あんスタ
3
要件と一緒に伝えてきたとおり、俺の二歩後ろをただついてくるだけでそいつは口を開かない。場所は俺に任せるなんて言われても俺がこの学園でひと目につかず話ができる場所なんて彼奴ほど知るわけもなくて、仕方無しに裏庭に向かった。
裏庭の、奥の方。人の手が入らなくなってしまい伸び放題の木々のせいで鬱蒼としてる。そんな庭にある、日よけの屋根。一年前は綺麗な白いテーブルとベンチだったはずのそこは少し汚れていて、ハンカチを敷いて座れば、同じように向かいに腰掛けた。
人を避けて奥地に来たせいか人気がなさすぎて不気味にも感じる。風に吹かれて葉がこすれる音がとても大きく聞こえた。
向かいのそいつは話し出す気配がないから仕方なく息を吐いて目を向ける。
「………それで?あれはどういう意味なわけ?」
「そのままです。はくあのことなんですが、」
「ちょっとぉ?アンタ説明もなしに話し始めるの止めてもらえる?」
ぴたりと動きを止めて妙な間を置く。そうか、なるほどと頷いたと思えばポケットからスマホを取り出した。
「人と話すには俺の意見をただ話すだけでは駄目だったな。まず前提を共有し、その上で意見を出し合わなければ話をしていることにはならない。そうだった、うん」
二年のゆうくんと同じクラスにたしかにハーフだかで話し方がたどたどしい子がいたけど、こいつのこれはそれとどこか毛色が違っているようで呆れ混じりに眉根を寄せる。
「…………アンタ、サイボーグか何かなわけ?融通きかなすぎでしょ」
「俺は人間ですが出来損ないで、はくあに教えてもらったことを一つずつ確実に行わなければ俺は……ああ、よし、出来た」
言葉を不自然に遮って、テーブルの上に置かれたスマホに目を落とす。さっき見せられたのと同じそれは仮面をつけた彼奴に誰かが雪崩かかってる淫靡なイメージのもので、今度は不快感から眉根を寄せた。
「まずこれは、つい先日はくあ宛にきた仕事の結果です。本日の16時に一斉解禁で情報が出たビジュアルになります」
「……ふーん。それで?」
「相手はEdenと呼ばれる四人組。そのうちの乱凪砂と巴日和はご存知ですよね?」
「まぁね。元fine.だし、ゆうくんのとことちょこちょこ対立してるから情報は仕入れてるよ」
「そうでしたか。ではEdenについては省略させていただきます。……この広告、本来であればはくあは楽曲提供のみを行い表に立つ予定はありませんでした。」
「………なぁに?その様子じゃ、また彼奴押しに負けて独断したの?」
「話が早くて助かります」
こくりと頷いた椋実くんは相変わらず表情が硬い。ないと言ったほうが正しいそれにため息をついて、差し出されてるスマホに指を置く。
髪が白いから、これは乱の方か。表情を作っているからしろくんもこれは仕事中だと理解していたはずだ。けれど乱もそうだとは限らない。指を滑らせれば続きの写真も出てきて、次は金髪だから巴らしい。巴の写真では押し倒されているようだったけど口元が弧を描いていて妖艶な空気を作り出してる。対して巴はどこか気圧されてるような、陥落しているような、そんな劣情さえ孕んだ目をしていて舌打ちが溢れた。
「ばっかじゃないの」
思わず親指を口元にあてて、寸でのところで堪える。
椋実くんは唇を一度結ったものの淀み無く続けた。
「仕事だからそれ以外の感情を向こうが持っているわけがない。というのがはくあの主張なんですが、瀬名さんはどう思われますか?」
「そんな寝惚けたこと言ってんの?彼奴どんだけ鈍感なわけ…。乱はともかく、巴はアウトだから」
「そうですよね。ああ、よかった、俺の認識は間違っていなかったようだ」
一つ安心したとでも言いたげに肩の力を抜く。俺でさえ心が乱れるんだから、信者にも近い、というか紛れもない信者のこの子達からしたらこれは心を抉られるような代物だったはずだ。しろくんの制止があったからか直接攻撃に出ていないだけで、もしもこれでしろくんが止めなかったら今頃流血沙汰かもしれない。
