あんスタ
1
ばたばたと騒がしい校内はつい最近開催が決定したシャッフルレッスンのせいだろう。
電話で少し聞いた内容によればユニットの垣根を超えてレッスンをし、最終的にはちょっとしたライブを行うらしい。すでに胃が痛いと歯を食いしばってたあの人は無事に二週間を終えられるのか少し不安だ。
fineに流星隊、紅月、2wink、Rabbits。
たしか参加するのはこの辺のグループで他は様子見だと言っていたような気がする。addictは誘われているようだったけどどうする気なんだろう。
音を立てて開かれた部室の扉にもう部活の時間かと顔を上げれば、笑顔を繕った逆先がいて、特に何か用事を取り付けた覚えのない訪問に目を瞬けばこちらに足を進めてきて目の前に立った。
「お邪魔するヨ」
『うん、いらっしゃい』
目配せをすれば正しく意味を理解したらしい逆先は近くの椅子に腰掛ける。普段であれば柑子の座る席だから違う赤色が座っているのはなんとなく新鮮だ。
「あれ?他の部員はまだ?」
『連絡は来てないからたぶんそろそろ来ると思うけど…もしかして誰かに用事だった?』
「うんん、君に用事」
『そう。どうしたの?』
混乱をさとられないように笑みを繕って、首を傾げれば逆先は一瞬目をそらした後に唇を動かした。
「今度の小さなイベント、あれにpuppeteeerは出る予定はあるのかイ?」
『ああ、あれ…誘われてないからとりあえずは様子見をしてるところだけど…』
「そ、そうなんだ。…そうしたら、えっと、もしよかったらなんだけド」
恐る恐る差し出された参加申込書。言いたいことはなんとなく察してたとはいえ、まさか誘われるとは思っていなくて目を瞬いていれば視線が迷う。
「べ、べつに無理にとは言わないし、椋実と檳榔子にも相談してから教えテ!」
それだけだから!と飛び出していってしまいぽかんとしてる俺はだいぶ間抜け面だろう。
ばたばたと遠ざかっていく足音が聞こえなくなって、息を吐いてから紙を手に取る。参加申込書と、注意事項と企画概要がまとめられた資料がくっついていて目を通しているうちにノック音が響き、扉が開いた。
『おかえり、柑子』
「はい、ただ今帰りました」
部員で唯一ノックしてから入ってくる柑子の後ろには誰もいない。扉を閉めてついさっきまで人がいたその場所に座ると俺の手元を見て緩く笑んだ。
「はくあくん、参加なさるんですか?」
『ついさっき誘われたばかりでまだ相談してないからどうしようかなって…addictはどうするの?』
聞き返されることを想定したように、焦ることも迷うこともなく緩い笑みをどこか楽しそうして目をつむった。
「僕は木賊に任せようと思っています。誘われてはいますが実際にメンバーを交換となれば木賊が不安になるかもしれませんからね」
『ふふ、木賊は寂しがりやだからね』
「はい」
「はぁぁん?!なにゆーて…寂しがりやとちゃうわ!」
どこから聞いていたのか、ノリツッコミをしながら飛び込んできた木賊。木賊と一緒に中に入ってきたのは笑っている黄蘗と淡々と足を進めるシアンで、全員が所定位置に腰を下ろした。
「柑子!はくあも!不名誉な噂が流れたら敵わんからやめろや!」
『別に嘘じゃないだろ?』
「ええ、木賊が寂しがりやなのは事実ではありませんか」
「ぅーっ!」
「あははは!くーちゃん真っ赤ぁ〜」
楽しそうに笑った黄蘗にシアンが見兼ねたのか声をかけようと息を吸う。同時にばんっと大きな音を立てたテーブルに全員が顔を上げれば、怒っているのにどこかふてくされてるような複雑な表情の木賊が手を叩きつけていて、勢い良く立ちあがったせいで椅子がひっくり返った。
