ヒロアカ 第一部
相澤先生が許可され、俺の手元にも届いたノートの中身は予想していた続きと、それ以外にもたくさんの履歴が残ってた。
発熱まで至ったときだけじゃなく、予兆があったときの対処まで。どれだけ精神をすり減らして対応してるのかと思うと、ノートが抜かれていたことは些細なことで、怒りよりも賞賛の言葉が先に出てきた。
「……………彼奴ら、すごいな…」
履歴を見るに、出留の母や爆豪のご両親、それからその時近くにいた友人の協力もあったのだろう。それでもやっぱり普段から一緒にいる緑谷と爆豪の負担は大きく、何度も失敗して、普段も成功してるのかもわからない行為を繰り返すことによく心が折れないなと思う。
出留への気持ちが支えてたのか、それともそれ以外に何かあるのか。
一般的に家族や幼馴染に向けるものよりも深い気のするそれに俺が悩んだところで名前はつけられないから考えるのをやめた。
顔を上げて眠る出留を見つめる。
今日で三日目。未だ起きる気配のない出留は初日と何一つ変わらず穏やかに眠っていて、頬をつつく。
「なぁ出留、そろそろ起きてくれ」
寝息すら立たず静かな出留は生きてるのか心配になる。ノートでもよく緑谷や出留の母親が息をしているか心配になって夜起きてしまったりした記録があったし、気づいたら呼吸をしてなかったらどうしようと思う。
「夏休み終わっちまうぞ、出留」
後期始業までもう二週間をきった日付に頬をもう一度突いて、手をおろした。
出留がこのまま目を覚まさなかったらどうしたらいいんだろう。
こんこんと聞こえた扉を叩く音に顔を上げて立ち上がる。開いた扉の向こう側には申し訳なさそうな顔のミッドナイト先生がいて、首を傾げた。
「先生、どうしたんですか?」
「急にごめんなさいね。貴方の進路に関して必要な書類の作成と提出があって…今から相談室にお願いできないかしら?」
「あ、はい。代理は…」
「緑谷くんと爆豪くんは訓練中だから…この子に頼みました!」
「はい!頼まれましたよ!おじゃまします!」
ぴょこりと先生の影から顔を出したのは発目さんで、肩にかけた大きな鞄には恐らく発明途中の機械や部品が入ってるんだろう。
「貴方の書類提出が終わるまでいてもらう予定で、緑谷くんと爆豪くんには先に了承をもらってるわ」
「そうなんですね。……発目さん、出留を頼む」
「ええ!部屋の中でメンテナンスしておりますからお気になさらずゆっくりと!」
にぱっと笑って手を振る発目さんに頼むと言葉を返してから荷物を持って部屋を出た。
ミッドナイト先生と相談室に行き、進路指導のブラド先生に教えてもらいながら書類を作る。内容はこの間の期末試験や夏休み中の訓練をまとめたそれは進級時の査定に使われるらしい。
俺の未来に対して必要な書類をしっかり作って、大体一時間くらいして部屋を出た。
急ぎ足で寮に戻って、ノックして戸を開ける。
「発目さん」
「あ!心操くん!はやいお帰りですね!」
メカから顔を上げた発目さんは言葉通りメンテナンスをしてたようで、床に座り込鞄が広げられ、工具が置いてあった。
「早いか…?一時間くらい経ってるぞ?」
「もうそんなに!まったく気づきませんでした!」
「熱中してたんだな」
「ええ!頼まれていたベイビーの最終調整です!」
「……あ、それもしかして、出留の?」
「はい!」
差し出されたのは輪っか状のもので、前に聞いたとおりならガーターリングにも手袋と同じように発火できる素材に替え、試験管だけじゃなくナイフをこっちにも取り付けられるようストッパーがついてる。付属のストッパーがジャラリと音を立てて、渡されたそれを眺める。
「またかっこいい感じにまとまってる」
「ええ!今はデザイン性も重視されますから!もっとたくさん使っていただいて、改良に改良を重ねますよ!心操くんも必要なものがございましたらおっしゃってください!」
「ありがとう」
「ふふ。……ですから、緑谷さん。早く目を覚してくださいね」
ぽんぽんと小さな子に触れるように頭を撫でて、発目さんは目を瞑る。いつも見開かれるように丸い瞳が隠れてるだけで雰囲気が変わる。
すぐに手をおろした発目さんは俺に向き直るとにっと笑った。
