金田一少年


気づいたらあのまま寝てしまったようで、目を開けるとつけっぱなしの暖房で喉がやられたらしく咳が出た。

加湿器に水を入れないとなぁなんて思って、もたれ掛かってたものから体を起こすと俺のベッドの上で息苦しそうにしてるたかとおくんが視界に入る。

起きそうにもない様子に仕方ないかと息を吐いて、たかとおくんの首筋に手をあてた。熱はまだ高く、俺の手が冷たかったのかぴくりとまぶたが動いて、少しだけ虚ろなたかとおくんの目があった。

『熱引かないね。なにか飲む?』

「……………」

魘されてるのかぼやけてるのかは定かじゃない。

地味に合わない焦点で俺を見て、小さくココアと答える。水じゃなくていいのかなと思いながらはいはいと立ち上がった。




血生臭いうえに水浸しにしてしまったソファは使う気になれず、臭いがきついのでビニール袋をかけてリビングの暖房は切ってしまった。

割ったマグカップは適当に掃いてまとめたし、ココアは拭いたけど若干甘ったるい匂いがしてどーにもならないからこれも諦める。

移動させた加湿器と備え付けのストーブを寝室代わりの自室に運び稼働させて二日、起きてても意識が朦朧、食べ物もろくに食べずに寝てたたかとおくんがしっかりと目を覚ました。

「……先輩…」

『たかとおくん、おはよ』

起き上がったたかとおくんはベッド脇に畳まれた掛け布団と自分の寝てるベッドを見比べてから俺を見た。

「…まさか、床で寝てたんですか?」

『んーや、座って寝てた』

どっちも似たようなものでしょうと息を吐かれてしまう。

たかとおくんは自分の腹と太ももの怪我を服の上から擦って俺を見た。

「…ありがとう、ございました」

『気にしない気にしない。それより飯は?』

立ち上がる。途端にぐいっと掴まれた服の裾にたたらを踏んで、振り返れば見上げるようにして俺と視線を合わせるたかとおくんがいた。

『…どうした?』

「あ、いえ。すみません」

するりと裾から手が離れていって視線も逸らされる。首を傾げてから部屋を出てキッチンに向かった。

病み上がりなら消化にいいおかゆとかのほうがいいのか、それとも体力だとか回復するためにも栄養価のあるもののほうがいいのか、いつも悩むところで結局おじやに落ち着く。

部屋に戻ると変わらずベッドの上にいた彼は大袈裟に肩を揺らして、こっちを見た。はて?とまた首を傾げてから近づきベッド脇に腰を降ろす。

『食べれそ?』

「…………」

悩むように視線を逸らされてああと納得してからスプーンで少しすくって息を吹きかけ自分の口に入れる。

もぐもぐと咀嚼して飲み込んで、ほらとスプーンを差し出せば恐る恐る伸びてきた手が器とスプーンを持った。

「……あの、先輩」

『話しなら食べてから聞くからちゃっちゃと食べちゃってください』

「…………いただきます」

観念したのかふーふーと冷ましながら少しずつ食べ始めたたかとおくんを眺める。

飲み物には封を切ってないミネラルウオーターを用意したんだけど、これも一回毒味したほうがいいのかなぁなんて思いながらベッドの空いてるスペースに体を預けると瞼が重くなってきた。

睡魔と闘うなんて選択肢は俺にはなく、気づけばうつらうつらと夢の中に引きずりこまれてた。




ふと何かが動いた気がして手を伸ばして掴む。

あまりに確かなその感触に眉をひそめてるとだんだん意識が覚醒してきて、瞼を上げると驚いた顔のたかとおくんが俺を見てた。

「狸寝入りですか?」

『………んーや…なんか、どっかいっちゃいそうな気がしたから無意識に捕まえちゃったっぽい…?』

「…そうですか」

いつの間にか食べ終わったらしく皿は空っぽでテーブルに置かれて、ペットボトルの中身も半分なくなってた。ちゃんと飲めたならそれでいいやと思いながら体を起こす。

『そんで、たかとおくんこれからどうするの?』

「………そうですね、どうしましょう」

視線を遠くして腹を擦ってるたかとおくんを眺める。

ここ2日のニュースは大体が一つのことで、なんでも連続殺人事件が起きたらしい。犯人は現在も逃走中と言ってた気がする。いや、正確には主犯はつかまって、協力者が逃げてるんだったか?あまりに興味がなかったからきちんとは覚えていなくて、眠気覚ましに一度の伸びることにした。

