あんスタ
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「仲、良くなったの?」
聞こえてきた声に振り返るといつからいたのか、衣装に身を包んだ乱さんが首を傾げてた。
「知り合いくらいには話すようになれそーっす」
「うん、そう…仲がいいのはいいことだね」
ゆるく笑んで頷くその人を眺めているうちにカメラマンの撮影開始の声がかかって意識が戻される。
「暇かもしんねーすけど、たのしんでってください」
『ありがとうございます。勉強させていただきます』
隣に居た二人が離れ、そこに巴さんと七種さんが混ざって大体の流れを確認していく。
「紅紫さんはこちらにどうぞ!」
促されて腰掛けた椅子からは撮影のセットから斜め40度くらいでここならよく見えそうだ。
広告の種類は決まっていないようで、何パターンか撮ってその中から選ぶらしい。組み合わせもいくつか撮るようでまずはEveとAdamに分かれての撮影。次に年齢で分け、最後にピン撮影。七種さん、漣さんと撮り、巴さんと乱さんを三枚ずつ撮ったところでカメラマンが唸った。
「悪くは、ないんだけど…なにか、足りない…」
「具体的におっしゃいますとどのような点でしょうか?」
首を傾げた七種さんにカメラマンは撮ったばかりの写真を取り出して広げて見せる。
「テーマを考えたときに、物足りなくて…別に君たちが悪いってわけじゃないんだけど、小物かなにか足す?」
「そうですね…閣下、殿下、いかがなさいますか?」
写真から目を上げた七種さんと目を合わせず、二人は互いを見つめ合っていたと思えば巴さんはにこにこと笑い、乱さんも頷いた。
「足りないなら、足せばいいんじゃない?」
至極当然のように口にするなり立ち上がる。歩みを進めて俺の前に立つと手を差し出された。
「紅紫くん」
『、僕ですか?』
「うん。君以外に紅紫くんはいないと思うんだけど…駄目かな?」
ややゆるく傾げられた首。感情の起伏が目立たないけれど、僅かにこもってる感情に思考をめぐらせる。
本来であれば俺は今回の撮影になにも関与しない予定で、きっと事務所もそれだから頷いたはずだ。
一旦指示を仰ぐのが妥当だろうけど、確か今日のこの時間は会議中のはずだ。
迷惑は、かけたくない。
『僕の独断になるので、今回は顔も名前も出せませんが…それでも大丈夫ですか?』
「大丈夫だよ。ねぇ?」
「あ、うん!大丈夫だ!じゃ、なくて、え、む、むしろ紅紫くんは問題ありませんか?」
乱さんの目に肩を跳ね上げて答えるなり俺を見て不安そうにする監督。事務所も違うしトラブルになるのを恐れているんだろうから、鞄から白紙のA4ノートを取り出してボールペンを走らせる。
『はい。後から何か起きましたら僕だけで処理いたします。念書作っておきますね』
「あはは!用意周到だねぇ!うんうん!」
「そんなさらさら念書って書けるもんなんすか…?」
ごきげんな巴さんの笑い声と漣さんの不思議そうな声。七種さんの視線を背景に署名して、ついでに隣に持っているはんこを押した。
あとはコピーを取って俺とゴズプロが一部ずつ保管すれば問題ないだろう。
前に影が立ってにっこりと笑った。
「できたのならさっそく撮影に取り掛かるべきだよね!顔出しできないなら目元でも隠そうか!」
『…そうですね、布か何かでもあれば、』
「こんなこともあろうかと!自分アイマスクタイプの仮面をいくつか用意しております!さぁ紅紫さんどちらがよろしいですか!?」
急にぬっと現れて、まるでウチの学校の奇人がつけているような仮面が二十個ほど並べ立てられた。
用意周到にもほどがあって、まるでこうなることが予想されていたんじゃないかと勘ぐってしまいそうだ。
一瞬目を通して、今俺が着ている服と彼らの服、背景やコンセプトに合いそうで無難な飾り気が少ないものを一つ手に取った。
『お借りしますね』
まっすぐ目元に当てて紐を後頭部に回して髪を整える。着けなれないそれに髪が跳ねてたのか、巴さんの指が毛を摘んで流した。
「雰囲気が随分と変わるねぇ?」
『そうですか?』
「仮面舞踏会…?」
「日々樹くんみたいで面白いよ」
