ヒロアカ 第一部
体が重い。つむじ近くはじりじりと、腕にはピリッとした痛みを感じて目を開ける。つい最近も見た白色の天井、ふかふかした布団と独特の匂いにこれはつい先日もお世話になった部屋だろうと起き上がった。
布団がばさりと音を立ててずれる。顔を動かして見れば隣のベッドで寝息を立てて眠りこけてる人使がいて、揺れた気配に前を見れば予想通り、先生が座ってた。
「よう、おはよう」
『………おはようございます』
「気分はどうだ」
『…普通です』
じっと見据えられて視線を落とす。この間よりも体に疲労が溜まってるのかだるいし、腕は地味に痛む。朝あった高い気分はとんでもなく落ち込んでる。
真横にいる先生は眉根を寄せていて、目が合えばまた訳もなく逃げ出したくなった。
「今は四時。今日はもう二人とも目が覚めたら帰っていい。………が、心操の目が覚めるまでお前は話し合いだ」
『あー…まじですか…』
「まず、なぜそんなに自分を大切に出来ないのか。心当たりはないのか」
『特に…思い当たりません』
「ほう」
ぴくりと動いた眉尻に手を握る。本当に心当たりのないそれに凄まれても困るし、どうしたらこの状況が抜け出せるのか考えたくても頭が回らない。
先生は俺から目を逸らさず問いかけ続ける。
「大切にするだけの価値が自分に見いだせないのか?」
『…それは…たぶん、違うような』
「……価値はあるけれど守る必要性が見い出せないのか」
『それも…違うような…?』
「なら、どう思う?」
『………………』
答えの限定されてない問いかけに少し考えて、たぶんと続けた。
『俺に価値があるのかないとか、そういうことじゃないんですよね。俺を護るよりももっと大切なものがあるというか、守る手間は別に回したいというか、こう…わかります?』
「…守りたいものはなんだ?」
『それは…もちろん、俺の宝物を…』
「宝物というのは?」
『………ぁ、……』
迷わず、勝己と出久と答えるべきなのに、なにかかが喉の奥で突っかかってるような妙な感覚がして口を開けようとして閉じてを繰り返す。
音が、出ない。
先生が怪訝そうな顔をしてもう一度問いかけてくる。
「緑谷、君が自分よりも守るべきと思っている宝物はなんだ?」
『………………』
「答えろ」
『…おれ…は、……俺は、…出久と勝己を、……………そうしたら、』
そこまで言って、ずきりと頭が痛む。眩んだ視界の端にチラつくなにか。黒くて、赤い、滲んでいく目の前の景色に口が勝手に動く。
『…そうすれば、俺は、正しい兄に…』
「…兄?」
ぐっと首を掴まれたように気道が狭まった。苦しくなって、手を伸ばして首を引っ掻く。がりっと首筋にはしった痛みに目の前が明るくなった。
『、はっぐ、げほっ』
「大丈夫か」
急に入り込んできた酸素に咽れば先生が目を丸くして腰を浮かせ俺の背を撫でる。霞んでた視界が元に戻って赤黒いなにかも消える。
二回咳き込んでから顔を上げれば先生が眉尻を下げて俺を見据えてた。
「大丈夫か?」
『だ、いじょうぶ、です』
妙に痛む喉に違和感を覚えながら首を横に振る。相澤先生の心配そうな目に笑って返せば眉根を寄せられた。
「落ち着け、緑谷。ゆっくり呼吸しろ」
『はー…はぁっ、……すみません、大丈夫です』
「…………」
離れていった背を擦る手に息を整えて、失礼しましたと零せばさらに眉間の皺が深くなる。
「質問を少し変える。お前が周りの人間の心をはからなくなったのはいつ頃か覚えてるか?」
『……別に今も気にしてないことはないです』
「他人からの批判、侮蔑が気にならない人間はもちろんいる。けれど、自分を重んじてくれる人間を蔑ろにするようになったのはいつからだ」
『…蔑ろになんかしてないです』
「そうか……なら、治療を受ける前に香山さんとリカバリーガール、心操が怒ったのか理解はできているか?」
『何度も治療の手間をかけてるから、ですよね』
「違う」
『え、違うんですか?』
「ああ、全く違う。……他の可能性は見つけられないか、緑谷」
『………………思いつかないです』
唇を真横に結った先生は視線を揺らして、先生が何か言うよりも早く後ろで気配が動く。振り返ったと同時に伸ばされてた腕が俺の胸ぐらを勢い良く掴んで引っ張られた。
『は、』
「……………」
『ひと、し?』
目を丸くしてしまったのは目の前の人使が人の胸ぐらを掴むだけ掴んで睨むように俺を見て黙っているからで、人使はぎりっと歯をきしませたと思うと襟ぐりを掴んでる両手に強く力が入った。
「……出留、俺は、今全力でお前のことぶん殴りたい」
『え、なに急に』
「出留が死ぬほどお門違いなことばっか言ってて腹が立つからだ」
