ヒロアカ 第一部
『寮生活かぁ』
「お風呂は自室。ご飯も食堂で決まった時間以外食べるなら自分で作る…」
『クラスごとに寮が分けられてるんじゃあまり遊べないね』
「え、じゃあ兄ちゃんと会えないの?!」
『かも。寂しいね』
驚きで手元のパンフレットを音を立て握りつぶした出久に苦笑いを浮かべて頭を撫でる。
誘拐されていた勝己が無事奪還され、なんでか拉致されてた俺もよくわからないうちに戻ってきて、世間では雄英の管理体制に対して文句をつけまくるニュースだけが踊ってた。
そんな最中、雄英はかねてから計画していた全寮化を決め、こうして生徒全員にお知らせが届けられている。
先生から一部聞いていたとはいえ、ヒーロー科どころか経営科、サポート科、普通科までしっかりと寮に入るらしく、本当に雄英の考えることはスケールがでかいなと思う。
「出久も出留も、寮か…」
母さんの心配そうな視線。出久はすっかり肩を落としていて気づいていないけど含みのあるその声に手紙を置いて母さんの背に触れる。
『母さん』
「…………出留は、」
何か言おうとしたのにそこで言葉を飲み込んで眉根を寄せた。
怪我をし続けていて未だに包帯まみれの出久。その前から母さんは出久の成すことにハラハラしていたけど、今回何故か誘拐された俺。昨日は出久のことを思って了承したけど、立て続けに起きる事件にそろそろ限度かもしれない。
目を逸らして笑う。
『…_家庭訪問、先生が来るの何時だっけ?』
「え、ぁ、もういらっしゃるわ!」
時計を見て慌てた母さんに出久も慌てて一度部屋に戻る。ばたばたする二人に笑って、キッチンに立ちポットの電源を入れ、茶請けを用意する。
揺れた携帯を確認すれば家庭訪問が終わったと勝己から来ていて、オールマイトと相澤先生が来たらしい。光己さんの快諾によってあっさり終わったという家庭訪問だったらしいが、そのあたりに関して話があるからと会う約束を取り付けた。
連絡を済ませて昨日のうちに用意しておいたカステラを切り、ちょうどそのタイミングでチャイムが鳴らされて肩をはねさせ母と出久が玄関まで走って迎えに行く。
二人分の声と、更に男性の声が混じって、リビングに人が入ってきた。オールマイトを座らせたと思うと二人揃って緊張した表情でこちらに寄ってきた。
「いいいいいい出留、」
「にににいちゃんっ」
『うん、用意してあるから先に座ってて平気だよ。ほら、落ち着いて落ち着いて』
あまりの慌てように苦笑いを浮かべているオールマイトに頭を下げてから二人を席に戻して、ちょうど沸いた音がしたポットを外す。
近くにあったお茶の缶からスプーンで茶葉を掬って、お湯を注ぐ。湯呑みと茶請けをまずは三人分、急須も乗せたお盆を持ってリビングに向かう。
「こんにちは、おじゃまします」
『こんにちは。…あれ?先生はオールマイトだけですか?』
「う、うん、ちょっとね、」
勝己のところには相澤先生がいたというし、俺の分も話すのならてっきり俺の担任も来るのかと思っていたのに意外だ。言い淀んだその様子に思うことがないわけではなかったけど、大方出久が関係しているんだろう。
お茶を注いで、まずは先生に差し出し、母さんと出久にも渡して一度戻り自分の分も用意して、オールマイトの隣は気まずいからテーブルに直接面さない出久と母の後ろに椅子を引っ張ってきて座る。
やっと、話をする空気になった。
重い空気はこれから話す内容が内容だからもあるけど、一番は、母さんの目が一切笑っていないせいだ。
「ご連絡を差し上げております、雄英の全寮制の件ですが…」
「はい…えと、その件ですが…」
テーブルの上に乗っているのはさっきも見た雄英からのお知らせ。出久は母さんの表情が硬いことにようやく気づいたのか目を丸くして、出久が声をかけるよりも早く母がオールマイトを見据えた。
「私、嫌です」
「母さん!?」
驚きから勢い良く立ち上がった出久に母さんは両手を自分で繋いで下を向く。
「嫌なの。……出久は個性が出なくて、それでもずっとあなたに憧れてきました。でも、奇跡的に個性が発現してから…雄英に入ってから、出久、どんどんボロボロになっていくんです」
