ヒロアカ 第一部
今日は日曜日。授業がない分、朝から心操の訓練を見て、午後からは休みだから部屋にこもって作業し寝る予定だった。
心操との訓練は捕縛帯を使ったもので、障害物もあり視界も見渡しにくい森の中で俺を捕まえるために奮迅していた。
隠れたり、時には相対してみたり。いろんなパターンで心操の動きを確認して磨きをかけていく。
当面の目標は数ヶ月後の後期期末試験で、それまでにもっと捕縛帯の扱いを手足のように自在に、そして柔軟なものにするための訓練を続けていく。
「ここまで」
「っ、あ、りがとうございました…っ」
ばたりと倒れた心操に近づく。差し出したタオルにまた小さく礼を述べると息を吐いて、ゆっくりと呼吸を落ち着かせているその様子を眺める。
数分すれば落ち着いたのか起き上がった心操は近くから飲み物を取り出して水分補給をし、そういえばと顔を上げた。
「出留って今日何時に帰ってくるんですか?」
「予定では八時に向こうを出て十一時には雄英だな」
「やっと出留帰ってくる…!」
長かったと笑う心操に心臓が痛む。
今回のミルコとのインターンはお試しだったから三日のみだったが、そのお試しが終わった今、緑谷が継続を希望し、ミルコが受け入れたら定期的に遠征をしてミルコの元で活動をしていくことになる。
「出留なにしてたんだろうなぁ〜…。絶対強くなってますよね!」
「…ああ、そうだろうな」
「先生…?」
ぱちぱちと目を瞬いた心操に眉根を寄せる。
「なんだ」
「あ、えっと…」
視線を彷徨わせた心操はどこか悩むように唇を結んで間を置く。
会話がなくなったことで適度に吹いている風に木の葉が揺れる音がやけに大きく感じられて、不快感に俺も口を閉じていればあの、と声が響いた。
「先生は、出留がミルコのところ行くの反対だったんですか?」
「全くそんなことは思ってなかったが…?…なぜそう思った」
「え、なんとなく…?」
「……言った当人が不思議そうにするな」
「うぐっ…。そ、そうですよね…。……んー…俺、出留は先生のところでインターンすると思ってたんで…たぶんそれでちょっと、こう…」
心操の言葉に耐えきれず視線を足元へ落とした。
裏庭のここは背が高く生い茂った木々に囲まれているせいで、陽が届かない。
「先生以外の人間に師事受けてる出留が想像つかないっていうか、出留が俺達以外の人間…緑谷と爆豪に関係したことのない人といるのが意外っていうか…」
心操の中の緑谷はどんな状態なのか。視線をむければ、斜め上を見てちゃんと帰ってこれるかなぁ、出留と溢したところで息を吐く。
「…こどもじゃないんだ。彼奴はどこでだって一人で充分に生きていけるだろう」
「え、そんなことないですよ」
きょとんとした心操は首を傾げた。
「出留はすごく怖がりで、自分の信用できる限られた人間としか一緒に居れないタイプじゃないですか」
「………そうは見えないが…?」
「俺も人見知りなんでわかるんですけど、人見知りって俺みたいに最初から人と関わりたくないってオーラだして壁作るタイプと、自分から話しかけて必要以上に踏み込ませないようにして距離感を操るタイプがいるんです。たぶん出留はそっちなんですよね」
「……………」
「出留自身が時間かけて確認するか、もしくは緑谷と爆豪が判断して教えてあげるか、そこでやっと大丈夫と思った人間に対しては心を開いて、壁が頑丈な分、中には入れた人間には逆に普通の人よりも甘くて仕方ない。…出留って、そんな感じですよ」
「………君は、よく緑谷を見ているんだな」
「そりゃあ相棒なんで」
胸を張る心操はどうにも嬉しそうで誇らしげだ。
緑谷が眠りについたとき、不安がっていた心操は、今じゃ緑谷の良き理解者であり、それが更に自信に繋がっている。
相棒の存在は心操の柱であり、緑谷にとっての支えになっているはずで、願っていたとおりの関係に目を細める。
「……その相棒に置いていかれないようにしないとな、心操」
