イナイレ
一回練習に付き合っただけで勘違いされるのは困る。一夜限りの相手に吐き捨てるような言葉をこぼす羽目になったのは、最近特に近寄ってきてうざったらしい豪炎寺と円堂のせいだった。
円堂のサッカーやろうは呪文の域だし、豪炎寺もあれ以来、ことあるごとに声をかけてきて煩わしい。
二人を避け、約束通り飛鷹と緑川の練習を見ていく。ようやく空き時間になったかと思うと虎と立向居、ついでに条助が声をかけてくることもあって、最近は一人でいる時間のほうが少ない。
今だって緑川の練習中で、横に置いといたそれを手に取った。
『緑川』
「もう時間?」
『五分休憩』
タオル、その後に飲み物を投げて渡せば緑川は不服そうながらも受け取って口をつける。ストップウォッチをオンにして近づいてきた影を見上げた。
「来栖くん」
にっこりと笑う吹雪に緑川はまたかと目を瞬いて逸らす。
『今日はなんだァ?』
「そんな嫌そうな顔しないでよ。今日は僕も練習混ぜてもらおうかなって」
「“今日は”って昨日も混ざってただろ…?」
「そうだっけ?」
緑川が頭を痛そうに押さえて、吹雪が俺を見つめて指示を待つ。犬かよと緑川を見れば昨日と同様諦めたらしく飲み物をベンチに戻して吹雪の横に立った。
「俺の特訓に付き合ってもらうぞ」
「うん」
『じゃー続きすんぞォ』
一人での練習には限度がある。走り込みにドリブル、筋トレ。結局のところサッカーは集団スポーツだからある程度他人がいなければ成り立たない。
故に、吹雪の言葉は緑川の特訓において願ってもない申し出だ。
吹雪は攻守バランスの取れた選手で練習相手にとって不足は一切無い。緑川はそんな吹雪とボールを取り合って、日に日に技術に磨きがかかってる。
頬杖をついて二人の動きを見つめる。丁寧にボールを運ぶ吹雪に緑川が立ちはだかって、ボールを取れるときもあれば取れないときもある。逆に吹雪がボールをボールを取ろうとして成功したり失敗したりと見ていて飽きない。
二人に挟まれ、大きく跳ねたボールを見上げた。
綺麗な蒼色が視界いっぱいに広がる。
いつだか、こんな風に空を見上げた気がする。あれはいつだったっけと記憶を浚おうとした瞬間に意識が飛んだ。
☓
頭が痛む。眉根を寄せて閉じてたらしいまぶたを開けば白い天井が映った。
『…………っ、てぇ』
「目が覚めたか」
聞こえた低い声に一度目をつむって視界を広げる。近くに座ってた道也が俺に手を伸ばして髪に触れた。
「大丈夫か」
『……何が、あった…?』
「ボールが頭に直撃したと聞いている」
『…………ぁ?』
「緑川と吹雪がひどく慌てて俺を呼びに来てな。たまたま近くにいた冬花が先に頭を冷やしておいてくれたから腫れてはいなそうだが…」
ふわふわと撫でられてる頭はおそらく怪我を見ているんだろう。ボールがぶつかって気絶なんてダサいにも程がある。
起き上がれば頭に痛みが走って一瞬眉根を寄せてから押さえた。
「痛むか」
『別に』
「……重症だな。この間も怪我をしていたし、精密検査を受けて来る気はあるか?」
『ねぇ』
「はぁ、そういうと思った。なら今日は一日安静にしていろ。激しい運動は禁止だ」
飛鷹と緑川の練習は俺が見ておくなんて言葉を置いて立ち上がると道也は部屋を出ていく。
見渡すまでもなく見覚えしかないこの部屋は俺の部屋で、息を吐いてから布団に寝転がった。
目を閉じると外からは練習中らしいイナジャパ面子の声が聞こえてきてて今日も泥にまみれて練習してることだろう。
最近は泥のフィールドでパスを回すためにうまいこと体を使ってボールを受け取り、地につけることなく相手に渡してる。
