ヒロアカ 第二部
仕事を終えて、治癒を施されたことでくる倦怠感と疲れに身を任せて眠った。体を揺すられて目を覚ませば先生がいて、お言葉に甘えてシャワーを借りる。
浴槽はついているものの、わざわざ溜める気にもなれないからしっかりとシャワーを浴びて、置いてあるボトルを拝借ししっかり泡立てて洗う。怪我に触れないようにと念を押されたからそこだけは気をつけた。
まだ甘い臭いが残ってる気がするからちゃんとうがいもして、出たら歯磨きもしようと決心して、体も二回洗ったところで外に出た。
脱衣所に用意されてるのはパジャマかわりのTシャツと半ズボンで、どちらも吸水性の良さそうな材質をしてる。
下着と使い捨ての歯磨きセットが袋に入っていたから有難くちょうだいして、水気を拭って服をまとい、歯を磨く。
口をゆすいで水を吐き出せばやっとすっきりした。鏡の中の自分の顔がいつも通りだったから安心して頷いて、扉を開ける。
『シャワーありがとうございました』
「おー!おつかれさん、緑谷!すっきりしたか?!」
『あ、え??はい。すっきりましたけど…どうしてここに?』
先生の代わりに椅子に座っていた元気な金髪に目を瞬く。夜のためか髪は逆毛だってないし、サングラスもスーツも纏っていないけど、元気すぎる大きな声に心当たりは一人しかいない。
「相澤が俺の部屋のシャワー使ってて、その間にお前さんの着替えとか持ってきて待機してたってわけ!」
『あ、そうだったんですね。すみません、ありがとうございます』
「いーってことよ!ほら、包帯巻いてやるからこっちこい!」
『え、自分でやるから大丈夫ですよ』
「何言ってんだ!頭の包帯なんて自分でやりづれーだろ!いいから早く座れ!」
『えー…?そりゃあやりづらいですけど、俺が巻いても変わらなくないですか?』
「お?喧嘩売ってんな??俺様はもー怒ったぜ!これは超絶ウルトラスペシャルテクニックを見せつけてやるときが来たようだ!」
別にそういう意味ではなかったけど誤解されたようで、ばしばしと自分が座ってるソファーの横を叩いて、す!わ!れ!とコールを始める。あまりの喧しさに近所迷惑だろうと諦めて呼ばれるままに腰を下ろせばまずはと傷口の場所を確認された。
「テープも一旦替えるから前髪押さえとけー」
『りょーかいでーす』
皮膚を引っ張らないように反対の手で押さえながら丁重にテープが剥がされて、新しいテープが貼られる。
ペタリとした感覚。どうやら冷湿布の効果もあるらしいひんやりとした感触に包まれて一瞬目を閉じてから開き直した。
「殴られてんなら後で周り内出血するかもなぁ」
『あー、かもですねー』
「お前といい相澤といい、ほんと自分のことに無関心だなぁ」
似た者同士すぎて俺は心配だぜと零しながら手に取っていた包帯をくるくると俺の頭に巻きつけて、最後はハサミで切ってずれないように留めた。
「よしできた!見てみろ緑谷!」
『……きれいに巻かれてますね』
「だろ!俺のベストフレンドはすぐ怪我すんから手当はお手のもんよ!」
『なるほど』
確認した鏡の中にはきれいに頭の大きさに合わせて巻かれた包帯があって目を瞬く。
『処置してくださってありがとうございます』
「おう!」
胸を張っているプレゼントマイクは口元を緩めると俺の頭に手をおいた。
「任務おつかれさん。どーだった?」
『特には。無事終わってよかったです』
「ヤなこととかツレェことはなかったのか?」
『別になかったですね。普段とあんまり変わらなかったです』
「お?すげぇ演技ってたって聞いたけど?」
『わざと慌てたふりしてただけなのでそこまで演技してませんよ?』
「おー…お前俳優とかになったほうがいいんじゃねぇの?」
