あんスタ
1
放課後、天文台で。
約束を守るために授業が終わるなり急ぎ足で廊下を進む。まだ授業をしてるクラスもあるのか人気の少ない廊下は人の目を集めることなく歩くことができて、階段を降り、体育館に近い場所にたどり着く。
初めて足を踏み入れたそこは立地的に隔離されているのも手伝ってか、ガーデンテラスと同じくらい慣れないと入りにくい空気を出していた。
心臓の上で手を握り、息をのんで、解く。
右手を伸ばして扉を叩けばすぐに開いた。
「お、お疲れ様です。よろしくお願いします」
一声目で裏返った。戸を開けてくれたその人は私が緊張してるのに気づきていたようで驚くわけでもなく微笑みを崩さなかった。
『お疲れ様。今日からよろしくね』
私を招き入れてゆっくり戸を閉める。入ってすぐ広がるのは吹き抜けの天井と大きな天体鏡。その手前の空間には円卓が置かれていて椅子が並んでいて、四つの色が私を見据えた。
色の違う瞳に息を詰めて、目を迷わせるより早く手が差し伸べられる。
「いらっしゃいませ。こちらにおかけください」
「僕の隣だよー!」
空席の横に立っていた赤色が促し、その隣で黄色が机を叩いて笑った。促されるままに席に腰を下ろせば赤色が持っていたトレーの上で紅茶を注いで、カップを置く。
「あ、ありがとうございます」
「そないきんちょーせんでもええよ?」
緑色が気づかってくれて、青色が一回頷く。曖昧な笑みを浮かべれば手の叩く音が聞こえて、全員がそちらを見るから私も視線を動かした。
音の元は想像していた通りの人で、紅紫くんは手元にタブレット。後ろには大きな白いスクリーンを携えていてにっこり笑った。
『自己紹介は軽くで大丈夫かな?君から見て左回りに黄蘗、シアン、木賊、柑子。そのまま呼んであげてね。それじゃあ今後の流れを説明していくよ』
指先でタブレットに触れる。スクリーンに図が映し出されて目で追っている間に彼は息を吸ってた。
『今回、招いた彼女のプロデュースを受けてライブを行う。ライブ日時候補はこの三つ。規模と内容によって設定するけれど選ばれなかった二つは通常通りのライブを行うからみんなそのつもりでいてね』
「はーい」
「はい」
大きく手を上げた気はくんと静かに頷いた柑子くん。残りの二人はじっと画面を見ていて、思わず目を瞬く。
画面に映されてる日付は最短で二週間後、最長で約一ヶ月後。今までいろんなユニットの手伝いをさせてもらってきたけれど、どこでもこんなにライブを詰めて行ってるユニットはなかったように思える。
事前に渡されていた活動予定日と照らし合わせるとこの一ヶ月間にすでに終えてる分も数えれば六つのライブに出演するらしく、その上月末にはハロウィンイベントが据えられていて、仕事量が正気とは思えない。
固まってる私に気づいてないのか、すらすらと話をすすめるその人に周りは当たり前のように頷いていて受けいれてる。
『ここの日は打ち合わせがあるからみんなだけでの練習になるけど大丈夫そう?』
不意に問いかけられて手帳と見比べる。ちょうど空きになっているその日に大きく頷けば微笑まれて手早く指先を動かして練習を組み込んでいく。
そのまま全体練習の日をいくつか設定して、タブレットをおろした。
『ここまでで不明な点はないかな?』
「えっと、ありません」
首を横に振って再度手帳を見る。
埋まった予定を確認していけば硬いものが机に置かれる音がして、タブレットが手放されてた。
『それじゃあ僕は出るね』
今日は顔合わせにプラスして、皆の雰囲気を見て舞台をイメージする予定だった。最初から言われていたけれど予定があるらしい彼は顔合わせのためだけに足を運んでくれてたから今も荷物をさっさとまとめてブレザーを羽織ると四人に目を合わせた後に私を見る。
『まずは三日間ね』
「はい」
三日以内にライブ日の確定とある程度のライブ概要をまとめるようお願いされてる。それは細かくわけられた締切の一つで、三日以内に皆を見てステージを作り上げないといけない。
返事に納得したのかすっかり見慣れてしまった穏やかな笑みで頷くと鞄を肩にかけた。
『みんなも、三日間だからね』
「わかっとる」
「ああ」
今まで声を出してなかった二人が返事をしてそれに困ったように笑うと部屋を出ていく。
ぱたんと扉が閉まるのを見つめて、足音が遠ざかる。
がさりと音がして顔を上げればそれは黄蘗くんがどこからかお菓子を取り出して包装を破いた音だったらしい。
「しーちゃん、あーん」
「ん」
迷わず口を開いたシアンくんは差し出された丸く小さなお菓子を咀嚼して、柑子くんは紅茶を嚥下する。
