ブルーロック
乳児ほどの小さい頃からひどく病弱だったと母から聞いていた。季節の変わり目で風邪を引き熱を出すのは当たり前、前日との気温差が3℃もあると咳きが出て、流行ってる病気には必ず罹患する。そんな手のかかる子供。
途中で投げ出していてもおかしくないようなそんな繊細な子供を、案の定、父は見捨て、母は俺を抱えて一人になったという。
看護師として勤めている母と、普通の会社でサラリーマンをしていた父との出会いは聞いたことはないけど、記憶にある母は俺が熱を出すたびに泣きそうな顔をしていたし、咳が出ただけで表情をなくし、笑みが消える。そんな家だった。
もちろん母は俺をでき得る限り看病してくれたけど仕事をしているんだから一人になることもある。元々住んでいた土地を離れてここに来たのは母の実家が近かったからで、この家は、母の両親が事情により引っ越すことになって、空いた場所に住まわせてもらっている状態だった。
土地を変えれば水が変わるのか。この場所に来てから以前ほど体調を崩さなくなった俺は近所の元気すぎる兄弟と、ほぼ毎日のようにサッカーをするようになり、ほぼ毎日体力が尽きて帰ってきてた。
「すいちゃんばいばい!またあしたー!」
『うん。また明日』
にぱっと笑った凛の頭に手を乗せて強さに気をつけながら髪を撫でる。二回ほど往復させて手を離して、隣に立ってた冴は目が合うなり眉根を寄せた。
「ちゃんとクールダウンのストレッチしてから寝ろよ」
『はいはい。わかってんよ』
毎回最後に告げられるそれはさすがに聞き飽きてる。
『冴も、また明日』
「…ん」
頷いた冴は凛と繋いでる手をしっかり握り直すと歩きだして家の中に入っていった。
「「ただいまー」」
「おかえりなさーい」
二人の姿が扉の向こう側に消えたところで歩き出す。
数軒先の自分の家の前に立った。電気のついた糸師家と違い、暗い窓の向こう側にポストの中身を確認してからポーチから取り出した鍵を差し込んで家を開ける。
『ただいま』
糸師家と違って音が帰ってくることはない我が家だけど一応声を出して、施錠をして靴を脱ぐ。
携帯でいつもどおり母に帰宅したと連絡を入れて、まっすぐ洗面所に向かいそのまま風呂に入る。出て来てから確認した携帯にはまだ返事がなくて、今日も急患が出たとかで忙しいのかもしれない。
それならそれで、仕方ない。
風呂から出たばかりでまだ湿ってるらしい足の裏がぺたぺたとフローリングに張り付く音を響かせながらキッチンに向かい、炊飯器を開けてすぐに閉じる。それから買い置きのパンを探そうとして、よく考えたら朝に食べたロールパンが最後だったのを思い出した。ゴミ箱の中にはパン屑も残ってない外装が入ってるはずだ。冷蔵庫の中も確認してみるけどこんなときに限って生麺のうどんもそばもない。
唯一見つけ出したのはパスタ麺で、乾麺を今から茹でる労力を考えて息を吐く。主食を諦め、もうこれでいいやと冷蔵庫から魚肉ソーセージを掴んだところでピンポーンとインターホンの音が響きわたった。
ちらりと見上げたリビングの時計はもう七時で、携帯を確認してもまだ母からの返事はない。
連絡事項の書いてあるホワイトボードに宅配などが来るなんてものもなくて、もう一度インターホンが鳴らされた。
仕方なく少し歩いてインターホンと連動してるディスプレイを覗く。ちょうどまたインターホンが鳴らされて、そのはずなのにカメラには誰も映ってなかった。
目を瞬いて、もしかしてと思ったところでまた音が鳴って、すぐにスイッチを押した。
『はい』
「おせぇ」
『やっぱ、冴…あ、ちょっと待って、今出る』
苛立ち気な声に慌てて廊下を通り、電気をつけて鍵を外して扉を開けた。
「遅い」
『ごめんごめん』
「すいちゃん!凛もいるよ!こんばんは!」
『ん、こんばんは、凛』
冴の隣、小さな頭を撫でる。そうすればきゃらきゃらと嬉しそうに笑いだした凛から視線を上げた。
「飯食ったか」
『まだだけど…』
「いとしけゆうびんです!!」
『あー…』
「母さんからだ」
「おかあさんがね!すいちゃんちにもってってって!りんちのぶんはいっぱいあるんだって!」
凛と繋いでいない右手に持っていたタッパが冴から差し出される。凛は屈託のない笑みを浮かべていて、おすそわけー!とはしゃぐ。
