あんスタ
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「紅紫さん!こちらです!」
ぱっと笑みを浮かべて手を振るその人に近寄る。普段と同じ髪型、それと眼鏡。ただ服装はタキシードで俺と同じようなデザインだった。
「先日のCM拝見いたしました!いやぁ、confectioneryの皆様は本当に映えますねぇ!なんでもあのお菓子売上が跳ね上がったそうですし、第二弾も計画がたてられていらっしゃるんだとか…。本日は貴重なお時間をくださりとても感謝しております!」
にっこりと笑って右手を差し出してきた七種さんに同じように右手を上げて握る。体温が低いのか少しひんやりとした指先。
ちょっとだけ力を込めて握ったあとに離した。
『ふふ、ありがとう御座います。こちらこそ、ご活躍拝見しております。お忙しい中お会いしてくださり感謝いたします』
そもそも、俺と七種さんが一対一で顔を合わせているのは招かれたパーティーのせいだった。
どういった基準なのかは定かではないけど、何故か事務所に送られてきた招待状は俺を名指ししていて、同伴も認められないらしい。名のある事務所が主催するパーティーに違いはないようだけど、意図が読めず怪しんで辞退しようとしていた俺に連絡をしてきたのは漣さんを介した七種さんだった。同じく七種さんにも名指しの招待状が届いているそうで、どこから仕入れたのか俺も同じ招待状が来ていることを知り一緒に行かないかとの誘いだった。
照らし合わせてみたところ、今回主賓を務める人間が七種さんにとってとても気になる人物らしく、普段は表に出てくることがないから一度面通しを行いたい。しかしながらEdenどころかAdamさえ同席不可なそこでは何が起きるかわからず、そんな中偶々俺も誘われていると耳にしてコンタクトを取ってきたそうだ。confectioneryの猛反対はあったものの、少しだけ気になる部分があって承諾した。うちの事務所としては難色を示していたけど向こうの事務所は違うようでわざわざぜひともよろしくお願いいたしますなんていう文面が届いてた。
会場内で落ち合うのは不確定要素が多いから少し離れた場所で待ち合わせた俺達は社交辞令を終わらせてさて、と七種さんが眼鏡越しに俺を見据える。
目を細めて、口角がゆるい角度を描いて上がる。
「よろしいですか、紅紫さん。ここからは戦場です。気を抜いてしまったら最後、後ろからぐさりなんてこともありえます。今回は貴方と自分は一蓮托生ですからくれぐれもよろしくお願いいたしますね?」
目が一切笑っていないから空気を壊さない程度の笑みを繕ってもちろんと頷いた。
『不利益が生じない限りは互いに助け合う味方として、今回はよろしくお願いいたします』
「ふふ、聡明なお方だ。まるで閣下を見ているようです。では短い間ですが…一蓮托生、自分たちは互いの命綱ですから勝手に綱を切らないようにお願いいたします」
今回のパーティーに参加するにあたって、俺達は同盟を組んだ。条件はいくつかあるけれど、一つは互いに牽制を掛け合うのを一旦辞めること。二つは不利益が生じるまでは互いを保護し合うこと。
この制約がどれだけの効果を成すかはわからないけど、七種さんのようなタイプは良くも悪くも合理主義だ。今後も付き合う可能性が高い俺、ひいては俺達をわざわざ裏切る確率は限りなく低い。俺の打算だって読んだ上で承諾してきている向こうも、俺が制約を破ることで事務所に汚名を着せてしまう可能性を懸念していることを知っているから同じだろう。
互いの不利益になるまではなんて曖昧なようで確固たるそれを再度確認しあって会場に向かう。今回のパーティーは最近作られたばかりのホテルで行われるらしい。指定されたホテルにはドアマンが立っていて、俺達に気づくとお辞儀をして扉を開けた。