「はぁ〜」
呆れたように深いため息が響いて、残る一人だった木賊くんは眉根を寄せていて三人を睨むように眺める。
「三日間言われたやろ」
「ん?ちゃんとはーちゃんの言葉は守ってるよ??」
「三日間様子を見ろの意味だろう?理解してる」
「はくあくんの言葉を反故する訳がありません。何を言っているんですか、木賊?」
「自分らのそのスタンスが既にあかんねん…!」
紅茶を一気に飲み干して、カップを置く。すぐさま柑子くんによっておかわりが注がれ、その人はまた深々と息を吐いた。
「まぁ、自分らがそーゆー態度になるんも仕方ないか」
わしゃわしゃ髪を混ぜるように撫でて、不意に視線が上がる。目があって、音でも出そうなくらいに強い視線に息を飲めば目を逸らさた。
「あー、転校生。今日何やんの?」
「あ、はい。えっとまずは皆さんのやりたいことを確認したくて…」
「やりたいことなぁ」
木賊くんの歯切れの悪い話し方。逸らされた視線の先は三人で、各々が全く違うことをしていたはずだったけれどいつの間にか携帯かノートを見てた。
「特にないけどぉ。たのしいことじゃなきゃやりたくないなぁ〜」
「望まれれば最適解を見つけられるよう尽力はする」
「求まれたことをすべて成し遂げるのみですね」
「せやな」
三人の言葉にあっさり頷く。主体性が無いわけではないはず。けれど驚くほどに希望が出てこなくて困惑を覚える。
「…………。ぁー、うーん、はぁ」
なんとなく柑子くんがそうなのかと思っていたけれど、四人の中でのまとめ役なのか、頭を掻いてた木賊くんが私を見据えた。
「初っ端やし。一応普段の役割だけ教えとくわ」
ぱっと取り出したのは何かのプリントで、裏返した白紙のそこにシャーペンを走らせる。
「シアンはポテンシャルに問題はないけど基本指示に沿って動くから自発することはほとんどない。声は低めやからきゃっぴきゃぴしたのはあんま似合わん。きぃは逆にきゃっぴきゃぴしたもんやらしとけば失敗ないで。けど気分屋やし浮き沈み激しいからテンション落ちとったらお菓子でも食わせとけばなんとかなる」
「別に明るい曲は嫌いじゃないぞ?」
「そういう意味やない」
「僕もちゃんとやるときはやるもん!」
「やらん時との差が激しいっつーこと」
話が進まないから茶々を入れるなと息を吐いておそらく続きを話すために息を吸った。
「柑子は見目通り補佐が得意やけど結構我が強いから嫌なことは絶対やらん。扱い困ったら別の道に進むんがおすすめ。以上」
プリントが渡される。耳に入って来たのと大体同じ内容が書き連ねられてるそれは事前にもらった人柄と殆ど一緒で、あの人の言ってた通りだった。
「ありがとうございます」
木賊くんが見かねて私と話してくれるのも、その内容が嘘ではないけれど足りないことも、あの人の予想通り。
つまり私はまだこの四人の内側には入れてない。
プリントを眺めて、四人の顔を見る。
シアンくんは確認してるところ。黄蘗くんは
ただの様子見。柑子くんと木賊くんは私の査定中。
最初から友好的だったTrickster、2winkとは別の、Valkyrieやfineに近い、距離感のある、敵意さえ含んだ視線。
久々に向けられる計るような視線に唇を一度結んで、鞄からノートを取り出した。
「私は、皆さんのことをまだ知りません。なのでいくつかイメージはしてみましたがどれもあやふやです。完成形ではなくて申し訳無いですがよかったら目を通してくださいませんでしょうか?」
「わ!もう僕達のステージ用意してるくれてるの?見たーい!」
一番に笑った黄蘗くんが立ち上がるようにノートを覗き込んで隣のシアンくんに見せる。シアンくんと一緒に視線を動かして、木賊くんと柑子くんが一瞬目を細めると表情を繕い直して端からノートを覗いた。
考えたのは大きく分けて三種類。明るく、学園をテーマにしたもの。暗く、ロックのような激しいもの。びっくり箱みたいな、サーカスのようなもの。細部まで提案しきれていないけれどざっくりとした流れを書いたそれを四人は読み終わったのか、互いに同じタイミングで目を合わせて黄蘗くんだけが顔を上げて笑った。
「どれも面白そうだし、なんでもいいよ!」
“なんでもいい”の言葉と四人の視線、表情。どれをとっても私の原案はお眼鏡にかなわなかったのを表してる。
「…………そう、ですか…」
返ってきたノートを眺めて、わかっていたことだけど肩を落とす。
「モチーフは奇人」
「、」
不意に聞こえた声に顔を上げればじっとシアンくんが私を見ていて、頷く。