これなら道也の考えた作戦は無駄にならなくて済みそうだ。
横になったことで近頃の疲れからか、意識が遠くなったりはっきりしたりを繰り返す。笛が吹かれる音がして一度目を開いて、また瞑る。
こんこんと扉がノックされて無視する。もう一度叩かれた扉に道也じゃないだろうと眉根を寄せたところで、遠慮がちに扉が開いた。
「し、失礼します」
聞こえた声に目を開ける。そろりと中に入ってきたのは緊張した面持ちの虎で、息を吐いて手を上げた。
『虎』
「っ、諧音さん!」
声をかけるなり表情を明るくして飛び込んできた虎はベッドのすぐ手前で止まり膝をつく。寝転んだままの俺に視線を合わせると安心したように笑った。
「目が覚めたんですね!」
『さっきな。どーしたァ?』
「吹雪さんから目覚まさないって聞いて!きちゃいました!」
『真面目に練習しろ』
「今は休憩時間です!」
にぱっと笑う虎に息を吐いて手を伸ばす。頭をなでればきらきらと目を輝かせて甘受するからそのまま手を動かして、こんこんとまたノックが響いて、今度は返事を待つような間もなく開かれた。
「あ、来栖!良かったー!目を覚したんだな!」
『返事してから扉開けろ』
「まだ寝てるかと思ったんだ。悪い」
少しも悪びれた様子なく足を進めて虎と同じようにベッドサイドに立つ。じっと俺の額のあたりを眺めてから緑川は悲痛そうに視線を落とした。
「すまない…。怪我は痛まないか…?」
『別に。そもそも俺の不注意だし』
「それでも、すまなかった」
なにに落ち込んでるのか。暗い表情で横にいる虎は心配そうな顔で俺達を見比べてる。
手がかかる奴ばかりかよと息を吐こうとして、騒がしく足音が近づいてきた。今度はノックもなく扉が開け放たれる。
『到頭ノックまでなくなりやがった…』
外因とは別の意味で痛み始めた頭に仕方なく起き上がる。例にもれず練習中だったであろう風丸もユニフォーム姿で手には袋がぶら下がってた。
『お前まで何の用だよ』
「なんだよその言い方。心配してきてやったんだぞ!」
『へぇー』
「その!態度!!」
久々に顔を合わせた風丸は何故か怒ってる。部屋の中に足を進め、サイドテーブルに袋を置いた。そこでようやく二人に気づいたのか首を傾げる。
「虎丸と緑川も来てたんだな?」
「風丸さんこそ、諧音さんと仲が良かったんですね?」
「仲…良くはないが、そう!クラスメイトだから!あの、その…」
ツンギレキャラみたいな口調に虎が目を瞬く。その間に居心地悪そうに身じろいだ緑川を手招いて、咄嗟に身を屈めた緑川に目を合わせた。
『お前のせいじゃねぇから、気にすんな。わかったかよ』
「、ありがとう」
眉根を寄せて我慢するような顔は見ていられない。目を逸らして眠ってる間に乱れたらしい前髪を直す。
『吹雪にも言っとけ』
「……うん、わかった」
やっと普段に近い表情になった緑川に息を吐いて、未だ言い訳を溢してる風丸に目を向けた。
『賑やかすぎてうぜぇんだけどォ?』
「っ、その言い方を直せって!」
『無理』
最近会話をした覚えがなかったが、相変わらず風丸は優等生思考で相性があまり良くない。
いつもどおり俺の一挙一動に感情を左右されて今回は怒ることにベクトルが向いてる。小姑かよと痛む頭を押さえてから時刻を確認して、虎を見た。
『休憩何時までだァ?』
「あ、あと十分です!」
『ならそろそろ戻んねーと怒られんだろ』
「…そうだね」
虎と緑川が時間を確認して肩を落とすから首を横に振る。
『夕飯には行く予定だし、お前らはきっちり練習参加しろ』
「あ!なら晩ご飯一緒に食べましょ!」
