あんスタ


鳩を羽ばたかせると、一羽が予想以上に舞い上がって青年の頭の上に止まった。待ち合わせでもしていたのか、ベンチの近くで携帯に触れていたその人は肩を揺らしたあとにゆっくりと顔を上げる。

眼鏡越し、揺らめく赤色な瞳が私を見据えた。

「あ、」

『、こんにちは』

目を瞬いたあとに笑顔を作る。頭に乗って寛ぐ鳩を気遣ってか必要以上に身動がないから我が家のように落ち着いてる鳩に気まずさを覚えてしまう。

「申し訳ありません。ほら、おいで」

苦笑いを浮かべて手招く。いつもならまっすぐ飛んでくる鳩は何故かその場から動かず、あまつさえ目をつむり和み始めてた。

『………えっと、人懐っこいんですね』

気遣うような表情に苦笑いを返す。

「たしかに人馴れはしていますが…私の言葉をきかないのは珍しいです」

『そうなんですか』

ちらりと頭の上のものを気にするように目線を動かして、すぐにこちらに目を戻す。

『日々樹さんはここでなにをなさってたんですか?』

「マジックですよ」

『マジック…?よくいらっしゃるんですか?』

「頻度はあまり。今日はたまたま時間が空きましたので…貴方は?」

『出かけようと思って、今は待ち合わせです』

一度携帯を取り出して目を落とす。連絡が入っていなかったのか特に焦った様子もない彼は、次に私を見てやはり笑みを繕った。

『もしお時間があるならご一緒にいかがですか?』

「おや、これはまた珍しいお誘いですね?私は構いませんが相手方はよろしいのですか?」

『相手が貴方なら文句は言わないと思います』

むしろご一緒してくださると嬉しいですなんて付け足される。一体誰と待ち合わせをしているというのだろう。誘ってきた時点で既知の相手なのは予想がついているが、全く絞れない。

「どちらに向かわれる予定なんですか?」

『たぶん商店街を回ると思います。必要なものが手に入った後は解散かと』

「何を買われるんです?」

『さぁ?僕も詳しくは…』

きっと癖なのだろう、首を傾げようとして頭の上の鳩を思い出して中途半端な角度で止まると苦笑いを浮かべた。

はっきりとしない回答にどうも違和感を覚えてこちらも首を傾げる。

「不思議な待ち合わせですね?」

『はい、僕もそう思います』

言葉の切れ目で手に握ったままの携帯を覗いた。よく見ればランプが点灯し、小さく揺れているようにも見える。

『もうすぐ来るみたいです』

自分用にポケットに入れている携帯を取り出して時間を見ればあまり切りが良くない時間が示されていた。彼がここにいつから立っているのかは知らないけれど区切りの悪さに口を開く。

「随分と半端な時間に待ち合わせているんですね?」

『あぁ、僕がちょっと早く着すぎただけで、本当は18分後が待ち合わせ時間なんです』

うっすらと微笑んでみせた彼はいつから待っていたのだろう。マメなのか、それとも用事があったのか、深く聞くにはあまり良好で親密な関係を気づいているわけでもないから口を噤む。

駆けるような足音が聞こえてきて彼が顔を上げるから私も振り返った。

走ることで揺れてた赤色の毛先。トパーズのような濃い橙色と視線が交わる。

「んん?!師匠!?」

「おや!夏目くん!」

足を止めてその場で目を見開いた愛弟子に隣の彼が笑った。

『おはよう、逆先』

いたって普通の挨拶に夏目くんは眉間に皺を寄せて頬をふくらませる。

「なんで師匠がいるのさ」

『たまたまかな?』

嘘を言っているわけでもないのに信じられないとでも言いたげな目が確認するように私を仰ぐから頷く。そうすればほんの少しだけ眉間の皺を薄めて視線を上げた。

「………その鳩も?」

『…うん、まぁ、そうだね』

すっかり落ち着いて瞼までおろしている鳩は眠っているのかもしれない。どれだけ彼の頭の上が心地良いのかは私にはわからないけれど、さすがの警戒心の無さにため息を吐いてしまいそうだ。