中に入ればまだ真新しい建物のにおいがして、関係者以外はいないのか一般客は見当たらない。七種さんと一瞬目を合わせたあとに奥に進み、受付なのか柔和な笑みを浮かべた女性に近づいた。
「七種茨様、紅紫はくあ様、お待ちしておりました。こちらはパーティー参加証明書のブローチとなります。お手間かとは思いますが胸元におつけください。」
青の、たぶんバラをモチーフにしたブローチか手渡され胸元につける。ちらりと見た七種さんの胸元にも同じように青の、しかしながら中心の花弁が白い別の花が飾られてた。
「どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ」
別の関係者二人により開かれた観音開きの扉。二人で中に入れば一瞬視線を集めて、その視線の鋭さや温度感からこれは事前に考えていたソレが大当たりだと教えてる。杞憂で済めばよかったのにと思いながら足を進め、近寄ってきたボーイからグラスを受け取った。中身はオレンジジュースらしく目を細める。見る限りまだ人が揃っていないらしく場内は疎らに人が固まっていて、もちろん主催者もいない。
二人で揃って一度壁際によれば、グラスを目線の高さにまで上げた七種さんが笑む。
「紅紫さん、乾杯いたしませんか?」
『…そうですね』
周りは自由にグラスに口をつけているようで、中には若干アルコールが入ってるのか頬が赤い人間も見受けられた。
グラスをぶつけないよう目を合わせて笑ってから二人でグラスに口をつけて、一口喉に通してから離す。甘いジュースにせめてお茶でも用意しておいてくれればよかったのにと心の中だけでため息をついて、場内に視線を向ける。
俺と七種さんのブローチが青色で纏められていたから、てっきり全員が青系統でまとめているのかと思いきや場内には黄色や赤の花も咲いていた。単にランダムで渡されているだけならばいいけど、なんとなく違和感が拭えなくて、花の形や色、つけている人間の顔を見比べたあとに七種さんを視界の端で確認する。
七種さんも同じようにグラスに口をつけながら会場内を見据えているようで、前髪に隠れた眉間に薄っすらと皺が寄せられてた。
視線を逸らさないよう、グラスで口元を隠しながら口を開く。
『七種さん、胸元につけられているそのブローチ、モチーフの花の名前はご存じですか?』
「いいえ、育ちのためか生憎こういった鑑賞物には疎いものでして…一般的なものならば…紅紫さんがつけていらっしゃるのはバラですよね?」
『ええ、恐らく僕の分はバラかと。……僕もそこまで知識が深くはないのですが、…幾つか、気になる花をつけている方がいらっしゃるみたいで…。七種さんはどうですか?』
「…自分はここに招かれている面子ですね。お気づきだとは思いますが、ここに招かれている人間は貴方を含め芸能界の現役ですが…些か、異色が混じっているように思います。………恐らく、貴方と同じ人たちでしょうね」
気味の悪かったり、真意の見えてこない招待状はいくつかあったけれど、ここまで明け透けな割に巧妙な招待は初めてだ。胸元のブローチの青が視界にちらついて眉根を寄せてしまいすぐに戻す。七種さんが後ろ手に携帯を操作しているのを見てさり気なく人の視界を遮るよう立ち、表面上は穏やかな会話を続けた。
ぴたりと手を止めたのを感じて視線をずらせば七種さんは声をひそめる。
「…………“オダマキ”だそうです」
『……あまり聞かない名前ですね』
「ええ、比較的出回っているとはいる品種のようではありますが…通常は品種改良されているものが主流で、色もピンクや赤が人気のようですね。自分のつけている真っ青なものよりは紫や青紫のほうが有名のようですし…」
『花言葉はなんですか?』
「花言葉?」
