ヒロアカ 第一部


『購買見てくる』

「ああ、気をつけてな」

『おー、ありがと。まぁ雄英敷地内で気をつけることもないと思うけどね』

食事を終えてそのまま人使と別れる。ラウンジを通って外に出ればすっかり陽は落ちて空は黒く、等間隔に存在する街頭がなければ足元もおぼつかない。

行き道を戻るように通って、B、Aと寮の前を通る。流石に出歩いている人は少ないようでみんな寮内で食事や荷解きをしてるんだろう。

すべての寮を越えて少ししたところにある購買は中学の時のようなものとは違って本当にただのスーパーみたいな見た目をしてる。ガラスの自動扉は校舎と同じように大きく、どんな体のサイズでも通れるようになってるんだろう。

青果から始まって肉、魚、乳製品。米、麺、パン、飲料品、調味料と売り場の配置もほとんどスーパーだ。

金額に関しては菓子類のような嗜好品以外は無料というから雄英は何を考えてるのかわからない。

時間があるときに食べれそうなパンとジャム、それから有料でアイスだけ買って購買を出た。

箱からひとつだけ取り出して歯を立てる。後で人使とも食べれるようにアソートパックにしたフルーツアイスバーは桃味だったようで、夜になっても気温の下がらない外にアイスが溶けないよう早足で戻る。

不意に、泣き声が聞こえたから顔を上げて、そうすればA組の寮の前で人が集まってた。

「ごめん!梅雨ちゃん!!」

「わりぃ!梅雨ちゃん!」

「もう、ぜってぇしねぇ」

「申し訳なかった!!」

一人だけ泣いているものの三つ分の女性の声。それから謝り倒す男性の声が四つ。一番最初に聞こえたきた声に聞き覚えしかなかったから目を瞬いて足を止めた。

『出久?』

「あ、兄ちゃん…!」

女の子が泣いていて、その横に麗日さんが背を撫でるように立っていて、向かい側にこれまた見覚えのない男女、それから切島くんと轟くん、出久がいた。

どうしたらいいのかわからなそうに慌ててる周りの子たちにいまいち状況が読めず、とりあえずあんまりにも寂しそうに泣いてるその子に近寄った。

『あまりこすらない方がいいよ』

ハンカチとティッシュ、どっちがいいかわからずに両方出せばその子は礼を口にしてハンカチを取って目元を押さえた。

「ケロ…ありがとう」

『どういたしまして』

ようやく涙が収まったらしいその子に麗日さんがホッとしたように肩の力を抜く。

周りにいるこの人数を確認してから顔を上げた。

『冷たいものは食べれる?』

「え?ええ」

『そう。じゃ、みんなで仲良く食べてね』

「え、」

『泣くと喉渇くでしょ?』

「でも、」

さっさと袋ごとアイスを押し付けて、きょとんとしてる出久に近寄って頭をなでた。

『出久、また明日ね』

「え!?兄ちゃんもう行っちゃうの!?」

『あんまり外ふらついてると怒られそうだしな』

「あ、そうだよね、もうそんな時間か…」

『勝己も寝てる時間だし、出久も夜ふかししないようにね』

「はーい!」

ひっついてきたから抱きしめ返して額を寄せる。くっつけてから離せば今日の朝にも見た気のするキラキラした目で額を見せてくるから笑って唇を寄せた。

『はい、おやすみ』

「うん!おやすみなさい!」

笑う出久に髪を整えて上げてから振り返る。何故か顔を両手で覆って隠している女の子と麗日さん、アイスを抱きしめて固まる女の子に切島くんともう一人の男子が目を見開いて、轟くんが首を傾げた。

