ヒロアカ 第一部
目を覚ましてもう何回目かの訓練が終わり、用があるから着替えたら待ってろと言われ、あっさり頷いたのが間違いだった。
寮に戻る人使を見送って、言われたとおり待っていれば相談室に先生が現れた。
持っていた書類を渡される。
受け取って、視線を落としたところで固まった。
「受けて来い」
『………え?冗談ですよね??』
「本気だ。仮免を修得して来い、緑谷」
ヒーロー免許仮免許試験申込み受領証と記されたそれに顔が引きつる。
仮免の話は出久と勝己から聞いていた。本来修得するのは高校二年生かららしいが昨今の情勢を鑑みて雄英では希望があれば一年生から仮免試験に行けるという、それ。
一年早めることで実務経験が多く積めるメリットもあるだうけど、デメリットもあるだろう。心身共に追いついているのだろうか。
少し意識を飛ばしてしまったけれど目の前の相澤先生からの鋭い視線は外れないし、受け取ってしまった書類は消えない。
一度唇を結ってから笑顔を作った。
『俺には無理ですよ。こういうのはヒーロー科や人使に、』
「いい加減そのニヤけ顔をやめろ」
『へ、』
「…何を考えてる、緑谷」
『何って…ヒーロー試験は俺には必要ないって、』
「何故」
『え…?俺はヒーローを目指してるわけじゃないですし…』
「何故、そう思った」
『俺には誰も彼も助けたいって正義感とかないので…。やけに突っかかりますね?』
首を傾げれば先生は寄ってる眉間の皺を更に深くして、口角を下げた。
「彼奴はどうしてああなんだ」
「えっ、と?」
「あ?」
呼び出して問いかけた内容に二人は同時に反応した。
緑谷は戸惑うように、爆豪は片眉を上げながら聞き返して来るから息を吐く。
「すまん、言葉が足りなすぎた。緑谷出留は何故あんなにいい兄なのか聞きたかったんだ」
「兄ちゃんが…どうして兄ちゃんなのかって、ことですか?」
「ああ」
「んなもん出留がデクより先に生まれたからだろ」
爆豪の言葉にそれもそうだと頷く。
求めていたこととは違う取られ方をしてしまうから一度思考をまとめてから口を開いた。
「悪かった、聞き方を変えよう。彼奴はどういう人間か二人から見た人物像を教えてくれ」
「兄ちゃんの…?兄ちゃんは…とにかくすごいんですっ!!」
ぱっと明るくなった表情。瞳を輝かせた緑谷に爆豪が長くなんぞと息を吐いて目を逸らした,
「すごいってどういうところがだ」
「まず頭が良くて、更に運動神経も抜群で、それから性格も良くて、なんでも似合っちゃうくらい格好良くて!」
「ほう?」
「料理も洗濯も裁縫もできるし、楽器にも明るいですし、ファッションセンスもあって!それに僕が怪我したときは丁寧にご飯を口に運んでくれるし、いつも髪を洗ってくれるときも上手だし、髪を乾かすときも熱くないよう綺麗に乾かしてくれるし、」
「……随分とあるな」
「え?そんな!まだまだ序盤ですよ!兄ちゃんの素晴らしいところなんて上げたらきりが無いです!!」
「デクに聞いたらこうなるわ。んで?結局何が聞きてぇんだよ」
「…爆豪からは何かないのか」
「あ?出留は出留だろ。ブラコン、過保護、優男」
「ひどい三拍子だな」
「答えたぞ。で、なんだよ」
二人が俺の言葉を待つから息を吐く。兄のことになるとテンションが高くなりすぎる緑谷と、警戒心の強くなる爆豪に視線を逸らしてから戻した。
「まずは俺の見る人物像と相違がないか知りたかった。二人から聞いた内容は大体俺が見て感じるものと近いだろう」
「はい!兄ちゃんはすっごいんです!」
「ならば何故、彼奴はその能力に応じた功績を残していない?」
「、」
「それは、兄ちゃんは…」
目を見開いて視線を逸した爆豪。緑谷の視線は揺れているも困ったように眉をひそめていて、予想通り緑谷が口を開いた。
「兄ちゃん、は…あまり、目立つのが好きじゃないみたいで…」
「ああ、そんな様子は普段からも見受けられる。入学式の挨拶を断っているのもその一種だろう」
「え!?兄ちゃん挨拶選ばれてたんですか!??」
「なんだ、知らないのか」