「私にもお手伝いできることがあったら教えてください。緑谷さんとお話できないのは私も寂しいですから」
「……ああ。ありがとう」
「ふっふっふ!心操くんと緑谷さんは素晴らしいパートナーだと思ってます!これからも応援させてくださいね!」
満足そうに笑う発目さんに唇を結ぶ。
出留とパートナーの言葉は、先生が相棒として言ってくれた言葉と同じくらいに心臓が掴まれる。鼓動が早くなったせいかじんわりと体温が上がったようで、目を逸らして顔をあおぐ。
「……ありがとう」
「お二人のコンビを支えるエンジニアの座は譲りませんよ!」
「…ああ、これからもよろしく」
「はい!」
発目さんが大きく頷く。将来引く手あまたになるだろう発目さんが今からメカニックとして支えてくれるなんて、贅沢すぎてそのうち刺されそうだ。
曖昧に笑って、視線を逸らす。それなりの声量で話してしまっていたけど出留はやっぱり目を覚ます気配はない。
こんこんと音がして、顔を上げればゆっくりと開いた扉から黒髪が覗いた。
「心操、発目、交代だ」
「あ、もうそんな時間ですか」
「楽しい時間はあっという間ですね!」
「有意義な時間を過ごせたようなら何よりだ」
相澤先生が口元を緩める。発目さんが広げてた器具を一緒に片付けて立ち上がった。
「それでは緑谷さん!またお邪魔しますね!」
「出留、またな」
さっきと同じようにぽんぽんと髪を撫でてから発目さんは部屋を出て、俺も挨拶をして部屋を出る。
「先生、出留をお願いします」
「ああ」
入れ替わりで中に入った先生が扉を締めて、これからどうするかと横を見ようとしたところで特徴的な音が聞こえた。
「そういえば私、朝から何も食べてませんでした!」
「…発目さん、よかったら一緒に夕食どうだ?」
「そうですね!」
このまま帰したらまたメンテナンスや作品作りに没頭してしまうだろう発目さんと食堂に向かうため、エレベーターに乗り込んだ。
心操と発目が部屋から離れていったから近くのスツールに腰を下ろす。
ベッドに近い場所にあるスツールとテーブルの組み合わせは少しの教材とパソコンを含めた電子機器が並べられていることから勉強机なのだろう。
几帳面とまではいかずともそれなりに丁寧にまとめられた教材は不要なものは別に保管しているのかこざっぱりしてる。常灯式のタブレットは時刻が表示されていて、一分ほどすると自動で月単位のカレンダーが表示される。カレンダーには課題の提出日や訓練日がマークされてた。
パソコンはノート式を持ち込んだからか閉じられていて、その向こう側に伏せられるようにして置いてある写真立てを手に取る。
幼い頃の家族写真なのか、この間面談のときに会った爆豪のご両親と面影が残る緑谷の母親。それから大人の腰ほどの背丈しかない爆豪と緑谷兄弟が並んで笑ってる。
勝ち気ながらも子供らしく笑う爆豪と、頬を赤からめ、ふやけたように笑う弟の緑谷。それから、幼馴染と弟の二人と肩を組み、間で笑う緑谷。
「…………」
幼馴染と弟は面影もあり、笑い方も今に近く理解ができる。だが、真ん中で笑っている緑谷の笑顔が今と結びつかなくて思わず眠っている本人を見据えてからまた写真に視線を戻した。
活発な少年らしい笑顔。屈託もなさそうな明るいそれはどうにも今の緑谷には結びつかず、どちらかと言えばこの表情は爆豪のような少年に近い。
左下に入った日付は今より10年以上昔のもので、被写体からしてもかなりの幼少期のものだろう。
幼馴染と弟の仲睦まじそうな様子や笑顔の度合いからいって、個性が発現するそれよりも前なのかもしれない。
「…………そうなるとコイツラの転機は個性の発現か…?」
以前に取り寄せた資料で幼馴染と弟はいじめの加害者と被害者であり、入学初日の体力テスト、その後のヒーロー基礎学や普段の様子からしてもお世辞にも仲がいいとは言えないのは誰もが把握していた。
だからこそ期末試験ではオールマイトがあの組み合わせで試験を受けさせた。
とはいえ、入学時から爆豪が一方的に吠えて噛み付いているようにも見えるが実際のところ、緑谷も負けん気が強く爆豪に言い返していたり、我を通そうと強かなところを何度か見たことがある。