七種さんが言葉をそのまま返してくるところを初めて見たかもしれない。指が動くのを確認しながら俺も声を潜めて発する。
『僕が気になっているのは花の種類と色、そこに紐づく花言葉です。有名なものしか知らない僕でも気になるような花が目につきます。…ただの杞憂ならいいんですが、七種さんの花もきちんと意味を確認しておきたいんです』
「なるほど………ありましたよ。オダマキの花言葉。………ああ、まったく、趣味が悪いですねぇ」
声のトーンを異様に低くして、唸るような、嘲るような、そんな声色の七種さんは美しい笑みを浮かべた。
「“愚か”だそうです」
『………それは別の色でも同じですか?』
「そうですね…花全般の意味がソレで、赤や紫、白の場合ですともう少しマシな意味になります。故に、自分にこの青が渡されているのはそういうことかと」
『…………杞憂で済めばよかったんですけどね』
小さく息を吐いて、グラスを傾ける。甘いジュースが喉に絡みついて余計に喉が渇く羽目になったから失敗したなぁと思う。
「紅紫さん、どれが気になりますか」
場が場だからか、言葉数少なく要点だけを口にする七種さんに頷いて、左からと目を細める。
『黄色軽蔑、薄桃裏切り、赤嫉妬、青傲慢、白自惚れ、青冷酷、橙憎悪…まだありますが、わかる範囲ではこのあたりが特に気になりますね』
「………博識ですね」
『花が好きな子がいて、少し一緒に覚えたんです。まさかこんなところで役立つとは思いませんでした』
グラスの中に息を吐いて、一度目を閉じたあとにこんなことなら花言葉を覚えなければよかったかもしれないと痛む頭を押さえた。
『………もちろん、目につくものに限った話なので、一応、……友愛、信頼…貴方は美しい、愛おしい…』
「なにをこんなところで告白してるんですか?」
不意に聞こえてきた声に顔を上げると見覚えのある他事務所の人間が立っていた。目を細めて俺達を見るその人は面識のある人間だったから、仕方無しに笑みを繕ってグラスを口元から落とした。
『今度のテーマを一緒に考えてもらっていたんです。お久しぶりですね』
「へぇ?そうは見えませんでしたけどぉ?……まぁいいです、久しぶりですね。元気そうでなによりです。とはいっても貴方の顔はCMでよく見てますけどね」
この食えない態度は話が弾みにくいし、腹の探り合いをさせられてしまうから本当に息がしにくい。人間の嫌なところを見せつけられてるみたいだ。
ありがとうございますと上辺の笑みで礼を述べて、向かいの人の視線が俺から外れたからもう一度口を開く。
「そちらの方は…」
『Edenの七種さんです』
「初めましてお目にかかります。Eden、ひいてはAdamの七種茨と申します。若輩ものですが本日はよろしくお願いいたします」
にんまりと笑って右手を差し出した七種さんにその人はああ、あのEdenの…と言葉をこぼして手を握り返した。続く自己紹介を横目に、その人の胸元の花を見る。俺とも七種さんとも違うそれは申し訳ないけど腑におちて、今回の主賓の気味悪さが際立った。
握手を終えたと思えばその人は俺の方を見て、唐突に耳に口を寄せてきた。肩に手を置かれて驚くよりも早く、息を吐く音がした。
「今度はコレを駄目にする気なんですか?」
ぞわりと鳥肌が立ってしまって、反射的に振り払ってしまおうとした手を止める。離れた体に反応しないように、声が震えないように、表情を崩さず笑った。
『そんなつもりはありませんよ。今日は人見知りの僕のために一緒にいてくださっているんです。とても心強いんですよ?』
「………へぇ。…なら、そういうことにしといてあげます。あの紅紫様にこれ以上突っかかってもこちらの印象が悪くなってしまいますからねぇ」
細められた目。歪に歪んだ口元。隣の七種さんから視線が刺さってきていて、一歩下がったその人はグラスを唇に重ねて目線を七種さんに向けた。
