あんスタ


2


「お邪魔してしまい大変申し訳ございません」

生徒会室の扉がノックされ、現れた柑子は黙々と仕事を手伝っていたかと思えば不意に息を吐いた。らしくないその様子に眉根が寄ってしまい俺も息を吐く。

「お前がいると仕事が捗るから構わんが…一体どうしたんだ?」

暴挙や突飛のないことをしない柑子はとても安定していて、何をするにしてもきちんとした理由を持っている。

今回のこの奇行の原因を問い掛ければ手元の書類を眺めていつものようなゆるい笑みを繕った。

「考え事を、したくないんです」

「考えたくないのに仕事を手伝っているのか?」

「はい。代わりをしていれば僕自身の思考は落ち着くので…不純な動機で大変申し訳ございません」

「手伝ってくれていることに変わりはないから気にするな」

とんとんと小さな音を立てて書類の端を揃える。

どうにも覇気がない柑子は悩んでいて、柑子が悩む原因なんて一つしか思い当たらなかった。

「紅紫が何をしたんだ?」

「…………」

言葉は返ってこない。けれど動いていた手が止まったから間違いはないだろう。

良くも悪くも、柑子が感情を顕にするのは紅紫のことと、紅紫に関わる周りのことのみだ。

紅紫に何かが起きたのなら、今頃俺の手伝いなんてしないで逆に身の回りにいるはずだし、今回はきっと紅紫がしたことに対して何かが引っかかっているから動けず迷っている。

あたりをつけただけなのに掠ったどころか地雷でも踏み抜いてしまったらしく動きが止まって起動しそうにない。持っていたファイルを閉じて、部屋の隅にある給仕コーナーに立つ。用意されているカップを二つ用意して、知識も時間もあまりないからティーバッグをいれたカップに予め温められていたお湯をポットから注いだ。

用意が終わって振り返っても先ほどと体制が変わらないままの柑子の前にあるものを端に寄せてカップを置く。

「俺はあまり上手にいれられないが、よければお茶でも飲んで話そう」

「…―あ、……お手を、煩わせてしまい大変申し訳ございません」

「好きでやったことだから気にするな。いいから座れ」

「………失礼します」

ひどく気落ちした様子で腰掛けた柑子はカップを両手で包み目を瞑る。温度を手のひらで感じているような、そんな間を黙って見つめていれば目をつむったままで柑子は口を開いた。

「僕は、どうしたらよかったんでしょう」

「助言を求めるならまずは状況を話せ。話はそれからだ」

「………それもそうですね、僕としたことが、…申し訳ございませんでした。それでは、もしお時間をくださるのならば、少々お付き合いお願いいたします」

一度喉を潤すためかお茶に口をつける。ふぅと息を小さく溢してから何から、話せばよいのか…考えがまとまっていないのでわかりづらかったら申し訳ございませんと前置きをしてゆっくりとした口調で語り始めた。

「今回、所属させていただいている事務所からはくあくんに依頼が来たんです。それはどうにも相手方からのものらしく、詳しくはお聞きしませんでしたが様々な考えがあってはくあくんはそれを受けしました」

「ほう、紅紫単独の依頼か…それで落ち込んでいたのか?」

「いいえ、そのようなことではありません。はくあくん名指しの依頼は少なくありませんので、今までも同様の依頼は沢山ありました。それはもちろんはくあくんがそれだけの実力と実績をお持ちで期待によるものなのは理解しております。…また、ユニットとして所属しているのにもかかわらず僕があぶれてしまうことも、それは致し方ないことだと…」

諦めたような目線は下がったまま、またお茶を一口だけ飲んだ柑子に眉間に皺が寄ってしまう。

「何故それが致し方ないことになる?」

「………僕達…いいえ、僕なんかと一緒くたにしてしまうのはみんなに失礼でしたね。…僕は、汚れていて…あのように綺麗なはくあくんと、みんなと、同じ舞台に立つこと自体が烏滸がましいんです」