『覚えてたらなァ』
「絶対ですよ!」
前のめりになって念を押す虎の頭を撫でて、満足そうに笑ったところで寝転んで目を瞑る。
『じゃ、オヤスミィ』
「安静にするんだぞ」
「諧音さん!また後で!」
『おー』
足音が遠のいて、扉が開いて、閉まる。
静かになった部屋の中で大きく息を吐いて、目を開ければ複雑な顔の風丸が俺を見てて、意図せず目があった。
『なにしてんのォ?』
「……出て行くタイミングを見失った」
『はぁ?』
タイミングもなにも、そのまま一緒に出ていくだけで特別なことをする必要もないだろう。
風丸は視線を右、左とゆっくり動かした後に唐突に腰を落として、目線を同じ高さにするとじっと俺を見て眉尻を下げた。
「本当に痛まないのか?」
『別に』
「……来栖が“別に”って言うときは大抵どうでもいいときか正反対のときだろ。どれぐらい痛いんだ?」
『お前、俺のトリセツでも持ってんの?』
「頭部の負傷は怖いんだぞ。それで?」
息を吐いて軽くと返し、寝返りをうつ。
風丸に背を向けて目を閉じれば、動いていないらしい風丸が何をしているか流石にわからなくなった。
外からは集合し始めたらしいイナジャパたちの声が聞こえ始めてて、布の擦れる音がする。
「来栖。夕飯まで寝るのかもしれないけど、まだ時間があるからもしよかったらそれ使ってくれ」
『ん。…いいからさっさと戻れ。練習再開すんぞ』
「ああ、もう戻る」
足音が離れていってドアノブを回す音がして、それなのに扉の開く音がしない。
「……………あと、」
『あ?まだなんか用かよ』
「………俺は、来栖を…知りたいと、思う」
『は?』
目を開けると同時に風丸の青い髪が部屋を出ていき、扉が閉まった。弾かれるように早足で遠ざかっていく足音。目を瞬いてからもう一度閉じる。
前回話したときはあんなに怯えて迷ってたのに、何があったのか。随分とらしくない弱い口調が気ならない訳ではなかったが起き上がって追いかけてまで聞きたいとは思えなかった。
短く、鈍く、また頭が痛んで眉根を寄せる。一度起き上がって枕の位置を変えたところでさっき風丸が置いていった袋に手を伸ばす。
中にはラップに包まれたおにぎりが入っていて、袋なんて形のないものに入れているせいで若干三角形が崩れてた。
☓
ふわりと前髪が揺れる。触れられてる感覚に意識が引き上げられて、目を開くと茶色の髪が目に入った。
茶色に一筋白が入っているそれは動作に合わせ少しだけ揺れていて、眺めているうちに意識が覚醒して手を伸ばす。俺の髪で遊んでるそれを捕まえて目を合わせる。
『なにしてんだァ?』
「……調子、どうなんだよ」
『普通』
「…そうか」
掴んでる手を離せば不動が立ち上がる。
「晩飯、行かねーのか」
『あー…』
風丸の用意したおにぎりを食べてすぐに寝たから腹は特段空腹を訴えてもいない。少し考えて寝る前に約束したことを思い出したから起き上がった。
「監督がキツイなら部屋に運ぶって言ってたぞ」
『問題ねぇ』
ベッドから下りて立つ。眠る前よりもだいぶ痛みは引いてるようで問題なく歩けた。部屋を抜けて廊下を進み、階段を下りる。
「腫れては、なさそうなんだな」
『すぐ冷やしたらしいからな』
「ふーん」
一歩後ろをついてくる不動はそれきり黙って、食堂の扉を開けた。
「来栖さん!」
顔を上げるなり俺を見て大きな声で名前を叫ぶ。音無の慌てように眉根を寄せた。
『なんだァ?』
「聞きましたよ!怪我したんですよね?大丈夫ですか!?」
『なんともねーよ。つか誰が言い触らしてんだァ?』