表面上落ち着いている椋実くんは落ち着いているように見える分危うい。
自前のスマホを取り出して、手早くいくつか連絡を入れたあとに視線をもとに戻した。
「それで?アンタはなんのために俺と話てるわけ?」
「……………」
「ただ俺にこの広告を見せて不愉快にさせたかっただけっていうなら張っ倒すからねぇ」
黙ってしまったから眉根を寄せ口調を強める。そうすれば視線をニ、三度揺らしたあとに目を閉じた。
「わからない」
「はぁ?」
「俺は、何がしたかったのか。何をすればいいのか、わからない。…その答えを、はくあと近い貴方なら見つけてくれるんじゃないかと思って、ここにいる」
なんて人任せなやつだ。生来ならばっかじゃないのと吐き捨てて置いていくところだけど相談に乗ってしまった手前、途中で投げ出すのはなんとなく許せなくて、寄ったままの眉間の皺と口調はそのままに言葉を吐いた。
「………少しは主体性を持ったらどうなの?」
「……俺にもきちんと感情はある。だから考え行動することや意見を言うことだって可能だ。……でも、今回に限ってはそれが正解なのかがわからない」
「正解…?」
「人と付き合っていくにあたって、互いの最適解を出していかないとその関係は続かない。俺は最適解を出すことができず何度も失敗し排他されてきた」
「は?」
「俺は人として間違っていると昔母にも兄にも言われた。それは正解で、俺は最適解が出せない。故に今まで人付き合いができず、どこにいてもなにをしていても、とても、息が苦しかった」
静かに、抑揚のない声。そのはずなのに泣いているように聞こえる。椋実くんは目を閉じたまま淀み無く続けた。
「それも、はくあが答えの出し方を教えてくれたおかげで、俺は高校に入ってからは息ができるようになった。人との話し方を理解して、最適解に近い答えを出していく。そうすれば潤滑とまでは行かずとも排他されることはない」
「そりゃあそうだろうけど…それじゃあしろくんの猿真似じゃないの?」
「……違う。はくあは公式を教えてくれただけ。そこに当てはめる言葉や思考は俺の自由にしろと言っていたし、事実、俺もその通りにしているつもりだ」
「…あっそう」
「公式を使えばきちんと自身を主張し、人付き合いができる。だが、今回ばかりはそうできそうになくて困っている」
家庭の事情とか過去とか、暗くて重たい片鱗をチラつかせてくるから気にならないわけではなかったけど、俺が話をするべきなのはそこじゃないはずだ。
乗りかかった船ではあるし、しろくんの手駒が減るのは避けたくて、無駄口を叩かないよう唇を結べばそのまま話し続ける。
「はくあが仕事を成功させることは良いことだ。だが、そこに他者がいて、尚且つ、友愛以上の感情を持って接していることは俺にとって好まないこと。そして、それをはくあが気づいていないことが、はくあ自身が俺達以外と仕事をしていて楽しそうにしていることが、一番苦しい」
「………要は、嫉妬してその気持ちをどうしたらいいかわからないってこと?」
「……………概ねは。だが、俺の気持ちはどうでもいいことだ」
閉じたままだった瞼をゆっくり上げると青色の瞳がスマホを見据える。伸びた手が画面越しにしろくんに触れて今にも泣きそうに表情をゆがめた。
「はくあが楽しんでいる。それはとてもいいことだと理解している。それでも、そうであったとして、はくあと肩を並べ、成功させるのは俺達だけであってほしかった」
「独占欲?」
「…………独占、していたかったのは事実ではあるが、俺はただ、知ってほしくなかった。…_これでは、見限られてしまう」
跳躍した話題に目を瞬いて、見上げれば彼は歯噛みしていた。