兄が倒れてからの言動も手を取り合って補助をしているし連携はスムーズでくだらない衝突はない。お互いがお互いをよく理解した行動をしており、それは一朝一夕で築き上げられるような関係ではないだろう。
日常であえて不仲に見えるような言動を取る爆豪や、それを甘受している緑谷、それからそれらをすべて静観している兄の不可解さに眉根が寄る。
職業訓練の時にもあった違和感。あの時は材料が少ないからと後回しにしたが、やはりこれはおかしい。
強個性の幼馴染と無個性の兄弟。無個性はたしかに個性所持率八割を超えるこの超人社会においてマイノリティで、場合によっては侮蔑の対象にもなる。
無個性が二人いて、そのうちの兄は勉学がとても優秀で、弟は人に比べて少し勉学が良い程度。生来の人柄も加味した結果か兄は無個性ではあるが迫害されず、弟は迫害された。
「迫害を扇動してたのは幼馴染であり、過保護とも見てとれる兄がそれらを静観をしていた…いや、これはもしかして…」
ブーと揺れ始めた携帯に思考をやめて手を伸ばす。ポケットの中で揺れていた携帯はやはり着信しており、相手が校長なことから、俺がここにいるのを知っていて通話を選んだということは急用なのだろう。
一度ベッドの上の緑谷を見据えて、部屋を出て画面に触れてから耳に当てる。
「はい、相澤です」
「やぁ相澤くん!忙しいところすまないね!」
「いえ…」
「手短に要件だけ!三つ君に伝えるよ!」
校長に相談していた件はいくつかあるが、そこから三つとなれば恐らく今の疑問を紐解くために必要な情報が得られるだろう。
上機嫌なトーンのままで校長はまずはと口火を切る。
「一つ目!君の確認したがっていた主治医のことだけれど、きちんとしたお医者様で歴代のカルテを取り寄せることもできたよ!流石に転送することは難しいから時間のあるときに校長室に来てほしいのさ!」
「ありがとうございます」
「二つ目!緑谷くんが以前巻き込まれたであろう誘拐事件はやはり警察には伝わっていなかった。その当時の彼らの地域と履歴にある事件詳細は結びつかなかった」
「…そうですか」
「………けれど、彼らの地元…とは言っても車で一時間は離れた場所で、チンピラに近い敵がよく捕まっていた履歴があった。いずれも複数名の敵で、ヒーローが発見したときは仲間内でもしたのか全員負傷していて気絶している状態だったらしい」
「それは…」
「こちらに関しては事件性は認められず、元から多少の犯罪を重ねていた敵であったことからそちらの犯罪が理由で刑罰を受けていて、緑谷くんたちとの関連は見つけられなかった」
「………」
「最後!三つ目!爆豪くんと緑谷くんだけれど君の知るとおり小学校から中学まで、主に爆豪くんを主としていじめに近いものが日常的に行われていたね!」
「やはり」
「学校側では言質をとるのは難しかったけれど、その当時の同級生の証言からほぼ間違いない。流石に直接的な暴力はなかったようだけれど、器物の破損や脅迫はよくあったようだ」
「…兄は、止めなかったんですか?」
「ああ。一度も止めているところを見た人はいない。緑谷出留くんだけ別クラスだったというのも大きいかもしれないね。基本的にはクラス内で派手に爆豪くんは動いていたそうだ」
「……………」
「けれどそれだけのことをすればいくら別クラスとはいえ耳に入るだろうし、止めるはず。それなのに彼が表立って止めている様子はない…これは僕の憶測だけれど、このいじめの首謀者は、」
「緑谷出留でしょう」
「うん、君もそう考えていたんだね」
「少し考えればおかしな話ですから。あれだけ過保護な奴がいじめられている弟を庇護しない理由も、扇動している幼馴染を止めない理由も、可能性は限られてます」
「資料を見ただけの僕だけじゃなく、身近で彼らを見てきた君がそういうならこの推測は間違っていなそうだね。彼が馴染を指示してあの状況を作り出していたんだろう。……けれど、そうなると彼らの意図が更に読めない」
ここで初めて黙ってしまった校長に電話の向こう側が静まる。
校長のような敏い人間ならばすぐにこの違和感には気づいただろうし、緑谷出留が首謀者であることも察せるだろう。だが、動機に関しては、紙面越しじゃ推察するには情報が少なすぎる。
