あんスタ
3
アイドル課の演劇会は一種のライブと同じく一般客も閲覧可能な行事だ。年に一度のそれにファンらしい人も業界の人間も顔をのぞかせているから講堂内は犇めいてる。
「き、緊張すんなぁ」
「まーくんがなんで緊張してるの〜?」
準備のためにジャージ姿の衣更は両腕を抱えるようにして体を振るわせるから朔間くんが笑った。
「はーちゃんかっこいい!」
『うん?ありがとう』
「きぃ。あんまひっつくな。本番前に汚したらどないするん」
舞台裏はひどく混雑してた。衣装を着た俺達を含む数人。柑子は影片の衣装の最終調整を行っていて、鳴上はそんな影片の写真をもう何十枚目かもわからないくらいに取り続け、シアンは伏見、大神と一緒にシナリオの確認をしてる。
木賊と黄蘗が俺の衣装チェックを終わらせて頷くから二人の髪を撫でて、同じく終わったらしい影片に並ぶ。すでに疲れ果てた様子の影片の頭も撫でてみれば色違いの瞳がゆっくり上がった。
「な、なぁ。こうくんに確認してもろうたんけど…変とちゃう?」
『うん、大丈夫。とっても可愛いよ』
「……えへへ、ならええわ」
両手で頬を包んで俯きながら笑う。顔を覆わなかったのはメイク崩れに配慮した結果なんだろう。
もとよりきめ細かく白い肌には特に何も塗らず、長めの睫毛もクリアマスカラだけが塗られて向きを整えるだけにされてる。唯一上げるのであれば唇にピンクと紫の淡い口紅を混ぜて塗られていて、その上からグロスで保護さてれた。
襟足近くからつけられたエクステも相まってもとから可愛らしかったけど今じゃ誰がどう見ても華奢なお姫様だ。
「ふふ、お二人が並ばれると本当に絵になりますね」
「二人とも派手だからこういうの似合うんだろ。つーか、目のやり場に困んからあんまイチャつくな」
「おや、そうでしょうか?そこまで近い距離には見えませんから問題はないと思いますが…」
シナリオチェックが終わったのか、大神と伏見は俺達の近くまで来て、片や呆れ顔を、片やは微笑みを見せた。
「い、イチャついてなんか!?」
顔を赤らめた影片は大神に抗議しているようだけど全く相手にされてない。しまいに涙目で頬を膨らませて俺の洋服を引いたからなんとなく髪をなでて笑いかけた。
『ほら、せっかく綺麗にメイクしてるのに崩れちゃったらもったいないよ?』
「ん、うんん」
『大丈夫、大丈夫。洋服もメイクも影片にとっても似合ってるから』
「……そ、やな。ありがとう」
「…………………あれでイチャついてねぇって言われてもよ…」
「みかりんはあれがデフォルトだから気にするだけ無駄だよ、コーギー」
「はーちゃんも普段通りだよ♪」
にっこり笑った二人に大神は息を吐いて、鳴上が写真を撮る。どうやら学級委員の役職故に呼び出されていたらしい衣更がひょっこりとカーテンの向こうから顔を覗かせた。隣にはシアンがいて目が合うなり笑う。
「おーい、そろそろ俺達の番だぞ」
「はくあ、影片、用意はいいか?」
思い出してしまったように固まった影片の背を叩いて、そのまま目を合わせる。目を輝かせた後にふわりと花が綻ぶように笑って頷くから髪を撫でた。
『がんばろうね』
「ん!」
大きく頷いた影片に全員が安心したように息を吐いて、配置につく。
伏見によるアナウンス。ゆっくりと幕が上がった。
今回鳴上たちの作ったシナリオはいわゆる悲恋らしい。とある国の姫と王子がふとしたことで出会い、婚約をして、幸せになろうとしたところで国の情勢が変わり他国との戦争になってしまう。
国の定めにより出兵し指揮をとることになった王子だけれど、敵国のほうが圧倒的に強く、生きて帰ってくることは難しい。姫は城で待つことになっていたけれど家来の手を借りて王子との亡命をはかる。
家来である朔間くんと伏見の手を借りて王子のもとまでやってきた姫は肩で息をして、目の前に立つ。
慣れない格好と演技に自然と息が上がってしまったらしいけれど観客からはきっと、急ぐあまり息をきらしたように見えてるはずだ。
『どうしてここに…?』
驚く演義をすれば影片は眉根を寄せて、胸元で手を握りしめる。
「…_離れたくありません…、どうか、…私も連れていって…っ」