「今度の隠れ蓑は長く保つといいですねぇ?」
返答を待たずに離れていくその人は人垣を越えていったため姿が視界から消える。残された俺はつまりかけの息を吐いて、仕方無しに視線を突き刺してきている七種さんを見つめた。
『すみません、お見苦しいところをお見せてしてしまって』
「お気になさらず。紅紫さんの意外な一面という形で記憶に残しておきますよ!」
『できれば記憶から消しておいていただきたいんですが…』
「どんな些細なことでも相手の情報を選別する子はあれど、捨てることはありませんよ?………それにしても、アレはいただけませんね」
目を細めて息を吐いた七種さんに苦笑いを返す。オレンジジュースに一度口をつけた七種さんはそのままグラスを離さずに言葉を零した。
「敵視することや揺さぶりをかけることは戦術として間違いはありません。けれど、それを他人の目のあるところでやってしまっては自身の立場も危うくなる」
『会う度ああなので、まぁ今更気にしたところでというような…今まで問題がなかったんじゃないですか?』
「問題と言いますか…あの方、一昔前は幾らか目にいたしましたが、最近は見ませんよね?それが答えなのではないんですか?」
同情の余地も無く切り捨てた七種さんに苦笑いを返して、そんな俺を見据えてた七種さんはそういえばと小さく零す。
「言葉はなんでしたか?」
『……無能、ですね』
「ああ、それはもう…随分と的得ているようです」
二人で小さく笑って、手持ち無沙汰なグラスに口をつける。グラスの中身を空にしたところで素早く寄ってきたボーイからまた新しいグラスを受け取った。同じくオレンジジュースらしいそれに内心ため息をついて、七種さんは甘いものが苦手ではないのかそのまま口にした。
それなりに人が集まりはじめた会場内は賑わっていて、全員がグラスを持っていることからもそろそろ始めるんだろう。見渡せばそれなりに名の知れた著名人が多いようで、見覚えがないのは政治家や財閥の代表とか、そういった人たちか。たぶん皆がここにいたら教えてくれたかもしれないけど、生憎今の俺では判別できない。
いくつか物言いたげにこちらを窺うような視線がチラついてくるから、目線を落としてグラスを揺らし中身を掻き混ぜていれば七種さんがあ、と小さく声を漏らす。何かあったのかと目を向ければ目があった。
「すっかり聞き忘れていました。紅紫さんの言_……」
話しかけられている最中にふっと場内が薄暗くなる。
ようやく始まるらしく、唯一ライトを集め明るい壇上に目を向ける。司会らしい女性の前置きの後、登壇したその人はマイクを前に微笑んだ。口にされる挨拶。顔自体を動かさないようにして見据えた胸元には白い花が飾られていて背筋が冷たくなる。
「それでは皆様、本日は心ゆくまでお楽しみください」
いつの間にか終わっていた挨拶。グラスを持ち上げ乾杯の音頭によりパーティーが始まる。瞬間、目があった気がして、熱の篭った目で見つめられ微笑まれたから息が詰まってしまった。
止まらない冷汗と吸えば吸うほど苦しくなる息をどうにか抑えようとして目線を落とす。ゆっくり数を数えて息をして、吸って吐いてを繰り返す。
「………_さん、紅紫さん、大丈夫ですか?」
声が急に耳に届いた。顔を上げると眉根を寄せた七種さんがいて、とても怪訝そうだから笑みを繕おうとして失敗し、顔を下げる。
『………このパーティー…だいぶ、不味いかもしれません』
「………そうですか。では、自分と貴方は離れないほうが良さそうです。しっかりと隣に居てくださいね?」
『はい…』
口元を押さえたあとに息を整えて、明るくなり始めた会場内に普段の表情を繕う。にっこりと笑って見せれば流石と笑い返してくれて、グラス片手に近寄ってきた影に目を向けた。そこには本来であればこちらから声をかけに行かなければいけないはずの人物が立っていて、一瞬七種さんの目が細める。