「仲いいな」

「僕と兄ちゃんだからね!!」

『ほら、夜にそんな騒がない』

「はーい!」

上機嫌な出久にさっきまでの妙な空気がなくなったことを確認してから手を上げ左右に振った。

『お邪魔しました。おやすみなさい』

「ん?おう、おやすみ」

「は!おやすみなさい!!」

「あの、…ありがとう」

「お兄さんおやすみなさい!」

「兄ちゃん気をつけてね!!」

硬直から抜け出せた人だけ返してくれたから背を向けて歩き出す。道草してしまったから早足で戻っていけばC組の寮の出入り口に人が立っていて足を止めた。

『先生?』

「…お前、こんな時間に出歩くな」

『まだ十一時前なんですから許してくださいよ』

相変わらず真っ黒の洋服で出入り口にいるから闇に馴染んでいてこれが外なら不審者と間違えられただろう。

先生の佇まいからして俺に話があって待っていた様子で、軽く頭を下げた。

『おまたせしました。なんの御用ですか?』

「………少し、いいか」

目線が逸らされ歩き出したから俺もついていく。寮の裏口からそのまま寮監室の横にある部屋に誘導され、先生の向かいに座った。

「緑谷の怪我の話は聞いたか?」

『あー、軽くですけど。たしか敵の襲撃の時に交戦したんですよね』

「ああ。敵襲撃の際、俺は生徒が蹂躙され、最悪殺される未来を阻止するため個性の使用許可した。緑谷、彼奴はその場にいた子供を守るため敵の一人と対戦して怪我を負った」

『なんでしたっけ…えーっと、こうたくん?って子から手紙もらってましたよ。出久』

「その子だ」

『ヒーローも個性も嫌ってた子にありがとって言ってもらえたって喜んでましたね』

「……………そうか」

表情を曇らせた相澤先生に目を瞬いて、そういえば家庭訪問のときにも一人だけ険しい顔をしていたのを思い出す。

『先生、この間もそんな顔してましたけど出久がやらかしたんですか?』

「……そうだな。彼奴は重大な違反をした」

『何をしたんです?』

「気づいていたかは知らないが…爆豪救出に赴いたのは彼奴の…彼奴らの、独断だ」

『……………あー、なるほど。そういえばあの場所にいた理由は聞いてませんでした』

随分抜けてたなと頭を押さえる。勝己と俺が転送されたあの場所はなにかの研究所だったと言うし、有名なヒーローたちが内密に動いて制圧していたことからいくら雄英生といえど一般市民がいるのはおかしい。

『つまり、あの時あそこに居た出久と切島くん…あとなんか足の個性の子と…氷の橋もかかったから轟くんもいたんですかね?あの子達は違反者だと』

「ああ。お前が把握している緑谷、切島、轟、それから飯田、八百万。この五人はあの日あの場所に向かった人間だ。そして、爆豪と怪我をして意識のなかった二人を除きクラスメイトは全員、あの五人がそこに向かうことを知っていて止められなかった」

五人の名前と顔はいまいち一致しない。だけどさっき見たばかりの謝り倒していた面子と泣いていた女の子、心配そうな麗日さんの立ち位置に納得がいく。

『あー、そういうことか…』

「……俺は本当なら知らなかった三人を除いて全員除籍処分にするつもりだった」

俺の納得を勘違いしたのか、眉根に寄せた皺を更に深くした先生に目を合わせる。

「オールマイトの引退によりそうも言ってられなくなったというのが現状だ。…たとえ違反をしたとしてもそのまま育てることになった。ろく処罰もできず、大変不服だがな」

言葉通り不機嫌さを顕にする先生に目を瞬いて、それから首を傾げた。

『先生は、その話をなんで俺に?』

「聞きたいことがあったからだ」

『なんでしょうか』

「…緑谷は、この話を聞いてどう思った」

『……どう、とは?』

「緑谷の行動をどう思う?」

『はあ。抽象的ですね…それは俺の弟として見てですか?それともまた雄英教師として見たらとかそういう?』

「自身の弟としてだ」

最近こんな難しい話ばかりしてるなと息を吐いて、視線を下げる。

さっき見た、出久達の姿は和解していたようだけどおそらくあの泣いていた子は止められなかったクラスメイト。麗日さんもそっちのポジションで仲介役か。謝っていた五人は自身の行動が正しくないことは理解してたはず。

『出久が俺と勝己を取り返すためなら、規律、自分の状態をすべて無視して乗り込んでくる可能性は考えましたよ』

「君は予知していのか」

『可能性ってそうなるかもしれないってことすべてじゃないですか。どれだけ起こり得る確率が低くてもありえないことじゃなければそれは可能性の一つとして数に入れるべきだし、………正直、五割を超えた確率で起きるんじゃないかって思ってました』

