ヒロアカ 第一部
「いい加減お前と腹を割って話そうかと思ってな」
向かいの緑谷の視線は若干揺れている。あからさまな動揺が見えるその様子に、渡した紙はそれだけ予想外だったんだろう。
「まず、全員を助ける必要はヒーローでもない。だから君が守るのは今までどおりあの二人だけでいい。…そして、君は緑谷と爆豪を守るためならば手段を厭わない、違うか?」
『……………』
「答えろ、緑谷」
『…多少は、考えてます』
「そうか。その手段に個性使用が含まれることはゼロと言い切れるか?」
『…いいえ』
「だろうな。ならば尚の事、君は免許を修得しておくべきだ」
ぴくりと右手の指先が揺れる。表情が曇っていて視線は揺れたまま。力がこもっているのか持っている受領書に皺が寄っていく。
「悪用は推奨しないが、これからあの二人はヒーローとして危険地帯に赴くことがある。そんなときに君は一人、安全地帯で待っていられるわけがない。その場に共に居て守るのが合理的じゃないか?」
『……それは、そうです、…けど、』
「“けど”、なんだ?」
『…………』
「言葉にしないと相手には伝わらないぞ、緑谷。続きはなんだ」
ぐらぐらと視線が揺れて、だんだんと呼吸の間隔が短くなっている緑谷は思考が纏まっていないのかもしれない。
苦しそうに眉根を寄せながら首を詰めてたシャツのボタンを一つ外した。
『俺に、免許は、要らなくて、』
「なぜだ?免許があればどこまでもついていけて彼奴らを守れるだろう?」
『それは、そうですけど、でも、』
「“でも”?」
『……俺、が、免許なんて取ったら、……………。』
「取ったら、なんなんだ」
はっきりとしない物言い。不安げな色を混ぜた言葉を止めるように唇を噛んだ緑谷に苛立ちから自然と語尾が強くなる。
『、…目立つ。目立ったら、変だ』
「…それは以前にも言っていたな。どうして変だと思うんだ」
『……だって…』
緩めた首元に右手を添えて、何かをつかむような形で指の形を止めると短く息を吐く。
『だって、俺は、兄だから、』
「なぜ君の中で兄は目立ってはいけない」
すっと、目の色が変わり、口角がいびつに上がる。
『“俺のお兄ちゃんに、外の功績は要らない”』
誰かが言わせているかのような言葉。妙な寒気が背筋を這ったから咄嗟に個性を発動させて緑谷を睨む。
「緑谷」
『、っ、あ…?』
ぐらりと視線が揺れて瞳の色が戻る。どこか不思議そうな表情に唇を結んで、息を吐いた。
「話を戻そうか。…まず緑谷。君は目立つことを嫌っている。だから君は形として功績を残さない」
『…………』
「弟や幼馴染を守ることを生き甲斐にし、そのためにこの学校についてきて、更には行動をしている。そこまでは良しとしよう」
向かいの視線は揺れていて先程までよりも戸惑いが強く見える。
あの二人に教えてもらったことができているのかはわからないが、この表情は、何回か見た覚えのあるものだった。
不調を隠して訓練中に倒れた時。俺との初めての対人戦で自傷行為に走った時。いずれも目が覚めてすぐ詰問をした覚えがあるし、その時に周りの人間を引き合いに出した。
今思えばどちらも緑谷の様子は普段と違った。あの時は電話などで話が途切れたがあのまま続けていれば、その時には中身が確認できたのかもしれない。
だから、今も、成功していると信じて口を開いた。
「君は免許が必要ないと思っている。まぁそれも良しとしよう。価値観も考え方も人による。……だが、それだけ頑なに自らの功績を残さないことによって悪目立ちしていることは理解しているか」
『………いいえ』
「入試は満点。だが、新入生代表は務めない。特待生として普段の成績も優秀。だが、委員などには参加しない。……客観的に聞いて、不可解とは思わないか?」