『お門違い…?』
「俺も先生たちも、怒ったのは出留が怪我をしたからだ。でもそれは怪我を治療する手間に怒ったわけでも呆れから来てるわけでもない」
言い聞かせるように低い声で吐き出される言葉に目を瞬く。精一杯怒りに飲まれないようにしてる人使に口を開いた。
『なら、なんで怒ったの?』
「……出留が、自分を顧みないからだ」
『……………自分を?』
「先生も俺も、出留が自分のことを必要もないのに傷つけたことに怒ってる」
『それは…今回は必要あったからしただけで、』
「なかった。出留なら目潰しを思いついたとして花瓶だってなんだってあるんだから砂でも、砂利でも、なんでも使えただろ」
『拾うより楽だし…。それに先生だって怯むだろ?』
「は?怯むからって…っ、もっと違う方法もあるだろ」
『違う方法って…?この方が早くね?別に傷だってそんなに深くないんだから後遺症もないし、』
「っ」
更に力が入った両手に息苦しさを感じて眉根を寄せる。人使は怒っているようで目を据わらせた。
「後遺症がなくったって、傷つければ痕は残るし痛いだろ」
『そりゃあ痛いけど』
「治るからいいとかそういう問題じゃないんだよ。出留はその怪我をしたのが今回は自分が逃げるためだったけど、もしこれが俺とのペア戦だったとして、同じ方法で出留が怪我したら…俺は、その怪我が俺のせいだって思うし、心配も後悔もする」
『………それは…仮定の話だろ?』
「出留は仮定だったとしても、やらないって言い切れるか?」
『…………どうするかわからねぇけど…たぶん、最善なら俺はやるよ』
「それが緑谷や爆豪といても?」
『うん』
「…もしそれで、二人が怪我をしたことに出留を心配して、怒ったり泣いたりしたら出留はどう思う」
『どうって…』
何かがあって俺が怪我をして、そうすると大体勝己は怒って手当してくれて出久は泣いてくっついてくる。そういうときに思うのは一つだけで、それを迷わず口に出す。
『次はもっとうまくやらないとなって』
「は?」
『二人とも優しい子だし、俺に限らず怪我してる人間を見ると自分のことみたいに痛そうにするから、だから次は怪我を見つからないようにするか、小さく見えるようにしないとってよく思う』
「…………………」
眉根を寄せた人使が歯を食いしばって、ぎちりと手に入れてた力をさらに強くした。あまりの苦しさに手を叩こうとして、その前に手が離れたと思うと人使がポケットから携帯を取り出して画面を操作する。
『人使?』
「ちょっと黙っててくれ。死ぬほどイライラしてる」
『あ、うん』
かつかつと画面を叩く指の動きが荒い。静かにしていたほうがいいらしいから、じっと黙って眺めていれば急に人使の携帯が光る。画面をスワイプしたと思うと俺の膝の上に置いた。
『え、』
「兄ちゃんっ!!!!」
『、出久?なんで??』
「なんでじゃないよ!!怪我したって心操くんから聞いたよ!!どういうこと!!?」
『怪我っていっても全然大したことないよ。大丈夫』
「そりゃ自分で切ったんならある程度の加減はしてあんだろうけど。出留、それやめろって言ってんだろ」
『あれ?勝己もいるの?』
「一緒に居たんだからデクに連絡きた時点で筒抜けだわ」
家に置いてきた勝己は帰らず出久と遊んでいたのかもしれない。もしくは俺の部屋で時間を過ごしていてそこに出久が来たのかもしれない。どちらかはわからないけどこれは少し厄介なことになったなぁと頭を掻く。
「出留、聞いてんのか」
『あー、うん、聞こえてる』
「ならなんでやめねぇんだ」
『………癖的な?』
「癖って丸投げしたらいいと思ってんじゃねぇ!そうやって思考放棄すんのもやめろって何回も言ってんだろ!!」
『放棄したわけじゃないんだけど…』
「明確な理由をつけねぇでまとめてんのは放棄してんのと同じだわっ!!」
かなり怒ってるらしい勝己にどうしたものかと頭を掻く。目の前にいれば髪を撫でて話をすればいいだろうけど電話越しだし、会話を聞いてる人も多いから変なことも言えない。
「兄ちゃん」
怒りちらしてた勝己の声が止んだ瞬間、出久が静かな声色でしっかり俺を呼ぶ。
「僕もね、兄ちゃんと同じことをしてると思う。誰かを助けるために怪我をして、それに対して母さんと兄ちゃんに心配かけてかっちゃんには怒られてる。どれだけ言われたって今までもこれからも同じことをきっとすると思う」
『…うん』
「僕は誰かを助けるために僕の力を、命を使いたい。それが僕の夢だったし、もし死んじゃったとして、遺してしまう人たちには申し訳ないけどそのことに後悔はないよ。……兄ちゃんは、なんのために怪我をして、命を削るの?」
『……………』