「はくあが他者と仕事をする。それは今までにもあったことだから俺が慌てることではない。だが、今回のこれははくあ自身が望み仕事をして、楽しんでいる。はくあは名声、実力、ともにある相手と仕事ができてとても嬉しそうだった。今回の仕事がこれだけ成功しているのだからきっと今後もEdenとのタイアップはあるだろう。それはとても喜ばしい」
まるで自分のことのように喜ぶ。淡々とした口調の中に隠れる好意と歓喜。そして隠しきれない闇が相反しすぎていて、背中に冷たいものが走った。
「けれど、そこではくあが全てに気づいてしまい、あちらと組みたいとなったのであれば、俺はそれを拒めるだけの、引き止められるだけの力を、言葉を、持っていない」
「っまさか!しろくんに限ってそんなこと」
「ああ、はくあはとても優しく実力もある。そんな薄情な人間ではない。だからこそ俺達は傍にいる。だが、俺はとてつもない出来損ないだから、いつか、はくあが気づいてしまったら、俺は、未練たらしく喚かず離れるべきなんだ」
しろくんが仲間をぞんざいに扱う奴だとでも言うような言葉に声を荒げかければ擁護してあっさりと首を横に振る。
何がしたいのか全くわからないこの子は本当に、ロボットか何かなのかもしれない。感情が、読めない。
「俺はできる事ならばはくあと共に存在していたい。けれど、俺の存在がはくあの邪魔になるくらいなのであれば、出来損ないの俺は潔く消えるつもりだ。例えそれをはくあが口にしなくとも、それが最適解に違いないから。そう、あの日から心に決めていた」
「……………」
「だが、最適解で違いないはずなのに、俺は今になってそれが、とても自身の感情に相反してしまう答えになってしまっている」
「………_アンタの中で出た答えは、なんなの」
ぐっと手のひらを握って、初めて眉根を寄せたことで表情が悲痛に歪む。
「離れたくない。例えはくあといることでどんな不利益が生じるとしても、傍にありたい」
叫んでいるみたいな、臭い三文芝居でだって今時聞かないような熱烈な告白。生真面目なこの子らしい答え。一度吐き出すと止まらないようで勢いのまま言葉を続けた。
「いつだって、出来損ないは見限られるものなんだ。例外なく、誰でも、…母も、父も、兄も、教師もそうだった。きっと、はくあだって気づいてしまう。そうすれば見限られてしまう。だからこそ、俺は、気づかれる前に消えるべきだと思っていた。…けど、でも、それが…とても辛く、苦しい」
捨てられることを怖がっている姿が何かに重なる。どこで見た覚えがあるんだろうか。俺が口を噤んでいても気に止めていないのか、両手で耳のあたりを押さえ頭を抱えた椋実くんの声は震えてた。
「今まで誰に排他されようと、見限られようと、心が痛んだことなんてなかった。それなのに、はくあを相手に仮定しただけでこんなにも苦しい。今にも死んでしまいたいほどに痛い。」
ぼたりぼたりと瞳の縁から水を溢れさせる椋実くんは小さな子どものようで、
「教えてくれた方法で出した答えが正しいはずで、それなのにそんなこともできない。俺は、こんな出来損ないのままじゃ、せっかく拾ってくれたはくあにも愛想を尽かされてしまう。俺は、その前に正解を出さないといけないのに」
かちりと何かがはまる。
腰を上げ、怖がる子供に手を伸ばして髪に触れる。持ち上がった瞳は青く揺れていて、面立ちは全く似通わない癖に、そっくりだった。
「………アンタさぁ、頭の中だけで考えるからそんなふうになるんじゃない?」
「…頭以外で、考えるのか?」
「はぁ、あのねぇ、理屈も大切だけど、それ以上に感情とか直感とか、そういうのも大切にしなよぉって話」
青色の髪を掻き回す。ぐらぐらとする頭は撫でにくくて仕方ないけどそれでも手を止めずにいれば涙を止めた椋実くんは黙って俺を見上げてた。
