金田一少年
「あの、これは一体?」
リビングの惨状を見たたかとおくんの一言が、朝言われたことと同じだなぁと思いながら苦笑いをした。なんだか朝よりも理解不能だって目が物語ってる。
目の前のビニールの掛かったソファーに、踏まない程度端に寄せたままのマグカップの破片。拭いても取れないココアの匂いは多分気づかれてないと信じたい。
『衣替えの準備的な?』
「………………」
じとりと睨みつけられ、根負けして先に目を逸らした。逸らしたあとでも消えない視線と疑心の匂いに仕方なしに息を吐く。
『片付けるの面倒だから、ソファーは買い換える準備してるんすよ』
「あの破片もですか?」
『踏まないからいいかなって思ったんす』
「…はぁ」
いや、そんなにがっつりため息つかないでよ悲しい。
どのみちこれを片付けないと飯は食えないわけで、少し悩んでソファに手をのばした。
「どうするんですか?」
『外にでも出そうかなぁと』
「…それをですか?」
『だって臭いすごいんだもん』
「………そんなに臭いますか?」
『…あー、俺ちょっと臭いに敏感なんだよね』
よっこいしょとソファを無理やり立てて腰を入れて押す。
フローリング傷ついたら笑えないなぁと思いながら窓際まで追いやって息を吐いた。
「……手伝います」
『ありがとー、窓開けてもらってもいい?』
かちゃんと音を立てて開いた窓の外にソファを投げ出して、ベランダに置いた。ここじゃ捨てるときに玄関まで運ぶのめんどいだろうけど仕方ない。
換気のために網戸にして窓を開け振り向く。いつのまにかたかとおくんがマグカップの破片を掃除くれてたらしく、破片は新聞紙に包まれてた。
『ごめん、ありがとねー』
「いえ、割ってしまったのは私なので」
気にしなくていいのにといいながら受け取った新聞紙をビニール袋に入れてからゴミ箱に投げ、隣にあった室内の臭いを除去してくれるシュッシュするあれと、除菌ウェットティッシュを持ってリビングに戻った。
ココアの匂いが強いところを拭いてシュッシュッとスプレーをかける。
「先輩、潔癖症ですか?」
『んーや、臭いがダメなだけ』
理解できなそうな表情を見せられて、まぁまぁと流しながら全部ゴミ箱に投げた。
ソファがなくなって真ん中がぽっかりあいたリビング。
フローリングとはいえ地べたに座って食べるのはどうかなぁと思いながら、もらって使うタイミングのなかったもこもこのカーペットを敷いてみた。
テーブルの上に並んだロールキャベツと付け合せの温野菜にたかとおくんは少し迷った顔をしてたから俺がつまみ食いして、そうすれば諦めた顔をしていただきますと手を合わせる。
『誰かと飯食うの久しぶりだなー』
「そんなんですか?」
『ん、基本一人飯だからね』
一つ話を区切って、ナイフで一口サイズに切ったロールキャベツを頬張った。ちゃんと中まで火は通ってるし、久々に作った割には悪い出来じゃないと思う。
向かいのたかとおくんも少しずつ口に運んでるところを見ると不味いわけではないんじゃないかと安心した。
「先輩、料理がお上手なんですね」
『人並みだと思うけど…たかとおくん舌肥えてそうなのに褒めてくれて嬉しい、ありがとね』
珍しくたかとおくんから嘘の臭いしない言葉に笑めばそんなことはありませんよと視線がそらされる。
「料理はいつからしてるんですか?」
『んー、元から一人でちまちまやってたんだけど、そのあと先輩からも少し教えてもらったんだよね』
「、先輩?」
『そうそう。丁度俺の一個上でたかとおくんが入ってくる年に卒業した人だから会ったことないかもね』
「……もしかして、入試が満点だったっていう…」
『あ、そういえばそんなだったかな?』
その先輩、名前はなんて言うんですか?素朴な疑問をぶつけてきたたかとおくんに、少し悩んでから下の名前は覚えてないけど俺は明智先輩って呼んでると告げた。
「……なるほど、」
『ん?』
いえ、なんでもありませんと笑った顔に違和感を覚えつつ、つまんだ温野菜を口に運んだ。
「…差し支えなければ、明日のご飯は私が作りますよ。泊めてくださってるお礼に」
