ヒロアカ 第一部
出久も勝己も合宿で帰ってこない。母さんと二人で、ついでに言えば爆豪家も夫婦のみで、折角だからご飯でも一緒にとなるのは自然な流れだった。
子同士はわりと衝突しているけど、親同士に確執はまったくない。それどころか仲良く買い物や旅行に行くこともある。
普段はどちらかといえばお互いの家を行き来して手料理を振る舞うことが多いけれど、今日は珍しい外食で楽しそうに会話に花を咲かせてる母親たち。勝さんもにこやかに相槌を打っているから俺も時折混ざりながら眺めていれば、不意に携帯が揺れた。
着信しているのか長い携帯の揺れ。確認した差出人の名前に驚きから目を瞬いて、断ってから席を立つ。
離れながら耳に携帯をあてれば向こう側は静かだった。
『もしもし?』
「……そっち、うるさいな」
『ごめんごめん。ちょっと出てるから待ってー』
扉を押して外に出て、ガラス越しに母さんたちの位置がわかる場所で止まる。室内よりも静かになった気はするけど通行人が多くあまり変わらない気もした。
『おまたせ。電話なんて珍しいじゃん。なによ?』
「………_今、どこにいる」
『ファミレス。なんで?』
「……………準備が、できたんだ」
『え?』
「これで出留を迎えられる」
ぶわりと鳥肌が立つ。この間もあった嫌な感じ。
『、なにを…、』
「ずっと一緒だ」
咄嗟に一歩足をひいて顔を上げれば目の前に黒い靄が現れどんどん大きくなっていっている。通行人が気づいたのか悲鳴を上げて、身を翻すよりも早く、伸びてきた白色の手が俺の右腕を掴んだ。
「出留。俺の世界で一緒に過ごそう」
もう一本、伸びてきた手が左腕も掴んで、信じられないくらいに強い力で引かれる。靄の中に飲み込まれるような感覚。
『とむ、』
「出留!!」
後ろから母さんの悲鳴混じりの叫び声が聞こえた気がした。
一瞬の暗闇。そして少しの衝撃のあとに地下のようなこもった空気の臭い。目を開けば景色は一変していた。
「出留」
にっこりと、たぶん、笑っていた。いつもの病人のように色のない肌の顔には今じゃ誰かの手が張り付いていて目元しか見えない。
当人の両手は俺の両手を掴んでいて、向かい合った彼は今まで顔を合わせた時のいつよりも機嫌が良さそうだった。
『弔、なにが、』
「夢みたいだ!やっと全部手に入る!」
小さな子どものように笑う。周りに複数の人の気配があって、見渡せば路地裏に潜んでいるような人間が多く存在してた。俺を見つめ不思議そうな顔をしてる。
「出留!」
ここで聞こえてはいけないはずの声を耳が拾って、すぐさま顔を向ける。両手と腕を拘束された勝己を見て目の端が赤く染まる。
『勝己!』
焦ったようなその表情は初めて見るようで心が、重く、制御がきかない。俺を掴んでいる手を振り払って勝己の元に駆け寄り、勝己の拘束に触れる。
短く息を吸って、勝己の頬に触れた後に目を閉じる。
『弔、どうして勝己がいるの』
「そいつは俺達の目的のために必要だから手に入れた。駒だ」
目を瞬いていそうな弔の声に心臓が痛む。勝己の拘束は特殊性なのか俺が外せそうになくて、頭が痛くなってきた。
「、なんだか、息苦しく…ないですか?」
耳が拾う、戸惑いの声。
頭が痛くて、痛くて、顔を上げれば勝己と目があった。
「出留、お前、」
『勝己、怪我は』
「、ない」
『……………そっか』
「苦し、」
「なん、ですか、これ」
泣きそうに揺れてる真っ赤な瞳孔。宝石のように美しいそれは出留の個性が発動しているのを物語っているけれど、いつもよりも、深い、血のような色に違和感を覚えた。
敵が一人、また一人、膝をつく。
「いず、る」
『どうしよう、嫌だな。折角築いたのに、また切り捨てないといけない……そうだ、母さんに何も言ってない。早く戻らないと………一緒に帰ろうな、勝己』
俺に笑いかけてるはずなのに、目が合わない。
焦点があってない視線と歪んだ口角にぞっとして、周りは異常の原因に気づいた。
「死柄木弔!」
「出留…?」
「そいつは駄目だ、くそっ」
地を蹴り即座にこちらへ走り込んできた荼毘に出留は無表情で腕を構えて、燃え盛る炎を目視したと思うと伸びてきた右手を即座に避けて、瞳の色を更に濃く、深くした。
『帰らないと…』
「っ、」
酸欠か、もしくは酸素中毒を引き起こそうとしてるのか、えづくそいつらに出留の目の色は収まらない。
「早く止めろ!」
「殺して、」
「傷つけんな!!」
「どうか穏便に!」
