ヒロアカ 第一部
家に帰って母さんと話しながらそうめんを食べて風呂に入り、トレーニングしてくるから先に寝ててと家を出た。
持ち物はウエストポーチに財布と携帯で、駅についたところで暗がりから白い髪が揺れて現れた。
「よう、社会不適合無個性クソ野郎」
『え、なに?弔までそれ言う??』
「お前すごい叩かれてるだろ。一部で有名人だ」
『照れちゃうねー』
「サインもらっておくかな」
『まだ作ってないから考えたらね』
笑って手を取られる。入った路地裏。ぶわりと現れた黒い靄が広がって、壁にブラックホールのような穴ができる。
『これで移動できんの?』
「ああ。ワープの黒霧の個性だ」
『ワープ…すごい便利そうな個性だなぁ』
「座標が定まってないとワープ出来ないとかデメリットは多いけどそれなりに。行くぞ」
躊躇う間もなく引かれた手に靄の中へ足を入れる。浮遊感も違和感もなく、二歩ほど歩いたような感覚のあとに頬に強めの風があたった。
『すご…っ』
「お褒めいただき光栄です」
聞こえた声に視線を向ければバーテン服のようなベストを纏った人影があって、銀色補正された首元から黒靄がふわふわと漂って表情を作ってる。
目に見えて年上な空気に目を瞬けばにっこりと靄が笑った。
「初めまして、黒霧と申します」
『あ、ご挨拶が遅れてすみません。緑谷出留と申します。弔くんとは仲良くさせていただいています』
「こちらこそ、死柄木弔と仲良くしてくださりありがとうございます」
「お前ら俺のなんなんだよ」
挨拶を交わしたところで弔が呆れ顔で見てくるから首を傾げた。
『友達』
「監督者ですよ」
「…あっそ」
やれやれと首が横に振られて手招かれたから隣に立つ。高層ビルの屋上らしきここは、街が一望できた。
それなりに遅い時間にもかかわらず人気は多く、街にはたくさんの明かりが灯っていて、どこか不機嫌な顔の弔を見る。
『保須になにしにきたの?』
「……邪魔しに」
『え?誰の?』
「ムカつく俺達の大先輩の」
よくわからない台詞の後、黒霧と二歩後ろに立つその人を呼んだ。
「脳無出せ」
ぶわりと広がった黒霧さんから何かが出てくる。大きく、色は様々で焦点のあっていない目と剥き出しの脳みそに固まれば弔が笑った。
「出留は初めて見るよな」
『ああ、うん。随分個性的な友達がいるんだな…』
「友達な訳あるか」
『だよな』
「脳無、全部ぶっこわしてこい」
奇声を上げて飛んだり走ったりしていく脳無と呼ばれたそれらは街に降り立ち、悲鳴が聞こえ始める。
弔はにっこりと楽しそうに笑っていて、それから腰を下ろすと服を引かれた。
「出留も観覧するだろ?」
『俺どんな趣味持ってると思われてんの…?』
「楽しいことを共有するのは良いことだぜ?知らないのか?」
『弔はこれが楽しいんだ?』
「苦しんでる奴がいる訳ないってのうのうと生きてる奴らが慌てふためいて、泣き叫ぶ。平穏が崩れるところなんて清々するな」
『俺ものうのうと生きてる枠なんだけど』
「お前は苦しんでる側だからこっちだろ?」
服がもう一度引かれたから腰を下ろす。隣に座ってぼんやりと眺める街には火が上がっていて、奇声と悲鳴が響いてた。
にたにた笑う弔は本当に敵らしく、そういえばもう敵なんだっけと心中で息を吐く。
交友してた人間が敵になったとき、縁は切るのが正しいのだろうか
黒霧さんから渡された双眼鏡を使い何かを追いかけて見始めた弔に、膝を立てて頬杖をつく。
「あまり楽しくなさそうですね」
隣からかけられた声に目を向けると黒霧さんが読めない表情を浮かべ問いかけてきているところで、弔は双眼鏡を覗くのに夢中らしい。
『少し考え事してました』
「そうなんですね」
『黒霧さんは友達が敵になったらどうします?』
「おやおや…」
ふわりと頭部を揺らす。それから笑みで表情を繕った。
「貴方は今後の付き合いに関してお悩みなんですか?」
『そうといえばそうですね』
「一般的には縁を切る。正しい道を示し、難しければヒーローや警察へ通報でしょうか?」
『それが道徳でも習う模範解答ですよね』