「その十割じゃない理由はなぜだ?」

『そもそも出久があの場所を知ることができなければ乗り込んでくることもできませんよ』

「それが全てか?」

『後は母との約束を出久が覚えているかどうかとかですけど…ま、こういう話は今すると気分が落ちますしやめときます。結果的に出久は来た』

「…………そうだな」

『出久が来たことで結果として勝己は助けられたのかもしれない。でも、それは結果論であって出久が規律を破ったことに違いはありません』

大きく息を吐いて、目を閉じる。

こういう時に正しい兄はどうするんだろうか。規律を乱したことに怒るべきなのか、助けに来てくれたことに喜べばいいのか。

色々考えてもよくわからないし、大体、正しい兄にならないといけないのに教科書も指針もないんだから、先生には今の俺の答えを伝えればいいだろう。

目を開いて顔を上げる。

『出久が勝己を助けに来たこと、それは勝己にとってひどい屈辱だったし同時に救いでもあった。すぐにあの場を離れられたことで勝己を理由に怪我をするのを防げて自責する材料が一つ減った』

「……………」

『出久が俺に手を伸ばして、それを俺は掴まなかった。俺にとっては俺が助かることもよりも勝己を助けてもらうことのほうが重要だったから。出久もおそらくそれを理解していたからあの場に必要以上に留まらなかったし、戻ってこずにきちんと逃げた』

一度深く呼吸をする。あの時の判断は誰も間違ってなかったし、お互いがお互いを考えた結果だったと思う。

『出久にとってはあの時に勝己を助けることしか頭になくて、その目標が達成できたことでより規律を破ったことに対する罪悪感はなかったと思います。だからこそ、出久は危うい。昔から危険に後先考えずに飛び込む癖がありましたけど、結果的に収束できてた。だから今回もそうなるだろうって意識があっただろうし、たとえクラスメイトになんと言われて止められたところでこうなってたでしょうね』

「………なぜ、止めない?」

『…俺が止められるような正しい行動を常に取ってる人間なら、そんなことは間違ってるって否定できますよ。でも、俺も間違ったことをしてるし出久はそれを知ってる。だから間違ってるからやめろって言ったところで信憑性があるわけがない。…こういうのは勝己や、先生のような正しい人が言わないと届きません』

出久の後先考えない性格は誰に似たのか。母ではないだろうなと思いながら向かい先生を眺める。

相澤先生の眉間の皺は相変わらず深いしどこか苛立ち気な雰囲気も纏ってて室内の空気は悪い。

「わかってるなら改めればいいだろう」

『改めるには遅すぎますからね。出久も俺も、人は簡単に変われないし行いは消えない』

「…そうやって目を逸らしてどうなる」

『また同じことを繰り返して、それでいつかは自分の力を見誤って、そのうちあっさり死ぬと思います』

「………なんで、弟を止めない」

『それがあの子の目指すヒーローっていうなら、止める必要を感じませんね』

ガタリと音を立てた椅子と掴まれた襟ぐり。窮屈な首元に眉根を寄せて、それから視線を合わせる。

『何を怒ってるんですか?』

「それでも兄か」

『兄だからこそ背を押すべきでしょう』

「死地にか」

『まず正常な人間はヒーローになりたいなんて言われたら辞めなさいって止めますよ。ヒーローは常に危険、死と隣り合わせだ』

「たしかにヒーローは殉職や負傷する確率は他の仕事よりも多い。だが、死にに行っているわけじゃないし死ぬことがわかっていて飛び込むことはしない」

『その辺は価値観の違いじゃないですか?俺はヒーローって時点でその人が明日もいるって確証はないものと思ってますよ。だからいつ死ぬかもわからない人間の名前なんて覚える気もしません』

