ヒロアカ 第一部
ゆらゆらと視点が揺蕩う。起きてるのか寝てるのか、立っているのか浮いてるのかもわからない。でもたぶん揺れている。そんな感覚にまたこれかとため息をつく。
いつからか、定期的に高温でぶっ倒れるようになってその間に見てる世界はずっと変わらない。
辺りは真っ暗なのに明るくて、なにもないことだけがよくわかる。動いているつもりだけどどこを見ても自分の手足すら確認が取れず、そもそも進んでいるかも謎なこの空間に今回も失敗したらしいと肩を落とした。
最後の記憶は勝己に頭を撫でられたこと。少し前からだいぶ意識はあやふやだったけど、勝己の前には先生が褒めてくれたような気がする。
いつもよりも幸福感に似たものに包まれながら意識を手放したからか、今回はひどい頭痛も寒さもない。
今は何日目なのか。きっと出久と勝己が世話を焼いてくれているだろうから起きたらきちんと謝って、それからたくさん褒めてあげないといけない。
ぞわりとした寒気と喉の痛み。ノイズのような声が響いて、目を瞑る。
『わかってるよ、正しい、兄になるってば』
ひどく渇いた喉。今にも張り付きそうな口の中で無理やり言葉を吐き出せばふわりと柔らかさに包まれた。
「おはよ、兄ちゃん」
「おはよう、出留」
ゆっくりと目を開ける。随分と久しぶりに見た気のする天井は若干見慣れてきた白色で、両サイドの重みに体を起こして二人の頭をももの上にずらした。
すやすやと眠る二人の目元にはアイマスクがあって、有効時間がきれて冷たくなってるそれをそっと外す。
若干目元に違和感の残っている勝己は寝不足だろう。出久に泣いた跡はないから喧嘩はしてないはずだ。
髪を撫でていれば勝己の携帯が鳴り始めてきゅっと眉根が寄った。二人して短く呻きながら顔を押し付けてむずかるから、音を止めてから頭をもう一度撫でた。
まつげが震えて、静かにまぶたが上がる。
『おはよう』
「…………やっと起きたんか」
ふやけた笑みを浮かべた勝己に頷いて頬を撫でて、そうすれば勝己は目を閉じて甘受したと思うと起き上がる。
手を伸ばして、未だぐずってる出久の後頭部に手刀を落とした。
「うげっ、」
「起きろ」
「いった…ひどいよかっちゃん〜」
後頭部を押さえる出久に手を重ねて撫でる。肩を揺らして固まった出久に手を離せば、勢い良く顔を上げた。
「兄ちゃん!!」
『おはよう、出久』
「うん!!おはよっ!!!!」
朝から出せるレベルではない声量に耳が劈かれて、勝己がまた思いっきり手刀を落とした。
「うるせぇ!」
「だって嬉しいんだもん!!!」
いつもどおりの二人に笑いをこぼして、二人が言い争いをやめてぴったりと体にくっついてくる。
「兄ちゃん、痛いところはない?」
『ないよ』
「体調悪くねぇか」
『ちょー快調。強いて言うなら風呂入りたい』
「ん!お風呂いこ!」
「用意してある」
『ありがとう』
ぱっと離れた二人のうち、出久が俺の右手を取る。用意してあるの言葉のとおりに入浴道具と着替えを持ってくれた勝己は左手を取って、三人で部屋を出た。
目が覚めたのは四時に近い時間だったらしく、クラスメイトはまだ寝静まっているのか寮内はとても静かだった。
迷うことなく辿り着いてゆっくり湯浴みをはじめる。二人が俺を洗ってくれたから湯船に浸かって、温みにうとうとしていれば爆発音がしてはっとする。
どうやら出久が滑りかけて勝己の背に突っ込み、勝己が顔面を爆破させた音で目が覚めたらしい。
『二人とも大丈夫か?』
「首輪でもつけとけ!!」
「う、うん、大丈夫…」
せっかく洗ったのに煤に塗れた出久は苦笑いをこぼす。怒りながら隣に腰を下ろした勝己は鼻を鳴らした。
「きれいになるまで入んじゃねぇぞクソデク!」
「洗い直しかぁ…」
肩を落とす出久がスイッチを押してシャワーからお湯を出す。水の落ちる音を聞きながらぼんやりとしていれば手が伸びて来て、頬を拭われた。
「のぼせてねぇか」