「私の鳩が彼に懐いてしまったようでご迷惑をかけているんです」

『別に気にしてはいないです。懐いてくれて嬉しいですし』

本音か社交辞令か。測りかねる言葉に私よりも先に夏目くんが息を吐いた。

「…もういいや。…頭に乗せたまま歩けるノ?」

『うーん、短時間ならまだしも長時間だとあまり自信はないかな?』

どこか上機嫌に微笑む彼に夏目くんが疲れたようにまた息を吐いたから、手を伸ばす。私の動きにきちんと気づいた彼は少し身を屈めて、両手のひらで受け取った鳩はやはり眠っていたのか驚いたように一度羽ばたこうとするから抱えた。

「確保です☆」

『思っていたよりも暖かったです』

「君の感想ズレすぎじゃないノ?」

物言いたげな目を気にもしないで髪を軽く整えた彼はさてと笑う。

『それで、どこに行くの?』

「…商店街の予定だけド…師匠も一緒?」

見上げてくる橙色の瞳はどこか期待混じりで、視線を這わせた先の彼は微笑んでいるからいつものように笑った。

「はい!夏目くんさえよろしければご一緒させていただけませんか?」

「もちろんだよ!」

ぱぁっと目を輝かせた夏目くんははっとして両頬で顔を覆ってしまった。その行動に思わずといった様子で笑みを溢した彼はとても優しい表情をしている。

「…そんなに優しい顔もできるのなら、そちらのほうが素敵だと思いますよ」

溢してしまった言葉に目を瞬いて戸惑ったように視線を惑わせる。一瞬唇を噛んだそれも癖なのだろうか。次には元の笑みが繕われた。

『なんのことでしょう?』

「…おやおや、少し台本を読み間違えてしまいましたようです。こういうことは私のような道化の役目ではありませんね」

『ふふ、そうなんですか』

ならば聞かなかったことにすると言いたげに話が切られた。

ちょうど羞恥から戻ってきたらしい夏目くんが両手をおろして私達を見据える。

「師匠、今日は買い物しようと思ってて歩き回ると思うんだけど…ついてきてくれる?」

「はい!もちろんですよ!」

笑みを返せば夏目くんは嬉しそうに笑ってじゃあ!と私達を先導する。

駅近くの広場から歩き始めて、言葉通り商店街に向かった。きょろきょろと見渡した夏目くんに彼は首を傾げた。

『そういえば、何を買うの?』

問いかけに一瞬固まって、次には不服そうに表情を歪ませる。

「もうすぐセンパイが誕生日だから、プレゼントを探すんダ」

記憶を探れば夏目くんがセンパイと形容する彼はたしかにあと一週間もすれば誕生日だった。

愛弟子の可愛らしい目的に笑みを零せば聞いていた彼は不思議そうな表情を見せる。

『センパイ?』

「?」

瞬かれた目にこちらも首を傾げてしまう。

「青葉つむぎセンパイ」

『………fine.の青葉さん、だよね?』

「ウン、元ネ」

なにか店を探しているのか忙しなく視線を動かす夏目くんは気には止めていないようだけど、この違和感をそのままにしておくのは気持ちが悪くて口を開く。

「…もしかして、あまり関わり合いがないのですか?」

『そうですね…一応情報としての名前と顔は一致していると思うんですが…』

珍しい組み合わせだから、相応の理由があると思っていた。てっきり二人とも世話になっているから感謝の礼として渡すものを探すのだと結論づけていたせいで混乱してしまう。

更に深まってしまった謎になんと返そうか悩み口を開くよりも早く、彼は夏目くんに視線を向けた。

『買う目的はわかったけど、どこに向かおうとしてるの?』

「センパイの欲しいものとか思いつかないかラ、とりあえずそういうプレゼント系のものを取り扱ってる場所に行こうかなっテ。あ、あそこのお店」

指した先には比較的最近できた、五階建ての大きめの文房具店があった。そこは文房具はもちろん、それ以外にも小物が取り揃えられていてガラス張りの壁から見える店内は人で賑わっていた。