「兄ちゃん、そういうことはあまり話さないので…はぁ、壇上の兄ちゃん見たかったなぁ…」
悔いるような緑谷のため息。爆豪がようやく視線を俺の方に戻す。
「出留は目立ちたくねぇから目立つことはしねぇ。それだけだ」
「何故、目立たないようにする必要がある?」
「それは…」
珍しく歯切れの悪い爆豪の返答に眉根が寄る。あまりに寄ってしまって痛みを覚え始めたから眉間を指先で揉んで、じっと爆豪を見据える。
爆豪の視線は隣の緑谷に向いていて、一瞬苛立ちを滲ませると大きく息を吐いた。
「彼奴が目立ったら、比較されん奴が居るだろ」
「、」
「それは…兄弟間の話か?」
「…別に兄弟に限ったことじゃねぇ。頭が良けりゃ頭が悪い奴は比べられんし、運動ができりゃ運動できねぇ奴が比べられる。全部なんでも比べられんだ。だからいつだって控えてる。まず出留は……、…この世の中なら、個性がないだけで劣等種になれんだろ」
夏先、林間合宿中に敵連合に攫われた爆豪と同時刻に攫われたという緑谷。一部の生徒により奪還された爆豪とは違い緑谷は数日の間を置いて帰ってきてその後すぐに個性登録を出した。
元々緑谷が個性を使えるとはオールマイトから聞いていたものの、提出された個性登録に俺は眉根を寄せ、心操は嬉しそうに笑ったあとに個性まで持ってチートかよと脇腹を突いていた。
そんな緑谷出留が以前より個性を使えたことを暗示させる爆豪の言葉に、隣の緑谷は驚いたように固まっていて首を横に振った。
「比較して人格を測るのは現代教育の悪いところだな。無個性と偽っていた件に関しては気になることしかないが、まぁ置いておこう。…だが、今は兄弟共に個性がある。雄英は比較して育てていないし俺も彼奴だけを見て話をしている。それなのに何故、彼奴が今も気にする必要がある?」
「んなもん、俺に聞くなや」
「何が彼奴を抑制しているのか心当たりはないか」
「………出留が兄らしくあろうとすることに、不満でもあんのかよ」
どこか警戒するような姿勢を崩さない爆豪にまっすぐ目を合わせる。
「雄英の教師として、彼奴の指導者として、俺は彼奴の本気を見てみたい」
「………」
「思い出したかのように力をセーブして調節している姿は俺には不自由そうにしか見えない。お前たちは、彼奴があのままでいいと思ってるのか」
「…俺は、」
「僕は、兄ちゃんが兄ちゃんであることに、兄ちゃんがなすことに異論はありません」
聞こえた声は真剣そのものだった。きゅっと寄った眉根、笑っていない緑谷に思わず唇を結って、俺も眉根が寄る。
何か言いかけた爆豪が口を噤んでじっと緑谷を見た。
「兄ちゃんはいつどんなときだって優しくて、正しい。僕とかっちゃんを傷つけないよう最善を尽してます」
緑谷の口調は固く揺るぎない。それから緑谷は一度呼吸をして、だからと隣の爆豪を見た。
「僕は、兄ちゃんに無個性だって偽らせてしまってた僕に悔いてますし、今、とても腹が立ってます」
「それは、」
「…僕が無個性だったから、兄ちゃんも無個性になったんでしょ?かっちゃん」
「……………」
言葉はないけれど目を逸した爆豪に緑谷が俯く。
「君も、兄ちゃんも、僕だけに隠し事なんて…二人で護ろうとするなんてズルいよ。いつかな…たぶん兄ちゃんが隠したのは四歳のときかなぁ。かっちゃんが僕に当たり強くなったのそのくらいだもんね。……三人、ずっと一緒って約束したのに…約束を最初に破ったの…僕だったんだね…っ」
口元がいびつに弧を描いて、緑谷が目元を抑える。爆豪は口を閉ざしたまま、緑谷は目元を強く擦って拭うと大きく呼吸をして顔を上げた。
「僕が原因なのはわかってる。勉強は苦手じゃないけど兄ちゃんに比べたら成績は劣るし、体育だって得意じゃない。音楽もリコーダーの実技じゃ及第点しかもらえないし、料理だってほとんどしたことなくて裁縫だってボタン付けがやっとだ。一人でお風呂に入ったら髪を乾かすのも面倒くさくてそのままよく寝ちゃうし、兄ちゃんが居ないだけで寂しい。兄ちゃんが居ないのは堪えられない」
「…いい加減出留離れしろや」
「無理だよ。…でも、」
