ヒロアカ 第一部
『おはよ』
学校について更衣室に入る。すでにいた人使に声を掛ければ顔を上げて、目を丸くした。
「おはよう。出留、………この間の…大丈夫だったのか?」
『俺はなーんも。勝己はちょっと目の上切っちゃったけど痕も残らないで治るみたい』
「そうか…」
挨拶もそこそこに心配されて苦笑いを浮かべながら腰を下ろす。
ヒーロー到着からすぐに現れたマスコミたちにより、あの事件はその日の夕方のニュースを占領してた。雄英生が巻き込まれてたと個人情報保護の概念なんてあっさり忘れられて大々的に報道されて、察しのいい人間ならニュースの映像や回ってきた連絡に誰が巻き込まれたかなんて想像がついただろう。
人使の心配そうな目に笑って手を振って、グローブを取り出す。
『出久も勝己も元気だし、俺に至ってはなんも被害受けてないからそんな気にすんなって』
「…………」
どうしてか晴れない表情に体の向きを変えて目を合わせる。
『どうした?』
「………この間、俺がフラグたてたせいかと思って…」
『あー、あの帰った日のこと?そんなことで事件なんて起きないって。人使は心配症だね』
「………………」
『まぁでも心配してくれてありがと。ほら、時間になるし、初回から先生待たせんのも印象悪いから行こう』
「ああ…」
無理やり話を切って立ち上がる。人使はもうすでに支度を終えていたからそのまま二人で部屋を出た。
見慣れた廊下を歩いて、ノックしてから開いた扉の向こう。まだ先生は来てないのか黒色の人影はどこもなく、人使が顔を動かして周りを見たあとに俺を見た。
「…、」
言い淀んだのは俺の体調が本当に万全か心配してだろう。笑って一歩離れる。
『ねぇ、よかったら準備体操付き合ってくんない?』
「、ああ…!」
『じゃ、とりあえず鬼ごっこでもしようか』
「準備体操の範囲で済ませてくれよ…?」
口元を引くつかせ笑顔をゆがめた人使に笑顔だけ返して、ブーツの感覚を確かめた。
『んじゃ、準備はおっけー?』
「ああ、すぐにつかまえてやる」
『あははっ、お手柔らかに頼むよー』
よーい、スタートの掛け声と同時に人使がまずは左腕を振って、飛んできた捕縛帯を避けるように走り出した。
じっと二人の動きを眺める。準備体操の一環として、いつからか勝手に始めた鬼ごっこと称したそれは、毎回緑谷が逃げ、心操が追いかけていた。
捕縛帯が舞う。たまに腕や足を使っている心操に、緑谷はすべて避けて反撃をすることなく走って距離を取り逃げる。
どれぐらい走っているのか心操はそれなりに汗をかいて息が乱れ始めているが緑谷は余裕そうで、心操のペースを見ながら逃げている。心操が投げた捕縛帯を掴んで、緑谷が足を止めた。
『じゃこの辺で終わりにしようか』
「っ、はぁー」
しゃがみこんだ心操に緑谷は捕縛帯を持ったまま近づいていって笑う。
タオルと飲み物を渡して休憩させ、当人は涼し気な表情であることに心操は悔しそうに眉根を寄せ、緑谷は隣に座ると講評を始めた。
捕縛帯を投げるスピード、正確さはこの間より良くなってる。体力もついてきたのかだいぶ鬼ごっこが続くようになった。夢中になると標的しか見えなくなって壁にぶつかりかけてるので周りを見るように。
客観視したコメントに心操は頷く。周りから見ていたならまだしも走り回り心操の相手をしながら的確な指摘をする緑谷は本当に視野が広い。
「早く出留ぐらい動けるようになりたい」
『夏休みの目標だね』
「一ヶ月でできるか…?」
『人使のやる気ならいけるっしょ』
「やる気だけでできたら苦労しない…」
『やる気がなきゃなんも出来ないからやる気は重要だよ?ほら、勝己なんてやる気に満ち溢れてるし』
「彼奴は向上心の塊だろ…」
『一生懸命で可愛いよなぁ』
「出留の感覚がよくわからん…」
口元を緩ませた緑谷に心操が呆れたように笑う。
二人の様子は夏休み前の訓練時と全く変わらない。
足を進めていけば緑谷の視線が上がり、つられて心操もこちらを見た。
『おはようございまーす』
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
立ち上がった二人に今日のメニューを伝えて、まずは体力づくりの筋トレに入る。その後は心操は捕縛帯の操縦訓練、緑谷は組手の予定で、仲良く筋トレを始めた二人を見据える。