母さんの言葉に出久もオールマイトも固まって、俺が入るべきじゃないだろう話に膝の上に置いてた皿からカステラを音が出ないよう手でつまんで口に入れた。ふわふわと、卵の味が強くほんのり甘いカステラにこれはうまいなと舌鼓をうって意識を戻す。
「先日の戦い、テレビで拝見しました。一般市民としてとても感謝しています。……が、親としては怖かったです。出久はあなたに憧れてます。出久の行く末があんなに血みどろの未来なら、私は…私、無個性のまま、ヒーローの活躍を嬉しそうに眺めてるだけのほうがこの子は幸せだったんじゃないかと思ってしまったんです」
「っ母さん!」
「出久」
オールマイトは唇を横に結んでまっすぐ母の話を聞いてる。出久が椅子を倒しそうになったから押さえて少し離したところに立て直せば今度は母さんと出久の話になった。
「応援はするけど、それは心配しないってことじゃないって言ったよね」
「っ、」
「出久はこのまま雄英に通いたいよね…でも、ごめんね、出久」
カステラをもう一個、摘んで口に入れたタイミングで母はまたオールマイトを見据える。
「ハッキリ申し上げます。出久の親として…今の雄英高校に、息子を預けられるほど私の肝は据わっておりません」
涙目ながらも唇を結んで堪えてる母に、出久が言葉を挟もうとして失敗する。母さんの意思は強いらしく、オールマイトと出久、それから母さんの間で妙な空気が流れたと思うと出久がリビングを出ていった。
「出久っ!…すみません、呼び戻して、」
慌てた母さんが立ち上がった瞬間に足音が帰ってきてまた出久が現れる。
「いいよ。雄英でなくったって」
カステラをもう一個摘もうとしていた手が止まる。目を瞬いて、俺だけじゃなくオールマイトと母さんも固まってた。
出久は何かを持っててそれごと左手を上げる。
「見て、お母さん、オールマイト…手紙もらったんだ。ヒーローどころか個性すら嫌ってた子が、ありがとうって…言ってくれたんだ」
A4サイズの折り目のついた便箋。ひらがな混じりに並ぶ文字に勝己から合宿中に子供がいたと聞いたのを思い出す。子供を助ける過程で出久は怪我を負い、出久の両腕はこれ以上の無茶をできなくなった。
「まだめちゃ心配されてダメダメだけど、それでも…一瞬でも…この手紙が、この子が、僕をヒーローにしてくれた。雄英でなくたってどこだっていいよ!僕はヒーローになるから…!」
出久の憧れはオールマイト。そのオールマイトと同じヒーローになるためにオールマイトも通っていた雄英に進んではずの出久は、もうヒーローになっていたらしい。
小さな弟の成長に感心しながら、改めてカステラを摘もうとすれば急に視界に物体が増えて驚く。全盛時代と同じ筋肉を携えたオールマイトがリビングに立っていて、オールマイトは椅子から一歩離れるとスリッパを脱ぎ、右膝から床について正座をした。
「順序が間違っていたこと、誠に申し訳ございません」
ゆっくり倒れた上半身に、額が床につく。
「私は、出久少年が私の後継に相応しい…すなわち、平和の象徴になるべき人間と思っております」
「ちょっ、!?やめてください!何なんですか!?」
「平和の象徴…だった者としての謝罪です」
頭を下げたまま話すオールマイトに母さんが目を見開いて出久も口を開けた状態で固まる。
オールマイトは顔を上げずに続ける。
「彼の憧れに甘え、教育を怠ってきたこと…謝罪いたします…!そして、雄英教師としての懇願です」
ぼふっと抜けるような音がしてオールマイトの体積が小さくなる。風船のようなオールマイトにどんな体をしてるのかと瞬きをして、オールマイトは細くなった体のまま言葉を繋げた。
「たしかに私の道は血なまぐさいものでした。だからこそ、彼に同じ道を歩ませぬよう横に立ち、共に歩んで行きたいと考えております」
「オールマイト…!」
「今の雄英に不安を抱かれるのは仕方ないことです。しかし、どうか今のではなくこれからの雄英に目を向けていただけないでしょうか…!出久少年に私のすべてを、注がせてはもらえないでしょうか…!この命に代えても、守り、育てます」
強いオールマイトの言葉に母さんが膝から力が抜けたように床に座り込んで、俯く。