「はい!まずは期末!それから来年の仮免絶対受かります!」
「ああ、その調子だ」
「はい!!」
張りのある声。いつの間にか立ち上がってた心操に引き上げるため歩き出す。
「とりあえず出留にはミルコとなにしたのか教えてもらって、俺に活かせることを探さないとですね!」
「そうだな…。まぁ彼奴もこれからインターンであちらに赴いて学校を離れてる時間が多くなるだろうから、こまめに連絡を取るといい」
「…あれ?出留のインターンってお試しじゃなかったんですか?」
「今回の体裁上はな。三日間様子見をして、問題なければそのまま継続だ」
「へー…?」
不思議な声を溢した心操はわかりやすく驚いてる。
訓練のために奥まで来ていたせいでまだ表につくまで少し歩かないといけないから、間を保たせるために口を開いた。
「ミルコのところでもうまくやっていたようだし、君がさっき言っていた内側にミルコは入ったんだろう。それならばミルコに師事を続行してもらうのが彼奴の成長にも繋がるし、社交性も身について合理的だ」
「そう、ですか…?」
戸惑い混じりの声に視線を向ける。
「何が引っかかる」
「引っかかるっていうか…」
首にかけたままの捕縛帯の端を指に巻き付けて。口の中で言葉をもごつかせた心操は不安げに顔を上げる。
「相澤先生、出留の訓練はもう見ないつもりですか?」
「、」
心配そうな心操の目。不意にそれが昨日の爆豪の目と、一昨日の緑谷の目と重なる。
雰囲気も言葉も、表情もあの二人とは違う。純粋に心配していると言いたげなその目に思考がぐらつく。
「……なぜ、そう思う」
「…なんだか、先生が出留から手を引こうとしてるように見えて」
「……ああ。その通りだよ」
「、なんでですか?」
「ミルコの元で成長している最中の緑谷に、いくら以前見ていたからと言っても他のヒーローが指導するのはばらつきや矛盾が生まれる可能性が出てくる」
「でもそれ、学校だってそうですよね。俺の訓練は相澤先生がメインで見てくださってますけど、ミッドナイトやプレゼントマイク、他の先生も見てくれてます」
「あくまでも学校だからな。お互いに情報を共有できるし、何かあればすぐ統一したりできる環境だ。ミルコは教師ではないし、遠方の人間。考え方からまず前提が違う。逆に知らない人間であるほうが、視野を広げるという意味でも今回のインターンにミルコを選んだ彼奴が正解だ」
「…出留にはそれ、言いました?」
「伝えてはいないが、彼奴なら理解してるだろう」
「……………先生、それでいいと思ってるんですか」
低い、心操の声。
どこか苛立ち混じりのように聞こえるそれは爆豪の言葉と似ていて、強い視線に目を逸らす。
「それが、彼奴のためだ」
心操が立ち止まる。ついてこなくなった足音に仕方なく俺も足を止めて振り返った。
「……心操?」
見据えた先の心操は目を丸くしていて、わかりやすく眉尻を下げる。
「…先生は出留がミルコを選ぶ未来しか話さないですけど、出留が先生を選んだら、どうするかは考えてるんですか?」
「…そんな未来はもう存在しないから、考えるだけ時間の無駄だ」
「………そう、ですか」
先程までの勢いのなくなった声。怒りでも戸惑いでもない何かが混じったそれは、どこか一昨日の夜の緑谷の声に似てる。
ぎゅっと手を握った心操は何か迷っているようで、はくりと息を吐いて、意を決したように顔を上げた。
「先生…、今から言うことに対して、俺は謝りませんから」
「、は?」
すぅっと大きく息を吸って、吐き出す。
「…先生の…っ、ばーかっ!!」
「は??」
大きな声に目を見開く。心操はむっとしてそっぽ向くと歩きだしてしまって、横を抜け離れていく背中に思わず手を伸ばした。届く前に避けられてしまい、振り返った心操は何故か泣きそうで、手が止まる。
「急にどうしたんだ、心操」
「自信喪失中の先生となんて話したくないです!今日は訓練ありがとうございました!また明日からお願いしますっ!!」
「はぁ…???」