「あんま俺を舐めんな!目に物見したるわボケ!やってやろうやないか!」
「…木賊?」
ぱちぱちと瞬きをしながら名前を呼んだシアンを無視して、木賊は俺の手から紙を奪い取ると下ろしたばかりの鞄を引っ掴んで飛び出していった。
ばたばたと足音が遠のいていき、シアンは瞬きを止めて俺を見ると眉根を寄せた後に鞄から本を取り出す。柑子は何故か嬉しそうに笑っていて、黄蘗はお菓子を食べ始めたから俺も息を吐いて携帯をポケットから抜いて、胃痛の種を増やすことに謝罪の連絡を入れた。
「ちょっと紅紫!?どういうことなのさ!!」
朝一番にクラスに飛び込んできた逆先はクラスメイトの視線は気にしていないらしい。とりあえず持っていたペンを置いて苦笑いを浮かべた。
剣幕から見なくとも、まだ返事をしてない昨日の件だ。
さて、どこまで木賊は突っ走ったんだろう。
『少し仲違い中で』
「それはなんとなくわかってるけど…木賊、うちのセンパイ引っ張って行っちゃっテ」
思い出したように口調を戻した逆先に、見守っていた黄蘗かどんまいと声を上げて笑う。
「今回のくーちゃんはなかなか機嫌治らないやつだから、ごめんね!」
お詫びなのかお菓子を差し出す黄蘗に迷いながら受け取った逆先は小さく息を吐いて俺を見据えた。
「よくわからないうちにaddictとSwitchは合同することになったけど…puppeteeerはどうするのサ?」
『うん。黄蘗とシアンにも相談してみたんだけど、よければ参加させてもらえないかな?一緒に組もう』
目を見開いたあとに唇を噛みしめて、はっとしたように表情を固めたと思えば鼻を鳴らした。
「ま、まぁ、僕の方もセンパイ連れてかれてるし、仕方ないからね。じゃあどう混ぜるか決めないとネ」
昨日渡された申込書は木賊が使っているから、プリントしておいた別のものを机に置く。向かいの空席に腰掛けた逆先が目を落とすより早く、黄蘗の手が伸びて、ペンを走らせた。
目を丸くした後にすぐジト目で俺を見てきた逆先に苦笑いをまた返してしまって、黄蘗はにこりと笑う。
「これで完璧♪」
申込書の中身を見つめて、眉根を寄せたままの逆先が俺を見上げるから首を傾げる。
「人選の理由を聞きたいんだケド?」
『黄蘗、何にしたの?』
逆先も仕方なさそうに黄蘗に視線の先を変えた。嬉しそうな表情はそのままにお菓子を頬張りはじめた黄蘗が飲み込んで、口を開く。
「くーちゃんがどうなるかわからないから、お家は残さないといけないでしょ?だから融通がきくように僕としーちゃんとこーちゃんがぱぺ。はーちゃんと春川くんと、なっちゃんはSwitch」
「家?」
「うん。お家」
不思議そうな表情を浮かべた逆先に黄蘗はにっこりと笑って言及を拒んだ。まだ物言いたげな様子にこてんと音でも立てるように愛くるしい動作で黄蘗は首を傾げた。
「逆にこれ以外の組み合わせってあるの?」
『ないかな。流石黄蘗だね。ありがとう』
「えへへ!もっと褒めて〜」
立ち上がり飛びついて膝の上に座ってきたから背に腕を回し、空いている方の手で頭を撫でる。逆先は呆れたような顔をして机の上の申込書をまとめて持ち上げた。
「それじゃあコレで行くことにしよう。顔合わせは今日の放課後でイイ?」
『うん、大丈夫。押し付けてごめんね?』
「別に、慣れてるしイイヨ」
顔を逸してさっさと教室を出ていった逆先はきっと申請をしにいったんだろう。黄蘗の髪をなでながら考えをまとめる。
