あんスタ


1

渡された企画書の面子に返す言葉を悩んだ。

つい最近も聞いたような名前にさて、どうしたものかと心の中だけで息を吐く。

目の前を見ればその人はらしくもなく苦笑いを見せてた。

『……そんな顔しないでください。仕事はきちんとこなしますから』

「…そういうことじゃなくて、無理をしてほしくないの。…あなたの気が向かないのなら断るわ?」

『いいえ、仕事は仕事ですから。最近の俺は選り好みできる立場でもありませんし…大丈夫です』

「………そう。なら先方に返事しておくわね」

何故か煮え切らない表情で頷くから俺も目をそらしてパソコンに手を伸ばす。今回の相手の名前を入れてクリックすれば知っているような内容しか出てこなくて、すぐに消した。

『……いい機会、なのかな』

「あら?何か言った?」

『いいえ、なにも。少し出てきます、何かあったら携帯に連絡ください』

立ち上がって足早に部屋を出る。見慣れた廊下を進んで裏口の鍵を開けて外に出る。ふわりと吹いてきた風が髪を揺らすから一度目を閉じて、三段階段を上って腰を下ろした。

『俺一人を指名なんて、どういう気なんだか』

ただ目についただけなのか、
五人呼ぶほどでもなかったのか、

『それとも、―――…』

ぶわりと強く吹いた風に思考が途切れて、ちょうど揺れた携帯電話を取る。

今日の夕飯は野菜スープとオムレツらしい。



たとえ気乗りしなかろうと、体調が優れなかろうと、仕事なんだから一定以上の結果を出さないといけない。

事務所の垣根を超えての仕事はよくあることで、ただゴズプロとの仕事は初めてだから勝手がわからないけど、まぁここは学園と同じように仮面を被っていこう。

普段と同じように決められた時間よりも早めに最寄り駅につく。改札を出れば人気の少ない駅前にはマイクロバスにも似た車が止まっていて珍しさに首を傾げながら横を抜ける。

さて、目的地はと顔を上げた瞬間に視界に入った見覚えのある錦糸に足を止めた。

隣の人に紙袋を持たせ表情を緩ませてたその人も俺と目が合うなり足を止める。

「ん?ああ!紅紫くんじゃないか!」

『こんにちは、お久しぶりです。巴さん』

きらきらと紫石を輝かせて笑うその人の隣に居た人は、目を瞬いてから小さく頭を下げる。

「はじめまして。紅紫さん」

『初めまして、漣さん』

「へぇ…俺のこと知ってるんすか?」

『もちろんですよ』

笑顔を繕えばふーんと納得したように目をそらして、両手を塞ぐ荷物を持ち直した。

「ていうか早いっすね、まだ約束の時間にはありますよ?紅紫さんも買い物っすか?」

『いいえ、あまり慣れない土地なので迷ったことも考えて早めについておいたんです』

「ああ、そうっすよね。…うん、ほら、おひぃさん、普通仕事の前に買い物をするのはおかしいんすよ」

「ジュンくん!それは違うね!仕事はきちんとしてるんだからそれ以外は縛られる謂れはないよね!」

漫才かななんて二人を眺めていると後ろで車の扉が開く音がして、振り返ると菖蒲色の髪が揺れた。

「おや!そちらにいらっしゃるのは紅紫さんではありませんか!先程車内から後ろ姿がお見えになりましたときから空気が違うと思っておりましたが、直接お顔を合わせますと前に立つのが烏滸がましく感じます!」

ああ、マシンガントーク。苦手なタイプだ。

笑顔を崩さないよう表情に細心の注意を払い、息を吸う。

『ふふ、そんなに褒められると照れますが、ありがとうございます。七種さんですよね?初めまして、紅紫です』

「はい!自分は七種茨と申します!この度は紅紫さんとお仕事ができてとても光栄です!」

『こちらこそ、Edenの皆様とお仕事をさせていただけるなんて思いませんでした』

なんとなく交わした握手。目の奥が笑っていない上に俺を観察して這いずる視線は息苦しさを覚える。

やばい、久々にこんな気の抜けない仕事相手に会ったかもしれない。これはやりにくいな。

せめてもの救いはAdam単品との仕事じゃないことか

頼み綱の巴さんは漫才が終わったらしく顔を上げた。

「凪砂くんにはもう会ったのかい?」

『いえ、まだです』

「うんうん!なら早く会うといい!久しぶりで凪砂くんも楽しみにしているからね!」

「そうっすか?あんまりいつもと変わんないような…?」

「そんなことないよ!ほら、連れてってあげよう!ふふ、なんていい日和だろうね!」

急に手を取られて足が縺れそうになりながら歩く。七種さんの横を抜けて、さっき見送った止まっているマイクロバスのような車に連れ込まれた。

私空間の強い車内は部屋のようで、ソファーやテーブル、冷蔵庫まで置かれている。その奥、何か小さなものを虫眼鏡で覗き込んでいるその人は俺達が入ってきたことに気づいてないのか顔が上がらない。