「先輩、お仕事は」

『オフ』

「…何されてるんですか?」

『下っ端してんよ』

「………そう、なんですね」

ベッドに腰を掛けて、視線を床に迷わせたあとにふっと顔を上げて俺の首を見た。

「……それ、」

ゆっくりと伸びてきた手が恐る恐る、そっと俺の首筋に触る。絆創膏一枚越しの感触は温度も何も伝わってこなかった。

「すみませんでした、痛かったですよね」

『んーや、そんなでもないよ。臭いがやばかったくらいで…たかとおくんはもう痛くない?』

ちょっと悩んで触ることはしないで腹に視線を向ければたかとおくんの表情は見えなくなった。

一日に一回くらいは診てたけど、素人の俺にはよくわからず絆創膏までは剥がさないで汗ばんで気持ち悪そうなテーピングだけ巻き直してた。

もしかしたら毎日剥がすべきだった?と問えばいえ、これで大丈夫ですと返ってきたので息を吐く。

「先輩のおかげで、助かりました」

『すげぇ。たかとおくんに感謝されるとか、超貴重体験だ』

ほんのちょっと苛ついたような匂いを醸したたかとおくんは短く息を吸って吐くことでそれを霧散させて、ご馳走様でしたと言われた。

ああ、そういえば食器片付けてなかったなぁなんて思ってまた立ち上がる。

『あ、飲み物とか救急セットとかいる?』

「え、ああ、…救急セット貸してくださると助かります」

視線を逸らしながら答えられて軽く返事だけして空の食器とペットボトルを持ち上げて部屋を出た。

隣の部屋の血とココアの篭って混ざった臭いにうっと一瞬鼻を抑えようとしてかちゃんと食器が鳴り、後ろから先輩?という声が聞こえてなんでもないとキッチンに向かう。

ああ、まったく、油断してた。換気したいし買い換えたいし、もういっそ引っ越したいレベルの臭いにトイレに駆け込まなかっただけ進歩した気がする。

換気扇の下ですーはーすーはーと肺の中を入れ替えるみたいに呼吸をしてみてもあまり良くはならず、紅茶とココア、救急セットを片手に戻った。

『どっちがいい?』

「…救急セットを…」

いやいや、救急セットは渡すけど飲み物の話と笑えばまた戸惑ったような空気を醸しだして、後でもいいかとサイドテーブルにココアが入ったカップを置いて救急セットを渡した。

