ヒロアカ 第一部
地に足がついた。
そのまま噎せてまだいたものを吐き出す。口の中いっぱいに広がってる汚泥に眉根を寄せて、シャツで口元を拭った。
「げほっ、!くせぇ!」
『…さいっあくっ!』
「っ、いず、」
「悪いね、爆豪くん、緑谷くん」
勝己の言葉を遮る、ねっとりとした男の声。さっきも聞いたそれは今までと段違いに重い空気で、すぐさま勝己の横に立ち視界に捉える。
フルフェイスマスクや仮面とはまた違う。顔がないそれは人の形をしていた。
きっと笑ったそいつに勝己も警戒心を顕にして、少し離れたところに俺達と同じように落とされて、噎せる彼らが現れる。
「先生」
「また失敗したね、弔」
弔がさっきも言っていた敬称。恐らく弔に指示を与えている本物のトップ。膝をついて乞うように視線を送る。
「でも決してめげてはいけないよ。またやり直せばいい」
見上げられたそいつは大丈夫だよと笑った。
「いくらでもやり直せ、そのために僕がいるんだよ。すべては、君のためにある」
差し伸べるように前に出された右手を弔が取るより早く、そいつは空を見る。
「やっぱり、来てるな」
空から近づいてくる気配。右腕を振りかぶったそれと予想された衝撃に咄嗟に手を伸ばして勝己を抱える。
「全て返してもらうぞ!オールフォーワン!」
「また僕を殺すか?オールマイト」
「うおっ!!」
『っ』
ぶつかった衝撃により空気が爆ぜる。風圧で放り出されて強く抱え直せば右肩から地面に落ちて、飛んできた地面の破片が頬を掠めた。
「出留っ」
『へーき』
腕の中の勝己と起き上がって頬を拭う。少しだけ痛んだそれに喧騒の中心を見て、なにか話してる二人がまた衝突したから勝己を庇う。
さっきよりも少しだけ離れてるおかげで吹き飛ぶまではいかなかったもののまた飛んできた破片が背中にあたり地味に痛む。
顔を上げれば敵の一方向はさっきまであったはずの建物は消え道のように地面ごと抉れていて、勝己が叫んだ。
「オールマイト!!」
「心配しなくてもあの程度じゃ死なないよ」
事無しげに笑ったそれは右手を上げる。
「だから、ここは逃げろ、弔。その子を連れて。…黒霧、皆を逃がすんだ」
右手の指の先が黒くなったと思うと伸びて黒霧さんの体に刺さる。気絶して地面に倒れている黒霧さんの上半身に突き刺さったそれはぐちゃりと音を立てて、マグネが目を見開いた。
「ちょ!貴方!彼やられて気絶してんのよ!?ワープ使えるなら貴方が逃してちょうだいよ!!」
「僕のこれはまだできたてでね、マグネ。移送距離がひどく短い上、対象を僕に持ってくるか、僕の元から送り出すしかできない。だから、黒霧なんだ」
ぐちゃりと大きな音を立てた瞬間にぶわりと黒色の靄が広がる。
「さぁ行け」
「、先生は」
ワープゲートが開かれると同時に向こう側からまた何かが迫ってきて大きな衝撃と音を伴って地面に着地する。
見慣れたスーツのそれはオールマイトで即座に地を蹴った。
「逃がさん!」
「常に考えろ、弔、君はまだまだ成長できるんだ」
二人は衝突を繰り返し始める。怪獣同士の戦いのような光景にあっ気取られて、人の動く気配にそちらを見た。
「行こう死柄木!彼奴がオールマイトを食い止めてる間に!」
コンプレスが気絶してる荼毘に手を翳して消す。目を瞬く俺に勝己が即座に服を引いた。
いつの間にか立ち上がって囲んできていた彼らに唇を結ぶ。
「逃げるぞ、コマ持ってよ」
「めんどくせぇ…っ!」
狙いは勝己。全員の視線が勝己に向いたことに優先順位を正す。
俺の仕事は、いつだってお姫様のごとく困難に巻き込まれる勝己を魔の手から守りきることだ。
『勝己』
「出留」
きちんと状況を把握しているらしい勝己が腰を落として、背中を合わせた。
「やんぞ!」
『りょーかい』