立てる奴だけが立ち上がり、手を伸ばそうとして死柄木が叫んだ。続けて黒霧も静止をかけるから全員が不可解だと眉根を寄せ、仕方なさそうに一度個性を抑える。
どうして死柄木と黒霧がそんなことを言うのか、そもそも連れてきた理由も理解できない。
そのまま荼毘に続いて分厚い唇の眼鏡が腕をぶん回して、出留が避けた瞬間に後ろに仮面が後ろに立った。
「くそっ、」
『なんで俺の勝己が、』
「出留っ!」
「ここまで、だ!」
何をされたのか、唐突に空気が軽くなって出留が目を閉じた。そのまま重力に従うように床に膝をついて、仮面野郎に腕を掴まれ、顔面から崩れることは免れた。
「出留!!」
「っ、おい、出留は」
「ただ気絶させただけだ。落ち着けよ」
殺気立った死柄木に荼毘が呆れたように息を吐く。頭をおさえた女や全身マスクがゆっくり立ち上がった。
「けほっ、げほっ……ぅ …気持ち悪いです……」
「頭、痛い…気持ちいー!…おい、どうなってんだこいつ!」
「っ!出留!出留!」
「ちっ、おら、やんから黙ってろ」
気絶した出留が俺の膝の上に投げ置かれる。本当に気を失っているだけなのか、出留は穏やかに呼吸を繰り返していて、今にも死にそうなほどに固まってしまっていた全身の筋肉が解けた。
「出留…」
生きてる。怪我もない。
死んでない、大丈夫。
安堵から気が緩んだのか、涙が溢れだす。
「出留…、」
不意に首筋に何かが当たって、意識が途切れた。
ざっと直接砂を流し込まれたような不快感を伴った大きな音が頭の中に響く。
ひどく揺れた酔うような感覚、真っ暗な目の前が急に晴れて、その瞬間に頭を掴まれた。目元を覆うように大きな手のひらに抑え込まれたそこから何かが入り込んでくるような違和感。
手を伸ばしてやめさせようにもなぜか身動き一つ取れず、脳が揺らされてるのか吐き気が襲ってくる。
「彼はーーだよ。これーー優秀なーー……」
低く太い男性の声が聞こえる。聞いた覚えもないそれにやはり声は出ず、代わりに体を書き換えられるような感覚に胃の中のものが出そうになった瞬間、首が締められた。
『が、ぐっ』
「おや?」
「え、」
「おいおい……ぽっと出がーーーーー」
ギチギチと締め上げてくる首に回されてる腕に意識が霞んでいく。こみ上げていたはずの吐き気は出口を失って体内に戻り、目元を覆うように掴んできてた手が離れた。
「ーーがあったようだねぇ」
「これはーーいう…?」
「今はーー分が悪い。いずれ弔がーーーーその時までーーーはーーーーーいよう」
引いていく体内への侵食。体への違和感が収まっていく中で首の圧迫はそのまま力がさらにこめられて、ばきりと音を立てた。
果たしてどれだけ時間が経ったのか、何か外が騒がしい気がして目を開く。光が灯ってるのか視界は明るい。見覚えのない木目の天井。
不思議な夢を見た気がする。妙に首元は痛むし、体の中には一部に綿でも詰められたみたいな異物感が残ってた。
起き上がると手首と足首に違和感を感じて、かけられていた布をめくる。
枷に鎖。俺は拘束されているらしい。
見渡せば部屋の一室らしいけど窓の一つも見当たらない。さして広くもない、ベッドが一つだけ置かれてるここは一体なんのために用意された部屋なのかは全くわからない。
音が聞こえて目を向ける。四辺ある壁にくっつけられた唯一の扉がゆっくり開いて、向こう側から女の子が現れた。
「あ!起きましたか!おはようございます!」
『ああ、おはよう…?』
「弔くん!弔くん!起きました!!」
目が合うなり笑って、すぐにスカートを翻しぱたぱたと軽い足音が離れていく。代わりにゆったりと踏みしめるような足音が近づいきて、開いたままの扉から見慣れた水色を帯びた白色の髪が覗いた。
「出留」
『…弔?』
何故か少し警戒しているようなその表情と声色に不思議に思いながら隣を叩く。手を動かせばじゃらりと鎖のこすれる音が聞こえてちょっと耳障りだった。
確かめるように俺を見据えた後に扉から体を滑り込ませて中に入ると、後ろ手に戸を閉めて歩いてくる。さして広くない室内にあっという間に距離は縮まり、腰掛ける。軽く沈んだベッドに少し重心が左に寄った。
「出留」
『なに?』
「……………」
普段の弔らしくない、淀んだ空気。考え込んでいるのか言葉の先はなくて、瞳はいつもと同じく暗いけれど揺れている。
『ねぇ、聞きたいことあんだけど…』
「…なんだ」
『今何時?』
「……………そんなことかよ。今は三時だ」
『午前?午後?』
「午前」
俺が最後に時計を見たのは電話がかかってきた時点で、だいたい19時過ぎくらい。そこからもう6時間以上が経過している計算になる。