『まさか。俺のはただのオーバーリアクションなだけです。本業の人のように自分じゃない誰かになんて成れませんよ』
「そういうもんなのか…?」
ぱちぱちと丸めの大きな瞳を隠すように瞬いて、それから目尻を落として口角を上げる。
「まぁ何はともあれ、お前さんが無事に帰ってきてくれてよかったぜ。ほんと、お疲れ。おかえり、緑谷」
『はあ…、ありがとうございます』
「なんだその気ぃの抜けた返事!」
『いえ…なんというか、おとなしいプレゼントマイクって初めて見たので…??』
「今日のヒーロープレゼントマイクの営業は終了したからな!今の俺は親友に風呂貸したりパシられたらりしてるやさしい山田さんだ!」
『あ、自分でやさしいって言っちゃうんですね』
「事実だかんな!」
わははと笑いながら俺の頭を撫でる。若干粗雑ながらも包帯がずれないように撫でられて、手が離れた。
「緑谷、ホントおつかれさん」
『…ありがとうございます』
よしよしと小さな子どもを相手するような眼差しがむず痒くて目を逸らす。また笑い声が響いて、扉の開く音に揃って顔を上げた。
「うるさいぞ」
「お、おけーり!」
『おかえりなさい』
「…ああ」
一瞬俺を見て目を細めた先生は短く頷く。髪は一応拭われてあるものの乾かしてこなかったのか濡れていて、水分を落とさないようにか肩にタオルがかけられてた。
プレゼントマイク、改め、山田さんは俺達を見比べるように視界に入れると笑う。
「似た者師弟が揃ったとこで…相澤、緑谷、腹は減ってねぇのか?」
「多少は。緑谷は」
『俺も少しですかね』
「と思ったぜ!じゃん!ランチッシュがさっき持ってきてくれた夜食だぜ!」
『え、わざわざ用意してくださったんですか?』
「緑谷の初任務達成祝だとよ!香山先輩も夜飯は抜くなよって言ってた!」
以前先生が作業するために使っていたテーブルの上。紙袋が差し出されて目を瞬く。相澤先生が受け取って中身を取り出して、ラップに包まれたコロコロとしたさまざまなサイズのおにぎりと筒状のカップ、スプーンまで添えて並べられた。
比較的大きめのおにぎりを一つ取った先生は俺の手のひらに乗せた。
「食べれる分だけ食べて、落ち着いたら寝なさい」
『あ、はい…ありがとうございます。いただきます』
ラップを剥がして、口に運ぶ。ふんわりとした食感のおにぎりは混ぜこまれたおかかやごま、しそとは別にほんのりと魚介の香りがした。
咀嚼していれば同じように相澤先生も一つ取って、もう一本伸びてきた手が並んでたおにぎりを掴んだ。
「俺も1個貰おっと!」
「なんでお前まで食べる気でいるんだ」
「見てたら腹減ってきた!」
「緑谷の分がなくなるだろう」
『あ、ほんとにそんな腹減ってないんで、大丈夫です』
「だとよ!」
「………、はあ〜」
何か言いたげに眉根を寄せた後に深く、長く息を吐き出す。
そのままおにぎりを口に運んだ相澤先生はこれ以上言及する気はないらしく、俺も同じように食べれば山田さんもうんま!と嬉しそうに表情を明るくした。
おにぎりとアラ汁。ただの味噌汁ではないことにセンスが神がかってるなと思いながら、追加でおにぎりをもう一つ食べたところで口を拭いた。
「もういいのか?」
『はい。ご馳走様でした』
「まだまだあんぜ??お前そんな少食だったか?」
『腹いっぱいだと寝付き悪くなっちゃうんで』
「なるほどなぁ」
ぱくりと米を頬張る山田さんに、先生も確かになと頷いてもう一つおにぎりに手を伸ばす。
二人が順調に消化してくれたおかげで無事に残数がゼロになったおにぎりに、山田さんは腹を擦った。
「はー、食った食った!」
「食いすぎだろ。眠れなくなるぞ」
「布団にはいりゃあおやすみ三秒だぜ!」
「寝付きの良さが羨ましい限りだ」
