ヒロアカ 第一部


『つか、俺の勝利条件限られてね…?』

画面越し、マイクが拾った声が鼓膜を揺らす。

「この訓練…公平なように見えて全く公平じゃないですよね」

「うん。彼なら気づくと思っていたよ」

一緒に観覧しているオールマイトの言葉に頷く。

何かを考えながら緑谷くんは建物の確認をしていき、民家の戸締まりも見たところで息を吐いた。

零された言葉は現状に対してらしく相澤くんが空中を移動していることを察してか斜め上に一度視線をやって、また息を吐く。

頭を掻いたと思うと手足の重りを確認し、走り出した。

「あら、動き出したわね」

「緑谷青年はどこへ向かう気なんだ…?」

「目的地があるような動きをしてるけど…」

目を瞬く香山くんにオールマイトも首を傾げる。

緑谷くんは民家の合間を縫うように迷わず走っており、その道のりと空中を進む相澤くんの軌道に合点がいきティーカップを取った。

「彼は相澤くんの後ろにつく気みたいだね」

「相澤くんの、ですか?」

「今回の訓練、彼は相澤くんに捕まらない。それだけが勝利条件。反撃が許されているといっても常に戦い逃げるのは体力的に考えても時間が決められているとはいえ避けるべきだろう」

「自分を探している相澤くんの後ろにつくことで少しでも見つかるリスクを減らすってことですか」

「今回のような状況では先に相手を感知したほうが有利だ。相澤くんは空を動いてる分音や気配を感知されやすい。だからこそ緑谷くんは彼を察知できたしその後ろについて追いかけることを選んだ」

「鬼が追いかけられる鬼ごっこですね…」

予定通り相澤くんを感知できる距離で緑谷くんは背後に回って様子をうかがいながら追いかけていく。

空を飛んで探し回る相澤くんの視界から外れながら追いかけるなんてよく観察しているし知恵も体も働く子だ。

「とはいっても…相澤くんだってプロヒーロー。実戦経験多数なんだからこの状況は長続きしないですよね」

「ああ、きっとそれは緑谷くんも理解しているだろう」

ある程度飛び回って緑谷くんが見つからないことに足を止めた相澤くんに、緑谷くんが残念そうに息を吐く。

『もう少し時間稼ぎたかったんだけどなぁ…』

建物の影に身を潜めてじっと相澤くんの出方を窺う緑谷くんに、相澤くんは一際高い電柱の上に立ってあたりを見渡す。

「相澤くんにはオールマイトさんのように建物を吹き飛ばすような攻撃はできない。それに、ヒーローという前提であれば建物の破損は控えるべき…」

「それがわかっているからこそ緑谷青年も動かないのだろう。これはもう、我慢比べだ」

「どちらがボロを出すか…」

息を潜める緑谷くんと監視を続ける相澤くん。不意に、相澤くんが捕縛帯を投げて少し離れたところにある電柱に結びつけると振り子の要領で飛び降りて半円を描き市街上空を横断する。

「見つけた」

『まじかぁ』

言葉通り目視されたことに緑谷くんは笑みを浮かべて走り出す。捕縛帯を即座に解きまた別の場所に巻きつけた相澤くんは進行方向を変えてまっすぐ緑谷くんの背を追い始めた。

「緑谷くん足早いわねぇ」

「ああ、重りをつけているのに身軽な子だ」

感心する二人の声は相手にはもちろん聞こえない。

逃げに徹しはじめた緑谷くんは屋根の上を走る相澤くんを躱すためか路地や軒先や屋根の大きい家の下を通り撹乱を目的に動く。

「緑谷青年はやはり直接対決を拒んでいるようですね」

「捕まらなければ勝利ですもの。逃げられるのならば逃げるにこしたことはないわ」

「けれど、相澤くんはそれを許さないだろう」

捕縛帯を飛ばして緑谷くんが退いた先に腰のポーチから取り出したまきびしを投げる。咄嗟に壁を蹴って方向を変えた緑谷くんが床につく直前にまた捕縛帯を投げた。体を捻り右手のみを床についた緑谷くんはバク転の要領で足を振り数m離れたところに着地して、相澤くんが口角を上げる。

「かくれんぼは終わりだ」

『もうちょっとしてたかったんですけどね』

向きあった二人。相澤くんは依然として口角を上げていて、緑谷くんも微笑む。

妙な緊張感に先に動いたのは緑谷くんで、相澤くんから見て右に走り始めた。

「逃さん」

予想していたのだろう相澤くんも捕縛帯をすぐさま投げて、緑谷くんの行方を塞ぐ。緑谷くんは右手のブロック塀に足をかけたと思うと伸ばした左手で塀を掴んで、飛び上がった。

