ヒロアカ 第一部
聞き馴染んだアラームの音に手を伸ばして携帯を取る。そのまま画面に触れて音を止めて、腕の中のものに額をすり寄せてから目を開けた。
すやすや眠る目前の弔に、そういえば昨日泊まりに来てたんだったと思い出して腕を抜きながら起き上がった。
大きく伸びてから頭を掻く。
今日は弔との朝食を済ませたら久々の人使と先生の訓練だ。
時間が圧したら困るからと身支度を整えてから朝飯を取りに行く。すれ違った若干数のクラスメイトに挨拶を返しつつ目についたものを持って部屋に帰ればベッドの上で寝転んでた弔が身じろいでこちらを見た。
「迎えはまた連絡する」
電話中だったらしい弔は通話に使ってた携帯を横において起き上がる。
『おはよ、黒霧さん?』
「ああ。……おはよ、出留」
『ん』
俺の様子を見て安心したように朝の挨拶を返してくれた弔に苦笑いを浮かべ隣に座る。いつだかに用意したのと同じように、主食のパンに合うように持ってきた野菜や肉に弔はこれこれと口元を緩めて手を伸ばした。
「いただきます」
『いただきまーす』
つまみ上げたハムを頬張ったところで、俺もプチトマトを口に運ぶ。機嫌が良いのか明るい表情をした弔はそのままタマゴサラダやウインナーを食して、持ってきた皿の上がすべて空になったところで携帯を取り出した。
「出留、今日はなにするんだ?」
『んー、訓練ぐらいかなぁ』
「…ふーん」
『なんかあった?』
「べつに」
一瞬だけ間があったから首を傾げる。本当に何もないのかヨーグルトを掬うスープンが止まらなかったから気のせいだったのかもしれない。
続きの言葉を探すより早く通知音が響いたから携帯に手を伸ばす。目が覚めたらしい出久と勝己からの挨拶に同じように返して、一緒に人使に今日からよろしくと送っておいた。
ぽつぽつと、不安にならない程度ゆっくりと会話を続けながら朝食を済ませる。今日の弔はいつもどおり勢力拡大に努めるそうで、戻ったら仕事だそうだ。
設定してたアラームが鳴って同時に顔を上げる。玄関側に靄が集まって、広がった。
「おはようございます、死柄木弔、出留さん」
「あー、もうそんな時間かよ、だる」
『おはようございます、黒霧さん』
昨日と同じように明るい声色と穏やかに揺れる靄。目元が緩んでる姿は相変わらず穏やかで立ち上がった弔は大きく息を吐きながら黒霧さんに近寄って、振り向いた。
「出留」
『ん?』
「トガとトゥワイスとマグネが騒がしいから近いうちに顔見せろ」
『うわ、そっちまで情報行ってるの?』
「そりゃあ一週間音沙汰なきゃバレんだろ」
『たしかに』
「ミスターとスピナーも心配してたしな」
『菓子折り持ってくわ』
「ん。美味しいの期待してるぜ」
茶化すように笑って、ひらひらと手を振る。ぶわりと一回り大きくなった靄の中に弔が進んでいって、背中が包まれたところで黒霧さんと目が合う。
微笑まれてるのか柔らかい空気がむず痒くて頬を掻く。
『あー、えっと、本当にご迷惑をおかけしてすみませんでした』
「ふふ、とんでもない。出留さんに迷惑をかけられたことなど一度たりともございませんよ」
『んー、でも夜中にいきなり呼び出されたりしてるじゃないですか』
「そうですね。けれどそれが貴方と死柄木弔の関係することならば私は喜んで個性を使いますので迷惑とは思わないです」
『…そこまで言われちゃうと俺が謝るのも違いますよね』
「ええ、そのとおりです。貴方は大切な死柄木弔の友人ですから」
不意に、黒霧さんの表情が揺れた。靄が、形を変える。
「友達は大切にするもの。友との時間は千金にも代え難い」
『…………黒霧、さん?』
目に映った黒霧さんはとても嬉しそうで、弔に友達ができたことがそこまで喜ばしいことだったからなんて、簡単には片付けられないほど口元が緩んで笑みが溢れてた。
揺れていた靄が収束して黒霧さんはいつもどおりふわりと揺れると胸元に手をおいた。
「それでは私もこのへんで失礼させていただきます」
『あ、はい』
「ご連絡をお待ちしておりますね、出留さん」
『はい。みんなにも会いたいので近いうちに必ず連絡します』
「ふふ、楽しみです」
大きく靄が広がり、黒霧さんを包み込むように蠢いて小さくなって消える。
二人の消えた部屋は急に広く感じて息を吐きながらベッドに座って、後ろに倒れた。
『…黒霧さんってあんなこと言う人なんだ』
溢れた言葉と同時に携帯から通知音が響く。反射的に手にとって画面を見れば、人使から何時に行くかと問いかけが来てた。
少し考えてから朝食の確認をすれば、まだの返事が来て、ちょうどいいから立ち上がった。
ゴミだけぱぱっと捨てて、鍵だけ持って隣の部屋を叩く。すぐに開いた扉から覗いた顔にひらりと手を振った。
