DC 原作沿い
ゼーゼーと音を立て、苦しそうに胸を上下させる。今まで見たことのないくらい険しい表情のパリジャンは、あの日からほとんどを眠って過ごし、時折目を覚ますものの意識は曖昧であの日何が起きたのか口にすることはない。
起きている間はひどく一人を怖がって、生活もままならないほど弱ってる。
ちょうど大きな仕事を終わらせ暇な俺がいることで今のところなんとかなっているものの、このままだとまずいかもしれない。
連絡を入れて一週間。予定よりも一ヶ月早く仕事を切り上げてフランスから帰ってきたベルモットはまっすぐ部屋に来た。
「アイリッシュ?一体どういうこと?」
「知らねぇよ。迎え行ったらこの調子だ」
「………わんちゃん…」
今日は体調が悪いらしく苦しそうな呼吸音を響かせていて眠りが深い。
眉尻を下げたベルモットがパリジャンの髪を撫でる。
「…その日、一緒にいたのはヘルエンジェルの娘よね」
「ああ。…だがそいつも診察を終わらせて車に戻ったら苦しそうにしてるパリジャンを見つけて、言われたから俺を呼んだだけでなんにも把握してなかった」
「なら一人になった間に何かあったってことね…」
ふぅと息を吐き、痛そうに頭を押さえたベルモットは寄ってしまってるパリジャンの眉間の皺を撫でるように指の腹でなぞる。
「わんちゃん…」
不安そうな視線は我が子を思う親のようで、山積みの問題に俺も息を吐いた。
パリジャンの不調はその日見舞いに行った明美の口から聞いていた。
明美を病院へと連れて行ったパリジャンは、診察を終えて合流する頃には何故か過呼吸を起こして車の中で苦しんでいて、それは呼んだアイリッシュという親代わりが来ても治らなかった。
気絶するように意識を飛ばしたパリジャンにアイリッシュはすぐさま車を運転し、明美を家に送るとパリジャンの家に向かった。パリジャンの異様な様子は長年一緒にいた明美ですら見たことがなかったそうで、アイリッシュの焦り様も凄まじかったらしい。
次の日にも同じように見舞いに行くと、明美はアイリッシュから尋問を受けたあとだった。
凄まれたことにか多少怯えていたものの、明美は微笑ましそうに表情を綻ばせていた。
「パリくんのことを心配してくれている人がいるのって、とても嬉しいわ」
「…そうか」
「でも、本当にパリくん大丈夫かしら…早く良くなるといいんだけど…」
不安そうな明美の表情からすでに一週間。相変わらず明美は連絡が取れないパリジャンのことを心配していて、妹も連絡が取れないと悩んでいるらしい。
「大くん、もしパリくんの様子がわかったら教えてもらえないかしら…」
「ああ、任せろ」
体調もまだ戻らないうちに不安を抱えていては良くなるものもならない。
そう思い安心させるために答えてはみたものの、俺はまだパリジャンと仕事を共にしたこともなく、連絡先も知らない。
パリジャンが懇意にしているのはアイリッシュとベルモットだそうだが、この二人は時間の殆どをパリジャンと過ごしていて、接点がない俺に話してくれる時間を作ることはないだろう。
キャンティとコルンも暇さえあればパリジャンの元に向かっており、俺に時間を割いてくれる気配がない。
同じく仲の良いカルバドス任務で海外と日本の往復。キュラソーは表立って行くタイプではないのだろう。そのうち良くなるでしょうと会いに行く様子はなく、あまり状況を知らなかった。
キールは表の仕事が忙しいらしく連絡が取れる訳もなく、そういえばと俺達の中で仕事をしたことがあり、なおかつ共にいることが多くて話しやすい二人に声をかけた。
「パリジャンの容態を知っているか」
「は?容態??」
「…一体なんの話ですか」
ぽかんとしたスコッチと、固い声のバーボン。二人の様子にこれは詳細は知らなそうだなと思いつつ話を続ける。
「パリジャンが体調を崩していて、その様子があまりに今までに見ないような状態らしい」
「…、パリジャンが?」
「……初めて聞く情報ですね。貴方はどこで知ったんです?」
「明美からだ。体調を崩したその日に一緒にいたらしい」
「ああ、そういえば貴方の恋人はパリジャンの友人でしたね」
「友達なら心配だよな…。パリジャンがどんな状態なのか、知ってる範囲でいいから教えてくれないか?ライ」
「知ってると言っても…俺も明美から聞いたことしか知らないんだが…」
隠すことでもないから簡潔に、過呼吸を起こして倒れたこと。その日から眠ってばかりで目を覚まさず、アイリッシュが面倒を見ていることを伝えた。
「先日帰ってきたベルモットもアイリッシュと共に様子を見てるらしい」
