そろそろ気がおかしくなりそうなところで通知が届いた。




「出留くんが来てるときに呼び出しなんて本当に空気が読めませんね」

「出留!すぐ帰ってくんからゆっくり待ってろよ!」

お茶会の最中、唐突に二人に迎えが来た。それは突発的にあったというヒーローの動きを共有するための呼び出しに二人は死ぬほど渋った。

それでも今は出向組として仕事に来ているからと頬を膨らませて立ち上がる。

「先に帰っちゃヤですからね!」

『大丈夫。ちゃんと待ってるからいってらっしゃい』

不機嫌な二人が部屋から出ていく。

一人残された俺はやることもないからその間に食べ終わった皿を重ねてゴミをまとめはじめた。ついでに時間を見ればここに来てから一時間ほど経ってる。

今日は夜までに帰れば不在がバレないはずだからもう少しゆっくりできる。

帰ってから外してしまった包帯を巻き直す時間だけあればいいからと逆算しようとして、扉が開いたから顔を上げた。

『…こんにちは?』

開かれた扉のところ、足を進めずに腕を組みこちらを眺めてきているのはオーバーホールさんで口元にはあの大きなマスクはなく、ぴったりとしたシンプルなマスクがついてる。

じっとこちらを見られて首を傾げた。

『二人なら席を外してますが…』

「彼奴らに用はない」

『あ、そうなんですか』

そもそも呼び出したのは向こうなのだから二人がいないことを知っているのは当たり前だろうし、大体呼び出したはずのトップがなんでここにいるのか。

気にはなるけど俺が口を出すことでもないだろうから、使ってない椅子を指した。

『その席なら誰も触れてないと思いますが、お掛けになりませんか?』

「……………」

常につけてるゴム手袋にマスク。それから人に触られただけで現れる蕁麻疹。重度の潔癖症であろうその人はじっと椅子を見て、ゆっくりと動き出した。

扉を閉めると俺の伝えた椅子に腰を掛けて、長い足を組んだ。

お茶も菓子も求めてなそうな佇まいだけど一応新しいカップにお茶を注いで、菓子を差し出す。

元いた場所に俺も腰掛けて、オーバーホールさんは目を細めてた。

『えっと、本日はどのようなご用件でしょう…?』

「特に用は無い」

『はあ…そうなんですね…』

手を伸ばして取ったワッフルをかじる。サクリとした生地にやっぱこれ美味しいなと咀嚼をして、オーバーホールさんは一瞬目を丸くしてそれから細めた。

「呑気なやつだな」

『ん、呑気ですか?』

ワッフルを飲み込んで首を傾げる。

オーバーホールさんは目を逸らして腕を組んだ。

「お前、昨日単騎で敵制圧したらしいな」

『あれ?どこから聞いたんですか?』

「顔も名前もそのままなんだ。関東圏の事件くらい耳に入って来るに決まってる」

『あー、なるほど』

「無個性のヒーロー…前代未聞だな」

俺が無個性なんていつの情報かと考えて、体育祭のアレかと察しがついた。あのときは派手に無個性を押し出したし、顔も名前も大々的に晒された。

こうして敵の親分に素性がバレたことや、勝己が弔たちに目をつけられるきっかけになったり、仮免許試験で対策されることになったりと、よく考えると困ることが多いように思うけどあの放送どうにかならないんだろうか。

『多様性ってやつですかね』

「……このままヒーローになるのか?」

『うーん、まだ高一ですし、進路はなんにも考えてないです』

「…ほう?」

目が細められる。高校一年生で進路を見据えているのはよっぽど国家公務員になりたいとからそういう子だけだ。

「ヒーローにはならないのか」

『んー、俺、別にヒーロー好きじゃないですし、わざわざなりたいとは思ったことはないですかね』

「…………だから死柄木たちといるのか?」

『え?弔は友達だから一緒にいるんですよ?』

「…………………」

何を言ってるんだと言いたそうな目に視線を逸してカップを取る。二口、お茶を飲み込んで下ろした。

『ヒーローとか敵とか、俺はそういうのどうでも良いんですよね。弔もヒミコちゃんもスピナーも荼毘さんも黒霧さんも俺の友達。仁と圧紘とマグネは兄と姉。もちろん学校にも友達も相棒もいるし、親友だって別にいる。そこにヒーローと敵の垣根はありませんよ』

「…絵空事だな」

『実現してる人の前で嘘っていうのはひどくないですか??』

「成り立っているように思えない」

『実際成り立ってるじゃないですか。ここにいる俺が証明です』

ね?と笑ってみれば呆れたように息を吐く。視線を一度手元に落としたと思うと飲み物も食べ物にも口をつけず、手を伸ばして俺の手元にあるお菓子をつまみ上げた。

『そっちにも同じのありますよ?』

「何が入ってるかわからない」

『毒味しましょうか?』

「…………」

真新しいワッフルを半分に割って、差し出された右側を受け取って口に入れる。さっきと同じようによく咀嚼して飲み込んで、オーバーホールさんを見れば数秒の間を置いてマスクを顎の下にずらした。