「たしかに…彼は何を渡したら良いのでしょう?」

『なにか強いこだわりがある方なんですか?』

「…こだわりっていうか、かなり変な奴だから何もらっても大袈裟に反応してヘラヘラ笑うだろうケド、それじゃあ気に食わないからネ」

『ふーん、ちゃんと喜んでもらいたいんだね』

「そ、そんなんじゃないし!」

目を見開いて怒る夏目くんはどうにも恥ずかしがっているのは明白で、彼の背中を叩いてからよろめく彼を置いて私の手を取った。

「師匠!行こ!」

「は、はい、」

手を引かれながら振り返る。思っていたよりも思い切りよく叩かれたのか、少し咽た彼は楽しそうに笑って後ろについてきた。



「う~ん…」

これじゃない、あれじゃない。手にとっては戻して悩むを繰り返す夏目くんは真剣な横顔で、時折こちらに意見を求めてはまた唇を結う。

ふと見た彼は意見を求められれば感想や助言を口にするけれど基本は後ろをついて回っていて、たまに商品を手にとっては考える素振りを見せては戻していた。

「なにか買われるんですか?」

『買う予定はないです。もし気になるものがあったら買おうかなくらいですね…日々樹さんもあまり見ていないようですけど、買われたいものとかないんですか?』

「私も特に物入りではないので…けれどこのような場所にはあまり来たことがないので大変わくわくしておりますよ!」

いつもの流れでなにか撒こうかと思ったけど店内であるから行動は慎む。彼はそれに気づいているのか笑い声を小さく転がすだけだった。

「あ!ちょっと!あまり師匠に近づかないでよネ!」

『うん?』

急に間に割って入ってきた夏目くんに目を瞬いて首を傾げた彼は次には苦笑いを零す。

『そんなに警戒しなくても何もしないよ?』

「君は信用ならないから、僕の目の届かないところに行くのは禁止だヨ!あと僕の死角で師匠に話すのも禁止!」

『だいぶ制限があるね』

仕方なさそうに笑うだけで特に反論することなく夏目くんの言葉を飲んだ。温厚すぎる人なりに驚きで固まってしまったのは私だけらしく、夏目くんは鼻を鳴らして満足そうに頷いた。

「あ!そうだ、師匠!これどう思う?」

急に振られた話に内心頭が回っておらずなにを見せられたのか一瞬言葉を出しそこねて、それを笑みで誤魔化す。差し出されたのはグリーティングカードで美しい青色のラメが印象的だった。





会計をしに行った夏目くんにレジの混み具合から彼は一度手洗いに立って、一人で壁の花になる。

『お疲れ様です』

戻ってきた彼から差し出された缶はお茶と珈琲で、無難なものを選んできたのだろう。見あげればお好きな方をどうぞと微笑むからお茶を受け取った。

プルタブに指を引っ掛けて開封し、口をつける。壁に持たれて同じように珈琲に口をつけてる彼の横顔は穏やかで、すっかり見慣れていた眼鏡も相まって普段の彼と結びつかなかった。

「…考えれば考えるほど、今日の面子は不思議ですね」

『そうですね、僕もそう思います』

内情、思惑、目的はどうとあれ、彼と奏汰と宗が懇意にしているのは知っているし、なんだかんだ言いつつ零は関係を切らないでいて、そんな彼を英智は興味を抱き、夏目くんは警戒していたはずだ。