『……別に…そんな人も、いるんじゃないですかね』
「ほう?」
『……………』
「ならばそんな不可解な人間のそばに向上心の塊の幼馴染と、探究心の塊の兄弟がいたとして、…その二人は、そんな身近にいる不可解な人間の行動を訝しむ可能性はないと思うか?」
『、』
「…そうだな…。たとえばあの二人がただのクラスメイトだったならば、爆豪は舐めプは放っておけと視界から外すだろうし、緑谷は不審に思いつつ距離を保って事情を確認してくるかもしれない。なぁ、あの二人はそうすると思うか?」
『………ええ、たぶんあの子達ならそうすると思います』
「そうか。では、次に。あの二人と対象者の距離が幼馴染と兄弟だったとして、そんな人物が身近にいたらあの二人はどうすると思う?」
『…………………』
「どうした、緑谷。あの二人のことだぞ。以前の雄英の今後を考えたときよりも簡単だろう?どうすると思う?」
唇を結って、手が握りしめられる。先程よりもどことなく不機嫌さを増したような顔でゆっくり口を開いた。
『出久、は、気づかないふり、して、勝己は、諦めます』
「二人の行動の違いはなんだ?」
『…勝己、は、知ってるけど、出久は、知りたく、ないから』
爆豪と緑谷を呼び出して聞いたとき、緑谷はわかりやすく泣きだして後悔したが、爆豪はひどく苛立っていてそして時折寂しそうに視線を落としていた。
それがこいつの言う諦めのせいなのであれば、早急に改善すべきだろう。
「ならお前は二人に対して心労を負わせている訳だが、それはヒーローを目指そうと前をむこうとしている二人の足枷となっている可能性はないのか?」
『俺はっ、あの子達を縛ってなんか、』
急に語調が強くなる。ぶれた言葉遣いに口角が上がった。
「そうか?お前の言動を気にしない人間は本当にいなかったか?よく考えてみろ、緑谷」
『っ、……人使や発目さんが、すごく。でも…』
「…彼奴らの言葉はお前に関係ないと?」
『…………』
「あの二人は、お前の内側ではないから、何をしてもされても関係ないか?」
『違うっ!違う、から、だから、困って、』
歯を食いしばったことで軋んだ嫌な音が響いた。
『ああ、ったく、ほんと…っ』
小さく言葉を溢して頭を掻く。右手がゆっくりと降りて俺を睨む。
『先生、俺に、何を聞きたいんですか』
「お前の本音を確認したい」
『俺、は、』
「君の行動は現状悪手だ。能力をセーブすることに固執しすぎて周りが見えておらず、特に近い緑谷と爆豪の行動を妨げてる。そんな簡単なこともわからないのか?」
『は…?』
ぎらりとした瞳と不愉快だとも言いたげで小さく舌打ちが溢れる。
『、っくそ、なんで、ふざけんなよ…』
「………それがお前の本心か、緑谷」
揺れる視線。乱れ始めた言葉。首に伸びた指先が爪をかけるように皮膚を掻いて、迷う視線がじっと俺を見据える。
「もう一度聞く。君のその行動は自身を苦しめるだけでなく弟と幼馴染の行動まで制限する悪手だ。それをまだ続ける必要はあるのか?」
『俺は、二人を制限するつもりはない、です』
ぎろりと睨みつけられているような鋭い視線。爆豪によく似たそれは弟とは似ていない目をしてる。
「二人の足を引っ張って現状を維持するのが希望か、緑谷」
『、っアンタになにがっ!』
大きくなった声に身構える。ないとは思うが個性が暴発する可能性も踏まえ、いつでも動けるようそっと捕縛帯を握った。
一瞬怒りに飲まれそうになったと思うと視線を下げて首筋に何度も爪を立てる。
『あぁ、ちっ。くそっ』
「緑谷、答えろ。お前は足を引っ張りたいのか」
『…ちげぇわ。んな訳、あるか』
がりがりと首を掻きすぎて血が出るんじゃないかと心配になる。それでも言葉遣いが変わったことに、ようやく現れた中身に口角を上げる。
「ならその悪手を続ける意味はなんだ?」
