あんスタ


「こんなことを君に頼むのはお門違いと重々承知している」

秋口、呼びつけられた部屋の中にはこの人しかいなくて、影片どころかマドモアゼルも見当たらない。重い空気と悩ましげに寄せられた眉。やっと言葉を吐き出したのは俺がこの部屋に入ってからゆうに10分以上が経ってた。

諦めたように瞼を降ろして瞳を隠すと息を吸う。

「僕は卒業後、日本を離れる」

『海外、ですか…?』

「僕のやりたいことは国内ではおさまらないのだよ。……君は、反対するかね?」

『………いいえ、べつにそういうわけでは。』

揺れながらゆっくりと上がってきた瞳が真っ直ぐ俺を見据えるから苦笑して見せる。どこか安心したように小さく息を吐いて眉間にできてた皺を薄くすると、目を瞑り、たっぷりと間を置いてから息と一緒に言葉を吐いた。

「……………影片を、君に任せたい」

『影片?』

認識エラーでも起こしてるのか、らしくもなくただ言葉を繰り返してしまったことに恥ずかしさを覚えながらも黙ってしまったその人の話を聞くために傾げてしまった首をもとに戻す。

『連れて行かないんですか?』

「置いていくつもりだ。……もちろん、家族は国内に残るけれど、それでも、影片を独りにしてしまうのは不安が多いのだよ」

悩ましげに目を伏せるから長いまつ毛が頬に影を落としていて、少しばかり普段よりも小さく落ち着いた口調も相まって儚く見える。きゅっと眉根を寄せ唇をもごつかせると観念したように口を開いた。

「僕に差し出せるものであればどれだけ対価を払っても構わない。だから、君には何の利益もなく労力だけをかけることは十二分に理解した上で頼みたい。…僕がいない間、影片を見ていてくれないだろうか」

この部屋に入って30分。本題を口にし終わったその人は下げた頭を上げない。この人から頭を下げられるなんて片手で足りるどころか初めてじゃないだろうか。

回らない頭で息をして、吸って吐き出した空気とともに言葉が溢れる。

『わかりました』

すんなりと、躊躇いの一つもなしに返してしまったその言葉は斎宮さんだけではなく俺をも驚かす。信じられなそうに勢い良く顔を上げたその人に苦笑して頷き、もう一度言葉を吐いた。

『わかりました。あなたが留守の間、影片は俺が預かります。ですからもう顔を上げてください』

手を伸ばして頬に触れる。中途半端な体制で腰を折っていたその人を起こして目を合わせた。

ゆらゆらと揺れるラピスラズリのような瞳は今にも涙をこぼしそうなほどに不安定で、目の縁に水が溜まっている。指先で水を掬えば唇を結って眉尻を下げた。

「ありがとう」

『はい』

「……君に…なにを、差し出せばいい?」

溢れる涙に拭うのを諦めて、目を閉じてから額を合わせた。

『そうですね…では…貴方の自由でもいただきましょうか』


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