「貴方の中では違う答えが出ているんですか?」
『まだ答えではないんですけどね』
一旦話を切って視線を逸らす。見据えた先の弔は楽しそうに街の様子を見ていて、きらきらした表情は小さな子がプレゼントをもらって喜んでる姿に被る。
あまりに見ていたのか視線に気づいたらしい弔が双眼鏡を差し出してきた。
「出留も見たいのか?」
『んや、大丈夫。弔が見たいやつ見なよ』
「ふーん。見たくなったら貸してやるから言えよ」
傾げられた首と手元に返っていく双眼鏡に息を吐いて笑う。
『ありがと、弔。弔はみんなにおもちゃを貸せていい子だなぁ。兄ちゃんは嬉しいぞ』
「みんなには貸さない。俺が貸したい奴だけに貸す」
『そっか』
鼻を鳴らして機嫌よく笑う。息を吐いてそこでズレた視線に赤黒く滲んだ肩を見つけた。
『また怪我したの?』
「ああ。回復キャラいないってのにどいつもこいつもぐさぐさやりやがる」
『ちゃんと保護しときなよ。化膿すんよ?』
「黒霧がしたから大丈夫…ってぇ!」
『傷口抉れてね?これキレイに治んの?シャツも着替えなよ』
「っ急に触るな、痛い」
『はぁ。痛いならおとなしくしてないと治るもんも治んないぞ』
「おやおや…」
涙の滲んだ瞳に背を撫でる。触ったと言っても傷口から遠い肩だっていうのにどれだけ深い傷なんだろう。
話してるうちに黒霧さんが笑い始めて、弔と二人で顔を上げた。
「お二人は本当に仲がよろしいんですね」
『友達みたいなものなので』
「みたいってなんだよ。友達だろ?」
「ふふふ」
黒霧さんが楽しそうに肩を揺らして、ご安心をと表情を整える。
「怪我はつい一時間ほど前に負ったばかりですので今は血が滲んでいる状態でして、手当はこれが終わりましたら行います」
『あ、そうなんですか』
「それと、死柄木弔、どうやらNo.2ヒーローがいるみたいですよ」
「はあ?マジかよ」
黒霧さんが指した方向に双眼鏡を構えた弔は肩の傷は忘れたのかレンズの向こう側に夢中になっていて、黒霧さんが俺の横に立つ。
「貴方は本当に死柄木弔と友人でいらっしゃるんですか?」
『たまに会って話したり遊んだりするのって顔見知りにしては遠いんで友達かなと』
「そうですね。…死柄木弔にとって初めての友達は貴方です。これからもぜひ仲良くしてあげてください」
『ええ』
保護者のような言い回しに頷けば靄が揺れる。
「そしてゆくゆくは弔を支えてあげてくださいね」
『はあ。まぁ敵として求められるのは困りますけど、友達としてならそれぐらいはしますよ』
「これで私も安心ですね」
『あれ?人の話聞いてます??』
穏やかに笑ってる黒霧さんに深めのため息をつく。敵というのに妙に子供っぽい弔とおとなしく柔らかな黒霧さんは相手にしてると調子が狂う。
「あーあ。脳無がどんどんやられてく。もう一体しか残ってない」
『No.2ヒーローって強いんだね』
「あの火力反則だろ。最後の一匹も逃げてんけどやられそう」
むっとした口調の弔は双眼鏡を覗きながらつまらなそうに息を吐いて、唐突にみしっと音がした。
「はぁ?意味わかんねぇ、なんでそこでお前が邪魔すんだよ、ステイン」
「おや、ステインさんがいかがなさったんですか?」
「脳無を殺しやがった。マジふざけんな」
触れたところから音を立てて砕けていく双眼鏡は一分もしないで砂になって風に飛ばされていく。不機嫌な弔は眉根を寄せたまま俺を見て手を伸ばした。両手が中指を除いて肩に置かれ見つめ合う。
「ゲームがうまくいかない」
『ゲームしてたの?』
「そう。この世界をぶっ壊すゲーム。前回も今回も失敗した。…なんでだ?」
物騒なゲームに苦笑いを浮かべるしかない。黒霧さんは笑みを携えてるだけで口を挟むつもりはないようで、仕方なく考えながら口を開いた。
『ルールがわかんないからなんとも言えないけど、まずゲームなら仲間がいるんじゃない?』
「前回は駒をたくさん用意したけどすぐ負けた」
『力量差がないんだったらレベルが低い駒じゃ仕方ないよ。レベルが高くて一つで十分な戦力になる、駒じゃなくて仲間を少しだけ集めてみたら?』