珍しく怒鳴らず吐き捨てた爆豪に、食い気味に言葉を紡いだ緑谷は爆豪から目を逸らさなかった。
「それは君だって同じでしょ、かっちゃん。それに、きっと、兄ちゃんも」
「あ?」
「僕はもう個性を持ってる。兄ちゃんもそれはわかってるから時期もあったのかもしれないけど個性を登録した。だけど未だにセーブしてるのはきっと、僕やかっちゃんと離れてしまう可能性を少しでも減らしたいからだと思う」
「根拠はなんだ」
「ファンクラブのときのこと忘れたの?」
「、」
「目立ったらめんどくさいことがある。僕とかっちゃんとの時間が減るかもしれない。先生に厄介事を押し付けられたりして自由に動けないかもしれない。兄ちゃんは兄ちゃんの知らないところで、僕達が苦しむのを可能性だろうと嫌ってる」
何かを思い出したのか口を噤んだ爆豪に緑谷が言葉を並べる。
兄弟というには、幼馴染というには近すぎる三人の距離感。
口を出せず、ただ顛末を知るために耳を傾ける。
「でも、ここではあんなことはないし、近い将来僕達がヒーローになったらずっと心配をかけるのはわかってる分、少なくとも今は僕達が苦しむ可能性がないことを知らせて……それでそれから兄ちゃんにもぉっっっとかっこいいところを見たいって言ったら、きっと兄ちゃんは本気を出すと思うんだよね!!どう思う?かっちゃん」
「…………話の流れが急すぎてなんでそのオチになったのか意味が微塵も理解できねぇ」
「え、嘘!?」
「だからてめぇはデクなんだよ」
「ええ!?」
爆豪に大きなため息をつかれて吐き捨てられたことに緑谷が目を丸くして慌てる。
どこから説明したらいいんだろうと悩み始めた緑谷に爆豪はもう一度息を吐いて椅子を蹴って、静かにさせたところで俺を見た。
「出留を本気にさせられる可能性は一つある」
「…なんだ」
「出留をブチ切れさせる」
「……なんだと?」
信じられない提案に固まれば爆豪がにんまりと笑った。
「今、先生含め周りが見てんのは大体が外面の出留だ。つまり、誰がどう見てもいい兄の度を越したブラコン属性に、何でもそつなくこなす才能マンで、そのくせ責任が発生しそうな代表の話になったりするとへらへら責任逃れする優男」
「兄ちゃんの表現ひどくない??」
「黙ってろ。外面っつってもアレだって出留の一部。…でも、それは半分だけだ。中身が足りてねぇ。中身を引きずり出すには理性を欠かせるのが一番だ」
「それでキレさせろと」
理性を欠いたときにでるのが本性なのは理屈としてわかる。
それでもどうにも爆豪の笑みが引っかかって問いかけた。
「彼奴の中身はなんだ」
「あ?…それは俺が教えることじゃねぇだろ」
「えっと、最初はちょっとびっくりするかもしれませんけど…兄ちゃんは兄ちゃんなんで!そこだけは安心してください!相澤先生!!」
にこにこしてる緑谷にますます眉根を寄せる。二人とも俺には教える気がないらしく、諦めて息を吐いたところで爆豪が右手のひらを見せるように広げた。
「出留を怒らせる条件は五つ。どれが欠けてても、弱くても、彼奴は理性を保つ」
「…ゲームみたいな奴だな」
一度手を握り、人差し指を立てる。
「一つ目は自分の知らない情報やテリトリーに急に囲まれること。自分の知らねぇことを突きつけられたり、知らねぇ場所に理由もなく移動させられたりすると彼奴は動揺が強くなるなって思考が鈍るからこれは絶対条件だ」
「兄ちゃんそれが嫌でなんでも勉強してるところあるもんね!この間なんて発目さんに触発されたのかメカニックの教本見てたしっ!」
「二つ目は質問を繰り返されること。これは圧迫面接みてぇに同じ質問繰り返すでもいいし全然ちげぇ質問をしてもいい。とりあえず数を打つ。出来んなら答えづらそうな嫌な質問ぶつけまくるといい。はぐらかされるだろうけど諦めんな。もし答えなきゃ催促して必ず答えさせ続けろ」
「勉強系の質問はもちろん無意味なので気をつけてください!兄ちゃん逆に楽しみはじめて学校の先生泣かせたことあるんで!」
「三つ目は絶対に目を逸らすな。逸した瞬間今まで与えたダメージを全部回復しやがる。最初からだ」