「もう!頭の怪我は怖いんですよ!?後から息でも止まったらどうするですか!!」
『ねーよ』
勢い余って突進してきた音無を支えて、足を進める。その先にはまだ給仕中のマネージャー陣がいて、木野と目が合った。
「春奈ちゃんの言うことはもっともだよ。我慢は禁物だからね?」
『はぁ』
一緒に入ってきた不動の不思議そうな目が俺を見てきてる。未だ騒ぐ音無を自立させて、マネージャー最後の一人に目を向けた。
『冷やしてくれたんだろ』
「うん。あまり腫れてはないみたいだね?」
『おかげさ様でな。…助かった』
「ふふ、たまたま近くにいてよかった」
普段通りおっとりとした笑みを零すと思い出したかのように寸胴の中身をかき混ぜて首を傾げる。
「食べられる?」
『少なめ』
「わかった」
カレーらしくここに来たときから漂ってた匂いが強く鼻に届いてる。野菜が多いのかごろごろとした具材が見えて冬花は注文した通りに少なめによそって盆に乗せた。
「不動くんは?」
「、普通」
急に声をかけられて驚いたのか肩を揺らした不動も同じように盆を受け取って、いつもと同じ隅に向かって歩き始めた。
ちょうど喧騒が食堂にたどり着いて扉を開ける。
「あ!来栖~!!!」
聞こえてきた声を無視して椅子に座った。
「お前、円堂に当たり強いよな」
『そうでもねぇだろ、普通だ』
不動の物言いたげな空気も無視して、髪に触れようとしたところで隣に盆が置かれた。
「かーいーとーさん!食べましょ!」
『ん』
「あの後は寝てたんですか?」
『おー』
右側に座って笑う虎に不動が驚きで目を丸くして席をズレようとするから制止させる。
「来栖、俺もいいか?」
『好きにしろ』
迷い無く近づいてきた緑川は少し悩んだあとに不動の隣に座って、不動がわかりやすく固まった。警戒する子猫かと声を掛けようとしたところで空いてる左隣に青色の髪が揺れた。
『珍しいなァ』
「そういう気分なんだ。文句があるのか?」
『別に』
六人がけのテーブルがほとんど埋まった。不動は面子に居心地が悪そうで、周りからは困惑と疑念の目が突き刺さってる。特に鬼道と基山の視線がうるさい。
誰か揃ってないのかまだ食事開始の合図はなくて、携帯を取り出そうとしたところで虎が俺の服を引いた。
「聞いてください諧音さん!今日ついに豪炎寺さんとのシュートが成功したんです!」
『ふーん。本番でもいけそうなのかよ?』
「八割です!時間はありますからバッチリ仕上げてガンガン点を取りますよ!」
『そーか』
練習のあとに特訓してるはずなのにまだ元気が余ってるのかテンションが高い。虎が豪炎寺と練習してたのは知ってるが、どんな技になったのか興味はある。
口を開こうとして、唯一空いてた不動の隣に盆が置かれた。
「不動くん、隣座るね」
「、」
「来栖くん、怪我はどう?」
『もーなんともねぇわ。つかお前まで来たら満席じゃねぇか』
「いいでしょ?」
不動が硬直してるのに気づいてるだろうに腰掛けて笑う。吹雪はあと誰が揃ってないのかと周りを見渡して、最後だったらしい豪炎寺が現れ席についたところで円堂の掛け声が響いた。
待ちわびてたのかスプーンが皿にあたる音が聞こえはじめて風丸や緑川、虎、吹雪も同じようにスプーンを握る。俺もスプーンを取りカレーを掬う。
サラダやスープを消化していくうちに目を瞬いた吹雪が首を傾げた。
「来栖くん、それで足りるの?」
『足りる』
「食べなさ過ぎは良くないぞ?」
『食って寝てたからそんな腹減ってねぇ』
左隣の動きがわかりやすく止まって、不動が風丸を見てから俺を見る。不動がもう一度風丸を見たところで左隣がようやく動いた。
