あんスタ
落ちてきた水は匂いも色もついていて、水音を立てる髪に息を吐いた。
わかりきっていたことだけど見上げても音ひとつしない。もう一度息を吐いてからこの辺で一番近い水場に向かう。
校舎に入って濡れ鼠の姿を見せるのはなんとなく解せなくて、とりあえずこれだけでも流したい。
『最悪だ』
べたべたしたこれを洗って流すことにして、髪についた分をどうしようか
やっとついた水場は人気がなくて丁度いい。ジャージの上着を脱いで目線を落としたところでオレンジ色がひょこりと物陰から顔を出した。
好奇心旺盛な野生動物のような動きで周りを見て誰もいないのを確認すると瞬いてから笑う。
「こんなところでなにやってるんだ?」
『手を洗いに来たんですよ。貴方こそ何をなさってるんですか?』
「ん?さぁ?気づいたらここにいたんだけど…それ、どうしたんだ?」
『少ししくじったんです』
「ふーん」
すんすんと鼻を鳴らして顔を近づけてきたそれは短く唸って首を傾げたあとに赤い舌で頬を舐めてきた。
ぱっと目が輝いて笑顔を作る。
「あ、カルピスか!カルピスはおいしいよな!好きだぞ!」
『俺は大嫌いです』
「嫌い?勿体無いな」
じっと俺の目を覗き込むエメラルドグリーンが次に瞬いた時になんとなく嫌な予感がして、脱いだばかりのジャージを引っ掴もうとした手を取られる。指先を這う赤い舌とちらりと見える白い歯。伏せられた睫毛で影を落とす瞳。どれをとっても美しく、完成して見えるのにやっていることが残念すぎる。
『楽しいですか?』
「ん?タダで甘いものを飲めるんだ。頭を使うと糖分が欲しくなるだろ?」
右手を舐め終わったのか次は左手を掴まれ、舌が這う。仕方なしに今度は涎でべたべたになった右手を眺めていればシャツが引かれた。
「顔もいいか?」
『聞く必要がありますか?』
俺がなんて答えたとしてもこの人は止まらない。
笑顔を見せた後に鼻先にキスが贈られる。目を閉じていれば首筋、瞼、頬をはって、最後に唇が啄まれた。
『趣味が悪い』
開いた視界の先、八重歯を見せて笑っていたと思えば普通に唇が触れてキスをされた。
せがむように突かれ仕方なしに口を開けば侵入してきた舌が俺の舌を絡めとって擦り付けられる。混ざった唾液が甘すぎて我慢できず引っぺがそうとしたけれど膝の上に乗られて体重をかけられてはどうにもできず、後頭部に手を回してこちらから口内を蹂躙することにした。
少しすれば苦しくなったのか胸を叩かれて狙いどおり口を離せばうっすらと顔が赤くなっていて唇が光ってる。
「は、はっ」
『満足されましたか?』
「…おう!ごちそーさん!」
無邪気に見えるだけの笑顔にため息をつく。
『はい、お粗末さまです』
立ち上がって蛇口をひねる。流れはじめた水は少し冷たく、手を流して顔を洗った。
シャツで顔を拭うとまだいたその人は頬を膨らませて俺を見てた。
「なんだ、洗っちゃったのか」
『何か問題でも?』
「せっかく“俺の”ってしたのに」
『ふふ、マーキングしたつもりだったんですか?』
にっと笑う。表情は無邪気には程遠く、どちらかといえば男臭い。
『だめですよ?あんまり手出してくると俺には貴方同様可愛いかわいい子たちがいるので噛みつかれちゃいます』
「んー、お前んとこの駒は怖いよなぁ、うちの騎士より物騒だ」
まぁいざとなったら戦う覚悟だけどと唇を舐める。泉さんが王と言うだけあって中々貫禄があるし、普段あれだけおどけてるのに威圧感がある。
悩むような素振りを見せたあとに意識的に柔らかく笑えばむ?と首を傾げた。
『駒を盗られると困るので俺も一緒に叩き潰しに行きますからその時はお願いしますね』
「うわ、それは反則だ!」
『ふふ、王が動いても構わないでしょう?』
「ああ!勝てばいいんだ!」
にっかりと笑って両手を開く。
「首取られたら終わりだぞ!それまで精々足掻け!」
何故か楽しそうに声高らかに笑う月永さんは停学明けなことも手伝ってかとても機嫌がいいように見えた。
「なんだ、そんなことでいいのか?」
『ええ』
対価に着ているジャージの上着を要求してやればファスナーをおろして突き出される。上から羽織れば草と土の匂いがした。
『洗濯してお返ししますね』
「ん、別に洗わなくてもいいぞ?俺もあんまり洗ってないし!」
『…最低すぎて笑えませんね』
まぁきちんと洗って返しますよともう一度お礼を口にしてからその場を離れる。
校舎を抜けて部室に行って、シャワー浴びても最後の授業には間にあいそうだ。
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