息を吐いて、額を押さえた。
「これはあくまで確証がない憶測の域を出ない話なんですが…」
「そもそも首謀者説も憶測だからその理由に確証があるわけないのさ!」
「…それもそうですね。……普段の緑谷出留の行動原理は明白。あの二人を保護することです」
「うん。それは君が職業訓練に彼を誘うきっかけにもなった体育祭での考察だったね」
「はい。そこで過去の学校内でのいじめですが…爆豪が扇動していた。それは逆に言えば、爆豪が手を出す範疇をコントロールしていた可能性があります」
「なるほどね。幼馴染である彼がやることで周りは過激だと身を引き被害者に触れなくなるか、周りで囃し立てる」
「ええ。爆豪がやったことに直接的な暴力がないのもそのためではないかと。爆豪の気性の粗さは生来のものかもしれませんが、特に緑谷に対するときは普段よりもあたりが強く、キツイ」
「……一理あるけれど…それは諸刃の剣でもあるよね。爆豪くんが扇動してそれにより増長したクラスメイトが彼の知らないところで緑谷くんを嬲るかもしれない」
「そうならないための爆豪だったんでしょう。普通ならば兄がその立場をやってもよかった。そうしなかったのはひとえに、影響力の違いのはずです。無個性の緑谷ではいくら学業において優秀とはいえ、いじめるにしては同じ無個性では目立たない」
「その点、強個性であり、人を引きつけるカリスマ性がある爆豪くんが学校を牛耳った上で彼を迫害していたのだとすれば、爆豪くんの赦しなく過剰な行動をとる者は少ないと踏んだと」
「ええ。それならばいじめが続いたことと止めなかった理由が片付きます」
「………相澤くんから見て、彼らは問いかけたら教えてくれると思うかい?」
「……………どうでしょうね。誰に聞くかにもよりますが…」
「…被害者である緑谷出久くんは控えるのが普通だね。加害者の爆豪くんか、首謀者の可能性が高い緑谷出留くんが無難かな」
「…兄が起きてからか、今のうちに爆豪に聞くかですね」
「早いほうが良さそうだけれど…彼らの精神も心配だ、あまり負荷をかけすぎても爆発してしまうかもしれない」
「そのへんは調整します」
「そうだね。頼むよ、相澤くん」
寄りすぎてしまって痛む眉間に人差し指と親指を置いて揉む。校長も最初に比べると声のトーンが落ちており、一、二回ほどの呼吸の間のあとに向こう側で息を吸う音が響いた。
「今回調べたことも継続して確認は取っていくよ。あと、他の君に頼まれた調べものも調査は続行中だから続報を持っていてほしいのさ!」
「はい。お手間をおかけしますがよろしくお願いします」
言葉を絞めてそれではと通話が切れる。
カルテに関しては一度校長室に向かがって確認する必要があるし、その他二つに関しては精査の後、爆豪か緑谷に確認しなければならない。
それ以外にもこれから仮免許試験が始まったり、心操のクラスアップ査定。通常のヒーロー業務に教師業務とやることは山ほどある。
体がせめてあと三つくらいほしいと頭を抑えて、ふと、携帯を見た。
「通話時間、十五分三十秒…」
見えた数字を認識した瞬間に考えていたことが全部消えて、背筋が寒くなる。携帯をしまいながら反対の手を伸ばしてドアノブを捻って開いた。
「緑谷!」
『……………』
長時間離れすぎた。予想通りベッドにいない緑谷にすぐさま窓を見て、その後に手前に視線を落とす。ベッドから降りて、部屋の真ん中に座っていた緑谷が声に反応したのか顔を上げる。
ふやけた笑みを浮かべる緑谷はやはり口がきけないようで、手に持ってるのは先程までいた発目が完成させていったサポートアイテムで、取り上げ横に置いた。
「緑谷、何故サポートアイテムを?」
熱に侵され茹だったような瞳が丸くなって、じっと俺を見る。
「治らないだろう、無駄に動くな」
『……………』
瞳が揺れ、視線を落とす。ぼたぼたと涙が溢れ始めて思わず固まった。
何故泣き始めたのか、緑谷はやはり言葉を発さず顔を歪めもしないで静かに泣いてる。人形のような泣き顔にどうしたらいいかわからず、目を覗きこんだ。