「駒じゃない仲間…?」
『そうそう。自分の欠点を補えるとか、似たような力でも弱点が違うとそれだけでだいぶ違うでしょ』
「仲間…仲間……」
短く唸って、それからぽてりと頭が揺れて力なく倒れてきた。首元に触れた額が熱くて首筋に触れる。
『弔、熱出てんじゃん』
「熱は常にあんだろ」
『これ平熱以上でしょ。傷口から細菌入ってんじゃない?あの、黒霧さん』
「ええ、ここで倒れられては困りますので帰りましょうか、死柄木弔」
「…まだ遊ぶ」
滲んでる汗を取り出したハンカチで拭って、傷口に触れないよう体を剥がして倒す。割と大きな傷を放置して、更に夜風にあたって興奮したのはよくなかったらしい。
子供らしく駄々る弔の髪を撫でる。
『また遊ぼうな』
「またって、いつだ…?」
『えーと、夏休みとかどう?』
「夏休みって、いつからだよ」
『7月の最後の方』
「長い、やだ」
流石に一ヶ月先はお気に召さなかったようで、スケジュールを思い出しながらまた髪に触れる。
『そうしたら今月最後の土曜日、朝から出かけようよ』
「朝から?」
『いつもちょっと会って終わりじゃん?せっかくだからだらだら買い物したり飯食お』
「………わかった」
『よし、予定空けるの忘れるなよ。はい、兄ちゃんと約束な』
小指を立てて差し出せば目を丸くされて首を傾げられた。
したことないのかなと俺も首を傾げて弔の左手を取り小指を結ぶ。
『ゆーびきりげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った』
手を放してあげれば眉根を寄せられた。
「いきなり怖い曲歌うなよ…」
『それぐらい大切な約束ってことだよ。遊び行くの楽しみだね。どこ行きたいか考えといて?』
「……友達と出かけたことないから出留に任せる」
『そっか。じゃあ色々考えて連絡入れんね』
「わかった」
頷いた弔が笑ったから手を貸して立ち上がり、黒霧さんを見る。見守ってたのか安心したように揺れた黒霧さんがぶわりと靄を広げた。
「お先にお送りいたします、出留さん。出口は先程いらした路地裏ですので帰り道お気をつけください」
『ありがとうございます。弔のことよろしくお願いします』
「はい」
『じゃ、弔、またね』
「ああ」
手を振って靄に足をすすめる。来たときと同じく数歩進んだところで視界が開けて、薄暗い通路に出た。
先程までの屋上とは全く違うため空気が少しこもってる。
携帯を取り出して母にそろそろ帰ると一応連絡を入れ、歩き出す。夜もそれなりに遅いためか返信はなく出てくるときに伝えたとおり先に寝てるのだろう。駅からの慣れた道を歩いて家についた。
入った家の中は静まり返っていて、母さんはしっかり眠っているらしい。靴を脱いだところで鳴りはじめた固定電話に目を瞬いて早足で向かった。
着信は見知らぬ固定番号からで、あまり鳴らしていても母を起こしてしまうかもしれないからとりあえず受話器を取った。
『はい、もしもし』
「夜分に誠に申し訳ありません。私、保須警察の佐景と申します。緑谷さんのご自宅でお間違いありませんか?」
『はあ、緑谷で間違いないですけど…警察ですか…?』
「お父様でしょうか?ご子息様の緑谷出久くんの件でご連絡差し上げました」
なんだか聞いたことのある流れに頭を押さえて、一度子機に持ち替えてその場に腰を下ろす。
『兄の緑谷出留と申します。出久に何か?』
「お母様は…」
『母は寝ております。出久は確か今職業体験中でプロヒーローのところにお世話になってるかと思いましたが…』
「ええ、職業体験中に敵の犯罪に巻き込まれてしまいまして、今は病院にて手当を受けてもらっている最中です」
『…怪我したんですか?』
「はい。刃物による切り傷を数箇所受けております。いずれも軽症にはなりますが万一に備え精密検査を受けていただいているので一日入院になります」
『………なるほど』
息を吐いて目を瞑る。保須はついさっきまでいたけれど、刃物傷というとあの脳無は関係ないんだろう。