「凪砂くん!凪砂くん!」

「うん…?なに?」

「ほらほら!顔を上げて!紅紫くんだよ!」

「……………」

虫眼鏡からゆっくり視線が上がって、赤橙の瞳が俺と巴さんを捉えた。

「……お茶にする?それとも珈琲?」

『あ、そんな、僕のことはお気になさらないでくださ、』

「閣下自ら…?!」

「はー…本当に規格外な人っすね…?」

後ろから入ってきた二人の声が言葉をさえぎってしまって、腰を上げた乱さんをどうにか止めたいのに俺の腕を組んだまま話さないで笑ってる巴さんがいるから身動きが取れない。

「……?、は!閣下!ここは自分が動きますのでどうかおかけになっていてください!」

「あ、うんん、いいよ、私がやるから」

我に返った七種さんを素気無く断りお湯を用意し始める乱さんに内心冷汗をかく。そんなことを気にも止めず、巴さんは俺の腕を掴んだままさっきまであの人が座っていた席に座るから中腰になった。

『あの、』

「相変わらず謙虚な子だね!ほらほら!座って座って!」

腕を引かれるから仕方無しに腰を下ろす。突き刺さる視線に居心地の悪さを感じていれば、さっきまで持ってた大量の荷物を置いてきたらしい漣さんが向かいに座った。

「おひぃさん、あんまりお客さんを引っ張るのはよくねーと思うんですけど」

「今はお客さんじゃなくて後輩だからセーフだよ!ね!」

『いつもありがとうございます』

「うん!相変わらず気味の悪い子だね!とってもいいよ!」

「アンタそれ褒めてねぇっすよ…」

かつての夢ノ咲ではこんなに的確かつ恐れなくツッコミを入れてくれる人はいなかった。

漣さんに視線を向けると小さく肩をゆらして、すぐに眉間に皺を寄せた。

「どうしました?」

『……漣さん…、すごく、尊敬します』

「、は?」

「えー?ジュンくんなの?僕じゃないの?」

右側から上がった声に言葉を間違えた気がするけど押し通すことにした。

『漣さんを尊敬してます。もしよろしければ少々ご教授くださいませんか?』

「いや、ちょ、待てってどういう…?」

ぱちぱちと瞬きを繰り返したのちに眉間に皺を寄せて訝しんでくる。

隣で俺の腕を引いて僕は?と頬をふくらませる巴さん。

ことりと静かにカップが置かれて顔を上げるといつの間にか乱さんが戻ってきていて隣に腰掛けた。

「なんだか楽しそうだね」

「聞いてよ凪砂くん!紅紫くんがジュンくんのこと尊敬してるんだって!」

「…へぇ、私は?」

何も考えてないような煌めかない瞳で見据えられて、自分の失言に一分でいいから今すぐ時間が戻らないかななんて思う。

「失礼いたします!皆様お揃いですのでこのままお車で移動し現場に向かいます!目的地まで十分少々。あまり揺れはしないと思いますが、お飲み物にはお気をつけてくださいませ!」