今度は緑谷くんが宙を走ることにしたらしく屋根の上を走り始めるから香山くんが目を瞬く。

「あの子身軽すぎません??」

「あれはフリーランニング…いや、パルクールですかね…?」

「おそらくね。あれだけ身軽だから可能性として考えていたけれど、やっぱり修得していたか」

飛んできた捕縛帯を避けつつ屋根の上を走る緑谷くん。通常の相手ならばまだしも、電線に巻きつけた捕縛帯をもとに方向転換を容易に行う相澤くんとは相性が悪い。

頭上すれすれに飛んでいった捕縛帯に屋根から飛び降りて、前転で受け身を取り今度は地上を走り始めた。

「いつまで逃げる気だ?」

『先生が追っかけてこなくなるまでっす』

塀や民家の影を使いながら走るけれど相澤くんを撒ききることができない緑谷くんは息を切らせてはいないものの汗を流していて、ぐるぐると続けられた鬼ごっこはあっさりと終わりを告げる。

『ちっ』

走り込んだそこが行き止まりで緑谷くんは舌打ちを零すとすぐさま飛んできた捕縛帯を避けた。

「一騎打ちといこうか、緑谷」

『勘弁してください、よっ』

捕縛帯をおさめて蹴りかかる相澤くんに反応して体をずらし、避けざまに腕を振るう。戦闘に切り替えたらしい二人の動きにじっと隣の二人が画面を眺めた。

「……緑谷くんが個性を使うとしたら、どのタイミングですかね」

「彼がどんな意図で個性の所持を隠しているかわからないことには何も言えないけれど…窮地に陥れば…あるいは…」

二人の言葉に口を閉じる。緑谷くんが個性保持者である可能性はオールマイトより聞いていた。この話を聞いているのは校長の僕と担任の香山くん、そして訓練を見ている相澤くん。

今回の急な対人訓練は、彼の限界値を調べることはもちろん、彼がどのタイミングで個性を使おうとするか、そして、その使用方法を確かめることにある。

オールマイトから聞いた緑谷くんの個性使用したときの目的と言動は危険性が高い。もしも彼が本当に倫理観に欠けた行動を取るのであれば、今後の動きを考えなくてはいけない。

相澤くんとの対戦は膠着状態に近く、手加減しているとはいえ捕縛帯などを使って戦う相澤くんに緑谷くんは手足、体全体を使って迎え撃つ。

「あの子、攻撃をさばき慣れてるね」

「一体どんな訓練を普段から行っているんだか…」

相澤くん無理させてないわよねと眉根を寄せる香山くんにオールマイトは大丈夫だろうと高らかに笑う。

緑谷くんの放った蹴りを相澤くんが避ければ背後にあったブロック塀が崩れた。手を伸ばし、ブロック塀の破片を掴んだ緑谷くんが相澤くんの顔を狙って投げつけ、相澤くんが捕縛帯で弾いたその死角からアッパーをかます。

相澤くんがのけ反って避け、笑う。

「ほう。ようやく体が温まったか?緑谷」

『どこが…?手足重いし動きづらくてありゃしません』

緑谷くんは垂れてきた汗を乱雑に拭った。

「ええ…?あの子顔面に当てる気満々じゃなかった…?」

「…かなり実戦形式だね」

ずっと足を引いた音がして、緑谷くんが静かに息を吐くなり相澤くんを見据える。

『ちなみにギブアップってありですか?』

「あるが、ギブアップしたなりのペナルティを覚悟しろ」

『どっちも辛いやつかぁ』

目を細めた緑谷くんは唇を結んで、右手を左手に触れさせる。グローブのスイッチを押した緑谷くんは肘の方まであったグローブの形を変えて、左手のグローブのを手首の丈まで縮めた。

「ギブアップはしないのか」

『ええ、まぁ。とりあえず』

「なら…」

放った捕縛帯に緑谷くんは近づくように走り込んで、開かれてる足元、床を滑って股下を抜ける。

緑谷くんはそのまま転がって立て直すと走り出す。

「おや…?」

距離を置こうとしてる緑谷くんに相澤くんも体を反転させて走り追いかけはじめた。

「どうした、緑谷。先程よりもスピードが落ちてるぞ」

『そりゃ、疲れてるんでっ!』

振り返った緑谷くんが近くにあった外置きの花瓶を投げる。

「二度も通じんぞっ」

先ほどと同じように死角に入り込んでいた緑谷くんに想定していたのか相澤くんがすぐさまそちらを見て、緑谷くんは右手で持っていたそれを左腕に突き立て、横に引いた。

「は、」

驚いたように漏れたのは誰の声か。

溢れ出た赤色を振り、相澤くんの目元に浴びせる。目潰しを食らった相澤くんがすぐさま身を引こうとして、捕縛帯を掴んだ緑谷くんは遠心力を用いて横に振り回し、相澤くんを民家へと叩きつけた。