『………そっか。いつもありがと』
糸師さん家はとても優しい。
俺たちが引っ越してきて冴と凛と交流するようになってすぐ、ウチの家のことをどこから聞いたのか二日三日に一回の頻度で夕食のお裾分けをしてくれるようになった。
戴くタッパーの中身は到底作りすぎたからなんて微妙な量じゃ無く、しっかりと重たい。俺と母の二人が充分に腹が満たされる量のお裾分け。毎回それを持ってきてくれるのは冴と凛だった。
冴はきっと、この、料理を作りすぎたから近所の人に分けてるなんて取ってつけたような言い訳を信じてないだろうに、いつも文句を言わず凛を連れて家にやってくる。凛はまだわかってないだろうけどこうやって届けに来るのが郵便屋さんみたいでしょ!といつもにこにこしてた。
「きょうもおかあさんからのおねがいできたね!にいちゃん!」
「ああ。よくやった。えらいぞ、凛」
「んへへ」
ぽんぽんと頭を撫でられて嬉しそうな凛と目尻を下げて口元をゆるめてる冴。戴いたタッパーの入った袋を一度玄関脇のラックに乗せて、視線を向ければいつものように二人の頭がこちらに向けられてたから手を置く。
『いつもありがとう、冴、凛』
「どういたしまして!」
「……ちゃんと食べろよ、睡」
『うん。いただきます』
「すいちゃん!いっぱいたべてね!」
『うん。ありがとう』
手を離したところで二人は目を細めて、表情をそれぞれ緩めると冴が視線を逸らした。
「それじゃあ母さんにお願い遂行したって報告に行くぞ、凛」
「にいちゃんと凛がんばったもんね!」
「だな」
繋いでる手を掴み直して、しっかり握った二人に俺も靴を引っ掛けて道路まで出る。五軒隣だからここから糸師家までは目視できる距離で、二人はまっすぐ家の前まで行くと振り返って大きく凛が左手を振った。
「すいちゃんばいばーい!」
「おやすみ」
『ん、また明日ー、おやすみー』
二人が門の向こうに進んで、ただいまの声が聞こえたから俺も家に戻る。
鍵をしっかりとかけ直して、横に置いてある重たい袋を持ってリビングに戻った。
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途中で投げ出していてもおかしくないようなそんな繊細な子供を、案の定、父は見捨て、母は俺を抱えて一人になったという。
看護師として勤めている母と、普通の会社でサラリーマンをしていた父との出会いは聞いたことはないけど、記憶にある母は俺が熱を出すたびに泣きそうな顔をしていたし、咳が出ただけで表情をなくし、笑みが消える。そんな家だった。
もちろん母は俺をでき得る限り看病してくれたけど仕事をしているんだから一人になることもある。元々住んでいた土地を離れてここに来たのは母の実家が近かったからで、この家は、母の両親が事情により引っ越すことになって、空いた場所に住まわせてもらっている状態だった。
土地を変えれば水が変わるのか。この場所に来てから以前ほど体調を崩さなくなった俺は近所の元気すぎる兄弟と、ほぼ毎日のようにサッカーをするようになり、ほぼ毎日体力が尽きて帰ってきてた。
「すいちゃんばいばい!またあしたー!」
『うん。また明日』
にぱっと笑った凛の頭に手を乗せて強さに気をつけながら髪を撫でる。二回ほど往復させて手を離して、隣に立ってた冴は目が合うなり眉根を寄せた。
「ちゃんとクールダウンのストレッチしてから寝ろよ」
『はいはい。わかってんよ』
毎回最後に告げられるそれはさすがに聞き飽きてる。
『冴も、また明日』
「…ん」
頷いた冴は凛と繋いでる手をしっかり握り直すと歩きだして家の中に入っていった。
「「ただいまー」」
「おかえりなさーい」
二人の姿が扉の向こう側に消えたところで歩き出す。
数軒先の自分の家の前に立った。電気のついた糸師家と違い、暗い窓の向こう側にポストの中身を確認してからポーチから取り出した鍵を差し込んで家を開ける。
『ただいま』
糸師家と違って音が帰ってくることはない我が家だけど一応声を出して、施錠をして靴を脱ぐ。
携帯でいつもどおり母に帰宅したと連絡を入れて、まっすぐ洗面所に向かいそのまま風呂に入る。出て来てから確認した携帯にはまだ返事がなくて、今日も急患が出たとかで忙しいのかもしれない。