『別に、意味なんてない、です、し、俺は、いつも、ちゃんと、してて…』
「ほう?それはおかしいな。ならば…今なんの実績も残せていないのは君の上限がここまでということか」
『…あ?』
ゆらりと頭が揺れて、目尻が上がる。交わった視線はひどく冷たいのに感情が乱れているせいか眉根が寄っていて口角が下がってた。
『俺の上限?』
「ずっとお前が力をセーブしていたのは理解している。けれど、今になっても成果が出ないのは周りと比べてお前が劣っているからじゃないのか?」
『っ、はぁ、?』
「弟と幼馴染に気を遣い過ぎる余り、努力を怠ったか?緑谷」
『ふざけんなよ…っそれを、それをよりにもよって、アンタが、っ』
わなわなと口元が動いてがりっと首筋を爪が掻く。
急に重くなった空気にここからが正念場かと気合を入れ直して口を開いた。
「俺が、なんだって?」
『俺、俺を、褒めた…アンタが、っ』
「褒められることなんて今までいくらでもあっただろう」
『ちげぇわ。外の人間なのに、先生は俺を褒めたから…俺はアンタに初めて褒められたからっ』
首筋を掻いていた手が顔を覆うように額を押さえた。
『ちがうちがうちがう、こんなの俺じゃない。ふざけんな』
「緑谷、俺がお前を褒めたらなんだっていうんだ」
『初めて頑張ろうって思ったんだよ!俺は外の言葉に応えようって!なのに今の俺を否定すんな!』
「、」
『ああくそっ!気持ちわりぃな、なんでうまくいかねぇ!』
吠えるような声に反応が遅れた。前髪を握って言葉を吐き始めた緑谷の右手に握られた書類に皺が寄る。
『こんなもんがあるから…っ!俺と出久と勝己だけで良かったんだよ!それなのに周りが放っといてくんねぇから!!』
「生きていく以上、人と関わるのは仕方ないとわかってるだろう?」
『知ってるわ!馬鹿にすんな!』
爆豪のように言葉を荒らげる緑谷がふらついて首を横に振った。
『だからちゃんと生きてただろ!いい兄でいい幼馴染で、ちゃんとみんなの期待に応えてただろ!!なのに今更正しくねぇって!辞めろって言うのかよ!』
「落ち着け。否定はしてない。緑谷が弟と幼馴染、それから家族や友人を大切にしていることは俺もわかってる」
『はぁ?』
「お前が兄であることは事実だ。今更変わるものじゃないし、変える必要もない。むしろこの歳まで期待に応え続けていることは素晴らしいよ。……君が変えないといけないのは人の目を気にしすぎて自身の能力にセーブをかけすぎることだ」
『、』
「緑谷、最後に偽らず全力を出したのはいつだ」
『俺、俺は、』
ぐしゃりと音を立てた書類に緑谷が固まる。息を吐いて、吸って、それから肩の力を抜くと書類を持ち直した。
『……これ、受理されてるんですよね』
「…ああ」
『なら試験は受けに行きます』
「そうか」
『今日は帰ります』
先程までと全く比べ物にならないほど冷静な声色と俯いていて伺えない表情。
返事も待たずに踵を返し、扉に手をかけた緑谷の背に言葉を投げる。
「緑谷、」
『…………もうわかってんだよ、そんぐらい』
ぼそりと溢れた言葉に伸ばそうとしていた手が止まる。ひどく鈍い速度で視線は上がり、俺の方を見る。前髪から覗いた瞳は冷え切っていてすぐに逸らされた。
『また明日から、お願いします』
ばたりと閉められた扉。微かに見えたはずの緑谷の中身がああも急に戻ってしまったのはやはり俺がなにか失敗したからだろうか。
息を吐いて座り込む。
あの二人が話していたとおり緑谷の中身らしきものは今まで見てきたものと少し様子が違った。
弟と幼馴染に過剰に反応するのは予想通りだったが、そこに心操や発目、まさか俺にまで波及するとは思わなかった。
寄せすぎて痛んでる眉間を解すように指をおいて押す。
「全く、難しい子供だ」
.