『ん、まだ平気』
「ちっ。…さっさとしねぇと先出るからな!デク!」
「え!?もう行くから待って!!」
『焦らなくて平気だぞー』
「次コケたら殺す」
むっとした勝己の手は俺の頬から離れない。感触を確かめるように指先でつままれて、目を瞬いていれば息を吐かれた。
「今日から大変だぞ」
『え?どういうこと?』
「今回看病してたのは俺とデクだけじゃねぇ」
『…………他に誰が居てくれたの?』
「心操が三割。先生二割、ミッドナイト、発目があわせて一割だ」
『お?俺むっちゃ各方面に迷惑かけてんね??』
思いがけなかった面子に目を大きく見開いてしまって、揺れた水面に顔を上げれば出久が向かいにいて、手を広げれば家と同じように腕の中におさまった。
「迷惑はかけられてないけど、心操くんも発目さんも兄ちゃんがいないと寂しそうだったし、相澤先生なんてそわそわしすぎてておもろしかったんだよ。ね、かっちゃん」
「ミッドナイトが茶化してたもんな」
『ええ…?』
一体何があったのか。勝己が口元を緩めて出久は小さく肩を揺らし、そのまま体が倒されて背中を預けられた。
「兄ちゃん。兄ちゃんは僕達が宝物でしょう?」
『うん、もちろん』
「ふふ。僕もかっちゃんも、兄ちゃんが大好きだよ。一番、この世で誰にも負けないって自負できる。兄ちゃんが大好き。…でもね、兄ちゃん」
すっと顎を上げる。顔を上げた出久と覗き込むようにして目を合わせて、いつの間にか伸びてきてた手が頬に触れた。
「僕とかっちゃんにクラスメイトがいて友達がいるように、兄ちゃんも兄ちゃんの好きな子と友達になってほしい」
『………?』
「もしかしなくても、わざと目を逸らして気づかないふりをしてたのかもしれないけど、兄ちゃんの周りには、今の兄ちゃんのことが大切だって、何かあったらすぐに心配して駆けつけてくれる人がここにはいる」
『…………』
「小学校、中学校で見つけられたような人との繋がりをもうここでも見つけられてたことが………僕達はちょっと寂しいけど、すごく嬉しい」
俺の髪から水滴が垂れたのか、出久の頬が濡れて、口角が上げる。
「兄ちゃん、僕もかっちゃんも、兄ちゃんのすることを応援するよ。でもね、お願い」
出久の指が頬を滑って目元をなぞった。
「どれだけ遠くに離れてもいいから、何も言わずに一人で消えないで」
『…………俺が出久と勝己を置いて行くわけがないだろ』
「…ふふ、そっかぁ。よかった」
ふやけた笑みの後に手が離れて湯船に戻ってく。とんと胸に寄りかかった頭に目を瞬いて、代わりに伸びてきた手が俺の前髪を上げて、出久の額に触れた。
「長湯し過ぎだ。出んぞ」
「んー、はーい」
『…うん』
起き上がった出久がふらついて、大きく息を吐いた勝己が右腕を掴む。ついでと言いたげに俺の左手も取って湯船から上がってそのまま脱衣所に向かう。
「待ってろ」
先に一人進んだ勝己が近くに用意しておいたタオルを取って、俺と出久の頭に被せ、飲み物を差し出す。
「やべぇのどっちだ」
『出久』
「兄ちゃん」
「はぁ。どっちもかよ」
もう一個投げるようにして椅子の上に広げられたタオルにまた手を引かれて二人で座れば更にバスタオルが追加され俺の肩にかけて巻かれて、キャップを外したボトルを口に押し付けて傾ければ出久が水分補給をする。ある程度減ったところでペットボトルを外して今度は俺に同じように飲ませて、そのまま持たされた。
空になった手に勝己は出久の頭にタオルを乗せて髪を拭いはじめる。
「話が長ぇ。逆上せやすいくせに長湯すんなや」
「ぅん〜…」
「出留も逆上せてんならぶった切ってでも上がれって何遍も言ってんだろ」
『ん…話すの、楽しいんだもん』
「だもんじゃねぇわ」
ある程度水気が取れたのかバスタオルを出久の肩に乗せた勝己は今度は俺の頭を拭き始めてくれたから目を瞑る。勢いはいいけれど毛を引っ張ったり絡めたりしないよう丁寧にタオルが水気を拭っていかれて心地よい。