「……何を言っているんだ?負い目にしては比喩が度を過ぎているぞ?」

「………引け目や負い目なんてぬるいものではありません。僕は下等なんです。だから、僕がみんなの隣に立つことによって、一緒にいることでみんなまで汚れてしまうのではないか…そして、僕は汚れているのだから本来であれば近づくべきではなかったと…それだけが今の僕の思考を埋めています」

「………仮定は理解した。だが、それはお前の思い込みであって、事実ではないだろう」

ゆっくり首を横に振り目を瞑る。なにかを思い出すような、そんな微妙な間が開いて静かな空気が身を突き刺す。

壁にかかったアナログ時計の秒針が嫌に大きく聞こえて、半周したところで柑子は息を吸った。

「比喩ではなく僕が汚れているのは事実なんです。あの時、はくあくんに必要としてもらえなければ、僕は今だって汚れ続けていたことでしょう」

「……………」

「だからといって、過去が消えるわけではないことは理解しています。不意に僕の後ろをついて回る過去に怯えてしまったり、悔やんでしまったり、今更そんなことを思ったって何の解決にもならないのに馬鹿なことをしていると思うんです」

悲しそうに持っているカップの横を指の腹でなぞる。

思い出したように呼吸をして、赤色の瞳は決して何も映さないまま、ただただ無機質に言葉を紡いだ。

「いくらはくあくんが、みんなが磨いてくれたって僕はみんなと違い宝石ではありませんから輝いたりすることはできません。手間と時間ばかりを取らせてしまって、罪悪感で消えてしまいたくなったことは両手の指の数では足りず…同時に、惨めになってしまうんです」

「…何がだ?」

「僕の汚さが、とでも形容したらいいんでしょうか…」

「……俺はあまり関わったことがないが…彼奴らはそんなこと思っていないと思うぞ」

「…はい、そうですね。みんなはとっても綺麗で美しいですからそんなこと思ってもいないでしょう。僕なんかと違います…ですから、こんな風に汚れた目で見てしまって、それが…どうしても、許せない」

なかなかに拗れている。柑子生来の性格が起因なのか、それとも今煮詰まってしまっているだけなのか。

俺には判断が出来ないがおそらくこのままであることはよくない。

「しっかりしろ、柑子」

「っ、」

ぱっと目を開いて久方ぶりに赤色の瞳が覗いた。

「俺のような傍観人が言ったところでお前を救えるとも手助けになるとも思わないが、言わせてもらうのであれば…お前は今、周りが何も見えていないように思える」

「………僕は、そんなに盲目になっていますか?」

「思わず俺が説教をしてやろうかと思うほどにはな。この際お前が汚れているという前提で話を進めよう。汚れていたとして、それがなんだ」

「……あの、申し訳ございません。おしゃっていることの意味がわからないのですが、もう少し噛み砕いてくださいませんか?」

話をするのであれば目線を合わせ同じ前提で、同じ言葉を話さねば意味がない。

「お前が汚れていた。それで、それがこれから今後にどう関わる」

揺れていた瞳が不審そうに丸くなるから息を吐く。

「自分自身で惨めに思うほどに汚れていたとして、紅紫だって馬鹿じゃないんだ、そんなこと知った上でお前の手を取っているはずだろう。先ほど自分で言っていたように過去は変えられないし消えない。ならば綺麗事にしか聞こえないかもしれないが柑子、お前がするべきなのは今後どう輝いていくか考えることのはずだ」

「、ですから、僕は輝くことなんて」

出会ってから早二年が経とうとしているが、初めて聞いた反論に思わず頬を緩ませてしまった。

「ほう?何か勘違いしているようだな」

「…………蓮巳先輩の言葉がここまで理解できないのは初めてです」

「ああ、俺も初めて、柑子、お前自身と話をしている気分だ」

腹の中を探るように見据えてくる目を見返して、二人で同時に黙れば室内が静まる。

互いに目を逸らさず、話す気のないらしい柑子に口を開いた。

「俺はお前ほど紅紫に傾倒しているつもりも崇拝しているつもりもないが、贔屓目ではある。それを前提としたって、あの紅紫が誰でもないお前を選び、そして手塩に掛けているのなら、お前が輝けない人間なわけがない」