「……………やっぱり、嫌です……だって、あなたは出久の生きがいなんです」
母さんの両手が床について、オールマイトをまっすぐ見つめた。
「出久に、幸せになってほしいだけなんです。だから、命に代えないで、ちゃんと生きて、守り育ててください」
オールマイトが思わずといったように頭を上げたことで二人がやっと顔を合わせて、俺もカステラをつまみ直して口に運ぶ。
「それを約束してくださるのなら、私も折れましょう」
「お母さん…」
「約束、します」
どうやらこれで落ち着いたらしい話に、ごっくんとカステラを飲み込んで手についたカスを舐めた。
「出久も、雄英で生活したいくなら…わかってるよね?」
「っ!絶対!心配させない!!」
母さんと同じように涙を溜めた出久が目元を拭いながら大きな声で返事をする。
床に座り込んでいる二人と半泣きの出久。ひどい絵面にどう声をかけようかなと思っていればインターホンが鳴って、三人が肩をはねさせる。俺も目を瞬いてから立ち上がった。
『見てくるね』
「うん」
『母さん、床にいても固いし足痛めるよ、椅子座って。オールマイトも、怪我に響きますからどうか椅子におかけください』
「あ、青年…」
『出久、カステラがすごく甘くてうまかったから食べな?手紙は汚れないように置いとくんだぞ』
「あ、うん!」
母さんを支えて椅子に戻し、あとの二人は自立できるだろうと放って玄関に向かう。その最中でもう一回インターホンが鳴ったからはーいと返事して玄関横のモニターを確認した。
『はーい』
「お忙しいところ申し訳ございません。緑谷さんのお宅でしょうか?」
聞こえてきた声に目を瞬く。
『あれ?先生??ちょっと待ってください、今開けます』
チェーンと鍵を外して戸を開ける。向こう側には声がした通り担任と、それからスーツの先生がいて首を傾げた。
『お二人ともどうしたんですか?』
「どうしたって…私は貴方の担任なんだからお伺いするに決まってるじゃない」
「俺はオールマイトだけだとやはり心配なのと、担任として挨拶に伺った」
『あーなるほど』
ちらりと時計を見ればなんだかんだ一時間ほど経っていて、見上げた外も日が暮れてる。
「緑谷、進捗はどうだ?」
『今ちょうど和解して母からの了承が出…あ、まだ出てないのかな?…とりあえず和解したところです』
「そうだったのね…お邪魔しても平気かしら?」
『ええ、もちろん。どうぞ』
来客用のスリッパを二足出して、リビングへ通すため廊下を歩く。途中で扉が開けっ放しの出久の部屋の前を通れば二人とも何かに感心したように声を漏らして、リビングに続く扉を開けた。
「あれ?!相澤くん!?」
「相澤先生…ミッドナイトまで!!」
「え、え???」
どうやらちゃんと椅子に座り直したらしい三人はカステラも食べながらお茶を飲んで談笑していたらしい。
『担任の先生から挨拶だって』
「そそそそうなの?!え、どうしましょ!おもてなし!!」
「まままま待って兄ちゃん!今僕ひどい顔してる!」
『大丈夫大丈夫。出久はいつだって最高にかわいいよ』
「うへへ」
『母さん、用意してあるから落ち着いて。…先生、こちらへどうぞ』
オールマイトの隣に椅子を二つ追加してキッチンに向かう。さっき用意していた二人分の飲み物とカステラ茶、それから一応出久のおかわりに人使から貰ったあられを包装ごとボウルに入れて戻った。
『どうぞ』
「あら!おいしそう!ありがとう」
担任が表情を緩ませる。出久にもう一つカステラを渡せば目を輝かせた。
「もう一個食べていいの?!」
『うん。おいしかったんでしょ?』
「すっごく!兄ちゃんありがと!!」
嬉しそうな出久に母とオールマイトの湯呑みにもお茶を注ぎ直して、足りなくなった椅子に仕方なく自室からスツールを取ってきて上に座った。
「改めまして、私は緑谷出留くんの担任を受け持っております香山と申します」
「私は緑谷出久くんの担任を受け持っております相澤です。ご挨拶が遅れ、誠に申し訳ございません」
「は、初めまして緑谷引子と申します…。えっと、」
担任の名前が香山というのを初めて知り、三人の姿を眺める。オールマイトはそわそわしていて、出久はカステラに頬を緩ませてた。