二人の会話を聞いていれば段々とまぶたが重たくなってきて、出てきそうになった欠伸を噛み殺して涙の滲んだ目元を拭う。
ぽんっと肩が叩かれて顔を上げればいつの間にか立ち上がっていた山田さんがいて、にっと笑った。
「んじゃ!俺は帰んな!緑谷、本当に初任務おつかれさん。今日はゆっくり休めよ!」
『ん…はい。山田さんも、手当とか食事とか、ありがとうございました』
「いーってことよ!」
ぽすぽすと頭が撫でられて山田さんが玄関口に向かう。立ち上がろうとすれば先生に肩に上から手を置かれて止められて、見上げた先生は玄関口に目をやっていて視線は合わなかった。
「助かった。おやすみ」
「おー!お前もゆっくり休めよ!おやすみ!」
ぱたんと扉が閉まる音がする。ようやく手が離されて体が解放され、先生の視線が落ちてきて目が合った。
「緑谷」
『はい』
「頭の怪我は何かあったら困る。悪いが今回もこの部屋で寝泊まりしてくれ」
『はあ。わかりました…』
「朝は六時に起こすから、それまで部屋を勝手に出ていかないように」
『……根に持ってます?』
「さぁな」
にっと笑った先生に息を吐く。
指し示された布団はいつの間にか敷かれていて、二つ、人一人分離れた微妙な距離を保って並んでた。
『どっち借りていいんですか?』
「どちらでも。さっき敷いたばかりのクリーニング済だから安心しろ」
『じゃあこっち借りますね』
なんとなく近かった右側に腰を下ろす。先生はまだ眠らないのかパソコンの前の椅子に座っていて報告書の作成とかをするのかもしれない。
あくびをこぼしてから近くにあった鞄から携帯を取り出す。電源を入れ直せばその間に届いた通知が表示されて、そのうちの一つを確認しスタンプを送った。
体は思っていたよりも疲れていたのか視界は不鮮明に、思考もだんだんとゆるくなっていって、そのまま目を瞑った。
手の中で物が揺れる感覚と音に目を開ける。揺れてるのは握ったままの携帯で、すぐに画面に触れて音を止めた。
どうやら携帯を触りながらうつ伏せで眠ってしまったらしい。肘をついて少しだけ体を起こせば隣の布団には山ができていて、手の中の携帯を確認するとまだ五時半にもなってなかった。
朝練の癖でいつもと同じ時間にかけていたらしく鳴ってしまったアラームにそのまま起き上がる。布団の上に座って、息を吐きながら体を伸ばす。
そんなこともあるかもと想定してはいたけど、昨日は動いたのにクールダウンもしなかった。戦ってる最中に反撃は受けてないから怪我はないし、筋肉痛もなさそうで、それでも一応いつもより丁寧に体を解してから立ち上がる。
隣を起こさないように身支度を始める。
布団はざっくりと畳んで、荷物を持って洗面所へ。昨日使ったのと同じように新しい使い捨ての歯ブラシが用意されていたからそれを使って歯を磨いて、携帯を触る。
勝己はもう起きてるのかおはようの挨拶と怪我の具合を聞く内容。出久はまだ起きてないのか今日の夜に会う約束への了承は帰ってきてない。
代わりに俺が眠ってしまった後に届いたのであろう、ヒミコちゃんとトゥワイスからの返事につまらなすぎて息が詰まるから遊びに来てと!マークの多いメッセージが来ていたからスケジュールを確認して返事を送った。
そろそろ口をゆすごうかなと思ったタイミングでがたりと音が聞こえる。時計を見れば六時十分前。先生が起きたのかもしれない。
思ったよりもだらだらと支度をしてしまってたらしい。洗面所が一つしかないから占領するのはよくないだろう。さっさと支度を終わらせないとと思ったところでばたばたと慌ただしい足音が響く。
ばんっと近くの扉が開く音。それから同じようにまたばんっと音がして、騒々しいそれに目を瞬いていればもう一度扉の開く音がした。
「…っ、…」
『へんへ?』