『ひーとーしーくん。飯行こー』
「ぷはっ、なんだよそれ」
『なんなくそんな気分だった』
「出留の気分謎すぎる。食堂一緒に行こう」
『おう』
さっきも来た道を通って食堂に戻り、すれ違うクラスメイトと挨拶を交わす。いつもより少なめに料理を選んで席に付けば向かいに座った人使は眉根を寄せた。
「足りるのか?」
『うん、まだ様子見期間だから』
「………」
『でも今日の訓練終わったらもう解禁してむちゃくちゃ食う予定』
「…そうか、急に食べすぎて胃を驚かさないようにな」
『んー』
微妙に暗い顔をした人使に誤魔化すように告げれば顔色が戻る。実際はすでに朝食を済ませているからこの量なだけで、胃は全快してる。そんなことも言えないし取ってきたシリアルを食しつつ、話題を振る。
『そういえば最近の訓練ってなにしてたの?』
「いつもどおり。筋トレして捕縛帯振ってって感じだ」
『へー』
「あ、でも相澤先生が都合つかなかったりしたらエクトプラズム先生とかハウンドドッグ先生が見てくれたりしてたぞ」
『ハウンドドッグ先生?』
「ほら、生活指導の」
『あー…?』
春、入学してすぐに行われた教員紹介でおそらく聞いたことがあるであろう名前に心当たりはない。あからさまな俺の表情にそんなことだろうと思ったと話を流した人使に目を瞬いた。
『なんでそんなあっさり??』
「出留、緑谷と爆豪に関係してる人間のことしか覚えてないだろ?」
『そんなことはないけど…』
「嘘だろ?だいぶそんなことしかないぞ?」
『ええ…?』
正気か?と目を見開かれる。
そんなにわかりやすく周りから意識を切り離してたつもりはなかったけれど、俺はそんなにわかりやすかっただろうか。
口を噤んだ俺に人使はぱちぱちと瞬きをして、まぁそれが出留だしなと何かに納得したように箸を持ち直した。
「出留が覚えてなくても一緒にいる爆豪とか、特に緑谷は要らないところまでヒーローに関してはしっかり知ってそうだし、逆に二人が突っ走ってくようなとこで冷静に必要なものだけ見て手綱を握れるのが出留だ。適材適所ってやつだよな」
『………人使、俺達のことそう思ってたんだ?』
「出留の言動に分担作業感があるなとは最初から思ってたよ。…優秀なのに妙なところで必要なものが抜けてるし…」
後半はぼやくように紡がれて、人使は味噌汁に口をつける。何を言ったらいいかわからず、目を逸らした。
『…なにそれ、恥ずかしい』
「恥ずかしいことか?」
『なんかこう、もろもろバレてる感が』
「隠してたのか?」
『んー、隠してた訳じゃないけど…自分のこと知られるのって、なんか……抵抗感ない?』
「ないって言えば嘘になるけど、相手によるかな」
『それは…そうだけど…、んー…』
頬を掻いて、息を吐く。
すっかり空になってる手元の食器に、もう少し物を持ってきていれば食べたりするふりで時間が稼げたのにと後悔する。
ほとんど空っぽのグラスを取って、両手で包み転がす。考えをまとめていればちょうど食べ終えたらしい人使が箸を置いた。
「出留って深く考えすぎなんじゃないか?」
『え?』
「一緒に過ごす時間が増えればその分相手のことを見る時間が多くなるんだし、相手の新しいことに気づくことも知ることもあるのは当たり前だろ?」
『………それだけ俺って人使と一緒にいるってこと?』
「登校してから帰るまで。休みの日はほぼまる一日訓練を一緒に過ごしてたのが寮生活になってからは風呂と食事も一緒なんだから、最近は緑谷と爆豪より一緒にいるし?」
『…それもそうだ』
「産まれた時から一緒のあの二人は、出留の言動に対してはすべてが当たり前でいちいち何も言わないだろうけど、俺は出留と居る時間はまだ少ない。だから前はこうだって思ってたことが違かったり、より理解が深まったりするし、それに対して確認することもある」
『………うん、そうだよね』
「ん、そういうこと」
頷いてコップを取った人使は水を飲む。いつのまにかすべて空になってる器を重ね始めたから俺も立ち上がった。
トレーを片して、必要なものを持って訓練場に向かう。さっきの会話の名残かむず痒い感覚が残ってて、頬を掻いて口を開く。
『あー、話逸れちゃったけど、訓練の調子は良さそうだった感じ?』
「んー、…良いか悪いかで言えば、調子は良くなかった」
『え?そうなの?』
「ん。そりゃあ相棒が体調不良でぶっ倒れてたら心配でしかたないし、なんかそわつく」
『へ、』
「もちろん訓練は真面目にやってたけど…今日からは問題なさそうだ」
『………あ、そう、ですか…』
「…………ふっ、またバグってる」
『な…なんか…?人使って、ほんと、あの、そういうキャラだったっけ?って』