「皆さんのイメージ、なおかつ大きなテーマを作るのに参考にしました」
「そうか」
シアンくんはもう興味はないのか目線を外してお菓子をひとつ摘み、口に入れると咀嚼しながら本を取り出して開いた。
黄蘗くんも携帯を操作しながらお菓子を食べて、残る柑子くんと木賊くんが視線を合わせてこちらを見る。
「お忙しい中候補を作ってくださり誠にありがとうございます。もし可能でしたら一緒に内容をもう少し固めませんか?」
「イメージと実物じゃやっぱ感じちゃうやろ?三日しかないし、ぱぱっと決めて練習入ったほうがええよ?」
二人の申し出はもちろん願ってもない。
少し考えて、ページをめくってペンを持つ。
「ありがとうございます。……でも、もう一度考えてきます」
「…………」
目を細めた二人の空気感が変わった。本と携帯から視線を少しだけ私に向けた残りの二人を確認して、言葉を吐く。
「ただ、その前に皆さんが先程の内容を見て思ったことを教えてくださいませんか?」
問いかけに四人が唇を結んだままで嫌に静かな時間が流れる。
今回、彼らにとって私は完璧な異物でもしかしなくても邪魔と思われてるはずだ。いつも通りなら彩り豊かな五色で綺麗なステージを作り上げてるんだから私は足手まといだろう。
でも、プロデューサーになるのであればそんな相手とも仕事をすることにだるだろうし、短期間で相手に見合ったステージを提供するのも仕事の一つのはずだ。
彼がどこをゴールに見ているのかは聞いてないけど、私だって応援してくれる皆や目標のために持てるものはすべて使って先に進みたい。
四人のうち、最初に目を逸らしたのは木賊くんでカップに口をつける。
お菓子を飲み込んで、本に視線を戻したシアンくんが息を吸って、言葉と一緒に吐く。
「短期間で三つの仮案。提示のスピードは良い。不確定要素が多い。想像の範囲内。面白みに欠ける。見本がある、成功はする。それは俺達の力であって、転校生のプロデュース力ではない。現状不要だと感じる。俺からは以上だ」
「ありがとうございます」
「……不可解だな。…礼を言う必要はあるのか?」
首を傾げたシアンくんは心底不思議そうで、黄蘗くんが口にお菓子を突っ込んだことで読書に戻った。
シアンくんを黙らせた黄蘗くんは携帯ごとテーブルに突っ伏して伸びるように手を伸ばす。
「僕は嫌だなぁとは思わないけど、良いなとも思えなかったかな。まだ時間がなくて言ってた通りあやふやなのはわかるけど、ちょつと二番煎じ感が強いかも。前に君の考えた七夕祭りみたいなワクワク感はないなぁって思っちゃって、はーちゃんにわがまま言って参加したい気分にはならなそう。文句ばっかりでごめんね?」
「いいえ。ありがとうございます」
「………あはは。優しいね、転校生ちゃん」
にっこり笑って欠伸をすると顔を曲げた腕の上に乗せて恐らく目を閉じる。残る二人のうち深いため息を吐いたのは木賊くんで、その間に表情を元に戻した柑子くんが微笑んで私を見た。
「僕は三日間、可能な限りは貴方に付き合うようにと言いつけられておりますので、望むのであれば僕も感想は述べましょう」
「…お願いします」
「どれも参加したくありません」
あっさりと切り捨てられる。そんな気配はしていたけれど柑子くんはなんとなく、もっとオブラートに包んだ言い方をすると思ってた。
「どこを見てそう感じましたか?」
「一つ目に今回のライブの目的がわかりません。対象者、コンセプト、伝えたい相手も内容もわからないものに参加する気は起きませんね。二つ目に純粋に参加したいと思えませんでした。テーマ、モチーフから大まかな想定はできますが想定が出来てしまった時点でそのライブは僕でも作り上げられてしまう内容であるということ。有り体で凡庸なそれは、はくあくんが立つ舞台に、相応しくない」
空気が、重い。
口調は丁寧。吐き出される声も軽やかで落ち着いているのに妙な威圧感を感じてしまう。
柑子くんは笑みを貼り付けたままで、冷や汗が伝う。ペンを握る手に力が入った。
「それは…」
「もちろんはくあくんはどのような舞台であったとしても美しく輝きすべてを魅了できるでしょう。けれど、あの方がこの舞台に立つのは、僕が許さない」
「柑子」
名前が呼ばれたことに視線を動かす。いつの間にかすぐ近くに居たらしい木賊くんは手に何か持っていて柑子くんの口元にそれを押し付けた。
「舐め終わるまでに落ち着き」
「………………」
口を開いた柑子くんはおとなしく飴玉を口内に入れて、目線を斜め下に落としたまま微動だりしなくなる。飴を舐めてるらしくからころと飴玉が転がる音が聞こえて、もう一度ため息を溢した木賊くんは視線が合わなかった。