ちょうどよく空気を切っていった七種さんの声に心の中で安堵の息を吐いた。

ついでに吸い込んだ息の中に芳しいコーヒーの香りを拾って、目線を下ろせば白い陶器のカップに注がれたコーヒーが小さく揺れてるのが映る。

『ありがとうございます』

「コーヒー、好きだったよね?あまり、記憶に自信はないんだけど」

『はい、好きです』

「そう…それなら冷めないうちに飲んでね」

用意された五つのカップ。巴さんは角砂糖を三つ入れてスプーンでかき混ぜたと思うと口をつけた。

「うん!凪砂くんの淹れるコーヒーはおいしいねぇ!」

「うう、閣下にお手を煩わせてしまうなんて一生の不覚ではありますが、香りも味も大変美味しく、自分大変感動しております…!」

「……お高い味ってことなんすかね…違いが分かんねー…」

仲がいいのか悪いのか、なんとも微妙な距離感がある四人の会話っぽいものを聞きながらカップに口をつける。

丁寧に淹れられたコーヒーはたしかに香りも良く、広がる風味は柔らかく缶コーヒーとは比べ物にならない。コーヒーに集中しているフリをしながら思考をまとめることにした。




大きな揺れや迷うなんていう問題もなく目的地に到着したらしい。七種さんのアナウンスに従って車を降りれば事前に調べていたビルが目の前に立っていた。

記憶に違いがないことを確認して用意しておいたメールを送信する。

携帯をしまった瞬間に右腕が取られてバランスを崩しかけた。

「凪砂くん!紅紫くん!ジュンくん!いくよ!」

見た目は華奢なのに相変わらず活発な人で、俺と乱さんの腕を取り進んでいく巴さんに息を吐きながら漣さんが後ろに続く。

七種さんは先に受付を済ませてくれていたようで、その先にいた七種さんは俺達を見るなり驚いたように笑った。

「とても仲がよろしいのですね!」

「うん?そうなの?」

「仲はよくないね!」

首を傾げた乱さんに笑顔で否定する巴さん。残された俺は苦笑いを浮かべて、追いついた漣さんが息を吐いた。

「ほら、おひぃさん、流石にここじゃ紅紫さんはお客さん…っつか、本来なら敵なんすから腕引っ張ってくのはよくねーよ」

「ううん、それもそうだね…上からグチグチ言われるのは悪い日和だ」

仕方なさそうに離された腕にようやくまっすぐ立つ。

至るところから突き刺さる視線が品定めをしてきているようで、気づかないふりをして笑顔を繕った。

「それではこちらに!時間に余裕はございますが早く行動して罰はあたりません!」

「まぁ、得もしないっすけどね。おひぃさん行きますよ」

これが七種さんのポジションなのか、先導して歩くから後ろについていく。

衣装に着替える四人と挨拶に行かないといけない俺は別れて、案内された部屋に入った。

すでに中にいたその人は俺を視界に入れるなり立ち上がって嬉々とした顔で向かいに立つから、用意しておいた名刺をケースの上で滑らせた。

『ブライトプロダクションより参りました、紅紫はくあです。本日はよろしくお願いいたします』

にっこりと笑って名刺を渡せば相手も上機嫌に名刺を受け取ったから掴みは悪くないはずだ。

同じように名乗って渡された名刺を受取目を落とす。さすがに社長出てこないらしいがこの人はご意見番といったところか

「こちらこそ!ようこそ紅紫さん!いやぁ、Edenと一緒に仕事してくださるなんて感謝感激です!」

『いえいえ、僕こそ、足を引っ張ってしまわないよう尽力いたします』

ニ、三言葉をかわし、社交辞令を終わらせて仕方無しに指定された場所に足を進める。

今回の仕事はタイアップらしく、俺が歌う曲にEdenの四人がCMとして出演する。よくこんなプロダクションの垣根を越えたられたなぁなんて思うけど、俺がそこまで深堀するようなことでもない。

そもそも今回の俺は歌った人間としてイメージを損なっていないか、意見を出してほしいなんて観客の立場を求められてるから一緒に仕事をするという表現は恐らく少し正しくない。