思えば思うほどに歪な存在の彼は、潤滑油なのか障害なのか、はかりかねる。

「今日は君が誘ったんですか?」

『向こうからですね』

「ほう、夏目くんからですか?珍しい」

『ええ、本当にそうですよね…』

「今までもこのように出かけたことがあるんですか?」

『いいえ、今日が初めてですよ』

淡々と問いかけに答える彼は嘘は言っていないようで、夏目くんが誘ってきたから待ち合わせたのに違いはなさそうだ。

なら行動に違和感があるのは夏目くんの方なのだろう。

珈琲を嚥下した彼は思い出したように目を瞬く。

『そういえば、青葉さんと日々樹さんは仲がいいんですか?』

「そうですねぇ~…悪くはないと思いますよ」

『そうなんですか…どんな方なんです?』

「おや、本当に珍しい。君の知らない相手がいるとは」

『ふふ、僕だってみんながみんな知り合いなわけじゃないですよ?』

久しぶりにそんな信憑性のない言葉を聞いた気がする。

それでも楽しそうに笑うその表情が年相応に見えて不快感を与えないから、なんとなく気を緩めた。

「彼は不思議な人ですよ。英智や私達五奇人とも少なからず接点があって、なおかつ今は夏目くんとユニットを組んでいる…まぁ、普遍ではないでしょう。性格はとても温厚で、温厚すぎて、私は…彼が少々怖いですね」

『奥深そうな方ですね』

「ええ、…いろんな意味で、君と彼は合わなそうです」

思わず笑ってしまえば不思議そうに首を傾げられて、なんとなくそのまま笑みを浮かべたまま空になった缶を捨てる。ぱちぱちと瞬きをしてから表情を繕い直した彼も缶に口をつけて同じように捨てた。

「夏目くんは無事買い物ができたみたいですが、君はこのあとの予定は決まっていらっしゃるんですか?」

『特には…逆先の買い物に付き合うと思って夜まで時間は空けてたので』

「ふふ、優しいですねぇ」

『、僕がですか?』

目を瞬いたあとになにか物言いたげに眉根を寄せる。

しかしながらぱたぱたと足音が近づいてきたことで私も彼も視線を上げて会話が途切れた。

「ごめんね!おまたせ、師匠!」

「いえいえ、そんなに待っていませんよ。無事に買い物ができたようでなによりです」

「…紅紫もごめん」

『うん?別に気にしないで平気だよ。買い忘れはない?』

「多分ないよ」

彼はどこか夏目くんと話すとき、小さな子どもに話しかけるような雰囲気を出す。夏目くんは気づいてないのか特に声を荒らげることも眉根を寄せることもないからこれら通常通りの対応なのだろう。

普通の同級生らしい笑みを溢して時折照れ隠しに手が出るのは悪い癖かもしれないけど、それを見越してるように波風立てず受け止めるか流してる彼は幾分も大人な対応で、この組み合わせは案外相性がいいのかもしれない。

「師匠」

眺めてる間になにか話を進めてたのか、夏目くんと彼は私を見るからなんでしょうと微笑む。

「もし良かったら少しお店入って休まない?だいぶ歩き回わらせちゃったから疲れたでしょ?お茶しない?」

「ええ!それはいいですね!」

頷かれたことに嬉しそうにはにかむ。その様子に肩をゆらした彼に気づいて頬を膨らませるとぱしりと力の乗らない音が響いた。

「その生ぬるい目止めてよネ」

『ふふ、ごめんごめん』

不服そうに息を吐くと私の服を摘んで引いて、夏目くんは笑う。

「師匠、あっちに喫茶店あるらしいからそこにいこウ」

「喫茶店ですか、楽しそうですね」

「ほら、早く紅紫、道案内」

『うん、こっち』

先導されて歩き始める。距離にして50メートルも離れていないその店は外装からして純喫茶店といった感じで、彼が外開きの扉を開いて押さえてくれてるから礼を言って先に中に入った。