「…どうだった?」
『普通。ありがと』
「そうか」
どこか満足そうな返事をしてスープの入ったカップに口をつける。口元が堪えきれなかったのか歪んでいて、察したらしい吹雪が何故かにこにこと笑って頷いてた。
話題が無限に出てくる虎と吹雪、そして人当たりのいい返事と相槌で話をつなげる風丸と緑川の会話を背景に皿を空にしてスプーンを置く。会話に参加しなかった不動も同じくらいのタイミングでスプーンを置いて、少しして残りの面子もすべて食べきり皿を重ね始めた。
手を出そうとしたところで虎が服を引いて、吹雪が笑う。
「来栖くんは安静にしててね?」
緑川と風丸、不動によりさっさと食器がまとめられて下げられる。眉根を寄せたところで台拭きを持った冬花が近づいてきて目があった。
「諧音くんの仕事なくなっちゃったね」
『怪我人扱いしすぎだろ』
「だめですよ!絶対安静です!!」
どこからか音無まで現れて鬼道から嫌なオーラが漂い始めてる。面倒くさいことになりそうだなんて思いながら頬杖をついた。
『今日一日寝てただけで終わるわ。ちょっとぐらい動いたって死なねぇよ』
「そんなこと言って明日起きてこなかったらどうするですか!?」
虎の泣きそうな顔に頭を掻いて息を吐く。
『ねぇーわ』
「軽くみちゃだめですよ!」
音無が腰に手を当てて前のめりになって騒ぐ。二人して賑やかすぎて周りは何事かとこちらを見てきてるから虎の額を弾いて、音無を一瞥した。
「あうっ」
『明日起きれれば問題ないんだろォ?そんな悲観しねーで平気だっつーの。落ち着け』
「でも〜っ」
虎の頭をなでれば納得はいかない様子で、言葉を飲み込む。
『つーわけで、風丸と緑川と吹雪もその変な気遣いやめろ』
「でも…」
「明日になったらな」
『ちっ』
風丸の聞き分けが悪すぎる。思わず舌打ちを零せばわかりやすく眉間に皺を寄せて、冬花がそうだと笑った。
「諧音くん、心配だから今日泊まってもいい?」
冬花の発言に周りが固まる。条助からひどい殺気が発せられて、道也の視線が刺さった。
『は?良いわけねぇだろ』
「だめかな?」
『………俺が殺される』
「諧音くんとだもん。久々にお泊り会しよ」
天然ボケかますなら人の目のないところでやってほしい。冬花が首を傾げるから周りの信じられないと言いたげな視線が集まったままで居心地が悪い。
「あ!なら私も泊まります!」
「春奈っ!?」
「なら私と春奈ちゃんの三人だね。楽しそう」
『おい、保護者回収しに来いや』
これ以上話を続けると嫌な予感しかしなくて立ち上がる。駆け寄ってきた鬼道が音無を捕まえて懇切丁寧に止めさせようと言葉を並べ、冬花は木野経由で道也に呼ばれた。
「なら僕がお世話します!」
『ざけんな。要らねぇ』
「心配なんです〜!」
『気持ちだけで充分だから絶対に行動に移すなよ』
念を押してから頭をなでると表情が緩んでじゃあまた今度にと笑う。仕方無しに頷いて促されるまま小指を絡めた。
「ゆ~びきった!絶対ですからね!」
『今度な。今日は止めろよ』
「はーい!」
『返事だけは良いなァ?』
ぽんぽんと頭を撫でてさっさと食堂を出ようと体の向きを変えればその先に鬼道に奇行を止められた音無が頭を差し出した。
「来栖さん」
『は?』
「え?」
『なんだよ』
「私にはないんですか?」
『あるわけねぇだろ。鬼道にやってもらえ』
「なんでですかー!」
『やったら絶対鬼道がうぜぇから』
「ほう。良くわかったな。もし春奈の頭をなでたら貴様を再起不能にしていた」
『シスコンやべぇわ』
目が本気の鬼道の横を抜けて扉に向かう。妙に突き刺さったままの探るような視線に見送られながら食堂を出た。