「すまん、キツイ言い方をしたな。そもそも離れて悪かった。…今の君は体調が悪い、悪化してしまっては周りと悲しむだろうから今は治すことに専念して眠ったほうがいい」
不安そうに揺れた瞳にまだ涙は止まらない。
借りているファイルには目を覚した緑谷が今までこんな行動をしたという内容はなく、もちろん対処法も載ってない。ふと、昔、ヒーロー講習の際に行った小さな要救助者への対応と、教員免許を取る際に修得したカウンセリングの内容を思い出した。
頭に手を乗せ、髪を撫でながら大丈夫と口にする。
「君はよく頑張っている。だが今は力の使いすぎて疲れているから休む時間だ。俺は君の活躍をいつでも見ているし、君が休んでいるその間、俺はずっと一緒にいると約束するから…今は眠ろう」
ぼろりと大粒の涙が溢れ落ちた。緑谷の口元が緩んで、服が引っ張られた感覚にそちらを見る。緑谷の手がいつの間にか俺の服を掴んでいて、驚きで目を丸くした瞬間に緑谷は満足そうにまぶたを下ろした。
ぐらりと揺れた体にすぐさま腕を伸ばして支える。
思っているよりもしっかりと掴まれてるらしい洋服を話すのは憚られ、背中と膝裏に腕を回して持ち上げた。こうなったときの緑谷が自発的に動くなんていう話はあのノートの履歴にも、爆豪たちからも聞いたことがない。緑谷をベッドの上に戻して、掴まれたままの服をどうするか考え、諦めて上着を脱いだ。
腹の上にかけてやるようにして上着をやって、それから携帯を引っ張って、このために聞いておいた連絡先を呼び出す。
数秒の間の後に呼び出し用の音楽が止まった。
「出留になんかあったんか」
「…すまない。緑谷から離れたせいで目を覚まさせた」
「、すぐ行く…っデク!」
「え、爆豪どうした!?」
「もしかして…まさか、かっちゃん!」
「そのまさかだわ!行くぞ!」
ぶつりと切れた通話に息を吐いて額を押さえた。
あの二人が来るまで、せめてその間くらいはしっかりと見ておくべきだろう。身動ぐことなくすやすやと眠っている緑谷は先程起きてないたとは思えないようなおだやかな表情で、心なしか口元が緩んでる。
額に触れれば思ったとおり熱く、すぐに手を戻した。
アナログ時計があれば秒針の音でも響きそうなくらい静まり返った室内で、座ったら余計落ち着かなくなりそうで立っていれば携帯が揺れて、寮についたの文字に部屋を出た。
数秒足らずでついたエレベーターから出てきた二人が駆けてきて、止まる。
「兄ちゃんは!」
「出留は、無事なんか!」
「…っ、ああ。今はもう眠っている」
「「……………」」
「俺の管理不足だ。申し訳ない」
「………元々無理やり頼んだんだ。出留に命の危険がないんなら…いい」
ぎゅっと服を握って感情を抑える爆豪。緑谷は視線を落としてなにも言わないためにか唇を強く結った。
「本当に、申し訳ない」
「……いい、んです。兄ちゃんが、生きてるなら、それだけで…そう、だよね、かっちゃん」
「ああ。出留が無事なのが先決だ。だから先生がいてくれて助かった。そうだろ、デク」
「…ん、うん。うん、そうだね、かっちゃん」
「ああ、そうだ」
言い聞かせるように爆豪が言葉を重ね、緑谷が俯く。緑谷はぼたりと涙を溢して、すぐに目元を擦って顔を上げた。
「先生、ありがとうございます。……兄ちゃんに会っていいですか?」
「…ああ、そうだな」
扉を開けて押さえる。二人は部屋に入ると緑谷に近寄り、目を丸くした。
「このパーカー…」
「すまん、取るのもどうかと思ってかけておいた」
「…………これ、兄ちゃんが自分で?」
「ああ、そう強くは握ってないようだが…」
体にかけておいたパーカーを見つめた二人は一瞬視線を合わせて、緑谷が膝をついてパーカーを握る左手に手を重ねた。
「兄ちゃんが自分から動くなんて…初めて見たね、かっちゃん」
「ああ」
「なんでかな」
「…さぁな」
「…かっちゃんが答えてくれないなら…僕にはわからないよね」
「だろうよ」
「……そっかぁ…ねぇ兄ちゃん、起きたら僕に教えてね」
擦り寄るように手に頬を乗せて、緑谷は目を瞑る。
そのまま黙ってしまった緑谷に爆豪は小さく息を吐くと、目をつむってる緑谷の頭をぐしゃりと掴むように手を置いて俺を見た。
「話がある。時間いいか」
「…ああ」
「デク、きっちり出留見とけ」