CM撮影は後日。今日は街頭に並ぶボスターや広告の撮影になる。

ノックのあとに開いた扉の向こうには撮影らしく背面の白い壁の前にいくつかソファーや小道具が用意されていてカメラが並んでた。

「紅紫くん!」

たまたま出入り口の近くにいて俺に気づいたらしい巴さんが名前を呼ぶから近寄る。

今回の商品イメージらしく少し崩れたスーツのような衣装をまとっていて髪も纏められていた。

『とてもお似合いです』

「だろう?ふふ、凪砂くんもとってもかっこいいからぜひ見ておくれ!」

『はい』

ごきげんな巴さんが鏡の前に立って自身の姿を確認しているのを眺めていれば同じく着替え終わったらしい漣さんが隣に立つ。

巴さんが長袖ジャケットなのに対し、漣さんはベストと長袖のシャツ。色味は似ているのに随分と印象が違う。

「おひぃさんが迷惑かけてすんません」

何故か一番に謝るからどうしても苦笑いになってしまった。

『いえいえ、迷惑なんてかけられていませんよ?』

「ふーん、普通あのおひぃさんに振り回されるのは迷惑だと思うんすけどねぇ…」

不思議そうに首を傾げ、そして納得したように目を瞬く。

「そういえば紅紫さん、おひぃさんとナギ先輩とお知り合いなんすよね?」

『はい。一応同じ学校だったので』

「在学中も仲良かったんすか?」

『え、?』

問いかけに目を丸くしてしまい、次には漣さんが不思議そうにするから思わず崩してしまった表情を作り直した。

『えっと、僕は特に巴さんと乱さんと仲がいいわけではないんですよ?』

「はい?え、いや、そんな嘘つかれても…」

『嘘ではないんですが…』

「………はぁー、よくわからないっすね…普通に仲良いじゃないっすか…。やっぱ、トップアイドルって思考回路が常人と違うのか…?」

ぼそりと零された言葉は聞こえなかったふりをして笑顔を返す。

『巴さんも乱さんも、なぜか僕に目をかけてくださっていて…それに甘えてるだけなんです』

「……、紅紫さんはそう思ってるんすか?」

『はい。あのお二人も僕と仲がいいかと聞いたとして頷かないと思いますよ?』

すでに聞いたあとなのか、まぁそうっすけど…と言葉を溢した後に息を吐いた。

「なんつーか…不思議な関係っすね」

『うーん…人間関係なんて大体こんな感じじゃないですか?明確に名前がついたり、理由がわかっているほうが珍しいと思いますよ?』

作り笑いではなく、なんとなく普段の笑顔を浮かべ言葉を紡げば何か言いたげに口をまごつかせ、漣さんはまた息を吐いて髪を混ぜた。

「………頭のいいバカって、本当にいるんすね…」

『え?』

「なんかこう、紅紫さんとは仲良くやっていけるかはわかんないっすけど、話してて退屈はしなそうです」

『はぁ、そうですか』

気の抜けた微妙な返事になってしまったことを気にしてないのか、漣さんはゆるく笑みを作ると携帯を取り出す。

「紅紫さんって夢ノ咲でしたよね?ならTricksterのことは知ってますか?」

『ええ、もちろん。遊木くんと漣さんは結構仲良しなんでしょう?』

「あ、遊木さんのお知り合いだったんすね」

『はい。用事が重なってしまいサマーライブでのお姿は拝見できませんでしたが、話を聞いたらすごく勉強させてくださったと』

「はあ…夢ノ咲はほんとゆるいっすね…」

呆れたようにため息まじりに零して、唇を一度結うと先程よりもゆるい笑みを浮かべた。

「まぁいいや、よかったら連絡先交換しませんか?」

『もちろん、構いませんよ』

携帯を取り出して、元から知っていたアカウントのフォローとそれとは別に連絡先を渡せば目を瞬かれた。

「こんなことまで教えて、なんの得もないっすよね?」

『損得だけで教えているわけではないですよ。何かあったときに連絡が取れたほうが便利ですし…それに、』

人目は少ないけどどこで聞き耳を立てられているかわからないから少し身を屈めて彼の耳元に口を寄せる。

『僕、漣さんの巴さんへの対応、本当に尊敬しているので上手な付き合い方を是非教えてくださいませんか?』

「、」

警戒心を持たれたり周りに気づかれる前に離れて笑顔を繕う。

『会うことも話すことも迷惑ではないんですが、あまり強く言えないのでなんとなく振り回されてしまうんです』

「…たしかに、振り回されてましたねぇ」

『お恥ずかしながら』

笑えば釣られたように漣さんも笑い纏っていた空気が軽くなる。

携帯をしまって顔を上げれば漣さんは緩んだ表情で腰に手を当てた。

「雲の上の人間だと思ってたけど、意外と話しやすいんすね」

『そうですか?ありがとうございます』

にっこりと笑えば随分と挑発的に口角を上げて表情を作った。

「…いつかその化けの皮はがしてみせますよ」

本来はこっちのほうが素なんだろう、強気の目が真っ直ぐ俺を見てくるから肩の力を少しだけ抜いた。

『ふふ、こわいですね?』

もし機会があれば、漣さんとなら個別に会ってもいいかもしれない。

そのときには遊木くんも誘ってみようか


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