「かっちゃんのため、僕のため、心操くんのため、先生のため、みんなのため。その時によって一緒にいる相手や護ってる人によってきっと答えは変わると思う。僕は僕が信じる、大切にしたい人が生きてほしいから護る。その結果傷つくことだってある。…でも、今回の兄ちゃんの怪我は…なにを護るため?」
電話の向こう側が静かになった。何も聞こえないそれは俺の答えを待っている時間らしく、出久が怒ったのは久々だなぁと場違いなことを思う。
「兄ちゃん、僕が怪我したら痛いって言ってたでしょ?僕とかっちゃんもそうだよ。兄ちゃんが怪我してるのを感じれば痛くて悲しくて仕方ない。僕達だけじゃなくて今の兄ちゃんには心操くんや先生、心配してる人がたくさんいる。だから、お願い。よく考えて。なにを護るために自分を犠牲にしようとしてるの?」
まっすぐ淀み無い問いかけに息を吸って、眉根を寄せる。
『…………俺は…』
「あ、」
聞こえた短い声が不思議で言葉を飲み込めば向こう側で慌てるような声が聞こえた。
「にににににに兄ちゃん!!」
『え?うん、どうした?』
「偉そうに色々言ったけど、僕が兄ちゃんのことが世界一大好きなのは変わらないからね!?」
『う、うん?ありがとう、俺も出久が一番好きだよ』
「えへへ」
「…馬鹿兄弟っ!!今んなことどうでもいいだろうが!??」
「ちょ、痛いよかっちゃん!!!どうでもいいわけないよ!!兄ちゃんが大切なのが伝わってなかったら困るでしょ!!?」
「んなわかりきったこと今更言う必要ねぇだろうが!!!」
「そんなことないよ!口に出さないとどこですれ違うかわからないだろ!!」
「わざわざこの流れを止めてまで言う必要がねぇってことだわ!!!!」
ボンッと勝己が怒り散らしながら個性を炸裂させてる音が向こうから聞こえる。出久も応戦してるのかひどい物音が響いて、ばきんっという破壊音と共に音声が切れた。
「「…………」」
先生と人使が通話が終了したばかりの画面を見つめて、ほぼ同時に顔を上げる。二人の微妙な表情に笑みを返して頭を掻いた。
『えーと、……心配かけてごめんなさい。これからはもう少し、考えてから自分を犠牲にします』
「っ、だから…!」
怒ろうとした人使を手を伸ばすことで制して先生がじっと俺を見つめる。
「…犠牲にするなと言いたいところだが、急には難しいだろう。お前の感覚は少しずれていることが多い。もしもわからないことがあればどんな些細なことでも聞きにくるように」
『はーい』
「心操、自分を大切にするっていう一般常識をコイツに教えてやってくれ」
「は、はい!」
大きく頷いた人使はすぐに俺を見て眉間を突いてきた。痛みを感じない程度のそれに目を丸くすれば人使は呆れたように笑った。
「覚悟しておけよ、出留」
『う、うん』
瞬きを繰り返せば微かにバイブ音が聞こえて全員でそちらを見る。置いたままになってた俺の荷物の中かららしく、断ってから手を伸ばして鞄を開けば予想通り携帯が光ってた。
もう一度断って画面をタップして耳にあてる。
『もしもし?そっち大丈夫?』
「駄目だわ!デクの携帯が死んだ!!」
「僕の携帯が死んじゃった!!」
『あー、じゃあ明日見に行こうか?』
「うん!」
「ん」
『とりあえず急いで帰るから、二人とももう喧嘩しないんだよ?』
「かっちゃんが怒らなければ平気!」
「デクがアホなこと言わなきゃいい話だ」
『うん、仲良く待っててね』
「早く帰ってきてね!!」
「…駅ついたら連絡よこせ」
『はいよ』
今度はしっかりと終わった通話に顔を上げると先生と人使が息を吐いて、先生は頭を掻いてから俺達に視線を戻す。
「二人とも体調はどうだ」
「問題ありません」
『大丈夫でーす』
「そうか。今日もお疲れ様。心操は多対一の戦闘で足りてる部分と足りていない部分を気づけただろう。エクトプラズムも成長を褒めていた…が、足りないところに関しては一つずつ自身でも再確認し次回に活かせ。今後の成長を更に期待してる」
「はい!」
「緑谷もよく動けていた。できるのならば最初からやるように。後から本気を出すなんていうのは無駄以外の何物でもない。それと、今後は自分を犠牲にする前に別の方法がないか必ず一度考えてから動け。不明な点は俺でも心操でも、弟と幼馴染にでもいいから聞くように」
『はい』
「…よし、見送る。支度しろ」
立ち上がった先生に、褒められたことでか頬を緩ませた人使も急いで荷物を持ってついていく。俺も鞄を肩にかけて、着替えるのは面倒だから持ってきていたパーカーを羽織って追いかけた。
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