ヒロアカ 第一部


聞こえる振動音に眉根を寄せて、目をつむったまま手を伸ばす。いつもと同じところに置いてある携帯を掴んで、仕方なく瞼を上げ確認すれば人使から体調を窺うメッセージが来てた。

『だいじょうぶ…と』

追加で今日もよろしくと打って送ればすぐにスタンプが返ってきた。

欠伸をして携帯を左手に握ったまま右腕に力を込めて腕の中のものを抱え込む。鼻先を金色に埋めて息をしていれば首筋に舌が這って、むず痒いそれに思わず笑った。

『狸寝入り?』

「いまおきた…」

『はい、水』

「ん」

寝起きにしてもいつもより掠れてる声に手を伸ばしてベッド横のペットボトルを取る。二人で水分補給をして、ペットボトルを置いたところでまた抱きしめ直す。

『あー、今日の訓練憂鬱』

「先生気合い入れてくんだろうな」

『ね。マジ課題クリアできる気しねぇ』

「ちょうどいい機会だろ。今度あっちの方は手伝ってやんから体力の限界見っけてこいや」

『ん〜』

「大丈夫だ」

背に回された右手、胸元に押し付けられた顔に首に毛先があたる。

「出留が本気出したって誰も怒らねぇし、離れねぇ。先生だって態度を変えたりしねぇわ。出留は出留のしたいようにしろ」

『………うん』

鼻先を髪の毛に埋めて息をする。ふわふわした毛が少しくすぐったくて、堪能しているうちに鎖骨のあたりへ小さな痛みが走ったことに驚いて離れた。

『勝己?』

「気合い入れてけ」

『…ん、へへ、マジかぁ。ありがとぉ』

またくっつき直して今度は前髪を上げて狭い額に唇を寄せる。リップ音を四回立てたところで背中をばしりと叩かれた。

「さっさと着替えていけや。時間ねぇだろ」

『えー、もうちょっと』

「あ?駄目だわ」

『……はぁい』

もう一回唇を寄せて、ちょっとだけ吸って離れる。前髪を戻してあげてから離れて起き上がった。マットレスの上であぐらをかいて座り、腕を伸ばして身体をほぐす。

『あー』

「体調悪くねぇか」

『まーったく。気分最高』

「そーかよ」

ごろりと寝返りをするように体を動かして、伸ばした手で昨日のうちに用意しておいた洋服を掴むなり俺に投げる。受け取ってジャージに着替えた。

『じゃあ用意してくるねー』

「ん」

寝転んでる勝己の頭を撫でて立ち上がる。

『何食べる?』

「楽に食えんもん」

『おにぎりで許して?』

「ん」

ぽすりとまた枕に顔を押し付けて倒れた勝己に部屋を出る。

キッチンでおにぎりを作り、ついでに卵焼きを作り、横でソーセージとオクラを焼いておいた。軽い弁当のような内容になったものの、まとめてそれを皿に乗せてラップに包んだおにぎりも添える。

扉を開けて戻れば勝己は先程の姿勢で眠っていて、微かに寝息が聞こえた。棚の上に皿を置いて横に座る。

髪を撫でても起きない勝己の横で作ったばかりの食事を取って、ラップをかける。支度を終えても起きない勝己にまた髪をなでた。

『行ってきます』

もう一回額に唇を寄せて家を出る。一昨日訓練に向かったときとは全く違う晴れた気分に足取りも軽い。

鼻歌でも歌い出せそうな気持ちにいつもより早く歩いてたのか電車も一本早いものに乗れた。携帯でニュースを確認し、学校に向かう。たどりついた控室にはまだ人使の姿がなく、いつもの場所に座ってグローブとブーツを纏った。

音がして顔を上げれば目を丸くした人使がいて手を上げる。

『おはよ』

「おはよう…早いな」

『一本早い電車に乗れたからね』

「そうか…体調どうだ?」

『大丈夫。あと、これもありがとう。毎回タオル汚してごめん』

「気にしないでくれ」

笑った人使がタオルを受け取ったところで同じように人使も荷物を置いて捕縛帯を纏う。二人で準備を終えて並んで訓練場に行けばすでに来ていたらしい先生が顔を上げて、人使と俺を見据えた。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします」