「とってもお似合いです紅紫さん!差し支えなければ衣装に統一性を持たせるためネクタイなどをお召になってはいかがでしょうか!」
『あった方がいいのなら。デザインもお任せいたします』
「はい!ネクタイももちろん取り揃えておりますが…ふむ、紅紫さんのその美しい髪と白い肌、つけていらっしゃる仮面と合わせるのであればこちらはいかがでしょう!」
この人本当になんでも持ってるな…
ぼんやりと思いながら差し出されたネクタイを受け取る。四人のネクタイの巻き方的に無駄に凝らないほうがよさそうだから、ワイシャツの襟を通して普段とは違い三回巻き付けてから締めた。
「じょうず!」
「手慣れてるね」
『さすがにほぼ毎日結んでいるので慣れますよ』
腰を上げて服の皺を払い息を吐く。余所行きだからと一応着てきていたジャケットは少し悩んでから脱いで、ワイシャツとスラックス、ネクタイだけになった。
漣さんがへぇと感嘆したように息を吐く。
「不思議ですね。着飾っているわけでも脱いでいるわけでもないのに、そこら辺のグラビアよりも色気があるっすよ」
『えっと、ありがとうございます?』
「ほら!撮影時間が押しちゃうのはよくないよ!」
手を取られて足を進める。薄暗い場所から一気にスポットライトの真下に連れて行かれ目が眩む。
その瞬間を狙ったように腕が強く引かれ、縺れた足にバランスを崩せばふわりと柔らかなそこに押し倒された。
「ふふ、絵になるね!」
『そうだといいんですが…なにか指定はこざいますか?』
「自由にお願いします!」
一応問いかけてはみたものの、カメラを覗いたりバランスを見たりするのに忙しいカメラマンはあまりアテにならなそうだ。体制を直そうかと思ったけど腹の上に乗られていては動きようがない。
『あの、―…なんでもないです、はい』
目前の巴さんの顔になにか言おうかと思ったけど、ストップが入らないなら俺が口を出すことでもないだろう。
心中で息を吐いて、目線を上げればにっこりと笑われた。
「テーマは魅了なんだって」
『ええ、伺ってます』
今回の香水のコンセプトにも紹介にもある単語に頷けば、笑みを濃くする。
「このままだと僕に魅了されちゃうのは君になるね?」
『……ええ、そうですね…、……ふふ』
この人たち相手に手を抜いて仕事ができるわけもなかったか。
自分の考えの甘さに小さく笑って、手を伸ばした。
指先をネクタイの結び目にかけて、表情を作るために口角を上げる。ただ、それだけでいい。
押し倒されて下にいるのは俺だけど、これなら見る者によっては逆転できるだろう
驚いたように目を丸くしてから目を細めた。
「紅紫くん」
揺れた声が名前を呼ぶ。無視していれば何度もシャッター音が響いて、カメラマンの声が終わりを告げた。
手を離して表情をいつもの笑顔に戻す。
『手荒な真似をしてしまい申し訳ございませんでした』
「……―うん、やっぱり気持ちの悪い子だね!」
『ありがとうございます』
「ふふ、撮影が終わったら久々に僕の買い物に付き合ってよ!洋服を見に行こうね!」
『時間が余ればご一緒させてください』
「うんうん!なら早急に用事を片付けるべきだね!凪砂くん!バトンタッチだ!」
俺の上から退いたから起き上がる。パタパタと駆けてスポットライトの外に行った巴さんを目で追ってから立ち上がり、乱さんが撮影する予定のソファーの横に立つ。
緩慢な動きで近づいてきた乱さんは少し悩むように目線を落としたあと、座ってと指示してくるから腰を下ろした。
それなりに柔らかいソファーの真ん中よりも端寄りに座れば、乱さんは何故かソファーに膝をついて俺を見下ろす。
「争いごとは嫌いだけど、君は不思議だよね」
『そうですか?』
「うん。君を見ていると人間は、まだこの世にいてもいいのかもしれないって思う」
じりじりと迫ってくるから退いていたのに、腰にソファーの肘掛けが当たって行き止まりを告げられた。
「君は多分、神様なんだ」
縋るように胸に置かれた手に言葉が詰まる。
『……そんな、大それたものじゃないですよ』
「どれだけ人が切望しても、決して手には入らないし、同じ場所には立たない」
じっと見つめてくる乱さんの顔がゆっくり近づいてきて、息が掛かるくらいの距離でようやく止まった。