「ご足労くださり誠にありがとうございます。七種さん、紅紫さん」
「いえいえ、お招きくださいまして誠に感謝いたします。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません、七種茨です。本日はおめでとうございます」
先に声を発した七種さんが握手をかわして、次に流れてきた視線を受けて笑顔を浮かべた。
『こちらこそ、僕から挨拶に伺わなければいけなかったのにお手数をおかけして申し訳ございません。本日は素敵なパーティーに招いてくださり誠にありがとうございます。』
頭を下げたあとに同じように右手を出して握る。熱の篭った右手と対象的に背筋が寒くなっときて、感触を確かめるように手を握られたあとに離された。
「年齢層が少し高いので、お若いお二人には少し窮屈に感じてしまうかもしれませんが、どうかゆっくりと楽しんでください」
柔和な笑みを浮かべて言葉を締めたその人は離れていき、その周りを挨拶をするため我先にと近寄る人たち。互いに目を合わせて何かいうよりも早く、別の人が近づいてきたことで言葉をのみこんだ。
流れるてくるような人。次々と挨拶を交して二十を超えたあたりでようやく落ち着いた。グラスの中で息をこぼして、甘いジュースを嚥下すれば隣の七種さんも同じように肩の力を抜く。
「いやはや…さすが紅紫さんと言いますか…引き寄せられたようにあちらから次々と飛び込んできますねぇ」
『そんなことはありませんよ、七種さん目的の挨拶のほうが多かったじゃないですか』
「ご冗談を。ただ単に自分は声をかけるためのダシに使われているだけです。悔しいながら、紅紫さんの知名度の高さには遠く及びませんから」
あまりに悔しそうに首を横に振るが世辞抜きに実際問題はそんなことはない。そもそも最近露出の少ない俺なんかよりも、飛ぶ鳥を落とす勢いのEdenのほうが誰だって近づきたいはずだ。
それでも認めてもらえそうにないから繕ってた表情を崩して首を傾げる。
『えーっと…付き合わせてしまって申し訳ございません。ありがとうございます』
「………ふふ、閣下と殿下が貴方を気にいるわけです。随分と愛らしい笑みを浮かべますね」
『うん…?』
目を瞬けばそれ以上言葉をつなげる気はないのかオレンジジュースに口をつけて、問いかけるべきなのか悩む。
聞き間違いかもしれないし、もしかしたら深い意味もないのかもしれない。口の中で言葉を選んでいればきゃぁ!なんて短いけれど高く黄色い声が聞こえて、二人で咄嗟に顔を上げればそこにはドレスに身を包んだ女性が目を輝かせて俺達を見てた。
「紅紫くんとEdenの人ですよね!きゃー!こんなところでお会い出来るなんて!」
若干のミーハー感を漂わせて、キラキラとした目を向ける。不快感はないそれは純粋に有名人に会えた喜びを示しているようで、深いファンなわけでもなさそうだった。
「お初にお目にかかります、お嬢様。Edenの七種茨です。よろしくお願いいたします!」
『初めまして、お嬢様。紅紫はくあです』
屈託のない笑みを浮かべてぺこりと音でもしそうなお辞儀をしてみせる七種さんに続けて俺も笑む。前髪をすべて上げたその女性は頬を赤らめて隣の女性の腕をつかみ声を上げる。
「かっこいい!チョー素敵!!」
「ちょっ、ちょっと、はしゃぎすぎだよ、落ち着こうよ…!」
『褒めてくださり嬉しいです。お二人ともとても美しいですね?ドレスもすごくお似合いです。…もしよろしればお嬢様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?』
久々に使う言葉に一瞬隣の七種さんがぎょっとしたような気もしたけれど表情を崩さずいれば、先に声をかけてくれた方から名乗り始め、連れ添いらしいもう一人は比較的落ち着いた声色で名乗った。