「アイリッシュとベルモットが…」
「………、はあ。幹部二人が直々に看病だなんて、本当にこの組織はパリジャンに甘いんですねぇ」
「、おい、バーボン。そんな言い方ないだろ。それに誰かに聞かれたらどうするんだよ」
「ただの事実ですし、聞かれたところでどうとでもなります。……それにしても、スコッチ、貴方、随分とパリジャンに肩入れしているようですね?」
「俺は、そんなつもりじゃ…」
冷たい目にスコッチが言い淀む。不思議な二人のやりとりに目を瞬いて、なんでもいいがと話を切った。
「もし何かわかったら教えてくれ。明美が心配してる」
「はあ。僕達よりもよっぽど貴方の恋人のほうがパリジャンに近いんですから情報を仕入れられると思いますがね」
「ああ、だが明美もその妹も連絡が取れないらしい。もし何か知れたなら頼んだぞ」
立ち上がって部屋を出る。
明美にいい知らせを渡せればと思ったが、これは幸先がよくなさそうだ。
パリジャンのことを調べるのは中々に難しい。
この組織に入ってすぐ、パリジャンという誰もが恐れる執行人の話を聞いた。
裏切り者と失敗者を決して許さないその男の任務遂行率は100%。脅威の成功率は下っ端の気を引き締めさせ、NOCを震え上がらせる。
パリジャンがいつから組織にいるかは知らないが、少なくともパリジャンの名が聞こえ始めた数年前からNOCの発覚頻度は格段に上がってしまった。
故に、僕達NOCは、疑った瞬間銃を放ってくるジンよりも、パリジャンを警戒していた。
だからこそパリジャンを味方につけることは僕達NOCにとって一つの目標だった。パリジャンの容姿を知らなければどこでスレ違い、殺されるかわからない。
仕事を重ね、成果を上げ、ネームドに媚を売り取り入る。組織の中心へ入り込むほどに自分のしていることに吐き気がして嫌悪感と後悔に死んでしまいたくなった。
そんな状態でも生きていけたのは同じように潜入して苦痛をともにする幼馴染がいたからだった。幼い頃から一緒に成長し、就職直前の学校では喧しい友人が五人出来て、就職を目前に一人欠け、卒業時にバラバラになった。
配属先の問題で連絡をこまめに取ることは厳しくなったものの、五年前、友が仕事中の事故に遭った日だけは必ず全員が集まった。最初の一人が不運に見舞われたその三年後にもう一人も同じように事故に遭って、その頃から僕と幼馴染は組織でコードネームがつけられたことでより一層仕事が忙しくなり、自由がなくなった。
したくもない仕事を繰り返し、幼馴染と更には気の合わないもう一人の同期とスリーマンセルを組まされて、身動きがとりにくくなって一年ほど仕事をしたとき、唐突に、ジンに呼び出された。
「ちっ」
呼び出したのは向こうなのに、顔を見るなり不機嫌そうに舌打ちを溢して煙草を燻らす。
「えっと…なんの仕事ですか?」
一応といった様子で警戒しつつもスコッチが問いかける。そうすればジンは無言で立ち上がり、隣のウォッカがその後ろに歩いて、ついてこいと進む。
三人で顔を見合わせて仕方なくついていく。
「粗相をしたら死ぬと思え」
ウォッカの脅しを聞きつつ、入り組んだ通路を抜けて、掌紋、虹彩の認証をくぐり、たどり着いたその先は扉だった。
ここまでの道のりは厳重だったのに扉には鍵がかかっておらず先頭のジンが取っ手に手を掛ければ阻まれることなく開く。
コートに手を差し込み、取り出されたそれに三人揃って息を詰めてしまって、ジンは銃口を俺達ではなく部屋の中、テーブルに上半身を倒すようにして眠る人物の頭に押し付けた。
『つめてー…』
「随分とつまらなそうだな」
『ひまー。ねージンくん、遊び行こー』
「行かねぇ」
頭に銃を押し付けられているのに随分とあっさり、慣れたように軽口を叩き、その上ジンを気さくに誘う。口調のゆるさも相まって、声はとても若く感じた。まだ二十代前半、下手したら十代の可能性もある。
銃をおろし、代わりにタバコを咥えたジンは機嫌が良さそうで、体を起こしたその人物はそれならとウォッカを見た。
『ウォくんは遊び行ける?』
「うえっ、…ほんと勘弁してください…」
一瞬ジンを見てげっそりしたように返すウォッカ。なんとも不思議なやりとりを見守っていればジンは手を伸ばし、強制的に掴んであげさせた顔に煙を吹きかけた。
『げほっ!…んんっ、いじわるしないでよーもー!』
「目は覚めたか」
『ういーす』
煙を追い出すように噎せるその人物に満足そうに口元を緩めたジンを、スコッチが驚いたように目を丸くして、ライですら表情を固める。
ジンは煙を吸い直すと顎をしゃくってこちらを指した。