口の中に歯ブラシを入れたままではろくに喋れないから短く声を出して首を傾げる。
先生は俺と目が合うなり一瞬固まって、右手で目元を覆うと大きく息を吐いた。
「隣にもいないし布団も片してあって荷物もないから帰ったかと思った」
『んー?』
昨日勝手に出ていくなと言われたのにそんな早々と約束を破ったりしない。
歯磨きのせいで言葉が出せない俺に気づいてか先生は目元から手を離すと扉に手をかける。
「朝飯は食えるか」
『ん』
「なら手配しておく。支度が済んだら出てきなさい」
『んー』
扉が閉められる。口を濯いでぱぱっと顔も洗って、外に出た。
昨日夜食をとった時と同じようにテーブルにはトレーが置かれていて食事が並んでる。それから当たり前のようにいる金髪に目を瞬いて頭を下げた。
『おはようございます、山田さん』
「おう!!おはよう緑谷ー!体調はどうだ!」
『普通です』
「そーかそーか!良かったぜ!」
朝から元気な山田さん。手元にはトレーが三つあるからまた用意してくれたんだろう。
『昨日も今日もありがとうございます』
「どーせ俺も食うんだし気にすんな!むしろ緑谷がいると相澤がちゃんと飯食うから助かる!」
『そうなんですか?』
「彼奴ほっとくと10秒飯しか食わねぇの」
『、よくそれで身体保ちますね??』
「だろー?若いうちはまだいいけど、もう俺達おっさんなんだし体こわすぞって言ってんのに全然改善されねぇんだわ」
『それは心配ですね…?』
「効率厨っても限度あるからよ。時間あったら緑谷からも詰めといてくんね?」
『詰めはしませんけど…声はかけてみますね』
「頼んだ!」
にかっと笑った山田さんは相澤に飯を食わせる委員会は俺と香山先輩がメンバーだ!と続けられて、なんか困ったらいつでも相談してくれと付け足される。
想像できていたメンバーに頷いて、そうすれば扉が開く音がした。
「すまん、待たせたか」
「ほんとだぜ!腹減ったー!」
『全然。俺もさっき用意ができたばかりです』
俺達の意味が反対の言葉に先生は呆れたように表情を緩めると、昨日の夜と同じ席に腰を下ろす。
「食べよう」
「おう!」
『はい。いただきます』
「いただきまーす!」
「、いただきます」
手を合わせて言葉に出せば続けて箸を持った山田そんも同じように挨拶をして相澤先生も音を零す。
山田さんはメインの肉から箸をつけてそのまま米をかきこんで、先生は小鉢を取る。俺もお椀を持って汁物に口をつけた。
腹が減っていたらしい山田さんは勢い良く食事をするのに忙しそうで、俺と、たぶん先生も食事中に喋るタイプじゃないからか穏やかな時間が流れる。
肉、魚、野菜。バランスの良い献立と丁寧な味を堪能していれば茶碗を置く音。お茶を飲み干して持っていたコップをトレーに乗せてはーっと大きく息を吐いた。
「うまかったー!」
『食べるの早いですね』
「よく噛んで食え」
「食い終わってから言うなよ!」
呆れ混じりの溜息をこぼす先制へ山田さんが大きな口を開けて笑って、二人の会話を聞きながら食事を取る。
二人の話してる間に咀嚼を続けて、空になった皿に口元を拭って、それからお茶を飲む。湿った口元を再び拭って紙をおいて手を合わせれば視線を感じて顔を上げた。
驚いたように目を丸くしてる二人に目を瞬く。
『どうしたんですか?』
「あー、いや〜」
「…なんでもない」
『何もなくない感じの視線ですけど??』
濁した山田さんと目を逸らした先生に眉根を寄せつつ、何にも言ってこないならいいかと俺も視線を逸した。
見上げた時計は七時の少し前。今日は土曜日で授業は休み。人使の訓練も俺と先生がインターンが長引く可能性があったからたしか別の人が見る予定になっていて、少し考えて向かいに視線を戻した。