「柑子ははくあが絡むとああなるから気ぃつけてな。んで、ええと?感想?」
「はい。お願いします」
頭を掻いて、視線を右へ左へ、二回惑わせた後に私を見る。
「大体はおんなじ。俺はいつも柑子かはくあの作ったステージに立っとるけど、どれも最初っからある程度の目的が決められてる。見せる相手やったり、見せたいものやったり、そういうんがわからんと俺とシアンはどう動いたらいいかいらんことまで考えて動けない。きぃと柑子は量産されたもんが嫌いやから案に反発したんはそういう部分もある。その上はくあが舞台に立つんやったら、柑子とおんなじこと言うけど俺の唯一にこの舞台は立たせたないと思ってまう」
「紅紫さんには、どんなステージが合うと思ってますか?」
「なんでも。どんなステージであろうとはくあは完璧に仕上げて誰でも魅せる。…だからこそ、唯一を普通な舞台には立たせたない」
「、」
「……まぁ、なんだかんだ言ったけどそれが仕事言われたら頷くまでや。これは俺らのただの感想やからな」
木賊くんも口を噤んで目を逸らす。
四人の感想を整理して、ノートにペンを走らせて、つまりはとまとめる。
「皆さんとても紅紫さんが大切なんですね」
「、はぁ?!ちゃうわ!!」
「うん!」
「ああ」
慌てて椅子をひっくり返しながら立ち上がって否定した木賊くん。迷わず頷いたシアンくんと黄蘗くん。静かに大きく頷いた柑子くん。さっきまでとはうって変わった表情に不思議だなぁと思いながらペンを動かす。
クラスで見たときとも、人から聞いた話とも違う。少しだけ余所行きの表情とあの人のことを想ってる表情。
別人になったような空気感に、さっき考えてたもののモチーフにした先輩の一人を思い出していくつか単語を出していく。
こういうのは、どうだろう。
一つ決まれば沢山の情景が浮かんでくるから感じた通りに言葉を並べて、ノートがいっぱいになったところで顔を上げる。
まだ飴を舐めてるのか静かな柑子くんに、ひっくり返した椅子を正して頬杖をついて携帯を触ってる木賊くん。シアンくんはさっきと同じように本を読んだ姿勢のまま微動だりしていなくて、黄蘗くんはいつの間にかいない。
「どないした?」
顔を上げただけで気づいたのか木賊くんが私を見る。続けて柑子くんも私を見て言葉を整理するより早く吐き出した。
「今までのステージを見ることはできますか?」
「ん」
すんなり頷いて立ち上がる。手招かれ、慌てて立ち上がりノートとペンを持って追いかける。隣接している部屋に移るようで扉に手をかけて、開いた先にはスプーンを咥えた黄蘗くんがソファーに座ってた。
「きぃ。詰めて」
「ん〜」
抱えてるクッションと持ってるアイスカップを落とさないように端に寄る。そこと指し示されてソファーに腰掛けた。
三人以上座れるような大きさのそこは黄蘗くんが端に寄らずとも座れる広さで、ソファーの向かいには画面が置いてある。
「どれ見てた?」
端と端に座って、空いている真ん中に腰掛けた木賊くんが問い掛ければ咥えてたスプーンをアイスのカップにさした。
「あでぃくと。転校生ちゃん、あでぃくととこんふぇとぱぺならどこから見たい?」
「え、えっと、おすすめからでお願いします」
「それならまずはぱぺからかなぁ?」
リモコンをとって画面を切り替える。真っ暗になった画面を見守っていれば今年の西暦と月、恐らく会場の名前が現れてすぐに消える。
目を瞬いた次にはぱっと画面に光が映って、ステージを少し離れたところから撮っているのか定点のそれに三つの影が並んでた。
曲が流れて三人は指先どころか揺れるフードまで揃った動きで踊り歌いはじめる。薄暗い雰囲気はどこかUNDEADのようではあったけど、UNDEADよりも更に暗く、妖しいというのが似合ってるなと思った。
「これ、ぱぺの五回目のライブ。この時の僕、ちょっと調子悪くてあんまり可愛くないけど許してね♪」
「そう、なんですか…?」
画面上の黄蘗くんは可愛らしく笑っていて、時折曲の雰囲気に合わせて目を細めればあっという間に妖美な空気になる。
激しく踊りながらも一切ぶれない声も表情も、調子悪いなんて思えない完成度で動き回る三人を眺めているうちに一曲終わったのか画面が暗くなった。
「次はaddictがええな」
今度は木賊くんがリモコンを操作していくつかあるフォルダの一つを選ぶ。さっきと同じく真っ暗になった画面に字幕が出てすぐ消えて、さっきよりも少し明るい照明に照らされた木賊くんと柑子くんが現れた。