外装に違わずよく想像するようなその喫茶店は客もいるけれど落ち着いていて静かなイメージがあり、なんとなく夏目くんや私に合わせて案内されたような場所だと思った。

迎えてくれた店員に案内されて通された席は四人がけで、私の向かいに夏目くん、その隣に彼が座る。

「商店街にこんな喫茶店あったんだネ」

「よくいらっしゃるんですか?」

『一人ではあまり…買い物帰りに少し寄ったりくらいですかね?』

夏目くんはああ、あの子達かと頷いてメニューに目を落とすけれど、彼が言いよどむ直前、無意識にかちらりと隣を見たことからきっと想像するような相手ではないんだろう。

彼が夏目くんに気遣って名前を出さない相手。だいぶそれだけで絞れてしまった人物像をここで口にするのは無粋だ。

夏目くんが差し出してくれたメニューに視線を落として、一つに絞ったタイミングを見計らったように店員を呼ぶ。

アイスミルクティー、夏目くんはメロンソーダ、彼はアイスコーヒーを頼むとついでにとプリンアラモードを追加する。その瞬間に夏目くんの目が瞬かれてあわあわと口を動かしたから首を傾げた。

店員を見送ったところでばしりと夏目くんが彼の肩を叩いて、何故彼は楽しそうに笑った。

『食べたいなら食べればいいんじゃない?』

「っ~」

頬を赤くして慌てる様子は大変可愛らしく、歳相応というよりも少し幼く見える。わかりやすい夏目くんに彼はまた肩を揺らして、返す言葉が見当たらなかったのか息を吐いて立ち上がった夏目くんは手洗いに向かった。

「本当によく周りを見ていますね」

『逆先がわかりやすいだけですよ』

夏目くんは普段はそこまでわかりやすい子ではないのだけど、彼が関わると話は別らしい。彼といる夏目くんにどこか零と似たところを感じるのは、同じツンデレ属性だからか

この辺りはどちらもからかうと後を引くから話題にするのはそのうちにしておこう。

会話がないのもつまらない。顔を上げて目があったから口を開く。

「そういえば、本当は誰とここにいらしてるんですか?」

『斎宮さんと影片ですね。すぐ近くに懇意にしている手芸屋があって、その帰りによく立ち寄るんです』

「ああ、たしかに宗が好きそうな内装ですね」

私には隠す必要がないからか、あっさりと告げられた相手に夏目くんがいる時に聞いたら怒りそうだなとぼんやり思う。

流れる穏やかな音楽は外の暑さをからの感じさせず、程よい送風によって滲んでいた汗が引いている。流れている音楽はジャズだろう。跳ねるような伴奏は会話を妨げずに空気に馴染んでた。

夏目くんが顔の赤みを引かせて戻ってくると同時に飲み物が運ばれてきて、差し出されたグラスを受け取って白と琥珀の二層にわかれた中身をかき混ぜる。

夏目くんはストローに口をつけて少し飲み込むと炭酸に一瞬を瞑ってから頬を緩めた。

続いて運ばれてきたプリンアラモードに受け取ったと思うとすぐ横にスライドさせる。目の前に差し出されたプリンアラモードに目を瞬いて鼻を鳴らすと夏目くんはスプーンを持った。

「どうしてもって言うなら仕方ないから食べてあげるヨ。魔法には糖分も必要だしネ」

『うん、美味しいらしいから食べてみてよ』

にっこり笑って頷いた彼に目を逸らすとスプーンでプリンとホイップクリームを小さく掬い口に運ぶ。途端に目を輝かせ口元は弧を描いた。

保護者のような暖かい目を向けてる彼は、自分の分のアイスコーヒーに手を伸ばしてストローで二回ほどかき混ぜたあとに口をつける。

零や奏汰、宗であればもしかしたら違うのかもしれないけれど、今まで遠くから不敵な笑みを浮かべて暗躍しているイメージしかなかった彼のこんな和やかな一面は驚き以外のなにものでもない。

本来はこっちが素なのだろうか。あまりに穏やかな表情と空気に問いただしてみたくなってしまうがきっとそれは私の役目ではないはずで、その証拠に不躾に見つめてしまってた私の視線に気づいた彼は表情を繕ってしまった。