「あの紅紫くんと七種さんに会えるのならペンの一つでも持ってくればよかったわ…!!」
「ちょっと、また嫉妬されちゃうよ…?」
「いいの!イケメンは見てるだけで保養なの!心が潤うのよ!」
目の前で交わされる会話に表情を崩さないように心がけて、ふと視線を感じて目線を落とせば俺の腰より少し低い位置にある頭に気づく。どうしてこんなに幼い子どもがいるのか、不思議に思ったそれが顔に出ていたのか七種さんがおやおやぁ?と目を瞬いた。
「こちらの愛らしい方はお嬢様たちのお連れ様でしょうか?」
「うん!僕一緒に来たんだ!」
にっこりと笑うその笑みがどうにも嘘くさくて、なんとなく七種さんに似てるなぁと思ったのはバレてないといい。先程挨拶を交した女性のうち、比較的落ち着いた対応をしているその人は七種さんにその子のことを紹介していて、もう一つ近づいてきた影に顔を上げる。
目線の高さはシアンと同じか、それよりも高いくらいかもしれない。かっちりとした紺地のタキシードを纏った男性はどうやらその子の保護者のようで、俺と七種さんは顔を合わせて目を瞬いた。これだけの人数が招待状を名指しで渡されているとすれば、この四人は何者なんだろう。
二人で目を合わせていたのがバレてしまったらしく、一番に気づいた男の子がどうしたの?と高い声で伺った。
言葉を選んでから少し膝を折り、目を合わせる。
『皆様ご一緒に参加されているようですが、招待状が届いたんですか?』
「うん!おじさんと園子姉ちゃんが届いたから連れてきてもらったんだぁ!」
『……えっと…』
思っていたとおりだけど不思議な返答に、七種さんを見あげれば目が合うなり瞬きを繰り返してさっと表情を変えた。
「こちらのパーティーは同伴不可だと伺ったような気がしたのですが、もしかして我々の勘違いでしたかね?」
「え?そんなことないわよ?招待状にも二人までなら大丈夫って書いてあったし…」
これは届いている招待状が違うのかもしれない。四人の胸元を見たあとに膝を伸ばして目線をもとに戻し、表情を繕う。
『読み間違えてしまったのかもしれませんね。ううん、同伴可能だったのならみんなを連れて来たかったですね、七種さん』
「そうですねぇ。自分もせっかくであれば閣下とお邪魔したかったです。殿下はともあれ、閣下も案外こういった場所の料理がお好きみたいで…」
二人で間違えてしまったことへの照れを隠すような、そんな表情と声色を作り上げて、七種さんが左手の人差し指と親指で眼鏡のつるに触れたから話題を転換することにした。
世間話をしつつ、会話を切るきっかけを探し、抜け出す。それはこの芸能界において役立つスキルで流石七種さんはそのあたりがとても手慣れてる。時折笑みを浮かべて頷いているだけであっさりと話を切り抜けここから離れる口実を作ってくれたから四人に礼をして二人で人混みを抜けた。
会場を出て、華やかな廊下を歩きながら人目につかない場所を求めて手洗いについた。二人で別々の個室に入り、すぐに携帯を取り出せば先に七種さんからメッセージが届いていてそれを返信する。
同伴の可否はあれだけ俺も七種さんも悩んだんだから今更読み間違いや勘違いはありえないだろう。他の招待客まではわからないが、俺達は必ず一人で来なければいけなかったわけだ。
続けて四人の胸元の花の種類、言葉を送れば七種さんからは四人のうちの二人分の情報が送られてきた。探偵、財閥令嬢。探偵はそれなりにテレビでも取材を受けているような有名人らしく、財閥令嬢のほうは令嬢本人はともかく、その財閥の名前くらいは俺でも聞いたことがあった。
俺ももう少し勉強するべきかもしれないと普段みんなに任せっきりの部分に息を吐いて、何もない便器の中身にノズルを回して水を流す。外に出て手を洗っていれば同じように音がして七種さんも出てくる。すでに情報の交換は行ったからもとの表情を二人で貼り付けていて、目を合わせてから後にした。