「………うん」
頭の上に置いていた手を外してポケットに突っ込むと歩き出す。部屋を出ていく背中を追いかけて、扉がしまったところで廊下を進んでいく。
「この間の部屋、借りても平気か」
「ああ」
エレベーターを使って一階に向かい、つい先日も使った部屋に入る。スタスタと歩いて椅子に座った爆豪は視線を上げて向かいの椅子を見るから俺も腰掛けた。
爆豪は深いため息を溢して、右手を顔に置いて、俯く。
「………なぁ、出留になにした?」
「…なにもしていない。彼奴の目を覚させてしまって本当に、」
「ちげぇ、そんなことはもういい」
微かに左右に振られた頭。押さえるような右手は外されず更に俯いているせいで表情は一切読み取れない。
「…目ぇ覚した出留はなにやってた」
「サポートアイテムに触れていた」
「………そんで、アンタはそれをどうした」
「…取り上げた上で何故か聞いて、答えがないから無理をするなと詰めてしまった」
「…それで?」
「………そうしたら、泣き始めて、」
「…………そんで?」
「どうしたらいいかわからないから、とりあえず頭を撫でて話したら寝た」
「…………………」
考えるように黙り込んだ爆豪は先を促さない。妙な静けさがあたりを漂って、もう一度謝るために口を開こうとすれば向かいから鼻を啜る音がした。
「くそっ、くそっ」
「爆豪…?」
「な、んでっ」
小さな声ながらもしっかりと届く言葉はなにかに苛立ってる。指の隙間から落ちる水に目を見開いて、歯を食いしばった爆豪は勢い良く顔を上げた。
「なんでアンタなんだっ!」
「は、」
「俺でもっデクでもねぇ!なんでっ!」
悔しそうに泣いてる爆豪は俺を睨みつけていてぼろぼろ涙を溢してる。ずっと鼻をまた啜ると手を握りしめた。
「出留に何言った!さっさと言えや!」
「どうしたんだ爆豪、落ち着け」
「うるせぇ!!落ち着いとるわ!いいから言えよ!!なんで出留は泣いたんだ!なんで出留が動いた!何言ったんだよ!!」
「わかったから、一度深呼吸しろ」
「っ、…ふーっ…はーっ」
荒く、適当な深呼吸。それでもほんの少しの落ち着きを取り戻したのか涙を目の縁に溜めてこちらを睨んでくるから視線を彷徨わせた。
「まず泣かせた件に関してだが…サポートアイテムを取り上げたあとに治らないから動くなと言った。そうしたら泣き始めてしまって…以前講習で習ったことと君たちの履歴から頭を撫でながら話しかけた。今の緑谷は体調が悪いこと、悪化させたら周りが悲しむこと…今まで十分に頑張ってきたから、今は休むようにと」
「…………本当にそれだけか」
「………その間は、俺がずっと傍にいると約束するとも言った」
「……………」
「…そこでやっと泣くのを止めて、笑ったと思ったら服を掴まれて急に寝た。それがあらましだ。…………爆豪?」
「……………………」
表情をストンと落として、じっと俺を見る。笑いも泣きもせず、かと言って先程のように怒っているわけでもないその顔に違和感とかすかな恐怖を覚えて、腰を上げようとしたところで爆豪ははっと乾いた笑いをこぼした。
「なんだそりゃあ。それで、出留は自我を取り戻したんかよ」
「自我はさほど戻ってないようだが…?」
「出留は…………俺でも、デクでもねぇ。アンタなのはそういうことだったんだな」
「なんの話だ?」
「ああ、ったく…」
自嘲するように口角を上げた爆豪のらしくない表情に固まる。一瞬強く光った瞳に水の膜が張って、溜まった涙が溢れだした。
「…もう、俺らだけのもんじゃねぇ…っ」
「爆豪、」
「出留は、出留は…っ」
ぼろぼろ溢れる涙と赤くなっていく目元。悲しそうに泣いている爆豪は先程までの怒りはすっかり鳴りを潜めていてそのうち両手で顔を覆った。
「出留が、選んだなら、俺らはどうすりゃいいんだ」
「爆豪、なんの話だ」
「………………」
要領の得ない言葉に眉根を寄せて、じっと爆豪を見る。俯いているせいでまた顔が見えない爆豪は肩を微かに震わせていて、鼻を啜り目元を押さえると大きく息を吐いて、手を下ろした。
「…………なんでもねぇ」
「…そんなわけがないだろう」
「今日はもうデクと二人で見るわ。夜飯も交互にやる。心操に言っといてくれ」