今頃母さんはボロ泣きだろうかなんてちょっと心配になるものの、意識を失う前の事柄に眉根を寄せたまま息を吐いた。
『勝己は?』
「………寝てる」
『そっか』
夜ふかししない子だしなぁ。勝己はおそらくここのトップであろう弔が必要として連れてきた人材のはずで、悪いようにはされないだろう。寝れるときに寝ておいたほうがいいし、もしもを考えてコンディションは整えておいてもらったほうが安心だ。
服が引かれて思考を戻す。人差し指と中指と親指で器用に俺の洋服を摘み、唇を結んでいたと思うと目を逸らした。
「出留…どうして抵抗した?」
『抵抗してないけど…』
「嘘だ。個性、使っただろ」
『あー。あれは暴走だなぁ。制御きいてなかった』
「………………」
『ごめん、苦しかった?』
「……少し」
瞼を下ろして瞳を隠すと息を吐く。柔く緩んだ表情になにか気分でも良くなったのかななんて思う。呼吸を繰り返してたと思うと瞼を上げて、目を合わせた。
「出留は、俺と一緒にいないつもりか?」
『それ電話でも言ってたけどどういう意味?』
「そのまま」
『え…?意味不明…ごめん、詳しくお願いします…』
「………もうすぐ、俺の理想が現実になる。そこで出留には俺の隣に居てほしい」
『……………熱烈、大歓迎…みたいな?』
こくりと頷かれてちょっと戸惑う。
いつだかに就職先斡旋されたことはあったけどあれは中間管理職。隣に居ろって話ではなかったはず。旅行の話もすっ飛ばして同居とはいつの間にそんなに友好を深めたんだろう。結構謎だ。
「出留は俺の隣に居る、それだけでいい」
『それはこう、右腕になれ的な?』
「……友達だろ…?」
『ん…?友達ってそんなだっけ??』
「違うのか?」
『違う気がする…?』
不思議そうな顔の隣人は本気らしい。冗談でないことに笑えばいいのか、目を逸らすべきなのか。隣人はニュースで市民にも知られてる大罪人のはずなのに、色々足りていなさ過ぎて心配になる。
『たぶん、弔が望んでるそれは友達じゃないと思うよ』
「…じゃあお前にはなんだかわかるのか?」
『さぁ、わからない。弔の主観、気持ちの問題だから自分で答えを出すしかないでしょ』
俺が幼稚園くらいのときにこんな会話をした覚えがある。あの時は一体誰と話していたんだったか。きっと同い年の子だったとは思うけどそれを高校1年生の俺と更に年上の弔とで話してるのは傍目から見たらシュールだろうなと感じた。
「………ならそれがわかるまで隣にいる」
『はぁ…?うん、まぁ、なんか出してもらえない感じだし、いいんじゃない?』
弔が飽きるまで、もしくは勝己救助のためにヒーローが飛び込んでくるまで、俺じゃここにいる奴らを全員相手取って無傷で出ていくなんて高難易度なことできるわけないからおとなしくする予定だ。
袖を掴んでいた手が離れる。薬指と小指が触れないようにか、妙に距離が置かれて胸に近い肩に手が置かれて押される。後ろに倒れれば隣に同じように弔が寝転んで、意図が読めずに視線を向けた。
『どうした?』
「寝る」
『なるほど』
午前三時は言い換えれば深夜三時。お互いに夜ふかしは多いけれど流石に眠い時間なのかもしれない。
手を伸ばしていつの間にか床に落ちてしまっていた布団代わりのブランケットを拾い上げ、軽くはたいてからかける。大きめのブランケットは流石に二人で使うとなれば心許無いサイズだった。
弔がなにか手を伸ばして、そうすれば室内の電気が消える。スイッチ式だったのかななんて思いながら体を横たえれば同じ高さに顔があって肩がぴとりとくっついた。
「…泊りって、友達っぽいか?」
『……あー…うん、そうだね?』
「そうか」
些か今の状況はなにか違う気がしたけど、出久とも勝己ともこんな感じだからたぶん友達もこんな感じのはずだ。そもそも友達がほとんどいない俺に友達の定義がわかる訳もない。
普段こんな時間まで起きてることは少ないせいか、あくびが溢れて、隣に二人がいるときと同じように手を伸ばして髪に触れる。
出久と同じくらい毛の量は多いけれど、あまり柔らかくはない。勝己の髪とも毛の太さが違う。初めて触れた髪は手入れがあまりされていないように感じたけど、なんでもいいかととりあえず撫でる。
腕の中で弔の体が固まったようにも感じたけど気のせいだろう。その証拠に少し経てば入っていた力が抜けて寝息が聞こえてきた。
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