今回の木賊が、どこまで走る気なのかは正直まったくわからない。変にあたりをつけすぎて予想とかけ離れていたら修正がきかなくなる可能性もある。組むのが面識が殆どない青葉さんなのは不安要素が多いけれど、シアンと柑子と黄蘗が組んでいれば融通がきくしpuppeteeerに三人を固める案は反論のしようもない。
三人を固めてレッスンしたところでそれが本来の目的の所謂異文化交流に入るのかは謎だけど、申請しにいったのが逆先だからなんとかなる気もする。
赤色が消えた席が引かれて、青色が視界に映りこんだ。
「しーちゃんおはよー!」
『おはよう、シアン』
「おはよう」
黄蘗を見据えた後に俺を見つめる。首を傾げるよりも早く息を吐いたシアンが俺の額に人差し指をさした。
「逆先からグループは聞いた。はくあは楽しんで来い。対応はある程度俺達で行うから迎えだけ頼むぞ」
『え?大丈夫だよ?』
何を言い出すかと思えば。本当に突拍子もないことを言う。反論は許さないとばかりに額が突かれて笑われる。
「いい機会だろう」
「うんうん。はーちゃんたまには楽しんできてよ!」
「僕と黄蘗くんとシアンくんがおりますから、羽を伸ばしてきてください」
いつの間に現れたのか柑子に髪を撫でられ、黄蘗が抱きついて離れる。異様に集まっている気がする視線に息を吐いて両手を上げれば満足したように三人は頷いた。
『宙くん。今日からよろしくね』
「はい!こちらこそ、お兄さん!よろしくおねがいしますなのな!」
授業が終わり、早速向かったゲーム研究会の部室にいた宙くんは俺を見るなり目を輝かせるから笑って挨拶を交わす。ついでに黄蘗からもらったお菓子を渡せばキラキラとした目でお礼を言って頬張り、逆先が呆れたように息を吐いた。
「あまり餌付けしないでもらえるかナ…?」
『ふふ、ついね』
「………君、誘拐犯とか詐欺師とかになりそうだネ」
『失礼だなぁ』
お菓子を食べ終わった宙くんの髪をなでて逆先を見据える。全員まだ制服でとても動ける状態ではないから例外なく着替えることにする。ゲーム研究会を出て、抑えておいたレッスンルームに足を踏み入れた。
「お兄さんが魔法使いになるの楽しみです!」
『ふふ、僕は見習いだからよろしくね、宙くん』
「お兄さん見習い??」
「そうだヨ。弟子どころかまだスタートにも立てていない迷い子」
『その言い方は少し気になるんだけど…』
「事実だロ?宙、まずは杖の持ち方でも教えてあげようカ?」
小さい子でも見つめるように俺を見てくるから苦笑いを浮かべて、話を振られた宙くんは目を輝かせた。
「はい!お兄さん!お兄さん!!」
俺の手を引いて部屋の真ん中まで向かう。杖の持ち方は比喩のようで、最初に話していた段取り通りなら練習のことだろう。
その証拠に俺を座らせた宙くんはまずはストレッチ!と笑って背を押し始めた。
「お兄さんとっても柔らかいのな!」
『そんなでもないよ?』
足を揃えて、次は足を開いて上半身を倒せば上から宙くんの跳ねた声が落ちてくる。体の柔らかさで言えば俺達はみんな同じくらいだからそんなに気にしたこともなかった部分を口に出されると少し首を傾げてしまう。
「次は宙のお手伝いをしてください!」
『もちろん』
場所を変わって宙くんの後ろに回る。息を吐くと同時にぺたりと床に腹をつけた宙くんは正直背を押す必要はない気もしたけど背に手を添える。
「練習は僕達と君たち、どちらに合わせようカ?」
『Switchの世界を作るなら練習もSwitchのほうがいいんじゃない?』
「ししょー!宙はお兄さんのいつもしてることをしてみたいです!!」
頷きかけた逆先が止まり、柔軟を終えた宙くんは立ち上がって飛びつく。首に腕を回してくっつき笑う宙くんに嬉しそうに息を吐いた逆先は俺を見据えた。