さっきまでとは違い、多少の負傷は厭わないスタンスで突っ込んでくる敵たち。勝己は爆破で軌道を逸したり、自身が飛び上がることで距離を置いていて、俺もいくつかの元素を操って爆発させたり足元に金属を用意して転ばせ距離を取る。
「出留!そのクソ仮面には触れられねぇようにしろ!」
『おっけー』
本当なら手軽に酸素か一酸化炭素で中毒にでもさせたいところだけど、全員がちょこまかと動いているし、後ろの元締めらしいアレが気になりすぎてうまく扱えない。
目の前の敵を爆破した勝己の背後に回った敵に、可燃物の線を繋いで火を流す。
「ちょっ、なんなの!?」
「っ、そっちか!」
ネタバレするのは早く、伸びてきた仮面の手を咄嗟に避けて宙に飛ぶ。
『危なっ』
「油断すんなや!」
『してないしてない!』
足場を作るためにガスを固めるのは集中力がいる。失敗したかなとも思うけど最優先はあの仮面に触れないことらしいからこれがきっと最善だ。
あまりガスを集めすぎるとどこで爆発するかわからない。誘爆しないように霧散させつつ逃げる。
「爆豪少年!緑谷青年!!」
「行かせないよ」
俺達に手を伸ばそうとしてすぐに引き戻されてを繰り返すオールマイトと元凶。
弔はどうしてかあの場から動いていなくて、参戦される前にどうにかして勝己を逃さなければならない。
走りながら、不意に視界がくらんで個性の副作用が襲ってくる。化合物の使い過ぎかもしれない。頭が痛み始めてて眉根を寄せつつ逃げる。
三回、敵の攻撃をいなして、同じように攻撃を避けきって足を止めた勝己の背中に触れた。
『勝己』
「…出留、大丈夫か」
『ん、まぁまぁ…かなぁ…』
ずきりと強い痛みが走って息を吐いて逃す。あと五分も使えば視界が霞むだろう。
だからこそ五分以内にこの事態を好転させる手を見つけないと俺達は詰む。
『勝己、だけでも』
飛んでくるナイフ、振られる棍棒。伸びてきた手を避けて、勝己を視野に入れながらどんどん激しくなる頭痛と霞んでいく視界に歯を食いしばる。
『かつき、』
ドンッと大きく何かが壊れる音が離れたところから聞こえた。
はっとして顔を上げると俺達のいるところのずっと向こう側の壁が崩れていてそこから透明に近い何かが橋のように一瞬で伸びて形成される。
ターボのようなエンジン音が聞こえたと思うと橋の上をなにかが走り出して、空に飛んだ。
「兄ちゃんっ!!」
「来い!!」
叫んだのは出久と、切島くん。なんでこんなところにいるのかとか色々気になることはあったけれど、すぐに息を吸った。
『勝己行け!』
「っ!」
意図に気づけないほど勝己の頭は悪くない。反論しようとしていたのだろうけど、弔が即座に手を伸ばそうとしたことに気づいて両手に光が灯り、爆風を駆使して飛び上がった。
勢い良く高く飛び、到底手の届かないところまで上がった勝己は差し出されていた切島くんの手を掴んでそのまま飛んでいく。
「どこにでも現れやがる…っ」
「マジかよ…!全く!」
「遠距離いけるやつは!!」
「荼毘に黒霧!どっちもダウン!」
「アンタたちこっちに、」
『邪魔すんなよ』
「な、はっ、」
策ありげに叫ぼうとしたマグネの顔の周りから酸素を一気に奪う。膝をついた彼を見て俺へ襲い掛かってくるスピナーの大ぶりを躱して、次に迫ってきた手のひらをぎりぎりで避ける。
「てめぇ!」
「一度仕舞っちまおう!」
再度振られた武器をまたすれすれで躱して、その瞬間に個性が外れてしまったのか大きく噎せる声が聞こえた。
「か、はっ、う、」
『ちっ』
「おらっ!」
スピナーの大振りを避けて、頭痛から膝をつく。
「これ以上個性を使われちゃ困るね!」
頭が割れるように痛くて、好機とばかりに伸びてきた手に個性を使おうとして、目の前が霞んでることに気づく。
見えない。
『あーあ…』
「良く堪えた小僧!」
風切音。そして殴打する音と三人が膝をついて倒れた。
「遅いですよ!」
「お前が速すぎんだ」
目の前に立ったのはさっきも見た覚えのある小さな老人で、誘発されて襲ってきた吐き気に口元を押さえる。