『昨日の仕事の後始末って俺の作業分はありますか?』
「本部次第だが…ああ、預けていた経費と薬の回収ぐらいだ」
『あ』
潜入にあたり渡されていた物の中にあったそれらは任務が終わったら回収と言われてたのを思い出す。
『今持ってきます』
「今日中に回収できれば大丈夫だ。急ぐものでもない」
お茶を飲んだ先生はコップを空にして、食器を重ねようとしたから手伝う。皿と器、箸とグラスの分類でトレーを二つにまとめたところで先生が一つ持って、俺も持とうとすれば山田さんに持って行かれた。
『持てますよ?』
「「そういう問題じゃない」」
多少テンションが違うものの同じ言葉を言われて渡されなさそうな食器に諦める。
代わりに先に歩いて扉を開けて、二人は食堂まで持っていくというからついていく。
「部屋にいてもいいんだぞ」
『家主のいない部屋ってなにしてらいいかわからないんですよね』
「んなもんくつろいでりゃいいんだよ」
『くつろぐ…??』
友人の家ならばまだしも目上の人の部屋ではくつろげない。
先生もそれを察してるのか息を吐いて首を横に振るだけで、好きにしなさいとまっすぐ目的地に向かう。
「お!イレイザー、マイク!おはよう!はえーな!」
「おー!ブラドおはよー!」
「おはよう」
食堂の出入り口に差し掛かったところで聞こえた大きめの声に顔を上げる。先生と山田さんの向こう側、見慣れた理科目の担当教諭は休日の朝のためかヒーロースーツではなくシャツとスラックスなんてさっぱりとした格好をしていて雰囲気が違う。
ブラド先生の視線が気配に気づいてかこちらに向いたから頭を下げた。
『先生、おは、』
「緑谷?!その包帯どうしたんだ!?」
俺の声をかき消すほど大きな声に耳が劈かれて言葉が途切れる。ブラド先生の目が見開かれたと思うとすぐにいつも以上に眉根を寄せて険しい顔をして、相澤先生を見ようとするから口を開いた。
『ぶっけてちょっと切っただけです。テープがずれないように巻いてるから怪我が大きく見えてます。おはようございます、ブラド先生』
「………お前なぁ…イレイザー」
「任務中に切ったらしい。リカバリーガールの治療は済んでいる。大事をとって数日は運動を禁止している」
『え?そうなんですか?初めて聞きました』
「当たり前だろう」
『明日の人使との訓練どうなります??』
「お前は休みだ」
『えー…』
「緑谷」
『…はーい』
思いがけず連休になってしまった。これは暇になりそうだなと息を吐いて、そうすれば最初のブラド先生の声にか足音が近づいてきて緑谷くん!と声が聞こえた。
「あーもう!また怪我して!無茶したんじゃないでしょうね!」
『無茶はしてないです。わざともらった怪我なのでそんな深くないです。おはようございます』
「ほんとこういうところ!おはよう!!よく休めたの?!」
『はい』
ブラド先生と俺の前にいる二人を退かして俺の両肩に手を置いてるのは香山さんで、香山さんも休日だからか私服だ。
続けてわらわらと集まってくる人の中にはパワーローダー先生やエクトプラズム先生とお世話になったことのある先生たちで、食堂に居たらしい人たち全員と挨拶を交わした頃に食器を片してくれた相澤先生と山田さんが帰ってきて隣に並んだ。
「Heyオーディエンス!そろそろそこのアイドルを回収してもいいっすか!」
「あら、もう連れてっちゃうの?」
「報告書の作成があるので」
「え、珍しいですね。先輩が報告書翌日回しにするなんて…?」
「昨日は眠かった。香山さん、緑谷返してもらいますよ」
右手の手首のあたりが掴まれて軽く引かれる。喧騒から引き剥がされて山田さんの横に置かれた。
「緑谷くん任務お疲れ様!お大事にね!」
『ありがとうございます』