ぼろりとこぼれた涙に思わず目を見開く。堪えているけど目を擦ろうとしてる気配にどうやら睫毛が入ったようで、水濡れを想定してなかったとはいえメイク担当の鳴上が用意したマスカラはウォータープルーフにしといて正解だ。
少し考えて、手を伸ばして顔を近づける。
『平気?』
「あかん、ごっつ痛い」
小さく返ってきた言葉と比例して流れる涙。苦笑して頬に手を添えた。
『ちょっとおとなしくしててね』
本来ならばキスシーンなのだけど、添えた手のひらを斜めにし客席から見えないように顔を近づけて目を覗く。泣いたおかげか抜けた睫毛が縁に引っかかっていて、爪で引っ掛ければ簡単に取れた。
ゆっくりと距離をとって、頭一つ分離れたところで笑う。
『……_傷つくかもしれませんよ?』
台詞を思い出したのか、ふわりと笑った影片は触れていた手に自身の手を添えた。
「…………_貴方と添い遂げることが出来るのなら、痛みでさえ愛せます」
二人はそのまま国も身分も捨てて亡命することを選ぶ。舞台は暗転。末路は鳴上と大神で大きく意見が分かれたが描かれなかった。
一時間ちょっとの演物なんだからこのくらいで上等だろう。
カーテンコールは他に任せて、首元を緩める。
「はくあ」
むっとした声が聞こえて振り返る。カーテンコールに向かわなかったらしいシアンは眉根を寄せていて、伸びてきた手が頬に触れた。
『どうしたの?シアン』
「………劇に出ればよかったと…少し思っただけだ」
目を伏せたシアンに髪を撫でて、薄くならない眉間の皺に微笑む。一体いつからシアンはこんなに感情を顕にするようになったんだろう。
『そうだね…今度みんなで小さい劇でもやろうか』
「みんなでか?」
『うん。confectioneryで。ファンクラブの特典とか…どうかな?』
まとう空気を軽くして薄く、表情を綻ばせる。髪を乱してしまうかもしれないけれど強めに頭を撫でていればおとなしくシアンはそれを受け入れて、カーテンコールを終えたらしく喧騒が戻ってきたことに手をおろした。
「もう、しーちゃんってばなにすっぽかしてるの!?」
「すまない」
「ん?嬉しそうだねっ。どうしたの??」
「confectioneryの次のファンクラブ特典が決まったぞ」
「ほんと~!?教えて教えて!」
跳ねて喜ぶ黄蘗を受け止めてシアンが歩く。近くに木賊と柑子が寄っていって、そちらに近づくか考えたところでねぇと声がかけられた。
振り返った先には朔間くんがいて、その横には鳴上と俯いてる影片がいた。
「みかりんダウンしちゃったぽくてさ、俺とナっちゃんまーくんに呼ばれてるからみかりん見といて」
『うん?……わかった、影片』
「ん~」
「ごめんなさい、紅紫くん。みかちゃんをよろしくね?」
ふらついてる影片を受けとり、離れていく二人を見送る。辺りを見渡してぐってりとしてる影片の手を取り歩いた。
『静かなところを探そうか』
「うん」
最後の劇が始まったらしく会場がざわめいたのが聞こえる。最後の出番はたしか3Bで、高らかな笑い声が聞こえるからたぶん日々樹さんがはしゃいでるんだろう。
観客の笑い声。喜劇を用意したのか、少し内容が気になるけどあとで録画したものを見ればいいか。
見つけた人気のない場所は裏口だった。腰を掛けて、その横に影片が腰掛けて寄り添う。俯いた頭を撫でれば四肢から力が抜けていった。
髪を撫で続けて、呼吸を楽にし始めた影片に安堵から息を吐く。俺も影片も衣装のまま抜け出してしまったけど後から怒られてしまいそうだ。
いつの間にか会場は静まり返っていて、おそらくすべての演目が終了したんだろう。しばらくして会場の方から大きな歓声が響いて、日々樹さんのスピーチが微かに聞こえる。
見に行くまでもなく最優秀賞獲得のスピーチのはずで、影片の髪を撫でた。
『一位がとれなかったのは残念だったね』
「いい線、いったと思ったんやけどね…」
湧き上がり具合から一位は3Bのはずだ。まぁ演劇部部長が率いていたんだから妥当かななんて首を横に振り、息を吐いた。
昨年の演劇会は見掛け倒しの内容だったけれど、今回はそれなりに頭をひねり手をかけて作り上げたものだ。可愛らくも美しい影片と王道ながらも工夫の凝らされた鳴上たちの台本。乗り気で趣味をこれ程かと詰め込んだ華美な衣装。