「お前の異様なまでの物覚えの悪さはそういうことか」

『ヒーロー名だけなんですから許してくださいよ。…それと…手、離してもらえませんか?』

先生が唇を噛んだあとにすまなかったと手が離れる。椅子に座り直したから俺も腰を落ち着けて、妙な沈黙が続く。

先生が話し出さないなら俺の伝えたいことはもうほとんど話したし言葉を待っていれば、先生が堪えるように拳を作って顔を上げた。

「お前の自己犠牲と弟の無鉄砲さは昔からか」

『あー、どうでしょう。出久はちっちゃい頃からああだったと思いますけど…』

「弟の暴挙の尻拭いは誰がしていた」

『尻拭いってほどではないですけど、俺と勝己がずっと一緒にいたんで俺達がフォローしてましたかね?』

「その中で幼馴染は怒らなかったのか」

『怒ってますよ?勝己は毎回ちゃんと怒ってくれてる』

「それでも止まらないのか」

『そうですね。勝己の言葉は聞こえてますけど、出久はそれよりもヒーローになりたかったものですから。………それで、成功してしまったのなら尚更、間違いだと気づけない』

「…成功?」

ぴくりと動いた眉尻に先生なら知ってると思いますがと前置いて思い出す。

『中学三年の春。勝己が敵に襲われました。勝己の個性とひどく相性が悪い敵だったらしくて、周りにいたヒーローも相性が悪く中々救出することができなかった。そんな事件、知ってます?』

「……ああ、知っている」

『なら話は早いですね。膠着状態のそこへヒーローの敷いた停止線を越えて飛び込んだ子供がいました。それが出久です』

「……………聞いている」

『出久が結果として出来たことはない。その後すぐにオールマイトがやってきてその事件を解決したからです。当然出久は厳重注意を受けました』

「……それが、成功だと?」

『先生も気づいているとは思いますけど出久を目にかけるオールマイトのあれは一介の教師と生徒の距離を越えてる。いつ贔屓と指摘されても否定できないくらいには師弟の関係を築いてるし、何故かそれを申請してない』

「…………」

『出久が急に鍛え始めたのは中学三年のその事件後すぐ。…俺にも勝己にも何も言わずに、です。雄英に入ってからオールマイトとの交流は密かに、それでも多く大胆になっていって…この間の家庭訪問で出久はオールマイトに後継者と言われていました』

「、オールマイトが後継者として定めたのが事件をキッカケとしたから成功と?」

『ええ。出久とオールマイトの接点ってそこくらいしかないんですよ。元々出久は俺か勝己とずっと一緒にいて単独行動はあまりしない』

「………現場に飛び込んだ、本来なら愚行とも取れるその行動の結果が憧れに認められた瞬間になった」

『漫画やアニメみたいですよね。当人らからすればドラマチックなスタートですし、これだけで読者は掴まれるでしょう。ここから物語が始まるのかって』

息を吐いて、表情を落とす。

『冗談じゃない。俺は死なせるために出久を守ってたわけでも、育てたわけでもない。母も同じでしょう。だからこそ家庭訪問で一度雄英を拒否した』

「、」

『それでも母が折れたのは、俺が諦めてるのは、出久がもうそう生きるって決めてるから。だから危険なことをするなじゃなくて心配をかけないようになんてあやふやな約束をしてる。母も俺も、出久の背を押した』

「……………」

『憧れに認められたのは出久の今までの生き方の結果だ。もちろんそれは褒められたことだけをしてるわけじゃない。それでも、それがいい事だって褒めてしまった人がいた。そして認めてしまったら、もう誰の言葉も聞こえるわけがない。出久はこのまま進むでしょうね』

「自らの命が危険であってもか」

『ええ』

「………………」

黙ってしまった先生に息を吐いて首を横に振る。それから首元に指をかかって、二回、指先が皮膚を掻いたところで手を下ろした。

『まぁなんかオールマイトのせいにしちゃいましたけど、結局は最初に駄目だって怒れなかった俺の責任です』

「………」

『できることなら出久にはきちんと生きて幸せになってほしい。怪我一つなくは難しいでしょうから、卒業するまでに果敢と無謀の違いがわかってくれたらいいなくらいには思ってます』