「大丈夫か!?」
『っ、………はい。』
目をつむって込み上げてくるものを飲み込んで、息を吐いて、顔を上げた。
『ありがとうございます』
「間に合ってよかったわい」
「グラントリノ、」
「なぁ彼奴緑谷!!っとに益々お前に似てきとる!!悪い方向に!」
ほっとしたように息を吐いた老人はオールマイトに怒りながら俺を敵から遠ざける。
オールマイトは応えてから咳き込むと、先程吹き飛ばしたらしい対戦者を睨む。相手であるそれは楽しそうに笑った。
「やられたな。一手でキレイに形勢逆転だ」
「小僧はここにいろ!連合もあと二人!終わらせる!」
飛び出した老人はまだ戦えるトガヒミコと弔に近寄る。
ジェット機のように飛び出していった老人を追い越すように、黒色の何かが横を抜けていってマグネの体に突き刺さった。
さっきも見たそれは個性の強制発動を促すものでマグネの体がぴくりと動く。
「塵にな、!」
「っ!?」
向かって飛んできた老人に右手を伸ばした弔。お互いに触れそうになったところで弔が急に仰け反るように後ろ向きに飛ぶ。
「え、」
あたりに転がってた気絶してる面々も同じように飛んでいて、靄のすぐ前に立っていたトガヒミコに向かってるらしい。
驚いたように固まったトガヒミコにぶつかるようにして連合の人間が靄に投げ込まれてく。
「待て、駄目だ、先生、そんな体じゃ、」
『え、!』
ふわりと体から浮いて、引っ張られた。
「大丈夫だよ、弔。後は…君たちに任せよう」
「小僧!」
『ま、ちょ、なん?!』
強制的な浮遊感に抗えず後ろに引っ張られる。老人が手を伸ばそうとしたところで敵から出ている黒色の何かが叩くように老人を跳ね除けた。
背に何かが触れて、腕が掴まれる。
「…たすけて、」
『っ?!』
「どうしよう…俺、まだ、」
泣きそうな弔の表情にそれ以上なにも言葉を出すことが出来なくて、ずるりと引き込まれるように闇に包まれた。
放り出されたのはどこかの部屋の一室らしく、紙だのなんだのが床に散乱していてあまり綺麗じゃない。電気は近くにあるパソコンの電源がついているから通っているようだけどあのバーと同じように少し薄暗い、換気のできていなそうな場所だった。
俺にくっついて泣きそうになってる弔と、少し離れたところできょとんとしてるトガヒミコ。後の人間は先ほどと同様気を失ったままらしく床に転がってる。
「弔くんと出留くんも、来たんですね、良かったです…」
俺と目が合うなり笑った彼女は近くその場に座ることにしたらしく、立てた膝に手を置いて額を乗せ俯いてしまったからもう目は合わない。
ぐっと腕が引かれて視線を戻す。
「出留、あのままじゃ先生が、」
『…………うん』
弔にとっての彼奴がどれ程大切なものなのか、俺にはわからない。それでも小さな子供のように俺に縋る姿からしてとても大切な人なのだったんだろう。
「俺、まだ先生になにも返せてない」
歪んだ表情は今にも涙をこぼしそうなのに目には水のひと粒も浮かばない。歪んでるなぁと思いながら髪をなでて腕の中にしまった。
『そうなんだね』
「あのままじゃ、」
『うん。きっと無事では済まないな』
「っ」
『俺は弔が何をしたいのか知らないし、あの人が誰かも知らない。それでも返したいっていうならできる範囲で応援する。二人が何を目指してたのかわからないけど、弔が成し遂げることが、きっと、あの人にとっての恩返しになるはずだよ』
縋るように後ろに背に回った腕によしよしと髪を撫でる。回されてる細い腕は予想以上に力が強く骨が軋み音を立ててる。
隠れてしまった赤色の瞳に勝己を思い出して、きっと出久とみんながいたのならもうあちらは大丈夫だろう。
弔の頭を撫でながら俺も目を瞑った。
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