あんスタ
こんこんこんと等間隔でノックがされ、返事をすればからりと音がして扉が開いた。
「わ!おにーさん!!」
現れたそれにぱぁっと顔色を明るくしてみせた宙にそいつは微笑んだ。
『元気そうだね?』
「はい!宙はおにーさんと師匠がお見舞いに来てくれてとてもハッピーです!」
『宙くんの幸せに協力できたのなら何よりだよ。逆先もおはよう』
「……おはよ」
そっぽ向いてしまった僕を咎めることもなく病室に入ってくると視線を一周させて、宙が手のひらでばんばんとマットレスを叩いた。
「立ってたら疲れちゃうのな!おにーさんも座って!」
『うん、ありがとう。えーっと…あ、あった』
さすがにマットレスに腰掛けるなんてことはせず見つけたパイプ椅子を組み立てて腰を下ろす。はからずとも宙のいるベッドを挟んで向かい合うようになってしまい、目があったから鼻を鳴らした。
「検査入院だし、大事を取ってってことだから三日だけなのに君もマメだよネ」
『可愛い後輩が入院したっていうなら、それはお見舞いに行くのが普通じゃない?』
宙の検査は大体30分もあれば終わる。長居しちゃ悪いだろうと帰ろうとした紅紫は寂しそうに肩を落とした宙を見かねて、僕は最初から待っているつもりだったから仕方なく、一緒に病室の外、天気も良かったから中庭に出た。
人一人分くらいの間を空けて座ったベンチは日に照らされて暖かく、缶を開ける。
気づいたら二本買ってて渡されたミルクティーにこいつどこまでスマートなわけとか心の中で悪態をつきながら口をつけた。
同じように自分用に買ったらしいコーヒーに口をつけて、会話が途切れる。もとからよく会話する仲なわけじゃないしとか思いながらぼーっとする。
宙の診察はあとどれくらいで終わるのかな
ふと、盗み見た隣の視線が何かを追ってるのに気づいて同じ方を見る。
風がそんなに強くなく、暖かな日差しによって僕達のように外に出ている人は少なくない。入院してるらしい病院着を身にまとった年配の方が日向ぼっこを楽しんでたり、スケッチをしていたり、小さな子どもがボールを蹴って遊んでる。
どうやら紅紫が見てるのは賑わう子どもたちらしく息を吐いた。
「君って本当、元気な子が好きだネ」
『見ていて楽しいだろ?』
「悪い気はしないけド…そのうち捕まりそう」
『ちょっと?』
眉根を寄せて僕をじっと見てくるから少し笑って目をそらす。ボールはサッカーボール。ペットボトルを並べて多分間に入れようとしてるのか当てようとしてるのかはわからないけどボールはあっちこっちに飛んでいってた。
「君って球技できるノ?」
『んー、得意ではないかな。逆先は運動してるとこあまり見ないんだけどどうなの?』
「人並みだネ。でも球技はあまり好きじゃなイ」
『一緒だね』
「………全く嬉しくないんだけド」
言葉の切れ目、不自然にならないようにミルクティーを飲む。
こいつと、こんな風に肩を並べて座り、力どころか気の抜ける会話をするようになるなんて思ってもなかった。あの頃はたしかに、姿を見るどころか名前を聞くだけで腸が煮えくり返って平常心でいられないくらいにこいつを嫌い、疎んでいたはずなのに。
いや、今も別に好きなわけじゃないけど
誰が聞いているわけでもないのに一人で言い訳をしてなんとも馬鹿らしい。
気づかれてないかとこっそり見つめれば既に僕から視線を外した後でコーヒーを飲んでた。
少し上を見ていた視線は缶を口から離すとほぼ同時にもと向けてた場所に戻す。小さな子どもたちにはいつのまにかとても明るいオレンジ色が二つ増えていて、遠目なこともあり一瞬バルくんかと思った。
「双子?」
『似てるし、そうじゃない?』
距離にして30メートルも離れていないから目視できる二人の顔を見比べて、思わず言葉を溢せばあっさり同意される。
眼鏡をかけた私服のほうがボールの扱いを説明して、周りの子供が首を傾げれば病院着のほうが大きく身振り手振りをして見せた。
子供たちは頷いてボールをまた蹴って、なにか歓声を上げる。
あそこ一角だけ小学校みたいな賑わいを見せていて、周りの人はそれを慣れてるのか微笑ましそう眺めてた。
穏やかな日差しと心地よい風、聞こえるはしゃぐ子どもたちの声。ボールを思い切り蹴ったらしいパンッという音が響いた。