『おはようございます。この間は申し訳ございませんでした。また今日からお願いします』

「ああ、おはよう」

先生は持っていたタブレットを置いて、ちらりと向こう側を見る。視線につられて見たそちらには扉しかなくて、俺と人使で顔を見合わせて首を傾げた。

「今日は準備運動しないのか」

「あ、えっと」

『俺はいいよ?鬼ごっこする?』

「大丈夫か?」

『もちろん。やろやろ』

心配そうに下がった眉尻に背を叩いて押す。ならと頷いた人使に、先生が俺たちを手招いた。

「今日からこれをつけて一日活動してもらう」

「これは…?」

差し出されたのは黒い円柱で真ん中に穴が空いてる。目を瞬いた人使に先生は持ち上げるとスイッチを押して、円柱が半分に分かれた。

「これは重りだ」

「重り??」

「筋トレしてるならウェイトくらい聞いたことあるだろう。最近は二人とも余裕が出てきているからこれを両手足につけてもらう」

「そ、そうなんですね」

「安心しろ。重さは現状の筋力にあったもので用意してる。こっちが心操、こっちが緑谷だ」

「あ、ありがとうございます」

「作ったのは発目だ。貸出品だから壊さないように」

『発目さん、先生にも売り込んでるんですね』

「生徒の作品でも出来が良ければ平等に取り扱う」

人使のあとに渡された重りは四つ。急に来た重みに目を見開いてすぐ顔を上げれば、先生は口角を上げてた。

「今日は心操はこれをつけて緑谷を捕まえるのが目標だ。逆に緑谷は誰にも捕まらないことが目標。お互いに本気で達成するように」

「これをつけた状態で…出留を捕まるんですか…」

「心操、そろそろお前も自信を持て。過信は厳禁だがお前は緑谷は別格と見上げすぎてる」

「う、」

「こいつも人間だ。この間熱中症で倒れたように限界がある。お前の手の届く範囲にいる」

「っ、がんばります!」

先生に鼓舞されたことで唇を結って頷いた人使はしっかりと手足に重りをつけて、一度捕縛帯を振って動きを確認する。

その間に先生が俺を見た。

「わかっているな、緑谷」

『流石にこれは急すぎません??』

「お前の筋力、体格で考えれば軽いくらいだ。むしろ初回で手加減してやってる」

『えー、スパルタですね』

「なんとでも言え。…体調が悪くなったならすぐ言うように」

『はーい』

俺も仕方なく重りをつける。両手足に存在する重みに眉根を寄せて、腕を上げたり足を動かしてみて、息を吐いた。

『重いです』

「慣れていないだけだ。心操に捕まったらこの後オールマイトとの模擬戦をやらせるからな」

『え、勘弁してください』

「なら捕まるな」

『無茶振りすぎません??』

「俺はできないことは言わない」

眉根寄せ睨まれれば息を吐いて頷くしかない。

ちょっと予定を変えて、先に筋トレをする。いつも以上に重い体に少し勝手が悪いなと思いつつ、そのうち重みに慣れて、準備を終えたから人使と向かい合って、お互いに5mほど離れた状態で顔を合わせる。

「よしっ、いくぞ、出留」

『おっけー』

返事をすれば捕縛帯が飛んでくるからいつものように走って逃げる。

慣れたつもりでいたけれどやっぱり重い体に舌打ちを零して、いつもより力を出して捕縛帯を避けていく。普段よりも体が跳ねないから滑り込んで下を抜けたり壁を蹴って動いて、流れてくる汗にまた舌打ちが零れた。

人使は人使で本気で投げているらしく、いつもよりもむしろキレが増していてスレスレを飛んでくる捕縛帯に息が上がる。

右から、左、もう一度左。飛んでくる捕縛帯を避けて、踏み込んできた人使が腕を振るった。

鬼ごっこ故に反撃はたぶんしないほうがいい。でも、オールマイトとの模擬戦はしたくない。

屈んで、足を上に振りぬく。

「っ!」

触れない距離ではあったけど、予想通り驚いて仰け反った人使がすぐ立て直せないのを見越して足を下ろし距離を取った。

「び…くりし…た……」

仰け反りバランスを崩したことで腰を床につけた人使が見上げるように目を丸くしているから近寄る。

『ごめんな』

「へ、平気だ…」

ぱちぱちと目を瞬いてから大きく息を吐いて、人使が項垂れた。

「あーー、いけたと思ったのに…」

『本当、体力ついてるし今のは危なかったよ』

「くそっ、出留やばすぎる…」

ぱたりと背を倒して呼吸する人使は汗をかいているから向こう側からタオルと飲み物を持ってくる。その頃には起き上がった人使にタオルと飲み物を渡して、俺もマグに口をつけた。水分補給をし、汗を拭いながら息を吐いて、重りに視線を落とす。

思ったよりも肝心なところで動きに支障が出る。反撃ありならば打撃に力が乗せやすくなるからいいけど、対人使に関しては逃げるのにこれは邪魔で仕方ない。

いつの間にか寄せてた眉間の皺をため息で散らす。

そのまま右手を伸ばした。

「ありがとう」

掴まれた手のひらに力を入れて引っ張り上げる。立ち上がった人使はそれにしてもと腕をあげた。

「結構重いな」

『ホントな』

「また最近なかった筋肉痛で眠れなくなるかもしれない…」

『あー、わかる』

妙に張った感覚のある腕を一瞥してから二人で息を吐けば、扉の開く音がして顔を上げた。

「スマナイ、遅クナッタ」

「やぁ!お待たせしたね!」

『、』

「エクトプラズム先生に校長先生…?」

現れた黒色と灰色に目を丸くする。相澤先生が迎え入れて二三、話したと思うとこちらに向き直った。

「今日の訓練は対人戦だ」

「き、聞いてないです…」

「言ってないからな」

『まじっすか…』

「敵が丁寧に今から壊しますと宣言してくるわけないだろう。どんな事態にも対応できるように柔軟に考えるように」

「は、はい」

慌てて返事をした人使は目に見て動揺してる。心細そうに捕縛帯を抱える姿に校長がにこやかに笑った。

「そう身構えないでおくれ!対人戦といっても君を袋叩きにするつもりはないさ!今回、心操くんはより多くの経験を積んでもらうために多対個の訓練、エクトプラズムくんの相手をしてもらうよ!」