先生方に見送られ廊下を進む。部屋に戻るらしく来た道を歩いて、目的の部屋の一つ手前で山田さんが足を止めた。
「んじゃ!緑谷まじで体調悪くなったらすぐ言うんだぞ!」
『あれ?山田さんは部屋行かないんですか?』
「緑谷が誘ってくれんなんて珍しいなぁ。残念なことにこれから仕事なのよー!」
『そうだったんですね』
「じゃ、バリバリ仕事してくんわ!また月曜!」
『はい。大変お世話になりました。また月曜日からよろしくお願いします』
扉の向こうに消えていった山田さん。待っていたらしい先生がまた廊下を進むからついていって、つい数分前に出ていった部屋に帰ってきた。
靴を脱いで中に入り、朝食を取っていた場所に戻って鞄から必要なものを取り出して机に置いた。
「使用したか?」
『アルコールと薬物用を一個ずつ』
「………どちらも口にしたのか」
『薬物だけですね。アルコールは念の為に飲みました』
「…体に異常は?」
『特には。最初から最後まで思考もクリアで本当にその解毒薬すごいですね』
「技術科が一から調べ抗体として用意してるから、あの薬物に対して高い効力はあるが…」
眉根を寄せた先生は視線を落として、少し迷うように唇を結ぶ。言葉を選んでいるその間を何も言わずに待っていればゆっくりと視線が上がった。
「やりたくない事があるときは必ず俺に言うように」
『はい』
「潜入も仕事中とはいえ、自身を犠牲にしすぎる必要はないからね。…まぁ、君なら躱すことも出来るだろう?」
『ええ。もちろん。昨日だってちゃんと断ってます』
「ほう。断れたのか」
『厳密には最後まで行く前に意識落としたんですけどね』
わざと笑ってみれば、先生もなるほどなと少しだけ表情を緩める。
「初めての潜入任務でこの出来。有望すぎて本当にお前がこわいよ」
『先生が良いから仕方ありませんね』
「…そうか」
口元が綻ぶ。穏やかな雰囲気に目を奪われて、まばたきをした次には先生はいつもの表情に戻っていて視線が逸らされた。
俺から受け取ったポーチを置いて、代わりに隣の携帯を取ると俺に差し出す。
『これは?』
「業務用端末だ。次の仕事の資料が入っている。回線は繋がっているが使用履歴はすべて記録として残っているから利用は最低限にしておくように」
『はあ。なるほど。これはどの仕事用のですか?』
「コードJ-64957」
『あー、カルトのやつですね。これ渡されたってことは潜入日程決まったんですか?』
「来週の金曜日から接触することになっている。携帯には情報が随時更新されていくからその前から必要なものを見て確認しておいてくれ」
『わかりました』
「潜入にあたりまたある程度の変装をするがなにか前回の変装を経て希望はあるか?」
『色味が前回と違えばなんでもいいですかね。ないとは思いますけど前回の俺を見てる人がいたら困りますし』
「そうだな」
前回の任務を思い出す。つい昨日、数時間前の記憶を探って、あの二人は大丈夫だったのかなとふと気づいて、言葉を止めた俺に先生がじっと俺を見た。
「緑谷、なにかあったのか」
『あー、そういえば俺って前回拉致られましたけど、そのとき目撃者とかって…』
「君が近づいた二人のことか?」
『あ、やっぱ知ってましたか』
「あの二人なら近くの交番に駆け込んできて君の救助願いを出してた」
『なるほど。やっぱあの子達普通でしたね。無事そうならよかったです』
「ああ。君のことはヒーローが保護できたことだけは伝わっている」
『もう会うこともないでしょうしそこまでわかっていれば詮索もしてこなそうですね』
どこに住んでいて何歳なのかも、そもそも本名も知らない。たった数時間一緒にいただけで何かしたわけでもないし深追いはされないはずだ。
『事後処理ありがとうございました』