心操の様子からしてきっと緑谷のあのことは知らない。緑谷も何一つ匂わせない態度をしていて、寄ってしまっていた眉根を指先で押して解した。
「相澤くん、少しいいかい?」
聞こえた声から察していたものの、顔を上げれば予想通りオールマイトが立ってる。緩く口角を上げ、左手を振る姿に息を吐く。
「なんですか」
「ちょっと聞きたいことがあってね。お茶でもどうかな?」
「ここじゃ話せないことですか」
「そういう訳でもないんだが…君働き詰めだろう?休憩しに行こうよ」
「はあ」
仕方なく立ち上がる。職員室を出て、途中にある自販機で飲み物を買い近くの相談室に入った。使用中にマークを変えて鍵を締めたオールマイトは迷うことなく椅子に座って、立って眺めてた俺を座るよう急かす。
向かい側に腰掛ければオールマイトは買った缶を開けて口をつけた。
「やっぱり缶のお茶は美味しいね!」
「それで、俺に聞きたいことってなんですか」
「性急だなぁ。もっとこう、雑談しようよ!」
「時間の無駄でしょう」
「君ってほんとに…」
わかりやすく息を吐いたオールマイトは缶を置いて手を組む。視線がすっと上がって窪んで影を作り暗い目元から強い眼差しが俺に向けられた。
「君が面倒を見ている子についてだ」
「誰の話ですか」
「相澤くん、訓練をつけている子がいるだろう?」
「………別に贔屓しているとかではありませんよ。二人とも正式な申請をしているわけですし、贔屓で言えば貴方の緑谷への肩の入れ具合がひどいですからね」
「そこを指摘されると心苦しい…。別にそういう心配とかお叱り的なことじゃなくて…ううん、その緑谷少年の…お兄さんの話なんだ」
「緑谷の兄がなにか?」
唇を一度結ってからオールマイトが首を傾げる。
「夏休み始まってすぐのショッピングモールの話は聞いてるだろう?」
長期休暇に入っているとはいえ所属する学校のしかも担任であった俺には警察から概要報告が届いていたから頷いた。
「A組生徒の一部が巻き込まれたやつですね。貴方が最近解決したばかりの事件でしょう。緑谷、爆豪、轟が迎撃のために個性を使用したと報告は受けています」
「うん。それね、…実は違うんだ」
組んでいた手に力が入ったオールマイトは目を逸らしてから手を解いてお茶を飲み、また組み直す。
「たしかに、何故か敵に狙われていたらしい爆豪少年と緑谷少年、そして援護のために轟少年が個性を使用して打開をはかっていた。そこに私が到着したところまではおそらく報告の通り。解決したのは私じゃない」
「つまり?」
「私が現場に駆けつけたとき、敵の個性で動けない状態にされてしまってその間に敵が緑谷少年と爆豪少年に危害を加えようとした。次には、自身の喉から胸のあたりを押さえて苦しそうに地面に転がったんだ。呼吸困難に陥っていたんだろう敵は話すこともできず藻掻いて、ものの数秒で意識を飛ばした」
「え」
「A組生徒の個性は把握している。誰の個性でもそんなことはできない。周りを見渡すより早く現れたのが緑谷少年のお兄さんだ」
「………緑谷がそれをやったと?」
「ああ。受け答えは正常で誰かに操られていたような様子もない。それどころか、個性の解除を求めたときに彼は応じずそのまま敵の息の根を比喩ではなく、その通り止めようとした」
口元に手をやって、眉根を寄せる。
オールマイトの話が本当ならば、緑谷は個性を保有していてコントロールもかなりの精度だろう。
「呼吸困難に陥らせる個性…貴方の見立てではどのような個性と?」
「空気を操るものかとは思うが…詳細が全くわからない。彼に言及しようとしたけれど無個性だとはぐらかされてしまった」
「そうですか」
緑谷が個性を持っていて、それを隠す理由を考えてみるが見当たらない。そもそも彼奴の思考回路は謎すぎる。
息を吐いて内容を散らして、前を見た。
「その事件、どうやっておさまったんですか?」
「緑谷少年と爆豪少年が直談判したことで止まったよ」
「あの二人が?」
「ああ。私が言ったところで反応はなく、敵の命も危うかった。どうしたものかと思ったところで爆豪少年が呆けている緑谷少年を叱咤して、緑谷…青年の胸ぐらをつかんで、いつもどおり爆豪少年が怒って緑谷少年がお願いしたところでようやく緑谷青年が個性をおさめた」
「…………」
「その後咎めようと思ったんだけどね。無個性だと言って、それを緑谷少年も肯定してた。ただし、爆豪少年だけ目をそらしてね。彼は何か知ってるだろうけど教えてくれやしない」