「しろくんだって馬鹿じゃないんだから要らないものと要るものの区別くらい自分でつけるし、情や惰性があったって自分の損になり得る人間のことはきっぱりと切る。そういう風にして今まで生きてきてんの」
「……でも…、…」
「アンタがなんて言おうと、何も言わなかろうと、要るならそのまま手元に置いとくし、要らないなら遠ざけるの。それは全部彼奴次第なんだから今アンタがここでうじうじ悩んで泣いてるのは全部時間の無駄!」
「むだ…」
「そりゃあ考えることが全部悪いとは言わないけど、そんな“もしも”の話で泣いたり病んだりするのは無駄以外の何物でもないの。彼奴が今必要としているのはアンタであることに違いはないし、泣いてる暇があるならその時間、レッスンにでもあてるべきなんじゃないの?」
いつの間にか涙を引っ込めて青色の瞳が不思議そうに俺を見上げてた。間抜け面が本当によく似ているような気がして、俺達がここにいて話しているのは、なるようにしてなった、きっとそういうことなんだろう。
「アンタが今までどんな出来損ないで色んなやつに見限られていようと、今のしろくんには関係ない。今、しろくんの隣で話して、動いてる、それだけがアンタの要素なの。もちろん今のアンタを構成してる一部なんだから否定はしないしなかったことになんてならない。でも、それは彼奴にはきっとどうでもいい。もっと言うならこれからのアンタにとってだってどうでもいいことにできる」
「………難しい。もっと噛み砕いてくれ」
きょとんとしてあまりにも当然のように言うからちょっとイラッとして頬をつまむ。
「はぁ~?アンタさっきから黙ってれば、俺先輩なんだけどぉ?」
「…わかりやすく説明してください」
「しょぉがないから、一回だけ説明してあげる」
仕方なく手を頬から離して、もう一回頭に乗せる。
一度息を吸って、わかりやすくを心がけて言葉を選んだ。
「過去どんなとこがあったとしても、しろくんにはアンタと出会ってアンタとした事だけが全てなの。そこには今までの話は関係ない。いきなりアンタが笑い上戸になったって、泣き虫になったって、彼奴はそれをアンタとして受け入れるだけで驚きはしても別に蔑みも排他もしない。椋実シアンって人間がそういう風に落ち着いたんだと思うだけ。……しろくんがどんなふうに見えてるのか知らないけど、彼奴の目利きは本物だから彼奴の掬い上げた椋実くんがただの出来損ないなわけがない」
「………どうして、そんなことが言い切れる?」
「……………俺は、彼奴の目だけは信じてるから。しろくんができるって言ったことは必ずできること。それなら、彼奴が拾った椋実くんもあの三人も、ここから変われる、もしくは立ち直れる」
「変わる…」
「過去を踏み台にしていくのか、持って動くのかは勝手。自由にすればいい。大きく変わったって小さく変わったって、それはどっちも変わってることに違いない」
「………今の俺は、変わっている最中なのか?」
「きっとね。変わっていくその過程で休んでも、迷っても、間違えてもいい。わからなくなったら聞きながら進んだっていい。そのためにしろくんとか俺とかがいる」
「…それでは迷惑をかける。嫌気どこか愛想もつくだろう」
「そんときはそんとき。嫌気がさしたら彼奴も俺もアンタとは距離を置くんじゃない?それはそうならないとわからないんだからそれまでは頼ればいい。…でも言っとくけど、彼奴の許容範囲の広さは半端じゃないからね。もしも頼ったらアンタがもういいって言っても逆に離してもらえないと思うよ?」
「はくあはそんなに過保護だったか?」
「身内にはねぇ。……俺なんかにだってそうなんだから、アンタたちはもっとこう…目に入れても痛くない状態なんじゃない?」
「………俺達は子供か孫か?」
「アンタみたいに、世間知らずで外を怖がってるようじゃそうだろうねぇ」
髪を撫でて整えてから離れる。ずっと中腰だったせいで太ももの後ろの筋肉が地味に引きつっていて、痙攣する前に元いたハンカチの上に腰を下ろした。