『っ』
「、え?」
急に立ち上がったことでベンチが揺れ、缶が落ちたらしくカラカラと音を立てる。目を瞬けば伸ばされた紅紫の手が受け止めかねたらしくバシンと大きな音を立てた後にボールが転がった。
僕の目の前を遮るように伸びた腕と転がるボールの本来の軌道を思い出して思考が止まる。
「ぁ、」
『大丈夫?』
固まる僕を覗き込む紅紫。
はからずとも撒いてしまったコーヒーの匂いが鼻に届いた。
「ごめんなさい!!」
「大丈夫ですか?!」
慌てた子供の声と比較的大人びた人の声。顔を上げるとさっきの眼鏡をかけた方の人と子どもたちに取り囲まれてて紅紫は僕を見た後に笑みを作る。
『大丈夫です』
「ああああああの怪我とかありませんか?!」
何故かとてもテンパってるのは松葉杖のせいか少し遅れて近づいてきた人で、近づいて見ると本当によく似てる双子だった。
『ありませんよ』
「で、でも手、ばしんって」
『いえいえ、このとおり何も。音が大きかっただけです』
紅紫の人を落ち着かせる笑みと声のトーンに次第に相手はほんと?ほんとに?と首を傾げる。
情けなくも止まってしまってた思考がやっと戻ってきて、今更ぞっとする。
「手、見せて」
『はぁ、はいはい』
仕方なさそうに差し出された手のひらを両手で受け取って視線を落とす。白い手のひらは少し赤みを帯びていて、きっとボールのせいだろうけど一時的なものだと思う。
傷がないことに息を小さく溢して顔を上げた。
「傷でもついたらどうする気なノ…。君はもうちょっと考えてから行動するべきダ」
『うーん、考えてたら間にあわなかったっていうか…僕も逆先も怪我はないんだからいいんじゃない?』
「馬鹿」
『はいはい』
ぽんぽんと頭を撫でられて宥められるから思わず唇を尖らせてしまう。
それに目を細めて何故か嬉しそうに笑った。
『心配してくれてしてありがとうね。…逆先に怪我がなくて本当に良かったよ』
かっと頬が熱くなって手を払い目をそらす。
「ふんっ、心配なんてしてないヨ。君が怪我したら木賊と柑子が取り乱すだろうなと思っただけだから!」
『ふふ、そっか』
振り払われたことを気にしてないのか、地面に転がってしまった缶を拾い上げて、未だ心配そうにしてる周りの子どもたちに苦笑した。
『本当に大丈夫ですよ?』
「で、でも」
『あまり気になさらないでください。この通り怪我も何もありませんから』
双子を落ち着けるように笑んで、次には一番涙目の子供にしゃがみこんで目を合わせる。
「ご、こめんなさい、」
決壊一歩手前まで涙を溜めたその子がボールを蹴ったんだろうとすぐに理解できて、紅紫は宥めるように頭を撫でた。
『きちんと謝れていい子だね』
「っ、ん」
『ちゃんと謝ってくれたし、君にも当てる気がなかったのはわかってるから、僕は怒ってないよ。ほら、もう泣かないで』
いつの間に取り出したのか、染み一つない白いハンカチでその子の目元を拭う。
「う、ぅ、」
『うーん…』
それでもぐずぐすと鼻を鳴らすから紅紫の笑みが困ったように翳って、縋るように僕を見上げた。
身長が高いから見下ろされてばかりの僕としては新鮮な視線にちょっと心臓が音を立てて、誤魔化すように仕方ないなと零しながら隣に立つ。
「やぁ、初めましテ」
「、うん?」
不安そうに目を瞬いて僕を見上げるその子に視線を合わせるためにしゃがみこむ。覗き込んだ黒色の目に笑みを浮かべた。
「実は、僕は魔法使いなんダ」
「?」
ぽかんとして涙が止まる。唐突な僕の言葉に紅紫が笑い、周りは言葉を失ったから静かになってちょうどよかった。
見るにこの子は入院患者で外患はなさそうだ。そうすると飲食物は控えたほうがいいだろう。手持ちのものを思い出してから両手を開いてその子に見せ、左右に揺らす。全員の視線が追うように左右に動いたのを見計らい左手に物を持って、両手を合わせた。
「……さぁ、手を出しテ」
恐る恐る差し出された小さな掌にストラップを落とす。
「!」
途端に目を輝かせたその子に、手持ち無沙汰にしてた飲み物のおまけのストラップがこんなところで役に立ったと内心ホッとした。
「すごい!」
「魔法つかいだ!」