走り出した心操を見送ってしまって、一人取り残される。訳がわからず固まっていれば笑い声が聞こえてきて、目を向ければ山田が腹を抱えて笑ってた。
「最高だなお前の教え子!」
「山田…」
あまりに笑って溜まったらしい涙を拭うと上がった息をわざとらしく整え、でぇ?と伺われる。
「今なんで罵倒されたのか、わかってんのかぁ?相澤ぁ」
「……いいや、まったく」
「あー、これは重症じゃねぇか」
左右に首を横に振ってあからさまなため息をつく山田は何を知っているのか。
教師として勤めて歴はそう長くはないけれど、それなりに生徒たちと触れ合い、育ててきたと思っている。今までにない経験に目の前の男を見据えた。
「なぁ山田、俺には何が足りないんだ」
「あ?そりゃあさっき心操が言ってたじゃねぇか」
無理しているようにも見えたし、本心でもあるように見えた。心操の吐き出していった言葉を思い返して、自然と音が溢れる。
「………自信?」
「そーだ。自信だ、自信」
伸ばされた手が肩をとんとんと二回叩く。
「なー、相澤、なんでお前ミルコに緑谷やっちまったんだ?」
「、それは…彼奴が成長するためにはそのほうが最適だったから…」
「たしかにミルコはお前と違ってがっつり武闘派で緑谷の体術に磨きかけるっつー面ではそっちのが成長は見込めんだろうな」
「ああ、その通りだ」
「俺もその判断に関しちゃあ納得いくがよ、」
腕が肩に回って、組まれる。
「それは日頃の訓練を見てやらなくなる理由にはならなくねぇか?」
「…どこから心操との会話を聞いてたかは知らないが、緑谷の成長にあたり、ミルコとの指導方針の違いで惑わせないようにするためだ」
「へー。その場合、彼奴の精神面と個性技術面は誰が見てやんだ?」
「……それは担任である香山さんでも、授業でも見れるだろう」
「はぁ〜。ほんとにどうしちゃったよ、お前」
肩に回されたのとは別の、右腕が上がると人差し指が俺の額を突き刺す。それなりの力がこもってる指に若干痛みを覚えて、睨もうとすれば手が離れた。
「緑谷はお前の生徒だろ?自分の生徒を最後まできっちり面倒見るのがスジじゃねぇの?」
「、」
「最近のお前はぶれてんだよなぁ。ミルコはたしかに強ぇーけどよぉ。緑谷に必要なのはそういう強さじゃねぇと思うぜ?それくらい遠目から見てる俺でも香山さんでもわかんのに、俺らん中で一番細かいとこに気づいて、彼奴に信頼されて近くにいるお前が、なんで気づかないふりしてんだ?」
腕が降ろされて山田は向かいに立つ。強制的に目があってしまって、強い視線に逸らすことができなかった。
「なぁ、相澤。緑谷にミルコの話するとき一緒にインターンの話を持ちかけなかったのはなんでだ?」
「、インターンは生徒から志望するものだろ」
「ふーん?あんだけ資料黙々と作って外堀埋めようとしてた奴の台詞とは思えねぇなぁ」
「……なんで知ってる」
「親友の俺様はなんでもおみとーしって言いてぇところだけど…ま、みんな知ってんだろ」
「は、」
「校長に普通科への干渉権限もらったり、香山さんにいくつも引き継ぎしてんだ。察しねぇほうが無理だっつーの」
やれやれと首を横に振った山田に唇を噛む。
緑谷が仮免試験を受けると決まった時点で、彼奴は必ず免許を修得できると思っていた。だからこそ、少し早く校長へは普通科生徒にも同じように学校を抜けても受けられるよう補修を行える制度の適用をしてもらったり、香山さんにも調整をしてもらっていた。
「……校長と香山さんには無駄な手間をかけた」
「まぁお前がその調子じゃほんとに無駄になっちまうだろうな」
「………俺がどうしようと、今更なにも変わらない」
目を瞑る。
数日前、資料作成中に届いたミルコからのメッセージ。あのミルコが名指しで届けたそれを確認して職員室内は盛り上がっていたけれど、俺は冷水をかけられた気分だった。