それならそれで、仕方ない。
風呂から出たばかりでまだ湿ってるらしい足の裏がぺたぺたとフローリングに張り付く音を響かせながらキッチンに向かい、炊飯器を開けてすぐに閉じる。それから買い置きのパンを探そうとして、よく考えたら朝に食べたロールパンが最後だったのを思い出した。ゴミ箱の中にはパン屑も残ってない外装が入ってるはずだ。冷蔵庫の中も確認してみるけどこんなときに限って生麺のうどんもそばもない。
唯一見つけ出したのはパスタ麺で、乾麺を今から茹でる労力を考えて息を吐く。主食を諦め、もうこれでいいやと冷蔵庫から魚肉ソーセージを掴んだところでピンポーンとインターホンの音が響きわたった。
ちらりと見上げたリビングの時計はもう七時で、携帯を確認してもまだ母からの返事はない。
連絡事項の書いてあるホワイトボードに宅配などが来るなんてものもなくて、もう一度インターホンが鳴らされた。
仕方なく少し歩いてインターホンと連動してるディスプレイを覗く。ちょうどまたインターホンが鳴らされて、そのはずなのにカメラには誰も映ってなかった。
目を瞬いて、もしかしてと思ったところでまた音が鳴って、すぐにスイッチを押した。
『はい』
「おせぇ」
『やっぱ、冴…あ、ちょっと待って、今出る』
苛立ち気な声に慌てて廊下を通り、電気をつけて鍵を外して扉を開けた。
「遅い」
『ごめんごめん』
「すいちゃん!凛もいるよ!こんばんは!」
『ん、こんばんは、凛』
冴の隣、小さな頭を撫でる。そうすればきゃらきゃらと嬉しそうに笑いだした凛から視線を上げた。
「飯食ったか」
『まだだけど…』
「いとしけゆうびんです!!」
『あー…』
「母さんからだ」
「おかあさんがね!すいちゃんちにもってってって!りんちのぶんはいっぱいあるんだって!」
凛と繋いでいない右手に持っていたタッパが冴から差し出される。凛は屈託のない笑みを浮かべていて、おすそわけー!とはしゃぐ。
『………そっか。いつもありがと』
糸師さん家はとても優しい。
俺たちが引っ越してきて冴と凛と交流するようになってすぐ、ウチの家のことをどこから聞いたのか二日三日に一回の頻度で夕食のお裾分けをしてくれるようになった。
戴くタッパーの中身は到底作りすぎたからなんて微妙な量じゃ無く、しっかりと重たい。俺と母の二人が充分に腹が満たされる量のお裾分け。毎回それを持ってきてくれるのは冴と凛だった。
冴はきっと、この、料理を作りすぎたから近所の人に分けてるなんて取ってつけたような言い訳を信じてないだろうに、いつも文句を言わず凛を連れて家にやってくる。凛はまだわかってないだろうけどこうやって届けに来るのが郵便屋さんみたいでしょ!といつもにこにこしてた。
「きょうもおかあさんからのおねがいできたね!にいちゃん!」
「ああ。よくやった。えらいぞ、凛」
「んへへ」
ぽんぽんと頭を撫でられて嬉しそうな凛と目尻を下げて口元をゆるめてる冴。戴いたタッパーの入った袋を一度玄関脇のラックに乗せて、視線を向ければいつものように二人の頭がこちらに向けられてたから手を置く。
『いつもありがとう、冴、凛』
「どういたしまして!」
「……ちゃんと食べろよ、睡」
『うん。いただきます』
「すいちゃん!いっぱいたべてね!」
『うん。ありがとう』
手を離したところで二人は目を細めて、表情をそれぞれ緩めると冴が視線を逸らした。
「それじゃあ母さんにお願い遂行したって報告に行くぞ、凛」
「にいちゃんと凛がんばったもんね!」
「だな」
繋いでる手を掴み直して、しっかり握った二人に俺も靴を引っ掛けて道路まで出る。五軒隣だからここから糸師家までは目視できる距離で、二人はまっすぐ家の前まで行くと振り返って大きく凛が左手を振った。
「すいちゃんばいばーい!」
「おやすみ」
『ん、また明日ー、おやすみー』
二人が門の向こうに進んで、ただいまの声が聞こえたから俺も家に戻る。
鍵をしっかりとかけ直して、横に置いてある重たい袋を持ってリビングに戻った。
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