ヒロアカ 第一部


夜から朝まで、寝ても覚めてもずっと三人でいたから勝己に詳細を確認する時間もなく相澤先生との面会を迎えた。

朝食、軽食、それから昼食も済ませて少し休憩して、呼ばれたのはいつだかにも招かれた寮監室の隣だった。久しぶりに見る寮監に挨拶をして中に入れば先に待っていた先生が顔を上げて目が合う。

「呼び出してすまないな」

『いいえ。こちらこそお時間をくださりありがとうございます』

視線で指された椅子に座って向かい合った。

テーブルの上にはお互いにペットボトルのお茶が手元に置かれていて、自由に飲んでいいということだろう。

先生は視線を落として一呼吸置いてから口を開いた。

「まずは、目を覚ましてくれて良かった。体の調子はどうだ?」

『絶好調です。今から訓練でも何でもできますよ』

「やる気があるようでなにより。訓練の頻度や内容に関してはすぐに調整しよう」

『よろしくお願いします』

挨拶を交せばもう本題なのか、合理性を重視した性急さで話題が移った。

「それじゃあまず、緑谷。俺達に体調不良を隠していた理由を聞こうか」

『怒ってます?』

「ああ」

まっすぐな視線に頬を掻いて、誤魔化されてくれなさそうだから仕方なく濁すことはやめる。

『実は不調に関してはそんなに事前から感じ取れるものじゃなくて、今回も訓練中の、たぶん二回戦目くらいからなんかぼーっとするなとか、そのくらいが始まりでした』

「今までも何度か倒れているはずだが、予兆はないと?」

『はい。本当にぎりぎりのところになるまで、わからなくて…なんで、いつも周りに迷惑をかけてるんですよね』

笑ってみても相澤先生は険しい表情のままで、一度お茶を飲むとなるほど?と息を吐く。

「それならば仕方ないな」

『……信じてくれるんですか?』

「嘘をついたのか?」

『あ、いえ、本当のことなんですけど…』

あっさりとした返事にこちらが驚いてしまう。思わず聞き返せば鋭い目を向けられたから首を横に振った。

「ならこの話は終わりだ。当人に自覚症状がない以上、深堀しても得られる情報はないし時間は有限なんだから他のことを聞くことにする」

『他のこと…ですか?』

一体何を聞きたいのかと姿勢を正す。そうすれば先生はいつもと同じゆるい空気のままで話し始める。

「お前の眠っている最中に爆豪と緑谷が呼んだのか外部から人が来てな」

『外部?』

「生憎と名前も聞いていないし、俺も会ったわけじゃないが君の親友だという人物だ」

そう言われて思い浮かんだのは一人だけで、目を見開いた。

『まさかあの子が来たんですか?』

「あの子というのが俺の言っている人物と同一かはわからないが、中学からの友達で君の親友。それからこういうことをよく相談していてあの二人に助言をできる人間だ」

『うわぁ』

思わずこぼれた声に先生は不思議そうに嫌だったのかと目を細める。

『あ、いえ、嫌とかじゃなくて…あー、うーん。…仕事も忙しいだろうに迷惑かけちゃったなと』

「……そういえばあの二人も時間がないなか合間を縫って会いに来てくれたと言っていたな…中学の知り合いならば同級生だろう?なんの仕事をしているんだ?」

『あー、芸能人ですね…』

「芸能人」

ぱちぱちと目を瞬いて、その後に表情を戻すと確かにそれは忙しそうだなと視線をそらす。

ヒーローによっては、特に人気ヒーローのオールマイトとかはよくテレビや雑誌なんてメディアに引っ張りだこにされてプライベートもなさそうなくらいに忙しそうだし、相澤先生はメディア嫌いと出久が言っていたからなんとなく苦労は伝わったんだろう。

『今は夏休み中でたぶん朝から晩まで働いてると思うんで、本当に無理やり時間を作って会いに来てくれたんじゃないかなって…ううん、本当に迷惑かけてて悪いな…』

今度あの子の好きなものでも作っていこうと心に決めて話を戻す。

『それで、あの子のことでなにか?』

「ああ。その親友が来たことでアイツラの中で今回の騒動に一区切りついたのかえらく落ち着いてな。その人物から助言や忠告をもらったようなんだが、今後の参考にしたい。なにか心当たりはあるか?」