廊下を歩きながら時折飾られた花や絵、壺のデザインなんて他愛もない話をし会場に入る。出てきたときと変わらず、強いていうのであればアルコールにより少し賑やかになっている会場内では俺達が抜けたことはそんなに気にされていないようで小さく息を吐く。
「紅紫さん、なにか口に入れますか?それともストップがかかっていたりしますか?」
『お任せいたします。特に止められているわけでもありませんし…七種さんは大丈夫なんですか?』
「ええ。流石にアルコールを摂取してしまうのは法にも触れてしまうのでご法度ですが、飲食の禁止はありません。もしよろしれば軽く摘めるものを取ってきますよ!」
『え、そんなの悪いですから代わりに僕が、』
「自分がしたいだけなのでお気になさらず!閣下がいらっしゃらないから手持ち無沙汰でしょうがないんです!ではお持ちしますので先程の壁際で合流いたしましょう!」
どこか機嫌のいい七種さんは人混みをすり抜けていき、恐らく会場中心に向かった。もとよりビュッフェスタイルのパーティーのためそこまでがっつりとしたものではないけどサンドイッチやスコーン、ムニエルやローストビーフなんてものを口にしてる人たちを見かける。すでに姿が見えない七種さんの後を追う訳にも行かず、指示された通り壁際に向かって、また渡されたグラスを受け取り壁にの横で止まった。
「壁の花を決め込むつもりなんですか?」
聞こえてきた声は先程も聞いたもので、振り返ると一番に挨拶をしてきたその人がにんまりと笑ってる。七種さんと離れたのは失敗だったかもしれない。
『僕が中心に行ったとしても特に会話が弾むものでもありませんし、人見知りにはここが一番落ち着くんです』
「紅紫様はご自身で動かずとも挨拶が回ってきますからねぇ。高貴なお方は私達と違って優雅なようだ。羨ましい限りですよ」
はぁ、嫌になりますねぇと息を吐き顔を俯かせたと思えば、瞬きの次には目の前に鼻先が触れそうなくらいな距離に顔があって息を詰める。今まで見たどんなホラーよりも恐ろしいそれに頭の中が真っ白になっていって、必死にピントを合わせた先で嘲笑う。
「どうして貴方は生きているんでしょうねぇ。私にはそれが不思議で不思議で堪りません。…貴方の代わりに死んでいった人はとても可哀想だ」
『なんの、話ですか?』
「踏み台にされ、隠れ蓑にされ、潰された。所詮俺達は消耗品です。けれど貴方がどれだけのものを駄目にしてきたのか、それを理解されているのか、不思議で不思議で。貴方はあの子のことも殺しましたよね。覚えてるんですか?ねぇ?どうなんです?紅紫様ぁ??」
目の前の茶色い瞳は瞳孔が開いているようにも見えるけどあまりにも近すぎる距離に確認することはできない。
わざとらしい俺への呼び方。揺さぶるような問いかけ。息が苦しくて口元を押さえそうになると視界が開けた。
「ふふ、お二人はとても仲がよろしいんですね」
鼓膜をゆらした声が七種さんでないことに肩を落とすべきなのか、それとも現状を打開してくれたことに感謝するべきなのか。声をかけられたことで距離を置かれて小さく、バレないように息を吐く。
胸元の白い花を揺らすように笑っているのはまた会ったばかりの人間で、この広く人も多い会場内で話したくない人間二人に囲まれるなんて奇跡に近いのかもしれない。こんな奇跡が起きるくらいならみんなの言うとおり家でおとなしくしているべきだったかと今更ながら後悔する。
二人は笑みを貼り付けて会話をしていて、俺も同じように笑みを貼り付けていれば片方が撤退する。どうせなら一緒に捌けてもらいたかったのに後から来たその人はまだ用があるのか俺の前に立ったままだった。