二人は背中合わせで息を吸うと、木賊くんが叫んで、柑子くんが口角を上げる。さっきがじっくりと絡めとられるような感覚なら、これは勢いで囲い込まれるみたいな感覚。正反対にも思えるそれに目を逸らせないでいれば木賊くんが黄蘗くんのアイスを一口もらい、膝を抱えなおした。
「他のユニットはどうか知らんけど、俺らのユニットは全部テーマがある。ぱぺは禁忌、addictは扇動」
「…教えてもらうと納得できます。皆さんの空気感が全く違いますね」
「うん」
黄蘗くんの柔らかな返事に視線を動かす。映像を目で追ってるのかこちらを見てはいなかったけれど確かに私と喋ってる。
「ぱぺの時は大体はーちゃんが、あでぃくとの時はこーちゃんがプロデュースしてくれるの。僕達は…きっかけをつくるか、仕上げをしてる」
「きっかけと、仕上げ…」
「俺らは元々ばらばらで、好きなもんも得意なもんも全く違う。でも、俺らに合うよう整えてくれんのがはくあと柑子で、せやから俺らはいつだって好き勝手できるし、二人が用意したもんを完璧に魅せられるよういつでも準備してん」
木賊くんも緩んだ表情で映像を見ていて吐露された言葉をしっかり受け止めて、終わってしまった動画に二人は動かない。
そのまま自動再生で次が流れはじめて、最後はconfectioneryの映像だった。
さっきまでとは大きく変わり、どちらかといえば白っぽい、明るい雰囲気になってる。流れ始めた音楽も、踊り始めた五人の表情も今までと違い、笑顔の五人を少し眺めてから息を吸う。
「あの、confectioneryのテーマはなんですか?」
次々と変わるセンター。今は楽しそうに笑ってる柑子くんが真ん中で、二人は同時に言葉を紡ぐ。
「「僥倖」」
「……幸せではなくて、僥倖なんですね」
頷いてそれ以上言葉を続ける様子がなくなったことに映像に視線を戻す。
僥倖と言われても、普通は幸せとか幸福とかのほうがテーマにしやすそうなものだけれど、僥倖である意味があるのだろうか。
五人の溢れんばかりの喜びの表情は、見ていたはずのファンも笑顔にする。実際に見ている私も感化されて思わず口元を緩めて、あっという間に終わってしまった動画にどきどきと高鳴った心臓の勢いのまま口を開いた。
「あの!もっと見せてもらえませんか?!」
ゆっくり視線を上げた黄蘗くんが緩く笑って頷く。
「うん。もちろん」
渡されたリモコンがメニューを選ぶ。タイトルには日付、場所、ユニット名が並んでいて曲名らしきものもついてる。
手始めに一番上から連続再生を選んで、そのままノートを開いてペンを持つ。流れる映像は目に入れば視覚で問いかけ、鼓膜を揺して音で訴えてくる。
いくつも再生していけば教えてもらったpuppeteeerの禁忌とaddictの扇動の意味が少しずつ見えてきて、基点をそのままに、公演によってちょっとずつ雰囲気が違かった。
雰囲気を変えてもブレがないのは基点がしっかりしてるからだろう。
最後はconfectioneryのライブ映像で、今までとは違い全員が楽器を手にしてた。演奏しながら歌う五人は踊っていたときとは少し違う華がある。
再生が止んだ画面に息を吐いて手元を見ればノートはまとめようとしてたはずなのにひどく雑多に文字が書き込まれていて後で整理しないといけない。
顔を上げると黄蘗くんと木賊くんは居なくて、代わりにシアンくんがソファーの横に立ってた。
右手にはカップを持っていて喉を潤してる。深呼吸をして、見上げる。
「皆さんがこれを見せてくださったのは約束があるからですか?」
先程、私の案を評価したときと二人の様子はだいぶ違かった。過去の映像をすぐ取り出せる状態まで用意してあることなんて滅多にないだろうし、今も監視の目があるのはきっとそういうことのはずだ。
カップから口を離してシアンくんは頷く。
「ああ。はくあからは三日間は助力するよう言われている。他にも必要なものがあれば用意するが希望はあるか」
「いいえ。必要な物自体はないんですが、いくつか教えてくださいませんか?」
「なんだ」
「どうして、confectioneryは幸せや幸福ではなく僥倖がテーマなんですか?」
ぱちりと瞬きをしてカップを置く。そのままテーブルにあったそれをなぞって笑った。
「バラバラだった俺たちが集まったことも、今こうして舞台を作り上げてることも、本来ならあり得えない事象だ。けれどそれが実現している、現実。俺たちがこの日まで存在していること、俺たちの巡りあわせと出逢えた感動。総称してconfectioneryは僥倖がテーマになっている」