『あー…いってぇ…』

「っ、」

左腕を押さえる緑谷くんは笑っていて、目に血が染みるのか眉根を寄せてる相澤くんは短く呻いてから叩きつけられ寄りかかっていた民家の壁から離れ立ち上がる。

「なに、考えてるんだ、お前」

『あははっ、せんせぇ、俺は敵ですよ?…逃げ切るためなら死ぬ以外なんでもやるに決まってるじゃないですか』

まだ視界が鮮明じゃない相澤くんに追い打ちをかけるように近くのものを複数個投げた緑谷くんは床を蹴る。

防戦に走る相澤くんに作業のように拳を振るう緑谷くん。止血もしていない腕からは赤が飛び散って香山くんが口元を押さえた。

「なんてことを…」

「…猟奇的だね」

オールマイトが苦悶の表情を浮かべる。画面からは目を逸らさずにリカバリーガールへ連絡を入れ、戦況を見守る。

「くっ、お前、何を考えてるんだ」

『…今回の訓練、隠れてやり過ごすのが一番平和的で安全。次は距離を取って撒いて隠れる。これも遮蔽物が多ければ最善。でもここは民家ばかりで室内にも入れない。一度見つかって交戦してしまえば接近型の俺は貴方から距離を取れない』

振るわれた捕縛帯を難なく避けた緑谷くんは相変わらず接近したまま腕と足をフルに使って攻撃を仕掛ける。

『今までの流れで貴方を引き離せないことは重々理解しました。それなら戦うしかないけど、正攻法じゃ俺が負けるのは通り。なら、せっかく敵なんだ。邪道に走るしかないですよね』

「…それが自傷の理由か」

『目くらましできれば何でも良かったんで』

近すぎる距離故に相澤くんが捕縛帯を使いづらいことを理解してるのか、緑谷くんは次々と攻撃を繰り出して息つく間もない。

歯を食いしばった相澤くんに緑谷くんは高めに足を振るい、視線を誘導したと思えば即座に屈んで足を振りぬく。

「っ」

直撃とまではいかずともつま先が顎に掠ったのか短く唸った相澤くんは、すぐさま捕縛帯を天に投げ、宙に浮いて向かいの民家、屋根の上に膝をついた。

『やっと、入った』

脳が揺れふらつくのか口元を押さえる相澤くんに立ち上がって目を細める緑谷くんは口角を緩く上げる。

『……先生、俺の限度を見たかったんなら時間が足んなかったですね』

「、もしかして」

オールマイトが目を見開いたと同時に響き渡るブザー音。訓練終了の合図に相澤くんは舌打ちをかまして、緑谷くんが腰を下ろして地面に座り込んだ。

『あーっ、疲れたぁーっ』

もうやりたくねーと息を吐く緑谷くんからはぼたぼたと汗が垂れている。

「香山くん、リカバリーガールと向かってくれるかい?」

「はい!」

訓練場へと走っていく香山くんを見送り、画面に目を戻した。

屋根から降りてきた相澤くんはまっすぐ緑谷くんに近づくと捕縛帯を腕に巻きつけて止血を始める。

「お前、本当に何を考えてるんだ」

『ガチで逃げることしか考えてませんでしたよ?』

「自傷に走る馬鹿があるか」

『別に筋も傷つけてないですし表面軽く裂いただけですよ』

「………………」 

ぎっと睨みつけられてそれでも笑う緑谷くん。その顔に相澤くんの手が振り上がって、あ、とオールマイトが声を出したタイミングで拳はまっすぐ頭に振り下ろされた。

『い゙ってぇっ、なにす………』

急なことに避ける間もなかったのか緑谷くんの頭にヒットした拳。眉根を寄せて声を荒げようとした緑谷くんに相澤くんは歯を食いしばった。

「お前はなんでそんなにも自己保身への意識が低いんだ。お前のことはお前にしか護れないのに、自分を危険に晒すことに抵抗がなさすぎる」

『は、?』

「体育祭のあの言動でアンチをどれだけ増やした?ネットでどれだけ叩かれてる?街中でいくつの好奇の目を向けられた?俺を直接制圧することを試してもいないのにどうして諦めた?自傷なんてしなくても砂でも泥でも代わりはあるのになぜ血を使った?」