「紅紫さん、楽しんでいただけていますか?」
『はい。たくさんの方とお話ができてとても勉強させていただいております』
「そうですか!ふふ、貴方に喜んでもらえているのならこの場を設けて正解だったようです」
眼の奥、とろりとした熱を孕んだ瞳で舐め回すように見つめられるのは気分が良くない。助けに来たのか追い詰めに来たのかわからないその人は紅紫さんと俺の名前を呼ぶ。
「もしよろしればこの後お時間をいただけませんか?」
『この後ですか?』
「ええ、ぜひとも貴方にお伝えしたいことがありまして」
『僕に…なにか内密なお話でしょうか?』
「貴方以外の誰にも聞かれたくない、大切なお話です」
うっとりとした目に寒気がするけど表情を崩すことは良しとしない。いざとなったら約束は蹴ってしまおうと頷いた。
『今は七種さんを待っているので、もしよろしればこの後で大丈夫ですか?』
「ええ!もちろん!ありがとうございます」
嬉しそうに笑むから同じように笑みを繕って、満足気にではまた後でと離れていったその人が秘書らしき女性と会話しながら視界から消えたところで心の中だけで深く息を吐く。
今日一日でこれだけ心労があるなんて、夜はゆっくり休まないと明日に響くかもしれない。少し苦しい息を誤魔化すためにタイをゆるめれば紅紫さ〜んと俺を呼ぶ声がした。
「お待たせしてし申し訳ございません!よくよく考えましたら自分紅紫さんの好みを深く知らなかったもので、閣下と殿下に伺っておいたものを幾つか見繕って参りました!」
『ありがとうございます』
にっこり笑って、どこか生き生きとしている七種さんに肩の力を抜きながら手を差し出せば、七種さんは俺の顔を覗き込むように見つめてきて眉根をせた。
「顔色が優れませんが…自分がいない間に何かありましたか…?」
『……少し、絡まれただけですよ。大丈夫です』
「…………信憑性の低いお言葉だ。目につくようであれば強制的に撤退させていただきますのでご了承ください」
渋々渡された皿は少量ずつ複数の食べ物が彩りよく取り分けられていて、グラスを持つ右手に皿を持ち、反対でフォークを持つ。七種さんも同じように持って食事を始めるから俺もポテトサラダを掬って口に運んだ。
色からして紫芋に違いはなかったらしく、見目の鮮やかさと口に広がる甘みを咀嚼して飲み込む。不意になにか差し出されて視線を上げれば七種さんがにこりと笑ってた。
「紅紫さん、こちらもとても美味しいですよ、さぁお口を開けてください」
『え?あ、はい』
促されるまま口を開けて、口の中に運ばれたのはカルパッチョだったらしい。臭みのない魚と塩気、酸味のきいたドレッシング。飲みこんでから満足げな七種さんに美味しいですねと笑えばそうでしょう!と胸を張る。
「後で何があったかお聞かせ願いますが、今はせっかくの晴れの場です。少しでも元をとって帰りましょう!」
俺を励ますような声と言葉に小さく頷いた。
『……ふふ、そうですね。…ありがとうございます、七種さん』
「、」
言葉を失ったように一度固まって、ええ!と持ち直す。皿のパスタを器用に巻いて七種さんは鼻を一度鳴らした。
「今の貴方は自分と一蓮托生ですから!特に不利益が生じているわけでもありませんし、閣下と殿下、ジュンからも頼まれてしまっていては見捨てたあとのほうが怖いです」
『はい。僕と貴方は互いの命です。頼りないかもしれませんが、僕を見捨てないでくださいね、七種さん』
「……………そ、ういう契約ですからね!」
ぷいっと顔を背けてしまった七種さんに何か間違えてしまったかなと首を傾げる。けれど次には七種さんが手が止まっていますよと急かしてくるから持ってきてもらったそれを食すことにした。
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