携帯が揺れてポケットから取り出すと道也から一人で寝るのかと再確認が来てたから当たり前だろうと返事してしまう。
部屋に戻ろうと階段に足をかけたところで食堂から追いかけるようについてきた立向居が俺を見上げた。
「諧音さん!」
『なんだァ?』
「怪我してるって聞いて、あの、大丈夫ですか?」
『問題ねぇよ。つか、マジで言い触らしてんのどいつだよ』
「えっと、俺は監督から聞きましたけど…」
まさかの道也が犯人だったか。何を思って言い触らしてんだか全くわからない。
「怪我、痛みますか?」
道也への怒りを痛みをこらえてる最中と勘違いしたらしく、立向居の表情が曇った。もう一回息を吐いて手を伸ばし、すぐに届いた頭を撫でる。
柔らかい髪の毛は風呂に入ったあとなのか泥一つついてなくて指通りがいい。
「諧音さん?」
『怪我なんて最初からしてねーようなもんだし、全員大騒ぎし過ぎなんだよ』
「けど、頭の怪我は怖いですよ…?」
『寝て起きて飯食ってんだ。問題ねーよ。なんなら明日は練習に顔出しだっていいしなァ』
手を離す。ばっと顔をあげた立向居の目が輝いててもう一度、頭を二回だけ撫でてから下ろした。
『さっさと寝て明日に備えとけ』
「はい!」
大きく頷いた立向居に手を振ってから階段を上がる。自室に入って一応鍵を締めてからベッドに転がる。
胃が圧迫された気もしたけど息を吐いて誤魔化し、そのまま目を閉じた。
☓
ノックを三回して、返事がないからまたノックをする。廊下に音が溶けて消えて、ドアノブに手を伸ばせば鍵がかかってたからポケットから鍵を取り出してさした。
ゆっくり、大きな音を立てないよう気をつけながら錠を解いて、少しだけ開けた扉から体を滑り込ませる。しっかり扉を閉めて鍵をかけて足をすすめる。
窓にはきっちりカーテンがかかってて光源がないせいで部屋の中は真っ暗だったけど、部屋は基本同じ間取りな上に以前来た記憶を辿りに歩けばすぐにベッドにたどり着いた。
そっと腰を下ろして耳を澄ませれば小さな寝息が聞こえて、無事に生きてるのがわかる。ようやく慣れてきた目に手を伸ばして山に触れれば呼吸のたびに胸が動いてた。
安堵から息を吐いて持ってきてた枕を抱える。
背を預けて目を瞑る。座ったまま眠るのは疲れが取れないような気もしたけれど、最近の練習の疲れが溜まってたのかそのまま意識が沈んだ。
☓
気配がした気がして目を覚ます。陽は昇ってるのかカーテンからは微妙に光が差し込んでて室内は薄暗い。なんとなく寝返りを打って、目の前にある毛束に眠気が飛んだ。
思わず身を起こせばそれは人らしく、自前なのか枕を抱いて眠ってる。座って寝る姿に眉根を寄せながら息を吐いた。
大方道也からの指示を受けて部屋に来たんだろう。コイツも災難だ。
眠ってる状態の人間を持ち上げられるか少し考えてから諦める。不動と俺の体格は少し俺のほうが大きいが意識のない人間を動かせる気がしない。
一度ベッドを降りてクローゼットから大判のタオルを持ち出し、かけていた布団を床に敷いてその上に不動を転がした。
多少乱雑にはなったけど起きる気配はなくて、そのまま枕を抱えて眠ってる。腹のあたりにタオルをかけてからまたベッドに上がって携帯に手を伸ばす。
道也からは特に連絡は来てなくて、なにか入れようかと思ったけど出てきたあくびに携帯をおいて俺もタオルを体にかけて目を閉じた。
まぁとりあえず、もう一眠りしよう。
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