きらきらと目を輝かせる周りの子どもたちに双子の病院着の方も笑顔をこぼして、眼鏡の方は緩く笑む。
すっかり涙を引っ込めて驚いてるその子の頭を撫でてから立ち上がった。
不意に目があって、紅紫が微笑んだ。
『ありがとうね』
「……別に」
むず痒くて目を逸らす。すっかり頭から抜け落ちたように全員がストラップに夢中になっているから一人周りを見ていたらしい眼鏡の方に会釈してそろりと抜け出した。
時計を見れば20分ほど経っていて、多分もうそろそろ宙が戻ってくる頃だ。
向かう先は同じだから不本意ながらも肩を並べて廊下を進み、病室に戻る。宙の姿がないことに息を吐いて、とりあえずと無人のベッドに腰掛けた。
紅紫はその場に立ったまま少し携帯を触ってたと思うとしまい、不意に笑う。
『魔法使いか』
「なんか文句でもあるわけ?」
『うん?そういうわけじゃないんだけどね』
柔らかく微笑んでるから悪い気はしないけど、なんとなくやっぱりむず痒い。
椅子を引いてベッドサイドに寄せて座った紅紫と目があう。
『あの子を笑顔にしてくれてありがとう、魔法使い』
「………ふん、これでお相子ダ」
面と向かって直接お礼を言うのは照れくさいから顔をそらせば一瞬首を傾げたあとにああと頷いた。
『僕が好きでやったことだから、気にしないでよかったのに?』
「………君のそういうところ、不思議だよネ」
『そうかな?』
心当たりがなさそうに視線を上げて、首を傾げる。少ししてでも、となにか思い出したように笑んだ。
『逆先って案外ぼーっとしてるっていうか…危なっかしくて目が離せないよね?』
「は、は?!」
『気をつけなよ?』
ぽんぽんと頭を撫でられてまた頬が熱くなるし、頭の中がぐるぐるしてしまう。
なんでそんなアホみたいに気障なことできるわけ?!
「師匠真っ赤なのな!」
「そ、そらっ!?」
いつの間に戻ってきたのかわからないけど話を聞かれていたようで、にっこりと満開の花みたいな笑顔をこぼす。
「ぐるぐるしてるけどとってもハッピーな色!」
両手を大きく広げたあとに両頬を包んで見せた。
「大好きな師匠と優しいおにーさんが仲良しで、宙もすっごくハッピーです!」
きゅーと悶えるように笑って、その後にスキップでもするような軽い足取りでベッドに飛び込んできた。
勢いに負けてベッドから投げ出されかけた身体が支えられて、慌てて顔を上げれば大丈夫?と目を瞬く紅紫がいる。
近すぎる距離と支えるためにか触れられた肩からじくじくと熱を帯びはじめて、固まれば宙の笑い声が聞こえた。
「おにーさん!宙も抱っこしてな!」
『うん?うん、宙くんもおいで』
「huhu~♪」
何を思ったのか、僕に触れてた右手を外して開いた紅紫に宙はとても嬉しそうに飛び込んできて、僕ごと寄りかかる。紅紫は気にしてないみたいに僕と宙を抱きとめて笑った。
まてまてまてまてっ
夏だし、私服だし、薄着で、制服と違って届く紅紫の匂いが強い。
『宙くん元気だねー』
ぎゅーぎゅーと宙が動くたびに紅紫の胸元に顔を押し付けるような形になってしまって、どこに置いたらいいのかわからない手が触れてしまった体は服越しにでもわかるように鍛えられてて、ぞわぞわした。
「師匠どうしたか?」
『逆先?』
不思議そうな宙と、もう一つ降ってきた声。はっとして顔を上げるとさっきよりも近い場所に顔があって、咄嗟に腕に力を込めた。
『ぐ、』
「師匠?」
驚きで緩められた宙の腕の力、ついでに腹を押さえて屈んだ紅紫にそのまま身を引いて後ずさる。
ぽかんとした宙に悪気がないのはわかってるけどなにか言いそうになってしまって、噎せた紅紫に意識が戻された。
『きゅ、うに…どうしたの…?』
「ななななんでもない!」
思わず声を荒げれば紅紫は参ったとでも言いたげに眉根を寄せて力なく笑う。
僕と紅紫を見比べた宙はん~と悩むように首を傾げてから背中をさすった。
「おにーさんごめんな~…痛いのいたいのとんでけ~!」
『ふふ…ありがとう』
「どういたしましてなのな!」
遊戯会のようなやりとりに、若干のむかつきは覚えるものの、話が流れていったから息を小さく吐いて肩を落とした。
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