拒むたかとおくんを捕まえて、一緒にパソコンを覗きながら新品のソファーを選んでると家具一覧の下にあった食器の欄を見てか唐突にたかとおくんがそう言った。
『お客さんだから気にしないでいいよ』
「いいえ、きちんとしたお礼がしたいので…傷さえ治っていればまた別だったんですが」
目を伏せてお腹を擦る様子を眺めながらじゃあお願いしてもいい?と聞いてマウスをクリックする。
たかとおくんの視線が一瞬他よりも長く止まった深い青色のソファーをカゴに入れて注文ボタンを押した。
「それにするんですか?」
『うん。色も綺麗だしおっきいから二人で座れるじゃん?』
今頼むと明日の午後には届くらしいし即決が吉ってことでと電源を落とす。
『明日業者呼んでソファー持ってってもらおうと思うんだけど平気?』
「………人数と時間教えていただけますか?」
『んー?えーっと…二人、十時に来れるらしいけど』
わかりましたと頷いたたかとおくんにどうする気なのか少しばかり心配になったものの、本人が大丈夫なら構わないのかななんて依頼のメールを送った。
座って寝ることに猛反対されたものの、うちには一つしかベッドはないし、これと別に敷布団もない。かといってソファはご臨終してるから結局拒否は却下して、座って寝ることにした。
「先輩、本当に大丈夫ですか?」
『仕事上座ったまんま寝ちゃうことあるし慣れてるから気にしないで』
なんとか渋るたかとおくんをベッドの上に乗せて、それでもいい顔をしない彼を手荒にならない程度無理やり横にさせて電気を消す。
急に静まった部屋の中に昨日までと同じようにベッドの端にもたれかかり目を閉じる。
何回か呼吸して暗闇に目が慣れて大まかな場所が把握できるくらい時間が経った頃。先輩、と小さく歯切れの悪い呼びかけが聞こえた。
『どうしたの?』
「…あの……、…おやすみなさい」
言いたいことが別にあっただろうに濁して告げられた言葉にうんと返事をして呼吸をひそめる。
目を閉じて、意識して呼吸をゆっくりし続ければたかとおくんが寝返りをうった。
電気を消した時に背を向いてたからこっちを向いたのか、もしくは仰向けかうつ伏せになったんだろう。
マジシャンな彼は人間観察なんて趣味の域だろうし、嘘を見破るのだってお手の物だろうからできるだけ自然体で呼吸を続けながら様子をうかがう。
布のこすれる音の後にまた静かになって、先輩と声をかけられた。答えなければしばらくしてまた聞こえてきた布がこすれる音とともに恐る恐ると言った感じで髪に手が触れて、気にしないで呼吸音を出し続けてれば手つきはどんどんと自然に動いてふわりと撫であげられる。
「………先輩、寝ましたか?」
問いかけられ不自然にならないよう呼吸だけ続け、もう一回呼ばれても答えなければ伸びてきてたたかとおくんの手がそっと首に回った。
傷に響かないように絆創膏の上から指の先で触れられて、そのまま手が首に回される。ぐっとほんの少し力が入った手に反応をしないよう呼吸を続けた。
「…………殺さないと、」
軋むくらい食い縛った歯の間から溢れて届いた言葉にたかとおくんの本音が見えた気がして続きを待った。
ずっとあの人に殺されようと思ってたけど、彼に殺されるのも、いいかもしれない。
「…―どうして私なんか拾ったんですか」
「放っておいてくれればよかったのに」
「いっそ罵ってくれたら、」
ぐっと強くなって来た手の力に息を詰めて眉根を寄せれば、さっと力が緩められて、それでも手は離れない。
またゆっくり呼吸を始めればたかとおくんの方から息が一つ零れ出た。
「………居心地が良すぎたから、長居してしまっただけで、明日、明日こそ…」
手が名残惜しそうに離れていって布のこすれる音がする。
しばらくして聞こえてきた寝息に無意識に息を吐いてズレてる布団を羽織り直した。
「すみません…ごめんなさい…ごめん―なさ、い、先輩」
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