「巡りあわせ…」
「僥倖は命運や偶然の幸福の意味もある。俺たちが出会い作り上げた彩りは俺たちにとって紛れもないしあわせだ。また、俺たちのしあわせを伝えることで “見た人間もしあわせと巡り会えるように” そんな意味もある」
「…………それは…誰が考えたんですか?」
「はくあだ」
「…紅紫さんはどうしてそのテーマにしたんでしょう」
「……………………」
淀み無く答えていたシアンくんが初めて言葉をつまらせて、視線を動かす。思い出しているのとは少し違う。考えるような妙な間。十秒程悩み、シアンくんは首を横に振った。
「俺にはわからない。」
どこか悲しそうに、目線を落としたまま言葉を紡ぐ。
「はくあはきっとたくさんの意味を込めて“僥倖”とつけたはずだ。はくあは俺の想像もつかないほど多く考え、最良を選んでいる。どうしても知りたいのなら柑子に相談してみるのがいい」
「柑子くんは知ってるんですか?」
「わからない。けれど柑子ならば人として正しい選択が出来ているから、はくあの思想に近いものを見つけ出せる可能性が高い」
「正しい選択…?」
「………………」
シアンくんは唇を結ってしまって視線を落とす。無表情に近いけれど、どこか寂しそうに見える顔に口を動かそうとして、開いたままの扉がノックされたことに顔を上げた。
「シアン、転校生。下校時間や」
「もうそんな時間か」
「転校生、今日はしまいやけど、なんか要るもんあるか?必要なもんあれば明日までに揃えとくで」
「あ、えっと」
唐突な下校時間のアナウンスと問いかけに目を瞬いてしまって、確認すれば木賊くんの後ろには黄蘗くんがいる。柑子くんは見当たらず、結ってしまっていた唇を開いた。
「黄蘗くんと、木賊くんに聞きたいことがあって…いいですか?」
「僕に答えられることかな?なぁに?」
「confectioneryは僥倖がテーマと教えていただきました。そこに込められた意味も、シアンくんから伺って…とても、素敵だなって…」
「ふふっ!こんふぇのテーマに共感してくれるなんて嬉しい!」
「巡り会えたことへの感動。一期一会とよく言いますが、本当に、私がここに来たことも、皆さんがこうして一つのユニットとして活動していることも、たくさんの奇跡が重なって産まれた産物…」
「………転校生、質問はなんや」
眉根を寄せた木賊くんが強めに問いかけてくるから、顔を上げて二人を見据えた。
「…どうして、紅紫さんは僥倖をテーマにされたのか、ご存知でしたら教えてほしいです」
「、」
「……………」
目を丸くしてすぐに視線を落とした木賊くん。静かに横を見て、木賊さんと、それからシアンくんの姿を確認した黄蘗くんは眉尻を下げていびつに笑った。
「ねぇ、それしーちゃんにも聞いたの?」
「はい」
「んー、そっかぁ」
困ったと口には出さずとも表情に出ている。黄蘗くんが言葉に淀んでいる間に木賊くんが手のひらを握りしめた。
「テーマは、はくあが決めてくれた」
小さく、零されるように紡がれる言葉は少し掠れてる。
「はくあは、僥倖の言葉に込められた意味をいっぱい教えてくれたけど…それにした理由までは、教えてくれんかった」
「……………」
「僥倖にした理由は…なんなんやろうな。俺には、わからん。考えても考えても、合うてるか…」
握っていた左手を解いて、右手首を押さえる。擦るように動かしながら木賊くんは目を瞑って、息を吐いた。
「ごめんなぁ。手伝うよう言われとるけど、俺にわからんことは答えられへん」
「…いえ、ありがとう、ございます」
「…………」
「……きぃ。お前はわかるかぁ?」
何故か自嘲するような笑みを浮かべた木賊くんに、黄蘗くんは頬を掻いて、息を吐くとにっこりと笑った。
「んー、そういうのはいーっぱい僕達のこと考えてくれるはーちゃんとこーちゃんに聞いたらいいと思うよ!」
「紅紫さんか、柑子くんですか…?」
「うん!二人はねぇ、本当に僕達のことをたくさん考えてくれて一番いい答えを選んでくれるの!だから、そういう答えを知りたいときは…まずこーちゃんに聞いてみて?」
「柑子くん…紅紫さんではなくてですか?」
「はーちゃんが教えてくれるのは必ず正答だから!こーちゃんはね、僕達と一緒に考える側だからおんなじように間違えちゃうこともあるけど、そのほうが君も考えられるでしょ?」
「、そう、ですね」
わかるとも、わからないとも言わなかった。黄蘗くんのあの様子からしてきっと彼は答えを知ってるんだろうけど答える気がないらしい。
私に教えたくないというよりはこの場にいる二人に気遣ったようにも見えてそれ以上は聞かずに頷いた。