初めて見たオーバーホールさんの顔は蕁麻疹は残ってない。精神状況が強く作用して表に現れる体質で、治るのも早いのかもしれない。

そっとワッフルをかじったオーバーホールさんは丁寧に噛み砕いて飲みこむと眉根を寄せた。

「甘いな」

『メープルワッフルですから?』

「…甘ったるい」

口を開いて残りを入れる。さっきと同じように飲み込めば自前らしいハンカチで口元を拭って、マスクをつけ直した。

「連絡先をよこせ」

『またその話ですか?』

「今後もトガとトゥワイスに会いに来る気なら俺にも連絡を入れろ。いちいち彼奴らを経由されると対応が遅れる」

『あー…』

今日も二人に連絡してからここに来るまで、20分くらい間があった。それがこの場所を用意するまでに要した最短の時間なら、今後はもっと長く待ち時間が出るかもしれない。

待つのは構わないけど、俺も二人も決まった時間までしか会えないなら少しでも顔を合わせる時間を確保したかった。

『ヒミコちゃんとトゥワイスは仲良くしてますか?』

「していたら直接連絡先を貰わない」

『たしかに』

携帯を取り出せばオーバーホールさんも同じように携帯を出した。

何を渡せばいいのかわからず見ていれば見慣れたアプリを一つ起動させたから俺も同じものを出して、IDを交換したところで一旦確認がてらマークを一つ選んで送った。

マナーモードだからか短く揺れる音がして向かいから視線が上がる。

『届いたみたいですね』

「必要なときに連絡しろ」

『ありがとうございます。そちらもなにかございましたら連絡してください』

オーバーホールさんは立ち上がるとすたすたと歩いて部屋を出ていった。

一つ増えた連絡先に携帯をしまう。

結局手を付けてもらえなかったお茶にどうしたものかと悩んで一応飲み干して処理した。普通の紅茶の味しかしないそれにカップを重ねたところで賑やかな声が近づいてきて扉を開けた。

「ただいまっ!」

「おまたせしましたー」

『大丈夫だよ。おかえり』

「聞いてください!死ぬほどくだらない要件でした!!」

「彼奴らあんなことで呼び出しやがって!許せねぇ!!」

『まあまあ。ほら、新しいお茶淹れたから。お菓子もまだあるしもっと話そうよ』

「はい!」

「おう!」

さっきまでの不機嫌そうな顔を消した二人は元いた場所に座ると笑った。




ヒミコちゃんとトゥワイスとのお茶会を終えて、思っていたよりもいい時間になってたから寮に一度帰る。

見てたのかと思うくらいタイミング良く届いのは人使からの晩飯は?の問いかけに合流して、頭の包帯に目を細められたもののインターンお疲れ様と背を叩かれた。

無事に食事を終えれば、約束の時間だ。

以前と同じように待ち合わせ場所に向かえば、先にいた出久は顔を上げる。

「兄ちゃ、…兄ちゃん?!!!!」

『あ、出久ー』

「“出久ー” じゃないよ!!なにその頭の包帯!?」

『ぶっけただけなのに先生が大袈裟なだけだよ〜』

予想通りに目を白黒させる出久に口元を緩めて、近くに座って膝を叩いた。

『おいでー、出久〜』

「んんっ、行きたいけどその怪我、」

『大丈夫。痛くもなんともないよ。それにここに来るときも先生からオッケーもらってるからなにしてもへーき。おいで、出久』

「うん!」

飛び込んできた体を受け止める。腿の上に乗った体は特になにも変わったようには思えなくて、回した手で背中を撫でた。

体の力が抜けて頬をすり寄せてきた頃に口を開く。

『出久、最近なにがあったの?』

「んぐっ」

声がわかりやすく詰まってぐりぐりと額が肩口に押し付けられる。左右に動かされてる頭に背中をまた撫でた。

『俺に言えないこと?』

「守秘義務だよ…」

『そっかぁ』

ぽんぽんと背をなでてれば頭の動きが収まって、ゆっくりとそっとこちらを見上げる。

「ねぇ、兄ちゃん」

『ん?』

「僕、どうしたらよかったのかな」

『んー?なにが?』

もぞもぞと体制を変えた。今まで正面からくっついていた出久は開いていた右足を左足に添えるように閉じて、横向きに俺の上に座り直すと見上げられる。

「……あの子、怯えてたんだ」

『うん』

「いかないでって、きっと助けを求めてたんだ。…だから、僕は離さないでいようと思って。……けど…でも、僕は、……あの子は震えながら僕の腕の中から出ていって、だから、僕…僕は、どうしたらよかったのかな」