緑谷の成長と活躍が人の目にとまった。それはきっと、あの子の今後において、とても大切なことだ。自身の行動が認められたという証左で自己肯定感を高め、以前からの課題である、自分を大切にすることへの意識にも繋がる。
大切なことなのに、それが、どうしてか、素直に喜べなかった。
「…緑谷は、俺なんかが縛り付けておいていい子供じゃない」
「へー。なんでだ?」
「あの子は、俺しか見てこなかったから、それしかないと思っているだけで、周りをもっとたくさん見るべきなんだ」
「…………」
「頼りない俺なんかよりも強くて、思考も早くて、迷いがない。そういう人間といたほうが彼奴はよっぽど、」
「わっ!!」
「いっ」
急に個性を使った大声を出されて、その声量に鼓膜が悲鳴を上げる。頭を押さえて顔を上げれば山田は方眉を上げて俺を見下ろした。
「相澤の思慮深いとこはいいとこだけどよ、考えすぎて卑屈になんのはよくねぇ」
「…すべて事実、」
「そういうとこ!もっと欲張れよ!相澤!!」
胸ぐらをつかんで、ぐっと持ち上げられる。あまりの荒い言動に固まれば山田は眉根を寄せ俺に叫ぶ。
「考えてんこと緑谷にちゃんと全部話せ!彼奴も人の考え深読みしすぎるタイプだろ!お前に見捨てられたと思ってミルコんとこ行ったのかも知れねぇじゃねぇか!」
「、見捨ててなんかない!俺は彼奴が成長すると思ったから勧めたんだ!」
「だから!それを!言え!!心操も言ってただろ!!お前は話が足んねぇ!」
「話はした!それで彼奴がミルコを選んだんなら今更俺にできることなんて!」
「だから!前提がちげぇ!お前は彼奴に相澤かミルコか選ばせなかっただろ!」
前後に揺さぶられて脳が揺れる。投げつけられる山田の言葉とさっきの心操の言葉、それから昨日の冷たい爆豪の視線に一昨日の緑谷の敵意。
全部がまざり一つになって、もしかしてと目を見開いた。
「周りからは…俺が緑谷を突き放したと、思われてるのか…?」
「そういうことだよ!ばか!」
手が離れる。大声のせいか息を切らしてる山田はふーっと大きく息を吐いて、顔を上げた。
「で?生徒の成長を慮るあまり、しっかり生徒に見限られて自信喪失意気消沈中なくそ教師の相澤くんはこれからどうすんだ?」
「おい、言い過ぎだ。そこまで沈んでないぞ」
「はっはっ!これはおもしれぇジョークだぜ!」
わざとらしい乾いた笑み。先程まで掴まれていて詰まってしまった首元に服を正して、息を吐く。
「俺は部屋に戻る」
「なにすんだ?」
「…緑谷が帰ってくるまでに、やることができた」
「そーかよ。手伝えることは?」
「…、いいや、もう十分だ」
息を吸って、吐いて、ひさしぶりにきちんと呼吸をした。
俺の行動にはいつから迷いが出ていたのか。少なくともミルコから要請が来たときよりも前のはずで、きっと、思ったよりもあの優秀すぎる不気味な子供の中身が幼いと気づいたときから、少しずつ迷いが生じてた。
まっすぐと山田を見れば山田の眉間にはもう皺はない。
「……今度、カラオケにつきあってやる」
「酒付き合え!酒!次の日休みの日に朝まで飲むぞ!」
「…ああいいぞ、俺に休日があればだがな」
「急に調子上げんじゃねぇか!」
山田が肩を組んで行こうぜブラザーと笑うから、手を解いて歩き出す。
「俺はお前と兄弟になった覚えはない」
「つれぇー!俺らの親友がきびしーぜ!朧ぉ!」
「うるさいぞ、山田」
いつも通りの山田はへいへいと騒ぎ始めるからさっさと歩いていく。
目指すのは自室。この間緑谷に渡せたあの簡易資料だけでは足りない。俺の考えをすべて伝えて、その上で選んでもらうべきだ。
歩調速度が上がっていたようで最後は駆け込むようにして部屋に飛び込む。パソコンをつけてロックを外し、髪を結んで、頬を叩いた。
「よし」
見据えた時計はまだ昼を過ぎたばかりで、ここから約十時間、本気で資料をまとめないといけない。
間に合わせるには飯なんて抜きだなとキーボードに手をおいた。
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