「この度は貴重なお時間を下さりありがとうございます。また、緑谷出久くんと出留くんを危険な目に遭わせてしまい誠に申し訳ございませんでした」
「は、はい…」
さっきと同じ流れながらも先生二人の真面目さにあわあわする母はこちらを見てくるからお茶を飲んで笑う。
『先生、大丈夫です。オールマイトから一通りの挨拶はいただきました』
「…しかし、」
『母さん、出久、先生から謝罪の言葉いる?』
「い、いらないよ!」
「じゅ、十分です!」
『ということなので、そのへんはもう大丈夫です』
「……でも、出久くんは大怪我を、貴方は誘拐されて…」
『まぁ出久の怪我に関してはいろいろ思うところはありますけど…オールマイトからもお話いただきましたし、今先生からもお話いただいたんで大丈夫ですよ。それに、俺の誘拐に関しては全く謎ですし、雄英にはなにも否はないんで謝る必要がありません』
「………けど…」
『俺が連れ去られた日付は長期休暇の最中。場所は公共の場。救出はヒーローと警察がしてくださったんです。雄英が責められる要素は何一つありませんし、むしろ今回の全寮制によって俺の安全が確保される可能性のほうが高くなる。なんで雄英からの提案は俺に関してはメリットのが大きい』
先生、担任、それからオールマイトも難しい顔をして、出久はカステラを食べ終わったのかお茶を飲むと満足そうに息を吐く。
母さんが椅子を引いて、俺を見た。
「出留はどうしたいの?」
『ん?俺は母さんが良いなら出久と勝己にくっついていくよ?』
「……そうね。出留が一緒にいてくれると私も安心できるわ」
『りょーかい。それじゃ俺も一緒に寮生活することにするね。定期的に連絡入れる。ありがとう』
「…ううん、ごめんね、出留、ありがとう」
滲んだ涙にハンカチを渡せば目元を押さえて俯く。カステラを食べきって気づいたら泣いていた母さんにオロオロする出久の頭を撫でて、戸惑ってるオールマイトと担任、先生を見た。
『緑谷兄弟共に入寮を希望します。ご迷惑をおかけいたしますが、これからまた、どうかよろしくお願いします』
「こ、こちらこそ…よろしくお願いします…!」
オールマイトがおどついて、相澤先生と担任が目を合わせた。
「ご協力ありがとうございます」
「責任を持って、ご子息様をお預かりいたします」
「っ、はい、どうか…どうか、よろしく、お願いします…っ」
母さんが強く頷く。先生がまとめて差し出してくれた書類を確認すれば出久と俺の分の2セットあって、保護者への注意事項は分けて署名部分にペンを取り出す。
『母さん、文字書ける?』
「んっ、うんんん」
『良かった。えーっと、こことここ、名前お願い』
「うぅっ」
『ありがと』
保護者サインを書いてもらって生徒氏名は本人で署名する。
『確認お願いします』
「はい、たしかに」
「頂戴します」
担任と先生が一枚ずつ受け取って頷いた。
涙を堪え、落ち着いてきたらしい母に出久がホッとしたように息を吐いて、まっすぐ先生たちを見る。
「あの、改めてよろしくお願いします!」
「ああ、一緒に頑張ろう、緑谷少年」
『先生、どうぞ召し上がってください』
「うふふ、ありがとう」
「いただきます」
書類をしっかりしまって出しておいたカステラを食す。担任が表情を緩めて、先生が満足そうに頷き、師弟の会話が終わったのか出久がこちらを見た。
「兄ちゃん」
『ん?』
手が取られて、向かいに立った出久が笑う。
「ありがと!」
『あー?よくわかんないけど、どういたしまして?』
「これでまた兄ちゃんとかっちゃんとずっと一緒だよ!」
『ああ、そうだね』
「兄ちゃん!一緒にご飯食べられるときは食べよ!」
『うん、もちろん』
「楽しみだなぁ」
今から浮足立ってる出久に母さんは全くこの子はと息を吐いて、オールマイトと担任は微笑ましそうに笑う。唯一、先生が眉根を寄せたのが気になったけれどポケットの携帯が揺れたから目を逸らした。
繋いでいない右手でポケットから携帯を出す。
勝己から明日の時間が届いてたから思い出して顔を上げる。
『明日は勝己と会ってくるね』
「そっか。いってらっしゃい」
『たぶん夜飯までには帰るよ』
「うん。爆豪さんによろしくね」
『はーい』
