あんスタ(過去編)
設えられたその席は酷く空気が悪く、息苦しい。
【紅紫一年・初冬】
白を基調としたテーブルクロスがかけられたテーブルの上。中心には小さな生花とポットが、対極に位置するようににソーサーとカップが置かれていてクッキーが添えてある。
向かい腰掛けるその人は久しぶりに間近で対面したけれど変わらず喰えない笑みを浮かべていて、ジルコンと同じ色の瞳はどれだけ覗いても何を考えてるのか読めない。
「今日は時間を割いてくれてありがとう」
『こちらこそ、お招きくださりありがとうございます』
とりあえずこういう時は付け入る隙を与えないように笑みを繕うに限る。
互いに上辺だけの笑みを貼り付け、なんの意味もない挨拶を交わす。
促されるからカップに口をつけたものの、紅茶は俺の好みに合わないもので表情を崩さないようカップを置いた。
『本日はどのような用件でしょう?』
「ふふ、随分とせっかちだね。折角の機会だからゆっくり君と話をしてみたかったんだけど無理言って来てもらったんだ。本題に入ろう」
同じように紅茶を嚥下したその人は笑みを濃くして目を細める。
「君には礼を言わないといけないと思ってね」
『僕にですか?貴方に礼を言われるようなことをした覚えはありませんが…』
「君のおかげで必要以上の死亡者が出ることも、僕達へのお礼参りも免れた。感謝しているよ」
『なんのことでしょう?』
笑顔を浮かべたその人は俺が知らぬ存ぜりを通すことを許す気がないのかそのまま言葉を続けた。
「なにも護れず逃げ出したことを嘲笑われ褒めらることで生きている月永レオ。壊れてもそれを美しいと愛でられることで生をつなぎとめている斎宮宗」
『…………』
「現状を知りながらもあえて任せることで人として立っている深海奏汰。リードの先を持たれたことで暴走を抑えられてる影片みか。依存しつつも寄り添い支える瀬名泉。……僕が把握しているのはこんなところだけど、違ったかな?」
上げられた名前に眉を寄せる。どこから漏れたのかは定かじゃないそれに内心焦りを覚えるけど、表情に出さないよう息を吐いた。
『否定したところで、貴方の中の僕があの人たちを救ったという仮定は覆らないのでは?』
「そうだね。これはただの確認さ。君の肯定も否定も必要ない」
『なら、何故問いかけたんですか?』
「僕の認識を君に伝えるためだよ」
紅茶に手を伸ばして喉を潤す。先程と変わらない笑みのままで俺を見据えた。
「君が何をしたいのか僕にはわからない。けれどアレが言ったように君は僕の想像を超えたもので、あの日生贄に選ばなくて良かったと思ってる。だからね、紅紫くん。僕の下についてくれないかな?」
浮かべられた笑みは美しく、声も穏やかだけど心臓を押しつぶそうとしてくるような威圧感が俺を襲う。
呼吸を止めないように、表情を崩さないように、首を傾げる。
『それはまた、なぜですか?』
「日和くんも凪砂くんも君をとても気に入っているようだし、君のその力を潰してしまうのは勿体無いと思ってのことだよ」
『その言い方ですとお断りした場合、僕は無事に居られないように聞こえますね?』
「ふふ。君は今、暴虐非道を尽して学園を混沌に陥れた五奇人、そして安寧を壊した元チェス、現Knightsの両者を匿っている。…蔵匿は、罪だよね?」
『なるほど。確かにそうですね』
「君がいくら周りを固めて退けようとも、群集心理には敵わない。人は、自分が正義だと思ったことには疑うことなく行動するし、罪人には何をしてもいいと思ってる節がある。その両者が揃っている今、どうなるか…君はそれがわからないような人間ではないだろう?」
嫌な言い回しだなと思う。
疑わしきは罰せよの風潮にある今の学園内で俺が匿っているかもしれないと噂が流れば、疑われた時点で断頭台に立たされるのは明白だ。
自分の安全が惜しければ首輪を受け入れろなんて言い分は普通ならば首を横に振るべきだけど、俺には今いくつかの懸念がある状態で、それを見越してこんな話をしてきてるんだろう。
「…_コアな人脈を持ち、君の用心棒もしてる椋実シアン。可憐な容姿に、生徒会からも勧誘を受けるほどの頭脳を持つ檳榔子黄蘗。現役員で学園内でも顔が広く最も忠実な煤竹柑子。そして唯一、毛色が違った…対等という特殊な地位にいる勝軍木賊。君はまだしも…_君が拾ったあの子達は、これから始まる弾圧に堪えられるのかな?」
ちらつく色に唇を噛む。
この人のことだから彼らがどんな扱いを受けてきて今に至るのかもある程度把握しているはずだ。全員が全員未だ脆く、崩すのは簡単で、的確に突いてこられれば浅くなって乱れそうな息を一度止めるしかない。
瞼をおろし数回呼吸をして、不意に首にかかったそれの重みを思い出して目を開く。
何を迷うことがあるのか。俺は“紅紫はくあ”で“アイドル”なのだ。
ゆっくり息をしたあとに、いつも通り微笑む。
『貴方の話はもっともですね』
俺の表情に怪訝そうな顔をした天祥院さんに初めて表情が崩れたななんて思いながら言葉を吐く。
『けれどその提案は受け入れられません。僕は誰の下にもつく予定はない』
「………君は、君以外も危険にさらす気なのかい?」
『そんなつもりはありませんよ。僕は僕のやり方で事態を収めます』
「そこに僕の協力は不要だと言うことだね?」
『ええ、そのとおりですね』
ぎしりと嫌な音がした気がして、空気が変わる。無表情にも近いその顔に笑顔を浮かべていれば視線を落としてカップを指の先でなぞった。
「残念だよ。君と僕の道は交わらないみたいだ」
『目的が違いますから仕方ありません』
「ならば君は敵だね。革命の邪魔をするのなら消えてもらうしかないかな?」
『簡単に消せるといいですね?』
笑いあって、立ち上がる。
お茶会はこれで終わりだろう。椅子を元に戻して頭を下げ足を踏み出せば溜息が聞こえた。
「爆弾が爆発したら、そこには何も残らないよ?」
背にかけられた言葉の意味は考えるまでもない。
『更地にも花は咲きますよ』
振り返ることなく答えて足早に離れていく。途中で逃げるようにして見えた人影にまた面倒なことが起きそうだと息を吐いて、ポケットから携帯を取り出す。
文を作って、送って。返事が来ても返すのは後回しにしてまた別の人間に言葉を送る。順番に言葉を送り、最後になってしまったその人に送ろうとした文をすべて消してポケットに携帯をしまった。
『これでやっと、』
思わず零れた言葉。口元を覆えばそこは弧を描いていて、ようやく始まったカウントダウンにシャツ越しに胸元を押さえ、目を瞑った。
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