「…………どうしたら弟はわかるようになると思う」

『何度も教えるしかないですね。きちんとした活躍でないと自分にも、他人にも危険が及ぶって。…そして、大変申し訳ありませんが、俺はその辺全部ひっくるめて、先生にお願いしたいです』

「…なぜ、俺なんだ」

『先生、出久を叱ったでしょう?』

「……ああ」

『やっぱり。出久がクラスの子にちゃんと謝ってたからどこで気づいたのか気になってたんですよ。先生だったんですね』

「………謝ってた?」

『さっき寮のところでクラスメイトの子とその問題の子たちが泣きながら和解してました。周りの子はともかく、出久もちゃんと反省していてどこで考えが変わったのか不思議だったんですよ』

「…筋金入りの命知らずが俺が言った程度で変わるものか?」

『ははっ。実際変わったんですからそういうことなんですよ。……長く教師として努められてる先生なら知ってると思いますが、高校一年生はまだ子供です。すぐ間違えるし、間違えを正さないとそのまま進んでいってしまう。だから、相澤先生』

不機嫌そうだった雰囲気はいつのまにか戸惑いが混じってる。姿勢を正して頭を下げた。

『どうか、うちの子をお願いします』

なにも聞こえなくなってしまった返事に頭を上げずに思考を飛ばす。

いつか出久が自分の命を省みて、人を助けられるようになったら、その時は母ももう少し笑えるようになるだろうか。勝己も出久に怯えず手を取ってくれるようになるだろうか。

俺も、

「緑谷、顔を上げろ」

聞こえた声に思考を戻す。促されたから顔を上げれば先生は依然として眉根に皺を寄せたまま俺を見ていて一度頷いた。

「俺は君のお母様に責任を持ってご子息を預かると伝えてる。それは嘘ではないし、今更反故にする気もない。だから、今後も緑谷出久が間違っていれば教師として指導すると約束しよう」

『…それなら、安心です』

「そしてもちろん、緑谷出留が間違っていれば同じように指導するから、きちんとそこも理解するように」

『……そうですか』

要らない追記に息を吐けば先生は呆れたようにため息をつく。

「限界値を見つけていないし、個性が使えるのなら今後は訓練に取り入れる。何においても出し惜しみはするな。いいな」

『仕方ないですね』

首を横に振りながら答えれば眉根に皺を寄せて、見据えられた。

「心操から次の訓練の話は聞いているか」

『いいえ。たぶん気遣ってくれてるんでしょうね』

「………改めて聞くが…訓練を続ける気はあるのか?」

『そうですね。とりあえずは』

「…そうか。それなら次の予定は明日だが参加するか?」

『何時からですか?』

「午前はA組の訓練があるから十四時から、いつもの訓練場だ」

『その時間なら平気だと思います。まぁそもそも寮生活でやることなんてありませんし』

「そうか。それなら心操にも伝えておいてやれ。喜ぶ」

『わかりました』

話は終わりなのか先生が椅子を引いた。

「時間をとってすまないな」

『いいえ。うちの子のお話でしたらいつでもお待ちしてます』

「そうだな。早々に頼る予定はないが、今回のような件では尋ねることがあると思う」

『ははっ。大歓迎ですよ』

俺も立ち上がって、寄ってしまっていた首元の皺を伸ばすようにはたいて襟の形を整える。部屋に入ったとき置いていた袋を持ち直して部屋を一緒に出る。

『それじゃ、おやすみなさい』

「ああ、助かった。ゆっくり休め」

『はーい』

寮監室に用があるのか隣の部屋に入っていった先生を見送り、エレベーターに乗り込む。壁に背を預けて息を吐き、目的の階で止まったから降りる。

ちらりと見た時間はすでに日付が変わるギリギリで、人使への連絡はメッセージで済ませる。また明日、朝にでも返事が来たらそこで顔を合わせて話せばいいだろう。

静まり返ってる廊下を通り抜けて、鍵を差し込んで自室に入る。

締め忘れたカーテンのせいで外からの微かな明かりが入り込んでいる部屋の中、電気をつけずにそのまま進んでデスクに荷物を置き、ソファーに膝をついて手を伸ばしカーテンをしっかりと閉めた。