「おい、顔合わせだ」
『顔合わせ?』
目元をこすってから彼は振り向く。
「、」
蜂蜜のような蕩けた琥珀色の瞳はどこか眠たそうで、目尻は長いまつげによって垂れているようにも見える。ひどく、覚えのある顔に僕とヒロは叫びそうになって、先に向かい側の彼が首を傾げた。
『ジンくん。みんなだれ?』
「左からバーボン、スコッチ、ライ。覚えておけ」
『んー、ばーぼん、すこっち、らい…………んー、』
「どうしました?」
『んーん。なんでもない』
不思議そうな彼にジンが名前を告げる。知らない単語を復唱するような姿にウォッカが一歩前に出た。
「パリジャンさん、一応役割分担を説明させてもらいますね」
『ウォくんありがとー!』
「諜報担当のバーボンこと安室透、狙撃手のスコッチこと緑川唯と同じく狙撃手のライこと諸星大。どれもここ一年で名を上げ始めた新人です」
『んー?』
ぱちぱちと瞬きをして、立ち上がる。ゆっくりと迷い無く近寄ってきて僕達の前で立ち止まった。
「どうした」
ジンがさっきを放ち空気を刺激する。重くなった空気と構えられようとした銃に警戒すれば、わざとらしくぽんっと手が叩かれた。
『大くんだ!』
「あ?」
『ライくんって明美ちゃんの彼氏さん!』
「あ、ああ、」
『なるほどー!すっきりしたー!』
言葉通り晴れた笑顔を浮かべて三歩離れる。ジンはそんなことかと興味を失ったように煙草に手を戻して、向かいのそいつはへらりと笑顔を浮かべた。
『俺はパリジャン。基本的にはここにいるから気が向いたら遊びに来てねー!』
明るすぎる笑顔と口調。そこから吐き出さたれ名前に心臓が軋む。咄嗟に手を握りしめて爪を立て痛みで意識を保つ。
僕とヒロが何も言えないこの状況は本来であればかなり怪しまれるだろうに、珍しくライが口を開いた。
「…パリジャン、ベルモットとジンをクレーム・ド・カシスと混ぜて作るカクテルか」
『そう!ジンくんとベルねぇさんが考えてくれた名前なんだー!いいでしょー!』
「諸星大。ライと呼んでくれ」
『ライくんよろしくねー!』
パリジャンから差し出された右手をライは受け取るように握手する。
にこやかな挨拶の後、向いた視線に心臓が掴まれて、隣を見る。泣きそうに視線を揺らしてるヒロが堪えるように頷いて、右手を差し出した。
「俺は緑川唯。スコッチだ。仲良くしようね」
『するー!』
きゅっと勢い良く手をとって繋いで離す。震える手を差し出せば同じように握られた。
妙なタコがあるその手に、じくりと心臓が炙られたようにいたんで、悟られないように笑みを作ろう。
「安室透です。バーボンのコードネームをいただいてます」
目の前のコイツが何者なのか、一縷の望みをかけて口を開く。
「パリジャンさん、お噂はかねがね」
『俺の噂?』
「なんでも組織史上最短の半年でコードネームをもらったとか」
『俺って最短なの?』
「最短でしたよ」
『へー!そうなんだー!俺すごい!!』
僕の質問をキョトンとした顔で受け止めて、後ろに助けを求め、返事に喜ぶ。小さな子どものように素直な素振りは一切の偽りを感じさせず、記憶とのあまりの違いに口内を噛み締めて言葉を飲み込む。
「はい。みんなで祝ったのが懐かしいですね」
『あれ?俺の誕生日会ってそういうことだったの??』
「肝心なところは覚えてなかったんですね、パリジャンさん…」
ウォッカとの会話でぽろぽろと溢れた情報の一つを拾って、驚きましたと言うように目をまたいて首を傾げた。
「誕生日にコードネームを貰ったんですか?」
『うんん、コードネームをもらったから誕生日なんだよ!』
「もらったから誕生日…?」
『あれ?』
隣でヒロの不思議そうな声が聞こえる。横目で見たライも微かに戸惑うような空気を纏っていて、周りを見たと思うとウォッカを見据える。
「まだ言ってなかったみたいですね」
合点がいったように頷くと、へらっと笑った。
『俺、記憶喪失ってやつでここ五年くらいの記憶しかないんだー』
「は、」
「え、」
『よくわかんないけど死にそうな俺をジンくんが助けてくれて元気になって、それで任務いっぱいして名前がもらえたから、その日に俺は生まれたの!』
「そうなのか」
ライはあっさりと頷いた。ヒロは息を詰めていて、俺も言葉が出ない。
『まぁ記憶喪失ってあんまりないよね。えっと…記憶がないから昔の流行りとかのことだとちょっと話すの難しいけど、今の俺のことならいっぱい話せるから、仲良くしてね!』
努めて明るく振る舞ったその姿に、鼻の奥と目頭が熱くなって、誤魔化すように頷いて顔を逸らす。
止めてくれ、そんな顔で、笑うな
.