「………それは、一体どんな根拠があっておっしゃっているんですか?」

「ただの経験論だ。どれだけお前がお前自身を卑下していようと、お前は紅紫と共にいる。それだけが事実でこれからも変わらない事象のはずだ」

「………………」

「普通、いくら神のような人間であったとしても、なんの改善も未来もないような奴を拾い上げたり、ましてや面倒を見たりなんてしないだろう」

何も言わない柑子に、口角を上げて表情を作る。

「…―それとも、紅紫を含め、あの四人は目利きもできないような節穴、」

がしゃんと床にぶつかり大きな音を立てたカップはどうやら柑子のものらしく、両手をテーブルに叩きつけてこちらを睨む柑子は肩を震わせてた。

「はくあくんを、みんなを、侮辱することは、いくら貴方でも…許しません。」

あまりに低く、怒気をまとった声。初めて聞く声に目を細める。

「………―きちんと怒れるのなら、お前は俺よりもついさっきまでダラダラと戯れ言を吐き出していた自分自身を殴るべきじゃないのか?」

ついでに鼻で笑ってやれば唇を噛み、浮いていた腰を下ろして膝の上で拳を握った。力の入れ過ぎで白んでいる手に視線を落とした後に目を合わせなおして息を吐く。

「お前がさっきまで言っていたのは俺が言ったことと同じ意味だ。自分自身であいつらの程度を下げていた」

「っ、僕はそんなつもりは!」

「だろうな。あそこまで感情を顕にして俺に睨みをきかせてくるくらいだ。逆にそのつもりがあったのなら矛盾だらけで説教三時間でもきかんぞ」

癖で眼鏡のブリッジを指先で押し上げて位置を直す。

何を言ったらいいのかわからなそうに口を開けたり閉じたりしている柑子は珍しいものを見た気分で、見据えてからもう一度ブリッジに触れてすっかり冷めてしまったカップを持ち上げる。

「どれだけお前が自分自身を恥じようと、周りはそんなことはお構いなしにお前を見る。洋服だって汚れていて洗えば綺麗になるし、宝石だって原石のときから宝石だと価値を認識している者なんて少ないだろう。…河原の小石だって丹精込めて磨けば光るんだ。彼奴らを大切に思うのなら、死ぬ気で輝いてみせるのが筋なんじゃないのか、柑子」

目を丸くして固まる。言われたことを咀嚼するような間をおいたと思えばいきなり眉根を寄せて唇を噛み、泣くのを堪えるような表情を作って俯いた。

「……、また、間違えようとしてた。……―僕は、……―僕の生まれてきた意味を教えてくれた、僕を愛してくれた…僕に笑い方を教えてくれた彼らに―、僕は、なんてことを言っていたのでしょうね」

「ふん、ここにいるのは俺とお前だけだ。それに、俺は戯れ言は聞き流す主義だからな、お前が外で口にしなければ誰も知らない」

冷えて味が濃いばかりで何も美味しくない紅茶を飲み干してカップを置く。見つめた先の柑子は膝に置いた手を握ったり開いたりしていたと思うと深呼吸を二度して顔を上げた。

ゆったりとしたいつもの笑みを浮かべて目を細める。

「僕もまだまだ未熟ですね。これでは木賊に笑われてしまいます」

「それが嫌なら笑い飛ばされないよう精進するしかないだろうな」

「ええ、そうですね。…そしてそれは、僕一人ではできないんです。ですから、どんなに見目が悪くても、時間がかかってしまっても、僕は努力し彼らの横に並んでも恥じない人間になりましょう」

「………―そうか、応援している」

少し笑ってしまった声に柑子は笑みを崩さず頷き、そして頭を下げた。

「長いお時間お付き合いくださいまして誠にありがとうございます。初めて貴方ときちんとお話ができてとても勉強になりました」

「俺もちょうど暇を持て余していたからな、休憩にはなった。俺も柑子と話ができて安心した…お前も、きちんと人間だったんだな」

「どういう意味でしょうか?」

「そういうところだ」
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