すっとタオルが退いて俺にも肩にかけられて、軽く握るような形の右手が顎の下を支えるようにして置かれ、親指が口元に触れるみたいに添えられて顔がのぞき込まれる。
「………水、もう少し飲んどけ」
『はーい』
離れた手に頷いてキャップが開けたままのペットボトルを口につける。勝己は自分の体をざっぱに服と服を身に着けて、出久に洋服を投げつけた。
「デクてめぇ回復してんだろ。さっさと支度しろ」
「はぁーい」
『出久、無理してない?』
「うん!もう元気!かっちゃんがやってくれたし!ていうか兄ちゃんはまだ安静にしてて!顔色戻ってないよ!」
「出留、目眩は」
『ないよ。ありがとう』
元気さを取りもだしたらしい出久にほっとしつつ、また勝己に介助されて身支度を終える。三人順番に髪を乾かし終えて、時計を見れば六時を過ぎたくらいの時間を指していた。
自覚すれば腹が鳴って、ほぼ同時に聞こえた左右の音に思わず笑う。
『腹減った』
「だね!今日のご飯なんだろ!」
「出留は野菜とスープからな。魚はまだしも肉はせめて二日は茹でたもん以外控えろ」
『りょーかい』
出久は右手を、勝己が左手を繋いで三人で悠々と横に並んで歩く。ひとけの少ない通路は誰にもぶつからずに済んで、たどりついた食堂には微かな人の気配がある。
中に入ればちらほらと人がいて、一瞬こちらを見て目を見開いて、ほっとしたように微笑まれる。
クラスメイトであろう見覚えのある顔に挨拶だけでも返そうかと思ったけど、二人に手が引かれて端っこの席に座った。
「デク」
「ん!いってらっしゃい!」
『え?俺も行くよ』
「おとなしくしてねぇとデク爆る」
『なんで???』
超理論に首を傾げるも出久はにこにこするだけだし勝己はさっさと配膳台に向かってしまって答えはない。
「兄ちゃん、かっちゃんが選んでくれるの楽しみだね!」
『う、うん』
戸惑ってるのは俺だけらしい。目が覚めたばかりだとだいたい二人は俺に甘いけど、今回もそれだろうか。
数分足らずで帰ってきた勝己は両手にトレーを持っていて小鉢やらなにやらで二枚ともがっつりと食器が並び食材が入ってる。
片方を出久がとって一度テーブルに置けば、勝己は俺の前と出久の前に皿を分けて置き始めてすべて割り振りを終えると座った。
目の前に並ぶのは淡い緑色のスープとおひたしや筑前煮っぽいのがはいった小鉢。それから申し訳な程度に茹でられたささみや焼かれた切り身の鮭、ゆで卵が細長い平皿に盛られてた。
「無理に食いきるな」
「お腹いっぱいだったら僕に任せてね!」
『うんん。むっちゃ腹減ってるから大丈夫。ありがとう、二人とも』
普段はわりと食べる方だけど、数日何も食べてないから胃は死んでる。昔ぶっ倒れてすぐ空腹に任せて食べすぎて戻してしまったのは若干トラウマで、二人もあれから目覚めて二日は食事内容に目を光らせてる。
箸を取って、いただきますと挨拶をする。それからまずはお椀を掬うように持って、箸でかるくかき混ぜてから口をつけた。
音をたてないように啜ったスープはポタージュらしい。すこしとろみがあって濃厚だけど、豆の味がして胃にゆっくり落ちて温まる。口を離して安堵から息を吐いた。
『おいしい』
「ふふ、よかったぁ」
「ん。しっかり噛んでゆっくり食え。どうせ今日一日は暇だから時間は気にするな」
『んー』
またスープを飲んで、一口ごとにしっかり飲み込む。二人も俺の様子を少し見守ってからようやく橋を取ってお互いに食事を始めた。
スープをだらだらと飲みながら、半分減らしたところで足音が聞こえていて、入り口のところに紫色が飛び込むようにして現れる。焦った顔でぐるりと見渡して、ばちりと目が合えば火花が散った錯覚が起きる。
「いずるっ!」
一直線に最短ルートで駆けてきて真横で立ち止まった人使は汗ばんでいて、あまりの焦った様子がなんとなく面白くて笑った。
『人使。おはよ』
「っ〜!……もう、大丈夫なのか?」