「柑子くんにも聞いてみることにします」
「うん!そうしてみて!」
「三人とも答えてくださってありがとうございました」
立ち上がって荷物を取る。黄蘗くんは木賊くんとシアンくんの背中を叩いて起動させると扉に立った。
「それじゃあ皆で帰ろ!」
「は、はい!お待たせしてすみません」
「大丈夫だよ〜!」
明るく笑う黄蘗くんは本当にぶれない。木賊くんとシアンくんだけ表情は硬いままで、声をかけるより先に足音が聞こえた。
「皆様、忘れ物はございませんか?」
「転校生ちゃん大丈夫?」
「は、はい、大丈夫です」
「木賊、なにか明日までに必要なものはございませんか?」
「………」
「…木賊?」
「、あ、えっと」
「そういえば僕が話しかけちゃったから話途切れてたね!転校生ちゃん!必要なものはなぁい?」
「物品に関してはないです。お気遣いありがとうございます」
「そうですか。明日はまたこちらでのレッスンを予定しておりますので準備が整われたら足を運んでくださると助かります」
「こちらこそ、場所の提供だけでなく動画まで見せてくださってありがとうございます。また明日もよろしくお願いします」
「ええ。よろしくお願いいたします」
ちらりと木賊くんとシアンくんを見てから微笑まれる。柑子くんは二人の様子を心配してるようで、あ!と黄蘗くんが大きな声を出した。
「こーちゃん!」
「そんな大きな声を出されなくても聞こえますよ…?いかがなさいました?」
「あのね!僕職員室に課題出すの忘れてたから出してくるね!」
「課題ですか?」
「うん!今度のコンペに出す小論文!」
「選出されておりましたもんね。そうしましたら正門でお待ちしておりますよ」
「え!待っててくれるのぉ?」
「ええ、もちろんですよ。黄蘗くんを置いていくわけがありません」
柑子くんがおっとりと、柔らかく微笑む。さっきまで浮かべられていたのとは比べ物にのらないくらい優しい表情に息を呑んで、黄蘗くんが頬を赤らめた。
「嬉しい!あ!それなら僕新作のフラペチーノ飲み行きたいから!先行って席とっといてもらえないかなぁ?」
「ふふ、昨日から発売でしたもんね」
「うん!一人で四人分は大変だろうから、しーちゃんとくーちゃんも一緒に行ってあげてね!」
とんっと二人の背中を押した黄蘗くんに木賊くんは仕方なさそうに、シアンくんはそっと頷いて、柑子くんは思い出したかのように表情を繕い直すとこちらを見た。
「転校生さんもご一緒にいかがですか?」
「ぁ、えっと」
「あー!転校生ちゃんまで先行っちゃったら僕が一人になっちゃうでしょ!転校生ちゃんは僕と一緒に職員室付き合って!」
ぐっと手を掴まれて引かれればふらつきそうになって、柑子くんが困り眉になった。
「黄蘗くん、勝手に決めてしまうのはよくありませんよ?」
「勝手じゃないもーん!ね!僕と一緒に行ってくれるよね?」
こてんと首を傾げられれば自然と上目遣いのようになって、身長はさほど変わらないはずなのにこれが甘え上手なというのか思わず可愛さに頷いてしまう。
柑子くんは戸惑うように唇を開こうとして、黄蘗くんが先に掴んでいた腕を離して右手を繋がれた。
「わぁい!行こ!転校生ちゃん!先生帰っちゃったら大変!」
「そ、そうだね」
「こーちゃん!場所取りお願いね!」
「え、ええ」
「しーちゃん、くーちゃんまた後でね!」
「ああ」
「ん」
「早く行こ!」
繋がれた手が引っ張られる。つられて駆け出して、数メートルほど離れたところで振り返ろうとすれば手が強く握り直された。
「振り返らないで。走って」
「え、」
「スピード上げるよ」
「え?!」
宣言通りに上がったスピードに足がもつれないように必死に走る。どんどん上がる息に後ろを振り返る余裕なんてもちろんなくて、校舎に入って、それでもまだ走って、黄蘗くんはいつの間にか持ってた鍵を翳してレッスンルームを開けるとそこに飛び込んだ。
手が解けて、レッスンルームの床に座り込んで息をする。
「は、はっ」
「あはは!引っ張っちゃってごめんね!大丈夫??」
「う、は、はい。ちょ、っと、のみもの、のませて…ください…」
「もちろん。息整ったらお話しよぉ」
向かい側にしゃがみこんだ黄蘗くんは息切れ一つなく笑っていて、滲んだ汗を拭ってから鞄から飲み物を取り出す。一気に半分ほど飲んで、キャップを締めてから大きく息を吐いた。
少しだけ整った息と落ち着いてきた思考に、黄蘗くんを見る。
「…………私に、お話があるんですか?」
「うん!さっきのお話の続き」
両手で頬を包むようにして頬杖をつくと、目を細める。