私の立場なくなっちゃうよねと笑って、それから眉根を寄せ笑みを消した。
「彼は危うすぎる。私の声は届かなかった。情けない話だけれど、…相澤くん、頼むよ」
時間くれてありがとう、何かあったら相談に乗るからねとさっさと部屋を出ていったオールマイトに息を吐いて机に肘をつく。固定された腕、開いた手のひらで顔を覆い目を瞑る。
なんのために隠しているのかは知らないが緑谷が個性を持っているのは確定だろう。爆豪は秘匿の共犯。弟は本気で知らないか、知らないふりか、どちらにしても三人とも一度話を聞く必要がある。
長期休暇に入ってからの出来事にタイミングが悪いとまた息を溢して立ち上がった。
今日は訓練がある日だから、まずは当人の緑谷に話を聞いて、それからだ。
「一旦休憩にしよう」
「っは、い」
『はーい』
聞こえた休憩の言葉が天啓に思える。その場に座って体の力を抜いた俺に出留は笑って、離れたところに置いてあったタオルと飲み物を取って隣に座った。
『はいよ』
「さんきゅ…」
腕を上げるのも億劫だったけど受け取ってマグに口をつける。持ってきておいたお茶が体に染みて、蓋をしめるなり後ろに倒れて目をつむった。
「きっつ…」
『それな。思ってた以上に詰めてきてるよね』
「前回の職業体験で課題も見えている。弱点はさっさと潰してレベルアップをするのがこれからの目的だからな」
『まだまだ序の口ってことですか』
「ああ」
「ぁ゛ー………」
『やべぇ声出てんじゃん』
初めて聞いたと笑う出留も汗はかいているけど俺ほど疲れてるようには見えない。笑いながらまだ引かずに垂れてきてる汗をタオルで拭ってくれ、なされるがままに目を閉じた。
「十五分したら再開だ。俺は一旦離れるから好きに休むように」
「ぁい…」
ちらりと時間を確認した先生が訓練場を出ていく。室内とはいえ、しっかり空調がきいていて篭ってない空気を肺に取り込んで吐き出してを繰り返し、目を開ける。
ちょうど汗を拭いきったのか手が止まって、深い緑色と目があった。
「出留…フィードバックしてくれ…」
『あいよ』
いつもどおり頷かれたから聞こうと思ってたことを一から思い出していく。
「最初の右フック…捕縛帯で視界に入ってなかったはずなのになんで避けれたんだ…?」
『見てから判断したからとしか言いようがないなぁ。あーでも、強いて言うなら………』
俺の癖を元にした新たな改善点、それから教えてもらって改良された点。聞けば一つずつに答えが返ってきて反芻しながら問いかけていく。
粗方聞き終わったところで息を吐いて眉根を寄せた。
「ほんと、出留余裕あるよな」
『そうでもないよ』
「よく見てんし、よく覚えてる」
『そりゃあ戦う相手のことはしっかり見ないと。攻撃避けられないし対策も立てられない』
「それもそうか…」
『強くなるのってよく観ることが大切らしいからね。俺も昔はいろんな格闘の動画見たもん』
さらっと零された言葉に思わず目を瞬いて、疲れを忘れて起き上がった。
「………初めて聞いた」
『ん?言ってなかったっけ?』
けろっとした顔の出留は別に隠そうとしていたわけでもなさそうだ。それならこれを機会にと聞けるだけ聞いてみることにして話題を深掘る。
「初耳。どんな格闘見てたんだ?」
『いろいろ。試合画像の多いボクシングにレスリング、柔道、空手、合気道はおすすめ。あと知り合いに近接格闘術使える人がいて稽古してもらったりとか』
「え、まじ?」
『まじまじ。中学の頃だったんだけど…いやぁ、あん時本当にキツくて。冗談抜きで数えらんないくらい意識とんだし軽く数十回は殺されたよね』
「出留の知り合いやばくね…?」
『控えめに言ってやばかった。まぁ普段から世界のあっちこっち行ってボディーガードとかしてるような人だからなぁ。あの人今頃何してんだろ?』
思い出したら元気にしてんのか気になってきたと笑う出留に頬が引きつる。
先生の訓練を受けても割と余力のある出留が意識を飛ばすなんて、絶対笑い話で済ませられるレベルじゃない。
出留が呑気に今度連絡取れるか試してみようなんて笑ったところで扉の開く音がして、増えた気配に視線を向けた。
さっき出ていった先生が歩いてこちらに向かっていて、目が合うと首を傾げられる。
「二人が雑談してるなんて珍しいな」
『ちょうどフィードバック終わったところで』
「今出留の師匠の話聞いてました」