「今日だけ、君に任せるヨ」
『うん?いいの?』
「宙がしたいっていうからネ。まぁ僕たちが従うかどうかは君の手腕にかかってるけど?」
可決され喜びに飛び跳ねる宙くんとにんまり笑って片目を閉じた逆先は少し対象的だ。苦笑いで返して、それじゃあとポケットから携帯を取り出してケーブルに繋いだ。
puppeteeerもconfectioneryも、基本的に最初の準備は変わらない。まずは筋トレ。次にリズム取り。そのまま課題曲の練習に入る。筋トレの部位は日替りだけど、二人は初めてだから基本スケジュールでいいだろう。
腹筋、背筋、腕立て、クランチなどの軽いものを混ぜて3セット。いつもかける曲に合わせて、一応説明をしながらこなす。
そのまま顔を上げて次に移ろうとしたところで二人が動かずそこにいた。
「はぁ、はぁ…」
『大丈夫?』
差し出されたタオルを受け取って汗を拭う。宙もバテていて座り込んでお茶を飲んでいるのにこいつ化け物か
「puppeteeerっていつもこんな練習してる、わけ?」
『まぁ大体は…』
不思議そうに首を傾げた紅紫は何に驚かれているのか理解した様子でため息が溢れる。気にする方が負けらしい。
紅紫と椋実はなんとなく筋力があるのは見て取れるからそんな気はしていたけど、この筋トレをあのゆるふわな檳榔子もしているなんて信じられない。
もう一回お茶を含んでから立ち上がった。
「続きはなにをするのサ?」
『場合によるけどあと1セット同じ筋トレしてからリズム取りとストレッチだね』
「………そんなに筋トレしてなんでムキムキにならないノ?」
『僕を含めてみんな筋肉がつきにくいんだよね』
柔く笑った表情に首を横に振って宙が立ち上がったのを確認して指を立てる。
「筋トレは終了。ストレッチはさっきしたから省略。リズム取りは課題曲に合わせながらやるヨ」
『うん、わかった』
「はーい!」
飛び跳ねる勢いの宙を落ち着かせるため頭を撫でて、今回の課題曲を流す。室内に響く音楽は僕達switchの楽曲で聞いたことがあったのか紅紫はゆるく笑みを浮かべた。
『イースターの時に歌ってた曲だね?』
「お兄さん見てたんですか!?」
『うん。直接じゃないんだけど…』
「嬉しいのなー!!」
はしゃいで飛びついた宙に頬を緩めて頭を撫でる。
イースターライブと言えばもう半年以上前の話なのによく覚えてるものだ。
曲を止めれば宙から視線が僕に移る。僕を捉えた瞳がとても澄んでいて心臓が高鳴るから咳払いをしながら目を逸らして宙を見た。
「それじゃあ、宙?まずは魔法をかけるためにその迷い子に呪文を教えてあげよう」
「お兄さん!お兄さん!一緒に魔法をかけましょう!」
『うん』
胸を張って宙の真似をするのな!と笑う。紅紫は嬉しそうに笑って頷くと指示を聞いて、二、三やり取りをしたと思うと紅紫が口を開いた。
『魔法をかけよう』
「………、凄まじく胡散臭いネ」
『失礼じゃない?』
妖艶な笑みとぞくりとしてしまうような色気混じりの言葉はまさしく呪文だった。宙は固まってしまい僕も無理やり感想をひねり出す。
返答がお気に召さなかったのか表情を崩して首を傾げた紅紫に魔法を使わせるのは危険すぎると決め、宙の頭を撫でた。
「見習いに魔法を扱わせるのは暴発の危険があるからまた今度にして、僕と宙で魔法をかけようカ」
『え、魔法って暴発するものなの?』
「そうさ。魔法は薬にも毒にもなル。人の心を壊してしまう可能性もあるんダ。だから魔法は修行をしっかりして、正しく扱わないといけないヨ」
『危険物だね…?』
不思議そうな紅紫にそれ以上深く考えるのはやめて復活した宙に杖を渡す。