『近くないですか?』
「そんなことないよ」
あっさりと否定されたし、なんの指示も飛んでこない。俺が駄々を捏ねたって仕方ないから距離について何か言うことはもうやめて、じっと見つめ返す。
パシャパシャとシャッターをきる音が何度も響く。右から左に音を流していれば不意に止まって、目線だけ向ければたぶん、カメラレンズ越しにカメラマンと目があった。
ぱしゃりと思い出したように一枚写真を撮ると動いて顔が現れる。
どろりと熱のこもった目がこちらを見据えて、口がパクパクと動き、隣の監督を手招いた。
「え、どうしました?」
「あ、あの、これ!これなんですけど!」
撮った写真を覗き込む二人はなにか打ち合わせをしたと思うと同時に、勢い良く顔を上げた。
「すごくいいんだけど!いいんだけど!」
「ねぇ!キスマーク!キスマークあったら映えると思うんだけど!一つでいいから乱くんにつけてくれないかな!?」
『…………』
高校生に何を求めてるんだ。
なにが間違いだったのか、熱に侵されたように視線の浮ついたカメラマンと監督。
助けを求めようかと向こう側を見るよりも早く、顔ごと向きを変えられた。
『、あの』
「こうしたほうがいいんでしょう?」
この人本当に芸能界で生きてて大丈夫なのかな
純粋すぎていつか壊れちゃいそうだ
『乱さんはいいんですか?』
「うん」
『綺麗につけるなら一週間は消えませんよ?』
「気にしないよ」
『……そうですか』
この人と話してても方向性は変わらなそうだ。仕方無しに視線だけを三人に向ければ、漣さんは話してる巴さんの相手に忙しそうで、七種さんはにっこりと笑ったまま頷いてる。
どうやら助けてはくれないらしい
視線を戻して、真っ白な首筋を見据える。つける位置と大きさに検討をつけて、指先を置いて確認しながら赤橙を見つめた。
『少し痛いですよ』
「うん」
わかってるのかな、大丈夫かな
流石に不安を覚えなくはないけど、この人も俺と同じ、仕事とわりきっているタイプだから何を言ってもしょうがない。
あたりをつけたその場所に唇を当てて、吸い付く。ぴくりと肩をゆらしたけれど言葉を零さないで堪えようとしてる乱さんの手が俺の服を掴んだ。
唇を離せば綺麗に鬱血痕が残っていて、まぁこんなものかなと顔を上げる。
『終わりました』
「…うん」
見えないから痕を指先で触れてほんの少しだけ表情を緩めて、さっきまでとっていた体制に戻る。首にかけられた腕、今回のためだけに片側に編み込まれた髪の反対側が肌に触れてくすぐったかった。
「ありがとう」
『……撮影が済んだら温めてくださいね、そうすれば早く消えます』
「大丈夫」
息が掛かるくらい近い顔にピントを合わせるのも大変で、耳がシャッター音を拾うから俺も手を伸ばして髪を撫でる。
暫くすればカメラマンがOKを出したか手をおろした。なのになぜが動かないでいるその人を見上げる。
『乱さ、』
「…―テーマの魅了って、君がモデルなんだって」
『え?』
不意に呟かれた言葉に目を瞬けば、腕に力がこもって更に詰められた距離に鼻先が触れた。
「私達は楽園を名乗っているけど、きっと君はそこにある果実なんだ」
『…とうとう僕は人間じゃなくなったんですね』
「禁断の果実…イブもアダムも、食べて追放された」
ほんの少し顔を傾けて、距離が縮められる。唇が動いて、
「私も、君を手に入れたら、そうなるのかな」
「うんうん!終わったのなら早く着替えて買い物に行こうよ!」
触れたような、触れてないような、そんな距離まで近づいたところで明るい巴さんの声が響いて乱さんがゆっくり離れた。
久々にこんなにヒヤッとしたかもしれない。
素早く視線をめぐらせるけどカメラマンも監督もスタッフも撮れた写真を覗き込むのに忙しそうで見ていたのは恐らく三人だけのはずだ。
時計を見つけてまだ今が昼を過ぎたくらいなことを確認してから笑った。
『そうですね、もしこれでお仕事が終わりなら買い物行きましょうか』
身を起こして返せば上機嫌に頷いて、これはたぶん夕方過ぎまで着せ替えと荷物持ちから解放されないパターンだろう。
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