『うん。ちょーげんき。迷惑かけてごめん。ありがとう』
「…………はぁ〜……元気なら、いい」
大きく、深く息を吐いて、それから眉尻を下げてふにゃりと笑う人使に俺も口元を緩める。お互いに笑ってればため息が響いた。
「話は後にしろ。飯食え」
「心操くん!おはよ!ご飯食べてから話そ!」
「あ、ああ」
勧められるままに人使は食事をとり行く。
「出留も、話は後でだ」
「兄ちゃん、はい、あーん」
つままれたおひたしは少量で口を開いて閉じる。よく噛んで飲み込んだところで人使がトレーを持って帰ってきて向かいに座った。
「兄ちゃん」
『ん』
続けて運ばれたゆで卵も4等分したものを一つ分で口に運ばれてしっかり噛んでいれば人使が首を傾げた。
「出留、それで足りるのか?」
「目ぇさめたばっかであんま胃に負担かけたくねぇ。今日含めて二日は消化しやすいもんちっとずつ食わせる」
「一回の量は少なめで回数を増やしてって感じかな」
「なるほど…」
「あら、それなら回復食とか用意したほうがいいかしら?」
急に聞こえた声に顔を上げる。
『あ、おは、』
「出留、口開けろ」
いつから居たのかこてんと首を傾げてる担任と、その後ろにいる黒髪に勝己は俺の口にささみを運んでから口を開いた。
「期間が長くて酷けりゃそうすんけど、今回は平気そうだからいい。ただ回数増やす関係でちょこちょこキッチン借りるのだけ許可くれ」
「それならランチッシュに言って用意しておいてもらった食事を冷蔵していたほうが効率的だ。今そこにある物以外に要望はあるか」
『あ、でも、』
「兄ちゃん、あーん」
「しっかり野菜煮込んだスープとか温野菜とか、本当に一般的なもんで十分助かる」
「ありがとうございます!」
喋ろうとするたびに食べ物が口に入る。飲み込んでから喋りたいけどしっかり噛まないといけないし、口の中にものが入ったまま喋るなんて論外で必死に咀嚼していれば向かいの人使は呆れたみたいに胡乱げな顔をした。
「お前ら出留に喋らせてやれよ」
「んん!兄ちゃんは食事優先!」
「こんなん俺らで言えんだから出留は今出留にしかできねぇ必要なことをすりゃあいい」
「はい!兄ちゃん、あーん!」
『ん』
俺達のやりとりに担任はやっぱこうじゃなきゃねと笑って相澤先生は首を横に振ると息を吐いて顔を上げた。
「爆豪。緑谷に今後のことで話があるんだが時間をもらえる日を教えてくれ」
「今日以外」
「最短明日で構わないと?」
「はい!大丈夫ですよ!朝一ならご飯終わり、それ以降でも!」
「わかった。それなら明日十三時から一時間ほど時間をもらいたい」
「かしこまりました!」
返事をするのは出久と勝己で、話がまとまる。俺が物を飲み込んでも二人が箸を差し出さなくなったから、息を吸った。
『先生、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ありがとうございます』
「いいのいいの!でも本当にびっくりしたから、今度からは少しでも普段と違う感覚があったら教えてちょうだいね!」
「はぁ。俺からは明日話す。今日は療養に努めるように。緑谷、爆豪、心操。頼んだぞ」
のそのそと食堂を後にした相澤先生にまた後で一度部屋にお邪魔するわね!と担任も追うように出ていく。
二人を見送ってぼーっとしていれば服が引かれてそちらを見た。
「兄ちゃん、お腹いっぱいになった?」
『あー、もう少しだけ食べようかな』
「デク、ささみと卵半分」
「うん!」
さっと俺の皿から残ってたささみと卵が消えて、箸でおひたしをつまんで口に運ぶ。咀嚼しながら向かいを見れば人使は公園で遊ぶ子供を見る保護者みたいな顔をしていて、なんだかその瞳が暖かすぎて背中がむずがゆくなってきたから器を取ってスープを飲む体で上を向いて視線を逸した。
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