手を取ってる出久の頭を撫でて、ちらりと見れば先生たちはカステラもお茶もきれいに空にしてあった。目があった担任がにっこりと笑う。
「本日はお時間いただきましてありがとうございます」
「あ、こちらこそ、息子を…よろしくお願いします」
「はい。責任を持ってお預かりいたします」
みんな立ち上がって、相澤先生、担任、オールマイト、出久と俺、母さんの順で歩き出す。
道中で開いたままの扉に出久があ!と大きな声を出して慌てて戸を閉めた。
「ふふ、貴方本当にオールマイトが好きなのね」
「みみみみ見えましたか!?」
「ばっちりな」
「ひぇぇはずかしい!」
「嬉しいよ、緑谷少年」
「はずかしいいいいい!」
戸を閉めたところでネームプレートもオールマイトを象ったもので隠しきれていない。出久が顔を赤らめながら廊下を歩いて、玄関口で振り返れば母さんが口元を歪めたから前を見た。
『出久、下までお見送りしてもらえる?俺も後から行くよ』
「うん!」
出久の背を押して、靴を履き直した先生たちが振り返る。
「お邪魔しました」
「いえいえ、また、お待ちしております」
母さんが表情を繕って、先生たちが出ていき出久も外へ出る。しまった扉に母さんがふらついて床に座りこんだ。
『母さん』
「っ、ごめ、ごめんね、出留っ」
ぼたぼた涙を零す母にさっきとは別のハンカチを渡して、肩を撫でる。
『大丈夫。…ありがとう、母さん』
「わたし、わたしは、本当はすごく嫌なの、二人がいなくなったら、怖いっ。出久が、にゅ、いんして、出留も、いなくて、っあんなに、家が静かで、っ」
『うん』
「やだよ、出留っ」
『心配かけてごめんね』
「いずる、っ」
『うん。俺も出久と母さんがいなくなるのは嫌だよ。だから寮に入ったほうが安心だって思う。母さんを泣かせるのはすごく悪いけど…行ってくるね』
「っ」
『必ず何があっても母さんの元に帰るから。約束する。出久を連れて、一緒に帰るよ』
「ぜったい、だよっ」
『俺は嘘はつかないよ』
「んっ」
目を抑えて頷く母にまた背を撫でて、そうすれば首を縦に振って立ち上がった。
「……出留、先生方のお見送りしてあげて」
『わかった』
戸を開けて二人で一度出て、行ってきてとまた言われたから階段を降りる。一階まで行けばオールマイトと出久がいて、俺に気づくとそのタイミングでオールマイトが少し、いいかな?と出久に目配せをする。
「兄ちゃん、先戻ってるね!」
『え?うん』
笑った出久が音を立てて階段を上がっていく。向かいにはオールマイトしかおらず、どうやら担任と先生はもう車の中にいるらしい。
「緑谷青年」
『…ん?もしかしてそれ、俺のことですか?』
慎重な面持ちで声をかけられる。出久は緑谷少年って呼ばれてるから青年は兄である俺の呼び名なんだろう。
「……その、君の、」
潜められた声。寄せられてる眉根。意を決したように上げられた顔に目が合う。
「個性はなんなんだい?」
『………一応気体を操る系って感じでこの間申請してきましたけど…』
「それは嘘だろう?」
窪んだ目元から鋭く、じっとりとした瞳がこちらを見据える。言い逃れを許さないと言わんばかりの瞳に何をしたかなと考えても思いつかない。
『俺はそう申請したんですけど、どうして嘘だなんて?』
「……あの神野区での事件現場で、いくつか不可解な痕跡が残っていた」
『不可解…?』
「通常あの場にはあり得ない金属片が発見されたんだ」
目を瞬いて少し考える。神野区の事件現場はほとんど寝て過ごしていただけのあの部屋を指すのか、それともそのあとのあの更地を指すのか。
「もちろんオール・フォー・ワンが研究所に使っていた場所だ。いくつかそれらしいものはあった。でも、それは歪だった」
研究所と称するならおそらく更地だった彼処を指すんだろう。黙って眺めていれば先を促していることに気づいたようで息を吸った。
「カドミウム。人体への影響もあるためかなり昔に取り扱いにあたりいくつもの禁則事項が制定された危険物に近い金属の一種。それがあの研究所の、更地になったあの場所で固体、それから粉状でも見つかった」
『はあ。それで?』