『んー…そうだなぁ』

前提は謎で、あの子が怯えていた理由も出久から離れていった理由もわからない。

出久の助けたかったという気持ちだけしか明確になっていないそれに頬をなでた。

『出久はさ、次にその子に会えた時はどうしたい?』

「次、?」

『うん』

揺れてる瞳を覗き込む。頬を撫でていれば次第に焦点が定まって目があった。

「僕は…」

ぎゅっと服を掴んでる手に力がこもる。

「僕は、助けたい」

『うん』

「泣いている子を、怯えてる子を助けられないなんて、そんなの僕じゃない。僕は、そんなんじゃヒーローになれないどころか、兄ちゃんの弟として兄ちゃんに触れることもできない」

『そっかぁ』

「僕は優しくて強くてかっこいい兄ちゃんの弟だ。だから、兄ちゃんの弟として恥ずかしくない人間でありたいし、そうじゃない自分を、僕は許せない」

うんと一度納得したように頷くと、出久はにっこりと笑った。

「兄ちゃん、僕、ヒーローになる」

『ああ。出久ならなれるよ』

「僕はヒーローになって、困ってる子も泣いてる子も全員助けて、笑顔にするんだ!」

『ん。出久の周りにいる人はみんな幸せだね』

「うん!」

ぱぁっと表情を明るくした出久はもう自分の中で解決出来たんだろう。元より守秘義務があると言っていたから詳しい話を聞くことは難しいし、とんとんと背を撫でて頬を摺り寄せた。

『出久のことは俺が一番応援してるからね!』

「ありがとう!僕もっとがんばる!」

『あんまり無理はしないでな?』

「もちろん!兄ちゃんと母さんと約束してるもん!」

あまり守られたことはないけど約束の存在を覚えておいてくれてなによりだ。

『ん〜!えらーい!』

腕を広げて、ぎゅーっと力を入れて抱きしめ直す。んへへと照れたように笑ってから兄ちゃん大好き!なんて抱きしめ返してくれる出久に心を踊らせて、さくりと草を踏みしめる音を耳が拾った。