床に座って傷の具合だかを確認し始めたたかとおくんを眺めながら紅茶を飲む。

絆創膏を剥がした途端に強くなった血の匂いに思わず眉を寄せてしまったけど気づかれてないことを願って、目をそらす。

暫く布のこすれる音が響いて、ふいに息を詰める声がして視線を上げた。

『手伝う?』

「………大丈夫です、一人でできますので」

強い子だなぁと思いながら俺よりも遥かに上手に包帯を巻いていく姿を眺める。

時折息を詰めるのは傷口に響くからなんだろうけど、これは病院に行ったらいけない傷なんだろう。腹を手当し終わって、たかとおくんの手が少し止まって俺を見た。

「先輩、」

『ん?』

「……あの、」

血の臭いが充満して鼻が効かず、何を言いたいのか察せないで首を傾げればとてつもなく何か言いづらそうな顔をしてるたかとおくんがいて、やっぱり首を傾げた。

「…………下脱ぎたいんで、こっち向かないでください」

『…ああ!』

なるほどとベッドに背中を預けるように視線を外せばほっとしたみたいなニュアンスで息を吐かれる。

そもそも着替えさせたのも初めに手当したのも俺なんだから今更な気もしたが、気になると言われてしまったら顔を背けるしかない。

別に見たいわけでもないしなぁと布のこすれる音をバックにまた紅茶を啜る。

「………先輩、」

『どうした?』

「……先輩は、どうして俺を助けてくれたんですか?」

『どうしてって、そりゃたかとおくんが寒そうにしてたからでしょ』

「…そうですか」

ちょきんとテーピングを切った音がしてふいに首の痛みがじくりとぶり返した気がした。

あの時のたかとおくんは本気だったなぁ

『それで、聞きたいことはもうない?』

また布のこすれる音がして手当は終わったのだろうと当たりをつけながらも視線を戻さないでおく。

傷口の触れた空気の匂いが充満してる。あとで換気をしないと、今日はこの部屋で寝れそうにない。

「…先輩は、こちら側の人間なんですか?」

『さぁどうだろ。………でも、今の俺は普通の人』

今はですかと聞き返されても頷くことしかできない。

紅茶を飲もうとして空っぽなことに気づきテーブルに置いた。

『ちょっとミステリアスなほうがいいんじゃない、人間』

「…そうですね」

小さく返ってきた言葉に同意して今まで持ってたのとは違う、隣のカップに手を伸ばして一口飲む。

『はい、たかとおくんの分』

「……ありがとうございます」

今度はほんのちょっとの警戒で受け取ってココアに口つけてくれた。

野生の動物がちょっとずつ絆されてるみたいだ。少しは慣れてくれたのだろう。

ちびちびココアに口つける様子をぼんやりと眺めてれば、ピーンポーンと若干大きめな音が響いて二人で肩を跳ねさせた。

一瞬で俺を睨んだたかとおくんを先になだめるべきなのか、それとももう一回鳴ったインターホンをどうにかするべきなのか目を彷徨わせる。

「…出てきてください」

『はーい』

仕方なしに立ち上がってリビングで点滅してるモニターを覗く。

扉の向こうに立ってるのは見知らぬ人で、途端にきな臭い臭いがした。

開けっ放しにしてた扉からこっちを窺ってるたかとおくんと目を合わせてから人差し指を立てて口の前に置けば、なにか悟ったような顔をされる。

もう一度インターホンが鳴った。

『はーい。おまたせしましたー』

「こんにちは」

告げられた名前は近場の大きな警察署の名前で、モニターにつきつけられた手帳もそれらしい。はいはいと相槌して玄関のチェーンをはずして出た。

『何の御用っすか?』

流れてくるのは数日前から騒がれてる殺人犯がここら辺に潜伏してるかも知れない、何かしらないかということで。

『すんません、最近部屋に詰めてて外に出てないんで、ちょっとよくわかんないっす』

「お仕事は?」

『テレビ関係の仕事をちょっとだけ』

名乗った名前に二人いた警察の人のうちの片方がああ!と表情を明るくした。そこそこの知名度らしくほんのちょっとうれしくなったのはここだけの話だ。

すんっと臭いをかげば二人からは強い疑心やらの臭いはもうしなくて難は逃れたらしい。

「今もお仕事中ですか?」

『そうっす。』

ここ最近の疲労感を隠すことなくわざと笑えばお仕事中に失礼しましたと信じて疑わない笑顔で頭を下げられて二人は隣の部屋に足を進めた。

がちゃりと扉を閉めてふぅと小さく息を吐く。

たかとおくんの靴ちゃんと隠しといてよかったなぁと昨日の自分を褒めて部屋に戻った。

リビングで息を止めてから隣の部屋を開ければ鋭い視線が飛んできて敷居を跨がずに一度中を見た。

『とりあえずは大丈夫だよ』

「……………」

せっかくちょっと懐いてたのにまた逆戻りしちゃったよと心中ため息をついてから部屋の中に入る。ここ2日で所定位置になったベッド脇に腰を下ろしてたかとおくんを見上げた。

眉根を寄せて俺を見下ろすたかとおくんからは疑心の臭い。

「……嘘を吐き慣れてるんですね」

『そう?』

いつだか、嘘をつくときはほんのちょこっとだけ真実を交えると信憑性を増すという風に教わって、今までそれを実行し続けてた俺の嘘を見破るのはこれで二人目だ。

あれ?案外俺ってボロが出やすいのかもしれない。

首を横に振って事実から目をそらして笑う。

『全部嘘じゃないよ。仕事もしてたし、名前もちゃんと本物』

「先輩、本当にこちら側じゃないんですよね」

『うん。今はだいたい一般人だよ』

うわぁとあからさまに顔を歪められて笑顔を返せばまた更に顔を歪められた。




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