一位を狙っていなかったといえば嘘になるくらいには珍しく力を入れたから、少しだけ悔しい。
不意におとなしかった影片が身じろいで、重なっていた肩からズレて、咄嗟に手を伸ばして支える。
『…眠い?』
「ん~…」
小さな子が愚図るように意味のない言葉をこぼして首を横に振る。頬にかかった髪を撫でて退かして、今にも落ちてしまいそうな瞼に笑った。
『着替えないといけないから、ちょっとだけだよ』
「ん…」
ゆるく笑んで、まぶたを下ろす。数分せずに小さな寝息が聞こえ始めたから影片を抱えなおして髪を撫でる。
会場は静けさを取り戻し始めてる。今は反省会の最中だろうか。携帯も持たずここまで来てしまったから誰かに見つけてもらわないといけないかもしれない。
怒られるかもなと思いつついい子に眠ってる影片の髪を撫でていれば足音が近づいてきて、顔を上げた。
「…影片はまた眠ってしまったのかね」
迎えに来たらしいその人は息を吐く。いつかもこんなことがあったなと思ったけどあの時この人はとても慌てていたから状況は全く一緒ではなかった。
舞台には上がっていなかったから制服の斎宮さんは手元にマドモアゼルがいて、ゆらゆらとマドモアゼルが揺れた。
[お疲れ様、紅紫くん♪本物の王子様みたいでとってもかっこよかったわ♪]
『見ていてくださったんですね、ありがとうございます、マドモアゼル』
目をそらしてる斎宮さんに変わってマドモアゼルが饒舌に話す。唐突にマドモアゼルがぱたぱたと両手を動かした。
[紅紫くんったらみかちゃんとお似合いすぎて、私、はらはらしちゃったわ!]
『ふふ、あなたが作り上げた影片と対をなせていたのなら安心です』
腕の中の影片は穏やかに眠っていて、洋服や髪も相まって本物の人形みたいだ。髪を撫でるとカツラだからか手触りに違和感を覚える。
「………そうだね。君に影片が対を成せた」
伸びてきた手が影片触れようとして、止まった。妙な間をおいてから手を動かし、俺の頬に触れた。
「……僕の作り上げた…僕たちの作り上げた影片はここまで完成してたんだね、紅紫」
細められた瞳に慈しみが浮かんでいて、目が合えば顔が近づいてくる。そのまま額が合わせられた。
近頃、この人の、周りへの対応が少しずつ変わってるような気がしてたのは正解だったらしい。
瞼を閉じる動きの拍子に水が溢れて落ちた。
「紅紫、僕と君の作品は、もう手を離してあげるべきなのかもしれないね」
『………ええ、影片は俺達の手に余る子にまでなりました。いつまでも首輪をつけて飼い殺すのは、きっと…この子にとって、』
「んん…ぁ?」
会話をしすぎたのか、身じろいだ影片が目を覚ます。瞬きでもしてるのか一瞬黙って、離れた斎宮さんにたぶん目を丸くした。
「おおおおお師さん!?どないしたん?!」
「やかましいのだよ」
「そそそそないなこと言ったって、どっか痛いん?やなことあったん??な、なぁ!どうしよ、俺にどうしたらいいのか教えてぇ!?」
服を引かれて見上げられる。涙すら浮かべてる影片に一年くらい前と同じ言葉なのに随分と表情が違う。
あの時はあんなにも暗い瞳をしてたのに、今は瞳に光を灯したまま、表情だって明るい。
『そうだね…。うん、そうしたら斎宮さんと手を繋いで向こうに戻ろうか』
「そ、それでええん??」
『うん、それがいい』
不思議そうながらも頷いて身体を起こす。立ち上がってから斎宮さんの手を取った。
「お師さん、泣かんといて」
「………君は、本当に出来損ないなのだよ」
大きく瞬きをして、ぼろりと零れた涙を最後に微笑む。影片も安心したように笑みを浮かべてから俺の手を取った。
『影片?』
「……ん!これでもう二人とも大丈夫やね!」
満足げな表情に呆気どられて何か言葉を吐くよりも早く腕が引かれて歩き出す。影片を凝視して、それから向こう側を見れば斎宮さんは影片を見ていて視線が合うことはなかった。
とても穏やかな顔の斎宮さんに声をかける気は起きず、どうしてか楽しそうな影片は繋ぐ手が離れないようしっかり握ってるから、諦めて前を見て歩くことにした。
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