「、それは…」
「……出留が一旦目ぇ覚ましてんなら今日はもう何が起こるかわかんねぇ。…また明日から頼む」
「………決して無理をするな。…連絡は常時見ているから、なにかあればすぐに教えてくれ」
「ああ」
ふらふらと立ち上がった爆豪は迷い無く部屋を出ていく。振り返りもせず、挨拶すら零さない珍しいその姿に目を瞬いて、頭を抱えた。
こんと一回。その後にこんこんこんと三回。僕とかっちゃんとの間で決めたノックの音に瞼を上げて息を吸う。
「平気だよ」
答えれば一秒もしないで扉が開いてすぐに閉まる。隙間から体を滑り込ませるようにして入ってきたかっちゃんは後ろ手に鍵を締めて、チェーンロックまで施したことに違和感を覚える。
俯いたまますたすたと歩いて、さして広くなく距離のない扉から僕達のいるベッドまで近寄ってきたと思うとベッドに足をかけて、目を瞬くより早く布団に潜り込んだ。
「かっちゃん…?」
兄ちゃんにかけている薄手のタオルケットに頭まですっぼりとはいって、兄ちゃんにぴっとりとくっつく。すんすんという鼻を鳴らす音がして、兄ちゃんのお腹のところに寄せてる頭をなでた。
「かっちゃん、泣いてるの?」
「っせぇ。泣いとらんわ」
予想通りの返事に更に手を動かして、眠る兄ちゃんを眺める。
「そっかぁ。どうしたの?」
「…………なぁ、デク。てめぇはどうする」
「え?」
「…出留は選んだ。……出留の中は、もう俺達だけじゃねぇ」
がつんと頭を殴られたような感覚。真っ白になった頭の中に言われた言葉が反響して、ぶわりと肌が粟立って顔が痙攣する。
「な、に…いって…?」
「出留はもう俺達だけの出留じゃねぇ。たぶん彼奴らと同じか…それ以上に深い。……そんなら、俺達も選ばなきゃなんねぇ」
「っ!待ってよ!なんでそんな急に!!」
「元から、変だとは思ってたんだ」
かっちゃんか身じろいで兄ちゃんのお腹のあたりに顔を押し付ける。ふーっと大きく息を吐いた後に鼻を啜って、ぼそぼそと言葉をこぼす。
「まだ知り合って半年そこら。寝食共にしたのはここ数週間のこと。それなのに気を許してたし、今回も拒否反応が一切出てねぇ」
「そ、れは…」
「この様子だと明日か明後日には目ぇ覚ますだろうよ。ここには母さんも父さんも引子さんも居ねぇのにな」
「は、」
「出留は、先生と心操と、それから発目も身内判定した。つーことは今後俺らと同等まではいかなくても重視して付き合っていく可能性が高い。…それなら、俺らも変わんねぇといけないだろ」
強く、早く心臓が動いて言葉を出したくても唇がうまく動いてくれない。いつの間にかからからになって張り付いてしまいそうな喉を妙な音を立てて空気が通る。
「なぁデク、てめぇはどうする」
「か、っちゃん、は…どうするの」
「……わかんねぇ」
ずっと鼻を啜ったかっちゃんはそれから静かになってしまって、僕も何も言葉が出てこない。
さっきまでは暑かったのに今はなんだか妙に寒くて、息を吸えば乾いた喉のせいで咽てしまった。近くにあった水を取って流し込んで、二回咳き込んだところで鼻がつんとした。勝手に流れてきた涙を拭って、唇を噛んでから開く。
「かっちゃん、僕は、やだよ」
「…………」
「僕はかっちゃんみたいに頭も良くないし、聞き分けも良くない。だから、兄ちゃんからは絶対離れない」
「……てめぇが一番じゃなくなってもいいんか」
「そんなの兄ちゃんに聞かないとわからないよ。兄ちゃんが本当に一番を変える気があるのか。聞いてからでも遅くないでしょ」
「…………俺はそんなん聞けねぇわ」
震えた声に手を伸ばして、タオルケットを掴む。
「…かっちゃんは、兄ちゃんの一番じゃないよ、唯一だ。だから、今回のことで心配したほうがいいのは僕だ」
「唯一…?」
タオルケットを引っ張って剥せば目元を真っ赤にしてるかっちゃんと視線が合う。理解できてなさそうなその目に息を吐いた。
「かっちゃん、まだ気づいてなかったの?」
「なにを」
「僕は兄ちゃんの一番だ。何かあったら一番に大切にしてもらえる」
「……てめぇ…爆破されてぇんか??」
「真面目に話してるから爆るのは後にしてよ」
ぎろりと睨んできたから目を逸らす。