私も笑みを浮かべて夏目くんを見つめる。

「美味しいですか?夏目くん」

「うん」

上機嫌に一口サイズのメロンを頬張って頷いた夏目くんは子供らしく、見ているだけで微笑ましさを覚える。

「師匠たべる?」

「いえいえ、夏目くんが美味しそうに食べているのを見ているだけで充分です」

「ん、師匠まで子供扱いしてない?」

「そんなことはありませんよ?」

にこやかに返せばコーヒーをもう一度飲んでいた彼が微笑んだ。

『ふふ、本当に二人は仲がいいね?』

「あたりまえじゃん。僕の師匠だからネ!」

『逆先は日々樹さんが大好きだもんね』

「っ」

胸を張ったと思えば頬を赤らめて硬直する。次の瞬間に右手を振り抜こうとして、それを左手で受け止めた彼は微笑んでいたと思うとポケットに右手を入れ携帯を覗いた。

一瞬目を開いたあとに眉根を寄せた彼は夏目くんの手を丁寧に離すと腰を上げた。

『すみません、ちょっと失礼します』

おそらく電話が掛かってきたのであろう。足早に店を出ていった彼を見送ってから頬を膨らませてる夏目くんを見据える。

「夏目くんは随分彼と仲が良いのですね?」

「ちょっと師匠、冗談はよしてヨ!」

誰があんなやつとと唇を尖らせた愛弟子は零が何度もからかっていた言葉通り、ツンデレと表するのが的確だろう。

不機嫌そうに眉根を寄せるから首を傾げた。

「ふむ?ならどうして彼を買い物に誘ったんです?」

「それは、……ソラが都合つかないって言うし、僕一人じゃ決まらなそうだから…」

「そもそも、よく彼の連絡先を知っていましたね?」

「奏汰にいさんと宗にいさんに教えてもらった」

「…おや、珍しい」

連絡先の入手方法に目を瞬けば焦ったように夏目くんは忙しなく両手を動かした。

「二人とも不思議そうにしてたけど、確認取って連絡先を教えてくれたからこう、それに連絡したら思ったより快諾されて、だからえっと、…無理矢理とかじゃないんだよ?」

「ふふ、そんなに焦らずともそのような心配はしていませんよ」

安心したように息を吐いて、忘れられていたメロンソーダに手を伸ばす。汗をかいたグラスの中身が2センチほど減ったところで口を離した。

「でも安心いたしました。夏目くん、同級生とも仲良くしているんですね」

「別に紅紫とは仲良くないよ!もともと僕にはちゃんと話す相手もいるし!」

「そうなんですか?」

「もちろん!バルくんとか!」

「ふふ、北斗くんのお友達ですね?」

「それ以外にも影片くんとも会ったら話すし、あとは……えっと、」

必死に記憶を探る様子が可愛らしい。眺めていれば顔色を明るくした。

「あ、あと!柑子とか木賊とか割と話す!…て、師匠二人のことは知ってる?」

「私個人はあまり関わったことはございませんが、もちろん存じ上げておりますよ?」

「わ!さすが師匠だね!」

「ふふ、煽ててもなにも出ませんよ?」

「まさか、全部本心だよ!」

にこにこと純粋に慕うような瞳の色で私を見つめるから毒気のなさに頭をなでそうになる。物理的な距離があるから遠慮したものの、奇人と称されてしまったことで周りと隔離されてしまっていた夏目くんが楽しそうに笑っていることに安堵を覚えた。

あまりに暖かい目で見つめていたのか目を逸らしてそわそわとした夏目くんはえーっとと言葉を探す。

「でも、師匠には言ってもいいかな、」

もごもごと言葉を探し、その後に出入り口を視界に捉えてから恥じらうようにこちらを見上げた。

「あのね、彼奴と仲良くはないんだけど、ほんとに、仲良くなんてないんだけど…」

「はい」

「……紅紫といる時は、僕が僕でいられる気がするから、一緒にいて息がしやすい…気がするんだ」

「……………」

「でもね、彼奴が兄さんたちを困らせてることは事実だから、えっと、」

うーんと言葉に悩み始めたしまった夏目くんなんて初めて見たかもしれない。

困ったような表情にほんのりと赤みを増した頬。いつぞやか、彼以外がこんな表情をしているのを見たことがある。

師匠として、先輩として、私がこの子に答えてあげられることはなんだろう?