『助言や忠告…』

あの子とうちの子のしそうな会話を考える。助言も忠告も、うちの子が聞くかなと思いつつ、どちらもあの子が得意な分野かと首を横に振った。

『心当たりがないこともないんですけど、たぶん先生の参考にはならないと思います』

「何故だ?」

『あー、それは…あの子が俺の親友で、先生は俺の先生だからですかね…』

「親友からの言葉は聞けるが教師からの言葉は聞けないと?」

『あ、そういうわけじゃないです。言い方が難しいんですけど、んー、あの子はちょっとだけ人の心を感じ取って動かしたりとかするのが得意で…それと、うちの子と大喧嘩したことがあってそもそもうちの子たちは頭が上がらないというか』

「ほう、大喧嘩?」

『ええ。お互いにいがみ合って喧嘩したんじゃなくて、一方的にうちの子たちが目の敵にしてたんですけど、あの子も普段おとなしいんですが妙なところで大胆かつ頑固で…』

中学一年の春。例年通り一人だけクラスの分かれた俺の隣の席になった彼は入学初日から仕事のせいで休み、三日目から登校してきて注目の的だった。

遠巻きにあの子を見つめる人間や、我先にと名前を覚えてもらおうと近寄る人間がいる中で、当たり障りなく返事をしつつも明確に引いた一線を越えてこないようにきちんと対応する彼の横顔はなんとも印象的で、それなのに俺と仲良くなったんだから本当に何がどうなってこうなったのか、世の中不思議な事だらけだ。

『まぁ今に至るまでいろいろあって、その関係であの子の言葉は二人に響きやすいんです。先生は先生ですから、関係が違う分ちょっと違う言い回しになりますけど二人には届いてるんで、今更あの子のことを参考にする必要はないと思います』

「…そうか」

『これからもうちの子をよろしくお願いします』

「ああ。投げ出すことはないから安心しろ」

強い返事に安心して俺も手元のペットボトルに手を伸ばす。キャップが音を立てて開いて、少しだけ液体を飲み込んで喉を潤してから元通りに蓋を閉めた。

『他に確認事項はありますか?』

「そうだな…」

視線を斜め下に落とした先生はなにか迷っていて、言いよどむ姿に珍しいなと言葉を待つ。五秒もなかったはずの間ではあったけど今までスムーズに話をしていたからか随分と長く感じた。

『先生?』

「………これから聞くことは、嫌ならば答えてもらわなくてもいい」

『はあ。なら聞いてから答えるかは考えます』

「………………」

きゅっと眉根を寄せて、皺を深くし、両手の指を組むように机の上で握る。どこか神妙な面持ちに自然と俺も眉間に力が入って、息を一つ吐き出した先生はすっと視線を上げた。

「君たちの通っていた折寺中学では日常的に緑谷出久を対象にしたいじめが行われていたのは確認が取れている」

『……………』

「彼の所持品の破損、恐喝、それぞれ内容は多少違えど緑谷出久を迫害するもので、そしてそれは爆豪勝己が主犯であり、爆豪勝己を中心に近くにいた数人が危害を加えていたこともわかっている」

『…………それで?』

「これだけ聞けば彼らはいじめ…恐喝、傷害の加害者と被害者で、あの二人は決して相容れないし憎悪しあうような関係だろう」

手を握る力を強めたらしい。相澤先生の爪の先が少し白んで震えたから目を細める。

「確かに入学当初から今に至るまで、日常生活や試験でも衝突はよく見られた。だが、よく考えればそれもおかしな話だ。三年間、徹底的に迫害された人間がそう簡単にその主犯へと盾をつけるのか、意見を押し通そうとするのか、そもそも対話を試みようと、同じ空気を吸おうと思うのか。…お前ならどう思う、緑谷」

『…さぁ、それは俺に聞かれても俺が迫害されたわけではないのでわかりませんね』

「確かにそうだな。これは当事者にしかわからないだろう。…もしかしたら爆豪勝己が緑谷出久に対して水面下でアフターフォローをしていたのかもしれないし、緑谷出久には人を憎む気持ちや思考がないのかもしれないし、すでに刷り込まれた恐怖心で思考する心が残っていないのかもしれない」