饒舌に問いかけてくる相澤くんに緑谷くんは固まって目を丸くする。オールマイトもあんなに怒っている相澤くんを見るのは初めてなのか唖然としていて、相澤くんは唇を強く横に結んだ後に言葉を絞り出した。

「頼むから、緑谷。お前はもっと自分を大切にしろ」

『は、へ、』

「お前がそうやって身を投げ出せば心配する奴も悲しむ奴もいるのが理解できないのか。いつお前が死ぬかもわからない状況に恐怖し続け、そして、万一があったとき、止められなかった自分を悔いる人間がいる。置いていかれる人間の気持ちを考えろ」

『……そんな、のは、ただの憶測で、』

「…本当に周りが見えていないのか。居ないわけがないだろう」

「緑谷くん!!」

聞こえたてきた声に緑谷くんがはっとして顔を上げた。走ってきたのだろう慌ててる香山くんとリカバリーガールに、相澤くんが立ち上がって距離を取り、捕縛帯を解く。

現れた傷口にリカバリーガールが怒髪天を衝くほど目尻を上げて説教を始め、香山くんも怒る。

「出留!」

『……あ、人使のほうも終わったんだ?』

「終わったんだじゃない!なんでそんな怪我!!っ〜!この馬鹿っ!」

『え、ちょ、痛っ、なんで??』

事情を聞いていたのかもしれない。汗まみれで疲れた顔の心操くんも傷口を見るなり顔を真っ赤にして怒りながら緑谷くんの肩を叩く。ついてきていたエクトプラズムくんが首を横に振って全くと息を吐いた。

一気に賑やかになった画面の向こう側に怒る三人と眉根を寄せてる二人、それから当人なのに理解ができていないのか困惑した人間がいて、一度目を閉じてずっと持ったままだったカップに口づけた。

「彼は、倫理観も危機感も足りていないね」

「ええ…このままでは相澤くんの言うとおり、いつか大惨事を招きかねません…」

「……そうならないために僕たち教師がいるのさ!彼との時間はこれからまだたっぷりある。焦らず、じっくりと原因を暴いて丁寧に向き合っていこうじゃないか!」

「……そうですね」

常に一緒にいたはずの弟や幼馴染とはまた違う、人や動物が生きる上で本能的に身に着けているはずの感覚の欠落。口ではそう言ってみるもこれは根が深いかもしれない。

本能的に備わってるものが足りてないとすれば、それはあの子が生きるために選んで捨てたことになる。どうしてそうする必要があったのか、それがわからなければ改善は難しいだろう。

教師と啖呵を切ったのに情けない話ではあるけれど、これは彼の身内にも協力をしてもらわなければならないだろう。

「それでは根津校長、私は一度この辺で失礼します」

「うん。またあとで、よろしく頼むよ!」

警察との会議があるというオールマイトを見送り、一人残されてじっと画面を見つめる。

いつのまにか止血は終了して治癒も施されたのか腕には白い包帯を巻いてる緑谷くんと怒りすぎて疲れが一気に襲ってきた様子の心操くんは二人で肩を預けて眠っており、エクトプラズムと相澤くんが仕方なさそうに抱えて運び始める。

鳴った携帯を取って耳に当てた。

「根津校長、とりあえず二人とも保健室で休ませてきますが、お話なさいますか?」

「いいや、今はまだ早いから僕は遠慮しておくよ。香山くんも、今日は時間を割いてくれてありがとう」

「うちの子たちのことですから。お気なさらないでください。それではまた後ほどに、失礼します」

切れた通話に息を吐く。

身近にいる相澤くんと香山くんが話して声が届かないのなら、僕の声はもっと遠く、響かない。

「たくさん考えて、最良を見つけよう」

このあとは直接対峙した相澤くん、それから観戦していた僕たちとで作戦会議を開くことになっている。

目下の議題は緑谷くんのことになるだろう。

先ほどの仲良く肩を並べて眠っていた姿を思い出す。心操くんとの訓練を通し、何か一つでも彼の世界が広がれば良い。彼の世界はとても狭い。弟と幼馴染との狭い世界で生きている。そこに少しでもヒビが入れば彼は変わるはずだ。

まだそれがいつになるか、そしてどのように変わるかは検討もつかないけれど、それまでの間は相澤くんと香山くんが目を離さないだろう。

着々と強固になっていく監視の目に彼はいつ気づくのか。敏い彼のことだから、あっさり気づいて逃げようとしてしまうかもしれない。

先の見えないそれに息を吐いて、誰もいない訓練場が映るディスプレイの電源を落とした。



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