顔を上げると瞬きを繰り返して首をひねってる椋実くんがいて、一つしか変わらないはずなのに随分と幼く見えた。
「出来損ないだった、だから今回も見限られる前に答えを出さないとじゃなくて、出来損ないだったけれど、見限られない…そうだねぇ、………しろくんに俺がいないと駄目って言わせてやるにはどうしたらいいかって考えるようにしたらいいんじゃない?」
「………そんなに高圧的で、うまくいくのか?」
「そのまま言うのはどうかと思うけど、心構えの話なんだからそれくらい思ってても罰はあたんないでしょ。特にアンタらは自己評価が低くい根暗共なんだから、それぐらい意識高く持ちなよ」
鼻を慣らせば意味を咀嚼するような間をおいてこくりと頷く。
「…わかった、がんばってみよう。またわからないことがあったら聞きにくる」
「はぁ?俺だって暇じゃないんだからねぇ?今日はたまたま時間があったから付き合ってあげただけ」
「ああ、瀬名さんにはくあが懐いている理由がわかった気がする」
「人の話聞いてんの?」
涙を拭ってまた一度頷くと、それはもうとても緩く笑んだ。
「瀬名さんは良い人だ。はくあと同じ。俺はとても綺麗だと思う。そして、これだけ綺麗な人は同時に、今まで生きづらかった人だ。きっと俺と同じ。そうはくあが教えてくれた」
「…………今更おだてたところで何も出てこないし、俺は別にアンタみたいに泣き虫じゃないんだけど?」
「?」
首を傾げた椋実くんは不思議そうで、なんとなく嫌な予感がする。だってと口を開いた。
「瀬名さんはよく泣いているだろう。この間もはくあと部屋で、」
「はぁあ?!!」
「な、なんだ?どうしたんだ?」
俺の大声に椋実くんだけじゃなくてそのへんにいたらしい鳥も驚いて飛び立つ。肩を跳ね上げさせた後に首を傾げるその様子は悪気はなさそうだけど、きっとこういうところが人付き合いを難しくしていた要因だろう。
学年別成績を見ている限り、こいつだって頭が悪くないはずなのに、いろいろと欠けてる。
「……………アンタねぇ、はぁ」
「なんだ?」
頭のいいバカ。彼奴もそうだけど類は友を呼ぶっていうのは本当らしい。
首を横に振って、ついでに乱れてしまった毛先を指先に絡めて携帯を見る。返事がきていて息を吐いた。
「…もういいよ。それより、アンタはもう自分のやるべきことを見つけたんだから、答えを出すためにも行くところがあるんじゃないのぉ?」
「そうだな。俺ははくあの隣に戻る」
「はいはい。じゃあ早く行きなぁ。たらたらしてると誰かにそのポジション持ってかれちゃうよ」
「ん、それは困る」
立ち上がると制服をはたいて、それからじっと俺を見つめた。
「ありがとう、瀬名さん。とても助かった」
「心の底から感謝しなよねぇ」
早くいけと手の甲を上にして指先をひらひらと動かす。正しく意味を認識したらしい椋実くんはああと頷いて背を向けるから、なんとなく息を吸った。
「あと、何回も言うけど俺は先輩だから!」
きちんと聞こえたらしく、振り向いたそいつは薄く笑ってみせる。
「すまなかった。またよろしくお願いいたします、瀬名さん」
頭を一度下げると早足で森を抜けていく。葉の緑に紛れて見えなくなった水色のブレザーに息を吐いて携帯を手に取った。
「俺の方は、大丈夫、っと」
まさかこんなところで交換しておいた連絡先を活用するなんて思ってもいなかった。俺から連絡を取った一人と、あとついでに来ていたやつにも同じように返して腰を上げる。
敷いていたハンカチを持ってはたき、汚い面を内側に折りたたんでポケットにしまった。ふと見ると向かい側のベンチに薄い水色の布が敷いてあって、ため息をこぼしてから拾い上げる。同じように畳んでポケットに入れた。
「まったく、手のかかるやつだねぇ」
次会ったときに覚えていれば渡してやろう。