先生は息を吸って、吐いて、俺を探るように見据える。

「四月からずっと考えていた。が…、君の居ない数日の間で俺は一つ、仮説を立てた」

『そうですか』

「爆豪勝己は確かに緑谷出久をいじめていた。それは覆しようもない事実。けれど、いじめを指揮した人間がその後ろにいる。それは、君だと思っている、緑谷出留」

『そうなんですね』

「緑谷出久をいじめに遭わせていたのは君たちが扇動することで過度な危害を与えないため。いじめることで逆に緑谷出久を護っていた。そう考えたが…どうだ?合っているか?」

『……あははっ、ふふっ』

細められた目に、口元が緩む。自然と笑いがこぼれた。

笑い始めた俺に先生は眉根を寄せる。

「何かおかしいか?」

『いいえ、なにも』

笑って、滲んだ涙を拭ってから先生を眺めた。

『それ、俺が違うって言ったら信じてくれるんですか?』

「その返事は正解だと言っているようだが?」

『ははっ。…明言は控えます。答えるも答えないも自由ですよね?』

「………ああ、そうだな」

ペットボトルを取ってお茶を飲み込む。笑った分渇いた喉を潤して、息を吐いた。

『なんでそれを俺に聞いたんですか?』

「今後のあの二人の指導と、お前への対応のために必要だったからだ」

『そうなんですか』

「まぁ答えをはぐらかされてしまったがな」

睨みの入った鋭い目つきに笑みを返す。余計鋭くなった視線に怖いなーと茶化しつつペットボトルを手のひらで転がし、思考を落ち着けることに励む。

そのうち聞かれる可能性はあったけど問い詰められるのは勝己だと思っていた。今までだって訝しんだ人間が当事者の出久と勝己のどちらか、もしくは両方に聞いてきたり、部外者ながらも親族の関係者として俺に聞いてくることはあった。それがいくら材料が揃っているからって、迷うことなく俺が中心と見定めて俺にだけ聞いてくるなんて、やっぱり、相澤先生は危険だ。

「緑谷」

『はい』

「………はぁ〜」

人を呼んで目を合わせたところで呆れたように頭をおさえてため息をつかれる。

「ややこしい奴らだな、お前ら」

『あっははは!何を今更〜!わかりきってたことじゃないですか!』

「……ああ、そうだったな。……はあ〜」

あまりにくたびれた姿に口を開けて笑えば先生は額を押さえた。

笑い転げる一歩手前の俺に先生は額を押さえたままこちらを覗く。

「なにがそんなに楽しいんだか」

『そりゃあもういろいろですねー』

落ち着けるように息を吐いてお茶を飲む。先生も同じようにお茶を飲み込んで、呼吸を整えた。

「おさまったか」

『はい。失礼しました』

「お前がそんなに笑うなんて知らなかったよ」

『寝てた分よく笑いました』

「そうかい。………、」

先生が言葉をなにかつなげようとしたところでノック音が響く。相澤先生は顔を上げると俺に断って部屋を出る。ちらりと見えたのは寮監だったから業務連絡の一部だろう。

暇になったから携帯を取りだして、三人のグループに簡単に今までの話をまとめて送った。すぐに連絡は返ってこないだろうから携帯をしまって、またペットボトルを持ち両手で転がし時間を潰す。