答えが出なそうに口を結ってしまったから微笑んだ。

「君が零や宗、そして奏汰を慕ってくれていることはとてもわかります。けれど、君は君なんです」

「………」

「たしかに彼は黒幕気質ですから裏で糸をあやつって誰かを不幸にしてしまうかもしれませんし、結果として君が引っかかっているように誰かに憎悪を抱かせるのかもしれません。…けれど、彼のおかげで、誰かが幸せになっていることも、助けられているのも事実です。全方向から見た正義がないなんて、君が一番知っているんじゃありませんか?」

「…………でも、」

「宗も、奏汰も、もちろん零も、君から見たら苦しめられているように見えたのかもしれません…しかし、私には彼らは彼に助けられているように見えるんです」

目を丸くして言葉を失った夏目くんは信じられないと言いたげで、この子の中の彼がどんな悪人なのか少し気になった。

電話が長引いているのか戻ってくる気配がないからもう少し話してもいいだろう。

「実の所、私はこんなに色々語ってはいますがあまり彼と仲がいいわけではおりません。でも、適度な距離を保っているからこそ見えるものもあります」

「……師匠からは、何が見えるの?」

「………たとえば、彼は君が思っている以上に周りの人を大切にしている」

「、それ、は…彼奴の周りの四人の話?」

「彼らも含まれていますが、私から見たらそこには零、宗、奏汰…そして君も入っていますよ、夏目くん」

「僕は彼奴の周りの人間なんかじゃ、そんなことないよ」

「良くも悪くも彼は合理主義だと思います。そんな彼が今まで休日に待ち合わせたこともない相手に唐突に出かけようと誘われて、なおかつ理由も知らされず、しまいには自身と関わりがない相手の誕生日プレゼントを一緒に選ぶ。……もしも君だったら、同じ立場に立ったときに同じことができますか?」

「、」

「君はきっと、彼の大切な人の一人ですよ。…君は君なんですから、彼といたいのならいたらいいんです。宗も奏汰も、彼が嫌なら突き放しますし、嫌でないのなら一緒にいます。ツンデレも可愛いとは思いますが、自身の気持ちには素直なのが一番ですよ?」

「つ、ツンデレじゃないよ!?」

笑めばまさに話を聞いてたんじゃないかと言うようなタイミングで扉が開き、そこからこの数時間で見慣れた赤みな黒髪が見えた。

はっとしたように腰を落ち着かせて忘れてたプリンアラモードを口に運ぶ。そんな夏目くんの隣に戻った彼は不思議そうに私と隣を見比べて首を傾げた。

『なにかありましたか?』

「ふふ、少し私の話を聞いてもらってたんです。魔法使いの師事ですから君には内緒ですよ♪」

目敏いというか、こんなに聡くては生きるのに大変ではないのだろうか。

ウインクをして見せれば信じたのかはともかく気を緩めたように笑ってそうですかと頷いた。

「ごちそうさまでした」

両手を合わせてグラスを空にした夏目くん。ちょうどよく話の流れが途切れて、自然な動作になるように私もミルクティーに口をつけた。

「紅紫、この後は用事あるノ?」

『ないよ?』

「…暇人だネ」

『ふふ』

意味深長に笑うだけの彼が、本来今日にどんな用事があったのかなんてわからない。気づけば至るところに手を回して大体の物事の裏にいるような子なのだから、暇な日なんてあるのだろうか。先ほどの妙に長い電話も気にならないわけではないけれど、流石にそこまで聞くのは失礼だろう。