いくつか言葉を飲み込んでから開く。
『出久は迎えに行って平気なんですか?』
「はい。いつ頃お見えになられますか?」
『すみません、母が起きてから再度ご連絡差し上げてもよろしいでしょうか?』
「ええ、もちろんです。24時間ご連絡をお待ちしておりますので、何かご不安なことがございましたらお電話ください」
『ありがとうございます』
電話を切って、俯く。目を瞑って深呼吸を繰り返して、持ってる子機を置いた。それから携帯を取り出し画面を見つめる。
熱が出てる弔は連絡しても繋がらないだろうし、勝己はこんな時間もう寝てるはずで起こすのは申し訳ないし、そう考えて一つ思いついた連絡先に電話をかける。
2コール、あと一回呼び出して繋がらなければ切ろうと思ったところで音が途切れた。
「もしもし」
眠たそうな低い声は常にそうだから眠っていたのかはわからない。起こしてしまったのなら悪いことをしたと思いながら息を吸う。
『相澤先生、夜分に申し訳ありません。緑谷出留です』
「緑谷?…どうした」
途端に訝しげになった声にもう一度謝って、纏めた言葉を伝える。
『先程保須警察から連絡をいただきまして、弟の出久が怪我をして入院したとのことでした』
「は?緑谷が?」
『詳細はまだ確認していないのでなんとも言えませんが、事件に巻き込まれたそうで、軽症ではあるようですが検査入院するみたいです』
「…親御さんは」
『母は寝ていたのでまだ伝えていません』
「父親は」
『海外なんで連絡は入れてみますけど、まぁ来ないと思います。よくあることです』
笑ってみれば向こうで息を呑むような音がした。
「………大丈夫なのか?」
『ええ、恐らく。軽症だそうなので、』
「弟じゃなくて、お前だ」
『え、俺ですか?』
目を瞬いたところで妙な間の後に相澤先生がため息をつく。
「…明日は朝から迎えに行くのか?」
『さぁ…。一応母に伝えてから再度警察に連絡してなので、それによってだと思います』
「……明日からの職業体験は休め」
さらりと言われた言葉に目を瞑って、それから笑う。
『お気遣いありがとうございます。また朝にでも連絡差し上げます』
「ああ。何時でもいい。何かあれば連絡くれ」
『ご迷惑をおかけしてすみません』
「……弟は心配だが、あまり無理をするなよ、緑谷」
『………あははっ、大丈夫です。ありがとうございます。それじゃあ夜分に本当にすみませんでした。おやすみなさい』
「…ああ、ゆっくり休め、緑谷」
電話を切って、それから頬に触れた。笑えてない口元と震える手に歯を食いしばって感情を抑え込む。
出久がまた怪我をした。軽症なら命に別状はない。いつもと同じ。俺の知らないところで怪我をして、きっとまた無茶してごめんなさいと眉尻を下げる。いつもと変わらないはずだ。
『はっ、』
よくあること。今回もよくある、出久のちいさな怪我に違いない。
勝己も一緒にいなかったし、保須じゃ離れていて俺達の知らない人が多い土地だ。
『俺が、駄目なせい、』
ぱっと携帯の画面が明るくなって、目を向ける。弔から、熱に浮かされてるのか誤字混じりのメッセージが届いていて、約束の文字を見て額を押さえた。
『ああ、うん、そうだよな。……出久は大丈夫。話は後で聞けばいいんだ。…弔と出掛けるのはどこがいいかなぁ。明日は母さんに話したら警察と先生に電話しないと』
震える手を押さえ、深呼吸をして立ち上がる。
静かに足を進めノックした扉に返事はなく、やはり母さんは眠ってるらしい。
普段通りならば六時前くらいに起きてくる母に合わせて起きればいいが、大きく跳ねて落ち着かない心臓にそのままリビングに戻ってソファーに座った。
テレビをつけて、チャンネルを回す。深夜バラエティと通販番組。何も入ってこない番組の内容に近くのクッションを取って立てた膝の上に乗せる。
弔にお大事にとメッセージを返して、それからピン留めしてある名前を開き、勝己と出久にそれぞれ短いメッセージを入れ、父さんにショートメールを送っておいた。
そのまま目を瞑りクッションに顔を押しつけて、意識を飛ばした。