「…僕は一番。だからかっちゃんは一番じゃない。でも、兄ちゃんはかっちゃんのことだけを対等に扱ってる」
「対等…?」
「うん。対等。守られるだけの僕とは違う関係だよね。何かあったら一番に教えてもらったり話してもらえるけど…かっちゃん、兄ちゃんは君にしか話してないことがたくさんあるでしょ。かっちゃんは兄ちゃんの唯一の人だから、兄ちゃんはかっちゃんとだけ共有してることがあるはずだよ」
「俺だけ?」
「だからね、かっちゃん。君が兄ちゃんの一番になりたがってなれなくて悔しいのと同じくらい、僕は兄ちゃんの唯一になれなくて悲しくて、君が羨ましくて仕方ない」
「、」
「今回のことで君の唯一の地位はなにも変わらないと思うよ。心配するのは僕が一番じゃなくなる可能性だ」
「………わかんねぇだろ。今回、出留は目を覚ました」
「…そこなんだけど、僕達が出来てなくて、先生ができてたことってなんだと思う?」
「…………わからねぇ」
「うん。僕も全くわからない。だから先生が重要だったのか、それとも今のタイミングの問題だったのか。検証しないといけないことはたくさんあるよ」
悔しそうなかっちゃんに手を伸ばしてタオルケットを返す。そのままパーカーを握ってる兄ちゃんの右手に手を乗せて、息を吐いた。
「かっちゃん。僕は僕が兄ちゃんにとって先生よりも劣ってるとは思わない」
「………急に自己評価あげんじゃねぇか」
「だって事実だもん。僕はこの世界の誰よりも兄ちゃんとかっちゃんの側にいて二人のことに詳しい。その事実は揺らがないよ」
「くそストーカーが」
「ふふ、なんとでも言ってよ。僕は二人のことを一番よく知っていて、理解してる。だからどんなことがあってもぶれない」
右手から兄ちゃんの頬に手の置く場所を変えて、すやすやと眠ってるから邪魔をしないように優しく触れる。柔らかな肌の後に不安そうに視線を揺らしてるかっちゃんに手を伸ばして、涙を拭ってからすぐ離れた。
「かっちゃんは兄ちゃんと僕に対してはすぐ臆病になるからその感覚はわからないかもしれないけど…僕は兄ちゃんの一番の座を譲る気はさらさらないし、徹底的に抵抗する」
「…………」
「それに、僕はただ兄ちゃんの一番でいれたらいいわけじゃない。兄ちゃんのその隣にはかっちゃんが居ないと。僕達は三人で一つだ」
「………………出留は、まだ俺のことも一つって思ってくれると思うか」
「え?もちろんだよ。兄ちゃんと僕とかっちゃん。僕達が一緒にいるのはあたり前でしょ?」
「…その自信、ほんと毎回どっから出てくんだ、きめぇ」
「ふふ。だって兄ちゃんとかっちゃんのことは誰よりも知ってるからね。僕の自信というか、二人の常識から結論を出してるっていうか。そんな感じかな」
笑えばかっちゃんは息を吐いて、ぽすりと兄ちゃんの胸に頭を乗せる。ひどくあまえてる姿に珍しいなと思いながら僕もベッドに潜り込んで反対側からぴっとりと兄ちゃんにくっついた。
「ねぇ、かっちゃん」
「あ?」
「録音聴く?」
「…………俺はいい」
「そっか。残念」
「まじでプライバシーの侵害だからな、てめぇ」
「バレなければ犯罪じゃないって、兄ちゃんが言ってたから大丈夫」
「まず前提が大間違いだし、心操と先生は目敏そうだ」
「うん、気をつけるよ」
「そこは辞めろや」
呆れたみたいなため息。すっかりいつもの声色のかっちゃんに僕も口元を緩めて目を閉じる。
「ねぇ兄ちゃん。起きたらいっぱいお話しようね」
耳を乗せている胸。とくりとくりと音を立てて動いている心臓は一定の間隔で落ち着く。耳を澄ませているうちに布のこすれる音のあとにぴっと音がして、瞼の向こう側が暗くなった。
かっちゃんが遠隔でライトを消してくれて、僕と兄ちゃんにブランケットをかけ直して寝転がった。
「おいデク、先生と心操への言い訳考えとけ」
「え、僕が考えるの?」
「あ?」
「しょうがないなぁ」
折れてあげれば舌打ちが零されたけどそれ以上言葉は続かない。とくりとくりと聴こえる心音。心地よいそれに思考が鈍っていくから口を開いた。
「おやすみ、にぃちゃん…かっちゃん…」
「…ん」
仕方なさそうな短い返事に少し笑って、そのまま意識を手放した。