「宙、紅紫と一緒に音の確認をしておいて?」
「お兄さんは先輩のところでいいのかー?」
「そう、センパイのところを教えてあげテ」
『よろしくね?』
「はい!お願いします!」
大きく頷いた宙が紅紫の手を引いて音源にしてる携帯を覗き込む。二人が小さな画面を覗き込む姿を見届けてから携帯に触れるとセンパイと柑子から連絡がきいていて眉根を寄せた。
怒りなのか、羞恥なのか、周りが見えてない木賊がセンパイを引き摺っていって早二日。支離滅裂なことを言って引っ張っていったけれど練習自体は冷静にしっかりと行ってるらしく、わかりやすいです〜なんてアホみたいな感想がきてた。
柑子からは紅紫の様子をうかがう内容で、とりあえず魔法は禁止と入れて返しておく。
息を吐いてから顔を上げると一度一通り流してみせたところなのか、目を細めて笑った紅紫に宙が目を瞬いたところだった。
「不思議なー」
『どうしたの?』
「お兄さんの色がどんどん青色になっていってます」
『………そう?』
「んん〜、いつもお兄さんはピンク…赤っぽい紫色?そんな色味なのに先輩の動画を見た瞬間に塗り替えるみたいに内側から青色になっていってます。ししょー、どうしてですか?」
首を傾げ戸惑うような表情の宙はぱたぱたと足音を立てて僕の目の前に立ち、またどうしてと問いかける。
ちらりと視線を動かした先では紅紫が何故か眉根を寄せて目を逸らしているところで、唇を結んでいたから触れてはいけない気がして宙の髪を撫でた。
「僕にも確かなことは言えないけど…紅紫はきっとセンパイの姿を見て、センパイの魅せ方を学んで真似ようとしてるんじゃなイ?」
「真似?どうしてですか?お兄さんは先輩じゃないんだから真似る必要はないのなー?」
「そうでもないサ。今回の紅紫はSwitchだからネ。センパイの代わりをするためだヨ」
頭の上に?を浮かべて、くりくりとした瞳が光る。傾げた首はそのままに眉根を寄せてよくわかりませんと腕を組んで唇を曲げた。
「お兄さんはSwitchだけど、先輩の魔法は先輩にしかかけられないのな?お兄さんは先輩じゃないんだからお兄さんはお兄さんの魔法をかければいいと思います」
「、」
難しいと悩む宙に視線を上げる。視界に入った紅紫の表情を認識してしまって、息を詰めた。
「ししょーも言ってました!宙には宙の色があるみたいに、みんな色があります!自分を塗り替えたり押し込めたりするのは息苦しいです!」
宙が笑った気がするけど視線を逸らすことが出来なくて息もできていないのか頭がぼーっとして苦しい。
紅紫の表情は恐ろしいまでの無。初めて見る顔に心臓が掴まれるどころか握りつぶされてしまったんじゃないかと思うくらいに威圧感を覚えて、背筋が冷たくなる。
宙の指摘が紅紫にこんな表情をさせているのであれば、今すぐ止めないといけない。わかっているのに怖くて目を逸らすことができず、宙が動く気配がした。
「確かに青色のお兄さんも綺麗だけど、もとからあるお兄さんの綺麗な色を塗り替えちゃうのは勿体無いのなー!宙はお兄さんの色が好きです!」
紅紫の瞳が揺れる。無から哀しみと憤りを混ぜたような複雑な表情になって、宙を見ていた視線が逸れた。
妙な緊迫感がなくなって急に取り込んだ空気に思わず噎せれば宙が驚いたように声を上げた。
「し、ししょーどうしたのな!?」
「な、なんでもないよ…」
三回咳込み呼吸を整える。視線を這わせると紅紫はさっきのが見間違いかと思うくらいにいつも通りの笑みを浮かべて僕達を見ていた。
「…………そうだね、宙」
「どうしたかー?」
「よし、紅紫」
『うん?』