「兄ちゃんは頭の回転速いですし、迷いを見せた瞬間に立て直しちゃうので気をつけてくださいね!」
段々とRPGのボス攻略を聞いている気分になってくる。頭の中を整理し、なにか既視感に襲われたから続けてくれと眉根を寄せた。
交互に話す二人の、爆豪の四本目の指が立てられた。
「四つ目、俺とデクの話題を出す。ただし、比べるとしてもぜってぇ俺達を下に言うなよ。これは次の条件に関係してくるけど、俺達を下位にして話すとキレる前に排除にかかってくる」
「…排除とは具体的にどうしてくる」
「俺とデクに関わんねぇよう手を回したり、最悪対象の人物を闇討ちする」
「…闇討ちは犯罪だが?」
「バレなきゃ犯罪じゃねぇが出留の口癖だ」
「彼奴、そんなことを言ってるのか??」
爆豪が目を逸らして、緑谷も明後日の方向を見る。あからさまなその態度に後で聞くことにして最優先事項へ話を戻す。
「まぁいい。最後はなんだ」
「…五つ目」
開かれた手のひら、爆豪が歯を見せて愉しそうに笑った。
「これらすべてを信頼した人間にされること」
「は…?」
「えっと…兄ちゃん、人の好き嫌いが激しいんです」
「そんな風には見えないがな」
「出留は外面が良いんだよ。誰とでも仲良くなったように見えるけど本当に優しくする相手は少ねぇ」
「兄ちゃんはあまり人を信頼しないので、条件の中じゃもしかしたらこれが一番の難関かもしれないですね」
とんでもない条件に眉を寄せて、そうすれば緑谷は笑って爆豪は手を下ろした。
「でも、先生なら大丈夫だと思います」
「根拠は?」
「アンタは俺とデクを叱って褒めて護れるからだ」
「お前たちを?」
頷いた二人は手を上げてお互いを指す。
「かっちゃんを公衆の面前で護ってくれました」
「デクがルールを破ったことを咎めただろ」
二人の言葉にいくつか思い当たる出来事はあったものの首を横に振る。
「……それは教師として当たり前のことをしただけだろ」
「当たり前のことをできる相手だから、兄ちゃんはきっと先生を好いてます」
微笑みに近い、柔らかな表情で緑谷が言えば爆豪が頷いた。
「俺達の言葉を出留が無視する可能性は限りなくゼロだ。だからこそ俺達が話す好意的な内容はしっかり覚えてて自分でも確認してる」
「相澤先生の話はたくさん兄ちゃんにしてるので、先生への好感で感情が構成されてます!」
「アンタがもし俺達に敵意を向けて、それを俺達が出留に言わない限り問題ねぇ。今現状での先生への好感度は高けぇはずだ」
「………ここでもお前たちが出てくるんだな」
「当たり前です!」
「当たり前だ」
言葉尻は違うものの同時に頷いた二人は緑谷出留の中の自分たちの存在の大きさを疑ってないように思う。
「兄ちゃんは僕達だけが宝物ですから、僕達以外を見るなんてありえませんよ」
「出留が俺達以外のどこの誰を優先するっつーんだよ」
「………彼奴も大概な奴だが、君たちも大概なブラコンだな」
「けっ」
「兄ちゃん大好きですから!」
照れたのを誤魔化すために鼻を鳴らしそっぽ向いた爆豪と、とろりと嬉しそうに笑う緑谷。
目に見えてわかってるブラコンよりも、執着している二人のほうが質が悪そうで、彼奴の弟離れを促す前にこいつらの兄離れをさせるほうが難しそうだ。
「…………まぁいい。時間をもらって悪かったな。助かった」
「いえいえ!全然、兄ちゃんの話ができて嬉しかったです!相澤先生!」
「出留をキレさせられたら、感想教えてくれや」
「ああ、もちろんだ」
時間を見ればそれなりに話し込んでいたようで生徒をこれ以上拘束するのは憚られた。
立ち上がった俺に察して、二人も腰を上げて頷く。扉に手をかけた二人に腰を下ろして、そうすれば部屋から一歩出た状態で二人は止まり、振り返った。
「「相澤先生」」
「兄ちゃんをよろしくお願いします」
「…出留を頼みます」
「、ああ」
二人が頭を下げて出ていったところで扉が閉まり、静かな空気が流れる。
緑谷と爆豪の話を整理して一度目を閉じ、先程の既視感の正体に当たりをつけて開いた。
息を吐いてそれから、鞄に手を伸ばした。