「それはかまわないが…」
眉根を寄せた先生が何か言おうとして、遮るように音が響く。
音源は俺の鞄からで断ってからとりだして、ほぼ同時にテーブルに置いてあった先生の携帯も左右に揺れ始め、マナーモード特有の振動音が響いた。
『出久です。失礼しました』
「気にするな。俺も爆豪と轟の引率がある」
『ならお暇しますね』
荷物を肩からかけて、先生も必要な物を持つ。揃って部屋を出て廊下を歩く。時折すれ違う先生方に挨拶をしつつ、職員用の寮を後にした。
特に会話もなく淡々と進んで、見えてきたA組の寮にそろそろお別れかなと思えば先生は足を止めた。
「緑谷」
『はい』
じっと俺を見て、ゆっくりと口を開く。
「何かあっても、何もなくても、すぐに誰かに話すように」
『…えっと、どういうことですか?』
「どんな些細なことでも、君の感じたこと、思ったことを誰かに伝えなさい」
『あ、仕事の話ですか?』
「それもだ。普段から日常のことを周りの人間に伝えておくことで円滑なコミュニケーションが取りやすくなるし、信頼関係があれば異常事態に気づきやすい」
『今も割と話してる気はしますけど…』
「もっとだ」
『はあ…』
多めに空気の入った返事に先生はまだ難しいだろうから少しずつでいいと零して、視線を逸した。
「それじゃあ、安静にするように」
『はい。勝己たちの引率よろしくお願いします』
先生を見送って、背中が寮の扉の向こうに消えたから歩き出す。B組の寮を越えて、C組の寮の扉に手をかけて扉を開けた。
「緑谷くん?!!」
『あ、委員長。おはよう』
「お、おは、その包帯どうしたの!??」
『見た目が大げさなだけだよ』
「大げさなんてことはないのではないでしょう。リカバリーガールの処置に過度はないはずです」
ラウンジでくつろいでいた委員長が目を白黒させて大きな声を出して、その横にいた副委員長もじっと俺を見る。
「緑谷くん。前回と同様に可能な限り手助けいたします。私達にできることはございませんか?」
一緒にいたらしいクラスメイトの数人もそわそわとしながら俺の言葉を待っていて、頬を掻いた。
『あー、ありがとう。でもほんと、たぶん傷もほとんど塞がってると思うし、そもそもそんな深くないから大丈夫』
「……委員長」
「うん!もう連絡した!!こういうとこだよ!心操くーん!!」
『え、』
「とりあえずもう緑谷くんは絶対安静!!みんなもフォロー!運動してたら速攻止めて!」
「「らじゃ!」」
『なんで???』
「緑谷くん、今すぐに寮室へ。昼食は部屋にお持ちしますので安静に」
『え、』
「委員長」
「うん!また委員長特急便するよ!お昼食べたいものある?」
『あー…あれ、さっきもらった食料があるから大丈夫だよ。気遣ってくれてありがとうね』
「えー!じゃあ夜は?!」
『夜は人使と食堂に行くから。安静って言ってもあれだよ、運動しなければ平気って先生にも言われてるからそんなに気にしないで』
「せっかく緑谷くんのお世話できると思ったのにー!」
不服そうな委員長に苦笑いを返して、荷物を持ち直してエレベーターに向かう。
『でも一応安静にするのに部屋にいることにするね。心配してくれてありがとう』
「んん!なにかあったらほんとすぐに教えてね!」
『りょーかい』
手を振ってエレベーターに逃げ込む。一人になった箱の中で息を吐いて、さっさと部屋に入った。
一日ぶりの部屋の中にしっかりと鍵をしめる。鞄を放って、ポケットから携帯を取り出した。
こういうときは外で息抜きをするに限る。
ニ、三やりとりをすればすっかりと見慣れた黒色の靄がふわりと広がった。
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