「さっきの質問、しーちゃんとくーちゃんにはね、まだ早いの」
「早い…?」
「うん。早い」
「…………えっと、それはどういうことでしょうか…」
「あまり例えるのって得意じゃないんだけど…小学生が二次関数解けると思う?」
「それは…難しいと思います」
「どうして難しいと思うの?」
「えっと、基礎…解くのに必要な知識基礎が揃ってないから、でしょうか?」
「うん、そうだね」
「…………シアンくんと、木賊くんには、必要な基礎が足りてないってことですか?」
「うん」
随分とあっさり頷いた黄蘗くんは一度目を瞑って、なにか考えるような間をおいてから開く。
「はーちゃんに聞いてるかもしれないけどね、僕達四人は全員少しずつ足りてない部分があるの。足りない部分は同じだったり違かったりするんだけど、しーちゃんとくーちゃんは足りないところが似てて、さっきの質問に答えるための部分はまだ二人には足りてないところ。だから二人はあの質問に答えられない」
「……聞かない、方が良かったんでしょうか」
「んー、どうだろう。二人はちゃんと足りてないことを自覚してるしそう気にしてないんじゃないかなぁ?」
質問してから別れ際まで、どう見ても様子がおかしかった二人に気にしてないの表現は合わない。
黄蘗くんは笑いを零すとまた私を見つめた。
「二人はね、答えられないこと…答えを見つけ出せないことに、自分に腹を立ててるの」
「……怒ってたんですか?」
「うん。二人は怒ってて、それでいてそんな自分が悔しくて、悲しいの」
「…………」
「そんなときに支えてあげたいけど、僕じゃ駄目だから、だからこーちゃんにお願いしてきちゃった」
「黄蘗くんがだめで、柑子くんがいい理由を聞いてもいいですか?」
「………んー、こーちゃんのほうが二人に近いからかなぁ」
「二人に、近い…?」
「しーちゃんにテーマをつけた理由を聞いたとき、わからないって言われたでしょ?」
「え、はい」
「それできっと、しーちゃんは他の人に聞いたら答えがわかるかもって言ったはずだよね」
「、聞いてたんですか?」
「うんん。聞いてないよ?ただしーちゃんならそう答えるだろうなぁって。それから、他の人にっていうのは僕でもくーちゃんでもない。こーちゃんならわかるかもしれないって言われたでしょ?」
「…はい」
「そんなに警戒しないでよ。ほんとに僕は盗み聞きなんてしないからね!…………なんでしーちゃんがこーちゃんにって言ったのか、それはたぶんくーちゃんは自分と同じように答えを出せないってわかってるから」
「黄蘗くんにと言わなかった理由はなんですか?」
「僕が答えを知ってるから。それだけだよ」
「、ご存知なんですか」
「うん。だってconfectioneryのテーマを決めたときにはーちゃんと話してたの僕だもん」
「………皆さんで決めたんじゃなかったんですね」
「…ふふ。はーちゃんもね、ちょっと足りないところがあるの。だからね、転校生ちゃん」
頬杖をやめて、伸ばされた両手が私の手を取る。優しく包むように挟まれて、目を閉じられた。
「どうか、みんなが描く夢への一歩になってほしい」
「、」
「はーちゃんがconfectioneryってつけたのははーちゃんの描いていた夢のため。しーちゃんとくーちゃんがそれに気づけるようになれば二人の夢に近づくし、こーちゃんも夢が描けるようになる」
「夢…」
「あ、踏み台になってくれってわけじゃないんだよ?」
ぱっと目を開いて、レモンのように明るいはずの瞳は、夕焼けと混じって蜂蜜みたいに蕩けてる。
「僕は、みんなに幸せになってもらいたいの」
「幸せ…」
「はーちゃんはもちろん、しーちゃんとくーちゃんとこーちゃんが笑っていられる。そんな世界を作るのが僕の夢」
穏やかに微笑む。さっき見た柑子くんとも似た笑みに息を呑んで、黄蘗くんはだからお願いとゆっくり紡いだ。
「君は一つの大きな可能性だと思ってる。どうか、三人を救ってあげて」
「…………救うなんて、大それた事が私に出来るかわかりません。………でも、」
息を吸って、吐いて、向かい合う彼の瞳を見つめた。
「ライブは、絶対に皆さんの予想を大きく超えたものを作り上げて、成功へ導いてみせます」
「…ふふ。期待してるね、転校生ちゃん」
蜂蜜色を隠すみたいに目を閉じて、俯いた黄蘗くんはなんでか泣いているように見えて、包まれている両手の温もりに唇を結んだまま私も目を閉じた。
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