「俺はなにも変わってないから、出留が知らなかった俺の一面ってことだな」
『あ、そっすか…』
会話の切れ目でちょうどよく訓練場についた。
すっかり慣れた部屋に入れば先生がすでに待っていて、揃った俺達の姿を確認すると口元を緩めてからすぐに口を開く。
「来たか」
『おはようございまーす』
「おはようございます」
同時に挨拶をして、間延びしたぶん俺のほうが少し長く音を響かせた。
相澤先生から少しだけ離れて足を止める。俺達のことを眺めた後にそれじゃあ始めようと開始を宣言する。
「まず心操はエクトプラズムと捕縛帯を利用してのウォーミングアップをしてもらう」
「はい!」
「緑谷、君は俺と模擬戦だ」
『え、ウォーミングアップじゃなくてですか??』
「ウォーミングアップを兼ねている。もちろん俺も手加減はするが、本番だと思って挑むように」
『…はーい』
仕方なく息を吐いて返事をする俺に人使が頑張れと笑う。エクトプラズム先生が待っている隣室にさっさと向かっていってしまった人使の背中を見送って、向かいを見据えた。
『今回のルールはなんですか?』
「時間無制限。終了はこの手錠を俺にかけるか参ったと言わせるかの二つだけだ」
『……はあ』
「あからさまに面倒臭がるな」
首を横に振った相澤先生は早く準備をしろなんて言って持っていた手錠を差し出す。受け取って、またもう一回ため息をこぼした。
『いきなり模擬戦なんて、先生は俺に何をさせたいんですか?』
「寝起きにどこまで体力が保っているかの確認だな」
『…………それだけですか?』
「それだけだと思わない理由はなんだ?」
『それなら俺と人使の相手は逆のほうがいいからですね』
目を細めた先生は次には口角を上げて、ぴりっとした感覚に即座に飛び退く。俺のいた場所、腿のあたりを狙ってたであろう、振りぬかれた右足に、視線を逸らさないよう手錠を腰のポーチに引っ掛けた。
「そのとおりだ。理由は一つじゃない」
『………』
「お前ならすぐ理由をあてるだろうし時間の無駄だから説明はしない。どうしても気になるのなら答えてやるから話してみろ」
ひゅっと音がして投げられた捕縛帯を避ける。その先に投げられたもう一方の捕縛帯に舌打ちをこぼした。
『ならっ、落ち着いて話!したいんですけどっ!!』
飛んできた目潰し代わりのビー玉くらいのサイズの球体を右腕を振るって弾く。
衝撃に割れて、煙が漏れ出した。
「時間がもったいないだろ。時間は有限、合理的に訓練をしよう」
『そ!いうの!!良くない!ですよ!!』
煙幕らしいそれに目を凝らす。煙にまぎれてしまった先生に眉根を寄せて、耳を澄ますよりも早く感じた気配に身を翻して指を鳴らした。
同時にうねった炎に気配が退く。煙幕でお互いに視認できなければ俺も先生も個性をかけられないのは一緒だ。
煙の成分を変えるよりも早く手元の炎が消える。風を切る音に身を屈めて、走り出す。
個性を消されてしまえば体術勝負。それなりに鍛えている俺でも、流石にプロのヒーローに勝つのは難しいし、模擬戦でそこまで本気を出すのはなんだか気分が乗らない。
「考え事か?」
『は、ぐっ、』
いつの間にか後ろに回られていて、身を捩っても振るわれた右足が脇腹に入った。振りぬかれた勢いに後ろに飛ばされて、転がるように受け身を取り、患部を抑えながら膝で立つ。
数m離れた場所にいる相澤先生は無表情で俺を見下ろしてた。
「随分と余裕そうだな」
『どこが……くっそいてぇ…』
数時間もすれば青あざが浮かぶだろう脇腹に骨と内蔵の心配をしながらつまりかけてた息を吐く。
『ただの模擬戦なのに、やる気やばくないっすか?』
「…ほう?」
じとりと赤色の目が俺を見据えて、背筋がぞわりとすると同時に後ろからの音にすぐさま横に転がる。嫌な予感にすぐ隣で止まらずにそのまま続けて転がり、右手をついて体を跳ね上げて立ち上がれば脇腹が傷んだから舌打ちが溢れた。
「これがただの模擬戦じゃないのはお前もわかってただろう?」
『それは、そうですけど…』
「なら俺の攻撃だって予想できたはずだ」
奥歯を噛む。
たしかにこの模擬戦は目的を持って行われている。その理由さえわかれば身の振り方も定まるのに、思考する時間すら与えてくれないのは誰だと頭が痛い。
ひゅっと聞こえた音。気づけば目の前に相澤先生がいて腕を振るってたから受け流すように右手を出して、後ろに退きながら力の方向を変え、距離を取る。
「動かないと終わらないぞ、緑谷」
口角を上げる先生に唇を結ぶ。
まだ、考えはまとまらない。
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