ぱちりと瞬いて先生が目を細める。
「ほう…緑谷の師匠か…」
「近接格闘術の使い手で稽古中出留を数十回死なせたボディーガードらしいです」
「は、??」
『あー、近接格闘術も使えるだけであの人もいろいろ混ざってるらしいですけどね』
「……ボディーガードならあり得るか…?」
『あ、何でも屋としてボディーガードとかもするだけで本職は公務員らしいですよ』
「公務員が副業するな」
『あははっ、ほんとそれですね』
呆れ混じりの真顔な先生に出留は笑って返して、近くで振動音が響く。なんとなく視線を向けてしまった先には携帯があって、出留はそれを拾って音を止めた。
「休憩終了まであと五分だな」
『調子はどう?』
「ん、次こそ出留を捕まえる」
「やる気は十分らしいな」
休んだことと話したことで心拍も落ち着いて上がりすぎてた息も普段に近くなってた。先生も口の端を少し上げたから俺の返事は及第点だったんだろう。
『俺も捕まらないように頑張って逃げねーとな』
出留が先に立ち上がって、俺も隣に立つ。解いてしまってた捕縛帯を持ち直して、靴を確認して顔を上げれば先生が俺達を見据えた。
「まだ休憩時間はあるぞ」
「充分休めました」
「そうか。なら三分ほど早いが再開しよう」
「はい!」
『よろしくお願いします』
最初にみっちり筋トレをしたからさっきと同様また鬼ごっこをするらしい。鬼ごっこの前にいくつか動きの確認をしてから出留を追いかけて、少しずつ近づいてる間隔に手応えを感じながら追いかけ回す。
気づけばほぼ一日中走り回っていて、今日はここまでの声と同時に床にぶっ倒れた。
『大丈夫?』
「…………おぅ…」
『はい、横向いて。水分補給しような』
「…ん」
マグにはいつの間にかストローがさされてて差し出されるままに口を開けて吸い上げる。喉を通るお茶に、ストローが空気を吸った音が響くまで口を離せなかった。
口を開ければマグが離れていってタオルが乗せられる。ふわふわと垂れてる汗を拭われて目を閉じた。
『おつかれ』
「……ぉう………」
「大丈夫か、心操」
「…は、ぃ…」
タオルの向こう側から詰め込みすぎたかなんて声が聞こえて、短い呼吸を続ける。
「よくストローなんて持ってたな」
『倒れた相手に水分補給させる癖みたいなもので持ってきてました』
「誰が倒れるんだ?」
『勝己です。勝己も訓練しすぎてぶっ倒れるんですよね。向上心が強すぎると危なっかしくて』
余裕のない俺ではなくタオルで汗を拭ってる出留に話し掛けることにしたらしい。出留の発言は兄らしさのあるもので、先生が首を傾げるような雰囲気を出した。
「弟はそうでもないのか」
『あー、出久とはあまり訓練しないんでどうなんでしょう…?先生のほうがよく知ってるんじゃないですか?』
「ああ、彼奴も大概突っ走る」
『うちの子らしいですね』
出留の笑う声が聞こえて、落ち着いてきた息に目を開けて身体を起こす。
ずれたタオルが腿の上に落ちて、開けた視界には横に屈んでる出留と少し離れたところに立つ先生が見えた。
先生も近づいて屈む。俺の様子を見ているらしく、眉根が寄った。
「あまりにきついようならもう少しゆとりをもたせるが…」
「いえ…これからもよろしくお願いします」
「…そうか」
ほっとしたように微かに緩んだ表情。出留も安心したのか笑って、二人して俺を見る目が生易しいから居たたまれず腿の上のタオルを取ってすっかりとひいてる汗を拭う。
先生は息を吐くと立ち上がって、俺達を見据えて口角を上げる。
「二人とも、休み明けにはヒーロー科二年のレベルまで仕上げるからな」
「え、」
『はーい』
固まった俺に対して出留はへらっと笑って軽く返事をするから、思わずそちらを見た。
「出留、正気か?」
『やるならレベルアップしないとね。出久と勝己もそんぐらい強くなるだろうし』
「言うと思ったけど、ほんと基準がぶっとんでるよな…」
にこにこしてる出留に大きく息を吐けばそれで?と上から声がした。
「心操はこの目標は不満か?」
腕を組んだ先生に見下ろされる。唇を結んで、それからまっすぐ見上げた。
「いいえ。俺は…俺の憧れた、ヒーローになりたいです」
「…なら死ぬ気で努力しろ。結果を出せ」
「はい!」
手を握りしめて大きく頷けば先生も満足そうに顔を逸らす。
当面の目標が定まったことに隣を見れば出留はいつもどおり頷いた。
『一緒に頑張ろうな』
「ああ…!」