「君にはセンパイのパートをやってもらう」
『最初からその予定じゃなかった?』
ぱちぱちと目を瞬き首を傾げた紅紫にまだばくばくいってる心臓を押し付けてにっこりと笑ってみせた。
「けどセンパイの魅せ方は禁止。君は君の表現で魔法を使ってもらうヨ」
『………それは今回の趣旨にあわないんじゃない?』
「いいや?今回はあくまでも交流を通して他から学んで自分の力にすることが目的だからネ。君が、センパイのトレースをするのではなく、君はSwitchの紅紫として僕達と演目を成功させる、それこそが正しいはずサ」
一瞬、視線を揺らして目を逸らした紅紫は何故か不安がってる子供みたいな表情に見えて、噛みしめるように結ばれていた唇が解ける。
『…Switchは君がリーダーだからね。リーダーの指示に従うのが通りだ』
柔らかい笑みに心臓が高鳴って、見ていられず目をそらした。
「ん。じゃあ君には君の魔法を覚えてもらうことにしよウ。宙、もし紅紫が青色に塗り替わったら教えてネ?僕がリーダー権限で修行のやり直しを命じるかラ」
「はい!お兄さんのことバッチリ見ておきます!」
「よろしくネ」
「お兄さんのこと見守るのな!」
『うん、お願いね?』
宙の頼もしい返事。紅紫の少し嬉しそうな表情にせっかく和らいだはずの心臓の痛みが再発して首を傾げた。
とりあえず柑子には追加して心臓が痛いとだけ送っておくことにする。
何回か動きの確認をして見たけど紅紫は飲み込みが恐ろしく早い。一度見ただけで大体の流れと型は覚えるし、三回もやればほぼノーミスで一曲通せた。
時折センパイの魅せ方が混ざることもあったけど、猿真似のような違和感などなく本物のセンパイが一緒に歌っているような安定感と鮮やかさがあって、驚くよりも早く宙がお兄さん!と服を引いて戻してた。
戻してくれなかったらどうなってたのかとちょっと不安になるほどのその出来栄えにこいつが人間なのかと再度訝しんでしまう。
何度も通して大体の型が出来て、一旦休憩を挟む。
全く疲れた様子のない紅紫はロボットなんじゃないかなと思いながらお茶を飲んだ。
「hu、hu〜♪」
元気に飛び跳ねる宙を紅紫はにこやかに眺めていて、普段の読めない笑顔とは違ってどこまでも凪いでいた。
ペットボトルを口から外して息と一緒に言葉を吐く。
「檳榔子もそうだけど…君って宙とかみたいな幼い雰囲気の子が好きだよネ?」
『ん?別にそんなことはないよ?』
あっさりと返ってきた否定に首を傾げそうになる。一回落ち着けようと心の中だけで深呼吸をし、ポーカーフェイスを心がけてから口を開いた。
「でも宙とか見てるときの君は柔らかい感じがするヨ」
『あー…それはそうかも…』
歯切れ悪く答えて目を逸らした紅紫は息を吐く。
『…似てるんだよね、あの子達に』
小さな声は僕に聞かせる気はなかったんだろうってくらいに掠れていて、耳が拾ってしまったのはたまたまだ。
聞こえてないふりをすれば予想通り紅紫は笑顔を作り直して、視線を落とす。
『黄蘗も宙くんも、見ていて微笑ましいよ。でも僕は、一緒にいてくれるシアンも、何があろうと肯定しくれる柑子も、人に対して素直になれない木賊も好きだし僕の内側の人間だと思ってる。もちろん逆先のことだって好きだよ』
さらりと続けられる言葉に思考が一度ストップしてしまう。
練習中に落ち着いたはずの謎の痛みが心臓を襲って、それから今度は隠すことなく思いっきり息を吐いた。
「…………君って、タラシって言われない?」
『え、なんでそのこと…誰から聞いたの?』
心底驚いたように目を瞬くからこいつはアホの子なのかもしれない。
.