がちゃりと音がしたから顔を上げる。体感10分くらいで先生は帰ってきた。

「すまなかったな」

『いえいえ、お気になさらず』

向かいに座った先生が頭を掻いて、目を合わせる。

「まだ時間は大丈夫か」

『はい、なんの予定もない暇人なんで』

「そうか。ならもう少し付き合ってもらおう」

目細めた先生が口を開く。ポケットの中で携帯が揺れて、終わったら次は出久と勝己との話し合いだ。




先生との話し合い、その次は出久と勝己との打ち合わせと頭ばかり使ったところで、朝のうちに入れておいた返事が届いた。

もう体調は大丈夫なのかと来ていたから、やっぱり俺の体調不良は勝己から伝わっていたらしい。

今日の夜からは久々の一人のはずで、予定を聞けばこっちに来てくれると快諾された。

「夜ふかしと無理は禁物だよ!!」

「なんかあったらすぐに連絡しろ」

『うん。ありがとう、出久、勝己』

夕飯を済ませたところで持ち込んでいた荷物を持った二人に髪を撫でてA組の寮まで見送る。

部屋に戻る最中にクラスメイトからかけられる言葉を返して、扉をしめた。鍵をしっかり確認して、連絡を入れる。すぐに既読がついて、ぶわりと靄が広がった。

ふらっと覗くように顔を出した弔に手を振れば体も出して、一緒ににこにことした黒霧さんも現れる。

『久しぶり』

「元気そうでなによりです」

「……体調、良さそうだな」

嬉しそうに揺れる黒霧さんと心配そうに俺を窺う弔はどれくらい勝己から事情を聞いているのか。

「それではまた、なにかございましたらご連絡ください」

『あれ?もう帰っちゃうんですか?』

「はい。出留さんのお元気そうな姿を確認できましたので安心いたしました」

失礼いたしますと靄の中に消えていった黒霧さんを最後に靄が室内から霧散する。

取り残された弔は歩き出すと慣れたようにソファーに座って顔を上げた。

「いつまでそこ立ってるんだ?座れよ」

『家主より自由してんね??』

思わず笑えば弔も口元を緩める。

『飲み物は?』

「いい」

『りょーかい』

冷蔵庫からペットボトルを1本だけ取り出して隣に座った。

並んで座ったところでじっと俺の顔に突き刺すような視線が注がれて頬を掻く。

『あー、一応確認なんだけど、勝己と話した?』

「ああ」

『そうだよなぁ…』

「別に勧誘もしてないし喧嘩もしてない」

『そうなんだぁ…』

嬉しいような嬉しくないような。歯切れが悪くなってしまった相槌に弔は手を伸ばすと俺の額につけて、笑った。

「熱くないな」

『ん?うん、熱はもう下がったから』

「…良かった。ホントに熱くてこのままひからびるんじゃないかと思った」

『水分はそう簡単に蒸発しないから大丈夫。…心配かけてごめんな』

「ああ、まったくな。次からはもっと息抜きするぞ。出留の居ない間ずっと仕事かゲームかで飽きた」

『ゲームしてたの?』

「スピナーが思ったよりゲームできる奴じゃなかったら詰んでた。トガはゲーム中に体が動いて何回もぶつかるし二度と一緒にやんねー」

『ははっ。たのしそう』

「当分はゲームはしない。出留、次はどこに連れてってくれるんだ?」

『んー、どこがいいかなぁ』

目が覚めたばかりの俺が自由になる時間があるかは謎だけど、弔と出かけるのは楽しいから計画を考えるならどれだけしてもいい。

『また二人で行く?それとも今度はみんなと行く?』

「場所による」

『それもそうだね』

「でも楽しいとこがいい」

『ああ、もちろん。弔にはもっとたくさん楽しいことを知ってもらわないとね』

「花火とバーベキューもまたしたい」

『そんなに気に入ったんだ?』

「最後の花火はうるさかったけど、きれいだったから」

『なら花火大会とか行ってもいいかもね』

「この時期でもやってんのか?」

『探せばありそう。駄目なら来年行こ』

「そうだな」

『ふふ、夏祭りなら浴衣とか着たいね』

「却下。動きにくそう」

『案外着てみれば慣れんよ?』

「……ふーん、そういうものか」

話しているうちに眠くなってきたのか弔が目元を擦る。

『寝る?』

「んー」

ゆるく頷いたから一度立ち上がって支度をする。布団代わりの大判のタオルケットをもう一枚用意して、寝転がって携帯を触る弔の横に座ってタオルケットをかけた。

『明日は何時に起きる?』

「朝飯は出るのか?」

『ん?そんなに気に入ってたなら取ってくるよ』

「あー…出留は朝飯食べるのか?」

『うん。もう普通のもの食えるし食べる予定』

「なら食べるからこの間みたいに六時くらいには起きる」

『はいよ』

アラームをかけ直して体を横たえる。腕を伸ばせば頭を置いて腕の中に収まった。

携帯を置いて、伸びてきた手が俺の首元に触れると瞼が降りる。

「熱、下がってよかった」

『うん。もう大丈夫。本当に心配してくれてありがと』

「ん」

口元を緩めておやすみと溢した弔はすぐに寝息をこぼし始めた。


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