「君が気体を操っているというのは嘘ではないけど正しくはない。本当は気体の中の、更には貴金属に至るまで、元素を操っているんだろう?」
『………』
「相手が苦しむのは酸素の中毒、もしくは不足。あるいは一酸化炭素や二酸化炭素を操っているから。動きを止めていたのは貴金属を生成し足元を固めたりしているため。君が宙を駆けられるのは、ガスの応用…違うかな?」
ぱちぱちと瞬きをして、さぁ?と笑う。
『何でも作れるなら便利そうですね』
「…………君は自身の個性を熟知しているはずだね。君は心身ともに成熟していて個性の使用もとてもうまい。今回の事件、連合が君を攫ったのは体育祭にて無個性を理由に迫害されていたことに対して社会への不安を増長させたかったからと私は思っている」
『なるほど』
「だからこそ、君さえよければ、前向きにヒーロー科への転向を考えてもらいたい。君の実力は現在ヒーロー科の生徒たちと比べて遜色ない」
一体誰からの差し金なのか。もしかしたらオールマイトの独断なのかもしれないけれど、その勧誘に笑顔を返す。
『俺はヒーローになりたいわけではありません。俺なんかが貴重な枠に収まってしまうくらいなら、真面目にその席を目指している人を据えてあげてください』
「………雄英は優秀な生徒への枠に上限を設けてないから、気が変わったらいつでも教師に伝えてくれ」
『そのときはよろしくお願いします』
笑って話を切り上げさせる。オールマイトが難しい顔をするから向こう側を見た。ちょうど車の中から痺れを切らしたように顔を出してる担任がいて、担任が大きく手を振る。
「オールマイト!今日中に校長への報告しないといけないんですから行きますよ!」
「あ、ああ!今行くよ!」
後ろ髪を引かれるように歯切れが悪そうにこちらを見たから頭を下げる。
『本日はお時間ありがとうございました。どうか出久のことをよろしくお願いします』
「、ありがとう、緑谷青年。お邪魔しました」
一礼して車に向かって早足で近づき乗り込む。開いた窓の方にはオールマイト、向こう側に相澤先生。助手席に座ってる担任が手を振るからあ、と思い出して口を開いた。
『あの、見舞品、ありがとうございました』
「あら!いいのいいの!ちゃんと食べた?」
『はい。いただきました。あと、アイマスクも使わせていただいてます』
「アイマスク?」
きょとんとした担任に首を傾げる。すっと目を逸らした一番奥にいる人影に担任がもしかしてと目を丸くして、俺も察して笑う。
『本当にありがとうございます。入浴剤も使いました。出久と勝己もすごく気に入ってました』
「あら、爆豪くんも入ったの?」
『一昨日泊まりに来てたんで、そのときに』
「貴方達本当に仲いいのね…?」
微笑ましそうに口元を緩めた担任に後ろから大きなため息が響く。
「香山さん、時間ありませんよ」
「あら、そうね。それじゃあ緑谷くん、本当にありがとう!また来週ね!」
『はい』
振られてる手に頭を下げて見送り、車が走っていって角を曲がり消えたところで足を動かす。
階段を登って家に帰り、リビングに向かえば出久は自室にいるようで、母さんはキッチンにいた。覗けば無心でキャベツを刻んでるから腕をまくりながら隣に立って、手を洗う。
『何作ろうか?』
「………何がいいかしら?」
『んー』
大量に出来上がってる千切りキャベツと多少残っているはずの肉、それからチーズを巻いて揚げようかなと思ってた皮があるのを思い出し、野菜室からニラと一緒ににんにく、しょうがを取り出す。
『餃子食べたい』
「…包むの、手伝ってくれる?出留」
泣きそうな母に頷いて、並ぶ。
『もちろん、任せて』
寮生活となれば母さんは一人だし、一緒に料理を作る機会は減るだろう。ならば、俺達が家を出てしまうその日までできる限り一緒にいるのが正しいはずだ。
タネが出来上がった頃に出久も自室から出てきて、三人で皮に包む。
いつもよりもより明るくたくさん話す出久、それから一つずつ聞き逃さないようすべてに頷いて聞いている母。あと少しでこの光景は当たり前じゃなくなるのかと思うと少しだけ寂しさを覚えた。
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