「おい、そこのバカ兄弟。こんな時間に騒いでんじゃねぇぞ。近所迷惑だ」

『勝己』

「かっちゃん!」

嬉しそうに目を輝かせた出久に手招く。息を吐きながら近づいてきた勝己は俺達の前に立つと出久の頭に手を乗せた。

「やっといつもの間抜け面にもどったな」

「え?!僕そんなにひどい顔してた?!」

「そろそろこけかカビが生えそうなくらいじめついとって気持ちワリィから爆ろうかと思ってた」

「ひぇっ」

体を震わせる出久に勝己は手を下ろすと俺の隣に腰を下ろした。とんっと肩がぶつかって勝己を見れば勝己も俺を見てて目が合う。

『なぁに?』

「……はぁ。兄弟揃ってじめついてやがんのかよ」

『ん?』

「おい、デク」

「え?なぁに?かっちゃん」

「目ぇ瞑って一曲聴いてろ」

「はーい」

膝の上から降りた出久が俺の右隣に座って、同時に俺の前を横切って勝己が携帯とイヤホンを渡す。しっかりとイヤホンをつけた出久は目を閉じた。

あれ?と思うより早く胸ぐらが掴まれて引き寄せられる。

「出留」

『、』

名前を呼ぼうとして、音が食べられる。重なってる唇に目を見開いて、勝己はすぐに離すとまた唇を押し当てた。

すっかりと慣れた薄くてハリのある感覚。べたつかないし、さらりとしていて、あのときとは、違う。

思い出してしまったそれにさっと血の気がひいた感覚がした。体温が数度下がったようなそれにすぐさま勝己を剥がそうとして、力を込めた手は勝己に捕まって指が絡められた。

柔らかな赤色が、俺をまっすぐ見つめてる。

「出留、口開けろ」

『、んんっ、』

「大丈夫だ。」

首を横に振って、それでも微笑んだ勝己は唇を重ねる。絡んでる指の腹が、するすると手を撫でて、俺よりも暖かいそれに体が震えて力を込め返した。

「よーやった。一人でがんばったな、出留。お疲れ」

『、おれ…っ』

「出留、消毒したるから口開けろ」

『でも、』

「俺がやらねぇと気が済まねぇんだわ。…早よしろ」

きゅっと寄せられた眉根はきっと拗ねてる。ゆるくへの字に結われた唇に、口元を緩めて、そうすればすぐに開いた唇が重なった。

同じくらいの体温だからかぬるく感じる。舌を絡めて更に体温と唾液を分け合って、慣れた甘さにふっと肩の力が抜けた。

見計らったように舌が解ける。目を開ければ離れたばかりの唇がはふりと息をこぼしたところだった。

「出留」

『勝己』

「気持ちわるいとこ、ねぇか?」

『うん。勝己のおかげでもう平気』

てらてらとしてる赤い唇を短く吸って、勝己の鼻から抜ける声に心臓を掴まれる。ぎゅっと力がこもったつなぐ手にもう一度、今度は俺からキスをして離れた。

『ごめん、ありがとう』

「ん。出留がきれーになってよかった」

へにゃりと目尻を下げて口元を緩めた勝己にもっと心臓が掴まれて痛くなるから手を解いた。

『こういうとこでそういうのは反則じゃない?』

「…俺だって出留が足んねぇんだよ」

『は?可愛すぎかよ。煽んのやめね?』

「あ?わざと煽ってんだわ。俺以外で発情すんじゃねぇぞ」

『仕事でもなきゃ他人となんて願い下げだから安心してよ』

最後に唇に軽く触れて離れる。勝己の満足そうな顔に思わず笑いを零して、そうすれば隣の気配が動いた。

「一曲終わり!!もういい?!」

「ちっ」

『うん。待たせてごめんなぁ、出久。ありがと』

「うんん!」

俺の膝の上に戻ってきて勝己に携帯を返すと寄り添う。

「兄ちゃんも元気になってくれてよかった!ありがとう!かっちゃん!」

「てめぇのためじゃねぇわ。勝手に感謝すんな、くたばれ」

「もー!かっちゃんってば!」

ぷくりと頬を膨らませた出久の可愛い表情に手を伸ばして、頬をつまむ。ぷすりと空気が抜けて、俺をキラキラした目で見上げた。

「兄ちゃん!兄ちゃん!」

『はいよ』

つまんでた手を頬に添え直して、重ねるだけの触れるキスを一回。そうすれば出久は目を見開いてから口元を緩めた。

「んへへ、兄ちゃんにちゅーしてもらっちゃった!」

『ん?嬉しいの?』

「うん!だって大好きな兄ちゃんからのちゅーだもん!毎日だってしたって足りないのにすごく久しぶりだから嬉しくて仕方ないよね!!」

「キメェ」

「かっちゃんだって僕とおんなじくせに〜!」

「死ね」

「あ、というか、かっちゃんも!僕にちゃんとちゅーしてよ!!」

「死ね」

「兄ちゃん〜!」

「ちっ。出留に泣きつくんじゃねぇわ」

特大の舌打ちの後に勢い良く手を出久の後頭部に回すように伸ばして、引っ張った勝己は口を大きく開けると出久の頬に歯を立てた。

「ぎゃっ!!」

「はっ!だっせぇ!」

「〜っ!かっちゃんのいじわる!!」

「うぜぇのがわりぃ」

「励ましに来てくれたんじゃなかったの?!」

「あ?誰がんなこと言った。そんなわけねぇだろ」

「つめたい!もっと甘やかしてよ!!」

「そんなんだからてめぇはいつまでもデクなんだよ」

わいわいとはしゃぐ二人に自然と余分な力が抜けて口元が緩む。

甘やかしてもらいたがる出久と、必要以上に甘やかさない勝己。

賑やかな二人にやっと日常に帰ってこれた気がする。

「兄ちゃんとかっちゃんが甘やかくれないと僕は誰に甘やかしてもらえばいいの!!」

「誰かに甘やかしてもらうこと前提に息してんじゃねぇ」

「やだやだー!僕は一生兄ちゃんとかっちゃんに甘やかしてもらってずーっと三人一緒にいるんだもん!!」

手を伸ばした出久が俺と勝己をまとめて抱き寄せて顔を押し付ける。ぐりぐりと胸元に押し付けられるから、近くにある勝己と目を合わせて笑った。

『うちの子かわいい〜!』

「はぁ。可愛くねぇわ。こんなもんでけぇ赤ん坊だろ」

「赤ちゃんかわいいもん!」

「赤ん坊が可愛かったとしてもてめぇが絡んだ時点で可愛くなくなんだよ、クソデク」

「何言ってるの!小さい頃の僕は更に可愛かったでしょ?!」

「そういうことを自分で言っちまうから可愛くねぇんだよ。図々しい」

けっと顔をしかめた勝己は手を伸ばして俺の額を突く。

「甘やかしすぎだわ」

『なんで?かわいい子はもっと可愛がらないとじゃん?』

「うん!たくさんかわいがって!兄ちゃん!」

『もちろん!』

「はぁ」

あからさまなため息に出久は更に嬉しそうに笑う。必要以上に甘やかさないだけで、勝己が出久を受け入れているのは出久が一番理解してる。腕を払わない勝己に出久は嬉しそうに頬にキスを贈って、勝己が目を細めた。


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