息を吐いて、一度立ち上がりソファーの形を変えてクローゼットから布団代わりのブランケットを引っ張りだし、座り直す。

ポケットから携帯を取り出して操作する。一人分の連絡先を表示して画面に触れ、耳にあてれば呼び出し音が二回響いて、ぷつりと音が止まって向こうから声がした。

「いずる?どうした?」

『お疲れ様。ごめん、遅くに。寝てた?』

「まだ寝てない。今からだ」

『あー、そっか。じゃあ大丈夫』

「どういうことだ?」

『んー、寮の場所がわかったからちょっと話そうかなって思ったんだけど…』

「いま教えろ」

『え?明日でよくない?』

「駄目だ」

『えー?ちょっと座標送るわ』

入れてるアプリから位置情報を確認して送信する。向こう側で揺れるような音がしてかつかつと画面を叩く音がした。

『届いた?』

「…黒霧」

『え、』

「はい、ただいま」

ぶつりと切れた通話に固まっていればすぐにふわりと部屋の真ん中に黒い靄が浮かんで、そこから白い髪を揺らしながら弔が現れる。

こちらを見ると目が合うなりふらふらと歩き始めて、手を伸ばせば倒れてきた。

「ねむい…」

『大丈夫?』

「つかれた…ねむい…」

『呼び出してゴメンな』

「ん…」

ぐりぐりと額を押し当ててくる弔は冗談抜きで今すぐにでも寝落ちしそうで、靄に目を向けるとちょうど収束しかけていたそこから黒霧さんが顔を覗かせる。

「また朝にお迎えに上がりますね」

『わかりました』

「ふふ、良い夢を」

ふわりと靄が消えて部屋の中は静かになった。

寝落ちかけの弔の肩を叩けば少しだけ顔を上げて、くっつきそうな瞼が微かに開く。

『ちゃんと寝っ転がったほうがいいよ。こっちおいで』

「ん…」

仕方なさそうに一度体を起こしてゆっくり動いた弔がベッドに乗り上げたのを確認して引っ張る。二人で倒れ込めば腕の上に頭が乗って、微睡みかけの瞳が俺を見つめた。

「いずる、急にどうしたんだ…?」

『んー、なんだろ。一人寝がつまんなくて?』

「甘えたかよ…ガキは、きらいだけど、ともだちだから、ゆるしてやる…」

呆れたみたいに口元を緩めて、少しだけ笑った弔は重い瞬きを繰り返し、目を閉じる。

「むり…ねる…」

『うん。急に呼び出してごめん。来てくれてありがとう。おやすみ、弔』

言葉は聞こえていたかわからないくらい、すぐにこてりと力が抜けた頭によって腕にかかる重みが増す。耳を澄ませば小さな寝息が聞こえて、ブランケットを腹のあたりにかけてやる。

いくら警察とヒーローの監視の目があると言っても、プライバシーの観点から私室は除外されているし、雄英内のセキュリティがいくら高くても直接転送ができる黒霧さんの個性があればできないことはない。

雄英敷地内の寮なんて本来なら市民にとっては安全で敵が近寄れもしないそこで、敵のリーダーがすやすや眠って英気を養ってるなんて知られたら少し面白そうだ。

俺が家に帰された後、黒霧さんからの連絡によれば今の連合は各々が監視の目をすり抜けるためにバラけて活動しており、主に仲間を募る組と資金を工面する組に分かれてるらしい。

先生と呼ばれていた親玉がいなくなったことで正真正銘のトップに君臨した弔は、慣れない地道な活動に体力を削られてるらしく、この異様なまでの寝付きの良さもそれが一因だろう。

気持ちよさそうに眠る弔の顔にかかる髪を撫でて後ろに寄せて、眺めているうちに急に襲ってきた睡魔に欠伸を零す。さっきまであんなに眠れるしがしなかったのに、弔は俺の安眠毛布なのかもしれない。

もう一度欠伸をして、目をつむる。

妙に頭を使った上に変な話ばかりしていて俺も疲労が溜まっていたんだろう。すぐに落ちていく意識に腕の中の弔を強く抱え直して、眠りについた。



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