「え、俺が…?出留じゃないんですか?」

「緑谷の相手は俺だ」

『………まじかぁ』

にんまり笑った相澤先生に手足の重みを感じて息を吐く。思えばこの重りを渡してきたとき、先生は人使に伝えた言葉と俺に伝えた言葉が少し違かった。

『今日は先生にも捕まらないのが目標ってことですか…』

「察しがいいな」

「うんうん!大当たりさ!心操くん!緑谷くん!存分に力を発揮しておくれ!」

「はいっ」

『はーい』

あまり近くで戦っても危ないからと人使とエクトプラズム先生が隣の部屋に移り、校長はどちらの部屋も確認が取れるモニターがおいてあるという監視室に向かう。

俺と相澤先生も別の場所に向かうそうでついていく。長い廊下を抜けて、開けた場所にたどり着き目を瞬く。荷物はそこに置いとけとロッカーを指されて水分補給をしてから顔を上げた。

少し離れたところにいる先生は両手足に俺達と同じような重りをつけて、捕縛帯を腕に巻き、靴の先を床に叩いて感覚を確かめる。

「緑谷、この間言ったことは覚えてるな」

『限度を見つけるんですよね』

「ああ。そのために俺は攻撃の手を止めないで常にお前を捕まえるために動く。緑谷は捕まらないよう逃げろ。この間同様、反撃は許可する」

『はぁ』

曖昧に頷けば先生は顔を上げてじっと俺を見据えた。

「君が一対一の戦闘以外にも大人数との戦闘にも心得があるのは知ってる。通常の模擬戦をしたところでいつもと変わらないだろう」

『そんなことはないと思いますけど…』

「ところで緑谷」

『はい』

「一年A組が初めてのヒーロー基礎学の授業でどんなことをしたか知ってるか?」

唐突な話に首を横に振る。先生はそうかと頷いた。

「最初の授業は二対二のヒーロー役と敵役に別れての戦闘訓練だ」

『そうなんですか』

「ついでにもう一つ、ヒーロー科の期末試験の詳細は聞いてるか?」

『いいえ、特に…出久と勝己がオールマイトと戦ったとしか』

「期末試験では生徒二人対教師一人。君たちと同じように脱出するか手錠をはめるという内容だった」

『…………なんで、そんな話を急に?』

「察しはついてるだろう」

『…俺と先生、どちらかが敵役になって期末試験の再現をすると…?』

「そのとおり。今回の場合逃げる緑谷が敵役。追いかける俺はヒーロー役だ。緑谷の勝利条件は捕まらないこと。そのためには俺に反撃するも良し、隠れてやり過ごすも良し。制限時間は設けてあるし現地にあるものは好きに使うといい」

『随分と高待遇ですね』

「俺は教師でプロのヒーローだ。それなりのハンデを用意するのは当然だろう」

『なるほど。それで先生も重りをつけてるんですね』

「そのとおりだ。俺は期末試験と同じく自身の体重の半分の重りをつけてる」

『そうなんですね』

先生は説明と準備を終えたのか手を下ろして、俺をじっと見る。

「五分後に開始する。好きに動け」

『はーい』

出入り口の頭上にあったデジタル時計がカウントダウンを初めて仕方なく市街地を模した訓練場に走っていく。

敵役と言われても俺はどんな罪をおかして逃げてるのか、それにもよって俺の出方は変わる。手元に何もないことから強盗ではないだろう。一人ででき得る犯罪。

『…殺人か傷害が妥当かなぁ』

周りは住宅地らしく家の近所と同じような民家が立ち並んでる。電柱も立っており電線も張り巡らされていて、先生の身軽さから考えれば上からの追走、捕縛も視野に入れておくべきだろう。

近くの家の出入り口になりそうな窓や扉に触れてみるけど鍵がかかっているのか開きそうにない。

ビーっと大きく響いたブザー音に五分経ったかと路地裏で息を吐く。

なにが隠れて過ごしてもオーケーだ。私有地内に入れない時点で隠れられる場所なんて限られてるだろう。

向こうが用意した場所なんだから隠れられる場所も把握されてるはず。

耳を澄ます。しゅるりと独特の音が少し離れたところ、上から聞こえておそらく先生は頭上を移動してる。

住宅地は上からだと死角が少ない。

時間が経てばすぐさま見つかる。

隠れることは難しいし、このまま棒立ちも厳しい。

『つか、俺の勝利条件限られてね…?』

期末試験のときと違って手錠がないから俺が捕まえることはできない。ゴールもない。逃げると言っても時間目一杯逃げるのはかなり負担がでかい。

微かに聞こえる足音に仕方なく走り始めた。



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