「…………」

なにか躊躇うように、考えるように口を噤み、恐る恐る目線を上げた。

「じゃ、じゃあさ、あの、このあ、」

不自然に途切れた言葉はどうやら夏目くんの携帯が原因らしく、マナーモードにしてある携帯電話の揺れが収まらないから仕方なさそうに画面を覗く。

文面を追って、深々と眉間に皺を寄せ息を吐いた。

「サイアク」

『大丈夫?』

「………用事ができたから、ここで解散しても平気?」

『僕は平気だけど…』

「私も大丈夫ですよ」

頷いて返せば夏目くんは安堵したように息を吐いて、メロンソーダを飲む。少し名残惜しそうなその表情はどこか悔しそうでもあって、出鼻をくじかれた気分なんだろう。

アイスコーヒーを飲み干した彼はコースターの上にグラスを戻して、既に空にしてた私と目を合わせるから頷いた。

『駅?』

「うん」

『なら会計しようか。日々樹さん、駅解散でも大丈夫ですか?』

「ええ、問題ありませんよ」

さらりと伝票を持って立ち上がった彼に慌てて夏目くんも立ち上がり、私も並ぶ。出入り口近くにあるレジに辿り着いたところで不意にこちらを見た彼は首を傾げた。

『えっと、個別会計にしますか?』

「「当たり前でしょ」う」

『はい』

仕方なさそうに笑うものだから、夏目くんは伝票を分捕り、メロンソーダとプリンアラモードと口にする。

『あ、いいのに』

「良くないシ」

ぷくぅっと頬を膨らませ聞く耳を持たない夏目くんに苦笑して、私が残りの分をすべて精算すれば彼は面白いくらいに目を瞬いた。

『えっと、僕の分』

「先程のお茶のお礼ですよ。お気になさらないでください」

『………ご馳走様です』

諦めたように肩を落として、観念した声が聞こえるから気分は悪くない。

歳下らしい彼の表情を堪能しながら店を出る。それなりに人が多い外は室内が心地よかった分まとわりつくような暑い空気が少しだけ不快だ。

夏目くんと話をしながら歩く。時折混ざる彼の声は穏やかで、人は多いが難なく駅についた。喧騒に眉根を寄せた夏目くんはプレゼントの入った袋を抱きしめた。

「えっと、…ううん」

むぐぐと息を詰めてなにか躊躇うように唇を噛む。違和感に気づいたらしい彼は心配するようにこちらを見た。

とんとんと夏目くんの背を押せば意を決したように息を詰めて頷く。素早く袋から何か取り出して目の前に突き出した。

「その、あの、……今日は助かった」

押し付けられた品物を落とさないよう手を出した彼は目を丸くしていて、夏目くんは逃げるように道を走っていく。改札を抜け、小さくなっていき、そのうち人混みにまぎれてしまった赤色に目を瞬いてから首を傾げた。

『助けた覚えはないんですけどね…』

手の中の小さな荷物にどうしたらいいのかわからなそうに視線を迷わせる。

こういうことに慣れていないのか、困ったようにも見えるから肩に触れた。

「君が気づかずとも、君がいてくれたことで助かった場面があったということではないですか?私の可愛い弟子の精一杯のお礼です。どうか受け取ってあげてください」

そのまま唇を噛んで、少しの間を置いてから柔く笑んだ。

『ありがとうございます』

照れ臭そうな表情に悪戯心が擽られて、さっとカメラを構えてシャッターをきれば驚きで目を丸くした。

『な、っ』

「いい写真が撮れましたね!それではまた!学校が始まったらお会いしましょうね!」

『あの、ま、写真!』

「良い夏休みを!」

驚いて目を丸くしたどころじゃない彼に気分は悪くない。手を振って走り出せば諦めたように笑って息を吐いた。


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